梅うめ膺祚(?—?),字じ誕生たんじょう,南みなみ直ただし隸寧やすし國府こくふ宣せん城じょう縣けん人ひと,“林はやし中ちゅう七なな子し”梅うめ鼎かなえ祚的てき從弟じゅうてい。
萬まん曆れき年間ねんかん國子くにこ監かん太ふとし學生がくせい,好こう讀書どくしょ,著述ちょじゅつ繁多はんた。萬まん曆れき四よん十じゅう三さん年ねん(1615年ねん)編成へんせい《字彙じい》一いち書しょ,此書按部首ぶしゅ編へん排はい,改良かいりょう《說せつ文ぶん解かい字じ》,將はた其部首ぶしゅ簡化成かせい214個こ,後來こうらい的てき《正字せいじ通どおり》、《康かん熙字典じてん》的てき編輯へんしゅう過程かてい即そく以《字彙じい》為ため藍本らんぽん。