沈明仁ひとし(?—?),元朝がんちょう浙西土豪どごう,是ぜ中国ちゅうごく佛教ぶっきょう华严宗むね的てき支ささえ派は白しろ云うん宗むね的てき总摄,号ごう白しろ云うん宗主そうしゅ。
元もと武たけ宗はじめ至大しだい元年がんねん(1308年ねん),白しろ云うん宗むね获得合法ごうほう地位ちい。元もと仁じん宗むね延のべ祐ゆう二に年ねん(1315年ねん),沈明仁ひとし被ひ仁じん宗むね授予荣禄大夫たいふ、司つかさ空そら。延のべ祐ゆう六ろく年ねん(1319年ねん),他た纠集徒と众十じゅう万まん人にん,蓄发娶妻つま,自じ有田ありた宅たく,擅度僧そう四よん千せん八はち百ひゃく余人よにん、强つよ占うらない民田たみだ二に万まん顷。刘用弹劾沈明仁じん强きょう夺民田た、诳诱愚ぐ俗ぞく、私わたし赂近侍きんじ、妄受名めい爵,奸恶不法ふほう。十じゅう月がつ,仁ひとし宗そう饬有司し逮鞫从严,毋得庇ひさし纵,违者同罪どうざい。沈明仁じん坐すわ罪つみ入にゅう狱。延のべ祐ゆう七なな年ねん(1320年ねん),朝廷ちょうてい诏籍白しろ云うん宗むね僧そう者しゃ还俗。