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資治通鑑/卷194 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

どおりかん/まき194

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 まきいちひゃくきゅうじゅうさん どおりかん
まきいちひゃくきゅうじゅうよん からじゅう
まきいちひゃくきゅうじゅう 

おこりげん黓執じょつききょう圉作噩よんがつ,凡ねんゆう

どおりかん だい194かん まきだいいちひゃくきゅうじゅうよん
からじゅうおこりげん黓執じょつききょう圉作噩よんがつ,凡ねんゆう

ふとしそう文武ふみたけ大聖たいせい大廣おおひろこう皇帝こうてい上之うえのさだかんろくねんみずのえたつおおやけもとろくさんねん[编辑]

はる正月しょうがつおつついたちにちゆうしょく
みずのととりしずしゅう獠反,將軍しょうぐん討平
文武ぶんぶかんふく請封ぜんうえ曰:「きょうやからみな以封ぜんため帝王ていおう盛事せいじちんしかわか天下てんか乂安,いえきゅう人足ひとあし,雖不ふうぜんいさおなにきず乎!むかしはたはじめすめらぎふうぜん,而漢文かんぶんみかどふうぜん後世こうせいあに以文みかどかしこ及始すめらぎよこしま!且事てん掃地而祭,なに必登泰山たいざん巔,ふうすうしゃくしか以展其誠けい乎!」群臣ぐんしんなお請之やめうえまたよくしたがえこれちょうどく以為不可ふかうえ曰:「おおやけよくちんふうぜんしゃ,以功こうよこしま?」曰:「こう矣。」「とくあつよこしま?」曰:「あつ矣。」「中國ちゅうごくやすよこしま?」曰:「やす矣。」「よんえびすふくよこしま?」曰:「ふく矣。」「としたにゆたかよこしま?」曰:「ゆたか矣。」「みずいたりよこしま?」曰:「いたり矣。」しかのりなんため不可ふかふうぜん?」たい曰:「陛下へいか雖有此六しゃしかうけたまわずいまつ大亂たいらんこれ戶口とぐちふくくら廩尚むなし,而車ひがしじゅんせんじょうまん,其供ひたぶるろうえきにん也。且陛ふうぜんのり萬國ばんこく咸集,とおえびすくんちょうみなとう扈從こしょうこんらく以東いとういたり於海、岱,煙火えんか尚希なおき,灌莽きょく,此乃引戎狄入腹中ふくちゅうしめせ以虛じゃく也。きょうしょう賚不貲,いやとおじんもちきゅうふく連年れんねんつぐなえ百姓ひゃくしょうろうたかし虛名きょめい而受實害じつがい陛下へいかはた焉用!」かい河南かなんきたすうしゅう大水だいすいこととげ
うえ將幸まさゆききゅう成宮なるみやつうちょくつねさむらい姚思れん諫。うえ曰:「ちんゆうやましあつ輒頓げき,往避みみ。」たまものおもえれんきぬじゅうひき
かん察御うまあまねじょう疏,以為:「東宮とうぐうざい宮城みやぎこれちゅう,而大安だいあんみや乃在宮城みやぎ西にし制度せいど於宸なおため卑小ひしょう,於四方しほうかん聽,ゆうしょ不足ふそくよろしぞうおさむ高大こうだい,以稱中外ちゅうがいもちまたふとし上皇じょうこう春秋しゅんじゅうやめだか陛下へいかよろし朝夕あさゆうぜんいま九成宮去京師三百餘里,ふとし上皇じょうこうあるとき思念しねん陛下へいか陛下へいかなん以赴またくるま此行,よく避暑ひしょふと上皇じょうこうなおとめ暑中しょちゅう,而陛獨居どっきょきょうしょあつし清之きよゆきれい,竊所やす今行いまゆくけいやめなり不可ふかふくどめねがいそくしめせかえし,以解眾惑。またおう長通ながどおりしろ明達めいたつみならくこう,韋槃ひっさげ、斛斯せいとめのう調ちょうたて使技能ぎのう眾,せい賚之きん帛,あにちょう官爵かんしゃくたま曳履,あずか士君子しくんし比肩ひけん而立じりつどうすわ而食?しん竊恥。」じょうふかおさめ
うえ以新れいさんかんがつへいいぬみことのりとくおけこれ
さんがつつちのえたつうえみゆききゅう成宮なるみや
庚午こうご,吐谷渾寇あららぎしゅう州兵しゅうへいげきはしこれ
長樂ながら公主こうしゅはたうえ以公ぬし皇后こうごう所生しょせいとくあい,敕有おくばい於永よしみちょう公主こうしゅちょう諫曰;「むかしかんあかりみかどよくふう皇子おうじ,曰:『我子わがこあにあずか先帝せんてい!』みなれいはんすわえ、淮陽。こんおく公主こうしゅばい於長ぬしとく於明みかど乎!」じょうしか其言,にゅうつげ皇后こうごうこう歎曰:「わらわ亟聞陛下へいかたたえじゅうちょう不知ふち其故,いまかん其引れい以抑じんぬしじょう,乃知社稷しゃしょくしん也!わらわあずか陛下へいか結髮けっぱつため夫婦ふうふきょくうけたまわおんれいまいげん必先こう顏色かおいろ敢輕はん威嚴いげんきょう人臣じんしん疏遠,乃能抗言こうげん如是にょぜ陛下へいか不可ふかしたがえ也。」いん請遣ちゅう使つかいつぎぜによんひゃく緡、きぬよんひゃくひき以賜せい,且語曰:「聞公正直しょうじき,乃今見いまみ以相しょうおおやけよろしつね秉此しん,勿轉移てんい也。」じょう嘗罷あさいか曰:「かい須殺此田舍いなかおきな。」といためだれうえ曰:「ちょうごと廷辱。」後退こうたいあさふくりつ於庭,うえおどろきとい其故。こう曰:「わらわ聞主あかりしんちょくこんちょうじきゆかり陛下へいかあきら也,わらわ敢不!」上乃うえのえつ
なつよんがつからしじょう州都しゅうととく鄒襄こうちょうこう謹卒。明日あした上出かみでつぎはつあい有司ゆうしそうたつ哭。うえ曰:「きみ於臣,なお父子ふし也,じょうはつ於衷,やす避辰!」とげ哭之。
ろくがつおのれかねしゅう刺史しし酆悼おうもととおる薨。からしこうおう囂薨。
あきなながつへいたつ,焉耆おう突騎ささえ使つかい入貢にゅうこうはつ,焉耆にゅう中國ちゅうごくよし磧路,ずいまつ閉塞へいそくみちよしだかあきら;突騎ささえ請復ひらき磧路以便往來おうらいうえもとよしだかあきら恨之,へいかさね焉耆,だいかすめ而去。
からしえん三品已上於丹霄殿。うえ從容しょうようげん曰:「中外ちゅうがいまたやすみな公卿くぎょうちからしかずい煬帝たけしえびすなつ,頡利またがゆう北荒きたあらみつるまもるよりどころ西域せいいきこんみなくつがえほろび,此乃ちんあずかおおやけとうしょおや,勿矜きょうもり以自滿也みつや!」
西にし突厥肆葉まもるあせはつへいげき薛延陀,ため薛延陀所はい。肆葉まもるせい猜狠,しん讒;ゆうおつあせこう最多さいた,肆葉まもる以非其族るい誅滅ちゅうめつゆかりしょみな。肆葉まもるまた莫賀しつらえ之子ゆきこどろ孰,かげほっどろ孰奔焉耆。しつらえ卑達かんあずかいしゆみしつおさむ,肆葉まもるけい奔康ひろそつ國人くにびとむかえどろ孰於焉耆而立じりつため咄陸あせ使つかい內附。ちょうとりおおとり臚少きょうりゅうよしいんりつ咄陸ため奚利邲咄りくあせ
閏月じゅんげつおつうええん近臣きんしん於丹霄殿,ちょうまご曰;「おう珪、ちょうむかしためかたき讎,いい今日きょうどう此宴。」じょう曰:「せい、珪盡しんしょごとようしかせいごと諫,わがしたがえわがあずかこれげん輒不おうなに也?」ちょうたい曰:「しん以事ため不可ふか諫;わか陛下へいかしたがえ而臣おうのりごととげ施行しこう敢應。」じょう曰:「且應而復諫,いさおなにきず!」たい曰:「むかししゅん戒郡しん:『しかめんしたがえ退すさゆうげん。』しんこころ其非而口おう陛下へいか,乃面したがえ也,あにきびちぎりごとしゅんよこしま!」上大かみおおわらい曰:「ひとごとちょう舉止疏慢,さらさとし嫵媚,せいため此耳!」せいおこりはいしゃ曰:「陛下へいかひらきしん使げんしんとくつき其愚,わか陛下へいかこばめ而不受,しんなん敢數はん顏色かおいろ乎!」
つちのえたつ秘書ひしょしょうかんおそれみなみじょう聖德せいとくろん》,うえたまものしゅみことのりしょう:「きょうろんたいだかちんなん敢擬上古じょうこただし近世きんせいかちみみしかきょうてき睹其はじめ未知みち其終。わかちんのうまきおわり如始,のり此論でん;如或しかこわいたずら使後世こうせいわらいきょう也。」
きゅうがつおのれとりさいわいけいぜんみや上生わぶたく也,いんあずかしんえん起居ききょろうきよしひらりょざいこれ管弦かんげんいのち曰:「《こうなりけいぜんらく》,使つかい童子どうじはち佾為《きゅうこうまい》,だい宴會えんかいあずかやぶちんまい》偕奏於庭。どうしゅう刺史ししじょうおそけいとくあずかうたげゆうはんざい其上しゃけいとくいか曰:「なんじなんこうすわわがうえ!」にんじょう王道おうどうむね其下,さとしかいけいとくけんなぐみちむねもくいくすがめうえ懌而やめいいけいとく曰:「ちんかん高祖こうそ誅滅ちゅうめつ功臣こうしんつねゆうほっあずかきょうとう共保きょうほ富貴ふうきれい子孫しそんぜっしかきょうきょかんすうはんほう,乃知かん、彭菹ひしお高祖こうそつみ也。國家こっか綱紀こうきただ賞與しょうよばつ非分ひぶんおん不可ふかすうとくつとむ自修じしゅう飭,後悔こうかい!」けいとくよしはじめ懼而戢。からししんしゅう刺史ししちぇよしためそつねんろくじゅう
ふゆじゅうがつおつくるまかえ京師けいしみかどさむらい上皇じょうこうえん於大おだいやすみやみかどあずか皇后こうごうさらけんじいんぜん及服これぶつよるひさ乃罷。みかどおやため上皇じょうこうささげ輿こしいたる殿どのもん上皇じょうこうもといのち太子たいしだい
突厥頡利あせうつうつ不得意ふとくいすうあずか家人かじん相對そうたい悲泣,容貌ようぼう羸憊。上見うわみ而憐,以虢しゅうおうしか鹿しか遊獵ゆうりょう,乃以頡利ため虢州刺史しし;頡利やめねがい往。みずのとふく以為みぎまもる大將軍だいしょうぐん
十一月じゅういちがつからしちぎり苾酋ちょうなんりょくそち部落ぶらくろく千餘家詣沙州降,みことのりしょ於甘、りょうあいだ,以何りょくためひだりりょうぐん將軍しょうぐん
かのえとら,以左こう祿ろく大夫たいふひね叔達ためれい尚書しょうしょみかどいい叔達曰:「きょう武德ぶとく中有ちゅうう讜言,以此かんしょうほう。」たい曰:「しんずいしつ父子ふししょうざん,以取らんほろび當日とうじつげんため陛下へいか,乃社稷しゃしょくけいみみ。」
十二月じゅうにがつみずのとうしみかどあずか侍臣じしんろん安危あんきほん中書ちゅうしょれいゆたか彥博曰:「ふくねがい陛下へいかつね如貞かんはつのりぜん矣。」みかど曰:「ちんらいだる為政いせい乎?」ちょう曰:「さだかんはつ陛下へいかこころざしざい節儉せっけんもとめ諫不倦。らい營繕えいぜんほろ,諫者頗有忤旨,此其所以ゆえんみみ。」みかど拊掌だいわらい曰:「まことゆうごと!」
からしみかどおやろくけいしゅうおう死者ししゃ,閔之,たて使以來いらいあきらい就死。仍敕天下でんかしゅうみなたて使つかいいたりらいまい京師けいし
これさいとうこうとう羌前內屬しゃさんじゅうまんくち
公卿くぎょう以下いか請封ぜんしゃ首尾しゅびしょうぞく上諭じょうゆ以「きゅうゆうやましおそれ登高とうこうぞうげきおおやけとう勿復ごと。」
うえいい侍臣じしん曰:「ちんらいけつごとある不能ふのうみな如律れいおおやけやから為事しごとしょうふく執奏しっそうおっとごとゆかりしょう以致だい,此乃危亡はし也。むかしせきりゅう逄忠諫而ちんごとつう。煬帝おご暴而ほろびおおやけやからしょおや也。おおやけやからつねよろしためちんおもえ煬帝ほろびちんつねためこうやからねんせきりゅう逄之なに君臣くんしんあい乎!」
うえいいちょう曰:「ためかんひと不可ふか造次ぞうじよういち君子くんしのり君子くんしみないたりよういち小人こどものり小人こどもきおいしん矣。」たい曰:「しか天下てんか未定みていのりせん其才,こう其行;らんすんでひらめのり非才ひさいぎょう兼備けんび不可ふかよう也。」

ふとしそう文武ふみたけ大聖たいせい大廣おおひろこう皇帝こうてい上之うえのさだかんななねん癸巳きしおおやけもとろくさんさんねん[编辑]

はる正月しょうがつさらめいやぶひねらく》曰《ななとくまい》。癸巳きしうたげさんひん已上いじょう及州まき蠻夷ばんい酋長しゅうちょう於玄武門ぶもんそうななとく》、《きゅうこうこれまいふとつねきょうしょう瑀上ごと:「《ななとくまい形容けいようひじりいさおゆうしょつき,請寫りゅう武周ぶしゅう、薛仁はて、竇建德けんとくおうたかしとうとりここれじょう。」じょう曰:「かれみないち英雄えいゆうこん朝廷ちょうていしん往往おうおう北面ほくめんごとわか睹其故主こしゅ屈辱くつじょくじょうのうきず其心乎?」瑀謝曰:「此非しんおもんばかところ及。」ちょうほっじょう偃武おさむぶんまいさむらいえんななとくまい》輒俯くびきゅうこうまいのり諦觀ていかん
さんがつ戊子ぼしさむらいちゅうおう珪坐漏洩ろうえい禁中きんちゅう左遷させんどうしゅう刺史ししかのえとら,以秘しょかんちょうためさむらいちゅう
ちょくふとし雍人あつしふうそうれいだいこう制度せいど疏略,ただしゆう赤道せきどう,請更づくり渾天黃道こうどうもと癸巳きしなり而奏
なつ五月ごがつみずのとじょうこうきゅう成宮なるみや
みやびしゅう道行みちゆきぐんそうかんはりげきはん獠,やぶこれあきはちがつおつうしひだりたむろまもる大將軍だいしょうぐん譙敬こうしゅう范卒。うえ行幸ぎょうこうつねれい范與ぼうげんよわいきょもり。范為じん忠篤ただあつ嚴正げんせいやまし甚,肯出がい,竟終於內しょうあずかげんよわいしょうだき而訣曰:「ところ恨不さいたてまつせいかお!」
からし,以張ため龔州どう行軍こうぐんそうかん使つかいげきはん獠。
きゅうがつ山東さんとう河南かなんよんじゅうしゅうすい使つかいにぎわい
去歲きょさいしょたて天下でんかしゅうさんひゃくきゅうじゅうにん無人むじんとくそちみな如期まいちょうどういちにんほろび匿者;じょうみな赦之。
ふゆじゅうがつ庚申こうしんうえかえ京師けいし
十一月じゅういちがつみずのえたつ,以開府かいふどう三司長孫無忌為司空,固辭こじ曰:「しんかたじけなあずか外戚がいせきおそれ天下でんかいい陛下へいかためわたし。」じょうもと,曰:「われためかんひとおもんみざいあずか。苟或不才ふさい,雖親不用ふようじょう邑王しん是也これや;如其ゆうざい,雖仇たかしちょうとう是也これや今日きょう舉,わたしおや也。」
十二月じゅうにがつきのえとらうえみゆき芙蓉ふようえんへいたつこうりょうしょうりょうばらつちのえうまかえみやしたがえ上皇じょうこうおけしゅかん未央みおみや上皇じょうこういのち突厥頡利あせおこりまいまたいのち南蠻なんばん酋長しゅうちょう馮智戴詠すんで而笑曰:「えびすこし一家かずやゆう也!」みかどたてまつ上壽じょうじゅ曰:「いまよんえびすにゅうしんみな陛下へいか教誨きょうかいしん智力ちりょくしょ及。むかしかん高祖こうそまたしたがえぶと上皇じょうこうおけしゅ此宮,妄自矜大,しんしょ也。」上皇じょうこうだいえつ殿上てんじょうみなよびまんさい
みかどいいひだり庶子しょし於志やすしみぎ庶子しょしもりせいりん曰:「ちんねんじゅうはちなお在民ざいみんあいだみんやまし苦情くじょうにせ不知ふち。及居だい處世しょせいつとむなおゆうしつきょう太子たいし生長せいちょうふかみや百姓ひゃくしょう艱難かんなん耳目じもくしょわたるのうおごいっ乎?きょうとう不可ふかきょく諫。」太子たいしこう嬉戲きぎ,頗虧禮法れいほうこころざしやすしあずかみぎ庶子しょしあな穎達すうちょく諫,上聞じょうぶん而嘉かく賜金しきんいちきん,帛五ひゃくひき
こう尚書しょうしょだん綸奏せいたくみこう楊思ひとしうえれいためし。綸使さきづくり傀儡かいらいうえ曰:「とくたくみこう庶供國事こくじきょうれいさきづくりおどけあに百工相戒無作淫巧之意邪!」乃削綸階。
よしみりょうしゅう獠反,いのち江府こうふみつるぐんうし進達しんたつ擊破げきは
うえといちょう曰:「群臣ぐんしん上書うわがきさい,及召たいしつなに也?」たい曰:「しんかんひゃくつかさそうごとつね數日すうじつおもえこれ,及至上前うわまえさんふん不能ふのうどういちきょう諫者はらいさわ陛下へいかこれ辭色じしょくあに敢盡其情哉!」うえゆかりせっ群臣ぐんしん辭色じしょくいよいよあつし,嘗曰:「煬帝猜忌さいき,臨朝たい群臣ぐんしんかたりちんそくしかあずか群臣ぐんしんしょうおや一體いったいみみ。」

ふとしそう文武ふみたけ大聖たいせい大廣おおひろこう皇帝こうてい上之うえのさだかんはちねんきのえうまおおやけもとろくさんよんねん[编辑]

はる正月しょうがつみずのと,突厥頡利あせそついのち國人くにびとしたがえ其俗,焚屍そう
からしうし行軍こうぐんそうかんはり討東、西にしおうほらはん獠,平之ひらの
うえよく分遣ぶんけん大臣だいじんため諸道しょどう黜陟大使たいしとく其人;やすしこもちょううえ曰:「せい箴規ちんしつ不可ふかいちにちはなれ左右さゆう。」乃命やすし與太よたつねきょうしょう瑀等凡じゅうさんにんぶんぎょう天下でんか,「察長吏賢不肖ふしょうもん民間みんかんやましにがれいだかねんにぎわい窮乏きゅうぼうおこりとどこお淹,俾使しゃしょいたり,如朕おや睹。」
さんがつかのえたつうえみゆききゅう成宮なるみや
なつ五月ごがつからしついたちにちゆうしょく
はつ,吐谷渾可あせふくまこと使つかい入貢にゅうこうかえしだいかすめ鄯州而去。うえ使つかいゆずるせいふくまこと入朝にゅうちょうしょうやましいたり,仍為其子尊王そんのう求婚きゅうこんじょうもとれい其親むかえ尊王そんのうまたいたり,乃絕こんふくまことふくへい寇蘭、くるわしゅうふくまことねんおいしん其臣てんばしらおうはかりごとすうはんあたりまたから使者ししゃちょういさお楷,うえ使つかいさとし十返とがえりまた引其使者ししゃ,臨軒おやさとし禍福かふくふくまことおわり悛心。六月ろくがつひだり驍衛大將軍だいしょうぐんだんこころざしげんため西海さいかいどう行軍こうぐんそうかんひだり驍衛將軍しょうぐん樊興ためあか水道すいどう行軍こうぐんそうかんはたあたりへい及契苾、とうこう眾以げき
あきなながつ山東さんとう河南かなん、淮、うみあいだ大水おおみず
うえ屢請上皇じょうこう避暑ひしょきゅう成宮なるみや上皇じょうこう以隋ぶんみかどおわり於彼,あくふゆじゅうがつ,營大明だいめいみや,以為上皇じょうこうきよあつこれしょ未成みせい上皇じょうこうやましはてきょ
からしうしだんこころざしげんげき吐谷渾,やぶこれつい奔八ひゃくあまりさと青海せいかいさんじゅうあまりさと,吐谷渾驅まき而遁。
甲子きのえねうえかえ京師けいし
みぎぼくしゃやすし以疾へりくだくらいもと十一月じゅういちがつからし,以靖ため特進とくしんふう爵如祿ろくたまもの、吏卒なみきゅうきゅう,俟疾しょう瘳,まいさん兩日りょうじついたり門下もんか中書ちゅうしょたいらあきら政事せいじ
きのえさる,吐蕃さんひろし棄宗ろうさん使つかい入貢にゅうこう,仍請こん。吐蕃ざい吐谷渾西南せいなん近世きんせいひたつよ蠶食さんしょく它國,土宇つちう廣大こうだいしょうへいすうじゅうまんしか嘗通中國ちゅうごく。其王稱讚しょうさんひろしぞく不言ふげんせい王族おうぞくみな曰論,宦族みな曰尚。棄宗ろうさんゆういさみりゃくよん鄰畏うえ使者ししゃ馮德遐往慰撫いぶ
ちょう,吐谷渾寇りょうしゅうおのれうししもみことのりだい舉討吐谷渾。うえ欲得よくとくやすしためはたため其老,じゅうろうやすし聞之,請行;じょうだいえつ十二月じゅうにがつからしうし,以靖ため西海さいかいどう行軍こうぐんだいそうかん節度せつどしょぐん兵部ひょうぶ尚書しょうしょこうくんしゅうためせき石道いしみち刑部おさかべ尚書しょうしょにんじょう王道おうどうむねため鄯善どうりょう州都しゅうととくだいあきらため且末どう、岷州とくみち彥為あか水道すいどうとぎしゅう刺史ししだかこしきせいため鹽澤しおざわ道行みちゆきぐんそうかんなみ突厥、ちぎり苾之眾擊吐谷渾。
みかど聘隋通事つうじ舍人とねりていひとしもとおんなためたかしはなみことのりやめくだりさつ使しょうはつちょう聞其嘗許よめ士人しじんりく爽,遽上ひょう諫。みかど聞之,だいおどろきみことのりふかかつせめいのちとまさつ使ぼうげんよわいとうそうしょう:「許嫁いいなずけりくあらわじょう大禮たいれいすんでぎょう不可ふか中止ちゅうし。」爽亦ひょうげんはつ婚姻こんいんみかどいいせい曰:「群臣ぐんしんあるようまれあい;爽亦ひねなに也?」たい曰:「かれ以陛ためがい雖捨あるかげざい譴,とくしか。」みかどわらい曰:「外人がいじんあるとう如是にょぜちんげんのう使じん必信如此よこしま?」
ちゅう牟丞すめらぎはじめとく參上さんじょうごと:「おさむ洛陽らくようみやろうじんおさむ地租ちそあつ斂;ぞくこうこうたぶさぶた宮中きゅうちゅうしょ。」じょういかいいぼうげんよわいとう曰:「とくさんよく國家こっかやくいちにんおさむ租,宮人みやびと皆無かいむはつ,乃可其意よこしま!」よくおさむ其謗訕之ざいちょう諫曰:「賈誼とう漢文かんぶんみかど上書うわがきうんため痛哭つうこくしゃいちため流涕りゅうていしゃ。』上書うわがきげききり能動のうどうじんぬししん所謂いわゆるきょうおっとげん聖人せいじん焉,ただ陛下へいかさい察。」じょう曰:「ちんざい斯人,のりだれふく敢言?」乃賜きぬじゅうひき他日たじつせいそうごと:「陛下へいか近日きんじつこう直言ちょくげん,雖勉強含つよふくみよう曩時豁如。」上乃うえのさらゆうたまものはいかん察御
中書ちゅうしょ舍人とねりだか輔上ごと:「そとかん卑品,なおとく祿ろく饑寒きかん切身きりみなん清白すずしろこんくら廩浸むべりょうゆうきゅうしかせめ以不むさぼいむしつらえきんまたみつおうもとあかつきとうみな陛下へいかおとうとみるみかどはいしょ叔,叔皆こたえはい紊亂びんらんあきらきよしむべくん以禮。」しょかなでうえ善之よしゆき
西にし突厥咄陸あせそつ,其弟どう設立せつりつためすな缽羅咥利しつあせ

ふとしそう文武ふみたけ大聖たいせい大廣おおひろこう皇帝こうてい上之うえのさだかんきゅうねん乙未おとみおおやけもとろくさんねん[编辑]

はる正月しょうがつとうこうさき內屬しゃみな叛歸吐谷渾。三月さんがつかのえたつ,洮州羌叛にゅう吐谷渾,ころせ刺史ししあな長秀ながひで
みずのえたつ,赦天
おつとり鹽澤しおざわ道行みちゆきぐんそうかんだかこしきせいげき叛羌,やぶこれ
かのえとらみことのりみん貲分さんとうつき其詳,むべぶんきゅうとう
うえいいちょう曰:「ひとしおもしゅう天元てんげんみなじゅう百姓ひゃくしょうあつたてまつやしなえちから竭而ほろびたとえ如饞じん□敢其にくにくつき而斃,なに其愚也!しかしゅ孰為優劣ゆうれつ?」たい曰:「ひとししゅ懦弱だじゃくせい多門たもんしゅう天元てんげんおご暴,ぶくざいおのれ;雖同ため亡國ぼうこくひとししゅゆうれつ也。」
なつうるうよんがつみずのととりにんじょう王道おうどうむねはい吐谷渾於やま。吐谷渾可あせふくまこと悉燒野草やそうけいへい走入はしり磧。しょしょう以為「うま無草むそうつかれ瘦,深入ふかいり。」ほうくんしゅう曰:「しかむこうしゃだんこころざしげんぐんかえざい及鄯しゅうとりこやめいたり其城ぶたとりこなおかん,眾為もちい也。いまいちはいこれねずみ逃鳥斥候せっこうまたぜっ君臣くんしん攜離,父子ふししょうしつこれえき於拾あくた。此而じょうこう必悔。」やすししたがえこれ中分なかぶん其軍ため兩道りょうどうやすしあずか薛萬ひとしだいあきらゆかり北道ほくどうくんしゅうあずかにんじょう王道おうどうそうゆかり南道みなみどう戊子ぼしやすし部將ぶしょう薛孤はい吐谷渾於曼頭さん其名おうだいざつ畜,以充ぐんしょく癸巳きしやすしとうはい吐谷渾於うしこころうずたかまたはいしょあか水原みずはらほうくんしゅうにんじょう王道おうどうむね引兵ぎょう無人むじんさかいせんあまりさと盛夏せいか降霜こうそうけいやぶ邏真だに,其地無水むすいにん齕冰,うま啖雪。五月ごがつ追及ついきゅうふくまこと於烏うみあずかたたかえ大破たいは其名おう。薛萬ひとし、薛萬徹又敗天柱王於寺海。
上皇じょうこう去秋きょしゅうどくふうやましかのえくずし於垂拱殿。かぶとたつ群臣ぐんしん請上なぞらえのこ誥視軍國ぐんこく大事だいじうえもとおつみことのり太子たいしうけたまわいぬい於東おひがし宮平みやだいらけつ庶政しょせい
赤水あかみずたたかえ,薛萬ひとし、薛萬徹輕騎先進,ため吐谷渾所かこえ兄弟きょうだいみなちゅうやりしつうまあゆみ鬥,したがえ死者ししゃろくななひだりりょうぐん將軍しょうぐんちぎり苾何りょくはたすうひゃくすくい,竭力奮擊,しょこう披靡,ばんひとし、萬徹由是得免。だいあきらはい吐谷渾於しょく渾山,其名おうじゅうにん將軍しょうぐんしつおもえりょくはい吐谷渾於きょ茹川。やすしとくしょぐんけいせきせき山河さんがげんいたり且末,きゅう其西さかい。聞伏まことざい突倫がわはた奔于闐,ちぎり苾何りょくほしついかさね。薛萬ひとし懲其ぜんはいかたげん不可ふかなにりょく曰:「とりこゆう城郭じょうかくずい水草みずくさ遷徙,わかいん其聚きょかさねこれ一朝いっちょう雲散うんさんあにとくふくかたぶけ其巢あなよこしま!」自選じせん驍騎せんあまりちょくおもむき突倫がわ,萬均乃引兵從之。磧中とぼしみず將士しょうしとげいんかさねやぶふくまこときばちょう斬首ざんしゅすうせんきゅうざつじゅうあまりまんふくまことだつはし,俘其妻子さいしほうくんしゅうとうしん逾星宿やどがわいたりかしわかいかえあずかやすしぐんあい
だいやすしおうじゅんずいおいふくまこと嫡子ちゃくし也,ためさむらい於隋,ひさしとくふくまことたて它子ため太子たいし,及歸,つね怏怏おうおうかいやすしやぶ其國,國人くにびときゅう蹙,怨天ばしらおうじゅんいん眾心,てんばしらおう,舉國請降。ふくまことそちせん逃磧ちゅうじゅうにち,眾散ややつきため左右さゆうしょころせ國人くにびとりつじゅんためあせみずのえやすしそうひら吐谷渾。おつみことのりふく其國,以慕ようじゅんため西平にしだいらぐんおう、趉故りょがらすあままめあせうえおもんばかじゅんのうふく其眾,仍命だいあきらはた精兵せいびょうすうせんため聲援せいえん
ろくがつおのれうし群臣ぐんしんふく請聽せいうえもと,其細つとむ仍委太子たいし太子たいし頗能聽斷。うえごと行幸ぎょうこうつねれいきょもりかんこく
あきなながつかのえ鹽澤しおざわ道行みちゆきぐんふくそうかんりゅういさおさとしげき叛羌,やぶこれ
ちょうみことのり:「山陵さんりょうかんちょうりょう故事こじつとむそんりゅうあつし。」期限きげんすんで促,こう不能ふのう及。秘書ひしょかんおそれ南上みなみうえ疏,以為:「聖人せいじんうすそう其親,孝也たかやふかおもえ遠慮えんりょ,以厚そうてきあしためおやるい不為ふためみみむかしちょうしゃくげん:『使つかい其中有可ゆかよく,雖錮南山なんざんなおゆうすき。』りゅうこうげん:『死者ししゃ終極しゅうきょく國家こっかゆうはいきょうしゃくこれげんため無窮むきゅうけい也。』其言深切しんせつまことあいいたりふくおもんみ陛下へいか聖德せいとくえつとうおそれ,而厚そう其親乃以しんかんためほうしん竊為陛下へいか。雖復ぞう金玉きんぎょく後世こうせいただしおか壟如此其だいあんとも其中金玉きんぎょくよこしま!且今しゃくふくやめ霸陵,而丘壟之せいどくちょうりょうこわところよろしふくねがい白虎びゃっこどおりためさん仞之ふん器物きぶつ制度せいどりつみなぶしそん,仍刻石立いしたてりょうつくりべつしょいちつうぞう宗廟そうびょうようため子孫しそん永久えいきゅうほう。」疏奏,ほうみなみふくじょう疏,以為:「かん天子てんし即位そくいそく營山りょうとおしゃじゅうねんこんすうがつあいだためすうじゅうねんこうおそれ於人りょくゆうしょ逮。」上乃うえの以世みなみ疏授有司ゆうしれいしょうしょ其宜。ぼうげんよわいとう,以為:「かんちょうりょうだかきゅうたけはらりょうだかろくたけいま九丈則太崇,三仞則太卑,請依ばらりょうこれせい。」したがえこれ
からしみことのり:「くにはつ草創そうそう宗廟そうびょうこれせい備,いまはた遷祔,むべれいれいかんしょう。」諫議大夫たいふ朱子しゅしおご請立三昭三穆而虛太祖之位。於是ぞうおさむふとしびょう,祔弘のうくん高祖こうそなみきゅう神主かんぬしよんためろくしつぼうげんよわいとう以涼武昭たけあきおうため始祖しそひだり庶子しょし於志やすし以為武昭たけあきおうおうぎょうしょいん不可ふかため始祖しそじょうしたがえこれ
とうこう寇疊しゅう
靖之やすゆきげき吐谷渾也,あつまいないとうこう使つかいためきょうしるべとうこう酋長しゅうちょうつぶせばつあからいいいしょしょう曰:「ずいじんしんじ暴掠こんしょぐん苟無しんわが請供其資かて;如或しかわがはたよりどころけん以塞しょぐんみち。」しょはたあずかこれめい而遣あか水道すいどう行軍こうぐんそうかんみち彥行いたり闊水,あか備,かさねうしひつじすうせんとう。於是ぐん羌怨いかたむろきつねかいみち彥不とくしんあかげきみち大敗たいはい死者ししゃすうまん退すさまつしゅうひだり驍衛將軍しょうぐん樊興逗遛しつぐん士卒しそつしつほろびおつみち彥、きょうみなすわげん徙邊。
うえ使つかいろうしょしょう於大おだい拔谷,薛萬均排毀契苾何力,自稱じしょうおのれこうなにりょくかち忿,拔刀ばっとうおこりよくころせまんひとししょしょうすくいどめ上聞じょうぶん,以讓なんりょくなにりょくげん其狀,うえいかよくかい萬均官以授何力,なんりょく固辭こじ,曰:「陛下へいか以臣かいまんひとしかんぐんえびす無知むち,以陛為重ためしげえびすけいかんてんしょう誣告ぶこくはせきおい必多。且使えびすじんいいしょしょうみな如萬ひとしはたゆうけいかんしん。」うえ善之よしゆき而止。ひろれい宿衛しゅくえい北門きたもん檢校けんぎょう屯營とんえいごとなおむねおんな臨洮けんぬし
岷州とく鹽澤しおざわ道行みちゆきぐんそうかんだかこしき生後せいごぐんやすし按之。こしきせい恨靖,誣告ぶこくやすし謀反むほん,按驗じょうはちがつかのえたつこしきせいすわげん徙邊。あるげん:「こしきせいしん功臣こうしんひろし其罪。」じょう曰:「こしきせいたがえやすし節度せつどまた誣其はん,此而ひろしほうしょうやすほどこせ!且國家こっかおこりすすむ功臣こうしん矣,わかこしきせいまぬかれのり人人ひとびとはんほうやすふくきん乎!わが於舊くん嘗忘也,ため此不敢赦みみ。」やすし闔門杜絕とぜつ賓客ひんきゃく,雖親戚しんせきとく妄見也。
うえほしまいえんりょう群臣ぐんしん以上いじょうあい毀羸やせかた諫而どめ
ふゆじゅうがつおつしょがつはつ使つかい入貢にゅうこうところがつしょみつみな西にし突厥べつ也。
かのえとらそうふとしたけ皇帝こうてい於獻りょうびょうごう高祖こうそ;以穆皇后こうごう祔葬,ごうふとしきよし皇后こうごう
十一月じゅういちがつかのえいぬみことのり於太げんだてだか祖廟そびょう秘書ひしょかんがお,以為:「びょうけい在京ざいきょうかんぐん國立こくりつびょう非禮ひれい。」乃止。
つちのえうま,以光祿ろく大夫たいふしょう瑀為特進とくしんふくれいさんあずか政事せいじうえ曰:「武德ぶとくろくねん以後いご高祖こうそゆう廢立はいりつこころ未定みていわが不為ふため兄弟きょうだいしょようじつ有功ゆうこうだかしょう懼。斯人也,不可ふか以利さそえ不可ふか以死おびえ社稷しゃしょくしん也!」いんたまもの瑀詩曰:「疾風しっぷう勁草,いたとろけ識誠しん。」またいい瑀曰:「きょう忠直ただなお古人こじんしか善惡ぜんあくふとあきらまたゆう而失。」瑀再拜さいはいしゃちょう曰:「瑀違眾孤立こりつただ陛下へいか其忠勁,こう不遇ふぐうひじりあきらもとめめんなん矣!」
特進とくしんやすし上書うわがき,請依のこ誥,つねふく,臨正殿どのどるもと
吐谷渾甘まめあせひさしつ中國ちゅうごく國人くにびと,竟為其下しょころせつばめおうだく曷缽りつだく曷缽よう大臣だいじんそうけん國中くになか大亂たいらん十二月じゅうにがつみことのり兵部ひょうぶ尚書しょうしょこうくんしゅうとう將兵しょうへい援之;先遣せんけん使者ししゃさとしかいゆうたてまつみことのりしゃずいむべ討之。

ふとしそう文武ふみたけ大聖たいせい大廣おおひろこう皇帝こうてい上之うえのさだかんじゅうねんへいさるおおやけもとろくさんろくねん[编辑]

はる正月しょうがつきのえうまうえはじめしん聽政。
からしうし,以突厥拓しつらえおもねしゃしかためひだり驍衛大將軍だいしょうぐんしゃなんじところあせ之子ゆきこ也,ねんじゅういち,以智りゃく聞。あせ以為ひらけしつらえけんきば於磧きたあずかほしたにしつらえぶんみつる敕勒しょきょかんじゅうねん嘗有しょ斂。しょしつらえあるひな不能ふのうため富貴ふうきしゃしか曰:「部落ぶらく苟豐,於我あし矣。」しょしつらえ慚服。及薛のべ陀叛,おさむやぶほしたにしつらえしゃなんじへいまたはいはた其餘眾走西にし陲。頡利あせすんでほろび西にし突厥またみだれ,咄陸あせ兄弟きょうだいそうこくしゃなんじいつわり往降,引兵かさねやぶ西にし突厥,其地いくはんゆう眾十あまりまん自稱じしょうこたえぬのあせしゃなんじ乃謂しょ曰:「くびためみだれやぶ我國わがくにしゃ,薛延陀也,わが當為とういさきあせほうかたき擊滅げきめつ。」しょみな諫曰:「新得しんとく西方せいほうむべ且留鎮撫ちんぶこん遽捨とお西にし突厥必來其故。」しゃしかしたがえげき薛延陀於磧北,れんへいひゃくにちかい咥利しつあせりつしゃなんじ眾苦於久やく棄社しか逃歸にげかえ。薛延陀縱へいげきしゃなんじ大敗たいはいはし保高ほだかあきら,其舊へいざいしゃざいまんいえまたかしこ西にし突厥逼,とげそち眾來くだ。敕處其部落ぶらく於靈しゅうきたとめしゃしか於長やすなおすめらぎいもうと南陽なんようちょう公主こうしゅてんたむろへい於苑內。
みずのとうし,徙趙おうもとけいため荊王,魯王もとあきらためかんおうていおうもとれいためじょおうじょおうもとよしみためかんおう,荊王もとのりため彭王,滕王もと懿為ていおうおうもと軌為霍王,豳王もとおおとりため虢王,ひねおうもとけいためどうおうおうれい夔為つばめおうしょくおうつとむためくれおうこしおうやすしためおうつばめおうゆうためひとしおうはりおう愔為しょくおう,郯王惲為蔣王,かんおうさだためえつおうさるおうまことためおう
がつおつうし,以元けいため荊州とくげんあきらためはり州都しゅうととくもとれいためじょ州都しゅうととくげんよしみため潞州とくもとのり為遂しとげ州都しゅうととくれい夔為かそけ州都しゅうととくつとむため潭州とくやすし為相ためすけ州都しゅうととくゆうためひとし州都しゅうととく,愔為えき州都しゅうととく,惲為やす州都しゅうととくさだためあげ州都しゅうととくやすしこれかん,以金むらさきひかり祿ろく大夫たいふちょうあきらあるきとくごとうえ以泰こう文學ぶんがくれいせっ大夫たいふ特命とくめい於其別置べっち文學ぶんがくかん,聽自引召學士がくし
さんがつちょうとり,吐谷渾王だく曷缽遣使請頒れきぎょう年號ねんごう子弟していにゅうさむらいなみしたがえこれ丁未ていみ,以諾曷缽ためかわみなもとぐんおうがらす也拔つとむまめあせ
みずのとうし諸王しょおう籓,うえあずかこれべつ曰:「兄弟きょうだいじょうあによくつねきょうしょよこしまただし以天おもとくなんじ諸子しょしひさしふくゆう兄弟きょうだい不可ふかふく。」いん流涕りゅうてい嗚咽おえつ不能ふのうどめ
なつ六月ろくがつみずのえさる,以溫彥博ためみぎぼくしゃふとしつねきょう楊師どうためさむらいちゅう
さむらいちゅうちょう屢以やましもとめためかんうえとくやめ,以征ため特進とくしん,仍知門下もんかごとあさあきら國典こくてん參議さんぎ得失とくしつりゅう以上いじょうつみしょうごと聞奏;其祿たまもの、吏卒なみ同職どうしょくごとちょうまご皇后こうごうせい仁孝にんこう儉素けんそこう讀書どくしょつねあずかうわ從容しょうよう商略しょうりゃく古事ふるごといん而獻かえ裨益ひえきひろうえある以非ざい譴怒宮人みやびとまたいか,請自推鞫,いんいのちしゅうけい,俟上いかいきじょためさるゆかりみやつぼなかけい枉濫。あきら公主こうしゅ其母,おさむやしなえこれ慈愛じあい逾於所生しょせい嬪以ゆうやましこうおやなで,輟己くすりぜん以資宮中きゅうちゅうあい戴。くん諸子しょしつね以謙儉為さき太子たいし乳母うばとげやす夫人ふじん嘗白以東いとうみや器用きようしょう,請奏えきこうもと,曰:「ため太子たいし,患在とくだてめいあげなに患無器用きようよこしま!」
うえとくやまし累年るいねんいよいよこうさむらいたてまつ晝夜ちゅうや不離ふりがわつねけい毒藥どくやく於衣たい,曰:「わかゆういみなよしどくせい!」もとゆうやまし前年ぜんねんしたがえじょうこうきゅう成宮なるみやしば紹等ちゅうゆうつげへんうえ擐甲かくといじょう扶疾以從,左右さゆうどめこう曰:「うえすんでふるえおどろきわれなにこころやす!」ゆかりやましとげ甚。太子たいしげん於後曰:「醫藥いやく備盡而疾瘳,請奏赦罪じん及度じん入道にゅうどう,庶獲冥福めいふく。」曰:「死生しせいゆういのち智力ちりょくしょうつりわかためぜん有福ありふくのりわれ不為ふためあく;如其しか,妄求なんえき!赦者こく大事だいじ不可ふかすうみちしゃく異端いたんきょう,蠹國びょうみん皆上みなかみもとしょ不為ふため奈何いかん以吾一婦人使上為所不為乎?必行なんじごとわれ如速!」太子たいし敢奏,わたし以語ぼうげんよわいげんよわい白上しらかみうえあいよく為之ためゆき赦,かたとめ
及疾あつしあずかうわ訣。ときぼうげんよわい以譴だいげん於上曰:「げんよわいごと陛下へいかひさし小心しょうしんまきひそかはかりごと秘計ひけい嘗宣,苟無だいねがい勿棄わらわほんむね因緣いんねんかや莩,以致祿ろくすんでとく舉,えき致顛危,よく使子孫しそん保全ほぜんまき勿處これけんようただし以外いがい戚奉あさ請足矣。わらわせい無益むえき於人,不可ふか以死がいじんねがい勿以おか壟勞天下でんかただしよしやまためふん器用きようかわら而已。仍願陛下へいかおや君子くんしとお小人こどもおさめちゅう諫,へい讒慝,しょうさくやくとめゆう畋,わらわ雖沒於九泉きゅうせんまことしょ恨!兒女じじょやから必令らい其悲あいらんじん。」いんころも中毒ちゅうどくやく以示じょう曰:「わらわ於陛にちちかい以死したがえ輿こし不能ふのうとうりょみみ。」おのれくずし於立まさし殿どの
こう嘗采婦人ふじん得失とくしつごとためおんなそくさんじゅうかんまた嘗著論駁ろんばくかん明德めいとく不能ふのうそもそも退すさそとおや使つかいとうあさもり戒其しゃ流水りゅうすい如龍,ひらき其禍はいみなもと而防其末りゅう也。及崩,宮司ぐうじなみおんなそくそう上覽じょうらん悲慟,以示近臣きんしん曰:「皇后こうごう此書,そく以垂范ひゃくせいちん不知ふち天命てんめい而為無益むえき悲,ただしにゅうみやふく聞規諫之げんしつ一良かずよし不能ふのう忘懷みみ!」乃召ぼうげんよわい使つかいふく其位。
あきはちがつへいうえいい群臣ぐんしん曰:「ちんひらき直言ちょくげんみち,以利こく也,而比らいじょうふうごとしゃ訐人細事さいじ自今じこんふく有為ゆういしゃちんとう以讒じんざい。」
ふゆ十一月じゅういちがつ庚午こうごそう文德ふみのり皇后こうごう於昭りょう將軍しょうぐんだんこころざしげん宇文うぶん及分すべ眾出肅章もんみかどよる使つかいみやかんいたりにんしょ及開營內こころざしげん閉門へいもん不納ふのう,曰:「軍門ぐんもん不可ふかよるひらき。」使者ししゃ曰:「此有しゅ敕。」こころざしげん曰:「夜中よなか不辨ふべん真偽しんぎ。」竟留使者ししゃいたりあかりみかど聞而歎曰:「將軍しょうぐん也!」
みかどふくためぶんこくいししょう皇后こうごう節儉せっけん遺言ゆいごんうすそう,以為『盜賊とうぞくしんとめもとめ珍貨ちんかすんで珍貨ちんかふくなんしょもとめ。』ちん本志ほんしまたふく如此。王者おうじゃ以天ためなに必物ざいりょうちゅう,乃為おのれゆうこんいんきゅう嵕山ためりょう,鑿石こうざいひゃく餘人よにんすうじゅうにち而畢。ぞう金玉きんぎょく人馬じんばうつわさらみなよう土木どぼくかたち而已,庶幾しょき奸盜いきしんそんぼつるいとう使つかい百世子孫奉以為法。」
うえねんやめ,於苑ちゅうさくそうかん以望あきらりょう,嘗引ちょうどうとう使つかいせい熟視じゅくし曰:「しん昏眊,能見のみ。」じょう指示しじせい曰:「しん以為陛下へいかもちけんじりょうわかあきらりょうのりしんかたみる矣。」じょう泣,為之ためゆき毀觀。
十二月じゅうにがつつちのえとらしゅ俱波、あま棠遣使入貢にゅうこうしゅ俱波ざい蔥嶺きたふりしゅうさんせんはちひゃくさとあま棠在大海たいかいみなみうえ曰:「中國ちゅうごくすんでやすよんえびすふくしかちん不能ふのう懼,むかしはたはじめすめらぎえびすこしせい而亡,ただ諸公しょこうただし其不逮耳。」
たかしおうやすしゆうちょう於上,あるげん三品以上多輕魏王。うえいか,引さんひん以上いじょうさくしょくゆずる曰:「ずいぶんみかど,一品以下皆為諸王所頓躓,かれあに天子てんしよこしまちんただし諸子しょし縱橫じゅうおうみみ,聞さんひん以上いじょうみなけいわがわかたてあに不能ふのうおりはずかしめこうやから乎!」ぼうげんよわいとうみな惶懼流汗りゅうかんはいしゃちょうどくせいしょく曰:「しん竊計當今とうぎん群臣ぐんしんこころ敢輕王者おうじゃざいれいしん一也かずや。《春秋しゅんじゅう》:おうじん雖微,じょ於諸こううえ三品みしな以上いじょうみな公卿くぎょう陛下へいかしょみことれいわか紀綱きこうだい壞,かたところろんひじりあきらざいうえおう必無ひたすらはずかしめ群臣ぐんしんずいぶんみかどおご其諸使つかいくだり無禮ぶれいそつみなえびすほろびまたあしほう乎?」うええつ,曰:「いたこれとく不服ふふくちん以私あい忘公よしむこうしゃ忿,いいうたぐ,及聞せいごとほうとも理屈りくつひとぬし發言はつげんなんとく容易ようい乎!」
うえ曰:「法令ほうれい不可ふかすうへんすう變則へんそくはんかんちょう不能ふのうつきまた前後ぜんご差違さい,吏得以為奸。自今じこんへんほうみなむべしょうまき而行。」
しょさむらいけんまんじょうげん:「せんにょう二州銀大發采之,さいとくすうひゃくまん緡。」じょう曰:「ちんとうとため天子てんししょとぼししゃざい也,ただし恨無嘉言かげん以利みんみみあずか其多とくすうひゃくまん緡,なに如得いち賢才けんさいきょう嘗進いちけん退すさいち不肖ふしょう,而專げんぜいぎんむかし堯、しゅん抵璧於山,とうたま於谷,かん桓、れい乃聚ぜにため私藏しぞうきょうよく以桓、れい俟我よこしま!」。黜まん使つかいかえ
これさいさらいのちすべぐんため折衝せっしょうじょうべつはた為果しおおせあつしじょう。凡十どうおけろくひゃくさんじゅうよん,而關內ひゃくろくじゅういちみな隸諸まもる東宮とうぐうろくりつ。凡上府かみこうへいせんひゃくにん中府なかぶせんにん下府しもこうはちひゃくにんさんひゃく人為じんいだんだんゆうこうじょうじゅう人為じんいたいたい有正ありまさじゅう人為じんいゆうちょうまいひとへいかぶとかてそうかく有數ゆうすうみな備,輸之ゆうせいぎょうのりきゅうとしじゅうためへいろくじゅう而免。其能騎射きしゃしゃためえつ,其餘ため步兵ほへい每歲まいさい季冬きとう折衝せっしょうじょうそち其屬きょうせんとうきゅうしゃかん其直市之いちの。凡當宿衛しゅくえいしゃばんじょう兵部ひょうぶ以遠いえんきんきゅうばんとお疏、きんかずみないちがつ而更。

ふとしそう文武ふみたけ大聖たいせい大廣おおひろこう皇帝こうてい上之うえのさだかんじゅういちねんちょうとりおおやけもとろくさんななねん[编辑]

はる正月しょうがつ,徙鄶おうもとひろしため鄧王,譙王元名もとなため舒王。
からし,以吳おうつとむ為安ためやす州都しゅうととくすすむおうおさむため并州とくきのおうまことためしん州都しゅうととく將之まさゆきかんうえたまものしょ戒敕曰:「われほしのこなんじちん玩,おそれえき驕奢きょうしゃ如得此一言ひとことみみ。」
上作じょうさく山宮やまのみやかのえ特進とくしんちょうじょう疏,以為:「煬帝恃其富強ふきょうおそれ後患こうかんきゅうおごごくよく使つかい百姓ひゃくしょう困窮こんきゅう,以至人手ひとで社稷しゃしょくため墟。陛下へいかばちらんかえしただしむべおもえずい所以ゆえんしつわがこれ所以ゆえん,撤其たかし宇,やす於卑みやわかいんもと而增ひろかさねきゅう而加かざり,此則以亂えきみだれ,殃咎必至ひっしなんとくえきしつ不念ぶねん哉!
ぼうげんよわいとうさき受詔定律ていりつれい,以為:「舊法きゅうほう兄弟きょうだい,廕不しょう及,而謀はん連坐れんざみなまごゆう廕,而止おう配流はいるよりどころれいろんじょうふかため愜。こん定律ていりつまごあずか兄弟きょうだい緣坐えんざしゃ俱配やく。」したがえこれ死刑しけいじょ其太はん天下てんかたたえよりゆき焉。げんよわいとう定律ていりつひゃくじょうたてけいめいじゅうとうずいりつげんだい辟九じゅうじょうげん流入りゅうにゅう徙者ななじゅういちじょう,凡削はん蠹,へんおもためけいしゃ不可ふか勝紀かつのりまたじょうれいいちせんひゃくきゅうじゅうじょう武德ぶとく舊制きゅうせいしゃく奠於たいがく,以周こうためさききよし孔子こうしはいきょうげんよわいとう建議けんぎとままつりあまねおおやけ,以孔ためさききよしかおかいはいきょうまた武德ぶとく以來いらい敕格,定留さだのみななひゃくじょういたり頒行またていかせ、杻、鉗、くさりつえむちみなゆう長短ちょうたん廣狹こうきょうこれせい
ちょう蘊古法官ほうかん以出ざいため戒;ゆうしついれしゃまたざいうえ嘗問だいきょうりゅういさお曰:「近日きんじつけいもうややみつなに也?」たい曰:「此在主上しゅじょう不在ふざい群臣ぐんしんにんぬしこうひろしそくひろしこうきゅうのりきゅうりつぶんしついれげんさんとうしつげんとうこんしつにゅう無辜むこしつさら大罪だいざい以吏各自かくじまぬかれきおい就深ぶんゆうきょう使しかかしこざいみみ陛下へいか倘一だん以律,のり此風りつへん矣。」うええつしたがえこれよし斷獄だんごくたいらまこと
うえ以漢さく山陵さんりょうめん子孫しそんあお猝勞またこころざしざい儉葬,おそれ子孫しそんしたがえほしおご靡;がつちょうためおわりせいいんさんためりょうようかん而已。
甲子きのえねうえ行幸ぎょうこう洛陽らくようみや
うえいたるあきらじんみや官吏かんり以缺もうか偫,ゆう譴者。ちょう諫曰:「陛下へいか以儲偫譴官吏かんりしんおそれうけたまわふうしょうおうぎにちみん聊生,殆非行幸ぎょうこう本意ほんい也。むかし煬帝諷郡けんけんじしょく其豐儉以ため賞罰しょうばつうみ內叛。此陛しょおや奈何いかんよくこう乎!」じょうおどろき曰:「おおやけ聞此ごと。」いんいいちょうまごとう曰:「ちんむかし此,かいめし而食,僦舍而宿;こんきょうひたすら如此,あにとくなおいや不足ふそく乎!」
さんがつへいいぬついたちにちゆうしょくかのえうええん洛陽らくよう宮西みやにしあて,泛積みどり,顧謂侍臣じしん曰:「煬帝さく此宮えんゆい怨於みんこん悉為わがゆう正由まさよし宇文うぶんじゅつおそれもと、裴蘊內為諂諛、そと聰明そうめい也,戒哉!」
ぼうげんよわいちょうじょう所定しょていしんれいいちひゃくさんじゅうはちへん丙午ひのえうまみことのりぎょう。以禮尚書しょうしょおう珪為おうやすしうえいいたい曰:「なんじごと珪當如事。」やすし珪,輒先はい,珪亦以師どうきょけいちょくなお南平みなみだいら公主こうしゅさき公主こうしゅよめみな以婦れいごとしゅうとしゅうと,珪曰:「こん主上しゅじょう欽明,どう循禮ほうわれ公主こうしゅ謁見えっけんあにためさかえ所以ゆえんなり國家こっかみみ。」乃與其妻就席すわれい公主こうしゅ{□べん},ぎょうたらい饋之れい公主こうしゅはじめぎょうれい珪始。群臣ぐんしんふく請封ぜん上使じょうし秘書ひしょかんがおいにしえとう其禮,ぼうげんよわい裁定さいてい
なつよんがつおのれちょうじょう疏,以為:「ひとぬしぜんはじめしゃかつおわりしゃ寡,あにこれえき而守なん乎?ぶた以殷すなわち竭誠以盡安逸あんいつそくおごほしいまま而輕ぶつつきそくえびすえつ同心どうしんけいものそくろくおやはなれとく,雖震以威いかまたみな貌從而心不服ふふく也。ひとぬしまこと能見のみよくそくおもえ知足ちそくはたきょうつくろえそく思知おもいしとめしょだか危則おもえへりくだ,臨滿みつるそくおもえ挹損,ぐう逸樂いつらくそくおもえ撙節,ざいうたげ安則やすのりおもえ後患こうかんぼう壅蔽そくおもえ延納えんのうやまし讒邪そくおもえただしおのれぎょう爵賞そくおもえいん而僭,ほどこせけい罰則ばっそくおもえいんいか而濫,けんじゅうおもえ,而選けんにんのうかた無為むい而治,またなに必勞かみからだ以代百司之任哉!」

 まきいちひゃくきゅうじゅうさん かえしかいいただき まきいちひゃくきゅうじゅう

ほんきたそう作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经遠とおちょう过100ねん

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