桓嗣,字じ恭きょう祖そ,小字こあざ豹ひょう奴やつ[1],譙國龍りゅう亢(今いま安徽あんき懷ふところ遠とお)人にん。東あずま晉すすむ車くるま騎き將軍しょうぐん桓沖之これ長子ちょうし。桓謙、桓脩等とう人ひと之の兄あに。
桓嗣自じ少しょう已やめ有清ありきよ譽ほまれ,與あずか桓豁之子ゆきこ桓石秀しゅう並稱へいしょう,二人都是桓氏子侄的出色人物。當とう桓沖代だい桓豁處理しょり對たい西方せいほう事務じむ時じ,朝廷ちょうてい便びん頒詔令れい桓嗣都と督とく荊州三さん郡ぐん、豫よ州しゅう四よん郡ぐん的てき軍事ぐんじ,並なみ擔任たんにん建たて威たけし將軍しょうぐん、江え州しゅう刺史しし。桓嗣處しょ事ごと簡約かんやく,家中いえじゅう居所きょしょ及工作こうさく的てき地方ちほう都と以茅木き作為さくい建築けんちく材料ざいりょう,牆版等とう材料ざいりょう則そく交付こうふ予よ船せん官かん作さく建けん船せん之これ用よう。後來こうらい桓嗣轉職てんしょく西陽にしび、襄じょう城じょう二に郡ぐん太守たいしゅ,鎮守ちんじゅ夏なつ口こう,後こう領りょう江夏えなつ相そう,最後さいご卒そつ於任上じょう。朝廷ちょうてい追贈ついぞう他た為ため南中なんちゅう郎ろう將はた,諡號しごう為ため「靖やすし」。其子桓胤嗣爵。
[编]