ケインズの助言じょげん

日本にっぽんの景気けいき回復かいふくは、生産せいさんと輸出ゆしゅつが回復かいふくに向むかいつつ、その影響えいきょうが雇用こようや消費しょうひに波及はきゅうするというかたちで推移すいいしている。だが控ひかえ目めにいっても、景気けいき回復かいふくへのリスク要因よういんが高たかまりつつあるのが昨今さっこんの情勢じょうせいだ。

欧州おうしゅう金融きんゆう市場いちばの動揺どうよう、緩慢かんまんな米国べいこく経済けいざいの回復かいふくに関かんするバーナンキFRB総裁そうさいの発言はつげん、そして財政ざいせいの持続じぞく可能かのう性せいが疑問ぎもん視しされているギリシャ・ポルトガル・スペインを除のぞく、世界せかい各国かっこくの長期ちょうき国債こくさいの名目めいもく金利きんりの低下ていか。こういった現象げんしょうが意味いみするのは、世界せかい経済けいざいの先行さきゆき懸念けねんの拡大かくだいということだろう。

つまり、現在げんざい進すすみつつあるインフレ率りつの低下ていかと需給じゅきゅうギャップの拡大かくだいが、今後こんごも進すすんでいくと見通みとおされているのである。

海外かいがい経済けいざいの変調へんちょうは、日本にっぽんの景気けいき回復かいふくに対たいするリスク要因よういんとして作用さようする。なぜかといえば、生産せいさんと輸出ゆしゅつという景気けいき回復かいふくのふたつのエンジンが海外かいがい経済けいざいの動向どうこうに依存いぞんしているからだ。そして、景気けいき回復かいふくにおける消費しょうひ増ぞうに大おおきな影響えいきょうを与あたえた各種かくしゅ施策しさくも、今年ことし後半こうはんにかけて打うち切きられていく見込みこみである。

筆者ひっしゃのような人間にんげんの言いう事ことなど恐おそらく誰だれも耳みみを貸かさないのだろう。しかし、偉大いだいなるケインズの助言じょげんの助たすけを通つうじてということなら、再考さいこうしてもらうこともできるのかもしれない。以下いかでは、『説得せっとく論集ろんしゅう』に収録しゅうろくされているJ.M.ケインズの言葉ことばを拝借はいしゃくしながら、政府せいふ・日本銀行にっぽんぎんこうの経済けいざい政策せいさくとしていま何なにをなすべきかを簡単かんたんに論ろんじることにしよう。

政府せいふと日本銀行にっぽんぎんこうの経済けいざい政策せいさくが、現在げんざいの問題もんだいに対たいして有効ゆうこうなのかを考かんがえるにあたっては、まずは問題もんだいの性格せいかくについて整理せいりしておくのがよいだろう。

いうまでもなく、我わが国くにの現在げんざいの苦境くきょうは、飢饉ききんや地震じしんや戦争せんそうという現象げんしょうによってモノが不足ふそくしていて、モノを生産せいさんするための資源しげんも不足ふそくしていることによるのではない。仮かりにそうであるのならば、昼夜ちゅうやを問とわず働はたらき、節約せつやくを旨むねとし、新あらたな技術ぎじゅつ革新かくしんを生うみ出だすよう努つとめる以外いがいに苦境くきょうを乗のり越こえる手段しゅだんはないだろう。

しかし我わが国くにの現状げんじょうは異ことなる。つまり、資源しげんと技術ぎじゅつ的てきな手段しゅだんは豊富ほうふにあるにも関かかわらず、需要じゅようが供給きょうきゅうを下回したまわっているために、これらの手段しゅだんが有効ゆうこうに活用かつようできなくなっており、その事ことがデフレの定着ていちゃくと需要じゅようの停滞ていたいを引ひき起おこしているのである。

喩たとえていえば、道路どうろの真まん中なかで2台だいの自動車じどうしゃが出会であい、どちらの運転うんてん手しゅも交通こうつうルールを知しらないために、互たがいに進路しんろをふさいで身動みうごきがとれない状況じょうきょうなのだ。こんな時じ、運転うんてん手しゅに腕力わんりょくがあっても問題もんだい解決かいけつには役立やくだたない。道路どうろを整備せいびしても意味いみが無ない。ほんの少すこしだけ、頭あたまを働はたらかせること、つまり「工夫くふう」と呼よばれる手段しゅだんの道具どうぐ箱ばこから、対策たいさくを探さがし出だすことが必要ひつようなのである。

現在げんざいの苦境くきょうから脱だっするには、より勤勉きんべんになり（＝生産せいさん性せいを高たかめ）、現実げんじつを耐たえ忍しのび（＝低てい成長せいちょうを受うけ入いれ）、倹約けんやくを進すすめ（＝カネを貯ためこみ）ねばならないのであって、「工夫くふう」などという怪あやしげな方法ほうほうなどは避さけるべきだと信しんじる人ひとは多おおい。

だがこうした人ひとたちの自動車じどうしゃは、いつまで経たっても身動みうごきが取とれない。徹夜てつやで努力どりょくし、真面目まじめな運転うんてん手しゅを雇やとい、エンジンを取とり替かえ、道路どうろを広ひろげても身動みうごきは取とれない。あれこれ考かんがえるのを止とめて、相手あいての運転うんてん手しゅと話はなし合あい、少すこしだけ左ひだりに寄よるという「工夫くふう」を生うみ出だすまでは。

では、「工夫くふう」の道具どうぐ箱ばこから何なにを取とり出だすべきなのか？

政府せいふは新しん成長せいちょう戦略せんりゃくを策定さくていし、当面とうめんの最さい重要じゅうよう課題かだいとして、需要じゅよう面めんの政策せいさく対応たいおうにより景気けいきを回復かいふくさせ、2020年ねんに名目めいもく成長せいちょう率りつ3％、実質じっしつ成長せいちょう率りつ2％を上回うわまわる成長せいちょうを実現じつげんすること、2011年度ねんど中ちゅうに消費しょうひ者しゃ物価ぶっか上昇じょうしょう率りつをプラスにすること、そして早期そうきに失業しつぎょう率りつを3％台だいに低下ていかさせることをあげている。

この目標もくひょうは正ただしいが、問題もんだいとなるのは提示ていじされている手法しゅほうだ。大おおきくふたつの問題もんだい点てんがある。

ひとつ目めは、具体ぐたい的てきにデフレから脱却だっきゃくするための方法ほうほう論ろんが、「政府せいふと日銀にちぎんが緊密きんみつな連携れんけいをとる」という記載きさいに尽つきていることだ。

10年ねん超ちょうもデフレがつづくなかで、判はんで押おしたように「緊密きんみつな連携れんけいを取とる」だけでデフレから脱却だっきゃくできると期待きたいするのは無理むりである。政府せいふと日銀にちぎんが緊密きんみつな連携れんけいを取とるためには、インフレターゲットといった具体ぐたい的てきな政策せいさく枠組わくぐみを早期そうきに構築こうちくし、責任せきにん・手段しゅだん・目標もくひょうを明確めいかくにした上うえで必要ひつような金融きんゆう緩和かんわを行おこなうべきだ。

ふたつ目めの問題もんだい点てんは、政府せいふが指定していした特定とくてい産業さんぎょうを促進そくしんするための産業さんぎょう政策せいさく、法人ほうじん税ぜい減税げんぜいやEPAの促進そくしんといった競争きょうそう政策せいさく、オープンスカイの推進すいしんといった規制きせい緩和かんわ策さくが混在こんざいしている点てんである。

産業さんぎょう政策せいさくの効果こうかは実証じっしょう分析ぶんせきで肯定こうてい的てきな結論けつろんを探さがす方ほうが難むずかしい。政府せいふは企業きぎょうではないのであり、有望ゆうぼうな産業さんぎょうがどこかを判断はんだんすることなど不可能ふかのうであることを考かんがえれば、産業さんぎょう政策せいさくを止とめ、競争きょうそう政策せいさくや規制きせい緩和かんわ策さくを行おこなうべきだ。

需要じゅようを拡大かくだいさせ、物価ぶっかを引ひき上あげるには、市場いちばの供給きょうきゅうよりも速はやいペースで支出ししゅつを増ふやすことが求もとめられる。そして長期ちょうき停滞ていたいがつづく現状げんじょうで必要ひつようなのは、社会しゃかい全体ぜんたいの購買こうばい力りょくを高たかめることであり、そのためには借入かりいれによる支出ししゅつを社会しゃかい全体ぜんたいで増ふやすこと、外需がいじゅを取とり込こむことが必要ひつようである。

近ちかい将来しょうらい、事業じぎょうが拡大かくだいし実質じっしつ的てきなコストが減へるという環境かんきょうが生しょうじれば、新あらたな産業さんぎょうが生しょうじ、企業きぎょうは溜ため込こんだ資金しきんを投資とうしというかたちで支出ししゅつするだろう。利益りえきを確保かくほできるようになれば、借入かりいれによる投資とうしが進すすみ、賃金ちんぎんや雇用こよう環境かんきょうも改善かいぜんし、これらが更さらなる需要じゅよう拡大かくだいに結むすびつく。

外需がいじゅを取とり込こむには、金融きんゆう緩和かんわ策さくを通つうじて為替かわせレートを円えん安やすにすることが求もとめられる。

自国じこく通貨つうか安やすは近隣きんりん窮乏きゅうぼう化かに繋つながるとの批判ひはんがあるが、通貨つうか安やすにより当該とうがい国こくの購買こうばい力りょくが高たかまれば、輸入ゆにゅうというかたちで効果こうかは当該とうがい国こく以外いがいの国くににも波及はきゅうする。

世界せかい的てきなインフレ率りつの低下ていかと需給じゅきゅうギャップの拡大かくだいが懸念けねんされるなかにあっては、各国かっこくが一致いっちして同時どうじに行動こうどうを起おこすのがセオリーだ。ところが、日銀にちぎんの金融きんゆう緩和かんわに対たいする消極しょうきょく的てきな姿勢しせいと行動こうどうが、現在げんざいの円えん高だかに影響えいきょうしている。現状げんじょうのままさらなる円えん高だかが進すすめば、景気けいき回復かいふくのふたつのエンジンである生産せいさんと輸出ゆしゅつにも重大じゅうだいな影響えいきょうが及および、二に番ばん底そこ懸念けねんが現実げんじつのものとなるリスクが高たかまるだろう。

じっと座すわりこんで「できない」と頭あたまを振ふっていれば、賢明けんめいなようにみえるのかもしれない。しかし何なにもしないで待まっているあいだに使つかわれなかった労働ろうどう力りょくは、あとでいつでも使つかえるのではない。失うしなわれて、取とり戻もどすことができなくなるのだ！

「できない」理由りゆうをあげても何なんの解決かいけつにはならない。大胆だいたんになり、開放かいほう的てきになり、実験じっけんをし、行動こうどうを起おこし、さまざまな可能かのう性せいを試ためすといったことを行おこなってはならない理由りゆうはひとつもない。

現在げんざいの我わが国くににおいて求もとめられるのは、ケインズの助言じょげんと「失うしなわれた20年ねん」の長期ちょうき停滞ていたいの政策せいさくの経験けいけんを念頭ねんとうに、「工夫くふう」を行おこなうことなのである。

ケインズが書かきした第だい一いち級きゅうの論説ろんせつ集しゅうである。本書ほんしょの邦訳ほうやくはすでにあるが、山岡やまおか洋一よういち氏しによる新訳しんやくは読よみやすく、かつインフレ・デフレに関かんする論説ろんせつをメインに収録しゅうろくされていることが特徴とくちょうである。これは適切てきせつな選択せんたくだ。80年ねん近ちかい前まえの論説ろんせつながら、ケインズの言葉ことばはいささかも風化ふうかしていないことに驚おどろくだろう。そしてデフレに関かんするケインズの論説ろんせつ、およびその対応たいおう策さくに関かんする議論ぎろんが、現代げんだいにおいても参照さんしょうに値あたいするものであることがわかるだろう。