暖だん暖だん,是ぜ基もと隆たかし市し暖だん暖だん區く的てき主しゅ聚落しゅうらく及鄰近きん地區ちく。
台灣たいわん清治きよじ末期まっき至いたり日び治ち前期ぜんき,暖だん暖だん地區ちく為ため一いち街がい庄しょう,稱しょう為ため「暖だん暖だん街がい」,隸屬れいぞく於石いし碇いかり堡。該街北きた與あずか石いし硬かた港こう庄しょう為ため鄰,東ひがし與あずか碇いかり內庄、四よん腳亭庄しょう、桀魚坑あな庄しょう為ため鄰,南みなみ邊べ為ため什份藔庄、石底いしそこ庄しょう,西にし邊べ為ため姜きょう仔こ藔庄、草くさ濫庄,西北せいほく邊べ為ため八はち堵と庄しょう[1]。
1901年ねん(日にち治ち明治めいじ三さん十じゅう四よん年ねん)11月,該庄隸屬れいぞく於基もと隆たかし廳ちょう,編入へんにゅう第だい二に十じゅう區く。1905年ねん(明治めいじ三さん十じゅう八はち年ねん)7月がつ,第だい二に十じゅう區く改名かいめい「暖だん暖だん區く」。1920年ねん(大正たいしょう九きゅう年ねん),該庄改あらため制せい為ため「暖だん暖だん」大字だいじ,隸屬れいぞく於臺北たいぺい州しゅう基もと隆たかし郡ぐん七なな堵と庄しょう,大字だいじ下か有ゆう「暖だん暖だん」、「東勢ひがしせい坑あな」、「西勢にしせい坑あな」、「外そと西勢にしせい」、「過か溪けい」小字こあざ名めい[2]。
戰後せんご七堵庄改制為七なな堵と鄉きょう,隸屬れいぞく於臺北たいぺい縣けん,大字だいじ亦また改あらため制せい為村ためむら。1947年ねん1月がつ,七なな堵と鄉きょう劃歸基もと隆たかし市し,並なみ改稱かいしょう七なな堵と區く,村むら改あらため制せい為ため里さと。1949年ねん2月がつ,暖だん暖だん、七なな堵と分ぶん治ち,本ほん地區ちく歸屬きぞく暖だん暖だん區く。
台たい鐵てつ宜むべ蘭らん線せん經過けいか暖だん暖だん地區ちく,並なみ設しつらえ有ゆう暖だん暖だん車しゃ站。由よし此往東ひがし可か前ぜん往宜蘭らん、羅ら東ひがし、花はな蓮はちす、台東たいとう等とう地ち,往西可か在ざい八はち堵と車しゃ站連接れんせつ縱貫じゅうかん線せん以前いぜん往基隆たかし、台北たいぺい、桃園ももぞの、新しん竹たけ、苗なえ栗ぐり及中南部なんぶ各地かくち。
省しょう道どう台だい62線せん即そく東西とうざい向こう快速かいそく公おおやけ路ろ-萬まん里さと瑞みず濱はま線せん,在ざい西にし鄰八堵地區設有暖暖交流道。省しょう道どう台だい2丁ちょう線せん沿基隆たかし河南かなん岸がん橫よこ向こう穿ほじ越本こしもと地區ちく北部ほくぶ,往東可か前ぜん往瑞芳よし,往西可か前ぜん往八堵と。省しょう道どう台だい2丙へい線せん大だい致以西北せいほく—東南とうなん走はし向こう經過けいか本ほん地區ちく,往西北きた可か連接れんせつ省しょう道みち台だい2丁ちょう線せん,向こう東南とうなん可か前ぜん往平溪けい、雙そう溪けい、貢みつぎ寮りょう等地とうち。