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Rawls, John[ジョン・ロールズ]『公正としての正義再説』
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公正こうせいとしての正義せいぎ再説さいせつ

Rawls, John[ジョン・ロールズ]2001 Justice as Fairness: A Restatement. Erin Kelly Ed. Harvard University Press.
 =200408 田中たなか 成明しげあきかめほん よう平井ひらい 亮輔りょうすけ やく,『公正こうせいとしての正義せいぎ再説さいせつ岩波書店いわなみしょてん,402+24p.

last update:20100726

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Rawls, John[ジョン・ロールズ] 2001 Justice as Fairness: A Restatement. Erin Kelly Ed. Harvard University Press.=200408 田中たなか 成明しげあきかめほん よう平井ひらい 亮輔りょうすけ やく,『公正こうせいとしての正義せいぎ再説さいせつ』,岩波書店いわなみしょてん,402+24p. ISBN:4000228463 3570 [amazon][kinokuniya] ※

内容ないよう

現代げんだい政治せいじ哲学てつがく倫理りんりがく多大ただい影響えいきょうおよぼした著者ちょしゃが、規範きはんてき理論りろんとしての正義せいぎろんけられたさまざまな批判ひはん応答おうとうしながらみずからの理論りろんてき全貌ぜんぼう到達とうたつてんとを簡潔かんけつしめした、最後さいごの「正義せいぎろん」。講義こうぎろくをもとに加筆かひつ編集へんしゅう。 <

目次もくじ

詳細しょうさい目次もくじ 
編者へんしゃのまえがき
はしがき
だい一部いちぶ 基礎きそてきしょ概念がいねん
政治せいじ哲学てつがくよっつの役割やくわり公正こうせいきょうはたらけシステムとしての社会しゃかい秩序ちつじょだった社会しゃかい観念かんねん基本きほん構造こうぞう観念かんねん/われわれの探究たんきゅうしょ限定げんてい原初げんしょ状態じょうたい観念かんねん自由じゆう平等びょうどう人格じんかく観念かんねん基礎きそてきしょ観念かんねん関係かんけい公共こうきょうてき正当せいとう観念かんねん反省はんせいてき均衡きんこう観念かんねんかさなりあうコンセンサスの観念かんねん
だい 正義せいぎ原理げんり
ふたつの基本きほんてき要点ようてん正義せいぎ原理げんり分配ぶんぱいてき正義せいぎ問題もんだい主題しゅだいとしての基本きほん構造こうぞう──だいいち種類しゅるい理由りゆう主題しゅだいとしての基本きほん構造こうぞう──だい種類しゅるい理由りゆうだれもっと不利ふり状況じょうきょうにあるのか?/格差かくさ原理げんり──その意味いみ反例はんれいによる異論いろん正統せいとう期待きたい権原けんげん功績こうせきまれつきの才能さいのう共同きょうどう資産しさんとみる見解けんかいについて/分配ぶんぱいてき正義せいぎ功績こうせきかんする総括そうかつコメント
だいさん 原初げんしょ状態じょうたいからの議論ぎろん
原初げんしょ状態じょうたい──その構成こうせい正義せいぎ環境かんきょう形式けいしきてきしょ制約せいやく無知むちのヴェール/公共こうきょうてき理性りせい観念かんねんだいいち基本きほんてき比較ひかく議論ぎろん構造こうぞうとマキシミン・ルール/だいさん条件じょうけん強調きょうちょうする議論ぎろん基本きほんてき自由じゆう優先ゆうせん確実かくじつせいへの嫌悪けんおかんする異論いろん平等びょうどう基本きほんてき自由じゆう再論さいろんだい条件じょうけん強調きょうちょうする議論ぎろんだい基本きほんてき比較ひかく──序論じょろん公知こうちせいぞくするしょ根拠こんきょ互恵ごけいせいぞくするしょ根拠こんきょ安定あんていせいぞくするしょ根拠こんきょ制限せいげんつきの効用こうよう原理げんり反対はんたいするしょ根拠こんきょ平等びょうどうについてのコメント/結語けつご
だいよん 正義せいぎかなった基本きほん構造こうぞうしょ制度せいど
財産ざいさん私有しゆうがた民主みんしゅせい──序論じょろん政体せいたいあいだいくつかの基本きほんてき対比たいひ公正こうせいとしての正義せいぎにおけるぜんしょ観念かんねん立憲りっけん民主みんしゅせい たい 手続てつづきてき民主みんしゅせい平等びょうどう政治せいじてきしょ自由じゆう公正こうせい価値かち/その基本きほんてきしょ自由じゆう公正こうせい価値かち否認ひにん政治せいじてきリベラリズムと包括ほうかつてきリベラリズム──ふたつの対比たいひ人頭じんとうぜい自由じゆう優先ゆうせんせいについての覚書おぼえがき財産ざいさん私有しゆうがた民主みんしゅせい経済けいざい制度せいど基本きほん制度せいどとしての家族かぞく基本きほんぜん(財)ざいだんほうじん指数しすう柔軟じゅうなんせい/マルクスのリベラリズム批判ひはんむ/余暇よか時間じかんについての手短てみじかなコメント
だい 安定あんていせい問題もんだい
政治せいじてきなものの領域りょういき安定あんていせい問題もんだい公正こうせいとしての正義せいぎ間違まちがった仕方しかた政治せいじてきか/政治せいじてきリベラリズムはいかにして可能かのうか/かさなりうコンセンサスはユートピアてきではない/道理どうりかなった道徳心どうとくしん理学りがく政治せいじ社会しゃかいぜん

引用いんよう

だいよん 正義せいぎかなった基本きほん構造こうぞうしょ制度せいど
財産ざいさん私有しゆうがた民主みんしゅせい──序論じょろん政体せいたいあいだいくつかの基本きほんてき対比たいひ公正こうせいとしての正義せいぎにおけるぜんしょ観念かんねん立憲りっけん民主みんしゅせい たい 手続てつづきてき民主みんしゅせい平等びょうどう政治せいじてきしょ自由じゆう公正こうせい価値かち/その基本きほんてきしょ自由じゆう公正こうせい価値かち否認ひにん政治せいじてきリベラリズムと包括ほうかつてきリベラリズム──ふたつの対比たいひ人頭じんとうぜい自由じゆう優先ゆうせんせいについての覚書おぼえがき財産ざいさん私有しゆうがた民主みんしゅせい経済けいざい制度せいど基本きほん制度せいどとしての家族かぞく基本きほんぜん(財)ざいだんほうじん指数しすう柔軟じゅうなんせい/マルクスのリベラリズム批判ひはんむ/余暇よか時間じかんについての手短てみじかなコメント

 43 公正こうせいとしての正義せいぎにおけるぜんしょ観念かんねん 250-
 「公正こうせいとしての正義せいぎは、平等びょうどう政治せいじてきしょ自由じゆう古代こだいじん自由じゆう)は一般いっぱんてきにみて、たと思想しそう自由じゆう良心りょうしん自由じゆう近代きんだいじん自由じゆう)ほど内在ないざいてき価値かちはもっていないとみる(コンスタンやバーリンに代表だいひょうされる)リベラリズムの伝統でんとう系譜けいふにに賛同さんどうする。このことが意味いみすることは、一般いっぱんに、たいていの市民しみんの(完全かんぜんな)ぜん構想こうそうのなかでそれほどおおきな位置いちめてはおらず、それどころから、そのほうが道理どうりかなったことかもしれないということである。現代げんだい民主みんしゅてき社会しゃかいでは、政治せいじは、都市とし国家こっかアテネにおいて生粋きっすい男性だんせい市民しみんにとってそうであった☆09ほどには人生じんせい中心ちゅうしんではないのである。」(Rawls[2001=2004:254])

 基本きほんぜん(財)ざいだんほうじん指数しすう柔軟じゅうなんせい 293-307
 「51.1
 基本きほんぜん(ざい)の指数しすう実際じっさいもちいられかたと、こうした指数しすうあたえる柔軟じゅうなんせいとを例証れいしょうするために、そのような指数しすうたいしてセンが提起ていきしている反論はんろんいくらかくわしく検討けんとうしよう。その反論はんろんとは、この指数しすうではどうしても柔軟じゅうなんせいがなさすぎて公正こうせいでなくなってしまうというものである☆293。この反論はんろん議論ぎろんすれば、個人こじんあいだ比較ひかくはセンが個人こじんの「基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょく」とぶものの尺度しゃくどすくなくとも部分ぶぶんてきもとづかなければならないというかれ重要じゅうようかんがえと、基本きほんぜんとのつながりをしめすことによつて、基本きほんぜん観念かんねんがはっきりするだろう。
 センの反論はんろんふたつの論拠ろんきょ依拠いきょしている。だいいち論拠ろんきょは、基本きほんざい(ぜん)の指数しすうもちいることはみのる△293 は間違まちがった空間くうかん作業さぎょうすることになり、したがって、あやまりをまね測定そくてい基準きじゅんふくんでいるということである。つまり、利益りえき実際じっさいには、個人こじんざい(ぜん)との関係かんけい依存いぞんするのだから、基本きほんざい(ぜん)そのものを利益りえき実現じつげん形態けいたいとみなすべきではない。反論はんろんはさらにつづく。すなわち、個人こじんあいだ比較ひかく受容じゅよう可能かのう基礎きそは、個人こじん基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょくという尺度しゃくどに、すくなくともかなりの部分ぶぶん依拠いきょしなければならない、と。
 説明せつめいしよう。センは、ざい(ぜん)をもっぱら個々人ここじん欲求よっきゅう選好せんこう充足じゅうそくするものとみなすてん功利こうり主義しゅぎあやまっているとみる。かれかんがえでは、ざい(ぜん)と基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょくとの関係かんけいもまた不可欠ふかけつである。すなわち、ざい(ぜん)とは、たとえば自分じぶんふくたり自活じかつするとか、手助てだすけなしにあちこち移動いどうするとか、地位ちいいたり仕事しごと従事じゅうじしたり、政治せいじ共同きょうどうたい公的こうてき生活せいかつ参加さんかするといった、一定いってい基本きほんてきなものごとをするのを可能かのうにするものである。基本きほんざい(ぜん)指数しすうというものは、ざいぜん)と基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょくとの関係かんけい捨象しゃしょうし、基本きほんざいぜん)のみ着目ちゃくもくすることによって、間違まちがったものにこげとをててしまっているのだと、センはかんがえる。
 51.2
 この批判ひはん応答おうとうするにあたり、強調きょうちょうされるべきことは、基本きほんぜん(ざい)の説明せつめい基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょくげん考慮こうりょれており、捨象しゃしょうなどしていないということである。つまり、ふたつの道徳どうとくてき能力のうりょくをもつがゆえ自由じゆう平等びょうどう人格じんかくである、そのようなものとしての市民しみんたちの潜在せんざい能力のうりょく考慮こうりょしているのである。かれらが、ぜん生涯しょうがいにわたって十分じゅうぶんきょうはたらけする普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいんであり、自由じゆう平等びょうどう市民しみん△294 という地位ちい維持いじすることを可能かのうにしているのは、ふたつの道徳どうとくてき能力のうりょくなのである。われわれは、市民しみん潜在せんざい能力のうりょく基本きほんてきニーズについてのひとつの構想こうそう依拠いきょしており、諸々もろもろ平等びょうどう権利けんり自由じゆうは、これらの道徳どうとくてき能力のうりょく念頭ねんとうにおいて特定とくていされている。すでにみたように(だいさんせつ)、そうした諸々もろもろ権利けんり自由じゆうは、おおきな重要じゅうようせいをもつ一定いってい根本こんぽんてき場面ばめんでこれらの能力のうりょく適切てきせつ発達はったつさせ十分じゅうぶん行使こうしするために必要ひつよう不可欠ふかけつ条件じょうけんなのである。つぎのようにうことができる。
 (i)平等びょうどう政治せいじてきしょ自由じゆう言論げんろん自由じゆう集会しゅうかい自由じゆうなどは、市民しみん正義せいぎ感覚かんかく発達はったつ行使こうしにとって必要ひつようであり、正義せいぎかなった政治せいじてき目標もくひょう採用さいようしたり実効じっこうてき社会しゃかい政策せいさく追求ついきゅうするにあたり、市民しみんたちが合理ごうりてき判断はんだんをするべきなら必要ひつようときれるものである。
 (ii)平等びょうどう市民しみんてきしょ自由じゆう良心りょうしん自由じゆう結社けっしゃ自由じゆう職業しょくぎょう選択せんたく自由じゆうなどは、ぜん構想こうそうへの市民しみんたちが合理ごうりてき判断はんだんをするべきなら必要ひつようとされるものである。つまり、(完全かんぜんないしは部分ぶぶんてきに)包括ほうかつてきむね致的・哲学てつがくてき道徳どうとくてききょうせつらして理解りかいされた、自分じぶん人間にんげん生活せいかつにおいて価値かちあるとみるものを形成けいせいし、修正しゅうせいし、合理ごうりてき追求ついきゅうする能力のうりょくにとって必要ひつようなのである。
 (iii)所得しょとくとみは、それがなにであれ広範こうはんな(許容きょようされる)しょ目的もくてき達成たっせいにとって、とりわけふたつの道徳どうとくてき能力のうりょく実現じつげんし、市民しみん肯定こうていないし採用さいようするぜんの(完全かんぜんな)構想こうそうしょ目的もくてき増進ぞうしんするという目的もくてき達成たっせいにとって必要ひつようとされる一般いっぱんてき汎用はんようてき手段しゅだんである。
 こうした所見しょけんは、基本きほんぜん(ざい)の役割やくわりを、公正こうせいとしての正義せいぎ枠組わくぐみ全体ぜんたいのなかに位置いちづけている。この枠組わくぐみ注意ちゅういければ、公正こうせいとしての正義せいぎ地本じもとぜん(財)ざいだんほうじん個人こじん基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょくあいだ根本こんぽんてき関係かんけいげん承認しょうにんしていることがわかる。のところ、基本きほんぜん(ざい)の指数しすうは、自由じゆう平等びょうどうものと△295 しての市民しみんという(規範きはんてきな)構想こうそうふくまれる基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょく所与しょよだとすれば、自由じゆう平等びょうどうものとしての地位ちい維持いじし、十分じゅうぶんきょうはたらけする普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいんであるためには、市民しみんにどのようなものが必要ひつようとされるのか、これをうてみることによって作成さくせいされているのである。当事とうじしゃたちは、基本きほんぜん(ざい)の指数しすう正義せいぎ原理げんり一部いちぶであり、正義まさよし原理げんり意味いみのなかにふくまれているということをっているのだから、もしかれらが代表だいひょうする人々ひとびと必要ひつよう不可欠ふかけつ利害りがい関心かんしん保護ほごするためにもとめられるとかれらがかんがえるものをその指数しすう確保かくほしてくれないなら、当事とうじしゃたちはそのような正義せいぎ原理げんり受容じゅようしないだろう。
 51.3

 これまでのところでは、ひとつの重要じゅうよう背景はいけいてき前提ぜんていをおいてきた。つまり、政治せいじてき正義せいぎ考慮こうりょれるべき種類しゅるいのニーズや必要ひつようについては、市民しみんたちのニーズや必要ひつよう十分じゅうぶん類似るいじしているため、政治せいじてき正義せいぎしょ問題もんだいにおける個人こじんあいだ比較ひかくのための適切てきせつかつ公正こうせい基礎きそとして、基本きほんぜん(ざい)の指数しすう使つかえるという前提ぜんていである。
 もしこの背景はいけいてき前提ぜんてい本当ほんとうつなら、センは、すくなくともおおくの場合ばあいは、基本きほんぜんざい)の使用しようれるかもしれない☆56。だから、かれ反論はんろんは、十分じゅうぶんきょうはたらけする普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいん重要じゅうようなニーズや必要ひつようじつ非常ひじょうことなっているため、基本きほんぜん(ざい)の指数しすうともな正義せいぎ原理げんりではどうしても柔軟じゅうなんせいがなさすぎて、これらのニーズや必要ひつようにおける差異さい対応たいおうする公正こうせい方法ほうほうをもたらすことができないとい、つ、も、つひとつの論拠ろんきょ依存いぞんしている。これにこたえてわたしは、基本きほんぜん(ざい)のゆび△296 すう作成さくせいすることで、かなりの柔軟じゅうなんせいがもたらされるのだといううことをしめすようつとめたい。
 まずはじめに、深刻しんこく障害しょうがいをもつために社会しゃかいてききょうはたらけ貢献こうけんするる普通ふつう構成こうせいいんではけっしててありえないよ、つな人々ひとびとという、極端きょくたんなケースはわきにおいておく。そのわりにわたしふたつの種類しゅるい事例じれいだけを検討けんとうするが、そのいずれもが、わたし通常つうじょう範囲はんいぶもの、つまり、だれもがきょうはたらけする普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいんであることと両立りょうりつするような、市民しみんたちのニーズや必要ひつようにおける差異さい範囲はんいないにおの社会しゃかい構成こうせいいんであることと両立りょうりつするような、市民しみんたちのニーズや必要ひつようにおける差異さい範囲はんいないもとめ軟性なんせい例証れいしょうされることになろう。
 51.4
 だいいち種類しゅるい事例じれいは、ふたつの道徳どうとくてき能力のうりょく発達はったつ行使こうしまれつきの才能さいのう実現じつげんにおける差異さいかかわる。これらは、十分じゅうぶんきょうはたらけする社会しゃかい構成こうせいいんであるためにもとめられる最低限さいていげん不可欠ふかけつなものをえる差異さいである。たとえば、裁判さいばんじょうしょ徳性とくせい正義せいぎ感覚かんかくという道徳どうとくてき能力のうりょくひいでていることであるが、これらの徳性とくせいそなえための能力のうりょくにほかなりのばらつきがあるとしよう。こうした能力のうりょくには、知性ちせい想像そうぞうりょく公平こうへいであったり、よりひろくてより包含ほうがんてきなものの見方みかたをする能力のうりょくならびに他人たにん関心かんしん状況じょうきょうたいするある程度ていど感受性かんじゅせいふくまれている。
 正義せいぎ原理げんりは、そのなかにじゅんわく背景はいけいてき手続てつづきてき正義せいぎ概念がいねんんでいるが、配分はいぶんてき正義せいぎ概念がいねんんではいない(だいいちよんせつ)。市民しみん道徳どうとくてき能力のうりょくにおける差異さいは、それだけでは、諸々もろもろ基本きほんてき権利けんり自由じゆうふく基本きほんぜん(ざい)の配分はいぶんにおける、対応たいおうする差異さい帰着きちゃくするわけでは△297 ない。むしろ、市民しみんたちの潜在せんざい能力のうりょく通常つうじょう範囲はんいないにあるものとして、かれらの基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょく訓練くんれん教育きょういくするための一般いっぱんてき汎用はんようてき手段しゅだんや、それら能力のうりょく十分じゅうぶん使用しようする公正こうせい機会きかい市民しみんたちのはいるために必要ひつよう背景はいけいてき正義せいぎしょ制度せいどふくむように、基本きほん構造こうぞうととのえられているのである。公正こうせい基礎きそうえ何人なんにんにも保障ほしょうされた機会きかいをどう利用りようするかは、諸々もろもろ基本きほんてき権利けんり自由じゆう確保かくほされ、自分じぶん自身じしん人生じんせいけることのできる、自由じゆう平等びょうどう人格じんかくとしての市民しみんたちにゆだねられている。
 さきれた裁判さいばんじょう徳性とくせいへの能力のうりょくにおける差異さいかんがえてみよう。通常つうじょう範囲はんいないでは、こうした差異さいは、自由じゆう平等びょうどうものとしての市民しみんたちに正義せいぎ原理げんり適用てきようされる仕方しかた影響えいきょうあたえはしない。だれもが依然いぜんとしておな諸々もろもろ基本きほんてき権利けんり自由じゆう公正こうせい機会きかいをもっており、まただれもが格差かくさ原理げんり保証ほしょうするものの対象たいしょうとなる。もちろん、裁判さいばんじょう徳性とくせいへのよりたか能力のうりょくをもつ人々ひとびとは、事情じじょうひとしいなら、そうした徳性とくせい発揮はっきようする責任せきにんともなえなう権威けんいある地位ちいめる機会きかいがよりおおい。一生いっしょうつうじて、かれらは基本きほんぜんざい)へのよりたか期待きたいをもつかもしれず、また、かれらのよりおおきな能力のうりょくは、適切てきせつ訓練くんれんされ行使こうしされれば、かれらのてる計画けいかくかれらの実績じっせき次第しだいことなってむくいられるかもしれない。(これらの最後さいご所見しょけんおおかれすくなかれ秩序ちつじょだった社会しゃかい前提ぜんていしてのことであり、れいによって、とくにことわりのないかぎり、理想りそうてき理論りろんわくないはなしすすめている。)

 しかし、結果けっかとしてしょうじる特定とくてい分配ぶんぱいは、基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょく尺度しゃくどもちいる(配分はいぶんてきなものであれ手続てつづきてきなものであれ)正義まさよし原理げんりしたがうことによってしょうじてくるのではない。こうした潜在せんざい能力のうりょくのすべてにわたる(規範きはんてきなものと対比たいひされる)科学かがくてき尺度しゃくどつくることは、理論りろんじょう不可能ふかのうだと△298 いうわけではないとしても、実際じっさい問題もんだいとしては不可能ふかのうである。公正こうせいとしての正義せいぎにおいては、潜在せんざい能力のうりょくにおけるこうした差異さいわせた調整ちょうせいは、純粋じゅんすい背景はいけいてき手続てつづきてき正義せいぎのもとで進行しんこうちゅう社会しゃかい過程かていつうじてすすめられるのであり、そこでは個々ここ職務しょくむ地位ちいにふさわしい能力のうりょく適性てきせい分配ぶんぱい役割やくわりたすのである。しかし、れいのごとく、(通常つうじょう範囲はんいないの)基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょくにおけるいかなる差異さいも、個人こじん平等びょうどう基本きほんてきしょ権利けんりまい自由じゆう影響えいきょうあたえるものではない。秩序ちつじょだった社会しゃかいでは、そうした進行しんこうちゅう社会しゃかい過程かてい政治せいじてき正義せいぎいたることはないだろうというのが、公正こうせいとしての正義せいぎ主張しゅちょうである。
 51.5
 つぎに、だい種類しゅるい事例じれいうつろう。つまり、市民しみんたちの医療いりょうへのニーズにおける差異さいである。こうした事例じれいは、市民しみん一時いちじてきに――しばらくのあいだ――十分じゅうぶんきょうはたらけする普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいんであるために最低限さいていげん不可欠ふかけつ能力のうりょく下回したまわっている事例じれい性格せいかくづけられる。政治せいじてき正義せいぎ構想こうそうつくげるにあたっての最初さいしょいちとしては、(これまでやってきたように)病気びょうき事故じこ完全かんぜん捨象しゃしょうして、政治せいじてき正義せいぎ根本こんぽん問題もんだいは、もっぱら自由じゆう平等びょうどうものとしての市民しみんといでのきょうはたらけ公正こうせい条項じょうこう明確めいかくにする問題もんだいだとかんがえてよいだろう。しかし、公正こうせいとしての正義せいぎは、このあいだだい解決かいけつするたすけとなることができるだけでなく、病気びょうき事故じここすニーズの差異さいをカバーするように拡張かくちょうすることもできるとわたしのぞんでいる。この拡張かくちょうこころみるために、市民しみんぜん生涯しょうがいにわたってきょうはたらけする普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいんだという前提ぜんていは、市民しみんがときにはおも病気びょうきにかかったり、ひどい事故じこ遭遇そうぐう△299 するかもしれないということを許容きょようするものとわれわれは解釈かいしゃくする。
 こうした拡張かくちょうをするにさいしては、つぎのような基本きほんぜん(ざい)の指数しすうみっつの特徴とくちょう依拠いきょする。これらの特徴とくちょうが、医療いりょうへのニーズにおける市民しみんあいだ差異さいおうじた調整ちょうせいをするための、ある程度ていど柔軟じゅうなんせい正義せいぎ原理げんりあたえてくれる。
 だいいちに、これらのぜん(ざい)は、原初げんしょ状態じょうたい入手にゅうしゅできる考慮こうりょによってすみずみまで特定とくていきれるわけではない。このことは、基本きほんてきしょ権利けんりしょ自由じゆうとそれ以外いがい基本きほんぜん(ざい)のいずれについても明白めいはくである。たとえば、原初げんしょ状態じょうたいでは、基本きほんてきしょ権利けんりしょ自由じゆう一般いっぱんてき形式けいしき内容ないよう輪郭りんかくえがくことができ、それらの優先ゆうせんせい根拠こんきょ理解りかいすることができることで十分じゅうぶんである。そうした権利けんり自由じゆう一層いっそう明確めいかくは、ょりおおくの情報じょうほう人手ひとで可能かのうになり、特殊とくしゅ社会しゃかいてき条件じょうけん考慮こうりょれることができるにおうじて、憲法けんぽう段階だんかい立法りっぽう段階だんかい司法しほう段階だんかいゆだねられる。基本きほんてきしょ権利けんりしょ自由じゆう一般いっぱんてき形式けいしき内容ないよう輪郭りんかくえがくにあたっては、後続こうぞくかく段階だんかい明確めいかく過程かてい適切てきせつ仕方しかたみちびかれるのに十分じゅうぶんなほどに、これらの権利けんり自由じゆう特別とくべつ役割やくわり中心ちゅうしんてき適用てきよう範囲はんいあきらかにしておかなければならない。
 だいに、所得しょとくとみという基本きほんぜん(ざい)を、個人こじん所得しょとく私的してきとみだけと同一どういつしてほならない。というのも、われわれは、個人こじんとしてばかりか結社けっしゃ集団しゅうだん構成こうせいいんとしても、所得しょとくとみ支配しはいしたり、あるいは部分ぶぶんてき支配しはいしているからである。ある宗派しゅうは構成こうせいいん教会きょうかい財産ざいさんいくらか支配しはいしており、教授きょうじゅかい構成こうせいいんは、かれらの奨学しょうがくきん研究けんきゅうといった目標もくひょう達成たっせいするための手段しゅだんとみなされた大学だいがくとみいくらか支配しはいしているのである。われわれはまた、市民しみんとして、医療いりょう保障ほしょう場合ばあいの△300 ようにわれわれに権原けんげんがあるさまざまな個人こじんてきざいやサービスの、政府せいふによる支給しきゅう受益じゅえきしゃであったり、(んだ空気くうき汚染おせんされていないみずなどといった)公衆こうしゅう衛生えいせい確保かくほする措置そち場合ばあいのように(経済けいざい学者がくしゃのいう意味いみでの)公共こうきょうざい政府せいふによる供給きょうきゅうめの受益じゅえきしゃでもある。これらの項目こうもくのどれも、(もし必要ひつようなら)基本きほんぜん(ざい)の指数しすうふくめることができる☆57。
 だいさんに、基本きほんぜん(ざい)の指数しすうは、一生いっしょうつうじてこれらのぜん(ざい)がどれだけ期待きたいできるかについての指数しすうである。これらの期待きたいは、基本きほん構造こうぞう内部ないぶ有意ゆうい社会しゃかいてき立場たちば付随ふずいするものとみなされる。これによって、人生じんせい通常つうじょう行程こうていのなかで病気びょうき事故じこからしょうじるニーズにおける差異さいを、正義せいぎ原理げんり考慮こうりょれることが可能かのうになる。個々人ここじん基本きほんぜん(ざい)の期待きたい(それらの期待きたい指数しすう)は事前じぜんにはおなじでありうるが、かれらが実際じっさいぜん(ざい)は、さまざまな偶発ぐうはつてき事情じじょう次第しだいで――いま場合ばあいかれらにりかかる病気びょうき事故じこ次第しだいで――事後じごてきにはあいことなる。
 51.6
 以上いじょう背景はいけいにして、きょうはたらけする普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいんではあるが、その能力のうりょくがしばらく最低さいてい限度げんど下回したまわることもあるものとしての市民しみんたちの医療いりょう健康けんこうじょうのニーズに、正義せいぎ原理げんりがどのように適用てきようさされるかを簡単かんたんべておこう。ここではこれ以上いじょうのことはできない。
 このあいだだいは、立法りっぽう段階だんかい決定けっていきれるべきものであって(『正義せいぎろんだいさんいちせつ)、原初げんしょ状態じょうたい憲法けんぽう制定せいてい会議かいぎめられるぺきものではない。なぜなら、この事例じれいへの正義せいぎ原理げんり実行じっこう可能かのう適用てきようは、さまざまな病気びょうきひろまりとそれらのひどさとか事故じこ頻度ひんどとそれらの原因げんいんそのおおくのこ△301 とにかんする情報じょうほう部分ぶぶんてき依存いぞんしているからである。こうした情報じょうほう入手にゅうしゅできるのは立法りっぽう段階だんかいであり、それ公衆こうしゅう衛生えいせい保護ほごしたり医療いりょう提供ていきょうする政策せいさくはそこではじめてげることができるのである。
 基本きほんぜん(ざい)の指数しすう期待きたいによって特定とくていされるから、市民しみんのさまざまなニーズに対応たいおうするさいのかなりの柔軟じゅうなんせいが、正義せいぎ原理げんり特徴とくちょうである。単純たんじゅんのために、もっと不利ふり状況じょうきょうにある集団しゅうだん焦点しょうてんをあて、その構成こうせいいんたちに見込みこまれる医療いりょうニーズの総量そうりょうと、さまざまな水準すいじゅん治療ちりょう看護かんごでそうしたニーズをまかなう費用ひようとにかんする情報じょうほうはいるものと仮定かていしよう。格差かくさ原理げんりあたえるこうしたニーズをまかなう費用ひようとにかんする情報じょうほうはいるものと仮定かていしよう。格差かくさ原理げんりあたえる指針ししんわくないでは、これ以上いじょう供給きょうきゅうしたらもっと不利ふり状況じょうきょうにある人々ひとびと期待きたいをかえってげることになってしまうところまで、こうしたニーズをまかなうための供給きょうきゅうをすることができる。この推論すいろんは、社会しゃかいてきミニマムを設定せっていするさい推論すいろん同型どうけいである(『正義せいぎろんだいよんよんせついちぺーじ)。唯一ゆいいつ相違そういは、目下もっか場合ばあい、(見積みつもられる費用ひようによって計算けいさんされた)ある水準すいじゅん保証ほしょうされた医療いりょう供給きょうきゅうへの期待きたいが、社会しゃかいてきミニマムの一部いちぶとしてふくまれているということである。今度こんどもまた、事前じぜんおな期待きたいが、事後じごてきなニーズの相違そういおうじて、られる給付きゅうふ幅広はばひろ分岐ぶんき両立りょうりつする。
 医療いりょう健康けんこうじょうのニーズについやされる社会しゃかいてき生産せいさんぶつ割合わりあい上限じょうげんさだめるものはなにかとえば、それは、私的してき資金しきん支払しはらわれるものと公的こうてき資金しきん支払しはらわれるものとをわず、社会しゃかい支出ししゅつしなければならない、不可欠ふかけつしょ費用ひようであるということに注意ちゅういされたい。たとえば、活発かっぱつ生産せいさんてき労働ろうどうりょく維持いじされなければならず、子供こどもたちはそだてられ適切てきせつ教育きょういくけなければならない。年間ねんかん生産せいさんりょう一部いちぶ現実げんじつ資本しほん投下とうかされ、べつ部分ぶぶん減価げんか償却しょうきゃく算入さんにゅうされなければならない。また、△302 引退いんたいした人々ひとびとのための支給しきゅうもしなければならない。諸々もろもろ国民こくみん国家こっかからなる世界せかいにおける国防こくぼうや(正義せいぎかなった)外交がいこう政策せいさく必要ひつようなもののためにも、支出ししゅつしなければならないことはうまでもをい。これらの要求ようきゅう立法りっぽう段階だんかい視点してんからながめるはばみん代表だいひょうむかしたちは、社会しゃかい資源しげん分配ぶんぱいにあたり、それらのあいだ比較ひかく衡量してバランスをとらなければならない。
 ここで、市民しみんたちがぜん生涯しょうがいにわたってひとつの公共こうきょうてき政治せいじてき)アイデンティティをもつとみなし、またかれらがぜん生涯しょうがいにわたって十分じゅうぶんきょうはたらけする普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいんだとかんがえることがおおきな重要じゅうようせいをもつということがわかる。立法りっぽう段階だんかい市民しみん代表だいひょうしゃたちは、いまはい一般いっぱんてき情報じょうほう所与しょよとすれば、正義せいぎ原理げんりがどのように一層いっそうこまかく特定とくていされるべきかを検討けんとうしなければならない。もちろん、市民しみんをこのようにとらえても、正確せいかく解答かいとうえらされるわけではない。れいによって、われわれのにあるのは、せいぜい熟議じゅくぎのための指針ししんだけである。しかし、市民しみん代表だいひょうしゃたちは――子供こども時代じだいから老年ろうねんいた人生じんせいぜん段階だんかいでわれわれがかかげる要求ようきゅうふくむ――さきげたさまざまな要求ようきゅうのすべてを、人生じんせいのすべての段階だんかいくことになるひとりの人物じんぶつ視点してんからながめなければならない。ここでの発想はっそうは、かく段階だんかいでの人々ひとびと要求ようきゅうは、いったんわれわれが人生じんせいぜん段階だんかいをみずからくものとかんがえたなら、われわれがそれらの要求ようきゅう道理どうりかなった比較ひかく衡量をするであろうその仕方しかたからてくるというものである。
 これまでの論述ろんじゅつは、医療いりょう問題もんだい格差かくさ原理げんり指針ししんのもとでながめている。このことは、医療いりょう供給きょうきゅうは、もっと不利ふり状況じょうきょうにある人々ひとびと自分じぶん選好せんこうする医療いりょう費用ひよう自分じぶんでまかなうことができない場合ばあいに、かれらの所得しょとくおぎなうためのものにすぎない、というあやまった印象いんしょうあたえるかもしれない。し△303 かし、その反対はんたいである。すでに強調きょうちょうしたように、医療いりょう供給きょうきゅうは、基本きほんぜん(ざい)一般いっぱん場合ばあいおなじように、自由じゆう平等びょうどうものとしての市民しみんのニーズと必要ひつようたすためである。そのような医療いりょうは、機会きかい公正こうせい平等びょうどう保証ほしょうし、諸々もろもろ基本きほんてき権利けんり自由じゆうをわれわれが利用りようできることを保証ほしょうするために、だからまた、われわれがぜん生涯しょうがいにわたって十分じゅうぶんきょうはたらけする普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいんであるために必要ひつよう一般いっぱんてき手段しゅだんぞくするものなのである。
 このような市民しみん構想こうそうは、われわれがふたつのことをするのを可能かのうにする。すなわち、だいいちに、さまざまな種類しゅるい医療いりょう緊急きんきゅうせい評価ひょうかすることを可能かのうにし、だいに、社会しゃかいてきニーズや必要ひつようくらべた医療いりょう公衆こうしゅう衛生えいせい一般いっぱん要求ようきゅう相対そうたいてき優先ゆうせんをはっきりさせることを可能かのうにする。たとえば、だいいちてんについては、人々ひとびと回復かいふくさせて健康けんこうにし、かれらがきょうはたらけする社会しゃかい構成こうせいいんとしてその普通ふつう生活せいかつさいかんするのを可能かのうにする、そのような治療ちりょうにはおおきな緊急きんきゅうせいがある――もっと正確せいかくうと、機会きかい公正こうせい平等びょうどう原理げんりによって特定とくていされる緊急きんきゅうせいがある。その一方いっぽうたとえば美容びようのための医療いりょうは、ただちに必要ひつようだなどとはけっしてえない。われわれが普通ふつう社会しゃかい構成こうせいいんである能力のうりょく維持いじし、いったんその能力のうりょく必要ひつよう最低さいてい限度げんど下回したまわったらそれを回復かいふくすることとむすびつけて、医療いりょうへの要求ようきゅう強度きょうどかんがえることによって、(さき議論ぎろんおおまかにべたように)そうした医療いりょう費用ひようを、正義せいぎ原理げんりによってカバーされる、社会しゃかいてき生産せいさんぶつたいするしょ要求ようきゅう比較ひかく衡量するための指針ししん提供ていきょうきれる。しかしながら、これらの困難こんなん錯綜さくそうした事柄ことがらについてこれ以上いじょう議論ぎろんはしないでおく☆58。
 51.7
 結論けつろんべよう。基本きほんぜん(ざい)の指数しすう柔軟じゅうなんせいがなさすぎて公正こうせいではないという反論はんろんこたえて、わたしふたつのおも主張しゅちょうをしてきた。
 だいいちは、基本きほんぜん(ざい)の観念かんねんは、一定いってい基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょくをもつものとしての市民しみんという構想こうそう密接みっせつむすびついており、そうした潜在せんざい能力のうりょくもっと重要じゅうようなものに、ふたつの道徳どうとくてき能力のうりょくふくまれるということである。そうした基本きほんぜん(ざい)がなにであるかは、ふたつの道徳どうとくてき能力のうりょくそなえており、また、これらの発達はったつ行使こうしに、より上位じょうい関心かんしんをもっている人格じんかくとしての市民しみんという基礎きそてき直観ちょっかんてき観念かんねん依存いぞんしている。これは、個人こじんあいだ比較ひかくをするさいだけでなく、道理どうりかなった正義せいぎ政治せいじてき構想こうそう設計せっけいするにあたっても基本きほんてき潜在せんざい能力のうりょく考慮こうりょれられなければならないというセンの見解けんかい合致がっちしている。
 だいに、基本きほんぜん(ざい)の使用しようによって可能かのうになる柔軟じゅうなんせいしめすためには、ふたつの種類しゅるい事例じれい区別くべつしなければならないということである。最初さいしょ事例じれいは、通常つうじょう範囲はんいないおさまってはいるが、十分じゅうぶんきょうはたらけする社会しゃかい構成こうせいいんであるためにもとめられる最低限さいていげん不可欠ふかけつなものをえているような、市民しみん潜在せんざい能力のうりょく差異さいかかわるものである。こうした差異さいは、純粋じゅんすい背景はいけいてき手続てつづきてき正義せいぎのもとで進行しんこうちゅう社会しゃかい過程かていによって考慮こうりょれられる。このたね事例じれいでは、潜在せんざい能力のうりょくにおける市民しみん差異さいはかるいかなる尺度しゃくど必要ひつようではないし、また実行じっこう可能かのう尺度しゃくど可能かのうであるようにもおもわれない。
 だい種類しゅるい事例じれいは、病気びょうき事故じこのため市民しみんがしばらく、最小限さいしょうげん不可欠ふかけつなものを下回したまわってしまうような潜在せんざい能力のうりょく差異さいかかわる。ここでは、われわれは、基本きほんぜん(財)ざいだんほうじん指数しすうが、立法りっぽう段階だんかいで、△305 またれいのごとく期待きたいでもって、より具体ぐたいてき特定とくていされることになるという事実じじつをあてにする。これらの特徴とくちょうによって、基本きほんぜん(ざい)の指数しすうは、病気びょうき事故じこからしょうじる医療いりょうのニーズにおける差異さい対処たいしょできるほど柔軟じゅうなんであることが可能かのうになる。ここで重要じゅうようなのは、ぜん生涯しょうがいにわたってきょうはたらけする社会しゃかい構成こうせいいんとしての市民しみんという構想こうそうもちいることであり、これによって、ミニマムをえる潜在せんざいのうカや才能さいのうにおける差異さい無視むしすることが可能かのうになる。この構想こうそうは、病気びょうき事故じこによってひと最低さいてい限度げんど下回したまわってしまい、社会しゃかい自分じぶん役割やくわりたすことができない場合ばあいには、その潜在せんざい能力のうりょく回復かいふくさせたり、あるいは適切てきせつ仕方しかた補償ほしょうするように、われわれにめいじるのである。
 このかなり単純たんじゅんな――最低限さいていげん必要ひつようなものをえる差異さいとそれを下回したまわ差異さいという――ふたつの事例じれい区別くべつは、わたししんじるところ、民主みんしゅてき政体せいたいにおいてかさなりうコンセンサスの焦点しょうてんとなるなんらかの見込みこみのある、いかなる政治せいじてき構想こうそうにとっても決定的けっていてきであるような種類しゅるい実行じっこう可能かのう区別くべついちれいである。われわれの目標もくひょうは、諸々もろもろ困難こんなん回避かいひし、単純たんじゅん可能かのうなときは単純たんじゅんし、常識じょうしきとの接点せってん見失みうしなわないことである☆59。
 51.8
 これで、財産ざいさん私有しゆうがた民主みんしゅせい主要しゅようしょ制度せいどについての概観がいかんえる。そうした制度せいどには、つぎのようなほか重要じゅうようめもふくまれる。
 (a)政治せいじてきしょ自由じゆう公正こうせい価値かち確保かくほするための施策しさく。もっとも、こうした施策しさくくわしくはどんなものかは検討けんとうしていないが(だいよんせつ)。△306
 (b)さまざまな種類しゅるい教育きょういく訓練くんれんにおける機会きかい公正こうせい平等びょうどう実現じつげんするための、実行じっこう可能かのうかぎりでの施策しさく
 (c)すべてのひと供給きょうきゅうされる基礎きそてき水準すいじゅん医療いりょう保障ほしょう(だいいちせつ)。
 労働ろうどうしゃ管理かんりする協同きょうどう組合くみあいがた企業きぎょうというミルのかんがえは、そうした企業きぎょう国家こっかによって所有しょゆう支配しはいもされないのだから、財産ざいさん私有しゆうがた民主みんしゅせい完全かんぜん両立りょうりつできるということにも注意ちゅういされたい。つぎに、われわれとマルクスとの簡単かんたん比較ひかくをするなかで、このてんれることにしよう」

「☆59 わたしはもっと極端きょくたん事例じれい検討けんとうしていないけれども、このことは、そうした事例じれい重要じゅうようせい否定ひていするものではない。わたしは、いかに深刻しんこく障害しょうがいをもっていようと、すべての人間にんげんたいしてわれわれが義務ぎむをもつているということは自明じめいであり、常識じょうしきによってれられてもいるとかんがえている。問題もんだいは、こうした義務ぎむ基本きほんてき要求ようきゅう衝突しょうとつする場合ばあいのこうした義務ぎむおもみにかかわる。その場合ばあい、どこかでわれわれは、こうした事例じれいのための指針ししん提供ていきょうするように公正こうせいとしての正義せいぎ拡張かくちょうすることができるのかどうかを見極みきわめなければならず、また、もし拡張かくちょうできないのなら、公正こうせいとしての正義せいぎは、べつなんらかの構想こうそうによつて補完ほかんされるのでなく、むしろ拒絶きょぜつされなければならないのかどうかを見極みきわめなければならない。ここでこうした事柄ことがら考察こうさつするのは時機じき尚早しょうそうである。」([390])

書評しょひょう紹介しょうかい言及げんきゅう

立岩たていわ しん也 2018/09/01 無能力むのうりょくあつかい・1――連載れんさい・149」,『現代げんだい思想しそう』46-(2018-09):-

立岩たていわ しん也 2018 不如意ふにょい身体しんたい――やまい障害しょうがいとある社会しゃかい青土おうづちしゃ


UP: 20100726 REV:20180808
Rawls, John[ジョン・ロールズ]  ◇哲学てつがく政治せいじ哲学てつがく  ◇自由じゆう自由じゆう主義しゅぎ  ◇身体しんたい×世界せかい関連かんれん書籍しょせき  ◇BOOK
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