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漢書/卷031 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

漢書かんしょ/まき031

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 藝文げいぶんこころざし だいじゅう 漢書かんしょ
まきさんじゅういち ひねしょうこうせきでん だいいち
ちょうみみひねあまりでん だい 

ちんまさる ひろ[编辑]

ちんまさるわたるじょうじんひろ叔,なつじん也。かち少時しょうじ,嘗與じんやといこう。輟耕壟上,悵然ちょうぜん甚久,曰:「苟富貴ふうきあい忘!」やといしゃわらい而應曰:「わかためやといたがやせなに富貴ふうき也?」勝太かつたいき曰:「嗟乎,燕雀えんじゃくやす鴻鵠こうこくこころざし哉!」

はたせい元年がんねんあきなながつはつ閭左戍漁きゅうひゃくにんしょうこうみなためたむろちょうくだりいたり鄿大さわきょうかいてん大雨おおあめみち不通ふつうやめしつしつほうしょうこう乃謀曰:「こんほろびまた,舉大けいまたとうこく乎?」かち曰:「天下てんかはたひさ矣。われせい少子しょうし不當ふとうりつとうだてしゃ公子こうし扶蘇。扶蘇以數諫故とくりつ上使じょうしがい將兵しょうへいいまある聞無ざいせいころせこれ百姓ひゃくしょう多聞たもん其賢,未知みち其死。こうつばめためすわえはたかず有功ゆうこうあい士卒しそつすわえじん憐之。ある以為ざいこんまこと以吾眾為天下でんか倡,むべおうしゃ。」こう以為しか。乃行ぼく卜者ぼくしゃ其指,曰:「足下あしもとごとみななり有功ゆうこうしか足下あしもとぼくおに乎!」かち廣喜ひろきねんおに,曰:「此教我先われさき眾耳。」乃丹しょ帛曰「ちんまさるおう」,おけじんしょ罾魚腹中ふくちゅうそつかいぎょとおるしょくとくしょやめかい矣。またあいだれい廣之ひろゆきしょつくりくさむらほこらちゅうよる構火,きつねよび曰:「だいすわえきょうちんまさるおう。」そつみなよるおどろきこわだん卒中そっちゅう往往おうおうゆびしょうこう

かちこうもと愛人あいじん士卒しそつためようはたじょうよいこうすうことよくほろび,忿尉,れいはずかしめこれ,以激怒げきど其眾。じょうはてむちひろじょうけんていこうおこりだつ而殺じょう勝佐かつさ,并殺りょうじょう。召令ぞく曰:「おおやけとうぐうみなやめしつとう。藉弟れい毋斬,而戍死者ししゃかたろくなな。且壯不死ふしそくやめそく舉大めいみみほう王將おうしょうしょうやすしゆうしゅ乎!」ぞくみな曰:「けい受令。」乃詐稱さしょう公子こうし扶蘇、こうつばめしたがえ民望みんぼう也。袒右,たたえだいすわえためだん而盟,まつり以尉くびかち自立じりつため將軍しょうぐんこうためじょうおさむ大澤おおさわきょう,拔之。おさむへい而攻鄿,蘄下。乃令はなれじんかずら嬰將へい徇蘄以東いとうおさむ銍、酇、、柘、譙,みな下之したのくだりおさむへいいたりひねへいしゃろくななひゃくじょうせんあまりそつすうまんにんおさむひねちんまもるれいみな不在ふざいどくもりすすむあずかせん譙門ちゅうかちまもりすすむ。乃入よりどころひね數日すうじつごう召三老豪桀會計事。みな曰:「將軍しょうぐんけんするど無道むどう,誅暴しんふくりつすわえ社稷しゃしょくこうむべためおう。」かち乃立ためおうごうためちょうすわえ

於是しょぐんけんしん吏暴,みなころせ其長吏,はた以應しょう。乃以こうためかりおうかんしょしょう以西いせいげき滎陽。れいひねじん武臣ぶしんちょうみみひねあまり徇趙,なんじかげじん鄧宗徇九ぐんとう此時,すわえへいすう千人為聚者不可勝數。

かずら嬰至東城とうじょうたてじょうつよしためすわえおうこう聞勝やめりついんころせじょうつよしかえほういたりひねしょうころせ嬰,れいじんしゅうきた徇魏こうかこえ滎陽。ゆかり為三ためぞう川守かわもりもり滎陽,こう不能ふのうかちちょうこくごう桀與けい以上いじょう蔡人ぼうくん蔡賜ためじょうはしらこく

しゅうぶんちん賢人けんじん也,嘗為こうつばめぐんことはるさるくんげん習兵。かちあずかこれ將軍しょうぐんしるし西にしげきしんくだりおさむへいいたりせきくるませんじょうそつじゅうまんいたりおどけぐん焉。しんれいしょうあきら邯免驪山ひとやつさん,悉發以擊すわえぐん大敗たいはいしゅうぶん走出はしりでせきとめたむろ曹陽。がつあまりしょう邯追はいふくはし黽池。じゅうにちあきら邯擊,大破たいはしゅうぶん剄,ぐんとげ不戰ふせん

武臣ぶしんいたり邯鄲かんたん自立じりつためちょうおうひねあまりため大將軍だいしょうぐんちょうみみ、召騷ため左右さゆう丞相じょうしょうかちいか武臣ぶしんとうしつよく誅之。はしらこく曰:「はたほろび而誅ちょう王將おうしょうしょうぞく,此生いちはた如因りつ。」かち乃遣使者ししゃちょう,而徙繫武臣ぶしんとうぞく宮中きゅうちゅう。而封ちょうみみ敖為成都せいとくんおもむきちょうへい亟入せきちょう王將おうしょうしょうしょうあずかはかりごと曰:「おうおうちょうすわえ也。すわえやめ誅秦,必加へい於趙。けい莫如毋西へい使つかい使きた徇燕以自ひろちょうみなみよりどころ大河たいがきたゆうつばめだいすわえ雖勝しん敢制ちょうわかかちしん,必重ちょうちょううけたまわしんすわえ敝,以得こころざし於天。」ちょうおう以為しかいん西にしへい,而遣上谷うえたにそつかんひろ將兵しょうへいきた徇燕。

つばめ貴人きじんごう桀謂かんひろ曰:「すわえちょうみなやめりつおうつばめ雖小,またまんじょうくに也,ねがい將軍しょうぐんりつためおう。」かんひろ曰:「こうははざいちょう不可ふか。」つばめじん曰:「ちょうかた西にしゆうはたみなみゆうすわえ,其力不能ふのうきん。且以すわえつよ敢害ちょう王將おうしょう相之あいのこんちょうまたやす敢害將軍しょうぐんいえ乎?」かんひろ以為しか,乃自立じりつためつばめおうきょすうがつちょうたてまつつばめおうははぞく

しょしょう徇地しゃ不可ふかかちすうしゅうきたいたり狄,狄人儋殺狄令,自立じりつためひとしおう反擊はんげきしゅうぐんかえいたりたて甯陵くんとがめためおうとがめざいかちしょとくやめじょうよくたてしゅうためおう肯。使者ししゃたんしょう乃立甯陵くんためおうこれこくしゅう為相ためすけ

將軍しょうぐん臧等しょうあずかはかりごと曰:「周章しゅうしょうぐんやめやぶしんへい且至,わがもり滎陽じょう不能ふのうしんぐんいたり,必大敗たいはい如少のこへいそく以守滎陽,悉精へいむかえしんぐんこんかりおうおご不知ふち兵權へいけん不可ふかあずかけい誅之,ことおそれはい。」いんしょうあずか矯陳おうれい以誅ひろけんじ其首於勝。かち使たまもの臧楚れいいんしるし使つかいためじょうはた臧乃使しょしょうとうもり滎陽じょう以精へい西にしむかえしんぐん於敖くらあずかたたかえ臧死,ぐんやぶあきら邯進げきとう滎陽やぶこれ

じょうじん鄧說將兵しょうへいきょ郯,しょう邯別しょう擊破げきは,鄧說はしひね。銍人五逢將兵居許,しょう擊破げきは。五逢亦走陳。かち誅鄧せつ

かちはつりつ,淩人はたよしみ、銍人ただし惞、はなれじんしゅ雞石、おもんばかひとていぬのじょじんひのとやましとうみなとくおこり將兵しょうへいかこえ東海とうかいもり於郯。かち聞,乃使武平たけひらくんほとりため將軍しょうぐんかん郯下ぐんはたよしみ自立じりつためだい司馬しばあく屬人ぞくじんつげぐん吏曰:「武平たけひらくん年少ねんしょう不知ふち兵事へいじ,勿聽。」いん矯以王命おうめいころせ武平たけひらくんほとり

あきら邯已やぶ逢,げきひねはしらこくぼうくんあきら邯又進擊しんげきひね西にしちょうぐんかち臨戰りんせんぐんやぶちょう

臘月ろうげつ勝之かつゆきなんじかげかえいたり下城げじょうちち,其御そう賈殺かち以降いこうはたそう碭,おくりな曰隱おう

かち涓人將軍しょうぐんりょしんためあおあたまぐんおこり新陽しんようおさむひねころせそう賈,ふく以陳ためすわえ

はつしょうれい銍人そうとめ將兵しょうへいてい南陽なんようにゅうせきとめやめ徇南,聞勝南陽なんようふくためしんそうとめ不能ふのうにゅうせき,乃東いたりしん蔡,ぐうしんぐんそうとめ以軍くだしんはたつたえとめいたり咸陽,くるまきれとめ以徇。

はたよしみとう聞勝ぐんはい,乃立けいこまためすわえおう,引兵ほうあずかよくげきしんぐんずみかげ使つかい公孫こうそんけい使ひとしおうほしあずか并力俱進。ひとしおう曰:「ひねおう戰敗せんぱい未知みち其死せいすわえやす而立じりつおう?」公孫こうそんけい曰:「ひとし請楚而立じりつおうすわえ何故なぜ請齊而立じりつおう?且楚くびごととうれい於天。」儋殺公孫こうそんけい

はた左右さゆうこうふくおさむひね下之したのりょ將軍しょうぐんはし,徼兵ふく聚,あずかばんぬすめえいぬのしょうぐう攻擊こうげきはた左右さゆうこうやぶこれ青波あおなみふく以陳ためすわえかいこうはりりつふところおうまごこころためすわえおう

ちんまさるおうろくがつはつためおう,其故じん嘗與やといこうしゃ聞之,乃之ひね,叩宮もん曰:「われよくわたる。」宮門きゅうもんれいよくばく自辯じべんすう,乃置,肯為どおりかちさえぎみち而呼わたる。乃召あずかにゅうみや殿しんがりとばりちょうきゃく曰:「おびただしわたるためおう沈沈ちんちんしゃ!」すわえじんいいおおためおびただし天下てんかでん,「おびただしわたるためおう」,ゆかりちんわたるはじめきゃく出入でいりいよいよえきはつ舒,げんしょうじょうあるげんきゃく無知むちせん妄言ぼうげんけい。」かちこれしょ故人こじんみな引去ひきさゆかりおや勝者しょうしゃ。以朱ぼうため中正ちゅうせいえびすたけため主司しゅし群臣ぐんしんしょしょう徇地,いたりれいしゃ,繫而ざい。以苛察為ちゅう。其所不善ふぜんしゃした吏,輒自かち信用しんようしょしょう以故おや。此其所以ゆえんはい也。

かち雖已,其所おけほう王將おうしょうしょう竟亡しん高祖こうそためしょうおけもり冢于碭,いたりこんしょくおう莽敗,乃絕。

项籍[编辑]

こうせき下相おりあいじん也。はつおこりねんじゅうよん。其季ちちはりりょうちちそくすわえ名將めいしょうこうつばめしゃ也。いえすわえはたふう於項,せいこう

せき少時しょうじがくしょなりがくけんまたなりはりいかこれせき曰:「しょあし姓名せいめい而已。けんいちにんてき不足ふそくがくがくまんにんてきみみ。」於是はり其意,乃教以兵ほうせき大喜だいぎりゃく其意,また肯竟。はり嘗有くぬぎ逮,請蘄ごくじょう曹咎しょ抵櫟ごく司馬しば欣,以故事こじみなやめはり嘗殺じんあずかせき避仇くれちゅうちゅうけん大夫たいふみなはりまいゆうだい繇役及喪,りょうつねしゅ辦,かげ以兵ほう勒賓きゃく子弟してい,以知其能。はた始皇帝しこうてい東遊あずまあそびかい稽,わたし浙江せっこうはりあずかせきかんせき曰:「かれ而代也。」りょう掩其こう,曰:「妄言ぼうげんぞく矣!」りょう以此せきせきちょうはちしゃくすんちから扛鼎,才氣さいきひとちゅう弟子でしみなはばかせき

はたせい元年がんねんちんまさるおこり九月くがつかい稽假もりどおりもとけんはり,乃召あずかけいことはり曰:「方今ほうこん江西えにしみなはんはた,此亦てんほろびはた也。先發せんぱつせいじん後發こうはつせい於人。」もり歎曰:「聞夫子ふうしすわえはたただ足下あしもとみみ!」りょう曰:「ゆう奇士きし桓楚,ほろびざい澤中さわなかにん莫知其處,どくせき知之ともゆき。」りょう乃戒せきけんきょがいまちりょうふくいれあずかもり曰:「請召せき使つかい受令召桓すわえ。」せきいれりょう眴籍曰:「ぎょう矣!」せきとげ拔劍ばっけんげきもりはりもりあたま,佩其印綬いんじゅ門下もんかおどろき擾,せきしょげきころせすうじゅうひゃくにん府中ふちゅうみな讋伏,莫敢ふくおこりはり乃召故人こじんしょごう吏,さとし所為しょいとげ舉吳ちゅうへい使つかいじんおさむけんとく精兵せいびょうはちせんにん部署ぶしょごう桀為こうじょうこう司馬しばゆう一人ひとりとくかんげんはり曰:「ぼうぼう使つかい公主こうしゅぼうこと不能ふのう辦,以故にんこう。」眾乃みなふくはりためかい稽將,せきため裨將,徇下けん

はたねん廣陵こうりょうじん召平ためひねしょう徇廣りょうした。聞陳しょう敗走はいそうはたすすむあきら邯且いたり,乃渡江とのえ矯陳おうれいはいはりためすわえじょうはしらこく,曰:「江東こうとうやめじょうきゅう引兵西にしげきしん。」りょう乃以はちせんにん渡江とのえ而西。聞陳嬰已東陽とうよう使つかい使ほっあずかれん俱西。ひね嬰者,東陽とうようれいけんもとしんじため長者ちょうじゃ東陽とうよう少年しょうねんころせ其令,そう聚數せんにんよく立長りっちょう適用てきよう,乃請ひね嬰。嬰謝不能ふのうとげきょうりつけんちゅうしたがえこれしゃとくまんにんよくりつ嬰為おうぐんあおあたまとくおこり。嬰母いい嬰曰:「われため乃家,聞先曾貴。こん暴得大名だいみょう不祥ふしょう如有所屬しょぞくことなりなおとくふうこうことはいえき以亡,しょ指名しめい也。」嬰乃敢為かんいおういい其軍曰:「こう世世せぜ將家しょうか有名ゆうめい於楚,こんよく大事だいじはた其人,不可ふかわが倚名ぞくほろびはた必矣。」其眾したがえこれ,乃以其兵ぞくはりりょうわたる淮,えいぬのかば將軍しょうぐんまた以其へいぞく焉。凡ろくななまんにんぐん邳。

はたよしみやめたてけいこまためすわえおうぐん彭城ひがしよく以距はりはりいいぐん吏曰:「ひねおうくびごとせん不利ふり未聞みもん所在しょざいこんはたよしみひね王立おうりつけいこま大逆だいぎゃくほろびどう。」乃引へいげきはたよしみぐん敗走はいそうついいたりえびすりょうよしみかえせんいちにちよしみぐんくだけいこまはしはりはりやめ并秦よしみぐんえびすりょうはた引而西にしあきら邯至ぐりりょう使つかいべつはたしゅ雞石、樊君あずかせん樊君しゅ雞石はいほろびはしえびすりょうはり乃引へいにゅう薛,誅朱雞石。りょうぜん使つかいべつおさむじょうじょうじょうじょう堅守けんしゅしたやめ拔,みな阬之,かえほうはり。聞陳おうじょう,召諸べつしょうかい薛計ごととき沛公またしたがえ沛往。

きょ鄛人范增ねんななじゅうもとこう奇計きけい,往說はり曰:「ひね勝敗しょうはいかたとうおっとしんめつろくこくすわえさいほろびざいふところおうにゅうはたはんすわえじん憐之いたりいまみなみ公稱こうしょう曰『すわえさんほろびはた必楚』。こんひねしょうくびごとたてすわえ,其勢ちょういまくんおこり江東こうとうすわえ蠭起はたみなそうくんしゃ,以君世世せぜすわえはたためのうふくりつすわえこう也。」於是はり乃求すわえふところおうまごしん在民ざいみんあいだためじん牧羊ぼくようたて以為すわえふところおうしたがえ民望みんぼう也。ひね嬰為じょうはしらこくふうけんあずかふところおう盱台。りょうごう武信たけのぶくん,引兵おさむ亢父。

はつしょう邯既ころせひとしおう儋於臨菑,かりふく自立じりつためひとしおう。儋弟さかえはしひがしおもねあきら邯追かこえこれはり引兵すくいひがしおもね大破たいはしんぐんひがしおもねさかえそく引兵,逐王かりかりほろびはしすわえ相田あいたかくほろびはしちょうかくおとうとあいだしょうきょちょう敢歸。さかえりつ儋子ためひとしおうはりやめやぶひがし阿下あげぐんとげついしんぐんかず使つかい使おもむきひとしへい俱西。さかえ曰:「すわえころせかりちょうころせ田角たずみ田閒たま,乃發へい。」りょう曰:「かり與國よこくおうきゅうらいかえわがにんころせ。」ちょうまたころせかくあいだ以市於齊おさいひとしとげ肯發へいじょすわえはり使あずか沛公べつおさむ城陽じょうようほふこれ西にしやぶしんぐん濮陽ひがししんへい收入しゅうにゅう濮陽。沛公、はねおさむていすえていすえした西にしりゃくいたり雍丘,大破たいはしんぐんゆかりかえおさむがいそとした

りょうおこりひがしおもねいたりていすえさいやぶしんぐんはねとうまたゆかりえきけいはたゆうおごいろそうよし諫曰:「戰勝せんしょう而將おごそつ惰者はいこんしょう惰矣,はたへいえきしんためくんかしここれ。」りょう聽。乃使そうよし於齊おさいみちぐうひとし使者ししゃだかりょうくんあらわ,曰:「おおやけはた武信たけのぶくん乎?」曰:「しか。」よし曰:「しんろん武信たけのぶくんぐん必敗。おおやけ徐行じょこうそくまぬかれやましぎょうそく及禍。」はたはて悉起へいえきあきら邯,よる銜枚げきすわえ大破たいはていすえはり。沛公あずかはねそとおさむひねとめちんとめ堅守けんしゅした。沛公、はねしょうあずかはかりごと曰:「こんはりぐんはい士卒しそつこわ。」乃與りょしん俱引へい而東。りょしんぐん彭城ひがしはねぐん城西じょうさい,沛公ぐん碭。

あきら邯已やぶはりぐんのり以為すわえへい不足ふそく,乃渡河北かほくげきちょう大破たいはとう此之ちょう歇為おうひねあまりためはたちょうみみ為相ためすけ走入はしり鉅鹿じょうはたすすむおうはなれわたるあいだかこえ鉅鹿,しょう邯軍其南,ちく甬道而輸あわひねあまり將卒しょうそつすうまんにんぐん鉅鹿きた所謂いわゆる河北かほくぐん也。

そうよししょぐうひとし使者ししゃだかりょうくんあらわすわえふところおう曰:「そうよしろん武信たけのぶくん必敗,數日すうじつはてはいぐんひつじせん先見せんけんはいちょういいへい矣。」おう召宋あずかけいこと而說いん以為じょう將軍しょうぐんため魯公,為次ためじはた,范增ためまつはたしょべつはたみなぞくごうきょうかんむりぐんきたすくいちょういたり安陽あんようとめすすむしんさんねんはねいいそうよし曰:「こんしんぐんかこえ鉅鹿,やまし引兵渡河とかすわえげき其外,ちょうおう其內,やぶしんぐん必矣。」そうよし曰:「しかおっと搏牛あぶ不可ふか以破しらみこんはたおさむちょう戰勝せんしょうそくへいやめわがうけたまわ其敝;かちのりわが引兵ぎょう而西,必舉しん矣。如先鬥秦、ちょうおっとげきかるするどわが如公;すわうん籌策,おおやけ如我。」いんれいぐんちゅう曰:「もう如虎,佷如ひつじむさぼ如狼,つよ不可ふかれいしゃみな。」其子じょうしょうひとしおくこれしお飲酒いんしゅだかかいてんかん大雨おおあめ士卒しそつこおかつえはね曰:「はた戮力而攻しん久留くるくだりこんとしかつえみんひんそつしょくはんまめぐんかて,乃飲酒いんしゅだかかい引兵渡河とかいんちょうしょくあずか并力げきしん,乃曰『うけたまわ其敝』。おっと以秦つよおさむ新造しんぞうちょう,其勢必舉ちょうちょう舉秦きょうなに敝之うけたまわ!且國へいしんやぶおうすわ不安ふあんせき,掃境內而ぞく將軍しょうぐん國家こっか安危あんきざい此一舉。こん卹士そつ而徇わたしえん社稷しゃしょくしん也。」はね晨朝じょう將軍しょうぐんそうよしそく其帳ちゅうよしあたまだしれいぐんちゅう曰:「そうよしあずかひとし謀反ぼうほんすわえすわえおうかげれいせき誅之。」しょしょう讋服,莫敢えだ梧。みな曰:「くびりつすわえしゃ將軍家しょうぐんけ也。こん將軍しょうぐん誅亂。」乃相あずか共立きょうりつためかりうえ將軍しょうぐん使つかいじんついそう義子よしこ,及之ひとしころせこれ使つかい桓楚報命ほうめい於王。おういん使使つかいりつためじょう將軍しょうぐん

はねやめころせきょうかんむりぐんふるえすわえこく名聞みょうもん諸侯しょこう。乃遣とうくんかば將軍しょうぐん將卒しょうそつまんにん渡河とかすくい鉅鹿。たたかえしょうひねあまりふく請兵。はね乃悉引兵渡河とかやめわたりみなたたえ舡,やぶがまこしきしょういおりしゃもちさんにちかて必死ひっしかえこころ。於是いたりそくかこえおうはなれあずかしんぐんぐうきゅうせんぜっ甬道,大破たいはころせかくとりこおうはなれわたるあいだくだやきころせとうすわえへいかんむり諸侯しょこう諸侯しょこうぐんすくい鉅鹿しゃじゅうあまりかべ,莫敢たてへい。及楚げきしん諸侯しょこうみなしたがえかべうえかんすわえ戰士せんし不一ふいつとうじゅう呼聲よびごえどう天地てんち諸侯しょこう軍人ぐんじんじん惴恐。於是すわえやめやぶしんぐん諸侯しょこうはたにゅうながえもん膝行しっこう而前,莫敢仰視ぎょうしはね繇是はじめため諸侯しょこうじょう將軍しょうぐんへいみなぞく焉。

あきら邯軍とげばらはねぐん漳南,そうもちひつじせんしんぐんすう卻,二世使人讓章邯。あきら邯恐,使つかいちょう欣請ごといたり咸陽,とめ司馬しばもんさんにちちょうだかゆう不信ふしんしんちょう欣恐,かえはし敢出みちちょうだかはて使じんおい及。欣至ぐんほう曰:「ことほろびためしゃ相國しょうこくちょうだか顓國ぬしだんいません而勝,こう嫉吾こうかちめん於死。ねがい將軍しょうぐんじゅくけいこれ。」ひねあまりまたのこあきら邯書曰:「しろおこりためはたすすむみなみ并鄢郢,きた阬馬ふくおさむしろりゃく不可ふかかちけい,而卒たまものこうむ恬為はたすすむきた逐戎じんひらき榆中すうじゅう,竟斬しゅう何者なにものこうはた不能ふのうふうじいん以法誅之。こん將軍しょうぐんためはたすすむさんさい矣,しょ亡失ぼうしつやめじゅうまんすう,而諸こうなみおこり茲益かれちょうだかもと諛日ひさしこんこときゅうまたおそれせい誅之,よく以法誅將ぐん以塞せめ使つかいじんさらだい以脫其禍。將軍しょうぐんきょがいひさ內隙,有功ゆうこうまた誅,ほろびこうまた誅。且天ほろびはたさとしみな知之ともゆきこん將軍しょうぐん不能ふのうちょく諫,外為がいため亡國ぼうこくはた孤立こりつ而欲ちょうそんあにあい哉!將軍しょうぐんなんかえへいあずか諸侯しょこうためしたがえ南面なんめんしょう,孰與ふくおのしつ妻子さいしため戮乎?」あきら狐疑こぎかげ使こうはじめなり使ほしやくやく未成みせいはね使がま將軍しょうぐん引兵わたりさんぐん漳南,あずかしんせんさいやぶこれはね悉引へいげきしんぐん汙水じょう大破たいは

邯使使ほしやくはね召軍吏謀曰:「かてしょうよく聽其やく。」ぐん吏皆曰:「ぜん。」はね乃與めい洹水みなみいんきょじょうやめめいしょう邯見流涕りゅうていためげんちょうだかはね乃立あきら邯為雍王,おけぐんちゅう使つかいちょう欣為じょうはたはたはたぐんぎょうまえ

かん元年がんねんはた諸侯しょこうへいさんじゅうあまりまんぎょうりゃくいたり河南かなんとげ西にしいたしんやすあやとき諸侯しょこう吏卒徭役たむろ戍過しんちゅうはたちゅうぐうほろびじょう,及秦ぐんくだ諸侯しょこう諸侯しょこう吏卒じょうかちやつとりこ使輕重けいちょうおりはずかしめはた吏卒。吏卒竊言:「あきら將軍しょうぐんいつわりわれぞくくだ諸侯しょこうこんのういれせきやぶはた大善だいぜんそく不能ふのう諸侯しょこうとりこわれぞく而東,はたまたつき誅吾ちち毌妻。」しょしょうほろ聞其けい,以告はね乃召えいぬのかば將軍しょうぐんけい曰:「はた吏卒なお眾,其心不服ふふくいたりせき聽,こと必危,如擊どくあずかあきら邯、ちょうふみ欣、じょうかげいれしん。」於是よるげき阬秦ぐんじゅうあまりまんにん

いたりはこたにせきゆうへいもりとくいれ。聞沛こうやめほふ咸陽,はねだいいか使つかいとうくんげきせきはねとげいれいたりおどけ西にしおおとりもん,聞沛こうよくおうせきちゅうどくゆうしん珍寶ちんぽうちち范增まただいいかすすむはねげき沛公。きょうだん合戰かっせんはねちちこうはくもとぜんちょうりょうときしたがえ沛公,こうはくよる以語りょうりょうあずか俱見沛公,いんはくかい於羽。明日あした,沛公したがえ百餘騎至鴻門謝羽,ひねふうしんかえぐん霸上以待大王だいおう,閉關以備ぬすめ背德はいとく。」はねすんでかい,范增よくがい沛公,よりゆきちょうりょう、樊噲とくめんかたり在高ありだか

こう數日すうじつ乃屠咸陽,ころせはたくだ王子おうじ嬰,しょう其宮しつさんがつ不滅ふめつおさむ其寶貨,りゃく婦女ふじょ而東。しんみん失望しつぼう。於是かんせいせつ曰:「せきちゅう阻山たいかわよんふさがこれ肥饒ひじょう以伯。」はねはた宮室きゅうしつみなやめしょうざんまたふところおもえひがし,曰:「富貴ふうき不歸ふき故鄉こきょう,如衣にしき夜行やこう。」かんなま曰:「ひといいすわえじん沐猴もっこう而冠,果然かぜん。」はね聞之,かんせい

はつふところおうあずかしょしょうやく先入せんにゅうせきしゃおう其地。はねすんでやく使つかいじん致命ちめい於懷おうふところおう曰:「如約。」はね乃曰:「ふところ王者おうじゃわれ武信たけのぶくんしょたてみみ有功ゆうこうなに以得顓主やく天下てんか初發しょはつなん假立かりだち諸侯しょこう以伐しんしかけんするどくびごと暴露ばくろ於野さんねんめつはたじょう天下てんかしゃみなしょうしょう諸君しょくんあずかせき力也りきやふところおうほろびこうかた當分とうぶん其地おう。」しょしょうみな曰:「ぜん。」はね乃陽みことふところおうためみかど,曰:「いにしえ王者おうじゃ地方ちほう千里せんり,必居じょうゆう。」徙之ちょうすな郴。乃分天下でんか以王諸侯しょこう

はねあずか范增うたぐ沛公,ぎょうやめこうかいまたあくやくおそれ諸侯しょこう叛之,陰謀いんぼう曰:「ともえしょくどうけんはた遷民みなきょ。」乃曰:「ともえしょくまたせきちゅう。」たて沛公ためかんおうおうともみしょくかんちゅう。而參ぶんせきちゅうおうはたくだはた以距塞かんどう。乃立あきら邯為雍王,おう咸陽以西いせいちょうふみ司馬しば欣,くぬぎ獄吏ごくり,嘗有德うとく於梁;じょうただしかげもとすすむあきら邯降。たて欣為ふさがおうおう咸陽以東いとういたりかわりつかげため翟王,おう上郡かみごおり。徙魏おうひょうため西にしおうおう河東かわとうきずおかこうさるしゃちょうみみ嬖臣へいしん也,さき河南かなんむかいすわえ河上かわかみたてため河南かなんおうちょう將司まさし卬定かわ內,すう有功ゆうこうたて卬為いんおうおうかわ內。徙趙おう歇王だいちょうしょうちょうみみもとけんまたしたがえいれせきたてためつね山王さんのうおうちょうとうくんえいぬのためすわえはたつねかんむりぐんたてぬのためきゅうおうばんくんくれ芮帥百粵佐諸侯從入關。たて芮為衡山おうみかどばしら國共こっきょう敖將へいげきみなみぐんいさおいんりつため臨江おう。徙燕おうかんひろため遼東りゃおとんおうつばめすすむ臧荼したがえすわえすくいちょういんしたがえいれせきたて荼為つばめおう。徙齊おうためにかわひがしおうひとしはたしたがえきょうすくいちょういれせきたてためひとしおうしんしょめつひとしおうけん孫田まごたやすし羽方はがた渡河とかすくいちょうやすずみきたすうじょう,引兵くだはねだてやすためずみきたおうさかえしゃはり肯助すわえげきしん,以故とくふうひねあまり棄將しるししたがえいれせきしかもと聞其けん有功ゆうこう於趙,聞其ざいみなみがわいんかんふうさんけんばんくんはたうめ鋗功ふうじゅうまんこうはね自立じりつため西にしすわえはくおうおうはりすわえきゅうぐん彭城。

諸侯しょこうかく就國。さかえ聞羽徙齊おうにかわひがし而立じりつためひとしおうだいいか肯遣市之いちのにかわひがしいん以齊はん迎擊げいげきはしすわえかしこ,乃亡にかわひがし就國。さかえいかついころせそくすみ自立じりつためひとしおう彭越將軍しょうぐんしるしこんはんはりえつ乃擊ころせずみきたおう田安たやすさかえとげ并王さんひとしこれときかんおうかえていさんはたはね聞漢并關ちゅう,且東,ひとしりょうほとりだいいか,乃以くれれいていあきらためかんおう以距かんれいしょうおおやけかくとうげき彭越。えつはいしょうおおやけかくとうときちょうりょう徇韓,のここうおうしょ曰:「かんおう失職しっしょく欲得よくとくせきちゅう,如約そくとめ敢東。」また以齊、りょうはんしょのこはね以此西にし,而北げきひとし徵兵ちょうへいきゅうおうぬのぬのしょうやましくだり使つかいはたしょうすうせんにん往。ねんはねかげ使九江王布殺義帝。ひねあまり使ちょうどうなつせつせつひとしおうさかえ,曰:「こうおうため天下でんかおさむ不平ふへいいまつきおうおう於醜,而王群臣ぐんしんしょしょう善地ぜんち,逐其故主こしゅちょうおう,乃北きょだい以為不可ふか。聞大おうおこりへい,且不聽不義ふぎねがい大王だいおうあまりへい使つかいげき常山つねやま,以復ちょうおう,請以こくため扞蔽。」ひとしおうもといんへい往。ひねあまりさんけんへいあずかひとし併力げき常山つねやま大破たいはちょうみみはしかんひねあまりむかえちょうおう歇反ちょうちょうおういんりつあまりためだいおうはねいたり城陽じょうようさかえまた將兵しょうへい會戰かいせんさかえかちはしいたり平原へいげん平原へいげんみんころせこれはねとげきたしょうえびすひとし城郭じょうかくしつみな阬降そつかかりとりこ老弱ろうじゃく婦女ふじょ。徇齊いたり北海ほっかいしょざんめつひとし人相にんそう聚而ほとり。於是さかえおとうとよこ收得しゅうとくほろびそつすうまんにんはん城陽じょうようはねいんとめ連戰れんせんのう

かんおうこう諸侯しょこうへい,凡五じゅうろくまんにんひがしすわえはね聞之,そくれいしょしょうげきひとし,而自以精へいさん萬人南從魯出胡陵。かんおうみなやめやぶ彭城,おさむ其貨まいない美人びじん日置ひおきさけだかかいはね乃從しょう晨擊かんぐん而東,いたり彭城,にちちゅう大破たいはかんぐんかんぐんみなはしさここく泗水しすいかんぐんみなみなみはしやますわえまた追擊ついげきいたりれい辟東睢水じょうかんぐん卻,ためすわえしょ擠,ころせかんそつじゅうあまりまんみなにゅう睢水,睢水ため不流ふりゅうかんおう乃與すうじゅう遁去。かたり在高ありだかふとしおおやけりょきさきあいだもとめかんおうはんぐうすわえぐんすわえぐんあずかはね常置じょうちぐんちゅう

かんおうややおさむそつしょうなにまたはつせき中卒ちゅうそつ悉詣滎陽,せんきょうさくあいだはいすわえすわえ以故不能ふのう滎陽而西。かんぐん滎陽,ちく甬道,敖倉しょくさんねんはねすうげきぜっかん甬道,かんおうしょくとぼし,請和,わり滎陽以西いせいためかんはねよく聽之。れきこう范增曰:「かんえきあずかみみこんこう必悔。」はね乃急かこえ滎陽。かんおう患之,乃與陳平ちんぺいきんよんまんきん以間すわえ君臣くんしんかたりざい陳平ちんぺいでん項羽こうう以故うたぐ范增,ややだつこれけん。范增いか曰:「天下てんか事大じだいてい矣,君王くんのう為之ためゆきねがいたまもの骸骨がいこつ。」ぎょういたり彭城,疽發。於是かんはたきのしんいつわりためかんおう,以誑すわえぐんかんおうあずかすうじゅうしたがえ西にし門出かどでれいしゅう苛、もみこうひょうもり滎陽。かんおう西入にしいりせきおさむへいかえあてあいだあずか九江王黥布行收兵。はね聞之,そく引兵みなみかんおうけんかべあずかせん

,彭越わたり睢,あずかこうごえ、薛公せん邳,ころせ薛公。はね乃東げき彭越。かんおうまた引兵きたぐんなり皋。はねやめやぶはし彭越,引兵西下さいか滎陽じょうとおるしゅう苛,ころせもみこうとりこかんおうしんじしんかこえなり皋。かんおうとべどくあずか滕公とくきた渡河とかいたりおさむたけしたがえちょうみみかんしんすわえとげ拔成皋。かんおうとくかんしんぐんとめどめ使つかいたがねりゅう賈渡白馬はくばにゅうすわえ彭越ども擊破げきはすわえぐんつばめかく西にししょう其積聚,おさむはりじゅうあまりじょうはね聞之,いいうみはるこうだい司馬しば曹咎曰:「謹守成しゅせい皋。そくかんよく挑戰ちょうせんまき毋與せん,勿令とくひがし而已。わがじゅうにち必定ひつじょうはりふくしたがえ將軍しょうぐん。」於是引兵ひがし

よんねんはねげきひねとめそとそとした數日すうじつくだはね悉令男子だんしねんじゅう以上いじょうまい城東じょうとうよく阬之。そとれい舍人とねりねんじゅうさん,往說曰:「彭越きょうこうがいそとおそれ且降,まち大王だいおう大王だいおういたりまたみな阬之,百姓豈有所歸心哉!したがえ以東いとうはりじゅうあまりじょうみなおそれ,莫肯矣。」はねしか其言,乃赦がいとう阬者。而東いたり睢陽,聞之みなそう

かんはてすう挑楚ぐんせんすわえぐん不出ふしゅつ使つかいじんはずかしめこれろくにちだい司馬しばいかわたりへい氾水。そつはんわたりかんげき大破たいはつきすわえこく金玉きんぎょく貨賂。だい司馬しばとがめちょうふみ欣皆剄氾水上すいじょうとがめ蘄獄じょう,欣故ふさがおうはね信任しんにんはねいたり睢陽,聞咎ききとがめとうやぶのり引兵かえかんぐんかたかこえ鍾離昧於滎陽ひがしはねぐんいたりかんぐんかしこすわえつきはし險阻けんそはねまたぐんこうしょうもり,乃為だかまないたおけぶとおおやけ其上,つげかんおう曰:「こん不急ふきゅうわれとおるたいこう。」かんおう曰:「われあずかわか俱北めん受命じゅめいふところおうやくため兄弟きょうだいわれおうそくなんじおきな。必欲とおる乃翁,こうぶんわがいちさかずきあつもの。」はねいかよくころせこれこうはく曰:「天下てんかごと可知かち。且為天下でんかしゃ顧家,雖殺無益むえきただしえき怨耳。」はねしたがえこれ。乃使じんいいかんおう曰:「天下てんか匈匈,以吾兩人りょうにんねがいあずかおう挑戰ちょうせんけつ雌雄しゆう,毋徒やめ天下でんか父子ふしため也。」かんおうわらいしゃ曰:「われやすし鬥智,不能ふのう鬥力。」はねれい壯士そうし挑戰ちょうせんかんゆうぜん騎射きしゃ曰樓はんすわえ挑戰ちょうせんさんごうろうはん射殺しゃさつはねだいいかかぶと挑戰ちょうせんろうはんよくはね瞋目しかこれろうはん不能ふのう不能ふのうはつはしかえにゅうかべ敢復かんおう使あいだとい,乃羽也。かんおうだいおどろき。於是あずかかんおうしょうあずか臨廣たけあいだ而語。かんおうすうじゅうざいかたり在高ありだかはねいかふくいしゆみしゃきずかんおうかんおうにゅうなり皋。

どき彭越すうはんはりぜっすわえ糧食りょうしょくまたかんしんやぶひとし,且欲げきすわえはね使從兄じゅうけいこう它為大將たいしょうりゅう且為裨將,すくいひとしかんしんやぶころせりゅう且,ついいたりなりとりこひとしおうひろしんとげ自立じりつためひとしおうはね聞之,おそれ使つかいたけわたる往說しんかたりざいしんでん

ときかんせきちゅうへいえきしょくへいしょくしょうかんおう使つかいこうおおやけせつはね乃與かんおうやく中分なかぶん天下でんかわりおおとりみぞ而西しゃためかんひがししゃためすわえかんおう父母ちちはは妻子さいしやめやくかい而東。ねんかんおうすすむへいついはねいたりりょうふくため羽所はどころはいかんおうようちょう良計りょうけい,致齊おうしんじたてしげるこう、彭越へい,乃劉賈入すわえかこえことぶきはるだい司馬しばしゅういん叛楚,舉九江兵隨劉賈,むかい黥布,あずかひとしりょう諸侯しょこうみな大會たいかい

はねかべ垓下,ぐんしょう食盡しょくじんかんそち諸侯しょこうへいかこえすうじゅうはねよる聞漢ぐんよんめんみな楚歌そか,乃驚曰:「かんみなやめすわえ乎?なんすわえじん也!」おこりいんちょうちゅうゆう美人びじんせいおそれ常幸つねゆきしたがえ駿馬しゅんめめい騅,つね。乃悲忼慨,ため曰:「ちから拔山ぬきやま兮氣蓋世がいせい不利ふり兮騅逝。騅不逝兮柰何!おそれ兮虞兮柰わかなに!」うたすうきょく美人びじん和之かずゆきはね泣下すうぎょう左右さゆうみな泣,莫能仰視ぎょうし

於是とげ上馬かみうまおどけ從者じゅうしゃはちひゃく餘人よにん夜直やちょくつぶせかこえ南出みなみではせ平明へいめいかんぐん乃覺れいはた灌嬰以五せんおいはねわたり淮,のうぞくしゃひゃく餘人よにんはねいたりかげりょう,迷失どうもんいちちちちち紿曰「ひだり」。ひだり,乃陷大澤おおさわちゅう,以故かん追及ついきゅうはねふく引而ひがしいたり東城とうじょう,乃有じゅうはちおいしゃすうせんとくぬげいい其騎曰:「われおこりへいいたりいまはちさい矣,ななじゅうせんしょとうしゃやぶしょげきしゃふく敗北はいぼくとげはくゆう天下でんかしかいまそつこま於此,此天ほろびわがせんつみ也。今日きょうかた決死けっしねがいためしょぐんかいたたかえ,必さんしょうはたもぐさ,乃後使つかい諸君しょくんわが用兵ようへいざいてんほろびわが也。」於是引其いん四隤山而為圜陳外嚮。かんかこえすうじゅうはねいい其騎曰:「われため公取こうとりかれいちしょう。」れい四面しめんはせ山東さんとう為三ためぞうしょ。於是大呼たいこはせかんぐんみな披靡。とげころせかんいちしょう,楊喜ためろうついはねかえしかこれ人馬じんば俱驚,辟易へきえきすうさとあずか其騎かいさんしょかんぐん不知ふち羽所はどころきょふんぐんためさんふくかこえこれはね乃馳,ふくかんいちじょうころせすうじゅうひゃくにんふく聚其ほろびりょう。乃謂曰:「なに如?」みなふく曰:「如大おうげん。」

於是とげ引東,よくわたる烏江からすえ烏江からすえちんちょう檥船まていい曰:「江東こうとう雖小,地方ちほう千里せんり,眾數じゅうまんまたあしおう也。ねがい大王だいおうきゅうわたりこんどくしんゆうせんかんぐんいたりほろび以渡。」はねわらい曰:「乃天ほろびわがなにわたりため!且籍あずか江東こうとう子弟していはちせんにんわたり而西,いまほろびいちにんかえたて江東こうとう父兄ふけい憐而おうわがわがなにめん目見まみ哉?たてかれ不言ふげんせきどく愧於こころ乎!」いいていちょう曰:「われこう長者ちょうじゃ也,われ此馬さいしょとうほろびてき,嘗いちにち千里せんりわれにんころせ,以賜こう。」乃令みなうまたんへい接戰せっせんはねどくしょころせかんぐんすうひゃくにんはねまたじゅうあまりそう。顧見かん司馬しばりょわらわ曰:「わかわれ故人こじん乎?」うまわらわめんゆびおうかげ曰:「此項おう也。」はね乃曰:「われ聞漢購我あたま千金せんきん,邑まんわれためこうとく。」乃自剄。おうかげ其頭,らんしょう輮蹈そう相殺そうさいしゃすうじゅうにん最後さいご楊喜、りょわらわろう中呂ちゅうろかち、楊武かくとく一體いったいぶん其地以封にんみなため列侯れっこう

かんおう乃以魯公ごうそう於穀じょうしょこうささえぞくみな誅。ふうこうはくとうよん人為じんい列侯れっこうたまものせいりゅう

さん曰:むかし賈生しん曰:

はたたかしおおやけよりどころ殽函かたよう雍州君臣くんしん固守こしゅ而闚しゅうしつゆう席卷せっけん天下でんかつつみ舉宇內,囊括四海しかい,并吞はちあらこれこころとう也,しょうくん,內立法度はっとつとむたがやせおさむもりせん備,そと連衡れんこう而鬥諸侯しょこう。於是しんじん拱手こうしゅ而取西河にしがわそと

こうこうすんでぼつめぐみぶんたけあきらじょうこうむぎょういんのこさくみなみかんちゅう西にし舉巴しょくひがしわりあぶら腴之おさむ要害ようがいぐん諸侯しょこう恐懼きょうくかいめい而謀じゃくしんあいちん重寶ちょうほう肥饒ひじょう,以致天下でんか合從がっしょうしめ交,そうあずかためいちとう此之ひとしゆうはじめ嘗,ちょうゆう平原へいげんすわえ有春ありはるさる有信ありのぶりょう。此四賢者けんじゃみな明智めいち而忠しんじ寬厚かんこう而愛じんみことけんじゅうやくしたがえはなれよこけんかんつばめちょうそうまもる中山なかやま眾。於是六國之士有甯越、じょしょうはたもり赫之ぞく為之ためゆきはかりごとひとしあきらしゅうさいちん軫、召滑、ろうなる、翟景、厲、らくあつしどおり其意,おこりまご臏、おびりょうおう廖、れん頗、ちょうおごこれともせい其兵。つねじゅうばいひゃくまんこれぐんおおせせき而攻しんしんじんひらきせきのべてき,九國之師遁巡而不敢進。はたほろびのこ鏃之,而天やめこま矣。於是したがえやくはいそうわり而賂しんはたゆう餘力よりょく而制其弊,ついほろび逐北,ふくしかばねひゃくまん流血りゅうけつ漂鹵,いんじょう便びんおさむわり天下でんか分裂ぶんれつ山河さんが強國きょうこく請服,弱國じゃっこく入朝にゅうちょう

ほどこせ及孝ぶんそうじょうおうとおるこく日淺ひあさ國家こっかほろびごと

及至はじめすめらぎ,奮ろくせいれつちょうさく而馭宇內,吞しゅう而亡諸侯しょこうくつ至尊しそん而制ろくごう敲扑以鞭むち天下でんかふるえ四海しかいみなみひゃく粵之,以為かつらりんぞうぐん。百粵之君頫首係頸,いのち吏。乃使こうむ恬北ちく長城ちょうじょう而守はんませ,卻匈やつななひゃくあまりさとえびすじん敢南而牧敢彎ゆみ而報怨。於是はい先王せんおうみち,焚百げん,以愚黔首。墮名じょうころせごうしゅんおさむ天下でんかへい聚之咸陽,銷鋒鍉鑄以為きんじんじゅう,以弱天下でんかみんしかこう踐華ためじょういんかわためよりどころおくたけしろ,臨不測ふそくかわ,以為かたはた勁弩,まもり要害ようがいしょしんしんせいそつちんとしへい誰何すいか天下てんかやめじょうはじめすめらぎしん以為せきちゅうかた金城きんじょう千里せんり子孫しそん帝王ていおうまんせいこれぎょう也。

はじめすめらぎすんでぼつ餘威よいふるえ于殊ぞくしか而陳わたる牖繩くるる之子ゆきこ,甿隸これにん,遷徙也,ざいのう中庸ちゅうようゆうなかぼく翟之とうしゅ、猗頓とみ。躡足ぎょうあいだ,而免おこり阡陌なかそちやめこれそつはたすうひゃくこれ眾,てん而攻しんためへい,揭竿ため天下てんかくもあい嚮應,贏糧而景したがえ山東さんとうつよししゅんとげなみおこり而亡しんぞく矣。

且天しょうじゃく也;雍州,殽函かた自若じじゃく也。ちんわたるこれ於齊おさいすわえつばめちょうかんそうまもる中山なかやまきみ;鉏耰とげ矜,不敵ふてき於鉤戟長鎩;てき戍之眾,亢於きゅう國之くにゆき深謀遠慮しんぼうえんりょ行軍こうぐん用兵ようへいみち及曩也。しか成敗せいばい異變いへん功業こうぎょう相反あいはんなに也?ためし使さん東之ひがしのこくあずかちんわたるちょう絜大,けんりょうりょく不可ふか同年どうねん而語矣。しかはた以區,致まんじょうこれけん,招はちしゅう而朝同列どうれつひゃく有餘ゆうよねんしかきさきろくごうため,殽函ためみや。一夫作難而七廟墮,人手ひとでため天下でんかわらいしゃなに也?じんよしみほどこせ,而攻もりいきおい也。

しゅうせいまたゆうげん,「しゅんぶたじゅう童子どうじ」,項羽こうう又重またしげ童子どうじあに其苗裔邪?なに其興暴也!おっとしんしつ其政,ちんわたるくびなんごう蜂起ほうきそうあずかなみそう不可ふかかちすうしかはねゆう尺寸しゃくすんじょうぜい拔起隴畝ちゅうさんねんとげしょう諸侯しょこうへいめつしん分裂ぶんれつ天下でんか而威うみ內,ふうりつ王侯おうこうせい繇羽ごうためはくおう」,雖不おわり近古きんこ以來いらい嘗有也。及羽せきふところすわえ放逐ほうちくみかど,而怨王侯おうこうほとりおのれなん矣。矜功,奮其わたしさとし而不いにしえはじめ霸王くによく以力せい經營けいえい天下でんかねんそつほろび其國,東城とうじょうなお不覺ふかく寤,自責じせき過失かしつ,乃引「てんほろびわが用兵ようへいつみ」,あに謬哉!