豳(ban1),古こ地名ちめい,同どう邠(ban1),夏なつ朝あさ人ひと公おおやけ劉りゅう所ところ邑之これ地ち,是ぜ西にし周あまね的てき故國ここく。具體ぐたい位い於今陝西せんせい省しょう彬あきら州しゅう市し及旬しゅん邑縣[1]一帶いったい。
《史記しき·周しゅう本紀ほんぎ》:「公おおやけ劉りゅう卒そつ,子し慶けい節ぶし立だて,國くに於豳。」《史記しき·匈奴きょうど列傳れつでん》:「夏なつ道みち衰おとろえ,而公劉りゅう失しつ其稷官かん,變へん于西戎せいじゅう,邑于豳。」《括くく地ち志こころざし》:「豳州新平にっぺい縣けん即そく漢かん漆うるし縣けん,詩し豳國,公おおやけ劉りゅう所しょ邑之地ち也。」《括くく地ち志こころざし》:「豳州三水縣西十里有豳原,周しゅう先さき公おおやけ劉りゅう所しょ都と之の地ち也。豳城在ざい此原上じょう,因いん公こう為ため名めい。」公おおやけ劉りゅう搬到豳與戎えびす狄雜居ざっきょ。這意味いみ着ぎ周しゅう部族ぶぞく的てき興起こうき,具有ぐゆう重要じゅうよう的てき意義いぎ。《詩經しきょう》十じゅう五ご國風くにぶり之これ一いち豳風。共有きょうゆう詩し七なな篇へん,其中多た描寫びょうしゃ農家のうか生活せいかつ、辛からし勤つとむ力作りきさく的てき情景じょうけい,是ぜ中國ちゅうごく最早もはや的てき田園でんえん詩し。晉すすむ時とき,其地置おけ新平にっぺい郡ぐん。後こう以古豳之地ち,置おけ豳州。