张瑛(1373年ねん—1436年ねん),顺德府ふ邢台县人ひと,字じ子玉こだま,是ぜ明朝みょうちょう宣せん德とく年ねん间的华盖殿どの大だい学士がくし。
张瑛是ぜ明あかり宣せん宗むね朱しゅ瞻基在ざい东宫的てき旧臣きゅうしん,宣せん德とく元年がんねん(1426年ねん)三さん月がつ癸みずのと丑うし,明あかり宣せん宗むね以行くだり在ざい礼れい部ぶ侍さむらい郎ろう张瑛兼けん华盖殿どの大だい学士がくし,直ただし文ぶん渊阁。宣せん德とく二に年ねん(1427年ねん)二に月がつ,张瑛晋すすむ礼れい部ぶ尚なお书兼けん华盖殿どの大だい学士がくし。宣せん德とく四よん年ねん(1429年ねん)十じゅう月がつ张瑛改あらため任にん南京なんきん礼れい部ぶ尚なお书,正せい统元年がんねん(1436年ねん)十じゅう月がつ,张瑛去さ世よ,享年きょうねん六ろく十じゅう二に岁。