曾天養やしなえ(?—1854年ねん),清きよし廣西ひろせ桂平かつらがひら人ひと,太平たいへい天國てんごく將領しょうりょう。
他た早年そうねん加入かにゅう拜はい上帝じょうてい會かい,金田かねだ起おこり義よし時とき,他た已やめ年ねん過か五ご十じゅう。初任しょにん御ご林はやし侍さむらい衛まもる,建都けんと天てん京きょう後先あとさき後任こうにん指揮しき、檢けん點てん,官かん至いたり秋あき官かん又また正せい丞相じょうしょう。1854年初ねんしょ,曾天養やしなえ在ざい湖北こほく黃き州しゅう擊げき敗はい清きよし軍ぐん,湖みずうみ廣こう總督そうとく吳ご文ぶん鎔戰死せんし。曾天養やしなえ隨ずい太平たいへい軍ぐん入にゅう湖南こなん,其後退こうたい守もり岳たけ州しゅう。8月9日にち在ざい附近ふきん的てき城しろ陵りょう磯いそ擊破げきは敵てき軍ぐん水みず師し,殺ころせ湘軍水みず師し將領しょうりょう褚汝航こう。8月11日にち遇ぐう湘軍塔とう齊ひとし布ぬの部ぶ,曾天養やしなえ戰死せんし。