熊くま鼎かなえ(?—1375年ねん),字じ伯はく潁,臨川りんせん人じん。
元もと末すえ舉於鄉きょう,任にん職しょく於龍溪りゅうけい書院しょいん。江西えにし寇亂,熊くま鼎かなえ結合けつごう鄉きょう兵へい自じ守もり。陳ちん友とも諒りょう屢次威い脅おびえ他ほか,不ふ應おう。鄧愈鎮守ちんじゅ江西えにし,好こう幾いく次じ召見他た,奇き其才,推薦すいせん給きゅう朝廷ちょうてい。授德清せい縣けん丞すすむ、浙江せっこう按察司し僉事,官かん至いたり刑部おさかべ主事しゅじ。洪ひろし武ぶ八はち年ねん(1375年ねん),任にん鼎かなえ岐寧衛まもる經歷けいれき,西部せいぶ朵兒只ただ班はん率りつ部落ぶらく內附,既すんで降くだ复叛。與あずか知事ちじ杜もり寅とら俱被殺ころせ。朱しゅ元もと璋あきら知道ともみち後ご,深ふか覺さとし惋惜,命いのち葬そう於黃き羊ひつじ川かわ(甘肅かんせい省しょう武威ぶい市古いちこ浪なみ縣けん黄き羊ひつじ川かわ鎮),立たて祠ほこら紀き念ねん之の。