袁渊(1903年ねん—1992年ねん),原名げんめい袁焕卿きょう、袁章斐,江西えにし省しょう南みなみ康やすし县人ひと,中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほう军少将しょうしょう。
1925年ねん起おこり从事工こう人じん运动。中国ちゅうごく国民党こくみんとう清きよし党とう后きさき,入にゅう云うん南みなみ范石生せい部ぶ当とう兵へい。1931年ねん,袁渊参加さんか中国ちゅうごく工こう农红军,同年どうねん8月がつ加入かにゅう中国ちゅうごく共ども产党。历任红四方面ほうめん军第だい四よん军连长、营长、团长。抗日こうにち战争期き间,担任たんにん八はち路ろ军129师385旅たび770团参谋长,八路军留守兵团警备七なな团团长。第だい二次国共内战期间,担任たんにん冀东军区独立どくりつ第だい十じゅう二に旅たび旅たび长,第だい十じゅう四军分区司令员,东北野きたの战军第だい九纵队参谋长,第だい四よん野の战军四よん十じゅう六ろく军参谋长。中ちゅう华人民じんみん共和きょうわ国こく成立せいりつ后きさき,担任たんにん中南なかみなみ军政大学だいがく第だい五ご分校ぶんこう校こう长,第だい二に十じゅう四よん步兵ほへい学校がっこう校こう长,马列主ぬし义学院いん第だい一分校军事教研室主任,第だい二に高だか级步兵へい学院がくいん代だい校こう长,中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほう军政治せいじ学院がくいん副ふく教育きょういく长。1955年ねん,授少将しょうしょう军衔,二に级八はち一いち勋章、二に级独立どくりつ勋章、一いち级解放かいほう勋章[1][2]。