炳靈帝みかど君くん又また稱しょう東嶽あずまだけ上殿かみどの太子たいし至いたり聖せい炳靈王おう,俗稱ぞくしょう炳靈公こう,知名ちめい山神さんじん、雷神らいじん、護法ごほう神しん,民間みんかん相傳そうでん乃東嶽あずまだけ大帝たいてい的てき第だい三さん子し,原はら稱しょう為ため「東嶽あずまだけ炳靈三さん太子たいし」。後こう唐から明あかり宗むね封ふう「炳靈三さん太子たいし」為ため「威雄たけお將軍しょうぐん」,宋そう真宗しんしゅう封ふう「炳靈公こう」。《東嶽あずまだけ大生おおう寶たから懺》稱しょう之の為ため「至いたり聖ひじり威雄たけお炳靈仁惠じんけい王おう」,《東嶽あずまだけ解かい冤謝罪しゃざい法ほう懺》稱しょう之の為ため「東嶽あずまだけ上殿かみどの太子たいし至いたり聖せい炳靈王おう」。
宋そう代だい高こう承うけたまわ《事物じぶつ紀きの原げん·炳靈公こう》:「《宋朝そうちょう會かい要よう》曰:廟びょう在ざい兗州泰山たいざん下か,即そく泰山たいざん神かみ三郎さぶろう也。後こう唐とう詔みことのり封ふう威雄たけお將軍しょうぐん,大中おおなか祥さち符ふ七なな年ねん十じゅう月がつ十じゅう五ご日にち,詔みことのり封ふう威雄たけお將軍しょうぐん為ため炳靈公こう。」金きむ陵りょう、姑しゅうと蘇そ、餘よ杭くい等とう地區ちく正せい一派いっぱ道士どうし,認みとめ為ため其為管理かんり龍虎りゅうこ山やま(正せい一派いっぱ)、閤ごう山さん(靈寶れいほう派は)、茅かや山さん(上うえ清きよし派は)等とう三さん山やま符ふ籙的てき大神おおがみ,還かえ是これ天てん庭にわ的てき雷かみなり部ぶ、火ひ部ぶ天てん將はた,也是張ちょう天たかし師し的てき護法ごほう神しん。《封ふう神しん演義えんぎ》中ちゅう,此神為ため黃き飛ひ虎とら之子ゆきこ黃き天てん化か所ところ任つとむ,又また稱たたえ「管領かんりょう三さん山さん正神しょうがみ」。