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岩峅寺車站 - 维基百科,自由的百科全书

岩峅寺いわくらじしゃ

重定しげさだこう岩峅寺いわくらじ

岩峅寺いわくらじにち语:岩峅寺いわくらじえきいわくらじえき Iwakuraji eki */?いち日本にっぽん富山とやまけん中新川なかにいかわぐん立山たてやままち岩峅寺いわくらじゆかり富山とやま地方ちほう鐵道てつどうところようゆうてき鐵路てつろしゃ。它是立山線たてやませんあずか上瀧線かみだきせんりょうじょう路線ろせんてき交會しゃ站,也是立山たてやままちさかい內的主要しゅようしゃ站之いち直營ちょくえい站,也是其中一個區間車的起訖站,全日ぜんじつひとし有正ありまさ站員ちゅうもり所有しょゆう急行きゅうこう列車れっしゃみなかいざい此停站。くるま站編ごうそく立山線たてやませんてきはいじょへんはいためT51

岩峅寺いわくらじ
站房(2020年7月)
站房(2020ねん7がつ
にち名称めいしょう
岩峅寺いわくらじ – いわくらじ – Iwakuraji
车站がい
位置いち富山とやまけん中新川なかにいかわぐん立山たてやままち岩峅寺いわくらじ105-4
地理ちりすわ36°36′26.64″N 137°19′10.92″E / 36.6074000°N 137.3197000°E / 36.6074000; 137.3197000
拥有しゃ富山とやま地方ちほう鐵道てつどう
经线
距离
车站构造
站体类型地面じめんしゃ
站台3めん4せん
车站だい
  • T51
历史
启用1921ねん大正たいしょう10ねん)3がつ19にち
上下じょうげしゃじん
統計とうけい年度ねんど
平均へいきん每日まいにち417にん
2018ねん
ふく
◄T50 澤中山さわなかやま
(1.6公里くり
橫江よこえ T52►
(3.3公里くり
◄T70 大川おおかわてら
(1.2公里くり
位置いち
地图
备注
ちょく營站

現時げんじてき岩峅寺いわくらじ站,はららいゆかりりょうあいだ不同ふどうてき公司こうし分別ふんべつ設置せっちてき最早もはや出現しゅつげんてき1921ねん立山たてやま鐵道てつどう即今そっこんてき立山線たてやません通車とおりくるましょけいようてき立山たてやま同年どうねんやや富山とやま縣營けんえい鐵道てつどう即今そっこんてき上瀧線かみだきせんてき岩峅寺いわくらじ站也跟隨けいよう兩個りゃんこしゃ站一直獨立運作到1936ねん合併がっぺいりょう立山たてやま鐵路てつろてき富山とやま電氣でんき鐵道てつどう立山たてやま站廢站,列車れっしゃあらため駛入縣營けんえい鐵道てつどう所屬しょぞくてき岩峅寺いわくらじ站,とげなりため單一たんいつてきいちしゃ站至いま

富山とやま地方ちほう鐵路てつろてきぎょうしゃ時間じかんけい上瀧線かみだきせん不二越線ふじこしせん電鐵富山でんてつとやまかいけい立山線たてやません本線ほんせんためたんたて使ぎょうはし上瀧線かみだきせんてき列車れっしゃかなめぎょうはし立山線たてやませんてき列車れっしゃおそりょういたりさんふんがね開出かいでただし往往おうおう都會とかい前者ぜんしゃかいすうふんかね到達とうたつ富山とやま站。另外,ぎょうはし上瀧線かみだきせん及不二越線的列車都是行駛全區間的,ただし立山線たてやません大約たいやくゆう四成的列車都是以此為終點站或始發站,かいさい駛入立山たてやま站。

「峅」本身ほんみ日本にっぽん漢字かんじなみぼつゆう相對そうたいおうてきちゅう文字もじ,於日本國ほんごく內亦富山とやまけんてき地名ちめいじょう,以表示ひょうじたいけん內地しるべ立山たてやまてき一種いっしゅ信仰しんこう。「峅」ゆうでんゆび天上てんじょう神明しんめいしたがえてんくだいたり立山たてやまてき意思いし改編かいへん新田にった次郎じろうにち新田にった次郎じろう同名どうめい小說しょうせつてきでんかげ劍岳つるぎだけ てんにち劒岳 てん》,とうなかてき富山とやま站」其實便びんざい此站取けい

くるま結構けっこう

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つきだい(2013ねん1がつ

ぞく地面じめんしゃたてゆう一座兩層高的站房,地下ちかためしつらえゆう售票まどこう及站ちょうしつてきこうしゃ大堂うふどう,二樓為員工專用區域,對外たいがい開放かいほう

採用さいよう開放かいほうしきてき人手ひとで剪票しき,閘口あずか正門せいもん相對そうたい通過つうか閘口みぎてんそくため立山たてやま方向ほうこうてきがわしき2ごうがつだい,其がつだいそく須先よこひら交道みぎてんそくため寺田てらだ方向ほうこうてきがわしき1ごうがつだい直行ちょっこうさい沿地黃色おうしょく指示しじせん方向ほうこうまえぎょう便びんかい到達とうたつ上瀧線かみだきせん的島まとじましきがつだいまたいんため步行ほこうどうてきはら,3ごうがつだいてき軌無ほう如4ごうがつだいてき軌般、のう夠直どおりいたり立山線たてやませんてき軌,而變成へんせいりょう兩邊りょうへんあたまはししきてきがつだい

つきだい配置はいち

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つきだい 路線ろせん 方向ほうこう 目的もくてき 備註
1 立山線たてやません うえこう けい寺田てらだ電鐵富山でんてつとやま方向ほうこう あずか上瀧線かみだきせんとうしきがつだい直接ちょくせつしょうれん
2 したぎょう 立山たてやま方向ほうこう さい接近せっきん站房てきがつだい
3 上瀧線かみだきせん うえこう けい南富山みなみとやま電鐵富山でんてつとやま方向ほうこう あたまはししきがつだいつくりため保線ほせんよう側線そくせん
4 直通ちょくつういたり立山線たてやません往立やま

歷史れきし

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  • 1921ねん
  • 3月19にち立山たてやま鐵道てつどうそく現時げんじ立山線たてやません)「立山たてやま開業かいぎょう[1]
  • 8がつ20日はつか富山とやま縣營けんえい鐵道てつどうそく現時げんじ上瀧線かみだきせん)「岩峅寺いわくらじ開業かいぎょう
  • 1931ねん3がつ20日はつか富山とやま電氣でんき鐵道てつどうあずか立山たてやま鐵道てつどうはら立山たてやま輕便けいべん鐵路てつろ合併がっぺい[2]
  • 1936ねん8がつ18にち富山とやま電氣でんき鐵道てつどう立山たてやま站廢站,みつるせい富山とやま縣營けんえい鐵道てつどう岩峅寺いわくらじ」內。
  • 1943ねん1がつ1にち富山とやまけん所有しょゆう鐵道てつどう會社かいしゃ合併がっぺい富山とやま電氣でんき鐵道てつどう改名かいめいため富山とやま地方ちほう鐵道てつどう」。

利用りよう人數にんずう

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乘車じょうしゃ人員じんいん推算すいさん
年度ねんど 1にち平均へいきんじょう落人おちうどすう
2004ねん 415[3]
2005ねん 432[3]
2006ねん 442[3]
2007ねん 421[4]
2008ねん 404[4]
2009ねん 380[4]
2010ねん 382[4]
2011ねん 390[4]
2012ねん 397[4]
2013ねん 380[5]
2014ねん 389[5]
2015ねん 402[5]
2016ねん 407[5]
2017ねん 411[5]
2018ねん 417[5]

あい鄰車站

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富山とやま地方ちほう鐵道てつどう
立山線たてやません
特急とっきゅうおもねしか卑斯」
通過つうか
特急とっきゅう立山たてやま
ひゃくせき(T46)-岩峅寺いわくらじ(T51)有峰ありみねこう(T54)
快速かいそく急行きゅうこうただげんぎょう
ひゃくせき(T46) → 岩峅寺いわくらじ(T51)千垣ちがき(T53)
普通ふつう
澤中山さわなかやま(T50)-岩峅寺いわくらじ(T51)橫江よこえ(T52)
上瀧線かみだきせん
普通ふつう
大川おおかわてら(T70)-岩峅寺いわくらじ(T51)

注釋ちゅうしゃく

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  1. ^ 地方ちほう鐵道てつどう運輸うんゆ開始かいしなみ停車場ていしゃじょう位置いち變更へんこう」,日本にっぽん官報かんぽう,1921ねん3がつ24にちだい2590ごう):國立こくりつ國會圖書館こっかいとしょかん電子でんし資料しりょう
  2. ^ 富山とやま地方ちほう鉄道てつどう50ねん》,富山とやま地方ちほう鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ,1983ねん3がつ28にち
  3. ^ 3.0 3.1 3.2 統計とうけい立川たちかわ2010页面そん档备份そん互联网档あん),だい38ぺーじにち
  4. ^ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 統計とうけい立川たちかわ2013页面そん档备份そん互联网档あん),だい33ぺーじにち
  5. ^ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 統計とうけい立川たちかわ2019页面そん档备份そん互联网档あん),だい30ぺーじにち

外部がいぶ連結れんけつ

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