おはようスタジオ
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おはようスタジオ | |
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ジャンル |
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ほか | |
プロデューサー |
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テレビ | |
モノラル | |
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1979 | |
60→54→45→50 | |
『おはようスタジオ』は、1979
概 要
[「
1979.04.02( |
1981.04.03( |
|||
---|---|---|---|---|
1981.04.06( |
1981.09.30( |
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1981.10.02( |
1984.03.30( |
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1984.04.02( |
1985.03.29( |
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1985.04.01( |
1985.09.27( |
さつきりせ | ||
1985.09.30( |
1986.03.28( |
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1986.03.31( |
1986.06.27( |
コーナー出 演 者 とスタッフ
[- 1984
年 10月 - 1985年 3月 Mike Rogers(ラジオDJ)
おはスタマヌカン(
エピソード
[- この
番 組 が始 まる前 年 までは、東 京 12チャンネルの平 日 の放 送 開 始 時 間 は、7時 45分 放 送 と遅 かった。本 番 組 を立 ち上 げるに際 し、準 備 も含 めると早 朝 5時 からの勤 務 となることから労 働 組 合 の反 対 に遭 った。それを踏 まえ社 員 はプロデューサーとディレクターの2名 のみとし、その他 の番 組 制 作 スタッフは全 て外 部 の制 作 会 社 の社 員 やアルバイトで賄 っていたという。
なお、当 番 組 開 始 (1979年 )に伴 い、東 京 12チャンネルの平 日 放 送 開 始 時 間 は6時 半 となった。 - オープニングは
当 時 の東 京 12チャンネル→テレビ東 京 本 社 (後 の東 京 タワースタジオ)の前 にある東 京 タワーを見 上 げた映 像 にタイトルが表 示 されて、玄 関 前 もしくはスタジオから司 会 者 やゲストが出 て来 て放 送 がスタートするのが恒 例 だった。番 組 ゲストにアイドル歌 手 やタレントを多 く招 いたり、また各 地 の視 聴 者 の子 供 と電 話 を繋 げたりと、のちの『おはスタ』とはやや形 式 が異 なる。また、ゲストについては新 人 アイドルを「おはようさわやかさん」と題 して招 いて紹 介 するほか、「今 週 の歌 」として1週 間 通 して出 演 させることもあった。デビュー4か月 目 、2ndシングル『涙 のリクエスト』をリリースする直 前 のチェッカーズは1984年 1月 9日 から13日 まで連 日 出 演 して生 演 奏 を披 露 、僅 か数 日 のうちに知 名 度 をあげてブレイクのきっかけを作 った[16]。 毎 朝 、東 京 12チャンネル→テレビ東 京 の外 には、開 校 記 念 日 などで学 校 が休 みだった小 中 学 生 やアイドル目 当 ての学 生 などを中 心 に見 物 客 が集 っていた。番 組 初 期 は、開 局 15周 年 記 念 に一 般 公 募 で選 ばれた「トゥェルブメイツ」のメンバーが日 替 わりで出 演 もしていた。さらに晩 年 には「おはスタマヌカン」[注 15]のメンバーがレギュラー出 演 していた。月 曜 から金 曜 まで曜 日 ごとにテーマを変 えての番 組 構 成 だった。これは当 時 、担 当 制 作 会 社 が日 替 わり(終 了 時 点 で東 京 ビデオセンター・BMC・東 通 企 画 のローテーション制 。最 終 回 は3社 共 同 )だったことによる苦 肉 の策 である、また、アイドルタレントを呼 ぶのも、廉 価 なタイアップで視 聴 率 を取 るための策 だったとされる。収 録 に使 う第 3スタジオが30坪 で学 校 の教 室 程 度 と狭 かった。そのため、鏡 張 りにして2倍 の広 さに見 せたり、2台 のスタジオカメラの他 、ハンディカメラを本 社 玄 関 前 (雨 天 時 はロビー)に用 意 し、テレビ東 京 及 び東 京 タワーの敷 地 である駐 車 場 や道 路 もスタジオのように使 ったりしていた。
1985年 12月 、港 区 虎 ノ門 (神 谷 町 )に2代 目 本 社 が完 成 し、芝 公 園 の旧 本 社 が「テレビ東 京 スタジオセンター」と改 称 された後 も、番 組 は基 本 的 に第 3スタジオからの生 放 送 が続 けられた(時 刻 表 示 ・提 供 クレジット・CMを含 めた番 組 送 出 などは神 谷 町 の本 社 から)。なお、一 部 不 定 期 に神 谷 町 本 社 から放 送 された回 もあった。最 終 回 は芝 公 園 スタジオ第 1スタジオからの生 放 送 で、一 般 の観 客 や歴 代 女 性 司 会 者 も招 いての放 送 となった。オープニングは『いとしのエリー』(サザンオールスターズ)をBGMにタワーボウル(現 在 とうふ屋 うかいが所 在 する場 所 )前 の公 園 からタワーボウルの敷 地 に入 り、横 の路 地 からスタジオ前 の駐 車 場 を通 り、ロビーへ入 って第 1スタジオに入 るまでをハンディカメラ1台 で走 りながら向 かう映 像 から始 まった。この日 は志 賀 が一 般 視 聴 者 と電 話 をつないで話 をする企 画 が行 われ、船 の科 学 館 を志 賀 と日 高 が訪 れてタイムカプセル(後 述 )を見 に行 くVTRも紹 介 された。番 組 終 盤 の午 前 8時 前 後 には志 賀 から最 後 の挨 拶 があり、その中 で「僕 としてはただ一 つだけ悔 いに残 ることがあります。今 年 の正 月 に僕 は10年 間 日 本 の朝 を作 ろうと決 心 したんです。(番 組 終 了 は)その矢 先 だったんです。10年 間 ということはあと3年 間 (1989年 まで)はおはスタの朝 を皆 に送 り続 けようと考 えていました。そういった意 味 では、今 回 の途 中 打 ち切 りは本 当 に残 念 です。(中 略 )朝 のけだるい時 に僕 が騒 いで皆 さんを楽 しませた朝 の楽 しみを、そういう意 味 では君 たちから奪 ってしまいました。ごめんなさい、お詫 びします。(拍 手 )僕 は特 にこれからの夏 の朝 が大 好 きで、テレビも大 好 きです。『おはようスタジオ』が大 好 きでした。7年 間 本 当 にどうも皆 さんありがとうございました。」と番 組 がある事 情 で突 如 打 ち切 りになった事 をうかがわせる発 言 や終 了 に対 しての想 いなどを語 った。そして本 編 終 了 までの約 10分 間 は『さよなら』(オフコース)と『十 七 歳 の地 図 』(尾 崎 豊 )をBGMにVTRと涙 する志 賀 を囲 み拍 手 を送 ったり、花 束 や手 にした一 輪 の花 を送 ったりする大 勢 の観 客 ・歴 代 女 性 司 会 者 を映 した映 像 を切 り替 えながら締 めくくった。放 送 時 間 は番 組 開 始 当 初 は午 前 7時 30分 - 8時 30分 だった。しかし、通 学 時 間 帯 と被 るため「番 組 が途 中 までしか見 られない」「番 組 自 体 見 られない」という小 ・中 学 生 を中 心 とした視 聴 者 の声 (この時 代 、後 半 パートは実 質 的 に主 婦 層 を主 軸 にしたコーナーがあった)で7時 5分 からに繰 り上 げ。後 にさらに5分 繰 り上 げて7時 からとなった。さらに祝 祭 日 は「休 みの日 はゆっくり寝 ていたい」という声 で午 前 9時 開 始 になるなど、柔 軟 な編 成 が行 われた。不 定 期 に「台 本 のないおはスタ」という企 画 を放 送 していた。これは放 送 時 間 の大 枠とCM枠以 外 はコーナーを決 めずに進 行 するものである。この企 画 当 日 に出 演 する歌 ゲストのマネジャーには、スタジオ入 りの際 カラオケ持 参 を命 じられた。とはいえ、ゲスト出 演 の歌 手 はこの企 画 に関 係 なくカラオケを持 参 していた。子 供 たちの間 で流 行 していたものには他 局 放 送 番 組 など、しがらみに関 係 なく取 り上 げた。その一 例 として当 時 東 京 放 送 (現 ・TBSテレビ)で平 日 夕 方 に再 放 送 されていた『ザ・モンキーズ・ショー』が子 供 達 の間 で人 気 となるとザ・モンキーズを数 多 く取 り上 げ、デイビー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トークらメンバーに国 際 電 話 でインタビューし、ついには、日 本 に呼 び寄 せるきっかけをつくりブームに貢 献 した。また、この番 組 が窓 口 的 役 割 となりファンの要 望 だった、彼 らが主 演 していたTVドラマ『ザ・モンキーズ・ショー』の放 送 を同 局 で開 始 させた。番 組 開 始 時 点 では子 供 と主 婦 に向 けての情 報 番 組 だったため、当 初 は赤 堀 料 理 学 園 校 長 の赤 堀 千 恵 美 もレギュラー出 演 、8時 過 ぎには主 婦 向 けの「ミセスクイズ」を放 送 していた。しかし、同 局 前 に早 朝 集 まる子 供 らが日 に日 に増 えていき、子 供 が主 な視 聴 者 層 とわかったために子 供 番 組 となり、1981年 4月 の時 間 枠移 動 で「ミセスクイズ」は「わんぱクイズ」に変 更 となった。開 始 当 初 は関 東 地 区 のみでの放 送 だったが、テレビ大 阪 ・テレビ愛 知 ・テレビせとうちの開 局 で、テレビ東 京 の系 列 局 が増 加 したことによって最 終 的 には関 東 地 区 の他 、愛 知 県 ・大 阪 府 ・岡 山 県 および香 川 県 とその周 辺 でも視 聴 できるようになった(テレビ北 海 道 とTVQ九 州 放 送 は本 番 組 終 了 から『おはスタ』開 始 までの空 白 期 間 に開 局 したため、北 海 道 ・福 岡 県 での放 送 実 績 はない)。日 本 船 舶 振 興 会 (現 :日 本 財 団 )が提 供 社 に入 っていた関 係 もあり、笹川 良 一 会 長 も数 回 出 演 している。また、日 本 財 団 は後 述 する2000年 の特 番 でもスポンサーを務 めた。- おはようスタジオが
番 組 企 画 内 で作 ったタイムカプセルは、当 時 、竹 谷 英 子 が所 属 していた、宣 伝 物 などを受 け持 っていたといわれる広 告 代 理 業 も行 っていた事 務 所 と東 京 12チャンネルが絡 んだ企 画 であると言 われている。
1980年 1月 4日 (金 曜 日 )12:00 -15:48[17] [注 16]に放 送 された新 春 特 番 「'80ウルトラSP・わんぱく軍 団 大 生 放 送 」で視 聴 者 から納 めたい品 々をサンシャイン60やスタジオで集 め、番 組 出 演 者 やスタッフや当 時 のアイドルたちも品 々を持 ちよった。SP終 盤 の封 印 式 では当 時 の鈴 木 俊 一 東 京 都 知 事 も出 席 し、メッセージを読 み上 げ、さらに子 供 代 表 が「わんぱく宣 言 」(後 述 の志 賀 の曲 にちなむ)を読 み上 げ、20年 後 の再 会 を約 束 し、都 知 事 がタイムカプセルの鍵 を預 かった。
タイムカプセルはサンシャインシティで3年 間 展 示 されたあと、日 本 船 舶 振 興 会 が運 営 する船 の科 学 館 で保 管 された。カプセルはピンクのロボットを象 ったもので、胴 体 部 のふたには青 字 で「TIME CAPSULE 2000 おはようスタジオ」の文 字 ともに当 時 の東 京 12チャンネルのマーク、覗 き窓 がついていた。
その後 1986年 に番 組 打 ち切 り、1997年 に『おはスタ』が開 始 したのを経 て、1999年 秋 に翌 年 新 春 放 映 の20年 前 の約 束 を果 たす特 別 番 組 の制 作 が決 定 。20年 前 に携 わったスタッフが集 結 し、当 時 の台 本 や品 物 を入 れた該 当 者 の電 話 番 号 リストを基 に該 当 者 の捜 索 が始 まったが電 話 がつながったのは1割 で、住 所 録 を基 にスタッフが該 当 者 の家 を捜 索 したり、後 述 するホームページを開 設 して捜 索 活 動 を継 続 。そして、20年 前 に約 束 した2000年 1月 4日 に船 の科 学 館 でタイムカプセルの鍵 の返 還 セレモニーが行 われ、テレビ東 京 の担 当 者 と志 賀 ・竹 谷 が出 席 。船 の科 学 館 の担 当 者 から志 賀 に鍵 が手 渡 され、6日 後 の1月 10日 (月 曜 日 )10:00 - 11:55[注 17]に、約 束 を果 たすための復 活 特 番 『テレビ東 京 開 局 35周 年 記 念 番 組 おはスタSP帰 って来 た!おはようスタジオ』[3][18] が放 送 された。この特 番 は、奇 しくもレギュラー放 送 の最 終 回 を生 放 送 した東 京 タワースタジオ(当 時 はテレビ東 京 スタジオセンターで、特 番 放 送 時 は芝 公 園 スタジオ)の第 1スタジオから生 放 送 され、『おはようスタジオ』からは1980年 の特 番 放 送 時 の司 会 だった志 賀 、竹 谷 と終 了 時 の女 性 司 会 だった日 高 、スタジオゲスト扱 いで番 組 初 期 のレギュラーだった赤 堀 [注 18]が、2000年 当 時 の『おはスタ』からは当 時 のメインMCだったやまちゃん(山 寺 宏 一 )とレイモンド(レイモンド・ジョンソン)、レギュラーだった怪 人 ゾナー(森 久 保 祥 太 郎 )[注 19]が、この他 のスタジオゲストとして三 波 豊 和 ・江 藤 博 利 ・布 川 敏 和 ・堀 ちえみと浅 草 キッド(ツービートの代 理 として当 時 のツービートの扮 装 で出 演 )が出 演 した。放 送 には20年 前 の番 組 スタッフのほか、当 時 のトゥェルブメイツのメンバーも母 娘 揃 ってスタッフに参 加 した。特 番 のオープニングは本 番 組 放 送 当 時 と同 じく東 京 タワーを見 上 げた構 図 をバックにタイトルが表 示 された後 、スタジオ前 の駐 車 場 から志 賀 と竹 谷 が登 場 した。本 編 では当 時 品 物 をカプセルに入 れた有 名 人 のVTRや一 般 視 聴 者 のその後 を追 ったVTRなどが流 された他 、アメリカ・ニューヨークに住 むトゥェルブメイツのメンバーが保 管 している鍵 を紹 介 するVTRも流 された。後 半 ではモンキーズからデイビー・ジョーンズも登 場 して「DAY DREAM BELIEVER」を歌 唱 した。終 盤 にはやまちゃん・レイモンド・ゾナーが揃 って志 賀 ・竹 谷 ・日 高 との共 演 を果 たし、当 時 と同 じ子 供 代 表 が「わんぱく宣 言 2000」を読 み上 げ、志 賀 とスタジオ全 体 が「わんぱく宣 言 」を大 合 唱 している中 でスタジオのキャットウォークにいるやまちゃん・レイモンド・ゾナーが締 めの挨 拶 [注 20]をして番 組 が終 了 した。タイムカプセルも同 特 番 内 にて開 封 され、カプセル内 に品 物 を詰 めた視 聴 者 に返 却 された。基 本 的 には該 当 する視 聴 者 に直 接 もしくは後 日 宅 配 便 などで返 却 された。なお、該 当 者 と連 絡 が付 かなかったものもあると言 われ、特 番 内 でその旨 の説 明 があった。その放 送 と終 了 後 に開 設 された当 時 のホームページでは郵 送 ・電 話 ・FAXでの連 絡 募 集 および該 当 者 と連 絡 がついていない品 物 を船 の科 学 館 に展 示 する旨 が説 明 されていた(船 の科 学 館 へ行 っても品 物 は返 却 できないため、必 ず連 絡 が必 要 だった)[19]。連 絡 が付 かなかったものの扱 いについては不 明 である。レギュラー放 送 の終 了 から20年 以 上 が経 過 していたにもかかわらず、このようにフォローしたテレビ番 組 は非 常 に珍 しい。 志 賀 のフォーク歌 手 人 脈 から遠 藤 賢 司 がゲスト出 演 し、彼 の曲 「オムライス」を生 放 送 で歌 唱 したというエピソードも残 っている。- みうらじゅん
曰 く、テレビ番 組 で初 めてレギュラー出 演 した番 組 である。当 時 みうらはファミコンを中 心 としたテレビゲームにハマっており、この番 組 内 で初 めて「クソゲー」という言 葉 を提 唱 したとされる。また、当 時 入 手 困 難 だったファミコンソフトの『スターソルジャー』を、同 じくレギュラー出 演 していた発 売 元 のハドソンの高 橋 名 人 より「名 人 価 格 」と称 した特 別 価 格 で売 ってもらい、その際 に「ゲームが上 手 くなる」という高 橋 名 人 のサインと、名 人 曰 くカセットに貼 ると連 射 が早 くなるという名 人 シールをもらい、当 時 実 際 にそれを貼 って遊 んでいたと後 に語 っている[20]。 - この
番 組 が放 送 された当 時 は、放 送 用 VTRの規 格 が2インチで機 器 ・テープとも高 価 で操 作 ・編 集 も煩 雑 だったうえ、1インチは導 入 されておらず、著 作 権 法 の絡 みなどで番 組 の資 料 保 存 が安 易 に行 えなかった。そのため、この番 組 の収 録 テープは特 番 だけしか残 っておらず、レギュラー放 送 は廃 棄 処 分 されていた。2016年 2月 21日 に放 送 された『テレビ東 京 52年 分 の映 像 大 放 出 !モヤモヤ映 像 廃 棄 センター〜こんなVTR新 社 屋 に持 って行 けません〜』では、レギュラー放 送 分 が残 されていない旨 が説 明 され、当 時 司 会 をしていた志 賀 が持 参 したビデオテープから当 時 の放 送 を紹 介 していた。ちなみに、その時 紹 介 された放 送 は1985年 8月 14日 のもので、高 橋 名 人 がプレゼンする『スターフォース』のゲーム紹 介 の部 分 だった。
レコード
[- 「わんぱく
宣 言 」志 賀 正 浩 - さだまさしの『関 白 宣 言 』を子 供 の日 常 の不 満 に置 き換 えたコミックソングでヒットした。 - 「おんどピコピコ」
志 賀 正 浩 -赤 塚 不 二 夫 作 詞 のテクノ歌 謡 - 「いち、にの、さんで I LOVE YOU/
世 界 で今 一 番 」志 賀 正 浩 - 「はなべぇ、ミミタン、どっちっち」 -
石 森 章 太 郎 キャラクターデザイン·教 育 番 組 を意 識 した中 期 の番 組 キャラクターによる着 ぐるみ劇 のテーマソング - 「ロック・まねごっこ/カイカイ
体 操 」まつもとゆか - 「On The Move」
深 町 純 &ニューヨークオールスターズ -飛 行 機 の通 過 音 で始 まる番 組 テーマ曲 - 「GOOD MORNING T.V SHOW」
泰 葉 - 「Spring Fever」MEZZOFORTE
番 組 開 始 が7時 に繰 り上 がり、泰 葉 がMCに加 わった1984年 4月 から使 われていたテーマ曲 。前 者 は泰 葉 がMCに加 わった事 を受 けて作 られたオリジナルテーマ曲 。泰 葉 のアルバム『White Key』に収 録 。エンディングテーマはそのインストラルバージョン
- 「Soca And So On」ポール・モーリア・グランド・オーケストラ - エンディングテーマ。
- 「コアラのサンバ/ABC-Dヨロシク」
志 賀 正 浩 /高 橋 剛
関 連 出 版 物
[- 「おはようスタジオ わんぱく
宣 言 」東 京 12チャンネル/編 廣 済 堂 豆 たぬきの本 142 1980年 - 「おはようスタジオ わんぱくナマ
放 送 」東 京 12チャンネル/編 廣 済 堂 豆 たぬきの本 - 「おはようスタジオ」テレビ
東 京 /編 シンコー・ミュージック 1981年 10月 ISBN 4-401-61083-0 - 「おはようスタジオ
新 年 号 」テレビ東 京 /編 シンコー・ミュージック 1982年 1月 - 「おはようスタジオ
春 一 番 !!おめでたるんるん号 」テレビ東 京 /編 シンコー・ミュージック 1982年 4月 - 「
東 京 12チャンネルの挑 戦 300チャンネル時 代 への視 点 」金 子 明 雄 /著 第 三 書 館 1998年
脚 注
[注 釈
[- ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に司 会 者 に関 する記 述 は無 いながら7:30 - 8:30の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[1]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に7:30 - 8:30の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[4]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に7:05 - 8:10の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[5]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に7:05 - 8:10の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[6]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に7:05 - 8:05の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[7]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に「竹 谷 さん今 日 でサヨナラ」として7:05 - 8:05の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[8]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に「新 司 会 だよ、泰 葉 が登 場 」として7:00 - 7:54の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[9]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に「今 日 でお別 れ!!泰 葉 ・涙 の卒 業 式 」として7:00 - 7:54の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[10]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に新 司 会 者 に関 する記 述 は無 いながら7:15 - 8:00の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[11]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に「おつかれさま!!りせ笑 顔 で最 終 回 」として7:15 - 8:00の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[12]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に「変 わったネ志 賀 正 浩 と青 田 浩 子 」として7:15 - 8:00の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[13]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に「飛 べ浩 子 !握 手 で送 る笑 顔 の卒 業 」として7:15 - 8:00の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[14]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に新 司 会 者 に関 する記 述 は無 いながら「7・25だ、たっぷりチェッカーズ」として7:25 - 8:15の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[15]。 - ^ この
日 の『読 売 新 聞 』朝 刊 のテレビ番 組 表 に「サヨナラありがとう涙 の最 終 回 」として7:25 - 8:15の番 組 放 送 予 定 が記 載 される[2]。 - ^ のちの『おはスタ』でいうおはガールに
該 当 する。 - ^ この
日 は7:30からの通 常 のレギュラー放 送 は休 止 。 - ^
祝 日 は東 京 証 券 取 引 所 の立 会 が休 業 の為 、『株 式 ニュース』(前 引 け)も休 止 となった事 から2時 間 枠での放 送 となった(終 了 後 の11:55 - 12:00は『TXNニュース』を放 送 )。この日 はハッピーマンデー制 度 により、1月 の第 2月 曜 日 が成 人 の日 となった最 初 の年 である。また、1980年 の特 番 とは異 なり放 送 当 日 の朝 にも『おはスタ』のレギュラー放 送 が通 常 通 り編 成 されている。 - ^
当 時 の番 組 内 では「20年 ぶりに復 活 」と表 現 していたが、実 際 は1986年 終 了 のため14年 ぶりの復 活 となる。『おはスタ』のスタジオにいるやまちゃん・レイモンドと中 継 を結 んだ際 に志 賀 ・竹 谷 ・日 高 が「おーはー」と言 うシーンもあった。日 高 はやまちゃんから「タッチの南 ちゃん」と無 茶 振 りされてセリフを言 う一 幕 もあった。 - ^ やまちゃんとレイモンドは
最 初 は神 谷 町 本 社 のスタジオから出 演 し、その後 に東 京 タワースタジオへ合 流 した。三 人 は当 日 朝 のレギュラー放 送 から続 けて本 特 番 にも出 演 した。同 じくレギュラー出 演 していたおはガールシトラスとメグー(豊 口 めぐみ)は出 演 していない。 - ^ 『おはスタ』のスペシャル
番 組 である為 、翌 日 も放 送 がある事 を説 明 して、「また明 日 、おーはー!」で終 わっていた。
出 典
[- ^ a b 『
読 売 新 聞 』1979年 4月 2日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1979年 4月 号 p.56)テレビ番 組 表 。 - ^ a b 『
読 売 新 聞 』1986年 6月 27日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1986年 6月 号 p.1082)テレビ番 組 表 。 - ^ a b 「
今 日 は!「初 代 おはスタ」です。憶 えていますかタイムカプセル翔 べ21世 紀 へ20年 ぶりに夢 開 く!」(『テレビ東 京 (公 式 サイト)』2000年 1月 10日 )2000年 2月 3日 時 点 のアーカイブ。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1981年 4月 3日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1981年 4月 号 p.108)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1981年 4月 6日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1981年 4月 号 p.218)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1981年 9月 30日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1981年 9月 号 p.1192)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1981年 10月 2日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1981年 10月 号 p.64)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1984年 3月 30日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1984年 3月 号 p.1198)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1984年 4月 2日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1984年 4月 号 p.56)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1985年 3月 29日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1985年 3月 号 p.1204)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1985年 4月 1日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1985年 4月 号 p.21)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1985年 9月 27日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1985年 9月 号 p.1110)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1985年 9月 30日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1985年 9月 号 p.1246)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1986年 3月 28日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1986年 3月 号 p.1132)テレビ番 組 表 。 - ^ 『
読 売 新 聞 』1986年 3月 31日 朝 刊 第 24面 (『読 売 新 聞 縮 刷 版 』1986年 3月 号 p.1256)テレビ番 組 表 。 - ^ “
藤 井 フミヤ、チェッカーズは「テレ東 から売 れた」突 然 前 髪 を切 った事 件 の真 相 も”. ORICON NEWS. oricon ME (2023年 7月 6日 ). 2024年 5月 8日 閲 覧 。 - ^ 『
朝 日 新 聞 』1980年 1月 4日 朝 刊 第 24面 、テレビ番 組 表 。 - ^ 「
志 賀 正 浩 のTV出 演 情 報 」(『ORICON NEWS』)2021年 2月 22日 時 点 のアーカイブ。 - ^ 「『
帰 って来 た・おはようスタジオ』」(『テレビ東 京 (公 式 サイト)』2000年 1月 10日 )2000年 5月 16日 時 点 のアーカイブ。 - ^ TBSラジオ『みうらじゅんの「サブカルジェッター」〜2
番 目 がいいんじゃない』2007年 11月 3日 放 送 ゲスト:吉 田 豪 とのトーク。
関 連 項 目
[外 部 リンク
[- おはスタ タイムカプセル - ウェイバックマシン(2000
年 3月 1日 アーカイブ分 )
おはようスタジオ
(1979 |
7:00-とうきょう
7:05-おはようスタジオ 8:10-アニメ |
|
おはようスタジオ
(1981 |
7:05-おはようスタジオ
8:05- |
|
テレビ |
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7:05-おはようスタジオ
※8 |
おはようスタジオ
(1981 |
7:00-おはようスタジオ
7:54- 8:00-マンガのひろば |
テレビ |
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7:00-とうきょう
7:05-おはようスタジオ |
おはようスタジオ
(1984 |
7:00-レール7
7:15-おはようスタジオ |
テレビ |
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7:00-おはようスタジオ
7:54- |
おはようスタジオ
(1985 |
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テレビ |
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7:15-おはようスタジオ
8:00-アニメ |
おはようスタジオ
(1986 |