王おう受祿(1893年ねん1月がつ17日にち—1977年ねん9月がつ9日にち),台灣たいわん醫學いがく家か,台たい南市みなみいち出生しゅっしょう,台灣たいわん史上しじょう第だい1位い留學りゅうがく德とく國こく的てき醫學いがく博士はかせ和わ史上しじょう第だい2位い醫學いがく博士はかせ(第だい1位い是ぜ杜もり聰明そうめい)。
台灣たいわん總督そうとく府ふ醫い學校がっこう畢業,曾任台灣たいわん總督そうとく府ふ台たい南みなみ病院びょういん(現げん衛生えいせい署しょ台だい南みなみ醫院いいん)外科げか醫師いし,為ため外科げか首位しゅい臺だい籍せき醫い官かん補ほ(內科為ため韓かん石泉いしずみ)。後こう自じ行くだり開業かいぎょう。
1925年ねん2月がつ6日にち獲得かくとく德とく國こく弗どる萊堡大學だいがく醫學いがく博士はかせ學位がくい。
1927年ねん參加さんか臺灣たいわん民みん眾黨,任にん中央ちゅうおう常務じょうむ委員いいん、台たい南みなみ支部しぶ委員いいん會かい常務じょうむ委員いいん兼けん主任しゅにん[1]; 亦また為ため第だい10次じ台灣たいわん議會ぎかい請願せいがん代表だいひょう。[1]
1930年ねん皈依基督きりすと新教しんきょう。
與あずか韓かん石泉いしずみ同どう為ため台だい南市みなみいち台灣たいわん文化ぶんか運動うんどう健けん將はた和民かずたみ間あいだ現代げんだい醫療いりょう重鎮じゅうちん。