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四十物和雄「【資料】カール・ビンディング/アルフレート・ホッへ『生存無価値な生命の毀滅の許容 その範囲と方式』についての簡単な注釈」
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「【資料しりょう】カール・ビンディング/アルフレート・ホッへ『生存せいぞん価値かち生命せいめいの毀滅の許容きょよう その範囲はんい方式ほうしき』についての簡単かんたん注釈ちゅうしゃく

四十物あいもの 和雄かずお 20060618

last update: 20151224


(1) 出典しゅってんかんして
  町野まちのさく編著へんちょ安楽あんらく尊厳そんげん末期まっき医療いりょう」(1997 しんやましゃ)から抜粋ばっすいしました。ると「要約ようやく」なので、あるひとのホームページで原典げんてん翻訳ほんやく出版しゅっぱんされていることりそれを購入こうにゅうしました。原典げんてんなかつらいものなので、概略がいりゃくるには「要約ようやく」でおおよそかります。ただホッへのいた部分ぶぶんがないのでそれをおぎな必要ひつようがあります。そこで簡単かんたんわたしほうからの注釈ちゅうしゃくけることにしました。そのさい下記かき原典げんてん翻訳ほんやくしゃの「批判ひはんてき評注ひょうちゅう」をかなり参考さんこうにさせてもらいました。
  完訳かんやくは『「きるにあたいしないいのち」とはだれのことか』(2001 まどしゃ)。ここでは原典げんてんは『きるにあたいしないいのちわらせせる行為こうい解禁かいきん』と、かりやすくやくされています。関心かんしんのあるひと購入こうにゅうなさるか、わたしほうから期限きげんきでしますのでもうてください。

(2) 原典げんてん出版しゅっぱん背景はいけい
  こまかいことはぶきます。
  ビンディングは刑法けいほう学者がくしゃで、保安ほあん処分しょぶん関係かんけいする今日きょう刑法けいほうがく多数たすう新派しんぱ犯罪はんざい予防よぼう理論りろん)に反対はんたいした、自由じゆう意志いしろん中核ちゅうかくとした応報おうほうけい主義しゅぎしゃです(ここのところわたしにはおどろきでした。安楽あんらく優生ゆうせい主義しゅぎしゃ保安ほあん処分しょぶん主義しゅぎしゃ等号とうごうむすけて理解りかいしている、しき左翼さよく伝統でんとうはカッコにれねばなりませんね)。
  共著きょうちょしゃのホッへは精神せいしんで、クレペリンの疾患しっかん単位たんいせつ対抗たいこうして、疾患しっかん多様たよう原因げんいんから発症はっしょうするやまいでは適用てきようできないと批判ひはんし、先天的せんてんてきがたあたらしい不規則ふきそく症候しょうこう結合けつごう発症はっしょうするかたとに分類ぶんるいする立場たちばっています(なお、ホッへは後者こうしゃには一定いってい同情どうじょうしめしつつも、前者ぜんしゃについてははげしい差別さべつ感情かんじょうしめしています。後述こうじゅつ)。
  前者ぜんしゃ本書ほんしょ公刊こうかん直前ちょくぜんくなったが、ホッへはナチ時代じだいいて、自分じぶん身内みうち安楽あんらく犠牲ぎせいになったときに、患者かんじゃ殺害さつがい反対はんたいしゃ転向てんこうしているという。この事実じじつは、安楽あんらく是非ぜひかんがえるうえ重要じゅうようことといえます。

(3)問題もんだい意識いしき骨子こっし
  学者がくしゃ特有とくゆうまわりくどさをあたまれて結論けつろんほうからんでいくと、ねらいは安楽あんらく、すなわち「きるにあたいしないいのちわらせる行為こうい解禁かいきん」にあったことがかります。いち(p57)「考察こうさつ前提ぜんていとして、その存続そんぞく本人ほんにんまたは社会しゃかいにとって(註:この「社会しゃかいにとって」が最大さいだい論争ろんそうてんです!)法益ほうえきとしての保護ほごあたいしない生命せいめいというものがあるか」という問題もんだい設定せっていがそれです。そのことにたいして著者ちょしゃは「しかり!」として、その対象たいしょうしゃを3グループにけるのです。
  だい1は、「傷病しょうびょうのためにたすかる見込みこみのない(状態じょうたい)」にある人々ひとびとで、「不治ふちのがん患者かんじゃ結核けっかく患者かんじゃ致命傷ちめいしょうったもの」。だい2は、「きていたい意思いしにたい意思いしたないような、不治ふち精神病せいしんびょうしゃ(註:今日きょうえば重度じゅうど知的ちてき障害しょうがいしゃ精神せいしん障害しょうがいしゃすとおもわれる―やく適切てきせつでない!)」(p58上段じょうだん)。だい3は、「精神せいしん健全けんぜんなものが致命ちめいてき創傷そうしょうとうによって意識いしき喪失そうしつ状態じょうたいおちいってしまった場合ばあい」(p58下段げだん)。とくに、著者ちょしゃだい2グループにたいする安楽あんらくを、「生存せいぞん意思いしがない」し、「家族かぞく社会しゃかいにとってきわめておも負担ふたんとなっている」以上いじょう、「かれらの殺害さつがい禁止きんしする理由りゆうは・・・・いかなる見地けんちにおいても存在そんざいしないようにおもわれる」と強調きょうちょうする。これこそ歯止はどめなき安楽あんらくへのみちひらくものであり、ナチの安楽あんらく計画けいかく応用おうようされたものです。
  ここで補足ほそくをしておくならば、ホッへはビンディング以上いじょう差別さべつてきだい2グループを、そのグループをさらに[a]後天的こうてんてきな「精神せいしんてき」にいたったケース[b]先天的せんてんてきな、あるいは初期しょきわずらったやまいで「精神せいしんてき」がしょうじたケースというふうけて、後者こうしゃ価値かちせい強調きょうちょうしています。しかしながら、一括いっかつして殺害さつがい解禁かいきん是認ぜにんするという非常ひじょうさをしめしています。かれ露骨ろこつに「国威こくい発揚はつよう」と「経済けいざいてき理由りゆう」から、その非常ひじょう措置そち正当せいとうせい主張しゅちょうしています(註:手渡てわたした資料しりょう編集へんしゅうしゃ何故なぜホッへのいた部分ぶぶん要約ようやくしなかったのか?その意図いとわたしにはかりません。何故なぜなら、かれろんほう安楽あんらく解禁かいきん理由りゆうかりやすいからです)。もっとえばだい1世界せかい大戦たいせん敗戦はいせんからの経済けいざいてき荒廃こうはいからなおるためには、「きるにあたいしないいのち」を犠牲ぎせいにすることが緊要きんようである、という意図いと鮮明せんめいなのです(註:ホッヘにとって、一人ひとり息子むすこだい大戦たいせん戦死せんしした一方いっぽうで、「生産せいさんてきいのち」に社会しゃかい経費けいひ使つかわれていることたいするいきどおりがあったこと、も間違まちがいないところでしょう。これはおおくのドイツじん共有きょうゆうする感情かんじょうであったことをわすれてはいけないでしょう。これは今日きょう安楽あんらく尊厳そんげん法制ほうせいたかまってきている背景はいけいともかさなるでしょう。安定あんていしたしょくけず、社会しゃかい保障ほしょうがドンドンけずられていくのが「たりまえのご時世じせい」となっている今日きょう、「だれきるにあたいしないいのちなのか」の線引せんひきをもとめる社会しゃかいてき欲望よくぼう日増ひましに増大ぞうだいしている、といえましょう)。

(4)安楽あんらく優生ゆうせい思想しそう
  ここでまどしゃばん訳者やくしゃあいだで、安楽あんらく解禁かいきんについて(ナチ時代じだいにおいては、だい2グループにたいして組織そしきてき安楽あんらく実施じっしされました。だい1、3グループについても非公式ひこうしきかたち安楽あんらくされていたようです。)の解釈かいしゃく相違そういしていることれておきます。
  佐野さのまこと森下もりしたただしたかかんがえのちがいで、前者ぜんしゃ安楽あんらく肯定こうてい理由りゆう経済けいざいてき側面そくめんにあることを強調きょうちょうし、生殖せいしょく細胞さいぼう遺伝子いでんしレベルでの議論ぎろんきでなされていることげています。代表だいひょうてき優生ゆうせい学者がくしゃレンツが「人種じんしゅ衛生えいせいがく優生ゆうせいがく」からは、「いのちわらせる行為こうい」よりも「生殖せいしょく細胞さいぼう消滅しょうめつとしての断種だんしゅ」を問題もんだいにしたことを引用いんようして強調きょうちょうしています。
それにたいして後者こうしゃは、優生ゆうせい思想しそうを、「すべてのいのちあいだ優劣ゆうれつをつけるかんがえ」のことで、「優秀ゆうしゅう」とされるいのち保持ほじ純化じゅんか創出そうしゅつする方向ほうこうと、「劣悪れつあく」とされるいのち排除はいじょしようとする方向ほうこうとがあるが、後者こうしゃのやりかたには隔離かくりにん抹殺まっさつの3段階だんかいがあり、安楽あんらく解禁かいきんはその最終さいしゅう段階だんかい、とっています。
  わたし個人こじんてき意見いけんべます。厳密げんみつには佐野さのうことのほうにややぶんがあるでしょう。森下もりした概念がいねん規定きてい厳密げんみつではなく「なんでも優生ゆうせい思想しそう」というこれまでの運動うんどうがわ雰囲気ふんいき表現ひょうげんしたようなところがあるかもしれません。ただ、だい2グループの存在そんざいそのものを「生存せいぞん意思いしがない」「きるにあたいしないいのち」とけ「このようないのちの存在そんざいそのものの抹消まっしょう=絶滅ぜつめつ」を提唱ていしょう実行じっこうすることは、あきらかに優生ゆうせい思想しそうだといえるとおもいます(優生ゆうせいがく立場たちばからは「学問がくもんてき」ではあるが・・・・。ちなみに、今日きょうようにヒトゲノムが解読かいどくされるような時代じだいにおいても、なに優生ゆうせいれつせい選別せんべつする学問がくもんてき基準きじゅんなのかがはっきりしているとはいえません)。さらえば、日本にっぽん障害しょうがいしゃ運動うんどう世界せかいてきにも先駆さきがけて優生ゆうせい思想しそう問題もんだいして事実じじつおもみをきにかたることはできません。正確せいかくえば「いのち選別せんべつ思想しそうを「存在そんざいそのものの抹消まっしょう=優生ゆうせい思想しそう」へと拡大かくだい適用てきようしてきたこと(支配しはいそう本来ほんらい優生ゆうせいがく対象たいしょうといえるかからない人々ひとびと優生ゆうせいがくまがいの言葉ことば隔離かくり抹殺まっさつしてきたこと)に対決たいけつしてたたかってきたこと、その運動うんどう歴史れきしかんがえると、森下もりしたのいいぶんにはそれ相応そうおう意味いみがあるようにおもいます。
  わたし以上いじょうことまえて、これまで優生ゆうせい思想しそうんできたことのおおくを「いのちの選別せんべつ思想しそう」といいかえることにしていますが、存在そんざいそのものの抹殺まっさつ問題もんだいになっている場合ばあいは、やはり、優生ゆうせい思想しそうという言葉ことば使つかうことにしています。「いのちの選別せんべつ一般いっぱんでは問題もんだい出来できないとおもいますから。また優生ゆうせいがく優生ゆうせい思想しそうとも区別くべつして使用しようします。優生ゆうせいがくそのものは殆んど学問がくもんてきには成果せいかがなく、優生ゆうせい政策せいさく実行じっこう優生ゆうせい思想しそう浸透しんとう寄与きよしてきただけだ、とおもっています(戦後せんご日本にっぽん成立せいりつした「優生ゆうせい保護ほごほう」による多大ただい害悪がいあくは、本来ほんらい優生ゆうせいがく対象たいしょうしゃとはいえない人々ひとびとたいして猛威もういるったのですから)。

(5)安楽あんらく解禁かいきん
  ワイマール共和きょうわこく時代じだいのドイツにおいては、ビンディングらへの賛成さんせい意見いけん圧倒的あっとうてき少数しょうすうで、法学ほうがくしゃからは「きるにあたいしないいのちをわらせる行為こうい」の解除かいじょ法的ほうてき不可能ふかのう医師いしからは知的ちてき障害しょうがいしゃ精神せいしん障害しょうがいしゃにも「生存せいぞん意思いし当然とうぜんにも存在そんざいすること」とうによって反対はんたいされました。
  ところが、このようなかんがえがまった通用つうようしなくなった時代じだいがやがて到来とうらいするのでした。それがナチの時代じだいであり、本書ほんしょもとづいて、ヒトラーの侍医じいテオドア=モレルの「安楽あんらくかんする報告ほうこくしょ」が作成さくせいされ、「障害しょうがいしゃ安楽あんらく計画けいかく」の必要ひつようせい確認かくにんされた経過けいか実証じっしょうされています。それにもとづき秘密裏ひみつりでの子供こども安楽あんらく計画けいかく、そして成人せいじん安楽あんらく計画けいかくへとエスカレートしてきました。
  現在げんざい入手にゅうしゅできるのは、モレルの「報告ほうこくしょ草案そうあん」です。そこでは、だい1に、安楽あんらく対象たいしょうをビンディングのだい2グループ、すなわち知的ちてき精神せいしんてき障害しょうがいしゃしぼり(脳性のうせいまひしゃ知的ちてき障害しょうがいしゃとして、その対象たいしょうになりました)、「生存せいぞん価値かち生命せいめい」(以下いかわたし普通ふつう使用しようしている「きるにあたいしないいのち」ときます)の定義ていぎをもビンディングからりていることから、本書ほんしょが「安楽あんらく計画けいかく」に多大ただい影響えいきょうあたえたことは間違まちがいのないところです。
  「まれつき・・・・きわめて重度じゅうど肉体にくたいてき精神せいしんてき障害しょうがいつがゆえに、継続けいぞくてきなケアによってしかきられず、奇形きけいであるためにその容姿ようし世間せけん憎悪ぞうおまととなるような、人間にんげん社会しゃかいとの精神せいしんてきつながりがもっとひく動物どうぶつのごとき段階だんかいにある精神病せいしんびょうしゃちゅうやくとしてはただしくない、とおもわれる。今日きょうでいう知的ちてき発達はったつ精神せいしん障害しょうがいしゃ脳性のうせいまひしゃふくまれている―の重度じゅうどしゃしている】は、きるにあたいしないいのちをわらせる行為こういかんする法律ほうりつもとづき、医師いし介入かいにゅうによって短縮たんしゅくされうる」
  モレルのこの言葉ことばは、ビンディングの「ほう観点かんてんばかりか、社会しゃかい共同きょうどう道徳どうとく宗教しゅうきょうといったどの観点かんてんからても、とう人間にんげん反対はんたいぶつであり【ちゅう:やく意味いみ不明ふめいなのでわたしなりの表現ひょうげんにしてみました。ここの箇所かしょ資料しりょうでは反映はんえいされていません。】、せっしたものの殆んどに驚嘆きょうたんとしこさずにはかない人々ひとびと、そのような人々ひとびと殺害さつがい解禁かいきん反対はんたいする理由りゆうはない」や、ホッへ「精神せいしんてきせるものが位置いちする知的ちてき水準すいじゅん動物どうぶつしゅでもかなり下等かとうなほうであり・・・・」という内容ないよう呼応こおうしています。今日きょうではバイオエシックスの論者ろんしゃ同様どうよう主張しゅちょうられます(有名ゆうめいなのが、動物どうぶつ権利けんりろんしゃ=ピーター・シンガーとう)。この差別さべつてき確信かくしんは、生物せいぶつがくてき優生ゆうせいがくてき証明しょうめいされようともしていないこと、に注意ちゅういしなければならないでしょう。
  ここで注意ちゅういてんひとつ。何故なぜヒトラーの侍医じいモレルがだい2グループのみを積極せっきょくてき選択せんたくしたのか?のグループは国家こっか意思いしとしては除外じょがいされたのか?(なんうように、当時とうじのドイツにおいては、安楽あんらくほう制定せいてい以前いぜんのオランダ―オランダほどではないにしても日本にっぽんにおいても――にられるように公然こうぜん組織そしきてきには安楽あんらくおこなわれていました)という疑問ぎもんです。
  今日きょう安楽あんらく尊厳そんげん容認ようにん動向どうこう優生ゆうせい思想しそうてきなものが全面ぜんめんにはいまだていません。あきらかに「ちょう高齢こうれい時代じだい」における社会しゃかい保障ほしょう医療いりょう削減さくげんながれのなかで、緊急きんきゅうかつ抵抗ていこうすくないであろうとおもわれるろう病者びょうしゃ(この文書ぶんしょえばだい1グループ)をターゲットにしています。当事とうじしゃがわからすれば「肉体にくたいてきいたみ(そのがた生理せいりてき不快ふかいかん嘔吐おうと発熱はつねつ呼吸こきゅうくるしさとう)」がともなう「将来しょうらいへの不安ふあんかん」が安楽あんらく尊厳そんげん容認ようにんつながっています(緩和かんわケア、疼痛とうつう治癒ちゆ普及ふきゅうによってかなり解決かいけつされる問題もんだいなのですが)。そこでもはたらいている論理ろんり経済けいざいてき負担ふたん軽減けいげんです。
  ところが、ナチの時代じだいには、経済けいざいてきなものだけでは説明せつめいできない優生ゆうせい思想しそうてき偏見へんけん、すなわち、だい2グループにたいする「生存せいぞん意思いしのない(言葉ことばとして表現ひょうげんできない)しゃ」、したがって(ここに論理ろんり飛躍ひやくがあるのですが)「法益ほうえきたる資格しかくはなはだしくそこなわれたがために、いのちを存続そんぞくさせることがそのにな自身じしんにとっても、社会しゃかいにとっても一切いっさい価値かち持続じぞくてきうしなってしまったようなひといのち」の対象たいしょうしゃとして重度じゅうど知的ちてき精神せいしんてき障害しょうがいしゃげたビンディング、ホッヘの見解けんかい採用さいようしたのでした(1933ねん実施じっしされた医師いしエーバルト=メルツァーの「施設しせつ収容しゅうよう障害しょうがいしゃおや心理しんりアンケート」はかれらの見解けんかい否定ひていするためにされたものでしたが、皮肉ひにくなことに、「わがのいのちの短縮たんしゅくねがう」おやおおく、ぎゃく利用りようされたようです)。それが社会しゃかいてき納得なっとくのいくものだったからでしょう。戦時せんじ国家こっか総動員そうどういん体制たいせいにおいては、「すべてのさわきず老病ろうびょうしゃがその体制たいせいあし欠陥けっかん人間にんげんとされている」が、「精神せいしんてきんでいるもの」には「いかなるくるしみもない」がゆえに、「かれらへの殺害さつがい通常つうじょうのものとはちがう」(ホッヘ)、と実行じっこうできたのでしょう。このあたりの解明かいめいいま重要じゅうようなテーマだろうとおもわれます。

(6)医師いし専門せんもん主義しゅぎによる、安楽あんらく尊厳そんげん延命えんめい中止ちゅうし
  知的ちてき精神せいしんてき障害しょうがいしゃにとってのみならず、身体しんたい障害しょうがいしゃ難病なんびょうしゃ傷病しょうびょうしゃにおいても、社会しゃかいがわがコミュニケーションのバリアーを解除かいじょしようとしないかぎり、法律ほうりつてき責任せきにん主体しゅたいとなりにくい事情じじょう今日きょうにおいても存在そんざいしています【註:さわ老病ろうびょうかかわる意思いし疎通そつうをその個人こじん責任せきにんにしないことがもとめられます】。そこから「生存せいぞん意思いしがない」とか「生存せいぞんすることに否定ひていてきである」とけるわけには勿論もちろんきません。そのバリアーをのぞ努力どりょくをしなければならないのは社会しゃかいがわです。その努力どりょく欠如けつじょ不問ふもんにしたままで、「QOLがひくい」と他者たしゃおも医師いし)からめられる事態じたい危険きけんきわまりない「いのちの選別せんべつ」につながるものであること(QOLというものはあくまでも自己じこ評価ひょうかにとどめるべきであり、他者たしゃはそれを尊重そんちょうすべきだというのがわたしかんがえ――そのためには他者たしゃ圧力あつりょく本人ほんにん自身じしん肉体にくたいてき苦痛くつうのない状態じょうたいでの意思いし表明ひょうめい本人ほんにん安心あんしん度合どあい把握はあく要請ようせいされます)をっておかねばならないとおもいます。
  このような立場たちばは、【個々人ここじんいたみやくるしみを、その当人とうにん自身じしん性質せいしつ能力のうりょくとう責任せきにんにし、「社会しゃかい貢献こうけんしない・迷惑めいわくをかける存在そんざい」としてててきた見方みかた――能力のうりょく主義しゅぎ優生ゆうせい思想しそう安楽あんらく思想しそう共通きょうつうして存在そんざいする人間にんげんかん】にあることにたいする反省はんせいから、現時点げんじてんにおいてわたしいうることです。それにわるものはいまだありません。ただいえることは、ありのままの姿すがたにおいて(ボーとしているときがそれに一番いちばんちかいかもしれません)やすらぎをかんじることができること、を大切たいせつにしたいというくらいです。
  安楽あんらく=尊厳そんげんわるものは、疼痛とうつう治癒ちゆいたみ・不快ふかいやわらげる医療いりょう一部いちぶとした人々ひとびとこころみ)・緩和かんわケアによる上記じょうき状態じょうたい確保かくほであり、ちかしいひととの交流こうりゅう交友こうゆう関係かんけい回復かいふくだろうとおもっています。寿命じゅみょうちぢめることがあっても・・・・。このあたりは個々人ここじんかんがえを尊重そんちょうするしかないことでしょう。
  そういうゆめいだきながらも、そのゆめ現実げんじつにおいては殆んど実現じつげんむずかしくなってきているのが昨今さっこん状況じょうきょうです。
  ここで、ビンディング、ホッヘとう安楽あんらく思想しそう今日きょうのそれとが切断せつだんされたものであるのか?をうことは無駄むだではないでしょう。
  かれらの文献ぶんけんられる安楽あんらく対象たいしょう類型るいけいはそっくり今日きょうにもてはまります。どのグループにたいしても安楽あんらく解除かいじょせよとかれらの主張しゅちょうは、今日きょうオランダ、ベルギーとうにおいて、ほう制度せいどてきにはもっと厳格げんかくなチェック体制たいせいゆうしたかたち実現じつげんされています。にはだい2グループにたいする組織そしきてき安楽あんらくだけは実施じっしされていないようです。しかしその実情じつじょうは、医師いし専制せんせい対象たいしょう拡大かくだいというかたちをとっていることを見逃みのがしてはいけません。医師いしグループにとって(国家こっかにとって)どのグループも「無駄むだ延命えんめいをしている」となしているのが実情じつじょうようですから・・・・。
  かれらの知的ちてき精神せいしんてき障害しょうがいしゃたいするがたいほどの差別さべつはストレートにはられなくなりました。障害しょうがいしゃ運動うんどう成果せいかでしょう。しかしながら、差別さべつしている視線しせんはなくなってはいません。差別さべつする専門せんもんがわの【みずからの知的ちてき能力のうりょくへの過信かしん専門せんもん至上しじょう主義しゅぎ】(その一体いったいせい原典げんてんでは非常ひじょうにはっきりかります)、理性りせい(というより知性ちせいか?)優位ゆうい人間にんげんかんいまでも反省はんせいされているとはいえないし、ましてや、戦争せんそう侵略しんりゃく責任せきにん人体じんたい実験じっけん責任せきにんらずに日本にっぽん医療いりょう関係かんけいしゃは、自己じこ専門せんもんせいによってどれだけの被害ひがいおよぼしてきたのか(成果せいか数多かずおおのこしてきていますが)?ということについては、ほどにも自覚じかくがないとおもわれます(ちなみに射水いみず市民しみん病院びょういんげん院長いんちょう麻野あさの安楽あんらく尊厳そんげんのことについての知識ちしきは、事件じけん発覚はっかく当時とうじ昨年さくねん10がつまでは殆んどなかったそうです)。そのうえで、射水いみず市民しみん病院びょういん事件じけん事実じじつ解明かいめい教訓きょうくんみずからの責任せきにんにおいてそうとしないまま(病院びょういん関係かんけいしゃ黙認もくにんにおいて)、医師いし主導しゅどう医療いりょうのマニュアル責任せきにん回避かいひがなされてきているのです。このてんわすれずにかんがえていきたいものです。

  そういうてんについてかんがえる素材そざいとして、この文献ぶんけん学習がくしゅうする意義いぎ十分じゅうぶんあるとおもいます。あいにくと不十分ふじゅうぶん資料しりょうしか提供ていきょうできなかったことをおびします。


◆Binding, Karl.;Hoche, Alfred 1920 Die Freigabe der Vernichtung lebensunwerten Lebens: Ihr maB und ihre form, Felix Meiner, Leipzig=20011126 森下もりした ただしたか佐野さの まこと やく『「きるにあたいしないいのち」とはだれのことか――ナチス安楽あんらく思想しそう原典げんてんむ』,まどしゃ, 183p.ISBN:4-89625-036-2 1890 [boople][amazon][BK1] ※ d


UP:20060714
安楽あんらく尊厳そんげん  ◇優生ゆうせい優生ゆうせいがく  ◇ドイツ
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