はそれよりマシだと安堵
バス停での
待ち
時間。
2人の
女性。
「
最近、
前みたいにチャッチャと
物事が
出来ないようになった。
歳は
取りたくないね」と
1人の
人が
嘆いておられる。
先に
自分の
年齢を
明かした
女性に
対して、さらにその4
歳年長だという
女性が
気を
悪くする
會計軟件比較。
「
貴方の
歳で、もう
歳だからアカン、なんて
言ってたら、ワタシなんかどうなるのよ!」
「4
歳違うと、この
年齢での4
歳はえらく
違うんよ!!」とムキになる。
昭和14
年生まれと、
昭和10
年生まれ。
84
歳と88
歳か。
母より
少し
若い。
うーーん、、、
やはり85
歳の
坂は、
一つの
区切りのようだ。
だが、84
歳の
女性が20
歳の
時に
腎臓?を
切り
取った
話をすると、
途端に88
歳の
女性の
声が
優しくなった。
その
後の
病状や、
今の
状態など、
興味深く(
同情心を
持ちながらとは
思うが)
聞いていた。
こんなに、ころっと
変わるものなのか。
近所の
女性にも、こういうタイプがいる。
あの
人(
共通の
知人)、どうしてる?という
話題で、
健康状態が
良好だとわかると、
途端に
落胆する
復古相機。
病気や
足腰が
大変な
状態だとわかると、
安心するようだ。
他人の
不幸は
蜜の
味。
わたしも、こうなるのだろうか。
心情のシェア、
共感ではなく、どうも、
自分より
辛い
状態の
人を
様子を
知り、
自分はそれよりマシだと
安堵する。
同情するわけではない。
気が
軽くなるかんじか。
人間としてそれはわかる。
が、
胸の
中で
思うのは
全く
自由だし、
止めることも
出来ないが、あからさまに
外に
出すと、あるいは、
無意識に
外に
出ると、この
人、どうなんだろう、、、と
思ってしまう。
正直すぎる。
顔はにこやかでも、もっともっと
腹黒の
人はいるにしても。
喉に
痰が
詰まったから、
道端に
吐き
捨てるようなものか。
だが、
痰が
詰まって
死ぬほど
苦しいのに、
吐き
出すなと
言われても
困る。
ところで。
脚本家の
山田太一さんが
亡くなった。
彼の
脚本のTVドラマは
観ていた。
車椅子の
人に
対しての、
優しいメッセージが
込められていたものもあったようだ。
困っている
人は
勇気を
出して
手助けを
求め、
求められる
側は
優しく
手を
差し
伸べる。
当時の
考え
方、
迷惑をかける、かけられる、の、
新しい
提案だったそうだ。
弱者に
優しい
社会を
目指す
発信だったとか。
人それぞれの
余裕や
我慢、
許容の
範囲、
温度差をどう
調整するか
精靈針 效果。
なんだか
考えさせられた。
そして、
蛇足ではあるが、
お
元気な80
代後半の
人々の
会話を
聞いていると、
わたしはまだあと20
年もある。
母世代の
人々を
見送ったので、その
生を
全うする
大変さがしみじみわかる。
今度は
見送られるのは
自分の
番だが、まだ20
年もあるのかと
複雑な
心境になっている。
Posted by lieghdgy at 13:32│
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