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玉川よ志『終わりに言葉なきことがあり』
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わりに言葉ことばなきことがあり』

玉川たまがわ志子しこ 19830525 講談社こうだんしゃ,229p. 1200


玉川たまがわ志子しこ 19830525 『わりに言葉ことばなきことがあり』,講談社こうだんしゃ,229p. 1200 [B]

玉川たまがわかつら
1929  せい
196807 発症はっしょう(24)
197201 病名びょうめい判明はんめい(24)
197301 入院にゅういん
19730312気管きかん切開せっかい人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃく
1975
197905 「おっといちきゅうななきゅうねんがつには、まったく表現ひょうげんできない状態じょうたいになった。」(79)
19810525逝去せいきょ

[●]玉川たまがわかつら東京とうきょういちきゅうろくはちねん発症はっしょうななねん病名びょうめい判明はんめい)はいちきゅうななさんねんさんがつにチューブをれる手術しゅじゅつをしたのち呼吸こきゅう困難こんなん意識いしき不明ふめいになり、気管きかん切開せっかい人工じんこう呼吸こきゅうをつけた。「現在げんざい、このたね病気びょうきたいする医療いりょう常道じょうどうとしては、呼吸こきゅう困難こんなんおちいっても、気管きかん切開せっかい人工じんこう呼吸こきゅう生命せいめい維持いじ装置そうち)までして、患者かんじゃ生命せいめい維持いじをはからないそうである(『カレン・アンのながねむり』講談社こうだんしゃかん。そのより)。わたしどもの場合ばあい医療いりょう常道じょうどうまもられなかったことはさいわいだった。」(玉川たまがわ[1983:64-65])
  cf.安楽あんらく尊厳そんげん米国べいこく

[◆]いちきゅうななさんねん気管きかん切開せっかい呼吸こきゅうをつけた玉川たまがわかつら[●]は東京とうきょう都内とない病院びょういん入院にゅういんしていた。つま玉川たまがわ志子しこがずっとはたについていたのだが、はちいちねんがつあいだはんほどの外出がいしゅつからもどってくると、呼吸こきゅうからカニョーレがはずれていた。二日ふつかくなる。結局けっきょく看護かんご過失かしつ病院びょういんみとめなかった。事故じこのあった医師いしはなしつぎのようにしるされている。「今年ことし神経しんけい内科ないか学会がっかいで、T大学だいがく先生せんせい玉川たまがわさんとおな状態じょうたいすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう気管きかん切開せっかい人工じんこう呼吸こきゅう使用しよう)のさんにん患者かんじゃ症例しょうれい発表はっぴょうしましたが、れいまでがこのような事故死じこしなんですね。【人工じんこう呼吸こきゅう使用しよう患者かんじゃ事故死じこし宿命しゅくめい】みたいなものです」(玉川たまがわ[1983:124]、傍点ぼうてん玉川たまがわによる)  ……【】に傍点ぼうてん

[●]玉川たまがわかつら発症はっしょういちきゅうろくはちねんななさんねん入院にゅういん気管きかん切開せっかい人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃく[●]。「この病気びょうきすじ比較的ひかくてき最後さいごまでうごくことになっているのに、おっと入院にゅういん当初とうしょからうごかなくなっていた。すじうごけば、たまでイエスかノーかも表示ひょうじできる。これは、おっと限界げんかいえてきている症例しょうれいだとのことである。」(玉川たまがわ[1983:79])右足みぎあし親指おやゆびのかすかなうごきがのこり、ななねんには文字もじばんげるのにわせてブザーを方法ほうほうをとる([74])。ななはちねんはちがつにはそれができなくなり、肛門こうもん括約筋かつやくきんうごかす方法ほうほうをとる([77]、川口かわぐち武久たけひさ小説しょうせつにこの方法ほうほうてくる[●]のは、川口かわぐちがこのほんんだからかもしれない)。「いちきゅうななきゅうねんがつには、まったく表現ひょうげんできない状態じょうたいになった。」([79])まぶたはじている。見舞みまいのひとおおく、キリスト教徒きりすときょうとである玉川たまがわ聖書せいしょ講義こうぎをしてくれる牧師ぼくし夫妻ふさい訪問ほうもんつづく。音読おんどくをするひと音楽おんがくテープをおくってくれるひとがいる。テレビはほとんどいちにちついている。ななきゅうねんがつ、「いま、この記録きろくしるしているあいだも、おっとはあらんかぎりのくるしみを背負せおっているひととはおもわれないような、おだやかな表情ひょうじょうをしている。すでにいちねんまえから、まぶたも自分じぶんではけられなくなっているので、「いのり」の状態じょうたいにあるのか、あるいは、まどろみの状態じょうたいにあるのか、それをいただすことはできないけれど……」([97]、折笠おりかさ[1989:216-217]にこのほんへの言及げんきゅうがある)かれくなるのははちいちねんがつ呼吸こきゅう事故じこによる[●]。

[●]玉川たまがわかつら[●]について。「まったく沈黙ちんもく状態じょうたいになってしまったおっとをこのうえ、まだくるしみつづけさせることに疑問ぎもんをいだくひとがあるかもしれない。しかしおっとがイエスかノーかの返事へんじ可能かのうだったころ、わたしなんかいとなくそのことをおっとにたずねてみた。/いちとして「にたい」という返事へんじもどってきたことはない。このことについて医師いしたちはおっと性格せいかく楽天的らくてんてきなためではないかといわれる。わたしとておっとのこの状態じょうたいなれてしまっているわけではない。「にたい」といったことがないのは、わたしにとってどれほどのすくいになっていることか。おっと病名びょうめいしてあるので、「なおるかもしれない」という希望きぼうがあるのかもしれない。」(玉川たまがわ[1983:94])


言及げんきゅう

[327]「玉川たまがわさんの場合ばあいわたしとはぎゃくに、ひらかなくなってからもうごきが比較的ひかくてき最後さいごまでのこったので、ゆびうごきで五十音ごじゅうおんしめすなど、コミュニケーションには様々さまざま工夫くふうらされるが、ついからだちゅうのどんなところもピクともうごかなくなり、意志いし伝達でんたつ手段しゅだんまったうしなわれる。しかし、のう知能ちのう正常せいじょうはたらき、外部がいぶからのすべてを理解りかいし、あちらからも懸命けんめいかたりかけているにちがいないと、おくさんは熱心ねっしんに”会話かいわ”しつづける――。」(折笠おりかさ[1989:216-217]、折笠おりかさ玉川たまがわ[1983]への言及げんきゅうは[270]でも引用いんよう)◆


UP:20040621 http://www.arsvi.com/b1900/8305ty.htm REV:20070321
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