(Translated by https://www.hiragana.jp/ )
Ehrenreich, Barbara & English, Deirdre『魔女・産婆・看護婦――女性医療家の歴史[増補改訂版]』
『魔女 まじょ ・産婆 さんば ・看護 かんご 婦 ふ ――女性 じょせい 医療 いりょう 家 か の歴史 れきし [増補 ぞうほ 改訂 かいてい 版 ばん ]』
Ehrenreich, Barbara & English, Deirdre(長瀬 ながせ 久子 ひさこ 訳 やく ) 20150918 法政大学 ほうせいだいがく 出版 しゅっぱん 局 きょく ,225p.
last update: 20191101
■内容 ないよう
◆出版 しゅっぱん 社 しゃ (法政大学 ほうせいだいがく 出版 しゅっぱん 局 きょく )の書籍 しょせき 紹介 しょうかい ページ
http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-35231-7.html
“豊 ゆた かな知恵 ちえ と経験 けいけん で身近 みぢか な人々 ひとびと を治療 ちりょう していた女 おんな たちを、資格 しかく や免許 めんきょ がないという理由 りゆう で迫害 はくがい し、排除 はいじょ し、閉 と じ込 こ めてきた歴史 れきし を明 あき らかにする。1970年代 ねんだい にアメリカでパンフレットとして出版 しゅっぱん され、フェミニズムの古典 こてん となった「魔女 まじょ ・産婆 さんば ・看護 かんご 婦 ふ 」と「女 おんな のやまい」を収 おさ めた初版 しょはん に、その後 ご の社会 しゃかい の変化 へんか を詳 くわ しく解説 かいせつ した序文 じょぶん を加 くわ え、訳文 やくぶん も全面 ぜんめん 的 てき に改 あらた めた。”
● → 日本語 にほんご 版 ばん 初版 しょはん (1996/02/15)
■目次 もくじ
I 魔女 まじょ ・産婆 さんば ・看護 かんご 婦 ふ ──女性 じょせい 医療 いりょう 家 か の歴史 れきし
序文 じょぶん
第 だい 二 に 版 はん への序文 じょぶん これまでの話 はなし
中世 ちゅうせい の魔術 まじゅつ と医学 いがく
魔女 まじょ 狩 か り/魔女 まじょ の犯罪 はんざい /医療 いりょう 家 か としての魔女 まじょ /ヨーロッパの医療 いりょう 専門 せんもん 家 か の出現 しゅつげん /女性 じょせい 医療 いりょう 家 か の弾圧 だんあつ /その後 ご
アメリカの医療 いりょう 専門 せんもん 家 か の興隆 こうりゅう と女性 じょせい
医師 いし の登場 とうじょう /公衆 こうしゅう 衛生 えいせい 運動 うんどう /攻勢 こうせい に出 で る医師 いし /専門 せんもん 家 か の勝利 しょうり /産婆 さんば の追放 ついほう /ランプを手 て にした婦人 ふじん /医師 いし が看護 かんご 婦 ふ を必要 ひつよう とする
結論 けつろん
II 女 おんな のやまい──性 せい の政治 せいじ 学 がく と病気 びょうき
序文 じょぶん 医学 いがく の社会 しゃかい 的 てき 役割 やくわり ──その全体 ぜんたい 像 ぞう
第 だい 二 に 版 はん への序文 じょぶん (スーザン・ファルーディ)
一 いち 九 きゅう 世紀 せいき 末 まつ から二 に 〇世紀 せいき 初頭 しょとう の女性 じょせい と医学 いがく ──歴史 れきし 的 てき 背景 はいけい
上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう の「病気 びょうき 」の女性 じょせい
女 おんな は病弱 びょうじゃく 説 せつ の普及 ふきゅう /医師 いし と女性 じょせい の病気 びょうき との関係 かんけい /女性 じょせい の虚弱 きょじゃく さについての「科学 かがく 的 てき 」説明 せつめい /卵巣 らんそう 心理 しんり 学 がく /治療 ちりょう /病人 びょうにん の立場 たちば を利用 りよう する
「病原菌 びょうげんきん 」である労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう の女性 じょせい
階級 かいきゅう 的 てき 細菌 さいきん 戦争 せんそう /労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう の女性 じょせい の特別 とくべつ な危険 きけん 性 せい /売春 ばいしゅん 婦 ふ と性病 せいびょう /中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう の社会 しゃかい 運動 うんどう 、公衆 こうしゅう 衛生 えいせい /中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう の社会 しゃかい 運動 うんどう 、産児 さんじ 制限 せいげん /女性 じょせい が女性 じょせい を「向上 こうじょう 」させる
今日 きょう の状況 じょうきょう に関 かん する覚 おぼ え書 が き
今後 こんご ──結論 けつろん として
訳者 やくしゃ あとがき
参考 さんこう 文献 ぶんけん
■書評 しょひょう ・紹介 しょうかい
◇内田 うちだ 麻理 まり 香 が 20151101 「[書評 しょひょう ]『魔女 まじょ ・産婆 さんば ・看護 かんご 婦 ふ ――女性 じょせい 医療 いりょう 家 か の歴史 れきし 』」『毎日新聞 まいにちしんぶん 』東京 とうきょう 朝刊 ちょうかん 11頁 ぺーじ 《今週 こんしゅう の本棚 ほんだな 》
“前半 ぜんはん のヨーロッパの医療 いりょう 従事 じゅうじ 者 しゃ の魔女 まじょ 狩 か りと、後半 こうはん の米国 べいこく の女性 じょせい の「やまい」では、話題 わだい が急 きゅう 転換 てんかん するように思 おも えるだろう。しかし、当時 とうじ の権力 けんりょく と「医学 いがく 」らしきものが結託 けったく して、女性 じょせい を制限 せいげん していたことは共通 きょうつう している。”/“女性 じょせい を病 やまい にし、または病原菌 びょうげんきん にしたのは、当時 とうじ の権力 けんりょく と医学 いがく のイデオロギーであった。その軛 くびき (くびき)から自 みずか らを解放 かいほう したのは、女性 じょせい 自身 じしん だ。”
cf. 「毎日新聞 まいにちしんぶん 「今週 こんしゅう の本棚 ほんだな 」書評 しょひょう 掲載 けいさい 『魔女 まじょ ・産婆 さんば ・看護 かんご 婦 ふ ――女性 じょせい 医療 いりょう 家 か の歴史 れきし 』」 (2015-11-01/内田 うちだ 麻理 まり 香 が ブログ:KASOKEN satellite)
◇小林 こばやし 繁子 しげこ 20160206 「人々 ひとびと に怒 いか りと勇気 ゆうき を与 あた え女性 じょせい 運動 うんどう の黎明 れいめい 期 き を支 ささ えた本 ほん ――女性 じょせい たち自身 じしん の経験 けいけん と知識 ちしき から女性 じょせい の身体 しんたい ・セクシュアリティーを語 かた る」『図書 としょ 新聞 しんぶん 』3241(2016-02-06)
■引用 いんよう
女性 じょせい はいつでも治療 ちりょう を施 ほどこ す人 ひと であった。西欧 せいおう の歴史 れきし において女性 じょせい は免許 めんきょ をもたない医師 いし であり、解剖 かいぼう 学者 がくしゃ であった。女性 じょせい は中絶 ちゅうぜつ 医 い で、看護 かんご 婦 ふ で、カウンセラーであった。女性 じょせい は薬草 やくそう を栽培 さいばい し、使用 しよう 法 ほう の秘密 ひみつ を交換 こうかん する薬剤師 やくざいし であった。女性 じょせい は家 いえ から家 いえ 、村 むら から村 むら へと旅 たび する産婆 さんば であった。何 なに 世紀 せいき にもわたって女性 じょせい は、書物 しょもつ や講義 こうぎ から閉 し め出 だ され、互 たが いに学 まな びあい、隣人 りんじん から隣人 りんじん へ、母 はは から娘 むすめ へと経験 けいけん を伝承 でんしょう する学位 がくい なき医師 いし であった。民衆 みんしゅう からは「賢 かしこ い女 おんな 」と呼 よ ばれ、権威 けんい 筋 すじ からは魔女 まじょ 、贋 にせ 医者 いしゃ と呼 よ ばれた。医療 いりょう は私 わたし たち女性 じょせい の、女性 じょせい としての世襲 せしゅう 財産 ざいさん の一部 いちぶ 、女性 じょせい の歴史 れきし 、女性 じょせい の生得 しょうとく 権 けん である。┃(p.3「序文 じょぶん 」)
かつて女性 じょせい は自立 じりつ した医療 いりょう 家 か であった。△4/5▽女性 じょせい や貧民 ひんみん にとっては唯一 ゆいいつ の医者 いしゃ であることが多 おお かった。私 わたし たちが対象 たいしょう とした時代 じだい において、立証 りっしょう されていない学説 がくせつ や儀式 ぎしき のような治療 ちりょう 法 ほう に固執 こしつ したのはどちらかといえば男性 だんせい 専門医 せんもんい であった。より思 おも いやりのある、経験 けいけん に基 もと づいた治療 ちりょう をしたのは女性 じょせい の医療 いりょう 家 か であった。
今日 きょう の医療 いりょう 制度 せいど における女性 じょせい の地位 ちい は「自然 しぜん 」なものではない。その状況 じょうきょう は説明 せつめい を要 よう する。小 しょう 著 ちょ が投 な げかけた疑問 ぎもん は、女性 じょせい はかつての主導 しゅどう 的 てき 地位 ちい から、いかにして現在 げんざい の隷属 れいぞく 的 てき 地位 ちい にいたったのかということである。
これだけは分 わ かった。つまり、女性 じょせい 医療 いりょう 労働 ろうどう 者 しゃ の鎮圧 ちんあつ と、男性 だんせい 専門医 せんもんい による支配 しはい 権 けん の獲得 かくとく は、医学 いがく の変化 へんか の結果 けっか 自動的 じどうてき に起 お こった「自然 しぜん 」ななりゆきでもなければ、女性 じょせい には医療 いりょう の仕事 しごと を続 つづ ける力 ちから がなかったためでもなかった。男性 だんせい 専門医 せんもんい が【傍点 ぼうてん :奪 うば い取 と った】のである。男性 だんせい は科学 かがく の力 ちから で勝 か ったのではない。決定 けってい 戦 せん は近代 きんだい 科学 かがく 技術 ぎじゅつ が発展 はってん するよりずっと前 まえ に行 おこ なわれたのである。┃(pp.4-5「序文 じょぶん 」)
『魔女 まじょ ・産婆 さんば ・看護 かんご 婦 ふ 』(以下 いか 『魔女 まじょ 』)は、合衆国 がっしゅうこく の第 だい 二 に 波 は フェミニズムが生 う んだ記録 きろく である。[…]一 いち 九 きゅう 七 なな 〇年代 ねんだい 初頭 しょとう までには、フェミニストたちは、医療 いりょう 制度 せいど が女 おんな を虐 しいた げ、不当 ふとう に扱 あつか ういろいろなやり方 かた に気 き づき始 はじ めていた。┃(p.7「第 だい 二 に 版 はん への序文 じょぶん これまでの話 はなし 」)
女 おんな はいつの時代 じだい でも、いかなる状況 じょうきょう のもとでも、これほどまでに無力 むりょく だったわけではないのではないか、と私 わたし たちは気 き づき始 はじ めていた。何 なに といっても、医療 いりょう 技術 ぎじゅつ も、それを独占 どくせん する医療 いりょう 専門 せんもん 職 しょく も、比較的 ひかくてき △8/9▽最近 さいきん 発達 はったつ したのに、私 わたし たちの祖先 そせん の女 おんな たちは、不十分 ふじゅうぶん とはいえ、女 おんな のライフサイクルという難題 なんだい を何 なん とか切 き り抜 ぬ けてきたのだ。┃(pp.8-9「第 だい 二 に 版 はん への序文 じょぶん これまでの話 はなし 」)
研究 けんきゅう 結果 けっか を、廉価 れんか で手 て に入 はい りやすく、ちょうど私 わたし たちがオールド・ウェストベリー校 こう で教 おし えていた学生 がくせい のような種類 しゅるい の女性 じょせい に手 て を〔ママ〕とってもらえるような形 かたち で出版 しゅっぱん したかった。だから本 ほん でも雑誌 ざっし 論文 ろんぶん でもなかった。今 いま 考 かんが えると少 すこ し突飛 とっぴ だが、私 わたし たちの結論 けつろん は、研究 けんきゅう 結果 けっか をパンフレットにして自費 じひ 出版 しゅっぱん するというものだった。そうすれば、挿絵 さしえ の選択 せんたく も含 ふく めて内容 ないよう を自分 じぶん で管理 かんり できたし、手 て から手 て へ広 ひろ め△10/11▽ていきやすい廉価 れんか な製品 せいひん ができた。私 わたし たちは、この自前 じまえ の小 ちい さな自費 じひ 出版 しゅっぱん 社 しゃ を硝子 がらす 山 やま 小 しょう 冊子 さっし 社 しゃ 【ルビ:グラス・マウンテン・パンフレット】と名付 なづ けた。┃(pp.10-11「第 だい 二 に 版 はん への序文 じょぶん これまでの話 はなし 」)
魔女 まじょ 治療 ちりょう 家 か の治療 ちりょう 法 ほう は、その効能 こうのう と同 どう 程度 ていど に(プロテスタントにはそうでもなかったとしてもカトリック教会 きょうかい には)脅威 きょうい だった。なぜなら、魔女 まじょ は経験 けいけん 主義 しゅぎ 者 しゃ だったからである。魔女 まじょ は信仰 しんこう や教義 きょうぎ よりは△33/34▽自分 じぶん の感覚 かんかく を頼 たよ りにし、試行錯誤 しこうさくご 、因果 いんが 関係 かんけい を信 しん じた。魔女 まじょ は信心 しんじん 深 ふか く受 う け身 み ではなく、行動 こうどう 的 てき で探求 たんきゅう 心 しん 旺盛 おうせい だった。魔女 まじょ は病気 びょうき や妊娠 にんしん や出産 しゅっさん の対処 たいしょ 法 ほう を探 さが す時 とき (投薬 とうやく だろうが呪文 じゅもん だろうが)自分 じぶん の能力 のうりょく を信 しん じた。要 よう するに、魔術 まじゅつ はその時代 じだい の科学 かがく だったのである。┃(pp.33-34「医療 いりょう 家 か としての魔女 まじょ 」)
女性 じょせい に専門 せんもん 職 しょく の門戸 もんこ を開放 かいほう しようという、初期 しょき の女性 じょせい 運動 うんどう の努力 どりょく は忘 わす れられた。なぜつまらない男 おとこ の仕事 しごと をするために母性 ぼせい を捨 す てるのかというわけだった。専門 せんもん 意識 いしき とは本質 ほんしつ 的 てき に性 せい 差別 さべつ 的 てき でエリート主義 しゅぎ であるという非難 ひなん も、無論 むろん 影 かげ をひそめてしまった。代 か わりに女性 じょせい に生 う まれつき備 そな わる機能 きのう を職業 しょくぎょう 化 か し始 はじ めた。家事 かじ は美化 びか されて「家政学 かせいがく 」という新 あたら しい学科 がっか になった。母 はは であることは看護 かんご や教育 きょういく と同 おな じような準備 じゅんび と技能 ぎのう を要 よう する天職 てんしょく として期待 きたい されたのである。△68/69▽
このように一部 いちぶ の女性 じょせい が女性 じょせい の家庭 かてい 内 ない 役割 やくわり を職業 しょくぎょう 化 か する一方 いっぽう で、別 べつ の女性 じょせい たちが看護 かんご や教育 きょういく 、後 のち には福祉 ふくし などの職業 しょくぎょう 的 てき 役割 やくわり を「家庭 かてい 内 ない 化 か 」していた。女 おんな らしい活力 かつりょく を家庭 かてい の外 そと で示 しめ したい女性 じょせい に対 たい して、こうした職業 しょくぎょう は女性 じょせい の「生来 せいらい の」家庭 かてい 内 ない 役割 やくわり の単 たん なる延長 えんちょう として提示 ていじ された。逆 ぎゃく に、家庭 かてい にとどまる女性 じょせい には、自分 じぶん を家族 かぞく 限定 げんてい の看護 かんご 婦 ふ であり教師 きょうし でありカウンセラーと見 み なすよう奨励 しょうれい された。こうして一 いち 八 はち 〇〇年代 ねんだい 末期 まっき の中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう フェミニストは性 せい 差別 さべつ の矛盾 むじゅん をいくらか目立 めだ たぬものにしてしまったのである。┃(pp.68-69「ランプを手 て にした婦人 ふじん 」)
私 わたし たちが小 しょう 著 ちょ を書 か く動機 どうき となったのは、女性 じょせい として、医療 いりょう を受 う ける者 もの として、女性 じょせい の健康 けんこう 運動 うんどう に携 たずさ わる者 もの としての経験 けいけん である。執筆 しっぴつ にあたっては、私 わたし たちは自分 じぶん の経験 けいけん (と怒 いか り)を超 こ えて、医学 いがく の性 せい 差別 さべつ が、すべての女性 じょせい の選択肢 せんたくし を決定 けってい し、その社会 しゃかい 的 てき 役割 やくわり を形成 けいせい する一助 いちじょ となった【傍点 ぼうてん :社会 しゃかい 的 てき 勢力 せいりょく 】であることを理解 りかい しようとした。┃(p.82「序文 じょぶん 医学 いがく の社会 しゃかい 的 てき 役割 やくわり ――その全体 ぜんたい 像 ぞう 」)
女性 じょせい がただおとなしく、医学 いがく の恐怖 きょうふ 支配 しはい の犠牲 ぎせい 者 しゃ となっていたと考 かんが えるのは誤 あやま りである。ある意味 いみ で、女性 じょせい は病人 びょうにん の立場 たちば を自分 じぶん たちの都合 つごう のよいように利用 りよう できた。特 とく に産児 さんじ 制限 せいげん のために利用 りよう した。┃(p.141「病人 びょうにん の立場 たちば を利用 りよう する」)
公衆 こうしゅう 衛生 えいせい に進 すす んだのは、女性 じょせい の医師 いし が圧倒的 あっとうてき に多 おお かった(公衆 こうしゅう 衛生 えいせい に進 すす む方 ほう が開業 かいぎょう より女性 じょせい にとって簡単 かんたん だったためもある)。草 くさ の根 ね レベルでは、公衆 こうしゅう 衛生 えいせい は禁酒 きんしゅ 運動 うんどう と参政 さんせい 権 けん 運動 うんどう に密接 みっせつ に関連 かんれん する(中流 ちゅうりゅう 上層 じょうそう 階級 かいきゅう の)女性 じょせい 運動 うんどう そのものだった。┃(p.184「中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう の社会 しゃかい 運動 うんどう 、公衆 こうしゅう 衛生 えいせい 」)
〔マーガレット・〕サンガーが孤軍 こぐん 奮闘 ふんとう するうち運動 うんどう は成熟 せいじゅく し、多 おお くの中流 ちゅうりゅう 上層 じょうそう 階級 かいきゅう や上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう の女性 じょせい の支持 しじ を得 え ると、それは中流 ちゅうりゅう 上層 じょうそう 階級 かいきゅう の利己 りこ 心 しん に大 おお いに受 う けるようになった。一 いち 九 きゅう 一 いち 〇年代 ねんだい 末 まつ に、サンガーは、世界 せかい のあらゆる問題 もんだい ――戦争 せんそう 、貧困 ひんこん 、売春 ばいしゅん 、飢餓 きが 、精神 せいしん 薄弱 はくじゃく ――は人口 じんこう 過剰 かじょう のせいであるとしていた。そして人口 じんこう 過剰 かじょう の責任 せきにん は女性 じょせい にあるとはっきりと非難 ひなん した。┃(p.184「中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう の社会 しゃかい 運動 うんどう 、公衆 こうしゅう 衛生 えいせい 」)
公衆 こうしゅう 衛生 えいせい 運動 うんどう は、細菌 さいきん まみれの貧民窟 ひんみんくつ の住人 じゅうにん 全員 ぜんいん を隔離 かくり することはできなかった。産児 さんじ 制限 せいげん 運動 うんどう は人種 じんしゅ 「浄化 じょうか 」の目的 もくてき を達成 たっせい するにはほど遠 とお かった。実 み のところ、公衆 こうしゅう 衛生 えいせい によって富裕 ふゆう 層 そう だけでなく貧困 ひんこん 層 そう にとっても都市 とし は住 す みよくなり、産児 さんじ 制限 せいげん の最大 さいだい の影響 えいきょう を受 う けたのは皮肉 ひにく にも中 なか 上級 じょうきゅう 階級 かいきゅう の人口 じんこう だった。現代 げんだい の女性 じょせい が、動機 どうき はともあれ、このふたつの運動 うんどう に携 たずさ わった多数 たすう の女性 じょせい に多 おお くを負 お っていることは確 たし かである。悲 かな しむべきは、改革 かいかく 運動 うんどう が女性 じょせい を階級 かいきゅう でさらに隔 へだ てたことである。その一方 いっぽう の側 がわ には改革 かいかく 者 しゃ (中産 ちゅうさん 階級 かいきゅう や中流 ちゅうりゅう 上層 じょうそう 階級 かいきゅう の女性 じょせい )、もう一方 いっぽう の側 がわ に改革 かいかく の対象 たいしょう (労働 ろうどう 者 しゃ 階級 かいきゅう の女性 じょせい )がいたのである。┃(p.188「女性 じょせい が女性 じょせい を「向上 こうじょう 」させる」)
異 こと なる階級 かいきゅう の女性 じょせい を団結 だんけつ させられたかもしれない女性 じょせい や家族 かぞく の健康 けんこう という問題 もんだい は、こうして女性 じょせい を改革 かいかく 者 しゃ の側 がわ と「お荷物 にもつ 」の側 がわ に分断 ぶんだん してしまった。中流 ちゅうりゅう 上層 じょうそう 階級 かいきゅう の女性 じょせい は、自分 じぶん を閉 と じこめ、貧 まず しい女性 じょせい は拒絶 きょぜつ した医療 いりょう 専門 せんもん 家 か に背 せ を向 む けはしなかった。すべての女性 じょせい の健康 けんこう と健康 けんこう 管理 かんり を目的 もくてき とした単一 たんいつ 基準 きじゅん を求 もと めて運動 うんどう を組織 そしき するために、貧 まず しい女性 じょせい と手 て を組 く もうとはしなかった。公衆 こうしゅう 衛生 えいせい 運動 うんどう と産児 さんじ 制限 せいげん 運動 うんどう では、貧困 ひんこん 層 そう の脅威 きょうい に対抗 たいこう して【傍点 ぼうてん :医師 いし 】と手 て を組 く んだのである。┃(p.192「女性 じょせい が女性 じょせい を「向上 こうじょう 」させる」)
医療 いりょう 制度 せいど は単 たん なるサーヴィス産業 さんぎょう ではない。それは社会 しゃかい 統制 とうせい の強力 きょうりょく な道具 どうぐ であり、性 せい 差別 さべつ 的 てき イデオロギーの主 おも な発信 はっしん 源 げん として、性 せい 役割 やくわり の強制 きょうせい 者 しゃ として、既成 きせい 宗教 しゅうきょう にとって代 か わったのである。┃(p.205「今後 こんご ――結論 けつろん として」)
私 わたし たちはフェミニストとして、性 せい 差別 さべつ 的 てき イデオロギーの発信 はっしん 源 げん である医療 いりょう 制度 せいど に断固 だんこ 反対 はんたい する。同時 どうじ に私 わたし たちは、望 のぞ まない妊娠 にんしん や長期 ちょうき 的 てき な身体 しんたい 障害 しょうがい からの解放 かいほう など、最 もっと も根本 こんぽん 的 てき な女性 じょせい の解放 かいほう については、△205/206▽完全 かんぜん に医療 いりょう 【傍点 ぼうてん :技術 ぎじゅつ 】に依存 いぞん している。[…]
女性 じょせい が身体 しんたい 的 てき には完全 かんぜん に依存 いぞん しているために、医療 いりょう 技術 ぎじゅつ はますます性 せい 差別 さべつ 的 てき イデオロギーの発信 はっしん 源 げん として強力 きょうりょく になる。医師 いし はいわば、女性 じょせい の卵巣 らんそう を掌握 しょうあく している。┃(pp.205-206「今後 こんご ――結論 けつろん として」)
自助 じじょ は、女性 じょせい に必要 ひつよう だとだれかが思 おも っていることでなく、女性 じょせい 自身 じしん が必要 ひつよう としていることを求 もと めるための備 そな えとなる。医療 いりょう の可能 かのう 性 せい に関 かん する展望 てんぼう 、ニーズを満 み たすために尊厳 そんげん を犠牲 ぎせい にする必要 ひつよう のない制度 せいど を示 しめ してくれる。
自助 じじょ は、既存 きそん の制度 せいど の改革 かいかく を求 もと めて医療 いりょう 制度 せいど と闘 たたか う代替 だいたい 案 あん ではない。自助 じじょ 、もっと一般 いっぱん 的 てき にいえば自覚 じかく は、この闘 たたか いにとって不可欠 ふかけつ なのである。
女性 じょせい にとって医療 いりょう は、階級 かいきゅう や人種 じんしゅ の壁 かべ を越 こ えられるかもしれない問題 もんだい である。┃(p.208「今後 こんご ――結論 けつろん として」)
問題 もんだい は、女性 じょせい が何 なに を言 い おうと、女性 じょせい に不利 ふり なように利用 りよう されかねず、実際 じっさい に利用 りよう されていることである。月経 げっけい が痛 いた くてつらいとでも言 い えば、女性 じょせい は集中 しゅうちゅう 力 りょく や責任 せきにん を伴 ともな う職業 しょくぎょう から勝手 かって に締 し め出 だ されてしまうだろう。そんなものは気 き にならない、男性 だんせい と同 おな じようにいつも健康 けんこう だなどといえば、[…]同 おな じだけ長時間 ちょうじかん 働 はたら くことを要求 ようきゅう されるだろう。┃(p.212「今後 こんご ――結論 けつろん として」)
女性 じょせい の体 からだ には「正解 せいかい 」はない。「女性 じょせい の本性 ほんしょう 」とは本当 ほんとう は何 なに なのか理解 りかい する方法 ほうほう がないように、性 せい 差別 さべつ 的 てき 社会 しゃかい での、女性 じょせい の「本当 ほんとう 」のニーズ、「本当 ほんとう 」の強 つよ さや弱 よわ さを断定 だんてい する方法 ほうほう はない。女性 じょせい が唯一 ゆいいつ もっている自己 じこ イメージは、抑圧 よくあつ 的 てき な社会 しゃかい が割 わ りあてたイメージだというのに、どうして「自分 じぶん を知 し る」ことなどできようか?
女性 じょせい がいかなる「下位 かい 文化 ぶんか 」をつくりだそうとするにせよ、そのなかで女性 じょせい が自分 じぶん 自身 じしん の体 からだ を受 う け入 い れることは不可能 ふかのう である。結局 けっきょく は【傍点 ぼうてん :体 からだ 】の問題 もんだい でも、生物 せいぶつ 学 がく の問題 もんだい でもなく、あらゆる点 てん で女性 じょせい に影響 えいきょう を及 およ ぼす権力 けんりょく の問題 もんだい なのだから。┃(p.212「今後 こんご ――結論 けつろん として」)
女性 じょせい の身体 しんたい や健康上 けんこうじょう 必要 ひつよう なことについて、これ以上 いじょう 確 たし かな情報 じょうほう はいらないと言 い っているのではない。女性 じょせい に特有 とくゆう な職業病 しょくぎょうびょう 、月経 げっけい や妊娠 にんしん に実際 じっさい にともなう感情 かんじょう の傾向 けいこう 、種々 しゅじゅ な避妊 ひにん 法 ほう の潜在 せんざい 的 てき 危険 きけん 性 せい 、医療 いりょう に無視 むし されたり歪 ゆが められたその他 た の多 おお くの分野 ぶんや について、私 わたし たちはもっと知 し らなければならない。しかし、自分 じぶん の身体 しんたい についてもっと知 し ろうとする際 さい は、女性 じょせい を抑圧 よくあつ しているのは生物 せいぶつ 学 がく 的 てき な要素 ようそ ではなく、性 せい と△212/214▽階級 かいきゅう 支配 しはい に基 もと づく社会 しゃかい 制度 せいど だという事実 じじつ を見失 みうしな ってはならない。┃(pp.212-214「今後 こんご ――結論 けつろん として」)
最後 さいご に、本書 ほんしょ で用 もち いた「産婆 さんば 」、「看護 かんご 婦 ふ 」という訳語 やくご について、お断 ことわ りしておきたい。どちらも現在 げんざい ではポリティカル・コレクトネスの考 かんが え方 かた から、「助産 じょさん 師 し 」、「看護 かんご 師 し 」を使 つか うことになっている。「産婆 さんば 」は今 いま では差別 さべつ 語 ご に近 ちか いかもしれない。しかし、これらの新 あたら しい用語 ようご は、少 すく なくとも訳者 やくしゃ には、どこか役所 やくしょ 指導 しどう で近年 きんねん になって人為 じんい 的 てき に作 つく られた言葉 ことば という印象 いんしょう があって(実際 じっさい には、そうではないかもし△218/219▽れないが)使 つか いたくなかった。控 ひか え目 め にいっても、なじみの薄 うす い言葉 ことば なことは確 たし かで、原文 げんぶん のmidwifeやnurseという、イギリスの中世 ちゅうせい 以来 いらい ずっと庶民 しょみん に使 つか われてきた言葉 ことば の訳語 やくご としては、適当 てきとう でないように思 おも われた([…])。特 とく に、本書 ほんしょ の趣旨 しゅし が、いわば「近代 きんだい 社会 しゃかい の体制 たいせい 側 がわ 」と「古 ふる い、草 くさ の根 ね の産婆 さんば ・看護 かんご 婦 ふ 」の対立 たいりつ 構造 こうぞう にあるので、よけいに、新 あたら しい言葉 ことば や、(訳者 やくしゃ には)役所 やくしょ 風 ふう の印象 いんしょう のある言葉 ことば は、ふさわしくないように思 おも われた。「産婆 さんば 」や「看護 かんご 婦 ふ 」も、明治 めいじ 時代 じだい にその関係 かんけい の法律 ほうりつ ができた時 とき に、それこそ役所 やくしょ 指導 しどう で作 つく られた言葉 ことば ではあるようだが(看護 かんご 婦 ふ という職業 しょくぎょう はその頃 ころ にできたもので、産婆 さんば はそれ以前 いぜん には、とりあげ婆 ばば などと呼 よ んだのだろう)、何 なに といっても一 いち 二 に 〇年 ねん 以上 いじょう 日本 にっぽん の庶民 しょみん の口 くち になじんだ言葉 ことば で、現在 げんざい の医療 いりょう 専門 せんもん 職 しょく の方々 かたがた がどう感 かん じられるかはわからないが、訳者 やくしゃ には、こちらのほうがふさわしい訳語 やくご に思 おも われた。┃(pp.218-219「訳者 やくしゃ あとがき」)
■関係 かんけい する文献 ぶんけん のファイル
◆Federici, Silvia, 2004, Caliban and the Witch: Women, the Body and Primitive , Autonomedia.=シルヴィア・フェデリーチ 20170201 小田原 おだわら 琳・後藤 ごとう あゆみ訳 やく 『キャリバンと魔女 まじょ ――資本 しほん 主義 しゅぎ に抗 こう する女性 じょせい の身体 しんたい 』 ,以文社 しゃ ,528p. ISBN-10: 4753103374 ISBN-13: 978-4753103379 4600+ [amazon] /[kinokuniya]
■言及 げんきゅう
◆滋賀県立大学 しがけんりつだいがく 人間 にんげん 文化 ぶんか 学部 がくぶ 2019年度 ねんど 前期 ぜんき 科目 かもく 《家族 かぞく 論 ろん 》
「産 う むこと、“母 はは [はは]する”ことをつかみ直 なお す――資本 しほん 主義 しゅぎ と性 せい /愛 あい /家族 かぞく 、その先 さき の地平 ちへい 」 (
担当 たんとう :
村上 むらかみ 潔 きよし )
["Re-grasping the Birthing and 'Mothering': Capitalism and Sex/Love/Family, and the Horizon Beyond Them" as a Class of "Theories of Family" (The First Semester of the 2019 Academic Year) at School of Human Cultures, The University of Shiga Prefecture.]
◆立命館大学 りつめいかんだいがく 産業 さんぎょう 社会学部 しゃかいがくぶ 2019年度 ねんど 秋 あき 学期 がっき 科目 かもく 《比較 ひかく 家族 かぞく 論 ろん (S)》
「マザリング[Mothering]の現在 げんざい ――をめぐる議論 ぎろん と実践 じっせん の動向 どうこう 」 (
担当 たんとう :
村上 むらかみ 潔 きよし )
["The Present of 'Mothering': The Trend of Arguments and Practices about It" as a Class of "Comparative Analysis of the Family (S)" (The Second Semester of the 2019 Academic Year) at College of Social Sciences, Ritsumeikan University.]
◆中村 なかむら 佑子 ゆうこ 20191106 「私 わたし たちはここにいる――現代 げんだい の母 はは なる場所 ばしょ [第 だい 11回 かい ]」 『すばる』41-12(2019-12): 272-293
*作成 さくせい :村上 むらかみ 潔 きよし (MURAKAMI Kiyoshi )