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國語こくご

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國語こくご
作者さくしゃひだりおかあきら 春秋しゅんじゅう
國語こくごじゅういちかん戶部とべいん外郞ういろうあきら銓家藏本ぞうほん韋昭ちゅうあきらひろし嗣,くもじんかんいたり中書ちゅうしょぼくしゃ。《三國志さんごくしさく韋曜,裴松ちゅういいため司馬しばあきらいみな也。《國語こくご出自しゅつじ何人なんにんせつしゃ不一ふいつしかおわり以漢じん所說しょせつため近古きんこところことあずかひだりでん》俱迄さとしはくほろび時代じだいまたふく相合そうごう中有ちゅううあずかひだりでんしゃなおしんじょ》、《せつえんどうりゅうむかい,而時ふく牴牾もどきぶた古人こじん著書ちょしょかくよりどころ所見しょけんきゅうぶんうたぐ存疑そんぎ後人こうじんけいあらため也。

かんこころざしさくじゅういちへん。其諸しょちゅう,《ずいこころざし》︰おそれこぼしとうかたほんみなじゅういちかんおう肅本じゅうかん;賈逵ほんじゅうかん。互有增減ぞうげんぶた偶然ぐうぜんぶん併,ゆう異同いどうおもんみあきらしょちゅうほん,《ずいこころざしさくじゅうかん,《からこころざしさくじゅうかん。而此ほん首尾しゅびかんじつじゅういちかん諸家しょか所傳しょでん南北なんぼくそうばんあいどうずいこころざしあやまいち,《からこころざしだついち也。ぜんゆうあきら自序じじょしょうけんさいていしゅう、賈逵、おそれこぼしとうかたこれちゅう」。こんこうしょ引鄭せつおそれせつ寥寥りょうりょうすうじょうおもんみ賈、からいえ,援據駁正ためじょまたしょう「凡所はつせいさんひゃくななこと」。

こんこう注文ちゅうもんなかあきら自立じりつしゃ,《しゅう》凡服すういちじょう國子くにこいちじょう、虢文こういちじょうつねいちじょうていたけしそういちじょうなかにんいちじょう、叔妘いちじょうていはくみなみいちじょう、請隧いちじょう、瀆姓いちじょうすわえにゅうひねいちじょうすすむなりこういちじょうきょうこういちじょうだいぜにいちじょういちじょう;《魯語》ちょういちじょうこくいちじょういのちまついちじょう、郊禘いちじょうぶん宗武むねたけいちじょうかんりょういちじょう;《ひとし》凡じゅういちさといちじょうきょうじゅういちじょう良人りょうじんいちじょう使つかいうみ於有蔽いちじょうはちひゃくじょういちじょうはんいちじょう大路おおじりゅういちじょう;《すすむ》凡伯いちじょう懼不とくいちじょう、聚居じょういちじょう貞之さだゆきむくいいちじょうながえいちじょうじゅうむねいちじょうしょうてんいちじょうじゅうがついちじょう、嬴氏いちじょうかんじょういちじょう三德さんとくいちじょううえぐんいちじょうがまじょうはくいちじょう三軍さんぐんいちじょう、錞于いちじょうりょ錡佐うえぐんいちじょうしんぐんいちじょうかんいちじょうおんならくいちじょうちょうろういちじょう;《てい》凡じゅうすういちじょうおくこといちじょうはたけいじょう一條いちじょう;《すわえこえいちじょう、懿戒いちじょうたけひのとさくしょいちじょう、屛攝いちじょう;《くれかんそちいちじょう、錞于いちじょう𠜲一條いちじょうおうそうひゃく執事しつじいちじょう兄弟きょうだいくにいちじょうらいつげいちじょうこういちじょう;《えつ乘車じょうしゃいちじょうおさむいちじょうとくしいたげいちじょうかいこついちじょうじゅう祿ろくいちじょうろくじゅうななことごう以所せい譌字衍文えんぶん錯簡さっかんまた不足ふそくさんひゃくななことかず。其傳寫でんしゃゆうあやま,以ろくじゅうためさんひゃく歟?《たかしぶんそうさくさんひゃくじゅうことまたななてん譌也。ぜに曾《讀書どくしょさともとめいい「《しゅう》『むかし我先われさききさききびてんせいほんさきしもゆうおう;『左右さゆうめんかぶと而下』てんせいほんしたしもゆうはい。」今本いまもとみな脫去だっきょしかところ引注曰云云うんぬんあずか此本ぜっあいどうまた不知ふちなんせつ也。此本ため衍聖こうあなでん鐸所かん,如《魯語》「おおやけちちぶんはく飲酒いんしゅいちしょうちゅうちゅう「此堵ちちよんとうざいしょう使すっぽんちょう,而誤いれとげしょうしょうます譌,またところめんしか較諸ぼうほんのり頗爲せいぜんていしゅうかい詁以しょしょなみほろび。《國語こくごちゅうそん於今しゃおもんみあきらため最古さいこふるえにち鈔》嘗稱其簡潔かんけつ,而先儒舊くんまた往往おうおう散見さんけん其中。如朱子しゅしちゅう論語ろんご》「しょ取材しゅざい」,もうよわい詆其「くんざいためさい經傳けいでんあらためしたがえてい康成やすなり桴材せつ」。而不知ふちてい》「けいおくことざいちょうぶつあきらちゅう曰:「けいさん也;ざいたっ也。」やめゆう此訓。しかのりよわいしつまゆまつげあいだ矣,此亦其多考證こうしょう也。

あん國語こくごじゅういちへん,《かんこころざし》雖載《春秋しゅんじゅうしか春秋しゅんじゅう外傳がいでんめい也。《漢書かんしょりつれきこころざしはじめしょう春秋しゅんじゅう外傳がいでん》。おうたかしろんうん︰「《國語こくご》,ひだり外傳がいでん也。ひだりでんけいなおりゃくふくせんろく國語こくご以實。」りゅう熙《しゃくめいまたうん︰「《國語こくごまた曰外でん。《春秋しゅんじゅう》以魯ため內,以諸こくためがい外國がいこく所傳しょでんこと也。」こう國語こくご上包うわづつみしゅうきよしおうしも曁魯悼公,あずか春秋しゅんじゅう時代じだい首尾しゅびみな不相應ふそうおう,其事またあずか春秋しゅんじゅう無關むせきかかり春秋しゅんじゅう》,ことためるいいたり書中しょちゅうあかりゆう《魯語》,而劉熙以ため外國がいこくしょでんゆうためます迕。づけ於經,於義まこと。《ふみどおりろくいえ》,國語こくごきょいちじつひだりのここんあらため隸之ざつるい焉。

ほん作品さくひんざいぜん世界せかいぞく公有こうゆう领域いん为作しゃ逝世やめ经超过100ねん,并且于1929ねん1がつ1にちぜん出版しゅっぱん

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