麗うらら江府こうふ,明朝みょうちょう时设置おけ的てき府ふ。
明あきら為ため軍民ぐんみん府ふ,領りょう州しゅう四よん,縣けん一いち。土ど司し木き氏し世よ袭。順治じゅんじ十じゅう六ろく年ねん,改あらため土はに府ふ,省しょう所屬しょぞく州しゅう縣けん併入。雍正元年がんねん設しつらえ流ながれ官かん。乾いぬい隆たかし二に十じゅう一いち年ねん,置おけ中ちゅう甸廳。三さん十じゅう五ご年ねん,置おけ麗うらら江え縣けん為ため府ふ治ち,改あらため鶴つる慶けい府ふ為ため州しゅう, 併所屬しょぞく劍けん川かわ州しゅう、維西廳ちょう來らい隸。領りょう廳ちょう二に,州しゅう二に,縣けん一いち:麗うらら江え縣けん、鶴づる慶州けいしゅう、劍けん川かわ州しゅう、中ちゅう甸廳、維西廳ちょう。评价是ぜ:疲つかれ。隸迤西道どう[1]。
[编]