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胡震亨 - 维基百科,自由的百科全书

えびすふるえとおる

えびすふるえとおる(1569ねん—1645ねん),はらきみこうながえごう遯叟またごう赤城あかぎ山人さんじん浙江せっこううみしおひと明朝みょうちょう文人ぶんじん

生平おいだいら

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さきぎょう儒,其父えびす彭述藏書ぞうしょまんかん[1]まんれきじゅうねん西元にしもと1597ねん舉人,屢試進士しんしだい歷任れきにんかたじょう教諭きょうゆごうこえけんけんたかしただしすえねんためていしゅうしゅう,擢兵部ひょうぶ職方しょくかた員外いんがいろうひさ乞歸きょ。嗜書如命,にちゆう倦硏讀,きんひとちょうもとすみほまれためわれ邑第いち讀書どくしょ種子しゅし」。一生いっしょう著述ちょじゅつひろしとみちょゆう赤城あかぎ山人さんじん稿こう》、《讀書どくしょ雜記ざっき》、《うみしおけんけい》、《どおり》、《もりどおり》、《唐音とういんすべくじとう[2]

唐音とういんすべくじいちしょ奠定明代あきよ硏究けんきゅう唐詩とうししょ學者がくしゃ地位ちい全書ぜんしょ凡一せんさんじゅうさんかん,以十干じっかんためきのえくじいたりみずのえくじ》,網羅もうらひろしとみ,按時あいだ先後せんご輯錄とうだいいたりだいあいださん百餘年的詩作以及詞曲、ことわざさけれいひとしえびす硏究けんきゅう唐詩とうしてきそうゆいまた輯詩人的じんてきのこ逸事いつじにゅうしょう註,なみ註明出處しゅっしょ版本はんぽん。《唐音とういんすべくじ》及よろし唐詩とうしためきよしかん年間ねんかんおさむぜん唐詩とうし藍本らんぽんまたこくからかん鄂《としはなおさむ[3]えびすふるえとおるぼつ子孫しそん人力じんりきはかりごとかん佈《唐音とういんすべくじ全書ぜんしょしかいん卷帙かんちつしげおもおわり清之きよゆきのう如願;僅《唐音とういんみずのとくじさんじゅう三卷因最早刻成,且內ようせい闢,とく單行たんこう於世いたりいま

注釋ちゅうしゃく

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  1. ^ 好古こうこどう書目しょもくじょうん:「ためじゅくまことときくんまでおおせ厓府くんよんせい,雖隱顯いんけん不同ふどう,而其みやびこうひとしるい於張はな,以故藏書ぞうしょいくいたりまんかんまたうんもり矣。」
  2. ^ ぶんあま餘話よわうん:「うみしおえびすふるえとおるこうながえ唐詩とうしすべくじ。」もりかえでよしみ禾徵けんじろくまきじゅうよん:「えびす彭述しょうことははこうこう藏書ぞうしょゆう好古こうこどう書目しょもく》。ふるえとおるくん鬯,いちこうながえばんごう遯叟。才識さいしき通敏みちとし,於書しょ讀。(りゃくびょう唐人とうじん詩集ししゅう不能ふのうころも天下てんか,乃悉さがせろくへんためじゅうくじ,曰《唐音とういんすべくじ》,ぎょう於世。またちょうみしおけい》《やすしかんかんろく》及《赤城あかぎ山人さんじんしゅう》。なつきゃくまた英敏ひでとし好學こうがく。」
  3. ^ きょえきろくうん:「まんれきあいだ學士がくしせん僞書ぎしょ以欺こん類書るいしょちゅうしょこくからかん鄂《としはなおさむ》,乃海しおえびすふるえとおるこうながえしょづくり。」
かん
前任ぜんにん
ほうおうかのえ
明朝みんちょうあいこえけんけん
まん曆年れきねんあいだ
つぎにん
りゅう