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晉書/卷096 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

すすむしょ/まき096

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 まききゅうじゅう すすむしょ
まききゅうじゅうろく 列傳れつでんだいろくじゅうろく れつおんなでん
まききゅうじゅうなな 

ひつじふけつまからしけんえい もり有道ありみちつまいむけん おう渾妻鍾琰 てい袤妻曹氏 湣懷太子たいしおうめぐみふう ていきゅうつませき とうただしははじん 賈渾つまそう りょうぬきつまからし もとのべつま杜氏とうじ おそれ潭母まご からましゅう ちょうしげるつまりく いんおそれじょ 荀崧小女こおんな灌 おうしこりつましゃどう韞 りゅう臻妻ちんしゃ かわきょうつまりゅう憐 はじめあきらつまあまね なにははりゅう りゅうさとしつまりゅう娥 おうひろおんな 陝婦人ふじん 靳康おんな 韋逞ははそう ちょうたかしすずわらわ閻氏、薛氏 苻堅わらわちょう 竇滔つま 苻登つま 慕容たれつまだんもと だんゆたかつま慕容 りょ纂妻楊氏 すずし武昭たけあきおうげんもりきさきいん

じょ

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おっとさんさいぶんしつみちかつたかしぞく交歎,さだれつふう斯著。こうじょう而獨しゅう,魯冊於是はなていたかしぶし而孤しるべしゅうへん於焉騰しげる。徽烈けん劭,柔順じゅうじゅん愆,へだただいあいもちりょう一緒いっしょしかのりおそれきょう媯汭,なつもりぬりさんゆう娀、ゆう{しんおんな}廣隆ひろたかいんこれぎょう大任おおとうだい姒衍あきらひめこれうま恭儉きょうけんかんちょう推德,宣昭のりあき懿淑,だいあげ芬,斯皆れいきょくちゅう闈,ことがつしつしゃ矣。いたりわかきょうはじかみちかいぶし孟母もうぼもとめじんはなりつでん而經ひとし,樊授ぶんまわし而霸すわえそしぶんはく于奉けんゆずるはつ於分まめしょうきみしたがえやくれいはじめ光之みつゆきかくれこころざしすんであきらそく,且擅ははせい緝之於前,もと凱編於後,せんねやはんゆう裨陰くんうえしたがえやすしはじめしたまできょうやすいちみさおたたえ一藝いちげい,咸皆せんろく為之ためゆきでんうんあるくらいごく后妃こうひあることいん夫子ふうしかくずいほんでんいましょろくざいしょにせこく,暫阻おう猷,天下てんかぜんそく以懲すすむまたどうさがせ於篇まつ

ひつじふけつまからしけんえい

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ひつじふけつまからしけんえい,隴西じんさむらいちゅう毗之おんな也。さとしろうゆうざい鑒。はつぶんみかどとくりつため太子たいしだき毗項いい曰:「からしくんわが?」毗以つげけんえいけんえい歎曰:「太子たいしだい君主くんしゅ宗廟そうびょう社稷しゃしょくしゃ也。だいくん不可ふか以不戚,おもこく不可ふか以不懼,むべ戚而なに以能ひさ其不あきら乎?」

おとうとたかしため大將たいしょう軍曹ぐんそう爽參ぐんせんみかどはた誅爽,いん其從みかど而閉城門じょうもん,爽司魯芝りつへいせき赴爽,よびたかしどうたかし懼,もんけんえい曰:「天子てんし在外ざいがいふとしでん閉城もんにんうんはた不利ふり國家こっか,於事とくなんじ乎?」けんえい曰:「ことゆう可知かちしか以吾ふとしでん殆不とくなんじあかり皇帝こうてい臨崩,ふとしでんひじぞく以後いごこと,此言なお在朝ざいちょうみみ。且曹爽與太よたでん俱受寄託きたくにん,而獨せん權勢けんせい,於王しつ不忠ふちゅう,於人どうじき,此舉以誅爽耳。」たかし曰:「しかのりたかし乎?」けんえい曰:「やす以不しょくもりにんだい義也よしや凡人ぼんじんざいなんなおある恤之;ためじんむち而棄其事,不祥ふしょう也。且為じんにんため人死ひとじに親昵しんじつしょく也,なんじしたがえ眾而やめ。」たかしとげせんみかどはて誅爽。ことじょうたかし歎曰:「われはかりごと于姊,いく於義!」

其後かねかいため鎮西ちんぜい將軍しょうぐんけんえいいいふけしたがえ祜曰:「かね何故なぜ西出にしで?」ゆう曰:「はたためめつしょく也。」けんえい曰:「かいざいことたてほしいまま持久じきゅうところ下之したのどうわれかしこ其有こころざし也。」及會將行まさゆき,請其琇為さんぐんけんえいゆう曰:「他日たじつわれ為國ためくにゆう今日きょうなんいたりわれ矣。」琇固請于ぶんみかどみかど聽。けんえいいい琇曰:「くだり矣,戒之!いにしえ君子くんしいれそく致孝於親,そく致節于國;在職ざいしょくおもえ其所ざいおもえ其所りつのこ父母ちちはは憂患ゆうかん而已。軍旅ぐんりょあいだ以濟しゃ,其惟仁恕じんじょ乎!」かいいたりしょくはてはん,琇竟以全。祜嘗送にしきけんえいいや其華,はん而覆,其明鑒儉やく如此。やすしはじめねんそつねんななじゅうきゅう

もり有道ありみちつまいむけん

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もり有道ありみちつまいむけんきょうちょうにん也。貞淑ていしゅく有識ゆうしきりょうとしじゅうさんてき於杜じゅうはち而嫠きょうえおんな韡並藐,けん雖少,ちかいあらためぶし撫育ぶいくきょう以禮うえとげあらわめい于時,韡亦ゆう淑德しゅくとくでんげんもとめため繼室けいしつけん便びんもとときげんあずかなに晏、鄧揚きよし,晏等ごとよくがい時人じじん莫肯どもこん。及憲もとげん,內外以為ゆう懼。ある曰:「なに、鄧執けん,必為げんがいまたよしはいさんあつたまご,以湯沃雪みみ奈何いかんあずかこれためおや?」けん曰:「しか其一,不知ふち其他。晏等おごうつり,必當はい司馬しばふとしでんじゅうねむみみわれおそれたまごやぶゆき銷,ぎょうゆうざい。」とげあずかげんためこん。晏等ひろまたためせんみかどしょ誅。うえためみなみやす太守たいしゅ

うえ從兄じゅうけいあずかためしんしゅう刺史しし誣,せいかえけんあずかあずかしょ戒之曰:「ことわざくも忍辱にんにくいたりさんおおやけきょうこんいいはずかしめ矣,のうにんおおやけきょうすわ。」あずかのちはてためどうさんげんぜん妻子さいし咸年ろくさい,嘗隨其繼ははしょうけんいい咸曰:「なんじ千里せんりこま也,必當どおいたり。」以其いもうとじょつま。咸後また有名ゆうめい於海內。其知じん鑒如此。としろくじゅうろくそつ

おう渾妻鍾琰

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おうつま鍾氏,琰,潁川じんふとしでん繇曾まご也。ちち徽,黃門こうもんろう。琰すうさいのうぞくぶん,及長,さとしとし弘雅ひろまさ博覽はくらんせき美容びようどめぜん嘯詠,禮儀れいぎ法度はっとため中表なかおもてしょそくすんでてき渾,なますみ。渾嘗ども琰坐,すみ趨庭而過,渾欣然きんぜん曰:「生子おいご如此,そく慰人しん。」琰笑曰:「わか使つかい新婦しんぷとくはいさんぐん生子いくこ翅如此。」さんぐんいい渾中おとうと淪也。琰女またゆうざいよしためもとめけんおっとときゆう兵家へいか甚俊,すみよくつましろ琰,琰曰:「ようれい我見がけん。」すみれい此兵あずか群小ぐんしょうざつしょ,琰自幃中察之,すんで而謂ずみ曰:「ころもしゃなんじしょ拔乎?」すみ曰:「。」琰曰:「此人才じんさいあし拔萃ばっすいしかかんことぶき促,不足ふそくてん其器よう不可ふかあずかこん。」とげどめ。其人すうねんはてほろび。琰明鑒遠識,みな此類也。

渾弟たたえつま郝氏またゆう德行とっこう,琰雖もんあずか郝雅しょうおやじゅう,郝不以賤琰,琰不以貴りょう郝,人稱にんしょうかね夫人ふじんれい,郝夫じんほううん

てい袤妻曹氏

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ていつま曹氏。魯國薛人也。袤先めとまごはやほろび,娉之ため繼室けいしつことしゅうとしゅうと甚孝,躬紡織ぼうしょくつとむ,以充たてまつやしなえいたり於叔いもうとぐん娣之あいだつき其禮ぶし,咸得歡心かんしん。及袤ためそら,其子だまひとしまたあらわあされつ人稱にんしょう其榮とうと。曹氏ふか懼盛滿まんまいだまとうますすすむ,輒憂かたち於聲しょくしかくえ重味しげみふく浣濯ころも,袤等しょ祿ろく秩,曹氏必班しん姻,つとむれいしゅうきゅういえあまり貲。

はつまご瘞于はじむ,及袤薨,しゃ以久なん舉,よくごうそう。曹氏曰:「まごもととうしたがえそう不可ふか使たましいしょよこしま。」於是備吉凶きっきょうしるべしたがえ以迎ころもふすま几筵,おや雁行がんこうれい,聞者莫不歎息たんそく,以為ちょうひめしも叔隗,不足ふそくしょう也。ふとしかん元年がんねんそつねんはちじゅうさん

湣懷太子たいしおうめぐみふう

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湣懷太子たいしおうふとしじょう衍女也,めぐみふうさだ有志ゆうしぶし太子たいしすんではいきょ於金墉,衍請ぜっこんめぐみふうごう哭而行路こうろ為之ためゆき流涕りゅうてい。及劉曜陷洛陽らくよう,以惠ふうたまもの其將たかしぞくぞくはたつまめぐみふう拔劍ばっけん距屬曰:「われふとしじょうこうおんな皇太子こうたいし不為ふためぎゃくえびすしょはずかしめ。」ぞくとげがい

ていきゅうつませき

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ていきゅうつませき不知ふちなんもとじん也。しょう有德うとくみさおねんじゅうさいさと邑稱すんでかえりていため九族きゅうぞくしょじゅうきゅうぜん妻女さいじょすんでようまたきゅうちちぬの臨終りんじゅうゆう庶子しょし沈生,いのち棄之,せき曰:「奈何いかん使しゅうとたねそん乎!」とげやしなえ沈及ぜん妻女さいじょちからけん舉,きゅうねんちゅうさん舉子。

とうただしははじん

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とうただしははじんあきらしんあかじん也。はつただしちち娉為わらわなまただし,而陶ひん賤,じんごと紡績ぼうせききゅう使つかい交結勝己かつみただししょうためひろけん吏,嘗監ぎょはり,以一坩鮓遺母。じんふうすし及書,せめただし曰:「しかため吏,以官ぶつのこわがおもんみ不能ふのうえきわれ,乃以ぞうわれゆう矣。」鄱陽こうれんはん逵寓宿やど于侃,大雪おおゆきじん乃徹しょおやこも銼給其馬,またみつ發賣はつばいあずか鄰人,きょうさかな饌。逵聞歎息たんそく曰:「此母なま此子!」ただし竟以功名こうみょうあらわ

賈渾つまそう

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賈渾つまそう不知ふちなんもとじん也。渾為かいきゅうれいりゅうもとうみはたたかし晞攻やぶそうゆう姿すがたしょく,晞欲おさめそうののし曰:「ほふかくやつあに有害ゆうがいじんおっと而欲無禮ぶれい,于爾安乎あいがなに促殺!」いん仰天ぎょうてんだい哭。晞遂がいねんじゅうあまり

りょうぬきつまからし

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りょうぬきつまからし,隴西狄道じん也。ぬきためつねさむらい西都さいと陷沒かんぼつためりゅう曜所がいからしゆうことしょく,曜將つまからしよりどころだい哭,おおせいい曜曰:「わらわ聞男以義烈ぎれつおんなさい醮。わらわおっとやめ理無わりなどくぜん。且婦人ふじんさいはずかしめあかりこうまた安用やすもち哉!乞即就死。したごとしゅうとしゅうと。」逐號哭不どめ。曜曰:「貞婦ていふ也,にん。」縊而。曜以れいそう

もとのべつま杜氏とうじ

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もとのべつま杜氏とうじ不知ふちなんもとじん也。のべためえきしゅうべつため驤所がい。驤欲おさめ杜氏とうじためつま杜氏とうじごう哭守おっとかばねののし驤曰:「なんじやから逆賊ぎゃくぞく無道むどうゆう先後せんごやすしとうひさかつわがもりおんなあにためぞくつま也!」驤怒,とげがい

おそれ潭母まご

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おそれははまごくれぐんとみはるじんまごけんぞくまごおんな也。はつてき潭父ちゅう恭順きょうじゅん貞和さだかず,甚有婦德ふとく。及忠ほろびのこ藐爾,まご雖少,ちかいあらためぶし,躬自撫養むや,劬勞備至。せいさとさとし,識鑒ひと。潭始幼童ようどう便びんくん忠義ちゅうぎとく聲望せいぼうまことひろしため朝廷ちょうていしょしょうえいよしみまつ,潭為みなみやすし太守たいしゅ,值杜弢構ぎゃくりつ眾討まごつとむ潭以必死ひっしよし,俱傾其資さん以饋戰士せんし,潭遂かつとし。及蘇たかしさくみだれ,潭時もりくれきょうまたかりふしせいたかしまご戒之曰:「われ忠臣ちゅうしん孝子こうしもんなんじとう捨生よし,勿以われろうためるい也。」仍盡はつ其家僮,れいずい潭助せん,貿其しょふくたまき珮以ため軍資ぐんし。于時かい稽內おう舒遣まことためとくまもるまごまたいい潭曰:「おうくんせいなんじなんためどく?」潭即以子すわえためとくまもるあずか舒允ごうぜい。其憂こくまこと如此。はいたけあきらほうふとし夫人ふじんきむあきら紫綬しじゅ。潭立やしなえどう于家,おうしるべ以下いかみな拜謁はいえつ。咸和まつそつねんきゅうじゅうなりみかど使つかいちょうさいおくりな曰定夫人ふじん

しゅう顗母

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しゅうははからましゅうなんじみなみじん也。少時しょうじ在室ざいしつ,顗父浚為安東あんどう將軍しょうぐん出獵しゅつりょうぐうとめからま秀之ひでゆきかい其家父兄ふけい不在ふざいからましゅう聞浚いたりあずか一婢於內宰豬羊,すうじゅうにん饌,甚精辦而聞人ごえ。浚怪使覘之,どくいち女子じょし甚美,浚因もとめためわらわ。其父けいもとからましゅう曰:「門戶もんこ殄瘁,なにいちじょわかれん姻貴ぞく將來しょうらい庶有だいえき矣。」父兄ふけいもととげなま顗及かさ、謨。而顗とうすんでちょうからましゅういい曰:「わがこごめぶしためなんじ家作かさくわらわ門戶もんこけいみみなんじあずか我家わがやためおやおやしゃわれまたなに惜餘ねん!」顗等したがえいのちゆかり此李とげためほう雅之まさゆきぞく

中興ちゅうこう,顗等並列へいれつあらわ。嘗冬至とうじおけしゅからましゅう舉觴たまものさん曰:「われほん渡江とのえたくあししょいいなんじとうなみれつわれ目前もくぜんわれふくなんゆう!」こうおこり曰:「おそれ如尊むねはく仁志にしだい而才たんめいじゅう而識くらこうじょうじんへい,此非ぜんこれどうかさせいこうじきまたよう於世。ただおもねやつ碌碌ろくろくとうざいおもねはは目下めしたみみ。」おもねやつ,謨小字こあざ也。こうはて如其ごと

ちょうしげるつまりく

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ちょうしげるつまりくくれぐんじん也。しげためくれぐん太守たいしゅ沈充しょがいりくかたぶけ家產かさんりつしげきょくため先登せんとう以討たかしたかしはいりくまい上書うわがきためしげしゃ克之かつゆきせめみことのり曰:「茂夫しげおつま忠誠ちゅうせい,舉門義烈ぎれつむべ追贈ついぞうしげるふとしぼく。」

いんおそれじょ

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いんおそれじょちょうすなじん也。おそれ前任ぜんにんはじめきょう太守たいしゅおこりへい討杜弢,戰敗せんぱい二女じじょため弢所なみゆうこくしょく,弢將つまおんな曰:「わがちちせんせきおわり不能ふのうためぞくゆう而已!」弢並がい

荀崧小女こおんな

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荀崧小女こおんな灌,ようゆうぶし。崧為じょうじょう太守たいしゅためもり曾所かこえちからじゃく食盡しょくじん欲求よっきゅうすくい于故吏平みなみ將軍しょうぐんせきらんけいしたがえ。灌時ねんじゅうさん,乃率勇士ゆうしすうせんにん,逾城突圍よるぞくつい甚急,灌督厲將,且戰且前,とくいれ魯陽やまめんまいらん乞師,またため崧書あずか南中なんちゅうろうはたしゅうおとずれ請援,仍結ため兄弟きょうだいおとずれそくなでりつさん千人會石覽俱救崧。ぞく聞兵いたりはし,灌之力也りきや

おうしこりつましゃどう

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おうしこりつましゃどう韞,安西あんざい將軍しょうぐん奕之おんな也。さとし識有ざいべん叔父おじやす嘗問:「《もうなにさいけい?」みち韞稱:「よしはじめさく頌,きよし如清ふう仲山なかやまはじめながふところ,以慰其心。」やすいいゆう雅人まさとふか致。また嘗內しゅうにわか而雪驟下,やす曰:「なんしょ也?」やす兄子せころう曰:「しお空中くうちゅうなずらえ。」みち韞曰:「わか柳絮りゅうじょいんふうおこり。」やすだいえつ

はつてきしこりかえ,甚不らくやす曰:「おうろういっ少子しょうしあくなんじなん恨也?」こたえ曰:「一門叔父則有阿大、ちゅうろうぐん從兄弟いとこふくゆうふうじえびす、羯、すえ不意ふい天壤てんじょうちゅう乃有おうろう!」ふういいしゃ韶,えびすいいしゃろう,羯謂しゃげんまついいしゃがわみな小字こあざ也。また嘗譏げんがくうえすすむ,曰:「ためちりつとむけいしんため天分てんぶん有限ゆうげんよこしま?」しこりおとうとけんじ嘗與賓客ひんきゃく談議だんぎはたこごめみち韞遣婢白けんじ曰:「よくためしょうろうかいかこえ。」乃施あおあや鄣自蔽,さるけんじぜんきゃく不能ふのうこごめ

及遭まごおんなん,舉厝自若じじゃくすんで聞夫及諸子しょしやめためぞくしょがいぽういのち婢肩輿こし抽刃もんらんへいややいたりころせすうにん,乃被とりこ。其外まごりゅう濤時ねんすうさいぞくまたよくがいみち韞曰:「ことざいおうもんなにせきぞく!必其如此,やすし先見せんけんころせ。」おん雖毒しいたげ為之ためゆきあらためよう,乃不がい濤。なんじ嫠居かい稽,家中いえじゅう莫不嚴肅げんしゅく太守たいしゅりゅうやなぎ聞其めい,請與談議だんぎみち韞素やなぎめいまた阻,乃簪たぶさもとしとねすわ於帳ちゅうやなぎ束脩そくしゅうせいたいづくり於別榻。みち風韻ふういん高邁こうまい,敘致清雅せいがさき家事かじ慷慨こうがいりゅうさざなみじょむくいといむね理無わりなとどこおやなぎ退すさ而歎曰:「ごろしょ未見みけん,瞻察げん使つかい人心じんしんがた俱服。」みち韞亦うん:「おやしたがえ凋亡,はじめぐう此士,聽其しょとえことひらきじんむね。」

はつどうぐんちょうげんいもうとまたゆうざいしつてき於顧げんごとしょう,以敵どう韞。ゆうずみあましゃゆういえあるといすみあまこたえ曰:「おう夫人ふじんしんじょうろうゆう林下りんか風氣かざけ。顧家清心せいしんだまうつねやぼうしゅう。」みち韞所ちょ詩賦しふ誄頌なみでん於世。

りゅう臻妻ちんしゃ

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りゅう臻妻ちんしゃまたさとしべんのうぞくぶん。嘗正だんけんじはじかみはな頌》,其詞曰:「旋穹周回しゅうかい三朝みささはじめけんあおてるきよしけい煥。しめぎよしれい葩,爰采爰獻。ひじりひろしうつこれ永壽えいじゅ于萬。」またせんもとにち冬至とうじしんぎょう於世。

かわきょうつまりゅう

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かわきょうつまりゅう憐,西道さいどうけんじん也。としじゅうさんてききょう逾年而京そつきょう二弟亦相次而隕,すんでたね嗣,また無期むきこうおや。憐貨其嫁そう,躬自紡織ぼうしょくすう年間ねんかんさん俱舉,そう斂既畢,每時まいじとおるさい闕。しゅううら聞其けん,屢有娉者,憐誓あらため醮,もりぶしきゅうきょ五十餘載而卒。

はじめあきらつまあまね

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はじめあきらつまあまねあきらおとうと顗妻また其從いもうと也。家並いえなみゆたか財產ざいさんはつ,桓玄まさしげるあきら而劉邁毀あきらふか惋失。及劉ひろしはたたてよしあずかあきらていはかりごとあきらよくつき散財さんざいぶつ以供ぐんかて,其妻非常ひじょう婦人ふじん大事だいじ,乃謂曰:「りゅう邁毀わが於桓こう便びん一生いっしょう淪陷,けつとうさくぞくきょうこうはやなんじはなれぜっだつとく富貴ふうきそうむかえばん也。」しゅう曰:「きみ父母ちちははざいどうよくけん非常ひじょうはかりごとあに婦人ふじんしょ諫!ことなりとう于奚かんちゅうたてまつやしなえ大家たいかよしこころざし也。」あきら愴然久之ひさゆき而起。あまねついあきらすわうん:「かんくん舉厝,はかりごと婦人ふじんしゃ欲得よくとく財物ざいぶつみみ。」其所せいおんなざいかかえ,推而しめせ曰:「此而うりまたとう惜,きょう資財しざい乎!」とげかたぶけ資產しさん以給,而托以他よう。及事はた舉,あまねいい顗妻うん:「一昨夢殊不好,もん內宜浣濯沐浴もくよく以除,且不むべ赤色あかいろわがとう悉取さくななにちぞういや。」顗妻信之のぶゆき所有しょゆう絳色しゃ悉斂以付焉。乃置ちょうちゅうせん剔綿,以絳與あきらとげとくすうじゅうにん被服ひふく赫然,悉周所出しょしゅつ,而家じんこれ知也ともや

なにははりゅう

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なにははりゅうせいとりこ將軍しょうぐんけんじょ也。しょう有志ゆうしぶしおとうとろうため桓玄しょがいりゅうごと銜之,つねおもえ報復ほうふく。及無あずかりゅうひろしていはかりごと,而劉察其舉厝ゆうこと不言ふげんかいよる于屏ふう裹制檄文げきぶんりゅうせん以器くつがえしょくじょのぼるだいだい于屏風上かざかみ窺之,既知きち,泣而なで曰:「わが東海とうかいりょははあかり矣!すんで其誠,つねおそれことぶき促,なんじのう如此,われかたきはじゆき矣。」いんとい其同はかりごと知事ちじざいひろしわたる,乃說桓玄必敗、必成ひっせい以勸つとむこれこうはて如其ごと

りゅうさとしつまりゅう

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りゅうさとしつまりゅうめい娥,麗華れいかにせふとしいんおんな也。よう而聰としひる營女こうよる誦書せきでんははつねどめ,娥敦習彌厲。まいあずか諸兄しょけいろんけいよしおもむきちょうとお諸兄しょけいふか以歎ふくせい孝友たかともぜん風儀ふうぎしんとめさとしすんで僭位,召為みぎ嬪,甚寵にわかはいためはたおこり䳨儀殿どの以居,其廷じょうひねもとたちきり諫,さとしだいいかはたこれ。娥時ざいどうわたし左右さゆうとまけい疏啟曰:「ふく聞將ためわらわ營殿,いま昭德あきのりあし,䳨儀きゅう四海しかいいちわざわいなんなおしげるどう須人りょく資財しざいゆうむべまき。廷尉げん國家こっか大政たいせいおっと忠臣ちゅうしん諫,あにため哉?帝王ていおう距之,また顧身也。わらわおおせいい陛下へいかじょうひろ明君めいくんおさめ諫之あきらしも忿暗ぬし距諫わざわいむべしょう廷尉以美爵,むくい廷尉以列如何いかおもんみ不納ふのう,而反よく誅之?陛下へいか此怒よしわらわ而起,廷尉わざわいよしわらわ而招,にん怨國つかれとがめ於妾,距諫がいちゅうまたわらわよしはい國喪こくそうはじめよし婦人ふじんしゃ也。わらわごとらん古事ふるごと,忿之忘食,なに今日きょうわらわ為之ためゆき後人こうじんわらわまたなおわらわ前人ぜんじん也,ふくなん面目めんぼくおおせさむらいはばくし,請歸此堂,以塞陛下へいかあやま惑之。」さとしらんいろへんいい其群曰:「ちんとくふうやまし喜怒きどつねもとたち忠臣ちゅうしん也,ちん甚愧。」以娥表示ひょうじもとたち曰:「そと輔如こう,內輔如此ちんゆう矣。」及娥にせおくりなたけせん皇后こうごう

其姊えいうららかおるまたさとさとわたるがく,而文べんあかつきたち政事せいじ於娥。はつあずか娥同召拜ひだり嬪,ひろそつにせついおくりな武德ぶとく皇后こうごう

おうひろおんな

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おうひろおんなしゃ不知ふちなんもとじん也。ようしつ甚美,慷慨こうがいゆう丈夫じょうぶふしこうつかまつりゅうさとしため西にしあげしゅう刺史しし。蠻帥うめかおるおさむおちいあげしゅう,而廣ころせおうねんじゅうよしおさめにわか於暗しつげきよしなかよしおどろきおこり曰:「何故なぜはんよこしま?」おうののし曰:「蠻畜!我欲がよく誅反ぞくなにいいはん乎?われ聞父かたき不同ふどうてんははかたき同地どうちなんじ反逆はんぎゃくじょうがいじん父母ちちはは,而復以無禮ぶれいりょうじんわれ所以ゆえん死者ししゃよく誅汝みみいまわれぶんまちなんじころせただし恨不とくふくろうなんじくび於通逵,以塞だいはじ。」もう厲,げんおわり自殺じさつよしどめ不可ふか

婦人ふじん

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婦人ふじん不知ふちせいねんじゅうきゅうりゅう曜時嫠居陝縣,こと叔姑甚謹,其家よくよめ,此婦毀面ちかいこう叔姑病死びょうし,其叔しゅうとゆうおんなざいおっとさきしたがえ此婦乞假いん而誣ころせ其母,有司ゆうし不能ふのう察而誅之。ときゆうぐんとり悲鳴ひめいかばねじょう,其聲甚哀,盛夏せいか暴屍じゅうにちくさまた不為ふためむしじゅうしょはい,其境乃經としあめ。曜遣よびのべ謨為太守たいしゅ既知きち其冤,乃斬此女,しつらえしょうろう以祭其墓,おくりな曰孝れつ貞婦ていふ,其日大雨おおあめ

靳康おんな

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靳康おんなしゃ不知ふちなんもとじん也。姿容しよう有志ゆうしみさおりゅう曜之誅靳はたおさめ靳女ためわらわ,靳曰:「陛下へいかすんでめつ父母ちちはは兄弟きょうだいふくなんようわらわためわらわ聞逆じん誅也,なお汙宮,而況其子おんな乎!」いんごう泣請,曜哀めんかん一子かずこ

韋逞ははそう

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韋逞ははそう不知ふちなんぐんじん也,いえ以儒がくしょうそうようはは,其父躬自やしなえこれ。及長,授以《しゅうかん音義おんぎいい曰:「われがくしゅうかん》,つてぎょうしょうつぎ,此又しゅう以所せいけいきののり誥,百官ひゃっかん品物しなもの,備於此矣。われこんおとこでんなんじ受之,勿令經世けいせい。」ぞく天下でんかみだれそう諷誦ふうしょう輟。其後為石ためしりゅう徙之于山ひがしそうあずかおっとざい徙中,推鹿しゃ背負せおいちちしょ授書,いた冀州,にかわひがしとみじんほどあんひさしことぶき養護ようごたくましときとししょうそうひるのりきこりさいよるのりきょうたくまししか紡績ぼうせきはいことぶきごと歎曰:「がく多士たし大夫たいふとく乎!」たくましとげがくなる名立なだちつかまつ苻堅ためふとしつねけん嘗幸其太がくもん博士はかせ經典きょうてん,乃憫禮樂れいがくのこ闕。とき博士はかせ壼對曰:「はいがくすんでひさししょでん零落れいらく,此年つづりせんせいけいあらしゅうただしゅうかんれいちゅうゆう其師。窺見ふとつね韋逞ははそうがくおんなつて其父ぎょうとくしゅうかん音義おんぎ今年ことしはちじゅう視聽しちょう闕,此母傳授でんじゅ後生ごしょう。」於是就宋氏家うじいえたて講堂こうどうおけせいいんひゃくじゅうにんへだた絳紗幔而受業じゅぎょうごうそうためせんぶんくんたまものさむらいじゅうにんしゅう官學かんがくふくぎょう于世,たたえ韋氏そうはは焉。

ちょうたかしすずわらわ閻氏、薛氏

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ちょうたかしすずわらわ閻氏、薛氏,なみ不知ふちなんもとじん也,咸有ちょう於天すずてんすずやましいい曰:「なんじ二人將何以報我?われ死後しごあにため人妻ひとづま乎!」みな曰:「みことわかいみなわらわ請效きょう灑掃地下ちかちかいこころざし。」及其やましあつひめみな自刎じふんてんすずやまし瘳,追悼ついとう,以夫じんれいそう焉。

苻堅わらわちょう

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苻堅わらわちょう不知ふちなんもとじんあかりべんゆう才識さいしきけんしょう入寇にゅうこうこうひだり群臣ぐんしんきり諫不したがえちょうしん曰:「わらわ聞天なま萬物ばんぶつ聖王せいおう馭天,莫不じゅん其性而暢みかどふくうし乘馬じょうばいん其性也,禹鑿りゅうもんけつひろしかわいんすいいきおい也;きび播殖ひゃくこくいん也;武之たけゆきめつなつしょういんじんよく也。以有いんなりいんはいこん朝臣あそん上下じょうげみなげん不可ふか陛下へいかふくなんしょいん也?しょ曰:'てん聰明そうめい自我じがみん聰明そうめい。'てんなおわか此,きょう於人ぬし乎!わらわ聞人くんゆう國之くにゆきこころざししゃ,必上かんいぬいぞうしもさい眾祥。天道てんとうたかしとおわらわしょ。以人事じんじごと未見みけん其可。ことわざごと:「雞夜鳴よなきしゃ不利ふりぎょういぬぐん唕者宮室きゅうしつ必空,へいどうおどろきぐんはい不歸ふき。」秋冬あきふゆやめらい每夜まいよぐんいぬだい嗥,眾雞夜鳴よなきふく聞廄おどろきいっ武庫むこ兵器へいきゆうごえ吉凶きっきょうまことほろわらわ所論しょろんねがい陛下へいかしょう而思。」けん曰:「軍旅ぐんりょこと婦人ふじんしょ也。」とげきょうへいちょう請從。けん大敗たいはい于壽はるちょう自殺じさつ

竇滔つま

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竇滔つまはじめたいらじん也,めい蕙,わからんぜんぞくぶん。滔苻かたときためしんしゅう刺史しし徙流すなおもえこれにしきため回文かいぶん旋圖以贈滔。あててん迴圈以讀甚淒惋,凡八ひゃくよんじゅうぶんろく

苻登つま

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苻登つま不知ふちなんもとじんたけしいさむよし騎射きしゃとうため姚萇しょかさね,營壘すんでおちいもうなお彎弓またがうまりつ壯士そうしすうひゃくにんあずか交戰こうせん殺傷さっしょう甚眾。眾寡不敵ふてきため萇所。萇欲おさめもうののし曰:「われ天子てんしあにためぞく羌所はずかしめなにそくころせわが!」いん仰天ぎょうてんだい哭曰:「姚萇無道むどうぜんがい天子てんしいまはずかしめ皇后こうごうすめらぎてんきさきやすし鑒照!」萇怒,ころせこれ

慕容たれつまだんもと

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慕容たれつまだんもとにせみぎこう祿ろく大夫たいふじょ也。しょう而婉とし有志ゆうしみさおつねいいいもうと曰:「わがおわり不作ふさく凡人ぼんじんつま。」また曰:「いもうとまた不為ふためいさお夫婦ふうふ。」鄰人聞而わらいたれたたえつばめおうおさめもとため繼室けいしつとげゆうことちょうにせ范陽おういさおまた娉季焉。姊妹俱為たれ德之のりゆきつまそつ如其こころざしたれすんで僭位,はいため皇后こうごう

たれりつ子寶こだからため太子たいし也,げんいいたれ曰:「太子たいし姿すがたしつ雍容,やわら不斷ふだんうけたまわひらのりため仁明にんみょうおもしょなんそく濟世さいせいゆう陛下へいかたく以大ぎょうわらわ未見みけんかつ昌之まさゆきりょう西にしこう二王におう陛下へいか賢者けんじゃむべ擇一たくいつ以樹ちょうおう麟奸いつわりつねゆうけい太子たいししん陛下へいか一旦いったんいみな,必有なんさく。此陛下之したの家事かじむべふか。」たれ不納ふのうたから及麟聞之,ふか以為恨。其後もとまたげんたれ曰:「なんじほっ使わがためすすむけんじこう乎?」もと泣而退,つげ曰:「太子たいしれいぐんしょ,而主上しゅじょうわれため驪戎おんななに其苦哉!主上しゅじょうひゃくねんこれ太子たいし必亡社稷しゃしょく。范陽おうゆう非常ひじょうわかつばめ祚未おわり,其在おう乎!」

垂死すいしたから嗣偽麟逼もと曰:「つねいい主上しゅじょう不能ふのう嗣守だいすべこん竟何如?むべはやたっ,以全段ぜんだん。」もといか曰:「なんじ兄弟きょうだいなお逼殺ははやすのう保守ほしゅ社稷しゃしょくわれあに惜死,ねんこくほろびひさみみ。」とげ自殺じさつたから以元はかりごと廢嫡はいちゃくすべ母后ぼこうみちむべなりぐん咸以ためしかにせ中書ちゅうしょれい眭邃大言たいげん於朝曰:「はいははよしかんやすおもえ閻後おやはいじゅんみかどなおはいきょうやすすめらぎ先後せんごごと虛實きょじつひさし可知かちむべ閻後故事こじ。」たからしたがえこれ。其後麟果さくみだれたからまたころせとく僭稱せんしょう尊號そんごうおわり如元げん

だんゆたかつま慕容

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だんゆたかつま慕容德之のりゆきじょ也。ゆうざいとしぜんしょのうきんとくすんで僭位,しょため平原へいげん公主こうしゅとしじゅうよんてき於豐。ゆたかためじんしょ譖,ころせ,慕容寡歸,はたあらためてきにせ壽光としみつおおやけあまりおき。慕容いいさむらい婢曰:「我聞がもん忠臣ちゅうしんことくん貞女ていじょさらおっとだんすんで無辜むこおのれ不能ふのうどうあにふく有心うしん於重ぎょう哉!こん主上しゅじょう顧禮よめわがわかしたがえのりたがえ嚴君げんくんいのち矣。」於是かつにち交禮。慕容姿容しよう婉麗,服飾ふくしょくこうはなおき睹之甚喜。けいさい宿やど,慕容にせ以疾,おきまたこれ逼。三日みっかかえだい沐浴もくよくおけしゅ言笑げんしょう自若じじゃくいたりゆう密書みっしょ其裙たいうん:「死後しごとううめわが于段はかがわわか魂魄こんぱくゆうとうかれ矣。」とげ於浴しつ縊而。及葬,男女だんじょかんしゃすうまんにん,莫不歎息たんそく曰:「さだ哉公ぬし!」みちけいあまりおきたくまえおき聞輓こえ,慟絕良久よしひさ

りょ纂妻楊氏

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りょ纂妻楊氏,ひろ農人のうにん也。豔有義烈ぎれつ。纂被りょちょうしょころせ,楊氏あずかさむらい婢十數人殯纂於城西。はたみやちょうおもんばか齎珍ぶつ出外ではずれ使つかいじんさがせこれ。楊氏厲聲せめちょう曰:「しか兄弟きょうだい不能ふのう和睦わぼくしょうほふわが旦夕たんせき死人しにんなに用金ようきんたから!」ちょう慚而退。またとい楊氏だま所在しょざい,楊氏いか曰:「つき毀之矣。」ちょうしょうつまいい其父桓曰:「わか自殺じさつわざわい及卿むね。」桓以つげ楊氏,楊氏曰:「大人おとなほん賣女ばいたあずか以圖富貴ふうき一之かずゆきやめ甚,其可さい乎!」乃自殺じさつ

どきりょ紹妻ちょうまたゆう操行そうこうねんじゅうよん,紹死,便びん請為あまりょ隆見たかみ而悅よくけがれ其行,ちょう曰:「欽樂いたりどうちかい受辱。」とげますろうとう於地,ずね俱折,口誦こうしょう佛經ぶっきょう俄然がぜん而死。

すずし武昭たけあきおうげんもりいん

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すずし武昭たけあきおうげんもりこういん天水てんすい冀人也。よう好學こうがくしんべん有志ゆうしぶしはつてき扶風元正がんしょう元正がんしょうそつためげんもり繼室けいしつ。以再醮之さんねん不言ふげんなでぜん妻子さいし逾于おのれせいげんもり創業そうぎょう也,謨謀經略けいりゃくしょ毗贊,西にししゅうことわざ曰:「いんおう敦煌とんこう。」

及玄もり薨,ぎょう嗣位,とうとためふとしきさきぎょうはたおさむ沮渠こうむへりくだいんいいぎょう曰:「なんじ新造しんぞうくにせまじんまれやすし以守なお懼其しつうんなんけい舉,窺冀非望ひぼうこうむへりくだ驍武,善用ぜんようへいなんじ其敵。われかんすうねんやめらいゆうなみけんこころざし,且天人事じんじよくいまこく雖小,そく為政いせい知足ちそくはずかしめ道家みちやあきら誡也。且先おう臨薨,のこれいいんつとむこころざしれいなんじ曹深まきへいせん,俟時而動。げんなおざいみみ,柰何忘之!如勉おさむ德政とくせい,蓄力以觀かれわかいん暴,にんはたかえりなんじなんじ苟德けんことにち矣。なんじ此行也,ただはいくにまたはたほろび。」ぎょうしたがえはてためこうむへりくだところめつ

いんいたりしゅうと臧,こうむへりくだ引見いんけんろうたい曰:「ためえびすしょほろびふくなんこと!」ある諫之曰:「母子ぼしめいじがか人手ひとで,柰何倨傲きょごう!且國はい子孫しそんほふほろびなにどく悲?」いん曰:「きょうめつ死生しせい理之まさゆき大分おおいたなにためどう凡人ぼんじんことおこり兒女じじょ悲!われいち婦人ふじん不能ふのう死亡しぼうあにはばか斧鉞ふえつわざわいもとめためしんわらわ乎!わかころせしゃわれねがい矣。」こうむへりくだ嘉之よしゆき誅,ためしげるけん娉其おんなためつま。及魏武威ぶい公主こうしゅつましげるけんいん及女遷居しゅいずみすんで而女そつなで哭,曰:「なんじばん矣!」沮渠いみな鎮酒いずみまいいいいん曰:「しょまございわれのう?」いんはか其言,とう曰:「子孫しそんりゅう漂,たくみにくとりこ老年ろうねん餘命よめいとう於此,不能ふのうさく氈裘おに也。」にわか而潛奔伊われいみな追及ついきゅういんいい使者ししゃ曰:」沮渠しゅいずみもとわがきた何故なぜらいおいなんじわれくびおわりかい矣。」使者ししゃ敢逼而還。としななじゅうそつ于伊われ

史論しろん

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ふみしん曰:おっとしげる霜降しもふりぶしあきら勁心於後凋;よこりゅうざいたつおもてさだ於上とく,匪伊いんそもそもまた婦人ふじん焉。すすむせいりょうえびす,罕樹ふうけん,虧閑爽操,そう趨成ぞくこも以劉せき,汩之以苻姚。さんがつえびすただそうしんかざり一朝いっちょうかん,曾微こいきゅうこれじょうはせ騖風ほこり脫落だつらくめいきょう,頹縱忘反,於茲ためきょくいたりわかめぐみふうすうたかしぞくみち韞之たいまごおん,荀女しゃくきゅう於重かこえちょうつまほう怨于きょう寇,僭登これ,蹈死かいにせ纂之,捐生匪吝,そうからしこうじょう而致夭,おう靳守ぶし而就おわり,斯皆めい踐義,匪因きょういたりそびえしんかんたかしゆうひろし徽音;幽谷ゆうこくさだ蕤,慚雅引,おっとかかはり靡顧,けん如歸,ひとしふう以激あげ千載せんざい矣。

さん曰:從容しょうようかげれい,婉娩やわらそくろくぎょう,爰昭よんとくみさおきよし風霜ふうそうほまれりゅう邦國ほうこく。彤管貽訓,きよし芬靡忒。

 まききゅうじゅう かえしかいいただき まききゅうじゅうなな

ほんとうあさ作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经遠とおちょう过100ねん

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