梁りょう元もと桂かつら(1814年ねん—?),字じ世よ液えき,号ごう馨かおる士し,廣東かんとん肇はじめ慶けい府ふ恩おん平たいら縣けん歇馬鄉きょう人じん,清朝せいちょう政治せいじ人物じんぶつ,進士しんし出身しゅっしん。
道みち光こう二に十じゅう六ろく年ねん(1846年ねん)丙午ひのえうま科か廣東かんとん鄉さと試ためし舉人,咸豐二に年ねん(1852年ねん)壬みずのえ子こ恩おん科か進士しんし。欽点戶部とべ即そく用よう主事しゅじ,歷任れきにん福建ふっけん延のべ平たいら府ふ、福ぶく寧やすし府ふ、邵武府ふ知ち府ふ[1],同どう治ち七なな年ねん(1868年ねん)任にん台灣たいわん府ふ知ち府ふ並なみ兼任けんにん按察使し銜分巡じゅん台灣たいわん兵備へいび道どう[2]。