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牧野 貞寧(まきの さだやす)は、常陸笠間藩の第9代(最後)の藩主。成貞系牧野家12代。
安政4年(1857年)6月10日、第8代藩主・牧野貞直の長男として生まれる。明治元年(1868年)12月5日、父が隠居したため家督を継ぐ。家督を継いでからは、戊辰戦争の戦後処理や本家である越後長岡藩の牧野家の再興を新政府に嘆願している。明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により笠間藩知事に任じられ、8月5日に貞邦から貞寧と改名した。後に従五位に叙される。
明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県で藩知事を免職されて東京へ移った。その後は慶應義塾に入って勉学に励んだ。後に笠間小学校開校に尽力し、学生育成のための育英会創立にも努めた。明治33年(1900年)3月15日に貴族院子爵議員に選ばれて[1][2]、死去するまで2期務めた[1][3]。大正5年(1916年)12月24日に死去した。享年60。
父母
妻
子女
養子
- ^ 1879年に生まれてすぐ牧野家の養子となり、1907年に東京帝国大学文科大学史学科を卒業、1914年に東宮侍従、1916年に牧野家の家督を継いで襲爵した[4]。東京芝伊皿子町の邸宅は千葉銀行レインボー事件で知られる坂内ミノブに1941年に売却した[5]。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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