淑德しゅくとく皇后こうごう,尹いん氏し,本名ほんみょう及生卒そつ年ねん不ふ詳しょう,相州あいしゅう鄴(今こん河南かなん安陽あんよう北きた)人にん,滁州刺史しし尹いん廷勛之これ女おんな,母はは符ふ氏し符ふ存そん審しん族ぞく人じん。宋そう太ふとし宗むね趙ちょう光義みつよし嫡妻,尹いん皇后こうごう其兄尹いん崇たかし珂,官かん居きょ保信やすのぶ軍ぐん節度せつど使し,其妹婿むこ為ため趙ちょう延のべ進しん。
宋そう太ふとし宗そう在ざい後こう周しゅう時とき迎むかえ娶めと滁州刺史しし尹いん廷勛之これ女じょ尹いん氏し,尹いん氏し沒ぼつ有為ゆうい太ふと宗そう生なま有ゆう任にん何なん一いち子し一いち女じょ。尹いん氏し死し於太宗むね即位そくい前まえ[1],太平たいへい興國こうこく元年がんねん(976年ねん)十じゅう一いち月がつ,追つい封ふう為ため皇后こうごう,諡號しごう淑德しゅくとく。葬そう孝明たかあき陵りょう西北せいほく。神主かんぬし享とおる於別廟びょう,後ご升ます祔太廟びょう。
族ぞく人じん尹いん鵬ほう飛ひ,南みなみ宋そう時じ尚なお郡ぐん主ぬし趙ちょう玉たま蝶ちょう。