どおりかん/まき232

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 まきひゃくさんじゅういち どおりかん
まきひゃくさんじゅう からよんじゅうはち
まきひゃくさんじゅうさん 

おこり旃蒙あか奮若はちがつつききょう圉單閼なながつ,凡ねん

どおりかん だい232かん

からよんじゅうはち】 おこり旃蒙あか奮若はちがつつききょう圉單閼なながつ,凡ねん

とくそう神武じんむせいぶん皇帝こうていなな貞元さだもと元年がんねんおつうしおおやけもとななはちねん

はちがつ甲子きのえねみことのり凡不きゅうこれ及人冗食しゃみなやめこれ

うまひうちいたりぎょう營,あずかしょしょうはかりごと曰:「長春ちょうしゅんみやしたのりふところこう不可ふかとく長春ちょうしゅんみや守備しゅび甚嚴,おさむ曠日持久じきゅうわが當身あてみ往諭。」とげみちづくり城下じょうかよびふところこう守將しゅしょうじょにわこうにわこうそち將士しょうしはいじょうじょうひうち其心こごめじょいい曰:「わが朝廷ちょうていらい西向にしむき受命じゅめい。」にわこうとうふく西向にしむきはいひうち曰:「なんじ曹自祿ろくやまやめらい,徇國立こくりつこうよんじゅうねんなにゆるがせためめつぞくけいしたがえわれごととめめん富貴ふうき也。」眾不たいひうち披襟曰:「なんじ不信ふしんわれごとなにわが!」將士しょうしみなふく泣。ひうち曰:「此皆ふところこう所為しょいなんじ曹無ざいだい堅守けんしゅ勿出。」みな曰:「だく。」

みずのえさるひうちあずか渾瑊、かんゆう瑰軍逼河ちゅういたりこげませ堡。守將しゅしょうじょう珪以ななひゃくにんくだゆうふところこう舉火,しょ營不おう。駱元こうざい長春ちょうしゅん宮下みやげ使つかいじん招徐にわこうにわこうもとけいもとひかりそつののしこれまたためゆうえびす於城じょう以侮,且曰:「わがくだかんしょうみみ!」もとひかり使しろひうちひうちかえいたり城下じょうかにわこう開門かいもんくだひうちすう入城にゅうじょう慰撫いぶ,其眾大呼たいこ曰:「吾輩わがはいふくためおうじん矣!」渾瑊いい僚佐曰:「はじめわれいい公用こうようへいわれどお也,こん乃知われ逮多矣!」みことのり以庭こうためし殿中でんちゅうかんけん大夫たいふ

きのえいぬひうちそちしょぐんいたり河西かさい河中かわなかぐんそうおどろき曰:「西城さいじょう擐甲矣!」また曰:「東城とうじょう娖隊矣!」須臾しゅゆぐんちゅうみなえき其號ため太平たいへいふところこう不知ふち所為しょい,乃縊而死。はつふところこうかい奉天ほうてんかこえ也,うえ以其璀為かん察御ちょうまち甚厚。及懷こうたむろ咸陽すすむ,璀密げん於上曰:「しんちち必負陛下へいかねがいはやため備。しん聞君、ちち一也かずやただし今日きょういきおい陛下へいかのう誅臣ちち,而臣ちちあし以危陛下へいか陛下へいかまちしんあつしんえびすじんせいじきにん不言ふげんみみ。」じょうおどろき曰:「きょう大臣だいじん愛子あいこ當為とういちん委曲いきょく彌縫びほう,而密奏みっそう!」たい曰:「しんちちあいしんしんあい其父あずか宗族そうぞく也;顧臣りょく竭,不能ふのうかいみみ。」じょう曰:「しかのりきょう以何さくめん?」たい曰:「しん進言しんげん苟求せいしんちちはいのりしんあずかこれ俱死矣,ふくゆうなんさく哉!使臣ししんうりちちもとめせい陛下へいかまた安用やすもち!」じょう曰:「きょう勿死,ためちんさらいたり咸陽さとしきょうちち使つかい君臣くんしん父子ふし俱全,またぜん乎!」璀至咸陽而還,曰:「無益むえき也,ねがい陛下へいか備之,勿信じんげんしんこん往,說諭せつゆまんぽうしんちちごと:『なんじしょうなん主上しゅじょうしんじわれむさぼたからたか也,ちょくかしこみみなんじあにおちいわれにゅう死地しちよこしま!』」及李泌赴陝,うえいい曰:「ちん所以ゆえん再三さいさんほしぜんふところこうしゃまこと惜璀也。きょういたりためしためちん招之。」たい曰:「陛下へいか未幸みゆきはりようふところこうなおくだ也。こんのりしかあにゆう人臣じんしんはさま逐其くん,而可ふくりつ於其あさ乎!たてかれがおあつ慚,陛下へいかごとあさなにこころこれしんとくにゅう陝,使つかいふところこう請降,しん敢受,きょう招之乎!璀固賢者けんじゃ,必與ちち俱死矣,わか其不のりまたあし也。」及懷こう,璀先其二そのじおとうと,乃自殺じさつついたちかたはたうしめいしゅんだんふところこうしゅ河中かわなかへいなおまんろくせんにんひうち其將閻晏とうななにんみな不問ふもんひうちぎょういたり河中かわなかたいら,凡じゅうななにちひうちだか郢、鄘於ごくみなそうおけ幕下まくした

かんゆう瑰之おさむふところ光也みつや,楊懷まろうどせん甚力,うえいのちとくげん其子あさあきらゆうたまきとげ以朝あきらためおそれこう

上使じょうしといりくにえ:「河中かわなかすんでひらめふくゆう何事なにごとしょむべ區處くしょ?」れい悉條そうにえ以河ちゅうすんでひらめおもんばか必有まれむねせいごとこれにん,以為王師おうししょこう無敵むてき,請乘しょう討淮西にししゃのぞみれつ必誘さとし其所及新しょそち曰:「そうてんいきへいむね,乃因窘急而言,朝廷ちょうていやややす,必復誅伐ちゅうばつ。」如此,のり四方負罪者孰不自疑,かわついたちあおひとしかたとうひびきおうへいれんゆい賦役ふえきしげるきょうけんちゅうぎょうはたふくおこり。乃上奏じょうそう,其略曰:』ぶく不可ふか以屢徼,こう不可ふか以常覬。」また曰:「しんしゅうと以生ためゆう,而未敢以ぶくため。」また曰:「陛下へいかふところ悔過ふかまことくだ非常ひじょうだいごう所在しょざい宣揚せんようさい,聞者莫不涕流。かりおう叛換おっとそぎにせごう以請ざいかん釁首ねずみつぎ,一純誠以效勤。」また曰:「曩討而愈叛,こんしゃく而畢らい。曩以ひゃく萬之師而力殫,こん以咫じゃくみことのり而化あまね是則これのり聖王せいおうじきどうふく暴人,にんとく而不にんへいあきら矣;ぐんそちもとしんれいこばめ天誅てんちゅうかつ而不おうまたあきら矣。是則これのり好生よしお以及ぶつしゃ,乃自生じせいこれかたほどこせやす以及ぶつしゃ,乃自安之やすゆきじゅつ。擠彼於死而求此之久生ひさお也,措彼於危而求此之久安ひさやす也,したがえ及今,これゆう焉。」また曰:「一夫かずおりつ,闔境かか殃;いちさかいやすし普天ふてん致擾。」また曰:「おくちょう污人,よんさん叛帥,かん陛下へいかしんむねえつ陛下へいか盛德せいとくげんかわめんえきやめ,且修しんれい,其於ふかげん密議みつぎかたまたつきひろししか,必當聚心而謀,かたぶけみみ而聽,かん陛下へいか所行しょぎょうことこう陛下へいかしょちかいげんわかげんあずかことのり遷善こころややかた;儻事あずかげんのりおもんばかわざわいたい復興ふっこう。」またしゅ泚滅而懷こう戮,ふところこう戮而まれれつせいまれれつ儻平,わざわいしょう及,のりかれ蓄素うたぐ而懷宿やどまけしゃのう不為ふためどうこころ哉!」また曰:「こんすめらぎうん中興ちゅうこうてんはた悔,以逆泚之偷居うえこく,以懷こう竊保ちゅう畿,さいさいしゅうそうふくろう殄,じつ眾慝おどろきこころこれにち群生ぐんせいあらためかんときそくやめくだりめぐみなおひろしまことむべうえふくてん眷,したおさむ物情ぶつじょうぬの恤人めぐみ以濟じょうめつぞく以行めぐみ。」また曰:「しんしょ敢保其必したがえただまれれつ一人ひとり而已。揆其私心ししんねがいしたがえ也;そう其潛おもんばかつい悔也。ただし以猖きょうしつけいやめ竊大ごう,雖荷陛下へいかぜんなだめおんしか不能ふのうめん於天あいだみみたてじゅんいのち,斯為どくおっと,內則以起へいそとそく無類むるい以求すけ,其計あつしなできょく,偷容としこころ雖陸はりいきおい必不致。陛下へいかただし敕諸鎮各もりふう疆,かれすんでだつさんきゅう乃狴ろうるい有人ゆうじんのりとうおに誅。いにしえ不戰ふせん而屈じんへいしゃ,斯之いい歟!

ちょうしげるみことのり以「ふところこう有功ゆうこうなだめいちなん使つかいぞく其後,たまものたくかえり其首及屍使そうひうちけんさむらいちゅう,渾瑊檢校けんぎょうそらあまり將卒しょうそつしょう賚各ゆう諸道しょどうあずか淮西連接れんせつしゃむべかくもりふう疆,かれおかせ軼,須進討。のぞみれつわかくだとうまち以不自餘じよ將士しょうし百姓ひゃくしょういちしょとい。」

はつあきら嘗將かみさくぐん戍成,及還,以營だかひろしずい西川にしかわ節度せつど使ちょうのべしょういかつい而還ゆかりゆうすきいたりりゅうしたがえいちゆうやましうえ召延しょう入相いりあいあきらおもてひね其過あくうえしげるたがえ其意,以延しょうためひだりぼくしゃ

駱元こうはたころせじょにわこうはかりごと於韓ゆう瑰曰:「にわこうはずかしめわれかんがえわれよくころせこれうまこう必怒,おおやけのうすくい其死乎!」ゆう瑰曰:「だく。」みずのえうまぐうにわこう於軍もんそと,揖而すう其罪,いのち左右さゆう碎斬にゅうひうち頓首とんしゅ請罪,ひうちだいいか曰:「にわこうやめ,受朝廷ちょうてい官爵かんしゃくおおやけつげ輒殺統帥とうすい也」ほしこれゆう瑰曰:「もとひかりころせ裨將,おおやけなおいか如此。おおやけころせ節度せつど使天子てんし其謂なに!」ひうち默然もくぜん。渾瑊また為之ためゆき請,乃捨

渾瑊鎮河ちゅうつきふところこう眾,さくかたぐんぶんきょ邠、かば矣。

りゅう節度せつど使りゅう怦疾びょうきゅうがつおのれみことのり以其行軍こうぐん司馬しばわたるけん節度せつどごと。怦尋薨。

おのれ中書ちゅうしょさむらいろうどうたいらあきらごとりゅうしたがえ一罷為戶部尚書;庚申こうしん,薨。

ふゆじゅうがつうえまつ圜丘,赦天

十二月じゅうにがつきのえいぬ戶部とべそうこんとし入貢にゅうこうしゃ凡百ぼんぴゃくじゅうしゅう

于闐おう曜上ごと:「あにかつゆずるこく於臣,こん請復りつ勝子かつこするど。」じょう以銳檢校けんぎょうこう祿ろくきょうかえ其國。かち固辭こじ曰:「曜久ぎょう國事こくじ國人くにびと悅服えっぷくするど生長せいちょうきょうはな習其ぞく不可ふか往。」うえ嘉之よしゆき,以銳ため韶王咨議。

とくそう神武じんむせいぶん皇帝こうていなな貞元さだもとねんへいとらおおやけもとななはちろくねん

はる正月しょうがつみずのえとら,以吏さむらいろうりゅうしげるためひだりつねさむらいあずかきゅうごとちゅうちぇづくり中書ちゅうしょ舍人とねりひとしうつなみどうたいらあきらごとしげるげんまご也。みやつこしょうきょじょうもとあずかかんかい東美とうびちょう正則まさのりためとも,以王もと時人じじんいいよん夔」。うえ以造ざい朝廷ちょうてい敢言,つぎようしげるうつゆずるごと於造。みやつこひさ在江あるえがいやましせんこくしょ使つかい罔上へいそうやめ水陸すいりくうん使ささえめぐいんこう、淮轉うん使とう諸道しょどう租賦悉委觀察かんさつ使刺史ししかんおくまい京師けいしれい宰相さいしょうぶんばん尚書しょうしょろく曹:ひとしうつはん兵部ひょうぶつとむばん刑部おさかべりゅうしげるばん吏部、れいみやつこばん戶部とべこうまた以戶さむらいろうもと琇判諸道しょどうしおてつ、榷酒,吉中よしなかまことばんささえりょうぜい

のぞみれつはたもりぶんあさ寇襄しゅうがつみずのと山南さんなん東道とうどう節度せつど使樊澤げきとりこ

ちぇみやつこあずかもと琇善,使つかいばんしおてつかんひろしそうろんしおてつ過失かしつかぶといぬ,以琇ため尚書しょうしょみぎすすむ。陝州水陸すいりくうん使泌奏:「しゅういたりさんもん,鑿山ひらき車道しゃどうじゅうはち,以避そこばしらけん。」これがつ道成みちなり

さんがつのぞみれつべつはた寇鄭しゅう義成よしなり節度せつど使きよし擊破げきはまれれつへいぜい蹙,かいゆうやましなつよんがつへいとら大將たいしょうちんせん使ひねやまはじめ毒殺どくさつよし以兵悉誅其兄弟きょうだい妻子さいし,舉眾かぶとさる,以仙ため淮西節度せつど使

せき中倉なかくら廩竭,きんぐんあるだつはばよび於道曰:「かかわわれ於軍而不きゅうかてわれ罪人ざいにん也!」うえゆう甚,かいかんひろしうんまいさんまん斛至陝,泌即そううえ,遽至東宮とうぐういい太子たいし曰:「こめやめいたり陝,われ父子ふしとくせい矣!」禁中きんちゅう釀,いのち於坊さけためらくまたちゅう使つかいさとしかみさくろくぐんぐんみなよびまんさいどきとし饑饉ききんへいみんりつみな瘦黑,いたりむぎはじめじゅく市有しゆうよいじん當時とうじ以為よしみみずひと飽食ほうしょく死者ししゃふくいちすうがつゆうはだしょく乃復ゆえ

以橫海軍かいぐん使ほどにちはなため節度せつど使

あきなながつ,淮西兵馬へいば使しょうまこところせちんせんためとめしょうまこともとずるけわしためのぞみれつしょちょうにんためむくいかたきおのれとり,以虔おうりょうためさるひかりしたがえ、蔡節度せつど大使たいし,以少まことためとめ。以隴みぎぎょう節度せつど使きょくたまきためひねもと節度せつど使ひねもとあららんこれあまり戶口とぐちりゅうきょくたまき勤儉きんけんりつ政令せいれいひろし簡,賦役ふえき平均へいきんすうねんあいだ流亡りゅうぼう復業ふくぎょうへいしょくみなあし

はちがつみずのと義成よしなり節度せつど使きよし薨,其子かつやすしはかりごとそう軍務ぐんむ不發ふはつ

へいいぬ,吐蕃なおゆいさんだい舉寇涇、隴、邠、やすしかすめ人畜じんちく,芟禾稼,西にしひな騷然そうぜんしゅうけんかくしろもりみことのり渾將まんにん,駱元こうはた八千人屯咸陽以備之。

はつじょうあずかつねさむらい泌議ふくへい,泌因ためうえれき敘府へい西にし以來いらい興廢こうはいゆかり,且言:「へい平日へいじつみな安居あんきょでんうねまいゆう折衝せっしょうりょう折衝せっしょう以農すき教習きょうしゅうせんひね國家こっか有事ゆうじせいはつのり以符ちぎり其州及府,まいりけんはついたり所期しょきしょ將帥しょうすい按閱,ゆう教習きょうしゅう不精ぶしょうしゃつみ折衝せっしょう,甚者ざい及刺ぐんかえのりたまものくんしょう便びんどうやめこれ行者ぎょうじゃちか逾時,とおけいとしこうはじめ以劉じん軌為洮河鎮守ちんじゅ使以圖吐蕃,於是はじめ有久ありひさ戍之やく以來いらいうけたまわ平日へいじつひさしへいひた墮,ためじんしょ賤,百姓ひゃくしょうはじいたりふけのし手足てあし以避其役。またうし仙客せんかく以積ざいとく宰相さいしょうへんはたこう山東さんとう戍卒つぎ繒帛ずいへんはたさそえよせ於府ひるのりわかやくよる縶地ろう其死而沒入ぼつにゅう其財。天寶てんぽう以後いご山東さんとう戍卒かえしゃ什無さん,其殘虐ざんぎゃく如此。しか嘗有がい叛內侮,ころせそち擅者,まこと以顧こい田園でんえんおそれるい宗族そうぞく也。ひらけ元之もとゆきまつちょうせつはじめつのちょう徵兵ちょうへいいいゆみひろ,其後えきためろくぐん。及李はやしはじめ為相ためすけそうしょぐんみなつの人為じんいへいちょまた宗族そうぞく自重じちょう惜,忘身徇利,わざわいらんとげせいいたりこんため梗。曏使へいほうつねそんはいあんゆう如此りょうじょうがえ患哉!陛下へいかおもえふくへい,此乃社稷しゃしょくぶく太平たいへいゆう矣。」じょう曰:「俟平河中かわなかとうあずかきょう。」きゅうがつちょうみことのりじゅう六衛各置上將軍,以寵功臣こうしんあらためかみさくひだりみぎひさしためひだりみぎかみさくぐん殿しんがりまえなまひだりみぎひさしため殿どのぜんひだりみぎしゃせいぐんかくおけ大將軍だいしょうぐんにん將軍しょうぐんにん

かのえとらかつやすし始發しはつちちきよしころせ行軍こうぐん司馬しばうま鉉,ぼく縗出ごと增兵ぞうへい城門じょうもんりゅうげん出師すいしたむろ境上さかいかみ以制,且使告諭こくゆきりいたりかつやすし乃不敢襲ちょうとり以東いとう留守るす賈耽ため義成よしなり節度せつど使,。かつやすし悉取ざいよるぐんしたがえ而剽あかり殆盡。淄青へいすう千自行營歸,なめらしゅうはたみな曰:「おさむ雖外たてまつ朝命ちょうめい,內畜兼併けんぺいこころざし,請館其兵於城がい。」賈耽曰:「奈何いかんあずかひと鄰道而野しょ其將乎!」いのちかん於城ちゅうふけときひゃくりょう於納さかいおさめ聞之,大喜だいぎふく其度りょう敢犯也。

吐蕃ゆう及好畤。おつきょうじょう戒嚴かいげんふくひだり金吾きんご將軍しょうぐんはりけんじはじめたむろ咸陽。民間みんかん傳言でんごんふくほっこう以避吐蕃,ひとし映見えみじょうげん曰:「外間ほかまみなげん陛下へいかやめそう糗糧,人情にんじょうこころ兇懼。おっと大福だいふくさい陛下へいか奈何いかんあずかしんとうじゅくけいこれ!」いんふく流涕りゅうていうえまた為之ためゆきどうよう

あきら其將おう佖將驍勇さんせんふく於汧じょう,戒之曰:「とりこ城下じょうか,勿擊其首;くび雖敗,かれぜんぐん而至,なんじどるのうとう也。わか俟前ぐんやめぽうはたとらひょうころも,乃其ちゅうぐん也,不意ふいげき,必大捷たいしょう。」佖用其言,なおゆいさん敗走はいそうぐん識尚ゆいさん,僅而めんなおゆいさんいい其徒曰:「とうはたあきらうまひうち、渾瑊而已,とう以計これ。」にゅうおおとりしょうさかい內,しょ俘掠,以兵萬直抵城下曰:「れいおおやけ召我らいなに不出ふしゅつ犒我!」けい宿やど,乃引退いんたいふゆじゅうがつみずのとあきらしげる落使りょう輔與おう佖將五千襲吐蕃摧砂堡。みずのえさるぐう吐蕃眾まんあずかたたかえやぶこれじょうかち逐北,いたり堡下,おさむ拔之,其將扈屈りつ悉蒙,焚其蓄積ちくせき而還。なおゆいさん引兵やすしけいきたみずのととりぐん於合すいきた。邠寧節度せつど使かんゆう瑰遣其將くつほど夜襲やしゅう其營,ころせすうひゃくにん。吐蕃おいゆう瑰陳於平がわせん使じん於西やまとりこおどろき,棄所かすめ而去。

十一月じゅういちがつきのえうまたてよしおうため皇后こうごう

乙未おとみかんひろし入朝にゅうちょうちょうとり皇后こうごうくずし

からしうし,吐蕃寇鹽しゅういい刺史ししもり彥光曰:「わが欲得よくとくじょう,聽爾りつじん。」彥光悉眾奔鄜しゅう,吐蕃にゅうよりどころ

りゅうげんざい汴,習鄰どう故事こじひさし入朝にゅうちょうかんひろし汴,げんじゅう其才もち,以屬吏禮謁之。ひろししょうやくため兄弟きょうだい,請拜げんはは。其母おけ酒見さかみさけはんひろし曰:「おとうとなん入朝にゅうちょう?」げん曰:「ひさよく入朝にゅうちょうただしちから辦耳。」ひろし曰:「ひろしりょく及,おとうとよろし入朝にゅうちょうたけははたれしろ不可ふか使さらそちしょ婦女ふじょ往填みや也!」はは悲泣かちひろし乃遺げんぜにじゅうまん緡,備行裝こうそうひろしとめだいはりさんにちだい出金しゅっきん帛賞ろう一軍いちぐんためかたぶけどうげんおどろきふくすんで而遣じんみつ聽之,ひろしといあな吏,「今日きょうしょ幾何きか?」詰責きっせき甚細。げんわらい曰:「われ知之ともゆき矣!」みずのえとらげんあずかひねもと節度せつど使きょくたまき入朝にゅうちょう

ちぇみやつこあらためぜにこくほうことしゅうしょ使つかいしょくぎょうやめひさし中外ちゅうがい安之やすゆきもと琇既失職しっしょくみやつこゆう懼成やましごとすんで而江、淮運まいだいいたりうえよしみかんひろしこう十二月じゅうにがつちょう,以滉けんささえ諸道しょどうしおてつてんうんとう使みやつこしょじょうそうみなあらため

吐蕃また寇夏しゅうまたれい刺史ししたくばついぬいあきらそち眾去,とげよりどころ其城。また寇銀しゅうしゅうもとしろ,吏民みなつぶせ。吐蕃また棄之,またおちい麟州。

かんひろし屢短もと琇於じょう庚申こうしんちぇづくりやめためみぎ庶子しょし,琇貶いかつちしゅうつかさ。以吏さむらいろうはんひろしため戶部とべさむらいろうささえ副使ふくし

かんゆう奏請そうせいはつへいおさむしおしゅう,吐蕃すくいのり使河東かとうかさね其背。へいとらみことのり駱元こう及陳もと兵馬へいば使かんちょんよしはたまんせんにんかい邠寧ぐんおもむきしおしゅうまた使つかいひうち以河ひがしぐんげき吐蕃。ひうちいたりみぎしゅう河曲かまがりろくえびすしゅうみなくだ,遷於くもついたちあいだ

こうさむらいろうちょう彧,あきら婿むこ也。あきらざいおおとりしょう,以女よめ慕客ちぇくるるれいじゅうくるる於彧。彧怒,とげ於張のべしょうきゅうごとちゅうていくも逵嘗ためあきら行軍こうぐん司馬しばしつあきらまたのべしょううえまたあきら功名こうみょうかい吐蕃ゆう離間りかんげんのべしょうとうあがそし於朝,しょいたりあきら聞之,ひる夜泣よなきもく為之ためゆきしゅ,悉遣子弟していまい長安ながやすおもて請削かみためそううえ慰諭,もとからし,於朝,見上みかみひねあしやましこんやめかた鎮,うえもとかんひろしもとあずかあきらぜんうえいのちひろしあずかりゅうげん諭旨ゆし於晟,使つかいあずかのべしょうしゃく怨。あきらたてまつみことのりひろしとう引延しょうまいあきらだいしゃゆいため兄弟きょうだいいんえんいんつき歡。またうたげ於滉、げんだいまた如之。ひろしいん使あきらおもてこものべしょう為相ためすけ

とくそう神武じんむせいぶん皇帝こうていなな貞元さだもとさんねんちょうしげるおおやけもとななはちななねん

はる正月しょうがつみずのえとら,以左ぼくしゃちょうのべしょうどうたいらあきらごとあきらため其子請婚於延しょうのべしょうもとあきらいいじん曰:「武夫たけおせいかいしゃく也於はいしゅあいだのりふく貯胸ちゅう矣。如文なんはんそと和解わかい,內蓄憾如われとく懼哉!」

はつのぞみれつよりどころ淮西,せん騎兵きへいゆうせいしゃためひだり右門うもんやりたてまつくによんしょう步兵ほへいゆうせいしゃためひだりみぎかつひらじゅうしょう。淮西しょううま精兵せいびょうみなじょう騾,いい騾軍。ちんせん舉淮西にしくだざいすうがつみことのりはつ其兵於京西にしぼうあきせんみやことも兵馬へいば使うら悉將淮西精兵せいびょうせんにん以行。かいせんためしょうまことしょころせしょうまことみつひと召門やり兵馬へいば使くれほうちょうとう使つかい引兵うらこれほうちょうとう引步四千自鄜州叛歸,渾瑊使其將しろしゃば勒追はん為所しどころはい丙午ひのえうまうえきゅうちゅう使つかい敕陝虢觀察かんさつ使泌發へい防遏ぼうあつ,勿令ずみかわ。泌遣押牙からえいがん將兵しょうへいおもむき靈寶れいほう,淮西へいやめひね於河みなみ矣。泌乃いのち靈寶れいほうきゅう其食,淮西へいまた敢剽かすめ明日あした宿やど陝西せんせいななさと。泌不きゅう其食,はたしょうせんよんひゃくにんぶんためたいふく於太原倉はらくら隘道,れい曰:「ぞくじゅうたいひがしふくそく大呼たいこげき西にしふくまただい呼應こおう,勿遮どう,勿留ぎょうつねゆずる以半どうずい而擊。」またおそれこうしゅう近村ちかむら少年しょうねんかくゆみかたな瓦石がせき躡賊,聞呼またおう而追またからえいがんはたせんひゃくにんよるみなみもんちん於澗きた明日あしたよん,淮西へい起行きぎょうにゅう隘,りょうふくはつぞく眾驚みだれ,且戰且走,死者ししゃよんいちすすむぐうからえいがん,邀而げきぞく大敗たいはいとりこ其騾ぐん兵馬へいば使ちょうたかしけんじ。泌以ぞく必分へい山路やまじみなみ遁,またみやこすすむつばめすわえ將兵しょうへい四百自炭竇谷趣長水。ぞくにちしょく,屢戰みなはいえいがんついいたりえいやすしひがしぞくみなつぶせ入山にゅうざんだにくれほうちょうはてそち其眾ふとはんおもむきちょうすいつばめすわえげきほうちょうころせ其士そつさんふんうえ以陝へいしょうはつかみさくぐんせん往助泌,いたり赤水あかみず,聞賊やめやぶ而還。うえいのちりゅうげんじょうえき汴,以詔しょえんどうさそえこれとくひゃくさんじゅう餘人よにんいたり汴州,つきころせこれ。其潰へいざいみちふくため村民そんみんしょころせとくいたり蔡者,さいよんじゅうななにんしょうまこと以其しょう,悉斬以聞。且遣使以幣しゃ泌,ため其破叛卒也。泌執ちょうたかしけんじとうろくじゅう餘人よにんおく京師けいしみことのり悉腰於鄜しゅう軍門ぐんもん,以令ぼうあき眾。

はつ雲南うんなんおうごうおおとりおちい巂州,西にし瀘令ていかいかい相州あいしゅうじんつうけいじゅつごうおおとり愛重あいちょう。其子おおとり迦異及孫牟尋、曾孫そうそんひろゆめみなとみな師事しじまい授學,かいとく撻之。及異牟尋ためおう,以回ためきよたいらかんきよしひらかんしゃ,蠻相也,凡有ろくにん,而國事こくじ專決せんけつ於回。五人者事回甚卑謹,ゆうのりかい撻之。雲南うんなんゆう眾數じゅうまん,吐蕃ごと入寇にゅうこうつね以雲みなみためぜんほこさき斂重すうまただつ險要けんようりつじょう堡,さい徵兵ちょうへいじょぼう雲南うんなんかいいんせつ牟尋ふく於唐,曰:「中國ちゅうごくなおれいよしゆう惠澤けいたく賦役ふえき。」牟尋以為しか,而無致,凡じゅうねん。及西川にしかわ節度せつど使韋皋いたり鎮,招撫境上さかいかみぐん蠻,牟尋せんひといんしょ蠻求內附。皋奏:「こん吐蕃棄好,暴亂しおなつむべよし雲南うんなん及八國生羌有歸化之心招納之,以離吐蕃とうふん其勢。」じょういのち皋先さくあたりしょうしょ以諭ほろかん其趣。

ちょうのべ賞與しょうよひとしうつゆうすきうつざい諸相しょそうちゅう頗稱敢言,うえひたえつのべしょうげんうつ宰相さいしょうみずのえうつ貶夔しゅう刺史ししりゅうしげるためひだりつねさむらい,以兵さむらいろうやなぎ渾同たいらあきらごとかんひろしせい苛暴,ぽうため上所かみところにんげんしたがえしょうたかし而已,百官群吏救過不贍。渾另ためひろししょ引薦,せいいろゆずる曰:「さきしょうおおやけ以褊察為しょう不滿ふまんとし而罷,こんおおやけまた甚焉。奈何いかん榜吏於省ちゅういたりゆう死者ししゃ!且作ぶくさくあに人臣じんしんしょむべ!」ひろし愧,為之ためゆきしょう威嚴いげん

がつみずのえいぬ,以檢こうひだり庶子しょしちぇ浣充にゅう吐蕃使

つちのえとら,鎮海節度せつど使どうたいらあきらごと充江みつえ、淮轉うん使かんひろし薨。ひろしひさしざい浙,しょ辟僚かくずい其長,とくじん。嘗有故人こじん謁之,こう其能,いち所長しょちょうひろしあずかこれえん,竟席,左右さゆう及與なみすわ交言。こう數日すうじつしょためずいぐん使つかいかんもん。其人終日しゅうじつ危坐,吏卒敢妄出入でいりしゃ

ぶん浙江せっこうひがし西道さいどう為三ためぞう:浙西,おさむうるうしゅう;浙東,おさむこししゅうせん、歙、いけせんしゅうかくおけ觀察かんさつ使以領うえ以果しゅう刺史しししろこころざしさだため浙西觀察かんさつ使やなぎ渾曰:「こころざしさだ,憸人,不可ふかふくよう。」かい渾疾,ごとからしみことのりよう。渾疾あいだとげ乞骸こつもと

きのえさるそう昭德あきのり皇后こうごう於靖りょう

さんがつちょうとり,以左庶子しょし銛充にゅう吐蕃使

はつ,吐蕃なおゆいたたえしおなつしゅうかくとめせん餘人よにん戍之,退すさたむろすなふゆにゅうはるひつじかてうんつぎまたあきらかつ摧沙,うまひうち、渾瑊とうかく舉兵臨之,だい懼,屢遣使もとめうえこれもと。乃遣使卑辭あつれいもとめ於馬ひうち,且請おさむ清水しみずめい而歸おかせ使者ししゃしょうつぎ於路。ひうちしん其言,とめたむろせきしゅうふくずみかわ為之ためゆき請於あさあきら曰:「えびす狄無しんじ如擊。」かんゆう瑰曰:「吐蕃じゃくそくもとめめいつよのり入寇にゅうこうこん深入ふかいりふさが內而もとめめい,此必いつわり也!」かんひろし曰:「こんりょうかわおそれわか城原きばる、鄯、洮、渭よんしゅう使つかいあきらりゅうげんしょうじゅうまん眾戍かわ、湟十餘州可復也。其資かてこれしん請主辦。」うえゆかり聽燧けいおもむき使しんへいひうち請與吐蕃使ろん頰熱俱入朝にゅうちょうろんかいひろし薨,ひうちのべしょうみなあずかあきらゆうすきよくはん其謀,そうげん和親わしん便びんうえまた恨回紇,ほしあずか吐蕃きょうげきとくにんげんせいかいおのれけいとげじょうのべしょうすうことあきらむべ久典ひさのりへい,請以ていくも逵代。」じょう曰:「とうれいだいしゃ。」乃謂あきら曰:「ちん百姓ひゃくしょうあずか吐蕃和親わしんけつ矣。大臣だいじんすんであずか吐蕃ゆう怨,不可ふかふくおおとりしょうむべとめ朝廷ちょうてい朝夕ちょうせき輔朕,擇一たくいつじんだいおおとりしょうしゃあきらこもおそれこう邢君きばくんきばらく壽人ひさと也。丙午ひのえうま,以君きばためおおとりしょういんだんねり使丁未ていみあきらふとしじょう中書ちゅうしょれいくんふう如故;あまり悉罷あきらざいおおとりしょう,嘗謂僚佐曰:「ちょうこうちょく諫,あまり竊慕。」行軍こうぐん司馬しば叔度曰:「此乃儒者じゅしゃ所為しょいくんとくしょむべ。」あきら斂容曰:「司馬しば失言しつげんあきらにんけんしょうしょう朝廷ちょうてい得失とくしつ不言ふげんなに以為しん!」叔度慚而退。及在朝廷ちょうていうえゆうしょ顧問こもん極言きょくげんかくれせい沉密,嘗洩於人。

からしうまひうち入朝にゅうちょうひうちすんでらいしょぐんみな閉壁不戰ふせんなおゆいさん遽自すな引歸,其眾とぼしうま行者ぎょうじゃちぇ浣見なおゆいさんせめ以負やくなおゆいさん曰:「吐蕃やぶしゅ泚,しょう以來いらい,而諸しゅうかくしろもりゆかりたちしおなつまもるしゃ以城授我而遁,非我ひがこれ也。こんあかりこうらいよく踐修きゅうこのみかた吐蕃ねがい也。こん吐蕃しょうしょう以下いか來者らいしゃじゅういちにん,渾侍ちゅう嘗與きょうこと忠信ちゅうしんれいしゅう節度せつど使もりまれぜん、涇原節度せつど使かんみなしんあつ聞於異域いいき,請使しゅめい。」

なつよんがつへいとら,浣至長安ながやすからし,以浣ためおおとり臚卿,ふく使にゅう吐蕃なおゆいさん曰:「まれぜんもりれい不可ふかさかいかんやめあらためかんいま渾瑊めい清水しみず。」且令さきしおなつしゅう五月ごがつきのえさる,渾自咸陽入朝にゅうちょう,以為清水しみずかいめい使戊子ぼし,以兵尚書しょうしょちぇかん衡為副使ふくしつかさふういん外郎ういろうてい叔矩ため判官ほうがん特進とくしんそうたてまつあさためかんおのれうし,瑊將まん餘人よにん赴盟しょおつなおゆいさん其屬ろん泣贊らいげん:「清水しみず吉地よしじ,請盟於原しゅうなしじゅすんでめい而歸しおなつしゅう。」じょうみなもとかみさくはたうまゆう麟奏:「なしじゅ阻險,おそれ吐蕃しつらえ伏兵ふくへい如平りょうがわひろしえびす。」時論じろん泣贊やめかえ丁未ていみ使つかいついつげ

さる蔡留しょうまことつくろえへいかんじょうよくこばめ朝命ちょうめい判官ほうがんていつね大將たいしょう楊冀はかりごと逐之,いつわりためしゅみことのりたまものしょしょうさるしゅう刺史ししちょうはくもととうことしょうまこところせつね、冀、はくもと大將たいしょうそうみん、曹濟奔長やす

閏月じゅんげつおのれ,韋皋ふくあずかひがし蠻和おう苴那しょ使つかい詗伺しるべたち雲南うんなん

庚申こうしんだいしょうしゅうけん官員かんいんおさむ其祿以給戰士せんしちょうのべしょうはかりごと也。ときしんじょかんせんひゃくにん,而當げんしゃせん餘人よにん怨嗟えんさみつる

はつかんひろしこもりゅうげん使將兵しょうへいふくかわ、湟,うえ以問げんげんまた贊成さんせいひろし薨,げんそうごと:「吐蕃かたきょうあずかそう。」じょうちゅう使つかいろうといげんげん受命じゅめいちょうのべしょうげん不可ふかようそう以河、湟事だきしんだきしんまた固辭こじみなよしのべしょうやめあきらへい武臣ぶしんみな憤怒ふんぬ解體かいたい肯為よう也。

うえ以襄、鄧扼淮西衝要,みずのと,以荊みなみ節度せつど使曹王皋為山南さんなん東道とうどう節度せつど使,以襄、鄧、ふく、郢、やすしたがえからななしゅう隸之。

渾瑊はつ長安ながやす也,あきらふか戒之,以盟所為しょい不可ふかげんちょうのべしょうげん於上曰:「あきらよくめい好之よしゆきなり戒瑊以嚴備。わがゆううたぐかれかたちのりかれまたうたぐわが矣,めいなんよしなり!」上乃うえの召瑊,きり戒以推誠まちとりこ,勿自ため猜貳以阻とりこじょう。瑊奏吐蕃けつ以辛めいのべしょうしゅう百官ひゃっかん,以瑊ひょうしょうみことのりしめせ曰:「ふとしじょういい吐蕃和好かずよし必不なり,此渾さむらい中表なかおもて也,めいてい矣。」あきら聞之,泣謂しょおや曰:「われ生長せいちょう西にし陲,備諳とりこじょう所以ゆえんろんかなでただしはじ朝廷ちょうていためけんえびすしょあなどみみ!」

うえはじめいのち駱元こうたむろはんげんかんゆう瑰屯らくこう,以為瑊援。もとひかりいい瑊曰:「はんげん距盟しょななじゅう公有こうゆうきゅうもとひかりなにしたがえ知之ともゆき!請與こう俱。」瑊以みことのりゆびかたとめもとひかりしたがえあずか瑊連營相,距明しょさんじゅうあまりさともとひかりごうしがらみふかかた,瑊壕しがらみみな逾也。もとひかり伏兵ふくへい於營西にしかんゆう瑰亦ひゃくふく於其がわ,曰:「わかゆうへんのりなんじ曹西おもむきかしわいずみ以分其勢。」なおゆいさんあずか瑊約,かく以甲さん千人列於壇之東西,つねふくしゃよんひゃくにんしたがえいたりだんからしはためいなおゆいさんまた請各ゆうすうじゅうさらしょう覘索,瑊皆もと。吐蕃ふくせいすうまん於壇西にしゆうつらぬけ穿ほじからぐん出入でいりきんとういれとりこぐん,悉為しょとりこ,瑊等みな不知ふち入幕にゅうまくえき禮服れいふくとりこさんこえだい噪而いたりころせそうたてまつちょうとう於幕ちゅう。瑊自まく,偶得它馬乘うまのりふくたてがみにゅう其銜,はせじゅうあまりさと,銜方及馬こう其背而不きずから將卒しょうそつみなひがしはしとりこたてへい追擊ついげきあるころせあるとりこ死者ししゃすうひゃくにんとりこしゃせん餘人よにんちぇかん衡為とりこしょとりこ。渾瑊いたり其營,のり將卒しょうそつみな遁去,營空矣。駱元こうはつふくなりひね以待とりこおい愕眙。瑊入もとひかり營,おい顧見邠寧ぐん西にしはせ,乃還。もとひかり輜重しちょう瑊,あずか瑊收そつ,勒兵せいひね而還。

日上ひかみ臨朝,いい諸相しょそう曰:「こん日和ひよりえびすいきへい社稷しゃしょくぶく。」うまひうち曰:「しか。」やなぎ渾曰:「えびす狄,豺狼さいろう也,めいちかいゆい今日きょうことしん竊憂!」あきら曰:「まこと如渾ごと。」じょう變色へんしょく曰:「やなぎ渾書せい不知ふちけい大臣だいじんまたため此言よこしま!」みなふく頓首とんしゅしゃいんやめあさゆうかんゆう瑰表ごと:「とりここうめいしゃへい臨近鎮。」上大かみおおおどろきまち遞其ひょう以示渾。あきらだんいい渾曰:「きょう書生しょせい,乃能りょうてき如此其審乎!」じょうほっこう,以避吐蕃,大臣だいじん諫而どめ

あきら大安たいあんえんたけふく有為ゆうい飛語ひごしゃうんあきら伏兵ふくへい大安たいあんていはかりごといんくら猝為へん。」あきらとげ其竹。

みずのととりうえちゅう使つかい王子おうじつねつぎみことのりのこなおゆいさんいたり吐蕃さかい不納ふのう而還。渾瑊とめたむろ奉天ほうてんかぶといぬなおゆいいたりはらしゅう引見いんけんちぇかん衡等曰:「われかざりきん械,よく械瑊以獻さんこんしつ瑊,きょ致公やから。」またいいひうち侄弇曰:「えびす以馬ためいのちわれざい河曲かまがり春草しゅんそう未生みしょううま不能ふのう舉足,とうさむらいちゅう渡河とか掩之,われぜんぐん覆沒ふくぼつ矣!所以ゆえんもとめこうむさむらいちゅうりょくこんぜんぐんとく奈何いかんかかわ子孫しそん!」いのち弇與宦官かんがん俱文めずらし、渾瑊はたうまやすし俱歸。ぶんしゅうちぇかん衡等於河、くるわ、鄯州。上聞じょうぶんなおゆいさんげんゆかりあくひうち

ろくがつへいいぬ,以馬ひうちためけんさむらいちゅうやめ其副元帥げんすい節度せつど使はつ,吐蕃なおゆいさんあくあきらうまひうち、渾瑊,曰:「さんにんのりとう也。」於是離間りかんあきらいんひうち以求ほし渾瑊以賣ひうち使つかいなみざいいんたてへいじきはん長安ながやすかいしつ渾瑊而止。ちょうのべしょう慚懼,しゃびょうごと

以陝虢觀察かんさつ使泌為中書ちゅうしょさむらいろうどうたいらあきらごと

河東かとうおそれこうりょうしたがえひうち入朝にゅうちょううえよく以為河東かとう節度せつど使りょう固辭こじ曰:「臣事しんじひうちひさよくだいためそち。」乃以ためみぎりゅうたけし大將軍だいしょうぐん明日あしたりょうにゅうしゃうえいい曰:「きょう於馬ひうちそんぐんちゅうことぶんまことためとくれいしか北門きたもんにんきょう不可ふか。」そつ以自ため河東かわとう節度せつど使

吐蕃戍鹽、なつしゃ,饋運つぎにん多病たびょう疫思なおゆいさんさんせんぎゃく,悉焚其廬しゃ,毀其じょう其民而去。れいしお節度せつど使もりまれぜんへいぶん守之もりゆき

韋皋以雲みなみ頗知しょみずのえたつ以書招諭れいおもむき使つかいいれ

泌初ごとみずのえとらあずかあきらうまひうちやなぎ渾俱いれうえいい泌曰:「きょうむかしざいれいたけやめおうため此官,きょう退すさゆずるちんいまようきょうほしあずかきょうゆうやくきょうまき勿報かたきゆうおんしゃちん當為とういきょうほう。」たい曰:「しんもとたてまつみちあずか人為じんいかたき輔國、もとみながいしんしゃこん斃矣。もとしょぜん及有おんしゃりつやめあらわたちある零落れいらくしんほう也。」じょう曰:「雖然,ゆうしょうおんしゃまたとうほう。」たい曰:「しん今日きょうまたねがいあずか陛下へいかためやく乎?」じょう曰:「なに不可ふか!」泌曰:「ねがい陛下へいか勿害功臣こうしんしん受陛厚恩こうおんかた形跡けいせきあきらうまひうちゆう大功たいこう於國,聞有讒之しゃ,雖陛必不聽,しかしん今日きょうたいにんげんよく其不うたぐみみ陛下へいかまんいちがいのり宿衛しゅくえいぽう鎮之しんいきどお惋而はん仄,おそれ中外ちゅうがいへん不日ふじつふくせい也!人臣じんしん苛蒙じんおもあいしんじ則幸のりゆき矣,かん於何ゆうしんざいれい武之たけゆき嘗有かん,而將しょうみな受臣ゆび陛下へいか以李ふところこうためふとしじょう而懷こういよいよ懼,とげいたり於叛。此皆陛下へいかしょおや也。いまあきらひうち富貴ふうきやめあし,苟陛ひろししかまち使つかい其自おそれ國家こっか有事ゆうじそくしたがえ征伐せいばつ無事ぶじそくいれたてまつあさ請,なにらく如之!しんねがい陛下へいか勿以二臣功大而忌之,二臣勿以位高而自疑,のり天下てんかなが無事ぶじ矣。」じょう曰:「ちんはじめ聞卿ごとそびえしか不知ふち所謂いわゆる。及聽きょう剖析,乃知社稷しゃしょくいたりけい也!ちん謹當しょしん大臣だいじんまたとう共保きょうほ。」あきらひうちみなおこり,泣謝。うえいんいい泌曰:「自今じこん軍旅ぐんりょかてもうかこときょうぬし。吏、れいのべしょう刑法けいほう渾。」泌曰:「不可ふか陛下へいか以臣不才ふさい使つかいまちざい宰相さいしょう宰相さいしょうしょく不可分ふかぶん也。如給ごとのりゆう吏過、へい舍人とねりそくゆうろく押,いたり於宰しょう天下てんかこと鹹共たいらあきらわかかくゆうしょぬし乃有宰相さいしょう也。」うええみ曰:「ちんてきしつやめきょうごと是也これや。」泌請ふくしょげんしゅうけんかんうえ曰:「おけ吏以ためじん也,こん戶口とぐちげん於承平之ひらのさんふん,而吏いんさらぞう乎!」たい曰:「戶口とぐち雖減,而事於承ひらじゅうばい,吏得ぞう乎!且所げんみな有職ゆうしょくごと而冗かんげん,此所以為とう也。至德しとく以來いらいおけがくがいかんてきせいかんさんふんいちわか聽使けいとくしかとまりょうせん授同るい正員せいいんかん。如此,のりおもんみ怨,けん使つかい矣。」また請諸おうかくしゃじょかんうえみなしたがえこれおつみことのりさきしょげんかんなみふく

はつちょうのべしょうざい西川にしかわあずか東川ひがしがわ節度せつど使叔明ゆうすきうえにゅう駱谷,值霖みちぬり隊伍たいごすべり衛士えじほろびしゅ泚,叔明之子ゆきこます及郭之子ゆきこあけぼのれいきつねあきら之子ゆきこけんとうろくにんこわゆう奸人危乘輿こしそうあずか嚙臂ためめいちょぎょう滕、くぎかわ奚,さら鞚上以至やなしゅう他人たにんみなとくちか。及還長安ながやすうえみな以為禁衛きんえい將軍しょうぐんちょうぐう甚厚。ちょうのべしょうますわたし出入でいり郜國大長おおちょう公主こうしゅだいみつ以白じょううえいい泌曰:「郜國やめろうしょう年少ねんしょうなにため如是にょぜ!殆必ゆうきょうむべ察之。」泌曰:「此必ゆうよく動搖どうよう東宮とうぐうしゃだれため陛下へいかごと?」じょう曰:「きょう勿問,だいためちん察之。」泌曰:「必延しょう也。」じょう曰:「なに以知?」泌具ためじょうげんにんすき,且曰:「ますうけたまわ恩顧おんこてんきんへいのべしょう中傷ちゅうしょう,而郜こく太子たいししょうはは也,よく以此陷みみ。」うええみ曰:「是也これや。」泌因請除ます它官,勿令宿衛しゅくえい以遠いえんいや

あきなながつ,以升ため詹事。郜國,肅宗じょ也。

甲子きのえね割振わりふり武之たけゆき綏、ぎんしゅう,以右羽林はばやし將軍しょうぐんかん潭為なつ、綏、ぎん節度せつど使そちかみさくせんついたちかた河東かわとうこれさんせん鎮夏しゅう

どき關東かんとうぼうあきへいだいしゅうくにようたかし泌奏:「へんりょう稅法ぜいほう以來いらい,籓鎮、しゅうけんおお違法いほう聚斂。つぎ以朱泚之みだれそう榷率、せいばつ以為軍資ぐんしてんつのぼう。泚既ひらめ懼違ほう,匿不敢言。請遣使以詔むね赦其ざいただしれいかわただし於法おうとめ使とめしゅうそと,悉輸京師けいし。其官てん逋負,せいしゃせいなんせいしゃしゃく,以示寬大かんだい。敢有かくれぼつしゃじゅうしつらえつげしょう而罪。」じょう曰:「きょうさく甚長,しか立法りっぽうふとひろしおそれ所得しょとくいく!」たい曰:「茲事しんかた熟思じゅくしひろしそく而速,きゅうのりしょう而遲。ぶた以寬そくじん於免ざい而樂輸,きゅうのりきおいため蔽匿,推鞫不能ふのうとく其實,ざい不足ふそくずみ今日きょうきゅう而皆にゅう於奸吏矣。」じょう曰:「よし!」以度ささえいん外郎ういろうもとともちょくため河南かなんこう淮南ワイナンかんりょうぜいぜに帛使。

はつかわ、隴既ぼつ於吐しげる天寶てんぽう以來いらい安西あんざいきたにわそうごと西域せいいき使じんざい長安ながやすしゃ歸路きろすんでぜっ人馬じんばみなおおせきゅう於鴻臚。れいまろうどけんきょう,於度ささえ受直。ささえ不時ふじづけじき長安ながやす肆不しょう其弊。泌知えびすきゃくとめちょう安久やすひさしゃあるよんじゅうねんみなゆう妻子さいしかいたく,舉質安居あんきょよくいのちけんくくえびすきゃく有田ありたたくしゃとま其給。凡得よんせんにんはたとま其給。えびすきゃくみなまい政府せいふ訴之,泌曰:「此皆從來じゅうらい宰相さいしょうあにゆう外國がいこく朝貢ちょうこう使者ししゃとめ京師けいしすうじゅうねん聽歸乎!こんとうかりみち於回紇,ある海道かいどうかく歸國きこくゆうねがいしゃとう於鴻臚自ひね,授以職位しょくいきゅう俸祿ためからしん人生じんせいとうじょうてんようあに終身しゅうしん客死かくしよこしま!」於是えびすきゃく一人ひとりねがいしゃ,泌皆ぶん隸神さくりょうぐん王子おうじ使者ししゃため兵馬へいば使ある押牙,あまりみなためそつきんたびえきたけしおおとり臚所きゅうえびすきゃくざいじゅう餘人よにんさいしょうささえぜにじゅうまん緡,じんみな

うえふくとい泌以ふくへいこれさくたい曰:「こんとしせい關東かんとうそつ戍京西にししゃじゅうななまんにんけいとししょくあわひゃくよん萬斛ばんこくこん粟斗あわとちょくぜにひゃくじゅうためぜにさんひゃくろくまん緡。國家こっか遭饑みだれ經費けいひたかし,就使ゆうぜにまたあわ糴,ひまふくへい也。」じょう曰:「しかはた奈何いかん?亟減戍卒なに如?」たい曰:「陛下へいかまことのうようしんげん以不げん戍卒,百姓ひゃくしょう糧食りょうしょくみなあしあわむぎ賤,へいまたなり。」じょう曰:「はてのう如是にょぜなにため不用ふよう!」たい曰:「此須きゅう為之ためゆき旬日じゅんじつそく及矣。こん吐蕃久居ひさいばららんあいだ,以牛うんかてかてつきうらない所用しょよう,請發ひだりぞうあく繒染ためいろどり纈,いんとうこう以市まいあたまさんひきけいじゅうはちまんひきろくまんとうまたいのちしょ冶鑄のう糴麥しゅふんたまもの沿邊ぐん鎮,つの戍卒,こう荒田あらだ而種やく明年みょうねんむぎじゅくばいつぐなえ其種,其餘よりどころ時價じかふんぞういちかんため糴之。來春らいしゅんしゅ禾亦如之。せき中土なかつち沃而ひさしあら所收しょしゅう必厚。戍卒こうしゃひたおお邊地へんちきょじんいたりしょうぐん月食げっしょくかんかてあわむぎしょ售,其價必賤,めいため增價ぞうかこんとししょげん矣。」じょう曰:「よし!」そくいのちぎょう。泌又ごと:「邊地へんちかん闕,請募じんにゅうあわ以補あしいま歲之としゆきかて。」じょうまたしたがえこれいんとい曰:「きょうげんへいまたしゅう如何いか?」たい曰:「戍卒いん屯田とんでん致富,のりやす於其ふくおもえ舊制きゅうせい,戍卒さんねん而代,及其はた滿みつるしたれいゆうねがいとめしゃそく以所開田かいだ為永ためながぎょう家人かじんはららい來者らいしゃほんぬききゅうちょう牒續しょく而遣よりどころ應募おうぼかずうつりほう本道ほんどう,雖河ついたちしょそちとくめんさらだいはんまた聞矣。すうばんのり戍卒みなちょ,乃悉以府へい法理ほうりへんせきちゅう疲弊ひへいため富強ふきょう也。」じょう曰:「如此,天下てんかふくごと矣。」泌曰:「也。しんのう不用ふよう中國ちゅうごくへい使吐蕃こま。」じょう曰:「けいしょう安出やすいで?」たい曰:「しん敢言,俟麥禾有效ゆうこうしか也。」じょうかたとえたい。泌意よくゆいかい紇、大食たいしょく雲南うんなんあずかきょう吐蕃,れい吐蕃しょ備者じょうもと恨回紇,おそれ聞之えつなみ屯田とんでんくだり肯言。すんで而戍そつ應募おうぼねがいこう屯田とんでんしゃ什五ろく

みずのえさるたまもの駱元こう姓名せいめいもとりょう

ひだりぼくしゃどうたいらあきらごとちょうのべしょう薨。

 まきひゃくさんじゅういち かえしかいいただき まきひゃくさんじゅうさん

ほんきたそう作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经遠とおちょう过100ねん

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