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王汝玉 - 维基百科,自由的百科全书

おうなんじだま

おうなんじだま(14世紀せいき—1410ねん),めい以字ぎょうごうあお城山しろやまじんちょく蘇州そしゅう長洲ながすけんひと明朝みょうちょう政治せいじ人物じんぶつ

生平おいだいら

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おうなんじだま年少ねんしょうきょう聞博したがえがく楊維楨じゅうななさいちゅう浙江せっこうきょうためし舉人永樂えいらく年間ねんかんゆかりおうてんがく訓導くんどう翰林かんりん五經ごきょう博士はかせるいかんみぎはるぼうみぎさんぜんあずかおさむ永樂えいらく大典たいてん》。永樂えいらくななねん(1409ねん),よしおさむれいしょ》紊制度せいど連坐れんざとう戍邊。

皇太子こうたいししゅだかおきかんこく特赦とくしゃなみにんおうなんじだまため翰林かんりん典籍てんせきさいますひだりさんぜん永樂えいらくはちねん(1410ねん),いんかいあん連坐れんざ,羈押いたりひろし元年がんねん(1425ねん),おく太子たいし賓客ひんきゃくおくりなぶんやすし[1][2]

著作ちょさく

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ゆうあお城山しろやまじんしゅう》。

参考さんこう文献ぶんけん

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  1. ^ あかり》(まき152):おうなんじだまめい璲,以字ぎょう長洲ながすじん。穎敏強記きょうきしょうしたがえ楊維楨學。としじゅうなな,舉於きょう永樂えいらくはじめゆかりおうてんがく訓導くんどう擢翰りん五經ごきょう博士はかせれき遷右はるぼうみぎさんぜんあずかおさむ永樂えいらく大典たいてん》。ひとしそうざい東宮とうぐうとくちょうぐう群臣ぐんしんおうせいせんかみひさし》,なんじだまだいいちかい縉次ななねんすわおさむれいしょ》紊制度せいどとう戍邊。皇太子こうたいしかんこくなだめこれ,以為翰林かんりん典籍てんせきひろしんひだりさんぜんすわかい縉累,瘐死。ひろし熙初,おく太子たいし賓客ひんきゃくおくりなぶんやすしかんさい其家。
  2. ^ あかり》(まき147):永樂えいらくはちねん,縉奏ごと入京にゅうきょう……宗人むねと經歷けいれきだかとく抃,なかまことぬきさんぜんおうなんじだま編修へんしゅうしゅひろし檢討けんとう蔣驥、はん畿、しょう引高なみ及至つよしみな下獄げごくなんじだまつらぬけひろし、引高、とく抃皆瘐死。