■Erikson, Kai T. 1994 A New Species of Trouble: Explorations in Disaster, Trauma, and Community, W W Norton & Co., 264p. ISBN-10: 0393035948 ISBN-13: 978-0393035940 US$22.00 [amazon]/[kinokuniya] ※ w/ek02, t06
■内容
From Publishers Weekly
For the past 20 years Erikson, a sociology professor at Yale University, has studied comunities stunned by recent disasters. His first subject, Buffalo Creek, W. Va., which suffered from the break of an earthen dam in 1972, led him to write Everything in Its Path. Among the seven communities examined here are an Indian reserve in Canada whose water supply was contaminated by mercury, a Colorado neighborhood threatened by gasoline seeping from storage tanks, the towns near the Three Mile Island nuclear plant that faced the possibility of radiation contamination. Erikson found a consistent pattern: loss of self-esteem and faith in institutions, and heightened senses of dread and vulnerability. He finds similar responses among the homeless. Describing this kind of trouble as the product of human error, he reviews the decision to deploy the atomic bomb in WW II and addresses the plan to store nuclear waste at Yucca Mountain in Nevada. In the epilogue to these gripping case studies, Erikson advances the illuminating suggestion that communities can experience trauma just as individauls can. Photos.
Copyright 1994 Reed Business Information, Inc.
■紹介
紹介:日高友郎 2008/05/24
Being Homeless / ホームレスであること pp. 158-181
homeの意味:「自己の地理学」geography of self
・ 寄宿舎、相部屋etc…などに住むことは出来ても、住所を持たないと(公共スペースのなかに居場所を見つけないと)メンバーにはなれない。
・ 遊牧民の紐帯(ちゅうたい)のように流動的な集団のなかに地位を確立することで位置づけられる場合もあるが、多くの文化では「場所を持つこと」=「固定された習慣を占有すること」であり、居住空間と場所(homestead)の統合感覚が失われると人格が剥奪される。
ホームレスになることの重要な側面
・ ホームレスであることは人間関係の輪の外縁に生息すること―他の種類kindになることであり、他の種speciesにさえなるかもしれない
・ 6人家族のホームレスの母の語り:
(いったんホームレスになると)「人々はあなたをもはや人間として登録されていないかのように見る」
・ ホームレスは社会秩序を構成するコミュニティと親族関係の膨大な網の目の外で生きている
→社会という概念の否定物 「平和の邪魔者」disturbers of the peace
ホームレスを惨めな存在とし、かつ危険なものとする。
・ アメリカでは、ホームレス状態homelessness社会的紐帯から抜け出してしまった、かつ安定した海岸から漂流していった独身男性に特有の状態であるとみなされてきた
・ 社会学者たちはホームレスに注目してきた(アルコール依存症・精神病の高い割合、共同体の形態などから) 新しいホームレスの特徴
・ 新しいホームレスは異なる状況および環境から路上へと至っているので、従来のものと異なる
・ 独身女性と女性主体の家庭で構成されている層が増加中であること
・ 新しいホームレス男性は従来より若くて貧しい
ドヤ街の消滅→路上へ 社会保障の改善→年配者は保護される 手作業や詰め作業などの仕事が自動化された→臨時雇いで技術の要らない仕事減
・ 精神病の罹患率が高いかもしれない
They may have a higher incidence of mental illness, too, since many of the people who would have been absorbed into mental hospitals and similar institutions a generations ago have now found their way to the streets.
*一昔前には精神病および類似施設へ収容されていた人々は(今はこうした施設に収容されることなく)路上に来ているため(結果として)精神病の罹患率が高い?
ホームレスの実態
・ 測定方法とイデオロギー上の雰囲気ideological moodsによって、ホームレスの総数は十万〜数百万に変化
・ ほとんどを屋根なしで過ごす人、緊急シェルターで過ごす人、ホームレス状態になったりならなかったりする人・・・
・ Peter Rossiによれば30万人、James D. Wrightによれば50万人との見積もり
・ 暦年のある時点をピックアップすれば100万人を越える(Wrightは150万人と予想)、ホームレスになるリスクをコンスタントに負うに十分なほど困窮している人の数は数百万人に上る
問題の説明の難しさ
・ ホームレス独身男性はアルコール依存症や病気などにかかる率が通常よりも大きいので、こうした数字の多くは独身男性によって説明される。
しかしこうした数字をどう判断するか分からないときでさえも、・・・複雑になる。
But even then it is hard to know what to make of those numbers, for the correlation between homelessness, on the one hand, and all the above frailties, on the other, is a complicated one at best.
・ 過度のアルコール摂取はホームレスへ至る理由となるが、ホームレス状態に伴う屈辱感と喪失感は飲酒に向かわせるには十分な理由になる(因果を問うのは難しい)
・ ホームレスに見られる心身の問題は、病院ではもっぱら、荒廃した生活における無配慮neglect、汚染exposure、その他の破壊的な振る舞いに起因するものとして扱われるのみだった
・ ホームレスのうち障害者および虚弱者は路上で彼らの存在を説明していると考える専門家たちは、彼らがデータの中に見つけたいと願っていた経験的な安堵solaceの全てをいまや簡単に手に入れることが出来る。その専門家たちは―いくぶん孤独で勇敢な事であるが―ホームレスのうちの障害者および虚弱者は、路上に居ることに対して対価を払っている厳罰の人々の間に居る、と考えもする。
So the correlations point in two directions at once. 〜 the disabilities and fragilities of the homeless are among the grim penalties people pay for landing on the streets.
・ 因果関係の言語the language of causationを語ることは、論点がズレることになるかもしれない
・ 飲酒がホームレスの原因、あるいは逆が正しいとする考え方は表面的には正しい。
しかし、人間精神はもっと微妙な部分が大いにある
以下3つのフィールドワーク研究が代表的。
・ Jonathan Kozol:ニューヨークの一次宿泊所welfare hotelsでもがく母親たちに注目
・ David A. Snow と Leon Anderson:テキサスにおける独身の成人(主に男性)に注目
・ Barry Jay Seltser と Donald E. Miller:ロサンゼルスの緊急シェルターを経験している家族に注目
【語りG】 私が思うに、彼は私よりも多少この状況を受け入れていると思う。 彼は以下のように感じているから。「ああ、私はしなければならないことをしていないのだ、決めたことを果たしていないのだI'm not holding up [my end of the bargain] 。私は家族のために全てを与えてきたし、いつも彼らにとって良かれと思うことをやってきた。」
そして私は彼にこう言った:「私がそれを理解することができる唯一の方法は、神様が我々に経験して欲しいと願っている試練なのであり、いかにこの事態を乗り越えるかという方法を我々に示す神のやり方なのだ、ということだった。人生経験learning experienceなのよ。」 彼は返事し、しかし一方では再び「これをしていない、あれをしてない」といった。
・ しかし、これら自分について知る不幸な人々が 彼らが他者によって扱われていると思っているような軽蔑に対抗することが出来うることについては間違いない。自信を欠く人々は、そうした評価が、彼らが関係する人々の言葉や様子を映し出すようにしばしば取りはからう。だから我々は審判の時にはこうした人間の習性というものへの斟酌を得たいと思うかもしれない。
But none of the doubts these unfortunate people have about themselves can match the contempt with which they think are being treated by others. People who lack confidence in themselves often have a way of seeing that assessment mirrored in the words and looks of those with whom they deal, so we may want to make some allowance for that very human habit what the time comes to make judgments.
*ホームレスになる→自分が役割を果たしていないという自己評価→自信喪失
→周囲の人もそういう風に思っているのだろうと思ってしまう みたいな??? 就職困難と不全感
・ 「汚染されたもの」の感覚がホームレス世界の明白な部分
・ この感覚はagency personnel(職業安定所の職員?)から始まる
・ 他の役所の人よりも偏屈でなく不親切でもないが、より大きなロジックa larger logicがホームレスとの関係を管理している
・ ホームレスは混乱・不公平感を抱えて行動、 職員は担当しないといけない人の多さに圧倒される
→個々人の気分や偏見と言うよりも社会状況の反映であり、社会的勢力の出会い、 文化的構成物。
・ 語りK以上に辛辣に感じた経験を持つ者もいる
「ホームレスならばアルコール依存症と麻薬中毒の両方」
「子ども時代に「困っても盗みはいけない。駐車場の掃除を申し出ること」と教わって実行したら警察を呼ばれた」 人間コミュニティから外れること
「社会の主流に属していない感覚がある。世界が自分を通り過ぎていくという感覚です」
「教会に行くのが恥ずかしいみたいなものです。どこに行くのも恥ずかしいみたいなものです。私は45番目のクラスの人間のように感じます(feel like a forty-fifth class person)。」
・ 上記のエピソードには皮肉がある
・ 「運命は家無しであなたを置き去りにするが、あなたはホームレスとなることを学ばなければならないのだ!」
Fate can leave you without a home, but you have to learn to be homeless!
・ 長期的にはホームレスになるプロセスはErving Goffmanによって説明された被収容者inmateになるプロセスと少しも違っていない―施設化された患者institutionalized patientからGoffmanが40年前に学んだプロセスが、現在ではホームレスに見られるということの皮肉である。
East Swallow訴訟で、判決にたどりついた例は、私は私の書いた有毒な汚染についてのレポートを読んだ何人かの調査者に、彼らが知っているコミュニティと比べてもらった。私は訴訟で効果的に人を動かす方法で、私にとっての真実を捜した。
East Swallowの反応は、まさにまさにそのような状況で期待されるようなもので、ある一方は違っていた。 誰もが同意する点は、ショック、共鳴することなどである。
W
p236 自然災害の間で、共通に見られるのは、Buffalo Creekで私たちが報告したように、突然の不可解なほどの感情の波が災害直後に、生存者に押し寄せる。世界が終わりになるという一瞬、「裸で荒野に一人で取り残されたような孤独」とAnthoney F.C.Wallaceは述べる。しかし、次に「幸福感のステージ」が殆どの自然災害で付いてくる。なぜなら、コミュニティが完全に死んでいない事に気づく。被害者は、破壊された中にまだ生存者がいるということに気づき、レスキューワークの力が湧き、温まる。そしてかれらは抑えきれないほどの仲間意識を持ち、古い友人と再会するように手を結び、コンタクトする。彼らはコミュニティの再生を祝い、死を思った瞬間彼らの再生を祝う。ある有名な研究"都市の労働組合""不幸の市民運動""苦しみのコミュニティ"とMartha Wolfenstainが、小説に書いている。"ポスト災害ユートピア"Allen H.Bartonは、小説に書いていて、"利他的なコミュニティ
Charls E.Flitzが、"治療のコミュニティ"と書いている。それはまるで、生存者が、破壊の中から、掘り出され、身体には手をつけないが、残された資源に傷のドレスを着せるようだ。
Buffalo Creekではこのページで書かれたようなことは、何も起こっていない。新しい種類のトラブルのような事は起こっていない。
これらの災害はたびたび大きなコミュニティの組織に境界線が引かれると、それは分離される。いくつかの場所はコミュニティ自体が派閥を作り、"腐食したコミュニティ"と"治療のコミュニティ"と小説で書かれた。 間違った線は人々のイベントでの影響から分けられ、"都市の労働組合"まさに反対の何かが起こる。彼らのまだ触れられていないほうは、触れているものから距離をとろうとし、何かがスポイル、公害から逃れようとするかのようだ。"腐食"は適した言葉で、なぜなら、災害はこの反応の傾向をもち、ある種の毒を含むからだ。これが、Three Miles Island、East Swallow, Love Canal の特徴だ。
Y 災害を生き残った人について、私は始めに記した。何時も人の群れから離れたい気分になり、似たようなグループで集まり、そのような離れていている気持ちから起こる見かた、リズム、ムードを分かち合う。それらの見方はいつも自然法則で、寛大さによって、支配されているように見えるが、彼らは、世界を違ったレンズで見る。そのセンスで彼らは言うかもしれない。a)自身の感覚を変える、b)他との関係を変える、c)変わった世界を共有する。新しい民族精神、個人と複雑なテクノロジーの担当機関が頼る事は出来ない。テクノロジーは、メリットのない計算とセオリーに基づいており、環境はこれに変わる。社会的、自然的にである。それはもろく不正確である。宇宙の法則継続性によって支配されているだけではなく、チャンス、そこらに潜む自然な悪にもよる。それは新しい特別な真実だ。1人のキャンプ生存者は、50年後にインターネットで、寒々しい見解を述べた。"それは、世界を超える景色で、全世界の景色・・・ひどく悲観的な、人々について、知っている真実、人間の性質、死について、人が知らない真実を知っている。。。"