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米本昌平 『バイオエシックス』
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『バイオエシックス』

米本よねもと 昌平しょうへい 19850120 講談社こうだんしゃ,226p. 


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米本よねもと 昌平しょうへい 19850120 『バイオエシックス』,講談社こうだんしゃ,226p. ISBN:4061457594 ISBN-13: 978-4061457591 [amazon] be ms

出版しゅっぱんしゃ著者ちょしゃからの内容ないよう紹介しょうかい
遺伝子いでんし操作そうさによるインターフェロンやインシュリンの製造せいぞう人工じんこう授精じゅせい細胞さいぼう融合ゆうごうによる家畜かちく穀類こくるい改良かいりょうにんなや夫婦ふうふ福音ふくいんをもたらした体外たいがい受精じゅせい技術ぎじゅつバイオテクノロジーは、バラ色ばらいろ未来みらいあたえてくれるかにえた。しかし、実験じっけん安全あんぜんせい大丈夫だいじょうぶか、ナチスを想起そうきさせる。クローンにつながるのでは、との不安ふあんをはじめ、必要ひつよう遺伝いでんてき操作そうさ介入かいにゅうけずにまれてくる権利けんり=DNA不可侵ふかしん権利けんりまでもさけばれるようになった。本書ほんしょは、生物せいぶつ医療いりょう生物せいぶつ技術ぎじゅつがどのように進展しんてんし、どのような問題もんだいかかえているかをきつつ、われわれの社会しゃかいもっと心安こころやすまるかたちでの受容じゅようみちをさぐる。

著者ちょしゃ紹介しょうかい
1946ねん愛知あいちけんまれ。1966ねん京都きょうと大学だいがく理学部りがくぶ入学にゅうがく、72ねん卒業そつぎょう大学だいがく紛争ふんそう世代せだい証券しょうけん会社かいしゃ勤務きんむしながら科学かがく独学どくがく。76ねんより、三菱化成みつびしかせい生命せいめい科学かがく研究所けんきゅうじょ社会しゃかい生命せいめい科学かがく研究けんきゅうしつ所属しょぞく現在げんざいいたる。専攻せんこうは、科学かがく科学かがくろん京都きょうと大学だいがく学士がくし山岳さんがくかい会員かいいん京都大学きょうとだいがくブータン学術がくじゅつ調査ちょうさたい一員いちいんとしてブータンを踏査とうさ共著きょうちょに『パラダイム再考さいこう』──ミネルみねるァ書房ぁしょぼう、『進化しんかろん進化しんかする』──リブロポート、『時間じかん進化しんか』──東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい──がある。

目次もくじ

プロローグ 8

だいいちしょう 科学かがく科学かがくしゃ・ジャーナリズム 13
 1‐科学かがくしゃ集団しゅうだん14
  論文ろんぶん生産せいさん科学かがく啓蒙けいもう/ゆるされない専門せんもん用語ようご/楽観らっかんろんかたむ未来みらい予測よそく
 2‐生物せいぶつ技術ぎじゅつ(バイオテクノロジー)の報道ほうどうから 21
  サイエンティフィック・リテラシー/成立せいりつしていない緊張きんちょう関係かんけい/なぜ達成たっせいできないかをく/本物ほんもの科学かがくジャーナリズムとは/"哺乳類ほにゅうるいはつのクローン"/拡大かくだい解釈かいしゃくあやまり/はら論文ろんぶんからかけはなれた記事きじ/うたがわしい実験じっけん

だいしょう バイオテクノロジーの行方ゆくえ 37
 1‐コーエン=ボイヤー論文ろんぶん 38
  世界せかい震撼しんかんさせた特許とっきょ/たねぞくかべえて/バーグのアピール/ひろがる不安ふあんたね/安全あんぜんデータによる反論はんろん/生命せいめいぞうのパラダイム転換てんかん/消極しょうきょくてき禁止きんしから積極せっきょくてき規制きせいへ/ガイドラインの矛盾むじゅん変質へんしつ/論争ろんそう最終さいしゅう局面きょくめん/支持しじされたゴッツマンあん/私企業しきぎょう規制きせいのケネディ法案ほうあん/ケンブリッジ場合ばあい/アメリカてき敵対てきたい関係かんけい/日本にっぽんてき体質たいしつ/翻訳ほんやくにすぎないかん体制たいせい/日米にちべい市民しみん運動うんどう
 2‐バイオテクノロジーの期待きたい限界げんかい 72
  大腸菌だいちょうきんとファージの生物せいぶつがく/商業しょうぎょう限界げんかい/困難こんなんな"ゆめ作物さくもつ"/ぐみ技術ぎじゅつがもたらした効果こうか/ベンチャー・ビジネスの戦略せんりゃく/神話しんわ没落ぼつらく/各国かっこく期待きたい/野外やがい放出ほうしゅつ実験じっけん/リフキンの訴訟そしょう
 3‐生物せいぶつ兵器へいき開発かいはつ 91
  条約じょうやく成立せいりつ背景はいけい/ウラルの炭疽たんそびょう/国防総省こくぼうそうしょうのプロジェクト/軍事ぐんじ連動れんどうする基礎きそ研究けんきゅう

だいさんしょう 遺伝子いでんし治療ちりょうひかりかげ 99
 1‐バイオエシックス入門にゅうもん 100
  バイオエシックスとは/価値かちかん人権じんけん概念がいねん明確めいかく/宗教しゅうきょう念頭ねんとうにおいた議論ぎろん/アメリカの統治とうち構造こうぞう/法律ほうりつづくりに熱心ねっしん社会しゃかい/イコール・タイム運動うんどう/患者かんじゃ自己じこ決定けっていけん
 2‐遺伝いでんびょうスクリーニング論争ろんそう 110
  フェニルケトン尿にょうしょう/ニクソンの保健ほけん政策せいさく/かまがた血球けっきゅうびょう差別さべつてき法律ほうりつ/スクリーニングほう進展しんてん/いんしゃ疎外そがいかん
 3‐マーチン・クライン事件じけん 123
  はつ遺伝子いでんし治療ちりょうこころみ/なぜ血液けつえき遺伝いでんびょうだったのか/妥当だとうてきしぼかた/クラインの治療ちりょう手法しゅほう/人体じんたい実験じっけん以前いぜんのおとぎばなし
 4‐スーパーマウスの実験じっけん 133
  顕微けんび注入ちゅうにゅうほう考案こうあん/アリバイ論文ろんぶんとセンセーショナリズム/"つけり"が見出みだしに
 5‐遺伝子いでんし操作そうさ人権じんけん 139
  実用じつよううすい遺伝子いでんし治療ちりょう/"DNAの不可侵ふかしん"/好意こういてき宗教しゅうきょうかい/ブタに人間にんげんのDNAを注入ちゅうにゅう
 6‐胎児たいじ診断しんだん 148
  ジーン・マッピング/スクリーニングと職種しょくしゅ/ハンチントン舞踏ぶとうびょう/善意ぜんいがウラ

だいよんしょう 拡大かくだいする体外たいがい受精じゅせい操作そうさ 157
 1‐実用じつようへのあしどり 158
  体外たいがい受精じゅせい原理げんり/ルイーズの誕生たんじょう/エドワーズの予言よげん/年間ねんかんのモラトリアム
 2‐体外たいがい受精じゅせい問題もんだいてん 169
  高価こうか費用ひよう/あまったはいをどうするか/凍結とうけつたまご相続そうぞくけん/受精卵じゅせいらん移植いしょく代理だいりはは/養子ようし縁組えんぐみ代替だいたい手段しゅだん/ウォーノック勧告かんこく/つよ心理しんりてき抵抗ていこう/学会がっかい世論せろん対策たいさく/実名じつめい報道ほうどう波紋はもん

だいしょう 臓器ぞうき移植いしょく脳死のうし 187
 1‐じん移植いしょく臓器ぞうき提供ていきょう 188
  急増きゅうぞうするじん移植いしょく/臓器ぞうき不足ふそくなやみ/"腎臓じんぞうりたし"
 2‐脳死のうし日本人にっぽんじん感情かんじょう 196
  判定はんてい規準きじゅん/"他人たにんからだなかかせてもらっている"/なじめない肉体にくたい機械きかいろん/インフォームド・コンセント
 3‐胎児たいじ診断しんだんによる中絶ちゅうぜつ 205
  選択せんたくてき中絶ちゅうぜつ是非ぜひ/障害しょうがいしゃ差別さべつろん/優生ゆうせいがくにつながる不安ふあん

エピローグ 212
  先端せんたん科学かがく文化ぶんか規範きはん対立たいりつ/議論ぎろんける日本にっぽん社会しゃかい/箱根はこね会議かいぎ/バイオエシックスの必要ひつようせい

 資料しりょうT 欧州おうしゅう会議かいぎだいさんさんかい定例ていれい会議かいぎ 219
 資料しりょうU ウォーノック委員いいんかい勧告かんこく 222


引用いんよう

プロローグ
(pp8-9)
 生物せいぶつ技術ぎじゅつ(バイオテクノロジー)や医療いりょう技術ぎじゅつ社会しゃかいてき受容じゅよう全体ぜんたい包括ほうかつてきかんがえてみようとする態度たいどは、この日本にっぽんではまだとぼしい。
 じつは、それをこのちいさなほんであえてやってしまおうというのである。
 しかし、こんなだい問題もんだい簡単かんたんこたえがせるわけはないから、ここでは、いくつかのテーマに焦点しょうてんしぼって、問題もんだい整理せいりする立場たちばてっしようとおもう。それはつまるところ、われわれがいまどんな状況じょうきょうにあるかをはっきりさせることであり、これを効果こうかてきおこなうためにも、ふたつの方法ほうほう意識いしきてき採用さいようしてみたいとおもう。
 ひとつは、重要じゅうようおもわれる少数しょうすう論文ろんぶんについてはできるかぎり原文げんぶんにあたること、そして、さまざまな意味いみ日本にっぽん対極たいきょくにあるとおもわれるアメリカの現状げんじょうくわしくみること。このふたつの方法ほうほうによって、日本にっぽん現状げんじょう相対そうたいしてみれば、あるいは、現在げんざい判断はんだんがむずかしいとおもわれている問題もんだいぐん解答かいとうへの道筋みちすじがほのえてくるかもしれない、とひそかにおもっているからである。
(pp10-12)
 ヒトのインシュリンを遺伝子いでんしぐみえによって大腸菌だいちょうきんつくらせ、治療ちりょうやくとしてもちいようというのがこのねらいである。もしこの新聞しんぶん記事きじどおりだとすると、おそくともはちろくねんには遺伝子いでんしぐみほうによる商品しょうひんだいいちごう日本にっぽんにも登場とうじょうすることになる。
 ところで、この遺伝子いでんしぐみほうによるヒト・インシュリンの製造せいぞうとはどういうことなのだろうか。かりに、このほんにしているあなたが、ふとこうおもったとする。どうしたらいいのだろう……。
 とりあえずほんさがしてみよう。おおきな書店しょてんにいけば"バイオテクノロジー"というコーナーがあり、このたね解説かいせつしょはたくさんならんでいる。そのなかから適当てきとうなものをいちさつもとめればよいし、要点ようてんりたいだけなのなら、みでもおよそのすじはつかめてしまうだろう。
 しかし、である。たとえば、人工じんこうてきにインシュリンをつくらされるようになった大腸菌だいちょうきんはずっとつづけるのだろうか。インシュリンはどこにたまって、どうやってあつめられるのだろう。この場合ばあい生産せいさん効率こうりつとはどんなことなんだろう……。
 あなたのあたまにこんな疑問ぎもんがわいたとする。さてどうしたらいいのだろう。ここでもう一度いちど書店しょてん書棚しょだなをにらんでみよう。すると、あなたは生物せいぶつ技術ぎじゅつ(バイオテクノロジー)関係かんけいほんがこれだけぎっしりならんでいながら、その説明せつめい仕方しかたしんじられないほど一様いちようであることを発見はっけんし、愕然がくぜんとするにちがいない。しかもいまあなたがとりつかれた、もんがた説明せつめいからはすこしはずれた、しかし、しごくもっともな疑問ぎもんこたえてくれるものは皆無かいむなのである。(りゃく
 最新さいしん生物せいぶつ技術ぎじゅつ医療いりょう技術ぎじゅつ社会しゃかいとの関係かんけいかんがえるにあたって、このような現状げんじょう認識にんしき、つまり、われわれは一見いっけん洪水こうずいのような科学かがく情報じょうほうにみまわれながら、本当ほんとうにほしい情報じょうほう何一なにひとあたえられないという現実げんじつすえるところからまず出発しゅっぱつしたいとおもう。
 しんからりたいことがおもうようにりえないという社会しゃかいは、ようによってはきわめて人間にんげんてき社会しゃかいであり、われわれは、情報じょうほう中毒ちゅうどくなか情報じょうほう渇望かつぼうというひどく矛盾むじゅんした状態じょうたいめられているのである。


だいいちしょう 科学かがく科学かがくしゃ・ジャーナリズム
(pp14-15)
 問題もんだいをもっとはっきりさせるため、本題ほんだいはいまえにいますこみとどまって、科学かがく・ジャーナリズム・市民しみんという三極さんきょく構造こうぞうかんがえ、それぞれの性格せいかく分析ぶんせきをややくわしくおこなっておこう。そうすると、ちょうどこの順番じゅんばんで、よりおおくの問題もんだいをはらんでいることがあきらかになってくるのである。
 最近さいきんわがくにでも、遺伝子いでんしぐみ実験じっけん安全あんぜんせい脳死のうし問題もんだいをめぐって、科学かがくしゃ専門医せんもんい市民しみんとが意見いけんわす成立せいりつするようになった。これ自体じたい大変たいへん進歩しんぽではある。しかしこの結果けっか科学かがくしゃとか専門せんもんとかばれるひとたちにかんしてすくなくともふたつのめん露呈ろていすることになった。
 そのひとつは、こういうにみずからすすんでてくる少数しょうすう専門せんもん善意ぜんい意欲いよくみとめるとしても、現在げんざいかれらには、自分じぶんたちがおこなっている研究けんきゅう実態じったい一般いっぱんひとたちにわかりやすくせつあかりする能力のうりょくにおそろしくとぼしい。こうげんってわるければ、これまで必要ひつようがなかったためこういう能力のうりょくをほとんどみがかないままできたこと。
 だいに、現在げんざい科学かがく研究けんきゅうおおくがはっきりとした社会しゃかいてき還元かんげん予想よそうされないのに研究けんきゅう大半たいはん公的こうてき資金しきんあおいでいる以上いじょう科学かがくしゃ本質ほんしつてき自分じぶんたちの研究けんきゅう一般いっぱんかってまなければならない立場たちばにあることがはっきりてしまうことである。だからここから、尊大そんだい卑屈ひくつというあの科学かがくしゃ独特どくとく雰囲気ふんいきまれてくる。
(pp16-18)
 このように、現代げんだい科学かがく研究けんきゅうは、専門せんもん領域りょういきという、外部がいぶとの情報じょうほう交換こうかんのないうちきにじたなかで、それ自体じたい自律じりつ運動うんどうによってすすめられ、その結果けっかとして論文ろんぶんされていく。こんな環境かんきょうなか遺伝子いでんしぐみえが実験じっけん手法しゅほうとしてしだいに確立かくりつしていき、ある突然とつぜんマスコミをつうじて世間せけん注目ちゅうもくびることになる。(りゃく
 そうなると今度こんどは、専門せんもん領域りょういき以外いがいのさまざまな立場たちば人間にんげん、とりわけ一般いっぱんひとたちから、科学かがくしゃは、実験じっけん安全あんぜんせい優生ゆうせい操作そうさへの危惧きぐかんしての解答かいとうもとめられるようになる。この外側そとがわからの質問しつもんこたえることは、科学かがくしゃかんがえているよりははるかに困難こんなんなことなのであり、それが証拠しょうこに、善意ぜんい市民しみんとの対話たいわ集会しゅうかいった科学かがくしゃはへとへとにつかれ、ときには市民しみん敵意てきいすらいて実験じっけんしつにもどってくることになる。(りゃく
 一般いっぱんひとたちがのぞんでいることは、結局けっきょく遺伝子いでんしぐみ実験じっけんとは具体ぐたいてきにはどのようなものであり、科学かがくしゃ自身じしん研究けんきゅう危険きけんせいをどの程度ていどはらづもりのものとして実験じっけんてているかを、本人ほんにんくちから確認かくにんしておきたいのである。(りゃく
 要求ようきゅうされていること本質ほんしつはこのようなことであるにもかかわらず、科学かがくしゃ一般いっぱんけての発言はつげんは、結局けっきょくは、専門せんもん用語ようご羅列られつ終始しゅうししてきた。(りゃく
 かれらは、自分じぶんたちとおなじように一般いっぱんひとたちにとっても、論文ろんぶんいてあることこそがもっと重要じゅうようだと錯覚さっかくし、やさしくするということはこれを適当てきとううすめることだと勘違かんちがいしている。そして科学かがくしゃそくが、よき研究けんきゅうしゃはよき教育きょういくしゃでありよき啓蒙けいもうである、などというぜん時代じだいてき錯覚さっかくおちいったままでいる場合ばあいには、いっそう悲劇ひげきてきである。これだけ説明せつめいしてやってもわからないのは、かれらのあたまわるいからであると一方いっぽうてき断定だんていしてしまいかねないからである。
(pp18-20)
 だいにはっきりしたことは、科学かがくしゃ自分じぶん研究けんきゅう分野ぶんや応用おうようめんやそのすえについては、徹頭徹尾てっとうてつび楽観らっかんろんしかかないことである。ぎゃくにいえば、科学かがくしゃは、みずからの学問がくもん内在ないざいする論理ろんりてき困難こんなん実用じつようにいたるまでの過程かていちはだかる技術ぎじゅつてき障壁しょうへきについでは、それが本質ほんしつてきなものであればあるほど、言及げんきゅうするのをけようとする。
 これは科学かがくしゃ生理せいりちかいものになっている。だから、なるほど科学かがく成果せいかにはあるしゅ客観きゃっかんせいがあるのだが、科学かがくについての科学かがくしゃ発言はつげんもが同等どうとう客観きゃっかんせい保証ほしょうされているとはかぎらないのである。(りゃく
 ようによっては無責任むせきにんきわまりないこのような未来みらい予測よそくがとがめられないのは、科学かがく技術ぎじゅつによるバラ色ばらいろ未来みらい社会しゃかいえがくことはよいことである、とする強固きょうこなイデオロギーをわれわれが、たぶんぜん世紀せいき以来いらい共有きょうゆうしているからであろう。
 科学かがくしゃたがいに批判ひはんうものだと一般いっぱんにはしんじられているが、それはかれらの生産せいさんぶつである専門せんもん論文ろんぶんたいして、ある視角しかくからのみおこなわれるのにすぎない。だから科学かがくしゃえがいてみせてきた未来みらいぞうと、現実げんじつ研究けんきゅう進捗しんちょく状態じょうたい乖離かいりしすぎたとき、だれかがこれを補正ほせいしなくてはならない。
 個別こべつ専門せんもん分野ぶんや内在ないざいする論理ろんりてき矛盾むじゅんや、実用じつようまでの技術ぎじゅつてき障壁しょうへきかんする情報じょうほうそとつたわりにくい以上いじょうだいさん人間にんげん公平こうへい立場たちばから、科学かがくひょうかおとその楽屋裏がくやうら同時どうじかた作業さぎょうけねばならない。そもそも科学かがくしゃ一般いっぱん市民しみんとの対話たいわも、あらかじめ科学かがく本当ほんとう姿すがたを、理解りかい可能かのう言葉ことば一般いっぱん人間にんげんつたえておいてくれるチャンネルがあってこそ、はじめて成立せいりつする。この役割やくわり本来ほんらいなら科学かがくジャーナリズムがきうけるべきはずのものである。
(pp21-25)
 一般いっぱん人間にんげんにとっては、最新さいしん科学かがく情報じょうほうるのは、もっぱらマスコミをとおしてであり、情報じょうほう保存ほぞんせいというてんで、なんといっても新聞しんぶん影響えいきょうりょく圧倒的あっとうてきである。実際じっさい研究けんきゅう成果せいかたいする一般いっぱんひとたちのだいいち印象いんしょうは、ほとんど新聞しんぶんによって決定けっていづけられてしまうとってしまってよい。(りゃく
 もう一度いちどいうが、問題もんだいひとつは、いったん新聞しんぶん科学かがくあたらしいうごきにれ、もっとくわしくりたいとおもっても、一般いっぱん人間にんげんには方策ほうさくがないことである。(りゃく新聞しんぶん記事きじ以上いじょう内容ないようりたいとおもっても『ネイチャー』や『サイエンス』などの外国がいこくげん論文ろんぶん以外いがいみちがないことおおい。(りゃく)かりに多大ただい犠牲ぎせいはらってその論文ろんぶんのコピーをれたとしても、むろん普通ふつう人間にんげんにはなにいてあるかわからない。学術がくじゅつ文献ぶんけん読解どっかい能力のうりょく(サイエンティフィック・リテラシー)という障壁しょうへきまえにただちつくすだけということになる。(りゃく
 だが本当ほんとうはこれよりずっと重大じゅうだいなことは、現在げんざい新聞しんぶん科学かがくとのあいだには、いわゆるジャーナリズムという言葉ことば本来ほんらいもつ、対象たいしょうとの緊張きんちょう関係かんけい成立せいりつしていないことである。これは政治せいじ場合ばあいくらべてみるとはっきりする。
 たとえば新聞しんぶんが、政党せいとうのスポークスマンの発言はつげん内容ないようをそのまま記事きじにしたのではまるでとう機関きかんのようなものになってしまう。新聞しんぶんしゃ多数たすう政治せいじ記者きしゃをかかえ、あらゆるルートで情報じょうほうあつめ、分析ぶんせき批判ひはんおこない、そのうえ記事きじく。
 ところがこと相手あいて科学かがくとなると、この分析ぶんせき能力のうりょく突然とつぜんゼロにひとしくなり、批判ひはんてきるための距離きょりかんまでもうしなってしまう。科学かがくしゃ発言はつげんのみにするばかりで、その発言はつげん背後はいごにまでまわんで論評ろんぴょうくわえることはまずない。
 これは、新聞しんぶんしゃけている人間にんげんりょうだけを比較ひかくすれば、過大かだい要求ようきゅうにみえるかもしれない。
 しかし問題もんだいいちデータのりょうにあるのではない。対象たいしょうをいったんつきはなし、批判ひはん分析ぶんせきくわえたうえで記事きじにするという立場たちば意識いしきてきつか、科学かがくジャーナリズム=科学かがく啓蒙けいもうという旧来きゅうらいからの路線ろせんはしつづけるかは、本当ほんとう決意けつい問題もんだいである。(りゃく
 だが、現実げんじつ問題もんだいとして、研究けんきゅう独占どくせんてき科学かがくしゃによってになわれている以上いじょう科学かがくしゃ敵対てきたいせきかかりにあっては取材しゅざいがしにくくなるし、だいいち科学かがくしゃ発言はつげん背後はいごまわむためには科学かがくしゃすくなくとも同等どうとう知識ちしき必要ひつようであり、実際じっさい不可能ふかのうである、というのがだい多数たすう見解けんかいであろう。
 しかしこたえはである。本質ほんしつてき科学かがくしゃ科学かがくまなければならないものという性格せいかく理解りかいし、かれらが実験じっけん材料ざいりょうとしているもの―たとえば大腸菌だいちょうきん―の本性ほんしょうをいくばくかったうえで、科学かがくしゃかって素朴そぼく質問しつもんはっつづけていけば、いままでえていなかったものがえてくるはずである。そしてたぶんそれが一般いっぱんひとたちも必要ひつようとしていた情報じょうほうちがいないのである。
 べつのいいかたをすれば、科学かがくのすばらしい成果せいか同等どうとうに、あることがなぜ達成たっせいしえないかをひとませるようにける人間にんげんそだてるべきである。(りゃく
 さらにねがいわくば、本物ほんもの科学かがくジャーナリズムならば、実験じっけん学問がくもんてき意義いぎ実験じっけん計画けいかく妥当だとうせいまでをも批評ひひょう対象たいしょうとするところまでんでもらいたいし、いっそう批判ひはんてきみがいて、分子生物学ぶんしせいぶつがく表面ひょうめんてきはなやかさのそこ進行しんこうしつつある精神せいしんてき沈滞ちんたいをも指摘してきするようなものであってほしい。
(pp26-27)
 もともと新聞しんぶんは、研究けんきゅう成果せいか正確せいかく要約ようやくつたえるための媒体ばいたいではない。新聞しんぶんは、内容ないよう正確せいかくさと同時どうじ速報そくほうせい時事じじせい話題わだいせい一言ひとことえばニュースせいという、かなりあいまいなものを取捨しゅしゃ規準きじゅんとしており、この要請ようせいときとして科学かがくてき厳密げんみつさと対立たいりつする。
 しかも、かりに新聞しんぶん科学かがく記者きしゃが、科学かがくしゃがみて正確せいかく記事きじいても、担当たんとうデスクや整理せいり記事きじ採否さいひ決定けっていし、紙面しめんわりつけをおこない、見出みだしをつける)などなに段階だんかい他人たにんくわわるため、全体ぜんたい印象いんしょうがどうしてもオーバーなものになっていく。ここには新聞しんぶんとしての社会しゃかいてき監視かんし機能きのうふくまれているから、人体じんたい実験じっけん高等こうとう動物どうぶつ遺伝いでんてき操作そうさなどにたいしては慎重しんちょうろんかたむくが、科学かがく一般いっぱんについては過大かだい評価ひょうかになりやすいことになる。
 科学かがくしゃはしばしば「マスコミにいくら説明せつめいしても正確せいかく記事きじかない」と不信ふしんをあらわにする。これはかれらが新聞しんぶん機構きこうをよくらないで、科学かがくてき事実じじつ正確せいかくつたえるための媒体ばいたい科学かがくてき事実じじつはおうおうにしてつまらない)だとおもんでいるのが一因いちいんであろう。それに、取材しゅざいにきた記者きしゃ顔色かおいろていても、それが好意こういてきかれるか批判ひはん対象たいしょうとされるかは記事きじになってみるまではわからないという、新聞しんぶんしゃ全体ぜんたいとしての爬虫類はちゅうるいてき反応はんのうにも責任せきにん一端いったんはあろう。


だいしょう バイオテクノロジーの行方ゆくえ
(pp72-73)
 物事ものごと両面りょうめんつたわっていないというてんでは、遺伝子いでんしぐみ技術ぎじゅつ応用おうようめんでの議論ぎろんほう問題もんだいをはらんでいるかもしれない。いうまでもなく遺伝子いでんしぐみえは分子生物学ぶんしせいぶつがく研究けんきゅう直接ちょくせつ成果せいかである。ということは、分子生物学ぶんしせいぶつがく基本きほんてき性格せいかくにこの技術ぎじゅつしばられるということである。つまり分子生物学ぶんしせいぶつがくは"大腸菌だいちょうきんとファージの生物せいぶつがく"と揶揄やゆされることがあるように、そのだい成功せいこうは、遺伝いでん現象げんしょう解明かいめいもっと有利ゆうりかんがえられた大腸菌だいちょうきんと、それに感染かんせんする特殊とくしゅなウイルス(Tけいファージ)に世界中せかいじゅう研究けんきゅうしゃ対象たいしょうしぼみ、これを猛烈もうれついきおいで攻略こうりゃくした成果せいかである。
 基礎きそ生物せいぶつがく研究けんきゅう戦略せんりゃくは、実験じっけん再現さいげんせい(それは遺伝いでんてきにきわめて均一きんいつであることが不可欠ふかけつになる)という方法ほうほうろんてき要請ようせいからも徹底てっていしたいちてん豪華ごうか主義しゅぎになりやすい。高等こうとう生物せいぶつ場合ばあいでも、それはキイロショウジョウバエであったり、アフリカツメガエルであったりする。
 たしかに酵母こうぼ枯草かれくさきんででも遺伝子いでんしぐみえは可能かのうだが、そこでもちいるプラスミドや試薬しやくは、大腸菌だいちょうきんけい転用てんようとして開発かいはつされたものがおおく、操作そうさ自由じゆうというてんでは大腸菌だいちょうきんけいにいまだおよぶべくもない。
 商業しょうぎょう場面ばめんでも当面とうめんは、分子生物学ぶんしせいぶつがく研究けんきゅう対象たいしょうとして偶然ぐうぜんえらんだ、応用おうようというめんではいくつかの欠点けってんをもった大腸菌だいちょうきんをだましだまし使つかうよりみちはない。だからこそ、バイオテクノロジーのつぎ戦略せんりゃくとしてかならず、用途ようとおうじたあたらしいくみ生物せいぶつけい開発かいはつ力説りきせつされるのである。
 基礎きそ研究けんきゅういちてん豪華ごうか主義しゅぎ応用おうよう研究けんきゅうはローラー作戦さくせんってよい。
 この技術ぎじゅつ潜在せんざいてき可能かのうせいはすばらしくたかく、さまざまな応用おうよう指摘してきされてはいるが、その一部いちぶのぞけば、じゅうねんまえおなじく、実用じつようひとひとつのタイム・スケジュールがあきらかにされているわけではない。
 応用おうようめんかんがえる場合ばあい有用ゆうよう物質ぶっしつ生産せいさん有用ゆうよう生物せいぶつ育種いくしゅ遺伝子いでんし治療ちりょうみっつに大別たいべつすると便利べんりである。
(pp78-79)
 現在げんざいわれわれがにしている技術ぎじゅつは、遺伝子いでんしぐみえという言葉ことばからけるイメージよりはるかに周辺しゅうへんてき技術ぎじゅつなのである。
 では遺伝子いでんしぐみえがもたらした効果こうかとはなにだろう。
 そのひとつは、この技術ぎじゅつがバイオテクノロジーの代表だいひょうとして脚光きゃっこうをあびた結果けっか世界せかいてきなレベルでこの分野ぶんやへの研究けんきゅう投資とうし刺激しげきし、その水準すいじゅんしあげたことである。長期ちょうきてきにみれば、しょう資源しげんしょうエネルギー、リサイクルがき、クリーンであるというてんで、バイオテクノロジーへの傾斜けいしゃ必然ひつぜんてきなものであり、遺伝子いでんしぐみえは、それへけての効果こうかてきがねになったとってよい。
 だいに、この技術ぎじゅつによって直接ちょくせつ恩恵おんけいをこうむったのは基礎きそ研究けんきゅうである。大腸菌だいちょうきん外来がいらいのDNAを増幅ぞうふくさせることができるようになったために、DNAレベルの研究けんきゅう、とくにはち年代ねんだいはいって高等こうとう動物どうぶつ遺伝子いでんし発現はつげん機構きこう解明かいめいおおいにすすんだ。さらに、大腸菌だいちょうきん増幅ぞうふくさせたDNAをからだ細胞さいぼう受精卵じゅせいらん注入ちゅうにゅうさせることによって、高等こうとう動物どうぶつ改造かいぞうしたり、遺伝いでんびょう治療ちりょう可能かのうせいかんがえうるようになったのである。
(pp79-81)
 遺伝子いでんしぐみ技術ぎじゅつ出現しゅつげんによって、基礎きそ研究けんきゅう産業さんぎょう直結ちょっけつして区別くべつがなくなったとよくいわれる。これも事実じじつなのだが、一方いっぽうでこれはベンチャー・ビジネスが仕掛しかけた営業えいぎょう戦略せんりゃくじょうのイメージづくりであり、世界中せかいじゅうがこれにのせられたというめんもないわけではない。ともかく、欧米おうべいだけでひゃくじゅうしゃといわれるベンチャー・ビジネスの性格せいかくてきかくにおさえておいたほうがよい。
 その先駆せんくはシータスしゃで、本業ほんぎょう効率こうりつのよい工業こうぎょうよう微生物びせいぶつ開発かいはつして大手おおて企業きぎょうることであり、細胞さいぼう融合ゆうごう突然変異とつぜんへんいかぶのスクリーニング(選別せんべつ)でたか技術ぎじゅつをもっている。ところが後発こうはつである有名ゆうめいなジェネンテクしゃ内容ないようをみると、売上うりあげのはちじゅうパーセントは医薬品いやくひんメーカーなどからの委託いたく研究けんきゅうであり、のこりが特許とっきょ貸与たいよりょうそのである。だから同社どうしゃ自社じしゃ技術ぎじゅつたかるためには、それが革新かくしんてきなものだというイメージをあたえたほうがよいわけである。これは企業きぎょうとして当然とうぜん発想はっそうであろう。
 そこでこの会社かいしゃがとった作戦さくせんは、一流いちりゅう『ネイチャー』に遺伝子いでんしぐみえの基本きほん論文ろんぶん投稿とうこうすると同時どうじに、マスコミをつうじてその企業きぎょう発表はっぴょうすることであった。ねらいは世界せかいてきなレベルでたった。
 だが、若手わかて社長しゃちょうスワンソンの本当ほんとううでせどころは、はちねんじゅうがつじゅうよんにち店頭てんとう市場いちばへの株式かぶしき公開こうかいだった。公開こうかい同時どうじひゃくじゅうまんかぶ公募こうぼ増資ぞうしおこなった。最初さいしょ引受ひきうけ業務ぎょうむおこなった証券しょうけん会社かいしゃいちかぶじゅうドルとめた(はちいちねんはる公開こうかいしたシータスしゃじゅうさんドルであった)が、こう人気にんきさっしたスワンソンは、急遽きゅうきょさんじゅうドルにげた。それがそののうちにはちじゅうきゅうドルのちょう高値たかねをつけたのである。この結果けっか同社どうしゃさんせんはちひゃくじゅうまんドルの大金たいきんがころがりむと同時どうじに、株主かぶぬし莫大ばくだい評価ひょうかえきをもたらしたのである。
 この背景はいけいには、ななきゅうねんよんがつ新規しんき公開こうかい手続てつづきが簡素かんそされ、上場じょうじょう規準きじゅんゆるめられた結果けっか、さまざまなハイテクノロジー企業きぎょう上場じょうじょうブームがあったことも見逃みのがせない。
 しかし、同社どうしゃ株式かぶしき公開こうかい株価かぶかてほしい。はちじゅうきゅうドルのバカ高値たかねをつけたのは最初さいしょいちにちだけで、その人気にんきおとろえる一方いっぽうとなった。
(pp97-98
 国防総省こくぼうそうしょうは、病気びょうき予防よぼう防衛ぼうえい目的もくてき遺伝子いでんしぐみ関連かんれん研究けんきゅう拡大かくだいする方針ほうしんで、これに関連かんれんするはち年度ねんど予算よさん請求せいきゅうがくは、よんじゅうパーセントぞうよんせんひゃくはちじゅうまんドルとなった。はちよんねんはちがつさんじゅういちにちごう『サイエンス』にはさんヵ所かしょぜんページ広告こうこくせ、国防総省こくぼうそうしょうすすめている感染かんせんしょう寄生虫きせいちゅうびょうてい分子ぶんしどく研究けんきゅう応募おうぼするよう大々的だいだいてきびかけている。
 核兵器かくへいき開発かいはつ競争きょうそうのときとおな論法ろんぽうで、遺伝子いでんしぐみ技術ぎじゅつ可能かのうせい過大かだい強調きょうちょうすることによって、ソ連それん脅威きょういをいいたてて国防総省こくぼうそうしょう予算よさんやすよりは、危険きけん生物せいぶつ兵器へいき、たとえば毒性どくせい飛躍ひやくてき強化きょうかされたインフルエンザ・ウイルスの開発かいはつ可能かのうせい指摘してきして、軍事ぐんじ研究けんきゅう歯止はどめをかけることのほうが、科学かがくしゃ行動こうどうとしては倫理りんりてきであることはあきらかである。
 ただし、遺伝子いでんしぐみえと生物せいぶつ兵器へいきという問題もんだい現実げんじつは、予算よさんをNIHからもらっても、また国防総省こくぼうそうしょうからもらってもおかしくないようなワクチン研究けんきゅう圧倒的あっとうてきおおくをめだしているということである。これはある電子でんし部品ぶひん国防総省こくぼうそうしょうげれば軍事ぐんじ物資ぶっしとなり、市販しはんのテレビにまれれば軍事ぐんじ物資ぶっしとなるというのとどうじ、技術ぎじゅつ一般いっぱん問題もんだいになってしまったことを意味いみする。
 その意味いみ基礎きそ研究けんきゅうは、すこ視角しかくえればすべて軍事ぐんじ研究けんきゅう連動れんどうしてしまうのであり、むしろ、このような問題もんだいがいまのところほとんどしょうじていない、日本にっぽん基礎きそ科学かがく研究けんきゅうかれている状態じょうたいほう特殊とくしゅだとかんがえるべきであろう。
 だが、ながれば生物せいぶつ兵器へいき研究けんきゅう変革へんかくがもたらされる可能かのうせいはたしかにあるし、条約じょうやくまれていない作物さくもつ病害虫びょうがいちゅう兵器へいきとして使用しようする場合ばあいかんがえておかなければならない。


だいさんしょう 遺伝子いでんし治療ちりょうひかりかげ
(pp100-102)
 規制きせい研究けんきゅう自由じゆう科学かがく研究けんきゅうたいする市民しみん参加さんか監視かんし問題もんだい産業さんぎょうされた場合ばあい社会しゃかいてき影響えいきょう生態せいたいがくてき影響えいきょう進化しんか直接ちょくせつ介入かいにゅうすることの是非ぜひ遺伝子いでんし治療ちりょうかかわる倫理りんりてき問題もんだい優生ゆうせいがくてき社会しゃかいへの危惧きぐ……。そしてこれらの議論ぎろんを、よりひろ視点してんからくく言葉ことばとしてバイオエシックスという表現ひょうげんがある時期じきからもちいられるようになった。
 バイオエシックスとは、ギリシャ生命せいめい(ピオス)と倫理りんり(エチケー)をあわせてつくった言葉ことばである。これをもっとはや使つかったのは、なないちねんのファン・レンセラー・ポッターの『バイオエシックス』というほんだが、そこでは、この有限ゆうげん地球ちきゅう人間にんげんがいかにびてゆくかをろんじる立場たちばとしてもちいられており、今日きょうとは力点りきてんかたがかなりことなっている。
 最近さいきんでは日本にっぽんにおいてもバイオエシックスという言葉ことばをしばしばみみにするようになり、実際じっさい、この領域りょういきでの議論ぎろん研究けんきゅう増加ぞうか一途いっとにあるのだが、そのぞうはなお判然はんぜんとしない。
 あるひとにとってそれは、遺伝子いでんしぐみ実験じっけん監視かんしすることであり、べつひとにとっては、最新さいしん医療いりょう技術ぎじゅつたいする態度たいど決定けっていのことであり、場合ばあいによっては高邁こうまい生命せいめいろん展開てんかいすることだったりする。
 バイオエシックスの適当てきとう訳語やくごはないのだが、生命せいめい倫理りんりなどという日本語にほんごえてみると、いかにも深遠しんえん生命せいめい哲学てつがくのような雰囲気ふんいきただよってくるし、実際じっさいに、このたねのどちらかというとお門違かどちがいの需要じゅよう予想よそうがいおおいのである。
 しかし、この分野ぶんや研究けんきゅうとおしてみてすぐがつくことは、その圧倒的あっとうてきおおくがアメリカでなされており、しかもわれわれにとってどこかしら違和感いわかんのこるものがおおいということである。(りゃく
 アメリカのジョじょジタウン大学じたうんだいがくのケネディ研究所けんきゅうじょが、ななはちねん出版しゅっぱんした記念きねんてき著作ちょさく『バイオエシックス百科辞典ひゃっかじてん』(ぜんよんかん)の前文ぜんぶんによると、バイオエシックスとは、生命せいめい科学かがく医療いりょうにおける人間にんげん行為こうい倫理りんり原則げんそく見地けんちから検討けんとうする体系たいけいてき研究けんきゅう、と定義ていぎしている。
 もうすこ言葉ことば使つかえば、これまでの倫理りんりがもっぱら医師いし患者かんじゃ問題もんだいあつかってきたのにたいして、バイオエシックスは、医師いし以外いがい医療いりょう関係かんけいしゃふくめた広義こうぎ医療いりょう体系たいけい問題もんだい治療ちりょうには直接ちょくせつ関係かんけいしない生物せいぶつ医学いがく行動こうどう科学かがく基礎きそ研究けんきゅう環境かんきょう問題もんだい人口じんこう問題もんだい人間にんげん以外いがい生物せいぶつのとりあつかい、などをもふくみ、これらを、倫理りんり宗教しゅうきょう文化ぶんか法律ほうりつ哲学てつがくなど複数ふくすう専門せんもん領域りょういきから考察こうさつする総合そうごう学問がくもん、ということになる。
 しかし、その考察こうさつ対象たいしょうは、おのずと最新さいしん科学かがくによってこされる倫理りんりてき問題もんだい集中しゅうちゅうしており、しゅとして、生物せいぶつ技術ぎじゅつ安全あんぜんせい規制きせい問題もんだい最先端さいせんたん医療いりょうにおける倫理りんり問題もんだい、そして医療いりょうにおける個人こじん主権しゅけん問題もんだい、のみっつが精力せいりょくてき研究けんきゅうされている。
(p110)
 さて、今日きょうにいたるバイオエシックスの議論ぎろん直接ちょくせつ前史ぜんしかんがえてよいもののひとつに、遺伝いでんびょうスクリーニング(集団しゅうだん検査けんさ)の論争ろんそうがある。
 遺伝いでんびょうのチェックは、おおくのひともっと警戒けいかいする優生ゆうせい政策せいさく密接みっせつ関係かんけいしてくるため、これまでもいくはげしい議論ぎろんかさねられてきた。どこでこのチェックをかけるかでみっつのタイプのスクリーニングにけられる。出生しゅっしょう直後ちょくごおこなう新生児しんせいじスクリーニング、普通ふつうひとおこなう遺伝いでんびょう遺伝子いでんしいんしゃのスクリーニング、胎児たいじ段階だんかいおこなう胎児たいじ診断しんだんとしてのスクリーニングのみっつである。
 このうちもっとはや実用じつようされたのは、フェニルケトン尿にょうしょう新生児しんせいじスクリーニングである。
(pp124-127)
 はち年代ねんだいはいると、遺伝子いでんし治療ちりょうけっしてゆめではないかのような雰囲気ふんいきていしてきた。われわれ日本人にっぽんじんには、この言葉ことばは、生命せいめい根源こんげん操作そうさする陰鬱いんうつなものにひびくが、欧米おうべいでこの言葉ことばかたられるときは、積極せっきょくてきな、病苦びょうく根本こんぽんからなおこのましいもの、というニュアンスがある。
 そして遺伝子いでんし治療ちりょうこころみはおもいもかけずはやくにおこなわれた。マーチン・クライン事件じけんである。
 はちねんじゅうがつはちにちづけの『ロサンゼルス・タイムス』は、カリフォルニア大学だいがくロサンゼルスこう(UCLA)のマーチン・クライン教授きょうじゅが、地中海ちちゅうかい貧血ひんけつしょうなかでもとくにおもいベータ・ゼロ・サラセミアの患者かんじゃにんたいして遺伝子いでんし治療ちりょうおこなったとほうじた。これ以前いぜんに、遺伝子いでんし治療ちりょうえるのは、なな年代ねんだい前半ぜんはんにアメリカのS・ロジャーズが、こうアルギニンしょう新生児しんせいじに、アルギニン分解ぶんかい酵素こうそ活性かっせいすることがられていたショープ・パピローマ・ウイルスを注射ちゅうしゃしたことがあるくらいのものであった。ただしこの結果けっかについての報告ほうこくはない。
 クラインの行為こういたいしては、あまりに軽率けいそつであったという非難ひなんがあいつぎ、またNIHもその調査ちょうさ不当ふとうなものであったと結論けつろんづけ、はちいちねんがつには、以後いご研究けんきゅう助成じょせいおこなわないことにめた。日本にっぽんのマスコミではこの事件じけん否定ひていてき文脈ぶんみゃくでしか報道ほうどうされなかったが、遺伝子いでんし治療ちりょうかかわる重要じゅうよう問題もんだいをいくつか内包ないほうしており、ここでくわしくかえっておくだけの価値かちがある。
  なぜ血液けつえき遺伝いでんびょうだったのか
 だいいちにおさえておくべきことは、かれがねらいをさだめたのが、ななろくねん国家こっか遺伝いでんびょうほう指定していされた地中海ちちゅうかいせい貧血ひんけつしょうなかでもおもいベータ・ゼロ・サラセミアであり、ヘモグロビン異常いじょうであったことである。
 遺伝子いでんし治療ちりょう研究けんきゅうにとって基本きほんてき障壁しょうへきは、基礎きそ研究けんきゅう必須ひっすの、独立どくりつ確立かくりつされた実験じっけんけい存在そんざいしないため、直接ちょくせつ臨床りんしょうこころみられなくてはならないことである。ようするにぶっつけ本番ほんばん以外いがいになく、だからこそ、どの程度ていどまで条件じょうけんととのえば、科学かがくてきにも安全あんぜん道徳的どうとくてきにも妥当だとう人体じんたい実験じっけんといえるかが、たいへん議論ぎろんおおいところなのである。
 かりに遺伝子いでんし治療ちりょうおこなうとしても、受精卵じゅせいらん初期しょきはい対象たいしょうとする(つまりいったんはい体外たいがいす)か、出生しゅっしょうでは、処置しょちした細胞さいぼう増殖ぞうしょくしてくれるものでないと治療ちりょう効果こうかはなきにひとしい。そのため、これまでに判明はんめいしている遺伝いでんびょうおおくをめる代謝たいしゃ異常いじょうよりは、つね細胞さいぼう分裂ぶんれつによってさい生産せいさんおこなわれている血液けつえき遺伝いでんびょうけられることになる。
 人間にんげん血液けつえき細胞さいぼうは、ほぼいち週間しゅうかん全部ぜんぶわっている。しかも、ヘモグロビンを構成こうせいするグロビン遺伝子いでんし発現はつげん機構きこうは、高等こうとう動物どうぶつ遺伝子いでんし発現はつげんなかもっともよく研究けんきゅうされ、詳細しょうさいがわかっている対象たいしょうなのである。(りゃく
 研究けんきゅう広範こうはんおこなわれるためには対象たいしょうとする材料ざいりょう容易ようい入手にゅうしゅできなければならず、均一きんいつ大量たいりょう素材そざいれることができる血液けつえき構成こうせい分子ぶんし好都合こうつごうなのである。つまり、材料ざいりょう入手にゅうしゅしやすさというめんでも、基礎きそ研究けんきゅういちてん豪華ごうか主義しゅぎになりやすいのである。
(p128)
 クラインは、もっと解明かいめいすすんでいるという意味いみでは、科学かがくてき妥当だとうてきしぼかたをしたのであり、ヘモグロビン異常いじょう遺伝子いでんし治療ちりょう対象たいしょうもっとちかいという状況じょうきょうは、いまなおわっていないのである。
(p132)
患者かんじゃにんとも知的ちてき人間にんげんで、治療ちりょう効果こうか非常ひじょうちいさいことも十分じゅうぶんつたえてある」とクラインがいくら弁明べんめいしても(つまりれるアメリカりゅうのインフォームド・コンセントをちゃんととりつけたとっても)、実験じっけんのずさんさを正当せいとうすることにはいささかもならない。
 にもかかわらず、かれにはなお最後さいごのよりどころがあった。それは、死期しきせまった不治ふじやまい人間にんげんたいしては、「たとえまんひとつの可能かのうせいでもあらゆる救済きゅうさい手段しゅだんこころみられるべきであり、そのために場合ばあいによってはルール違反いはんもやむをえないという信念しんねんである。
 かれ行為こういしんからの善意ぜんいとみるか、世界せかい最初さいしょ遺伝子いでんし治療ちりょうをねらった名誉めいよほしとみるかはおおきなひらきがあるが、すくなくともこのような確信かくしんはんであるかぎり、そのルール違反いはんをいくらめても本人ほんにんにはほとんど効果こうかはないし、今後こんご類似るいじ事件じけんはいくらでもてくるであろう。
(pp135-137)
 このいちねん以上いじょうあと、これとほとんどおな実験じっけん操作そうさをベータ・グロビンでではなく、成長せいちょうホルモン遺伝子いでんしもちいておこなわれたのが、いわゆる"スーパーマウス"の実験じっけんである。
 日本にっぽんかく新聞しんぶんだいいちめん大幅おおはばき、大々的だいだいてきにこれを報道ほうどうした。この責任せきにん一端いったんは、論文ろんぶん掲載けいさいしたとう学術がくじゅつ『ネイチャー』にもある。"巨大きょだい(ギガンティック)マウス)というキャッチフレーズまでつけて、センセーショナリズムをあおったからである。
 しかし、はちねん十二月じゅうにがつじゅうろくにちごうった論文ろんぶん報告ほうこくしていることは、注入ちゅうにゅうした別種べっしゅのネズミの成長せいちょうホルモン遺伝子いでんしはじ部分ぶぶん(プロモーター)が効率こうりつのよいものに細工ざいくしてあったことと、それが成長せいちょうホルモンであったために、まれてきたじゅういちひきちゅうななひき姿すがたがたおおきくなったこと以外いがい、すでにおこなわれたマイクロ・インジェクション実験じっけんくらべてとくにあたらしいところはない。
 はからずもここでも、マスコミの報道ほうどう基準きじゅんが、学術がくじゅつてき重要じゅうようさではなく、話題わだいせい、ニュースせいにあることがさい確認かくにんされてしまった。むしろ問題もんだいにすべきは、俗受ぞくうけする実験じっけん結果けっかよりは、この論文ろんぶん論理ろんり展開てんかい粗雑そざつさのほうかもしれない。読後感どくごかんとしては、この実験じっけんのさまざまな小細工こざいくは、ワグナーとホッペの実験じっけん遺伝子いでんしえてやってみたという、「やってみました論文ろんぶん」であることをカモフラージュしようとしているにおいがプンプンするのである。
 この実験じっけんでなぜ成長せいちょうホルモンがえらばれたかという理由りゆうは、グロビンのようにまれてきた血液けつえきをとってそれが発現はつげんされているかかを分析ぶんせきしてみるまでもなく、もし成長せいちょうホルモンが発現はつげんすれば一見いっけんしておおぶりのマウスがまれるだろうという、指標しひょう(マーカー)としての明瞭めいりょうさのためであろう。そのためにも成長せいちょうホルモンがこう効率こうりつ発現はつげんされるように細工ざいくがしてあるのであり、その結果けっか体重たいじゅうばいになったマウスの血液けつえきちゅう成長せいちょうホルモンの濃度のうどはちひゃくばいにまでハネ上はねあがってしまっていた。
 がんらいホルモンは微量びりょうくものであり、このような操作そうさによってなんばいおおきさのマウスができるのかといういは、すでに愚問ぐもんになってしまっている。成長せいちょうホルモンというアクセルをいっぱいにんでも操作そうさできるのはせいぜい体重たいじゅうばいになる程度ていど、つまりクマのようなマウスはできなかったのであり、この実験じっけん結果けっかからはむしろ、生物せいぶつ形態けいたい形成けいせいにおける構造こうぞうてき安定あんていせいみとるべきであろう。
(pp139-140)
 さて、このような研究けんきゅうすすなかで、はちねんに、分子生物学ぶんしせいぶつがく研究けんきゅうのメッカであるニューヨークしゅうのコールド・スプリング・ハーバーに、だいいちきゅう研究けんきゅうしゃあつまり、遺伝子いでんし治療ちりょう可能かのうせいについて徹底的てっていてき討議とうぎがなされた。
 参加さんかしゃ名簿めいぼには、この問題もんだいについてかんがえられるおよそすべての重要じゅうよう人物じんぶつ名前なまえをつらねている。なな年代ねんだい遺伝子いでんしぐみ論争ろんそう中心ちゅうしんてき人物じんぶつとなってバルチモア、ベックウイズ、バーグ、遺伝いでんびょう専門せんもんマックシック、ナイハン、それにかく移植いしょくのイルメンゼー、遺伝子いでんし治療ちりょう強行きょうこうしたクラインもふくまれている。クラインは会議かいぎなかでも重要じゅうよう発言はつげんをしており、学界がっかいから完全かんぜん抹殺まっさつされたかのような日本にっぽん新聞しんぶん報道ほうどうが、あやまりであることがわかる。
 ところで、この会議かいぎ一般いっぱん人間にんげんけての報告ほうこくである「遺伝子いでんし治療ちりょう(ジーン・セラピー)実像じつぞう虚像きょぞう(ファクト・アンド・フィクション)』(はちさん年刊ねんかん)をむと、その未来みらいはなお混沌こんとんとしているようにみえる。
 現在げんざい、アメリカでは、複数ふくすう大学だいがく研究けんきゅう機関きかんのIBCとIRBに遺伝子いでんし治療ちりょう実験じっけん申請しんせいされており、ごくちか将来しょうらい少数しょうすう例外れいがいてき症例しょうれいについては実験じっけん可能かのうせいがきわめてたかい。にもかかわらず、これとは矛盾むじゅんするようだが、この会議かいぎおおくの参加さんかしゃは、これが比較的ひかくてきはや機会きかい実用じつようされる可能かのうせいちいさいとみている。だいたいの意見いけんをまとめるとこうなる。
 遺伝子いでんし治療ちりょう倫理りんりにもとるものではなく、研究けんきゅうをやめるべきではない。遺伝いでんびょう目録もくろくとしごとに増加ぞうかしており、現在げんざいではガンや心臓しんぞうびょう糖尿とうにょうびょうなども遺伝いでんつよ関連かんれんすることがわかっている。しかし、遺伝いでんびょう種類しゅるいはあまりにおおく、もし特定とくてい遺伝いでんびょう遺伝子いでんしレベルで治療ちりょうしようとすれば、特定とくてい少数しょうすう患者かんじゃのために莫大ばくだい研究けんきゅう資源しげん投入とうにゅうしなければならなくなる。
 それよりはスクリーニングの種類しゅるいやし感度かんどげて、発生はっせい予防よぼうちかられるべきであり、医療いりょう資源しげんをこちらに配分はいぶんするほうがずっと現実げんじつてきである。さらに治療ちりょうとしてはべつ方法ほうほう、たとえば遺伝いでんてき血液けつえきびょう免疫めんえきびょう患者かんじゃのために、現在げんざいでは死亡しぼうりつたか骨髄こつづい移植いしょく成功せいこうりつげることなどに努力どりょくすべきである。
 それに遺伝子いでんし治療ちりょう一部いちぶ人間にんげんには、人間にんげん遺伝いでんてき操作そうさ連想れんそうさせるし、将来しょうらい、これが実用じつようされたとしても、それまでにいておかなければならない社会しゃかいてき問題もんだい数多かずおおくある……。
(pp152-154)
 日本にっぽんではまだあまりられていない問題もんだいふくんでいるのは、グルコース・6・フォスフェイト・デヒドロギナーゼ(G6PD)である。
 かつて朝鮮ちょうせん戦争せんそう時代じだいにアメリカぐんこうマラリアざいとしてプリマキンを兵士へいしあたえていたが、ある兵士へいしがこれをむと赤血球せっけっきゅう破壊はかいされてしまった。のちにこれはG6PDという酵素こうそ欠損けっそんであることがわかった。はなしがこれでわればなんでもないことのようにみえるが、この結果けっか表面ひょうめんてき健康けんこうでありながら、遺伝いでんてきにあるしゅ薬剤やくざいによって障害しょうがいをうける人間にんげんがいることが判明はんめいしたのである。
 すると、たとえば企業きぎょう遺伝いでんてきなスクリーニングをおこない、そのような形質けいしつつかった人間にんげんは、あらかじめ特定とくてい薬剤やくざいれないような職種しょくしゅにつけたり、場合ばあいによってはやとわないということがこるかもれない。実際じっさい、G6PD欠損けっそんしゃかまがた血球けっきゅうびょう因子いんしいんしゃ、アルファ・1・アンチトリプシン欠陥けっかんなどの人間にんげんは、ある特殊とくしゅ物質ぶっしつ(たとえばCS2)に過剰かじょう反応はんのうするのである。そこで連邦れんぽう議会ぎかい技術ぎじゅつ評価ひょうかきょく(OTA)は、この可能かのうせいとそれにともな倫理りんりてき問題もんだい調査ちょうさし、はちさんねんよんがつにその報告ほうこくしょ提出ていしゅつした。
 それによると企業きぎょう予想よそうがい積極せっきょくてきであった。全米ぜんべいひゃくしゃ巨大きょだいメーカーにアンケート用紙ようしおくったところさんひゃくろくじゅうろくしゃから回答かいとうがあり、現在げんざい遺伝いでんてきスクリーニングをおこなっているのがしゃ過去かこじゅう年間ねんかんおこなったことがあるのがじゅうしゃ、ここねん以内いない計画けいかくしているのがじゅうよんしゃもあった。
 報告ほうこくしょはとくに重大じゅうだい倫理りんりてき問題もんだいはないとしている。しかし、G6PD欠損けっそん黒人こくじん地中海ちちゅうかいけい出身しゅっしんおおく、もしこれがスクリーニングの項目こうもくはいっていれば、間接かんせつてき人種じんしゅ差別さべつしょうじないともいえない。
 しかしもっと重大じゅうだいなのは、たとえば将来しょうらいはつガン遺伝子いでんし特定とくてい環境かんきょう要因よういんとの関連かんれん明確めいかくになった場合ばあいである。現在げんざいはつガン遺伝子いでんし研究けんきゅうだい規模きぼすすめられており、この可能かのうせいけっしてちいさくはない。化学かがく工業こうぎょう中心ちゅうしんとするぜん製造せいぞうぎょう鉱業こうぎょう原子力げんしりょく関係かんけい、Xせん検査けんさ技師ぎしなど、遺伝子いでんしスクリーニングが提案ていあんされてもおかしくない職種しょくしゅはおびただしいかずにのぼってしまうのである。


だいよんしょう 拡大かくだいする体外たいがい受精じゅせい操作そうさ
(p162)
 これと酷似こくじしているのが、徳島とくしま大学だいがく医学部いがくぶが、はちいちねんからはちさんねんにかけて、病院びょういんからガンなどの理由りゆう摘出てきしゅつされた卵巣らんそうやくろくじゅうゆずりうけ、すうじゅうたまごをとりし、患者かんじゃ無断むだん受精じゅせい実験じっけん使つかっていたことが、はちよんねんさんがつ問題もんだいにされたれいである。
 このとき日本にっぽん新聞しんぶん非難ひなん一色いっしょくのコメントをつけた。しかし本当ほんとうのところは、日本にっぽんでも体外たいがい受精じゅせい論争ろんそう活発かっぱつするなかで、たまごあつかいや人間にんげん生命せいめいがいつはじまるかという議論ぎろん開始かいしされ問題もんだい意識いしき覚醒かくせいされてきたため、これがきわめてはん道徳どうとくてきであるとえてきたのであろう。ただ時間じかんてきにみると、つい最近さいきんまで日本にっぽん医学いがくかいは、じゅうねんまえのエドワーズの意識いしきでしかなかったことはつよしんにとめておく必要ひつようがある。
(pp169-172)
 はちよんねんちゅうに、世界せかい体外たいがい受精じゅせいかるいちせんめい突破とっぱするものとみられている。これだけおおなると、体外たいがい受精じゅせいはそもそも治療ちりょうといえるのか、避妊ひにん手段しゅだんとして卵管らんかんったりむすんだひと再度さいど子供こどもをほしくなった場合ばあいみとめるのか、という出発しゅっぱつてん議論ぎろんはなくなってしまい、欧米おうべいでは社会しゃかいてき認知にんちされてしまったといわざるをない。
 しかし問題もんだいがなくなったわけではない。ひとつは費用ひようである。(りゃく
 しかしもっと問題もんだいなのは、あまったはいのとりあつかいと、凍結とうけつ場合ばあいふくめたはい譲渡じょうとかしはらである。おおくの場合ばあい余剰よじょうはいのうち異常いじょうなものは観察かんさつ対象たいしょうとし、あとは破棄はきしてきた。
 そのしゅたる根拠こんきょは、人間にんげん場合ばあい自然しぜん状態じょうたいでも安定あんてい妊娠にんしんにいたるまでには非常ひじょうおおくのたまごはいうしなわれるからである。(りゃく
 もうひとつは凍結とうけつ保存ほぞんふくめ、精子せいしたまごはい譲渡じょうとかしはら問題もんだいである。凍結とうけつたまご凍結とうけつはい)はもともと、あまったはいを、だいいちかいゆかしなかったり、本人ほんにんがもう一人ひとり子供こどものぞんだときにそなえておくという、エドワーズのアイディアによるものである。これは現在げんざい、イギリス・オーストラリア・アメリカで実施じっしされている。家畜かちく研究けんきゅうでの経験けいけん豊富ほうふなオーストラリアでいちはやおこなわれ、はちよんねんよんがつには凍結とうけつたまご体外たいがい受精じゅせいまれている。母親ははおや自然しぜん生理せいり周期しゅうきあわせて解凍かいとうでき、しかも凍結とうけつはいさんじゅうじゅうパーセントはそのまま死滅しめつしてしまい、結局けっきょくはいだけがもどるので普通ふつうはいより妊娠にんしんりつたかいともいわれる。
(pp179-180)
 日本にっぽん最初さいしょ体外たいがい受精じゅせいまれたのははちさんねんじゅうがつじゅうよんにちである。イギリスのルイーズ・ブラウンの誕生たんじょうねん以上いじょうがあり、出生しゅっしょう名前なまえすらあきらかにされていない。この差異さい、とくにこの年間ねんかんおくれは、日本にっぽん医学いがく全体ぜんたい水準すいじゅん意味いみするのではない以上いじょう社会しゃかいがくてき比較ひかく研究けんきゅう対象たいしょう十分じゅうぶんあたいする。
 医学いがく関係かんけいしゃはしばしば、このおくれは、ろくはちねん和田わだ心臓しんぞう移植いしょく事件じけん以来いらい世間せけん批判ひはんおそ医学いがくかい慎重しんちょうになりすぎたためだ、と説明せつめいする。たしかに、日本にっぽん医学いがくかいにとってこの事件じけんは、遺伝子いでんし治療ちりょうにおけるクラインの事件じけん効果こうかがあった。
 しかしこの説明せつめい半分はんぶんくらいしかただしくない。じゅうねんまえ心臓しんぞう移植いしょく事件じけんを、体外たいがい受精じゅせいおくれの理由りゆうとするのはやはり無理むりである。この説明せつめいただしいのはむしろ「世間せけん批判ひはんおそれて」という部分ぶぶんであろう。
 実際じっさい日本にっぽん医学いがくほど世間せけん評判ひょうばん、とくに新聞しんぶんにどうかれるのかをにし、世間体せけんてい世俗せぞくてき名誉めいよおもんずる分野ぶんやすくないのである。
 日本にっぽん社会しゃかいにとって、ルイーズ誕生たんじょう以後いごはちねんなかばまでの体外たいがい受精じゅせい問題もんだいとは、まれにニュースのあいだ外電がいでんとしてはさみこまれてくる「○○にん誕生たんじょう」という程度ていどのものであった。日本にっぽんにも卵管らんかん閉塞へいそく患者かんじゃ多数たすういたはずであるが、海外かいがいでの本格ほんかくてき実用じつよう理由りゆうにこれを日本にっぽんでもおこなうよう医学いがくかいはたらきかけたという形跡けいせきは、もちろんない。アメリカのようにはっきりとしたモラトリアムがあったわけではなく、とりあえずここでは、日本にっぽんには出生しゅっしょう過程かてい直接ちょくせつ介入かいにゅうする技術ぎじゅつ体外たいがい受精じゅせい胎児たいじ診断しんだん胎児たいじ治療ちりょうなど)にはつよ心理しんりてき抵抗ていこうがあり、体外たいがい受精じゅせいかんしても医学いがくかい自身じしんしんいをつけるのに年間ねんかん必要ひつようとした、と擬人ぎじんてき表現ひょうげんしておこう。
(pp181-185)
 そしてはちさんねんさんがつじゅうよんにち東北大学とうほくだいがく医学部いがくぶ最初さいしょ妊娠にんしん確認かくにんじゅうがつじゅうよんにち出産しゅっさんとなった。
 学界がっかいがわによるマスコミへの対応たいおうは、当初とうしょ非常ひじょうにうまくいったようにえる。東北大学とうほくだいがくが「体外たいがい受精じゅせいはい移植いしょくかんする憲章けんしょう」を提示ていじし、また徳島とくしま大学だいがく医学部いがくぶ以外いがい人間にんげん実体じったい学部がくぶ大学だいがく関係かんけいしゃ)をふく委員いいんかいもう討論とうろんすえ条件じょうけんづきで体外たいがい受精じゅせいはじめるなど、かく大学だいがくはちねんなつ日本にっぽん産婦人科さんふじんか学会がっかい規準きじゅんをより限定げんていてき解釈かいしゃくする姿勢しせい明確めいかくにし、新聞しんぶんもこれにたいして好意こういてきであった。この時点じてんでは、マスコミは、できればこの技術ぎじゅつ忌避きひしたいという一般いっぱん心情しんじょう試験管しけんかんベビーに反対はんたいじゅうはちよんパーセント、はちねんじゅういちがつじゅうさんにちづけ読売新聞よみうりしんぶん)をおさんでいるかたちになった。
 しかし学界がっかい内部ないぶは、大学だいがくあいだのすさまじい先陣せんじんあらそいがくりひろげられたのである。東北大学とうほくだいがく医学部いがくぶでの妊娠にんしん発表はっぴょう直後ちょくご毎日新聞まいにちしんぶんのコラムが「学会がっかいによる計画けいかく出産しゅっさんのにおいがする」とみごと見抜みぬいていたとおり、まずは医学いがくしゃがわ世論せろん対策たいさく勝利しょうりであるようにえた。
 しかし、世界せかいなん番目ばんめなのか見当けんとうもつかないほどまれているにもかかわらず、日本にっぽん最初さいしょ体外たいがい受精じゅせい誕生たんじょうをめぐるマスコミの過剰かじょう報道ほうどうぶりと、その実名じつめい報道ほうどうをきっかけとした、大学だいがくがわ情報じょうほう提供ていきょう拒否きょひへの方針ほうしん転換てんかんは、さまざまな憶測おくそくみ、日本にっぽん特有とくゆう問題もんだい露呈ろていすることになった。
 ところで先行せんこうしていた東北大学とうほくだいがく関係かんけいしゃ一時いちじ徳島とくしま大学だいがく倫理りんり委員いいんかい方式ほうしき時間じかん無駄むだかんがえ、マスコミへの人気にんきとりとみなしたふしがある。旧来きゅうらい医学部いがくぶ特有とくゆう閉鎖へいさてき雰囲気ふんいきなかあっては、この感覚かんかくほう普通ふつうであったかもしれない。しかしなかは、徳島とくしま大学だいがく関係かんけいしゃが「ひとびとが十分じゅうぶん納得なっとくできる方法ほうほう意志いし決定けっていするという手順てじゅん大切たいせつなのであり、すでにそういう時代じだいになっているとおもう」(『科学かがくはちさんねんがつごう)と察知さっちした方向ほうこううごしていた。
 だが一方いっぽうでこの倫理りんり委員いいんかい方式ほうしき過大かだい評価ひょうかされすぎたきらいがある。たしかにこれは、医学いがくかい密室みっしつせい風穴かざあなをあけるいちにはちがいない。しかし、このような機関きかんもうけて討論とうろんすることの裏側うらがわ目的もくてきが、医療いりょう訴訟そしょう対策たいさくのための保全ほぜんはかるところにもあるアメリカの方式ほうしき日本にっぽん導入どうにゅうして、それが意図いとした方向ほうこうはたらくかはまたべつ問題もんだいである。
  実名じつめい報道ほうどう波紋はもん
 実名じつめい報道ほうどうした毎日新聞まいにちしんぶんは、これをあきらかにするにあたって「おことわり」をかかげ、患者かんじゃのプライバシーは尊重そんちょうされなければならないが、画期的かっきてき医学いがくてき達成たっせいなどには実名じつめい報道ほうどうしてきていること、またにんひとたちにとってあかるいニュースであり、この治療ちりょうほう国民こくみんひろれられるためにも特別とくべつあつかいしないほうがよいとかんがえたからだ、としている。しかしこれが独善どくぜんてき判断はんだんによるミスであったことはあきらかである。
 この報道ほうどうによって当事とうじしゃ好奇こうきにさいなまれることになった。おな紙面しめん掲載けいさいされた手記しゅきで、両親りょうしんが、さんがつ妊娠にんしん確認かくにん報道ほうどうがあまりにもおおきくしかも倫理りんりてき問題もんだい指摘してきする論議ろんぎおおすぎたこと、まれてくる子供こどもがマスコミにさわがれるような人生じんせいおくらせたくないこと、をうったえている。日本にっぽんが、ななはちねんのルイーズ・ブラウン誕生たんじょうのときのように、実名じつめい報道ほうどうはもちろん、巨額きょがくかね引換ひきかえに両親りょうしん独占どくせんてき報道ほうどうけんをテレビや新聞しんぶんわたすようなタフな社会しゃかいではないことは十分じゅうぶんわかっていたはずである。
 これ以降いこう体外たいがい受精じゅせいという言葉ことばのまわりにべつかげただよいはじめ、同時どうじに、話題わだいにするのをつつしむことになり、議論ぎろんよりは黙認もくにん方向ほうこうすすんできたようにえる。
 東北大学とうほくだいがく責任せきにんしゃは、一見いっけん被害ひがいしゃのようにえるが、むしろマスコミを利用りようしすぎた当然とうぜん帰着きちゃくともいえよう。今回こんかい発表はっぴょうのしほうには、先陣せんじんあらそいで勝利しょうり世俗せぞくのスポットライトをびることに無上むじょうよろこびをかんじる、ひどくふるくさい研究けんきゅうしゃ自己じこ顕示けんじよくが、あからさまなかたちで、うつされてしまった。
 体外たいがい受精じゅせいなどにかんして広範こうはん議論ぎろん必要ひつようだとよく指摘してきされるが、日本にっぽん場合ばあい、たとえば当事とうじしゃであるにん患者かんじゃ市民しみん集会しゅうかい出席しゅっせきして治療ちりょう技術ぎじゅつとしての必要ひつようせいうったえるというような事態じたいいまのところかんがえにくい。だから医者いしゃ患者かんじゃ代弁だいべんをせざるをえず、どうしても医学いがくしゃ=推進すいしんろん一般いっぱん市民しみん=慎重しんちょうろんという図式ずしきになりがちである。
 しかし、日本にっぽんのように医師いしほう患者かんじゃたいして圧倒的あっとうてき優位ゆういにある場合ばあいにはこれをとおして、医学いがくしゃ自分じぶんたちがこころみてみたい医療いりょう措置そちほう患者かんじゃ欲望よくぼう肥大ひだいさせ誘導ゆうどうしてしまう危険きけんせいひそんでいる。
 日本にっぽん最初さいしょ体外たいがい受精じゅせい出産しゅっさんした当日とうじつ、テレビにかってみあげられた声明せいめいぶんなかに、つぎのような一文いちぶんがわざわざいれてあるような感覚かんかくに、わたしはこの場合ばあい患者かんじゃ=医者いしゃ関係かんけい非常ひじょうにひっかかるものをかんじた。
患者かんじゃはわれわれのにぎってなみだながしてれいった。」
 日本にっぽん体外たいがい受精じゅせいは、はちよんねんまつで、すでにさんじゅうにんちかくにたっしている。これが日本にっぽん本格ほんかくてき受容じゅようされるかかは、これを不自然ふしぜん出産しゅっさん方法ほうほうとする感情かんじょうと、のつながった実子じっしることのできる手段しゅだんかんがえる立場たちばとの綱引つなひきになるだろう。しばらくは現状げんじょうのような、少数しょうすうのなしくずてき受容じゅようつづくであろうが、いずれあらためて、原則げんそく明確めいかくにすることをもとめられる時期じきがくるはずである。


だいしょう 臓器ぞうき移植いしょく脳死のうし
(pp198-200)
 日本にっぽんでは社会しゃかい通念つうねんとしても法律ほうりつ解釈かいしゃくじょうも、いまのところ心臓しんぞう前提ぜんていとしているが、世界せかいてきには脳死のうし規準きじゅんとしてみとめる方向ほうこうにある。すうねんまえから日本にっぽん病院びょういん一部いちぶでも脳死のうし段階だんかいはいったことを家族かぞく通告つうこくするれいがでてきている。現在げんざい厚生省こうせいしょうの「脳死のうしかんする研究けんきゅうはん」が医療いりょう現場げんば実際じっさい脳死のうしというものがどうあつかわれているかの実態じったい調査ちょうさおこなっており、このうえって脳死のうし判定はんてい基準きじゅんさい検討けんとうおこなう予定よていである。
 臓器ぞうき移植いしょく脳死のうし日本にっぽんれられにくいのも、やはり社会しゃかいてき文化ぶんかてき要因よういんつよいているものとかんがえて間違まちがいない。日本にっぽん欧米おうべいとのこの落差らくさ科学かがくしゃ、とりわけアメリカがえりの医学いがくものは、とかくこれを日本にっぽんおくれと医学いがくかいによる社会しゃかいへのはたらきかけの怠慢たいまん日本にっぽん特有とくゆう科学かがくてき感情かんじょうてき反撥はんぱつという表現ひょうげんにその原因げんいんもとめがちであった。
 しかしこのかんがかたそこには、科学かがく技術ぎじゅつ日本にっぽんとアメリカのあいだ並行へいこうしてすすむはずだし、すすむべきであるという前提ぜんていがある。だが、そもそもこの前提ぜんていただしくない。アメリカには膨大ぼうだい研究けんきゅう蓄積ちくせきがありながら、日本にっぽんにはそれに対応たいおうする研究けんきゅうがほぼゼロという分野ぶんや自然しぜん科学かがくなかにも存在そんざいする。
 人間にんげんせい反応はんのうせい行動こうどう客観きゃっかんてき研究けんきゅう、いわゆるセクソロジーである。つまり価値かち中立ちゅうりつてきしんじられている自然しぜん科学かがくも、じつ文化ぶんかてき価値かち体系たいけい、とくにその核心かくしんをなす、生命せいめいかん死生しせいかん身体しんたいかん・セックスかんなどから独立どくりつしたものでありえず、先端せんたん科学かがく人間にんげん誕生たんじょう本格ほんかくてきあつかせばすほど、文化ぶんか古層こそう共有きょうゆうされていた感情かんじょうとの衝突しょうとつという問題もんだいはますます尖鋭せんえいしていくだろうということなのである。
 つまり臓器ぞうき移植いしょく脳死のうし場合ばあいは、その論理ろんり背後はいごにある近代きんだい科学かがく立脚りっきゃくしてきた枠組わくぐみまでが問題もんだいになってくる。たとえばアメリカの統一とういつ死体したい提供ていきょうほう(The Uniform Anatomical Gift Act)は文字もじどおり臓器ぞうき贈与ぞうよ(ギフト)するための法律ほうりつであり、場合ばあいによっては臓器ぞうき移植いしょくのことを部品ぶひん補充ほじゅう外科げかとすらぶ。これは西欧せいおうてき肉体にくたい機械きかいろん反映はんえいであり、臓器ぞうき交換こうかん可能かのう部品ぶひんとなる。これにたいして日本人にっぽんじんしんそこには身体しんたいのあらゆる部分ぶぶん個人こじん人格じんかく宿やどっているとかんじる傾向けいこうがある。
 子供こども腎臓じんぞう脳死のうし段階だんかい提供ていきょうした日本にっぽん母親ははおやくちからた、「あのんだとおもいたくなかった、だれかのからだなか元気げんきらしているとおもいたかった」という発言はつげんは、欧米おうべい文脈ぶんみゃくでは詩的してき擬人ぎじん主義しゅぎてきなものとうつり、例外れいがい表現ひょうげん範疇はんちゅうはいる。しかし日本にっぽんでは、実際じっさい移植いしょく外科げかが、みずからを納得なっとくさせる論理ろんりとしてこれを表明ひょうめいしており、日本にっぽん臓器ぞうき移植いしょくすすめるおりかぎ案外あんがいこんなところにあるかもしれない。
(pp202-203)
 しかし、かりに脳死のうし以降いこう医療いりょう措置そちが、アメリカりゅう規範きはんをもった医師いしからみれば、療ではなく遺体いたい清浄せいじょう作業さぎょうにみえようとも、遺体いたい特定とくてい状態じょうたいたもつために営々えいえい蓄財ちくざいにはげむ文化ぶんかはいくらでもありうる。医療いりょうというからみれば無益むえきでも、文化ぶんかてき無意味むいみであることにはならない。
 われわれは、えきった遺体いたいにメスをれることすらむごいとかんじるじょうおさえて、きているようにえるにつつある肉親にくしんからだから、臓器ぞうきをとりくるしみと、透析とうせき装置そうち一生いっしょうしばりつけになるひと不自由ふじゆうやこれをささえる周囲しゅういひとたちの苦労くろう、このふたつのくるしみの計量けいりょうをしなくてはならない時期じきにきているといえよう。
(pp204-205)
 いまアメリカは、あまりにラディカルとおもえるほど、インフォームド・コンセントということを徹底てっていさせようとしている。患者かんじゃがわ完全かんぜん医療いりょう情報じょうほうあたえ、患者かんじゃ自由じゆう自主じしゅてき同意どういうえ医療いりょう措置そちおこなうというものである。医者いしゃ患者かんじゃ関係かんけい完全かんぜん平等びょうどう前提ぜんていとするものであり、われわれもめざすべき理想りそうともいえる。
 ただし、このインフォームド・コンセントをふくめ、「アメリカの医療いりょうにおける内部ないぶ告発こくはつすらさない医師いしどうしの相互そうごチェック、病院びょういん大学だいがくにおけるさまざまな監視かんし委員いいんかい制度せいどは、いちめんで、頻繁ひんぱん医療いりょう訴訟そしょうたいする防衛ぼうえいのためという性格せいかくつものでもある。それゆえ、アメリカの制度せいど到達とうたつすべき理想りそうとして日本にっぽんにそのままむのも、じつはあまり現実げんじつてきではない。
 たとえばインフォームド・コンセントですら、われわれ日本人にっぽんじんにはおもすぎるかもしれない。病床びょうしょうでさまざまな選択肢せんたくしあたえられ、本人ほんにん近親きんしんしゃ討論とうろんわすだけの精神せいしんりょくを、われわれすべてがちえているようにはとてもみえない。「現代げんだい医学いがくでできることはこれまでです」と医師いしめてもらってしまったほうが、ずっと納得なっとくがいく、ということはおおいにありうるのである。
(pp207-211)
 これにたいして日本にっぽんでは、胎児たいじ診断しんだんによる選択せんたくてき中絶ちゅうぜつ現在げんざいきている障害しょうがいしゃ差別さべつにつながるとする反対はんたいこえ圧倒的あっとうてきおおきい。このようなスクリーニングは、障害しょうがいしゃまれてきてはならないというかんがかた前提ぜんていとしており、障害しょうがいしゃ抹殺まっさつ思想しそうだとされる。これが、優生ゆうせい保護ほごほうに、胎児たいじ障害しょうがい中絶ちゅうぜつ理由りゆうとすることを明文化めいぶんかすることにたいするもっとつよ反対はんたい理由りゆうである。もちろんここではだいいちに、アメリカの人種じんしゅ差別さべつなどとはことなった、日本にっぽん特有とくゆう陰湿いんしつ差別さべつのありかた問題もんだいにされなければならない。しかし同時どうじに、ここには日本にっぽん固有こゆう論理ろんりかさなっている。
 アメリカでの遺伝いでんびょうスクリーニングの強力きょうりょく反対はんたいしゃ障害しょうがいしゃ団体だんたいではなく、保守ほしゅてき中絶ちゅうぜつ反対はんたい同盟どうめいである。つまり欧米おうべいでは、選択せんたくてき中絶ちゅうぜつ障害しょうがいしゃ問題もんだいはいちおう別個べっこのものとかんがえられているのにたいして、日本にっぽんでは、中絶ちゅうぜつ一般いっぱん必要ひつようあくみとめるものの選択せんたくてき中絶ちゅうぜつには拒否きょひてきである。
 これは、日本人にっぽんじん前世ぜんせい現世げんせい連続れんぞくてきにみ、まれてくる以前いぜん世界せかいをのぞきんでそこに人間にんげんくわえることは不自然ふしぜんだとかんじる傾向けいこうつよいことを示唆しさしている。胎児たいじ心臓しんぞう奇形きけいなどをこすふうしんがはやると、産院さんいん窓口まどぐちがいっぱいになるという事実じじつは、前世ぜんせい現世げんせい中間ちゅうかん位置いちする胎児たいじ状態じょうたい確認かくにんする以前いぜんに、をつぶって中絶ちゅうぜつをやってしまうということなのであろう。
 それでもう一度いちど身心しんしん二元論にげんろんもどってみる必要ひつようがある。カトリック教会きょうかい精神せいしん現象げんしょう物体ぶったい不可分ふかぶんみとめ、人間にんげん生命せいめい受精じゅせい瞬間しゅんかんとしている。しかし身心しんしん二元論にげんろんつと、たとえば、たましいもっと初原はつばらてき形態けいたいとみなしうる刺激しげき=反応はんのうせいしょうじる時点じてん人間にんげんはじまりとする発生はっせい学者がくしゃのグロブスタイン(『ニュー・サイエンティスト』はちねんきゅうがつさんじゅうにちごう)のような意見いけん実際じっさいあらわれてくる。はなはだしきは、なんらかの理性りせい片鱗へんりん確認かくにんされることという意見いけんすらる。
 かんがえてみると、ある時点じてんたましいまれ、のう機能きのう停止ていしとともにこのるとする身心しんしん二元論にげんろんは、先端せんたん医療いりょうにとってなんと便利べんり生命せいめいかんだろう。
  優生ゆうせいがくにつながる不安ふあん
 日本にっぽん遺伝いでんびょうスクリーニングや胎児たいじ診断しんだんがあまり正面しょうめんきってろんじられないひとつの理由りゆうに、欧米おうべいでよく研究けんきゅうされている遺伝いでんびょうがきわめてすくないこともあげておいてよいだろう。新生児しんせいじ診断しんだん結果けっかでみると、フェニルケトン尿にょうしょう欧米おうべいぶんいち、ガラクトースしょうさんぶんいちである。ダウン症だうんしょうもややすくなく、かまがた血球けっきゅうびょう、サラセミア、テイ=ザックスびょうなど有名ゆうめい遺伝いでんびょうもほぼないとってよい。
 だが、もっとおおきな要因よういんはこれが優生ゆうせいがくにつながるのではないか、という危惧きぐである。選択せんたくてき中絶ちゅうぜつ前提ぜんていにした遺伝いでんびょうスクリーニングが優生ゆうせいがくではないかという議論ぎろん欧米おうべいでもしばしばなされてきた。(りゃく
 優生ゆうせいがく遺伝いでんびょうスクリーニングがことなるてんは、優生ゆうせいがく遺伝子いでんし集団しゅうだん重視じゅうしし、個々人ここじん遺伝いでんびょう因子いんしをもつかくりつ計算けいさんして、結婚けっこん制限せいげん断種だんしゅ誘導ゆうどうしたのにたいして、遺伝いでんびょうスクリーニングは、危険きけんせいのある個人こじん個々ここ妊娠にんしん実際じっさい検査けんさすること、そして発病はつびょうするとわかった胎児たいじ中絶ちゅうぜつし、出産しゅっさん確実かくじつ保証ほしょうしていることである。
 ているめんは、広義こうぎ優生ゆうせいがくおこなったのとおなじように、先天せんてん異常いじょう患者かんじゃ医療いりょう社会しゃかいてき負担ふたんとして経済けいざい計算けいさんにのせたことであり、欧米おうべいにおける最終さいしゅう回答かいとうは、遺伝いでんびょうスクリーニングはややしろちか灰色はいいろということになるだろう。
 しかし、遺伝いでんびょうスクリーニングにたいする欧米おうべいのこのような陽性ようせい解釈かいしゃくくらべて、日本人にっぽんじんはこれにたいして生理せいりてきけようとする傾向けいこうがある。これを優生ゆうせいがくだ、ナチズムだ、ヒトラーだという警句けいくげつけて政治せいじてき右傾うけいという文脈ぶんみゃくかたるときですら、この雰囲気ふんいきただよっている。それは欧米おうべい議論ぎろんよりはるかに根深ねぶかいところから由来ゆらいするものなのだろう。
 わたしは、どちらかというと、ここで言及げんきゅうしたしょ技術ぎじゅつまけめんに、これまでの論調ろんちょうよりは楽観らっかんてき立場たちばをとってきた。しかし、だからといって日本にっぽんも、もっとこれをすすめろ、といたいのではない。これらのしょ技術ぎじゅつたいして、人間にんげんそのものを操作そうさするものではないかと危惧きぐする感覚かんかくは、きわめて健全けんぜんなものである。しかしこの文明ぶんめいつづくかぎり、世代せだい交代こうたいつづくのであり、生死せいし関与かんよするさまざまな技術ぎじゅつへの態度たいど決定けっていも、永遠えいえんわれることになる。このようなで、ナチだヒトラーだという政治せいじてき警句けいくげつけるだけというやりかたは、そろそろ通用つうようしなくなってきており、本当ほんとう意味いみ長期ちょうきえる問題もんだい整理せいりをつけるべきだ、というのがわたし立場たちばなのである。


エピローグ
(pp212-214)
 現在げんざい問題もんだいのありかたひとつの表現ひょうげんは、先端せんたん科学かがくとわれわれの感情かんじょうとの衝突しょうとつということであろう。
 われわれの日常にちじょう行動こうどう規範きはんめるものは、ほぼっぽくうとさんじゅう構造こうぞうになっているようにみえる。毎年まいとしのようにわる風俗ふうぞくのようなもの。じゅうねんじゅうねん単位たんいでゆっくりわるもの。たとえば現在げんざい若者わかものおや時代じだいとはすっかりことなったせいモラルの世界せかいきている。そして、なまたいするおもいのように、世代せだいから世代せだいへとけつがれ、世紀せいき単位たんいおおきな間隔かんかくをとってはじめてその変遷へんせん意識いしきされるようなもの、のみっつである。
 先進せんしんこくとして一見いっけんおなじような科学かがく技術ぎじゅつ社会しゃかいはいっていながら、日本にっぽんだけが生死せいしにかかわる技術ぎじゅつ拒否きょひてき一因いちいんは、ゆっくりとわる部分ぶぶん生物せいぶつ技術ぎじゅつ生物せいぶつ医療いりょうという現代げんだい科学かがく本格ほんかくてきあつかしたことによってしょうじた衝突しょうとつ現象げんしょうってよい。
 ここにぼんやりかびあがってきたのは、めい前世ぜんせい現世げんせい現世げんせいめい来世らいせ連続れんぞくてきにみるわれわれの精神せいしん古層こそうではあるまいか。
 たとえば、われわれが、遺伝子いでんし治療ちりょう遺伝いでんびょうスクリーニングや胎児たいじ治療ちりょうなどにどこかしらおどろおどろしいものをかんじてしまうのは、意識いしきで、人間にんげんのDNAに前世ぜんせい投影とうえいしているからなのであろう。のこされた問題もんだい核心かくしん文化ぶんか人類じんるいがくてきなものであり、意識いしき共同きょうどう主観しゅかんあきらかにしてしまうことである。
 われわれのばくたる不安ふあん一部いちぶは、この暗黒あんこく部分ぶぶんがまだ意識いしきされ、言語げんごされていないまえに、科学かがく技術ぎじゅつ一方いっぽうてき出現しゅつげんによって強制きょうせいてき態度たいど決定けっていせまられていることなのであろう。
(p215)
 だとすれば、われわれがすべきことのひとつは、国際こくさい比較ひかくという方法ほうほう歴史れきし研究けんきゅうによってわれわれ自身じしん死生しせいかん遺体いたいかん変遷へんせんあとづけ、現在げんざいのそれを発見はっけんするための作業さぎょう開始かいしすることであろう。そしてわれわれ自身じしん本当ほんとうはどのようなかたかたのぞんでいるかをさぐして明示めいじてきかたちととのえ、これをまっとうするために科学かがく技術ぎじゅつれるべきであり、結局けっきょくはそれ以外いがい進行しんこうはありえまい。あたらしい技術ぎじゅつ出現しゅつげんによって、まったくあたらしい倫理りんり要請ようせいされるのではないのである。
 文化ぶんか核心かくしん部分ぶぶんはきわめて寛容かんようなものであり、とくに日本にっぽんでこの問題もんだいについては軽々けいけい価値かちかん多様たようなどということをくちにしないほうがよい。
 アメリカ社会しゃかいは、多数たすう宗派しゅうはすなわち複数ふくすう価値かちかん信念しんねん体系たいけい前提ぜんていとした社会しゃかいであり、アメリカ民主みんしゅ主義しゅぎいちめんは、この複数ふくすう信念しんねん体系たいけい調整ちょうせい問題もんだいだとってよい。
(pp217-218)
 たとえば、子供こどもをもつもたないは基本きほんてき人権じんけんであるとは、日本国にっぽんこく憲法けんぽうにもいちきゅうよんはちねん世界せかい人権じんけん宣言せんげんにも明文化めいぶんかされてはいない。婚姻こんいん自由じゆう家庭かてい・プライバシーの不可侵ふかしん子弟してい教育きょういくあたえる権利けんりなどからてき導出みちびきだされる地位ちいにとどまっている。
 その理由りゆうは、世界せかい人権じんけん宣言せんげんが、ナチ体験たいけん反面はんめん教師きょうしとし、生存せいぞんけんへの暴力ぼうりょくてき侵害しんがいはいすことを最大さいだい目的もくてきとしているからである。
 しかし、生物せいぶつ技術ぎじゅつ生物せいぶつ医療いりょう発達はったつは、子供こどもだれが、だれに、だれのためにむかという決定けっていや、遺伝いでんてき操作そうさけないでまれてくる権利けんりなど、これまでの基本きほんてき人権じんけん空隙くうげき部分ぶぶん問題もんだいにしてきているのであり、それにたいする具体ぐたいてきこころみが、欧州おうしゅう議会ぎかい勧告かんこくやウォーノック委員いいん会報かいほうかんがえてよいのである。
 バイオエシックスとはすぐれてアメリカてき言葉ことばである。しかしこれを、生物せいぶつ医療いりょう生物せいぶつ技術ぎじゅつをそれぞれの文化ぶんかぞくする人間にんげんもっと心安こころやすまるかたちでとりれ、そのための最適さいてき意志いし決定けっていのありかたつくそうとする学問がくもんてき立場たちばだとすれば、それはわれわれがいままさに直面ちょくめんする課題かだいを、かなり正確せいかくあらわしたものだとおもえてくるのである。