王おう衍慶(?—?),字じ慎まき初はじめ,為ため中國ちゅうごく清朝せいちょう官員かんいん,山東さんとう聊城人ひと。
乾いぬい隆たかし五ご十じゅう七なな年ねん(1792年ねん)壬みずのえ子こ科か舉人。曾任福建ふっけん漳浦知ち縣けん。道みち光こう三さん年ねん(1823年ねん)任にん嘉よしみ義ぎ縣けん知ち縣けん。道みち光こう九きゅう年ねん(1829年ねん)以台たい防ぼう同どう知ち身分みぶん接せっ替がえ鄧傳安やす,之これ後ご並なみ兩度りょうど於台灣たいわん地區ちく擔任たんにん台灣たいわん府ふ知ち府ふ。道みち光こう十じゅう七なな年ねん(1837年ねん),接せっ替がえ童わらわ宗むね颜任漳州府ふ知ち府ふ一いち职,道みち光こう十じゅう八はち年ねん(1838年ねん)由ゆかり胡えびす兴仁接せっ任にん。