(Translated by https://www.hiragana.jp/)
三國演義/第002回 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

さんこく演義えんぎ/だい002かい

維基文庫ぶんこ自由じゆうてき圖書館としょかん
目錄もくろく さんこく演義えんぎ
じょういちかい だいかい ちょうつばさとくいかむちとく郵 なにこくしゅうとはかりごと誅宦豎 したいちかい

  且說ただしたくなか穎,隴西臨洮じん也。かんはい河東かわとう太守たいしゅらい驕傲きょうごう當日とうじつ怠慢たいまんりょうげんとくちょうせいはつ便びんよくころせこれげんとくあずかせきこうきゅうとめ曰:「朝廷ちょうていいのちかんあに擅殺?」曰:「わかころせ這廝,はんようざい部下ぶか聽令,其實あま!二兄要便住在此,わがとうべつしょ也!」げんとく曰:「わがさんにんよしどう生死せいしあにしょうはなれわかとうべつしょ便びんりょう。」曰:「わか如此,ややかいわれ恨。」於是三人連夜引軍來投朱儁。儁待甚厚,ごうへいいちしょしん討張たから曹操そうそう跟皇はじめかさ討張はり大戰たいせん於曲。這裏しゅ進攻しんこうちょうたからちょうたから引賊眾八きゅうまんたむろ於山。儁令げんとくため先鋒せんぽうあずかぞく對敵たいてきちょうたから副將ふくしょうだかのぼり出馬しゅつば搦戰。げんとく使ちょうげきたてていほこあずかのぼり交戰こうせんすうごうとげのぼり落馬らくばげんとく麾軍ちょく過去かこちょうたから就馬じょう披髮仗劍,さくおこり妖法。只見ただみふうかみなり大作たいさくいちまたくろしたがえてん而降:くろちゅう有無うむげん人馬じんばころせらいげんとくれんせわしかいぐんぐんちゅう大亂たいらんはいじん而歸,あずかしゅ儁計。儁曰:「かれよう妖術ようじゅつわが來日らいにちおさむ豬羊いぬれいぐんふく於山あたまこうぞく趕來,したがえだか坡上潑之,其法かい。」

  げんとく聽令,ばちせきこうちょうかく引軍いちせんふく於山高岡たかおかこれじょうもり豬羊いぬなみけがれぶつ準備じゅんびつぎちょうたからゆらはた,引軍搦戰,げんとく出迎でむかえ。交鋒さいちょうたから作法さほうふうかみなり大作たいさく砂走すなばしりせきくろ漫天,たぎたぎ人馬じんばてん而下。げんとくばち便びんはしちょうたからへい趕來。はた山頭やまずせきちょうふくぐんおこりごうほうはたけがれぶつひとし潑。ただし空中くうちゅうじんくさ紛紛ふんぷん墜地;ふうかみなりひたぶるいきすなせきちょうたから見解けんかい了法りょうほうきゅうほっ退すさぐんひだりせきこうみぎちょうりょうぐん背後はいごげんとくしゅ一齊いっせい趕上,賊兵ぞくへい大敗たいはいげん德望とくぼう見地けんちこう將軍しょうぐんはたごう飛馬ひうま趕來,ちょうたから落荒而走。げんとくはつちゅう其左ひじちょうたからたい逃脫,走入はしりじょう堅守けんしゅ不出ふしゅつしゅ儁引へいかこえじゅうじょうおさむ,一面差人打探皇甫嵩消息。さがせ回報かいほうせつ:「すめらぎはじめかさみだいかつとし朝廷ちょうてい以董たく屢敗,いのちかさだいかさいたときちょうかくやめちょうりょうみつる其眾,あずかわがぐんしょうこばめすめらぎはじめかさ連勝れんしょうななじんちょうはり於曲はつはりかくかん,戮屍梟首きょうしゅおく往京眾俱降。朝廷ちょうていすめらぎはじめかさためしゃ將軍しょうぐんりょう冀州まきすめらぎはじめかさまたおもてそうしょく有功ゆうこう無罪むざい朝廷ちょうていふく植原うえはらかん曹操そうそうまた有功ゆうこうじょずみみなみしょう即日そくじつはたはん赴任ふにん。」しゅ儁聽せつ催促さいそく軍馬ぐんば,悉力おさむじょうぞくぜい危急ききゅう賊將ぞくしょういむまさし刺殺しさつちょうたからけんじくび投降とうこうしゅ儁遂ひらめすうぐん上表じょうひょうけんじとし

  時又ときまたはばあまりとうさんにん,─ちょうひろしかんただしまごなか─,聚眾すうまんもちふうしょうこうたたえあずかちょうかくほう讎。朝廷ちょうていいのちしゅ儁即以得勝之かつゆき討之。儁奉みことのりりつぐん前進ぜんしんときぞくよりどころあてじょう,儁引へいおさむちょうひろしかんただしせん。儁遣げんとくせきちょうおさむ城西じょうさい南角みのずみかんただしつきりつ精銳せいえい眾,らい西南せいなんかく抵敵。しゅ儁自たて鐵騎てっきせん,逕取東北とうほくかくぞくおそれしつじょうきゅう西南せいなん而回。げんとくしたがえ背後はいご掩殺,ぞく大敗たいはい,奔入あてじょうしゅ儁分へいよんめんかこえじょうしろ中斷ちゅうだんかてかんただし使つかいじん出城でしろ投降とうこう。儁不もとげんとく曰:「むかし高祖こうそ天下でんかぶたためのう招降おさめじゅんこうなにこばめかんただし耶?」儁曰:「かれ一時いちじ,此いち也。むかしはたこうさい天下てんか大亂たいらんみんじょうぬし招降しょう,以勸らいみみこんうみ一統いっとうおもんみはば造反ぞうはんわかよう其降,以勸ぜん使つかいぞくとく恣意しい劫掠ごうりゃくしつ利便りべん投降とうこう:此長寇之こころざし良策りょうさく也。」げんとく曰:「よう寇降矣。いま四面圍如鐵桶,ぞく乞降必然ひつぜんたたかえまんにん一心いっしんなお不可ふかとうきょう城中じょうちゅう有數ゆうすうまん死命しめいひと乎?わか撤去てっきょ東南とうなんどくおさむ西北せいほくぞく必棄じょう而走,無心むしんこいせんそくとりこ也。」儁然とげ撤東みなみめん軍馬ぐんば一齊いっせいおさむ西北せいほくかんただしはて引軍棄城而奔。儁與げんとくせきちょうりつ三軍さんぐん掩殺,しゃかんただしみな四散しさん奔走ほんそう

  せいつい趕間,ちょうひろしまごなか引賊眾到,あずか交戰こうせん。儁見ひろぜいだい,引軍暫退。ひろしじょうぜいふくだつあてじょう。儁離じゅうさと寨,ぽうよくおさむゆるがせせいひがしいちあや人馬じんば到來とうらいためくびいちしょう生得しょうとくこうがく闊面,とらからだぐまこしくれぐんとみはるじん也:せいまごめいけん文臺ぶんだい,乃孫武子たけしこれとしじゅうななさいあずかちちいたり錢塘ぜんども海賊かいぞくじゅう餘人よにんこう商人しょうにん財物ざいぶつ,於岸上分かみぶん贓。けんいいちち曰:「此賊とりこ也。」とげ奮力ひさげがたな上岸かみきしあげごえだいさけべ東西とうざい指揮しき,如喚じんじょうぞく以為かんへいいたりつき棄財ぶつ奔走ほんそうけん趕上,ころせいちぞくよしこおりけん知名ちなこもためこうじょう後會こうかい稽妖ぞくもとあきら造反ぞうはん自稱じしょう陽明ようめい皇帝こうてい,聚眾すうまんけんあずかぐん司馬しば招募勇士ゆうしせん餘人よにん會合かいごうしゅうぐんやぶこれもとあきらなみ其子もと韶。刺史しし臧旻上表じょうひょうそう其功,じょかたためしお瀆丞,またじょ盱眙すすむしも邳丞。今見いまみはば寇起,聚集鄉中ごうなか少年しょうねん及諸しょうたびなみ淮泗精兵せいびょういちせんひゃく餘人よにんぜんらいせっおう

  しゅ儁大便びんれいけんおさむみなみもんげんとく北門きたもんしゅ儁打西門にしもんとめ東門ひがしもんあずかぞくはしまごけんくびさき登城とじょうぞくじゅう餘人よにんぞく眾奔つぶせちょうひろし飛馬ひうま突槊,ちょくまごけんけんしたがえ城上じょうかみだつひろ槊,とげひろ下馬げば;卻騎ひろ往來おうらいころせぞくまごなか引賊突出とっしゅつ北門きたもんせいむかいげんとく無心むしんこいせんただまち奔逃。げんとくちょうゆみいち正中せいちゅうまごなか翻身ほんしん落馬らくばしゅ儁大ぐんずい掩殺,斬首ざんしゅすうまんきゅうくだしゃ不可ふかかちけい南陽なんよう一路いちろじゅうすうぐんみなたいら。儁班かいきょうみことのりふうためしゃ将軍しょうぐん河南かなんいん。儁表そうまごけんりゅう備等こうけんゆう人情にんじょうじょべつ郡司ぐんじ馬上もうえつとむりょうおもんみげんとく聽候ひさとくじょ授。

  さんにんうつうつらくうえがいあいだぎょうせい值郎ちゅうちょうひとししゃいたげんとくこれひね功績こうせきひとしだいおどろきずい入朝にゅうちょうみかど曰:「むかしはば造反ぞうはん其原そのはらみなよし十常侍賣官鬻爵,おや不用ふよう讎不誅,以致天下でんか大亂たいらんいまむべじゅうつねさむらいかかくび南郊なんこう使者ししゃ布告ふこく天下でんか有功ゆうこうしゃじゅう賞賜しょうしのりよん海自かいじきよしひら也。」十常侍奏帝曰:「ちょうひとし欺主。」みかどれい武士ぶし逐出ちょうひとしじゅうつねさむらいども:「此必破はば有功ゆうこうしゃとくじょ授,なま怨言えんげんけん且教しょう銓註ほろまち卻再理會りかいばん。」いん此玄とくじょ授定しゅう中山ちゅうざんやすけんじょう,剋日赴任ふにんげんとく將兵しょうへいかい鄉里きょうりとめたいおやずいじゅう餘人よにんあずかせきちょうらいやすけんちゅういたにんしょけんごといちがつあずかみん秋毫しゅうごうおかせみんみな感化かんかいたにんこれあずかせきちょうしょくそくどう桌,そくどうゆか。如玄とくざい稠人こうすわせきちょう侍立じりつ終日しゅうじつ倦。

  いたけんよんがつあさ廷降みことのり,凡有軍功ぐんこうためちょう吏者とう沙汰さたげんとくうたぐざいなかてきとく郵行いたりけんげんとく迎接げいせつとく郵施れいとく郵坐於馬じょうおもんみほろ以鞭ゆび回答かいとうせきちょうおおやけ俱怒。及到かんえきとく南面なんめんだかすわげんとく侍立じりつ階下かいか良久よしひさとく郵問曰:「りゅうけんじょうなん出身しゅっしん?」げんとく曰:「備乃中山なかやまやすしおうこう涿郡剿戮はば大小だいしょうさんじゅうせん,頗有ほろこういんとくじょいましょく。」とく大喝だいかつ曰:「なんじ詐稱さしょうすめらぎおや虛報きょほう功績こうせき目今もっこんあさ廷降みことのりせいよう沙汰さた這等濫官汙吏!」げんとく喏喏連聲れんじょう而退。いたけんちゅうあずかけん商議しょうぎ。吏曰:「とく郵入よう賄賂わいろみみ。」げんとく曰:「わがあずかみん秋毫しゅうごうおかせとく財物ざいぶつあずか?」つぎとく郵先つつみけん吏去,勒令ゆびしょうけんじょうがいみんげんとくいくばん往求まぬかれ,俱被もんやく阻住,肯放さん

  郤說ちょういんりょうすうさかずきもだえしゅ乘馬じょうばしたがえかん驛前えきまえろくじゅう老人ろうじんみなざい門前もんぜん痛哭つうこくとい其故。眾老じんこたえ曰:「とく郵逼勒縣吏,よくがいりゅうこうとうみならいつげいれはん遭把門人もんじん趕打!」ちょうだいいか,睜圓かん,咬碎こうきばたぎくら下馬げば,逕入館にゅうかんえき門人もんじんうら阻擋とくじゅうちょく奔後どうとく正坐せいざちょうじょうはたけん吏綁たおせ在地ざいち大喝だいかつ:「がいみんぞくみとめわが麼?」とく郵未及開ごとはやちょう揪住頭髮とうはつ,扯出かんえきちょくいたけんぜんうま樁上ばくじゅう;扳下やなぎじょうとく郵兩ももじょうちょりょくむち,一連打折柳條十數枝。

  げん德正のりまさおさめもだえあいだ,聽得けんまえやかまし鬧,もん左右さゆうとう曰:「ちょう將軍しょうぐん一人ひとりざいけんまえつう。」げんとくせわしかん綁縛しゃ乃督郵也。げんとくおどろきとい其故。曰:「此等がいみんぞくとう甚!」とく郵告曰:「げんとくこうすくいせいいのち!」げんとくおわり仁慈じんじてきじんきゅうかつちょうじゅうしゅはたうたてせきこうらい,曰:「あにちょうけん許多きょた大功たいこう,僅得けんじょうこんはんとく侮辱ぶじょくわれおもえからたちとげくさむらちゅう棲鸞おおとりこれしょ如殺とく郵,棄官歸鄉ききょうべつ遠大えんだいけい。」げんとく乃取印綬いんじゅかけ於督郵之頸,せめ曰:「よりどころなんじがいみん本當ほんとうころせ卻;こんしゅうとにょうなんじいのちわれ繳還印綬いんじゅしたがえ此去矣!」とく郵歸つげじょうしゅう太守たいしゅ太守たいしゅ申文もうしぶみしょうじん捕捉ほそくげんとくせきちょう三人往代州投劉恢。恢見げんとく乃漢しつそうちかしとめ匿在だい

  卻說十常侍既握重權,互相商議しょうぎただしゆうしたがえおのれしゃ,誅之。ちょうただしちょうゆずるじんとえやぶはば將士しょうしさくきん帛,從者じゅうしゃそう罷職ひしょくすめらぎはじめかさしゅ儁皆肯與,ちょうただしとう俱奏やめ其官。みかどまたふうちょうただしとうためしゃ將軍しょうぐんちょうゆずるとうじゅうさんにんみなふう列侯れっこう朝政ちょうせいいよいよ壞,人民じんみん嗟怨。於是ちょうすなぞくほしさくらんりょうちょう舉、ちょうじゅんはん:舉稱天子てんしじゅんしょう大將軍だいしょうぐんおもてあきら雪片せっぺんつげきゅうじゅうつねさむらいみな藏匿ぞうとくそう

  いちにちみかどざいえんあずかじゅうつねさむらいいんえん,諫議大夫たいふりゅうすえ,逕到みかどぜんだい慟。みかどとい其故。すえ曰:「天下てんか危在旦夕たんせき陛下へいかひさしあずか閹官どもいん耶!」みかど曰:「國家こっかうけたまわひらめゆうなん危急ききゅう?」とう曰:「四方しほう盜賊とうぞくなみおこり侵掠しんりゃくしゅうぐん。其禍みなよし十常侍賣官害民,欺君罔上。朝廷ちょうてい正人まさとみなわざわいざい目前もくぜん矣!」十常侍皆免冠跪伏於帝前曰:「大臣だいじんあいようしんとう不能ふのうかつ矣!ねがい乞性いのちでんさとつき將家しょうかさん以助軍資ぐんし。」げんやめ痛哭つうこくみかどいかいいすえ曰:「なんじまたゆう近侍きんじこれにんなにどくようちん耶?」よび武士ぶし推出これりゅうすえ大呼たいこ:「しん惜!可憐かれんかんしつ天下でんかよんひゃくねんいた一旦いったんきゅう矣!」

  武士ぶしようすえぽうよく行刑ぎょうけい,一大臣喝住曰:「勿得下手へたまてわが諫去。」眾視,乃司ひねふけ。逕入しつちゅうらい諫帝曰:「りゅう諫議とくなんざい而受誅?」みかど曰:「毀謗近臣きんしんおかせちん躬。」ふけ曰:「天下てんか人民じんみんよくしょくじゅうつねさむらいにく陛下へいか敬之たかゆき父母ちちははすんこうみなふう列侯れっこうきょうふう諝等ゆいれんはばほしため內亂:陛下へいかこん自省じせい社稷しゃしょく立見たちみくずし摧矣!」みかど曰:「ふう諝作みだれ,其事不明ふめいじゅうつねさむらいちゅうあにいち忠臣ちゅうしん?」ひねふけ以頭撞階而諫。みかどいかいのち牽出,あずかりゅうすえみな下獄げごくよる,十常侍即於獄中謀殺之;かりみかどみことのり以孫けんためちょうすな太守たいしゅ,討區ぼし

  じゅうにちほうとし江夏えなつたいらみことのりふうかたためがらすほどこうふうりゅうおそれためかそけしゅうまぎりょうへい往漁せいちょう舉、ちょうじゅんだいしゅうりゅう恢以しょこもげんとくおそれおそれ大喜だいぎれいげんとくためじょう,引兵ちょく抵賊あずかぞく大戰たいせん數日すうじつくじけどう銳氣えいきちょうじゅんせんいち兇暴きょうぼう士卒しそつしんへんとばり頭目とうもく刺殺しさつちょうじゅんはたあたまおさめけんじりつ眾來くだちょう舉見ぜいはいまた縊死いしりょうつきたいらりゅうおそれひょうそうりゅう大功たいこう朝廷ちょうてい赦免しゃめんむちとく郵之ざいじょみつすすむ,遷高どうじょう公孫こうそん瓚又ひょうちんげん德前とくぜんこうこもためべつ司馬しばまもり平原ひらばらけんれいげんとくざい平原へいげん,頗有ぜにかて軍馬ぐんばじゅうせいきゅうにち氣象きしょうりゅうおそれひら有功ゆうこうふうふとしじょう

  中平なかひらろくねんなつよんがつれいみかどびょうあつし,召大將軍しょうぐんなん進入しんにゅうみや商議しょうぎ後事こうじなんしんおこりほふいえいんいもうとにゅうみやため貴人きじんなま皇子おうじべんとげたてため皇后こうごうしんゆかりとくけん重任じゅうにんみかどまたちょうこうおう美人びじんなま皇子おうじきょうなにきさき嫉妒,鴆殺おう美人びじん皇子おうじきょうやしなえ於董ふとしきさき宮中きゅうちゅうただしふとしきさき乃靈みかどははかい瀆亭こうりゅう萇之つま也。はついん桓帝むかいたてかい瀆亭ほう之子ゆきこためれいみかどれいみかどいれまましだいすべとげむかい養母ようぼ於宮ちゅうとうとためふとしきさきただしふとしきさき嘗勸みかどりつ皇子おうじきょうため太子たいしみかどまた偏愛へんあいきょうよくりつ當時とうじびょうあつしちゅうつねさむらいあしなえせきそう曰:「わかよくりつきょう,必先誅なんしん,以絕後患こうかん。」みかどしか其說,いんせん進入しんにゅうみやすすむいたり宮門きゅうもん司馬しばはんかくれいいしん曰:「不可ふかにゅうみやあしなえせきよく謀殺ぼうさつこう。」すすむだいおどろききゅう私宅したく,召諸大臣だいじんよくつき誅宦かんじょう一人ひとり挺身ていしん曰:「宦官かんがんいきおいおこりおきしつとき朝廷ちょうていしげるづるごくひろやすのうつき誅?倘機みつ,必有めつぞくわざわい:請細しょう。」すすむ,乃典ぐんこうじょう曹操そうそう也。すすむしか曰:「なんじしょうやからやす朝廷ちょうてい大事だいじ!」せい躊躇ちゅうちょあいだはんかくれいたりげん:「みかどやめくずしこんあしなえせきあずかじゅうつねさむらい商議しょうぎ不發ふはつ,矯詔せんなんこくしゅうとにゅうみやよくぜっ後患こうかん冊立さくりつ皇子おうじきょうためみかど。」せつ未了みりょう使命しめいいたりせんしんそくいれ,以定後事こうじみさお曰:「今日きょうけいさきむべただしくんしか後圖こうとぞく。」しん曰:「だれ敢與われただしくん討賊?」一人ひとり挺身ていしん曰:「ねがい精兵せいびょうせんせきにゅう內,冊立さくりつしんくんつき誅閹豎,掃清朝廷ちょうてい,以安天下でんか!」すすむ,乃司袁逢之子ゆきこ,袁隗めいめい紹,本初ほんしょため隸校じょうなんしん大喜だいぎとげてんはやしぐんせん。紹全身ぜんしん披掛。なんしん引何顒、荀攸、ていやすしとう大臣だいじんさんじゅうあまりいんそうつぎ而入,就靈みかどひつぎまえ,扶立太子たいしべんそく皇帝こうてい

  百官呼拜已畢,袁紹にゅうみやおさむあしなえせきせき慌走にゅう花園はなぞのはなかげためちゅうつねさむらいかくまさるしょころせせき所領しょりょうきんぐんつきみなとうじゅん。紹謂なんしん曰:「ちゅうかん結黨けっとう今日きょうじょういきおいつき誅之。」ちょうゆずるとう知事ちじきゅう,慌入つげなんきさき曰:「はじめはつしつらえはかりごとおちいがい大將軍だいしょうぐんしゃとめあしなえせき一人ひとりなみしんとうごとこん大將軍だいしょうぐん聽袁紹之ごとよくつき誅臣とう,乞娘むすめ憐憫れんびん!」なにふとしきさき曰:「なんじとう勿憂,わがとうなんじ。」つてむねせんなん進入しんにゅうふとしきさきみついい曰:「わがあずかなんじ出身しゅっしんさむほろちょうゆずるとう,焉能とおる富貴ふうきこんあしなえせき不仁ふじんすんでやめふく誅,なんじなん信人のぶとげんよくつき誅宦かん耶?」なんしん聽罷,いい眾官曰:「あしなえせきしつらえはかりごとがいわがぞくめつ其家。其餘必妄殘害ざんがい。」袁紹曰:「わかくさじょ,必為ほん。」しん曰:「われやめぎまなんじ多言たげん。」眾官みな退すさ

  つぎふとしきさきいのちなんしんさんろく尚書しょうしょごと,其餘みなふう官職かんしょくただしふとしきさきせんちょうゆずるとうにゅうみや商議しょうぎ曰:「なんしんいもうとはじめはつわが抬舉今日きょう孩兒がいじそく皇帝こうてい,內外しん僚,みな其心はらけんふとしじゅうわがはた如何いか?」ゆずるそう曰:「むすめむすめ臨朝,たれすだれ聽政;ふう皇子おうじきょうためおうこくしゅうとただしじゅう大官たいかん掌握しょうあくぐんけん重用じゅうようしんとう大事だいじ矣。」ただしふとしきさき大喜だいぎつぎしつらえあさただしふとしきさきくだむねふう皇子おうじきょうためひねとめおうただしじゅうため驃騎將軍しょうぐんちょうゆずるとうどもあずか朝政ちょうせいなにふとしきさきただしふとしきさき專權せんけん,於宮ちゅうしつらえいちえん,請董ふとしきさき赴席。さけいたるはんたけなわなにふとしきさきおこりささげさかずき再拜さいはい曰:「わがとうみな婦人ふじん也,さんあずか朝政ちょうせい其所よろしむかしりょきさきいんにぎじゅうけん宗族そうぞくせんくちみな戮。こんとうむべ深居ふかい九重ここのえ朝廷ちょうてい大事だいじにん大臣だいじん元老げんろうくだり商議しょうぎ,此國家こっか幸也ゆきやねがいたれ聽焉。」ただしふとしきさきだいいか曰:「なんじ鴆死おう美人びじんしつらえこころ嫉妒。こん倚汝ためくんあずかなんじけいなんしんいきおい,輒敢らんごとわれ敕驃だんなんじけいくび,如反てのひらみみ!」なにきさきまたいか曰:「われ以好げんしょうすすむなにはんいか耶?」ただしきさき曰:「なんじほふ沽小やからゆうなん見識けんしき!」

  りょうみや互相そうきそえちょうゆずるとうかくすすむみやなにきさき連夜れんや召何進入しんにゅうみやつげ以前いぜんごとなに進出しんしゅつ,召さん公共こうきょうらいはやしつらえあさ使つかい廷臣ていしんそうただしふとしきさきばらがかりはんよろし久居ひさい宮中きゅうちゅうごう仍遷於河あいだ安置あんちげん日下くさかそく出國しゅっこくもん。一面遣人起送董后;一面點禁軍圍驃騎將軍董重府宅,ついさく印綬いんじゅただしじゅう知事ちじきゅう自刎じふん於後どう家人かじん舉哀,ぐんかたちょうゆずるだん珪見ただしきさきいちえだやめはいとげみな以金たま玩好ゆいなんしんおとうとなんきょくなみ其母まいようくんれい早晚そうばんいれなんふとしきさきしょ善言ぜんげん遮蔽しゃへいいん此十常侍又得近幸。

  六月ろくがつなんしんくら使つかいじん酖殺ただしきさき於河あいだえきにわ,舉柩かいきょうそう於文りょうすすむたくびょう不出ふしゅつつかさ隸校じょう袁紹いれすすむ曰:「ちょうゆずるだん珪等流言りゅうげん於外,げんこう酖殺ただしきさきよくはかりごと大事だいじじょう此時誅閹宦,必為だいむかし竇武よく誅內豎,はかりごとみつはん受其殃。こんおおやけ兄弟きょうだいきょくはた吏,みな英俊えいしゅんわか使つかい盡力じんりょくことざい掌握しょうあく。此天さんとき不可ふかしつ也。」しん曰:「且容商議しょうぎ。」左右さゆうみつほうちょうゆずるゆずるとううたてつげなんなえまたおく賄賂わいろなえにゅうそうなんきさきうん:「大將軍だいしょうぐん輔佐ほさしんくんくだり仁慈じんじ專務せんむ殺伐さつばつこんみずまたよくころせじゅうつねさむらい,此取らん道也みちや。」きさきおさめ其言。

  すくなころなに進入しんにゅうしろきさきよく誅中涓。なにきさき曰:「ちゅうかんすべりょうきんしょうかん故事こじ先帝せんていしん棄天しかよく誅殺ちゅうさつ舊臣きゅうしんじゅう宗廟そうびょう也。」すすむほんぼつ決斷けつだんこれにん,聽太きさきごと唯唯ただただ而出。袁紹むかえとい曰:「大事だいじわかなに?」しん曰:「ふとしきさきまこと,如之奈何いかん?」紹曰:「四方しほう英雄えいゆう人士じんし,勒兵らいきょうつき誅閹豎。此時事じじきゅうようふとしきさきしたがえ。」しん曰:「此計だいみょう!」便びんはつげきいたりかく鎮,召赴京師けいし

  おも簿ひね琳曰:「不可ふかぞくうん:『掩目而捕燕雀えんじゃく』,欺也。ほろものなお不可ふか欺以とくこころざしきょう國家こっか大事だいじ乎?こん將軍しょうぐん仗皇てのひらへいようりゅう驤虎高下こうげざいしんわかよく誅宦かん,如鼓ひろし燎毛かみみみただしとうそくはつぎょうけんたてだんのり天人てんにんじゅん﹔卻反がいげき大臣だいじん,臨犯きょう闕,英雄えいゆう聚會,かくふところ一心いっしん所謂いわゆるたおせ干戈かんか,授人以柄,こう必不なりはんなまらん矣。」なんしんわらい曰:「此懦夫だふ也!」はた一人鼓掌大笑曰:「此事えき如反てのひらなに必多!」,乃曹みさお也。せい

よくじょ君側くんそくよいにんみだれ,須聽あさちゅうさとしはかりごと

不知ふち曹操そうそうせつ甚話らい,且聽ぶん分解ぶんかい

じょういちかい したいちかい
さんこく演義えんぎ