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【2018年度】立命館大学産業社会学部「質的調査論(SA)」(担当:村上潔)
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【2018年度ねんど立命館大学りつめいかんだいがく産業さんぎょう社会学部しゃかいがくぶ質的しつてき調査ちょうさろん(SA)」

"Qualitative Research Methods (SA)" [The First Semester of the 2018 Academic Year]
at College of Social Sciences, Ritsumeikan University.


授業じゅぎょう期間きかん[Class Term]:2018/04/11 - 2018/07/18(ぜん15かい[Total 15 lectures])
担当たんとう教員きょういん[Lecturer]:村上むらかみ きよしMURAKAMI Kiyoshi

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last update: 20180725


【Index】
授業じゅぎょう日程にってい ■授業じゅぎょう概要がいよう方法ほうほう ■受講じゅこうせい到達とうたつ目標もくひょう ■講義こうぎ内容ないよう ●だい1かい ●だい2かい ●だい3かい ●だい4かい ●だい5かい ●だい6かい ●だい7かい ●だい8かい ●だい9かい ●だい10かい ●だい11かい ●だい12かい ●だい13かい ●だい14かい ●だい15かい ■参考さんこう ●対象たいしょう候補こうほとした(がげられなかった)もの ●関連かんれんする情報じょうほう

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授業じゅぎょう日程にってい

@2018ねん4がつ11にち A4がつ18にち B4がつ25にち C5がつ2にち D5がつ9にち E5がつ16にち F5がつ23にち G5がつ30にち H6がつ6にち I6がつ13にち J6がつ20日はつか休講きゅうこう地震じしん影響えいきょう)】→6月27にち K7がつ4にち L7がつ11にち M7がつ18にち N7がつ21にち統一とういつ補講ほこう期間きかん

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授業じゅぎょう概要がいよう方法ほうほう

この授業じゅぎょうは、2017年度ねんど産業さんぎょう社会学部しゃかいがくぶ質的しつてき調査ちょうさろん(SB)」(http://www.arsvi.com/d/2017qasmk.htm)を継承けいしょうする性格せいかく授業じゅぎょうとして位置いちづけられるものである。
はしてきって、この授業じゅぎょうでは、「質的しつてき調査ちょうさ社会しゃかい調査ちょうさ自体じたい相対そうたいする視座しざ」を獲得かくとくすることを目標もくひょうとする。質的しつてき調査ちょうさ社会しゃかい調査ちょうさ)そのものを自明じめいすることなく、その本質ほんしつてき方法ほうほうろんてき限界げんかい確認かくにんし、それをおぎなうアプローチのありかた、よりドラスティックに/内在ないざいてき対象たいしょうせま思想しそうてき倫理りんりてき運動うんどうてき位置いちについて検討けんとうし、理解りかいふかめる。
@質的しつてき調査ちょうさ社会しゃかい調査ちょうさ)とはいかなるものかを確認かくにんしたうえで、A近年きんねん意欲いよくてき研究けんきゅう成果せいか提言ていげん、B古典こてんてき作品さくひんがいまなお担保たんぽつづける意義いぎいていく。フィクション/ノンフィクション・ドキュメンタリー・記録きろく文学ぶんがく民俗みんぞく自然しぜん文化ぶんか・きき・生活せいかつ記録きろく、といったキーワードにも適宜てきぎ(クリティカルな観点かんてんから)言及げんきゅうしていく。

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受講じゅこうせい到達とうたつ目標もくひょう

@質的しつてき調査ちょうさ社会しゃかい調査ちょうさ)そのものの性質せいしつ的確てきかく理解りかいする。
A質的しつてき調査ちょうさ社会しゃかい調査ちょうさ)が内包ないほうし、かつ実際じっさい表面ひょうめんする「問題もんだい」について、的確てきかく理解りかいする。
B質的しつてき調査ちょうさ社会しゃかい調査ちょうさ)を根本こんぽんてきちからをもつ古典こてんてき作品さくひんについてり、その意義いぎ理解りかいする。
C質的しつてき調査ちょうさ社会しゃかい調査ちょうさ)の研究けんきゅう成果せいかというわくえる影響えいきょうりょくをもつ近年きんねん成果せいか把握はあくし、その意義いぎ理解りかいする。
D以上いじょう過程かていとおして、質的しつてき調査ちょうさ社会しゃかい調査ちょうさ)のありかた自体じたい批判ひはんてき検証けんしょうし、そのうえでみずからの調査ちょうさプランを明確めいかくにしていく視座しざ獲得かくとくする。


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講義こうぎ内容ないよう

だい1かい:「授業じゅぎょうすすめかたについて/イントロダクション」[2018/04/11]

担当たんとう教員きょういん紹介しょうかい
◇シラバス変更へんこうについて
評価ひょうかのつけかたについて
受講じゅこうにあたって留意りゅういすること
◇この授業じゅぎょうあつかうこと/あつかわないこと
◇2017年度ねんど質的しつてき調査ちょうさろん(SB)」のかえ
━━━
◇Attitude/Spirit/Standpoint
歴史れきしせいどう時代じだいせい
◇[あるく]=[さがす/調しらべる]=[む]

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だい2かい:「なぜいま質的しつてき調査ちょうさなのか(1)」[2018/04/18]

鈴木すずき英生ひでお 2017/09/23 「[トレンド観測かんそく]Theme:「関西かんさい社会しゃかい学者がくしゃ著作ちょさく続々ぞくぞく――マイノリティの現場げんばふかく」毎日新聞まいにちしんぶん東京とうきょう朝刊ちょうかん
社会しゃかいがく来歴らいれき動向どうこう
社会しゃかい学者がくしゃ質的しつてき調査ちょうさ
相対そうたい・イメージの言説げんせつゲーム(ポストモダン・だつ構築こうちく
  ×
実質じっしつてき本質ほんしつてき実直じっちょく調査ちょうさへの志向しこう
◇「中央ちゅうおう」との距離きょり
━━━
▼【2017年度ねんど立命館大学りつめいかんだいがく産業さんぎょう社会学部しゃかいがくぶ質的しつてき調査ちょうさろん(SB)」
だい5かい最新さいしん研究けんきゅう成果せいか(1):渡辺わたなべ拓也たくや飯場はんばへ――らしと仕事しごと記録きろくする』(らくきた出版しゅっぱん/2017)」[2017/10/24]
だい6かい最新さいしん研究けんきゅう成果せいか(2):ゆうその真代まさよハンセン病はんせんびょう療養りょうようしょきる――隔離かくりかべとりでに』(世界せかい思想しそうしゃ/2017)」[2017/10/31]
だい7かい最新さいしん研究けんきゅう成果せいか(3):上間うえま陽子ようこ裸足はだしげる――沖縄おきなわよるまち少女しょうじょたち』(太田出版おおたしゅっぱん/2017)」[2017/11/07]

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だい3かい:「なぜいま質的しつてき調査ちょうさなのか(2)」[2018/04/25]

村澤むらさわ真保まほりょ 2017/11/09 開催かいさい趣旨しゅしぶん(カルチュラル・タイフーン2018の開催かいさいのおらせ)」Association for Cultural Typhoon
社会しゃかいてき背景はいけい
貧困ひんこん格差かくさ差別さべつ
‐ グローバリゼーション/ネオリベラリズム
制度せいど組織そしき現場げんばまり
◇「御用ごよう学者がくしゃ」と社会しゃかい調査ちょうさ
権力けんりょくせい権力けんりょく非対称ひたいしょうせい
‐ 「体制たいせい」/「官僚かんりょうせい
忖度そんたく
業績ぎょうせき主義しゅぎ
産官学さんかんがく協同きょうどう/「きょうはたらけ
cf.「コンプラ」
◎こうした課題かだいを(調査ちょうさまえで/あとで/なかで/そとで)意識いしきてき問題もんだいすること
━━━
三枝さえぐさ三七子みなこ 2013 『よかたい先生せんせい――水俣みなまたから世界せかいつづけた医師いし 原田はらだ正純まさずみ学研がっけん教育きょういく出版しゅっぱん cf. 原田はらだ正純まさずみ水俣病みなまたびょう
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だい4かい:「なぜいま質的しつてき調査ちょうさなのか(3)」[2018/05/02]

中央ちゅうおう中心ちゅうしん)−周縁しゅうえん
‐ ヒエラルキー/権力けんりょくせい
搾取さくしゅ
◇「大学だいがく」の「研究けんきゅう」がはらむ「暴力ぼうりょくせい
‐ 「調査ちょうさ」ののもとに行使こうしされる「暴力ぼうりょく
国家こっかの「」を体現たいげん
連載れんさい帝国ていこくほね」(10):遺骨いこつ87たい返還へんかん尊厳そんげん無視むし <倫理りんり根源こんげん 京大きょうだい収集しゅうしゅう>」(『京都きょうと新聞しんぶん』2018ねん1がつ20日はつか掲載けいさい
「あなたの祖父そふ祖母そぼが、番号ばんごうけられ大学だいがく研究けんきゅう材料ざいりょうにされているところを想像そうぞうしてほしい、と北海道ほっかいどう出会であったアイヌのひとたちはいう。」
連載れんさい帝国ていこくほね」(11):遺骨いこつ返還へんかんふう京大きょうだい拒否きょひ <標本ひょうほんにされた「祖先そせん」>」(『京都きょうと新聞しんぶん』2018ねん1がつ21にち掲載けいさい
時代じだい多数たすうしゃがわ要請ようせいと、研究けんきゅう目的もくてきという「大義たいぎ」はあったのだろう。だがられた知識ちしき現地げんちひとかえさず、うばわれるがわいたみにまひすれば、どうなるだろう。」
連載れんさい帝国ていこくほね」(12):「「学問がくもんのため」帝国ていこく同化どうか <京大きょうだいった人骨じんこつ>」(『京都きょうと新聞しんぶん』2018ねん1がつ21にち掲載けいさい
学問がくもんのためなら、それでも収集しゅうしゅうしていいとかんがえていたなら、それは植民しょくみん主義しゅぎとの批判ひはんまぬかれない。」
━━━
ちいさな・めいもなきしゃ歴史れきし(× 大文字おおもじ歴史れきし
◆「文春ぶんしゅんオンライン」編集へんしゅう 2017/08/13 ちいさなこえひろあつめておかないと、単純たんじゅんな「歴史れきし物語ものがたり」にだまされてしまうから――音楽家おんがくか寺尾てらお紗穂さほが「戦争せんそう」を理由りゆう特集とくしゅう=「戦争せんそう」をく――「あのころ」をつづけるしん世代せだいたち)『文春ぶんしゅんオンライン』
◇アカデミズムの境界きょうかいせんえるスタイル
━━━
◇メディアの変容へんよう変質へんしつ
‐ ドキュメンタリー/ノンフィクション/ルポルタージュの縮小しゅくしょう
‐ 「ジャーナリズム」の威信いしん低下ていか
うん動体どうたい縮小しゅくしょう変質へんしつ
制度せいど(NPOなど)
‐ 「対抗たいこう抵抗ていこう闘争とうそう」から「共生きょうせいきょうはたらけ包摂ほうせつ」へ
当事とうじしゃわって研究けんきゅうしゃ過去かこ記録きろくする必要ひつようせい

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だい5かい:「無自覚むじかくてきな「正常せいじょう規範きはん」[2018/05/09]

◇ナショナリズム/オリエンタリズム/植民しょくみん主義しゅぎてき目線めせん
◇「国民こくみん」/「民族みんぞく」/「辺境へんきょう」/「ことかい
◇「特殊とくしゅせい」を抽出ちゅうしゅつする/あばきだす(国家こっかの)欲望よくぼう
統治とうち同化どうかくん序列じょれつ排除はいじょ
◇アカデミズム/ジャーナリズムによる批判ひはん加担かたん
◇マジョリティの「善意ぜんい」によって作動さどうする「暴力ぼうりょく
◇ネット社会しゃかい強化きょうかする単一たんいつ規範きはん
大野おおの光明こうめい 2018 「[リレーエッセイ:家族かぞくのかたち だい5かい]あたらしいひととのらし(2)――まだ世界せかいくちで」『Chio通信つうしん』05: 4-5
◆マリアム・タマリ 2018 「[パレスチナのあさ(134)]ハラジュク、ヒジャブ」『すばる』40-6(2018-06): 65

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だい6かい:「記録きろく記憶きおく――プラットフォームの喪失そうしつのなかで」[2018/05/16]

きん過去かこ現代げんだい
調査ちょうさをする/される/まとめる/さい前提ぜんていとなる「共通きょうつう認識にんしき
◇「共通きょうつう土壌どじょう」の無効むこう
 cf. 「教養きょうよう装置そうち」としてあった「渋谷しぶやけい
情報じょうほうメディアの分散ぶんさん淘汰とうた
出版しゅっぱんきょう新書しんしょブーム
◇ソースの遍在へんざい・フラット
評価ひょうかじく溶解ようかい
 ――「批評ひひょう」の不在ふざい
━━━
◇「見取みと
中村なかむら佑子ゆうこ Yuko Nakamura(@yukonakamura108)
「いまはいろんな時代じだいのいろんな思想しそうが、時代じだい背景はいけいなしにさい評価ひょうかされたり称揚しょうようされたりして、思考しこうながれがグチャグチャという感覚かんかくつよいです。それはおおきな地図ちずえが批評ひひょうてき言説げんせつが、iPhoneの手元てもと言葉ことばたちにうずもれ、たとえば『ぴあ』レベルでも俯瞰ふかんできる媒体ばいたいすくなさが主因しゅいんだとおもう。」
[2017ねん11月29にち11:41 https://twitter.com/yukonakamura108/status/935700117004283904]

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だい7かい:「記録きろく記憶きおく――ちかいがゆえにかれる「歴史れきし」」[2018/05/23]

◇「過去かこ」に「される(されてしまう/してしまう)」こと
富樫とかし貞夫さだお 2017 『〈水俣病みなまたびょう事件じけんの61ねん――解明かいめい現実げんじつすえて』つる書房しょぼう 高峰たかみねたけしへん 2018 『8のテーマで水俣病みなまたびょうつる書房しょぼう cf. 水俣病みなまたびょう
━━━
記録きろくすることへの意識いしき
 ……ちいさな歴史れきしかえりみられない過去かこ消去しょうきょされる痕跡こんせき
記憶きおく消滅しょうめつ――への危機ききかん
時代じだいせい
世代せだい断絶だんぜつ
かたることのできるひと/つなげるひと希少きしょうせい
微細びさいなニュアンス
きん過去かこ現代げんだいという「あな
山田やまだしん(ききて立岩たていわしん也) 2007/12/23 山田やまだしんく」
「〔立岩たていわ:〕この研究けんきゅうで、病気びょうき障害しょうがい関係かんけいする研究けんきゅうしたいっていうひと割合わりあいたくさんて、それ自体じたい歓迎かんげいなんですけれども、はなしたり、いたものをてるなかで、「あぁそっかこんなこともつたわってないんだな」とか「られてないんだ」っていうことにけっこう頻繁ひんぱんくわすんです。
 それが100ねんも200ねんむかしとおいどこかのことであれば、それもたりまえかなともおもうわけですけども、そうではなくて、このくにこった、30ねん、40ねん、20ねんまえ出来事できごとであったりしても、やっぱりらない。はしてきらない。られてないことっていっぱいあるんだなということはまえからおもってまして、よくおもうことなんですね。
 それでいいだろうかと。もちろん、人間にんげん記憶きおく容量ようりょうには限界げんかいがあるし、なかにあることみんなおぼえていられない。次々つぎつぎわすれてしまっていいこともたくさんあるにまってますけれども、そうとばかりもえないことも、やっぱりこの領域りょういきかんしては、この領域りょういきかんしても、あるだろうとおもうわけです。
 そういった意味いみで、まず非常ひじょうにべたな意味いみで、「このあいだなにがあったのかしら」ということを記録きろくにとどめておく仕事しごとがやっぱり必要ひつようなんじゃないかということを痛感つうかんというか実感じっかんする部分ぶぶんがある。日本にっぽんかぎらず、この社会しゃかいにおいてなにこって、それがいまにどういうかたちがれたり、断絶だんぜつしたりしているのか、そういうことがになる。それはそれとしてさえておきたい。ほっとけばなくなってしまう、うすれてしまう。それでぼつぼつとそんな仕事しごとはじめているわけです。」

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だい8かい:「「感情かんじょう」を記録きろくする――価値かちづけられない言葉ことばあつめ・のこすこと」[2018/05/30]

◇「公的こうてき」な言葉ことば(「社会しゃかいてき客観きゃっかんてき科学かがくてき」):かたられる・かれる→のこる・のこされる
◇「公的こうてき」とみなされない言葉ことば(「感覚かんかくてき感情かんじょうてき主観しゅかんてき」):かたない・かれない→のこさない・のこされない
◇「事実じじつ理屈りくつ」:記録きろくする価値かちがあるもの×「感情かんじょう感覚かんかく」:記録きろくする価値かちがない(とされる)もの
◇「感情かんじょう」にたいするセンシティヴィティ――調しらべるさいさいさいのリテラシー
言葉ことばにされない/されてこなかった感情かんじょう記録きろくする→共有きょうゆうする(時代じだい場所ばしょえて)
同一どういつせいではなく差異さい体現たいげんする言葉ことば――「パーソナル」な・「親密しんみつ」な感情かんじょう記憶きおく
━━━
田尻たじり久子ひさこ 2016 「被災ひさいとことば――熊本くまもとはつ文芸ぶんげい『アルテリ』のろくヵ月かげつ」『震災しんさいがく』9: 90-95→2018 「被災ひさいとことば」『ねこはしっぽでしゃべる』ナナロクしゃ: 70-77 ◇(いちくくりに)「被災ひさいしゃ」と「される」ことへの(表明ひょうめいされない)戸惑とまどい・
 cf. 「被害ひがいしゃ」・「差別さべつしゃ」・「障害しょうがいしゃ
かたることへの葛藤かっとう――かたれる状況じょうきょうにあること
はっしたい言葉ことばはっせられない言葉ことば・つぶやき
 cf. 記録きろくされることのない「ほっされる言葉ことば
日常にちじょうてきでありすぎて言葉ことばにされない気持きもち・ふるまい――をきとめる
言葉ことばを「社会しゃかい序列じょれつ」することなく、こぼれる言葉ことばひろあつめ・のこす。
━━━
中村なかむら佑子ゆうこ 2018 「わたしたちはここにいる――現代げんだいははなる場所ばしょ連載れんさいだいさんかい]」『すばる』40-6(2018-06): 272-289 女性じょせいせい母性ぼせい――感覚かんかくでしかとらないもの/当事とうじしゃ言葉ことばのこさないもの
うえそとからの同一どういつ(のちから)を拒否きょひしつつ(その外側そとがわにこぼれる)どおりそこかちえる言葉ことばさがし・あつめること
◇ジェンダー:[理屈りくつおとこ]×[感情かんじょうおんな]――価値かち序列じょれつ
当事とうじしゃせいえること――をどのように目指めざすのか
だれ言葉ことばを「あたえる」のか/言葉ことばをもたないひと言葉ことばだれくのか

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だい9かい:「言葉ことばにできないこと/言葉ことばをもたないひと・もの――を言葉ことばにする」[2018/06/06]

田尻たじり久子ひさこ 2018 「うつっていないもの」『ねこはしっぽでしゃべる』ナナロクしゃ: 98-107 言語げんご表現ひょうげんのもつ両義りょうぎせい
言葉ことばとらえることとの断絶だんぜつ接続せつぞく可能かのうせい
物質ぶっしつせい潜在せんざいするイメージ
記憶きおく感情かんじょうをとどめ/喚起かんきするちから
記録きろくであり表現ひょうげん
‐ 「む」がわ主体性しゅたいせい受動じゅどうせい
━━━
田尻たじり久子ひさこ 2018 「びたトタン」『ねこはしっぽでしゃべる』ナナロクしゃ: 134-141 個人こじんてき資質ししつ社会しゃかいてき意味いみ他者たしゃ記憶きおく
わっている感触かんしょくたいする認識にんしき――それ自体じたいく(ことの意義いぎ
━━━
田尻たじり久子ひさこ 2018 「ことば」『アルテリ』5→2018 『ねこはしっぽでしゃべる』ナナロクしゃ: 142-153 ◇ききとる・むという行為こういそのものを自己じこ対象たいしょうする
暴力ぼうりょく傲慢ごうまん搾取さくしゅ×矛盾むじゅん葛藤かっとう
表象ひょうしょう不可能ふかのうせい
環境かんきょう生物せいぶつ気配けはいふうおと空気くうき
文字もじ言語げんご文化ぶんか風習ふうしゅう祭祀さいしおどり)
整合せいごうせいのない感情かんじょう
‐ ききて調査ちょうさしゃ)がないおもさの言葉ことば
表象ひょうしょう代行だいこう
言葉ことばを「うばわれた」存在そんざい
「サバルタン」
 cf. ポストコロニアル/ポストコロニアリズム
‐ (研究けんきゅうしゃによる)てき文化ぶんか収奪しゅうだつ
修正しゅうせい主義しゅぎ
代弁だいべん
石牟礼いしむれ道子みちこ
‐ 「もだしん

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だい10かい:「言葉ことば集積しゅうせきする/集積しゅうせきされた言葉ことばさがす」[2018/06/13]

◇アーカイヴ/アーカイヴィング
収集しゅうしゅう整理せいり公開こうかい研究けんきゅう利用りよう
━━━
◇なぜあつめるのか
保管ほかん:「記録きろく」としてのこすこと
多様たよう主体しゅたい研究けんきゅうしゃ当事とうじしゃ関係かんけい機関きかん)が参照さんしょう可能かのう状態じょうたいにすること
◇「おおやけ」(くに自治体じちたい)がやること/やらないこと
事業じぎょう縮小しゅくしょう
対象たいしょう選別せんべつ
━━━
大学だいがく学術がくじゅつ機関きかん)の役割やくわり
@立命館大学りつめいかんだいがく生存せいぞんがく研究けんきゅうセンター
arsvi.com:立命館大学りつめいかんだいがく生存せいぞんがく研究けんきゅうセンター
立岩たていわしん也 2016 「アーカイヴィング」立命館大学りつめいかんだいがく生存せいぞんがく研究けんきゅうセンターへん生存せいぞんがくくわだて――さわ老病ろうびょうことともらす世界せかいへ』生活せいかつ書院しょいん
立岩たていわしん也 2016/11/07 病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ運動うんどう研究けんきゅう――せい現在げんざいまでを辿たど未来みらい構想こうそうする」(2017年度ねんど科学かがく研究けんきゅう基盤きばんB)申請しんせい書類しょるい
A熊本学園大学くまもとがくえんだいがく水俣みなまたがく研究けんきゅうセンター
水俣みなまたがくアーカイブ
水俣みなまたがく研究けんきゅうセンター所蔵しょぞう資料しりょうデータベース
水俣みなまたがくプロジェクト
━━━
大学だいがくというシステムからはなれて――社会しゃかい教育きょういくとして/当事とうじしゃ支援しえんとして/地域ちいき基点きてんにアカデミアをつなげるために
B一般いっぱん財団ざいだん法人ほうじん水俣病みなまたびょうセンター 相思そうししゃ
相思そうししゃについて」
資料しりょう整備せいび 相思そうししゃ存在そんざい理由りゆうとして」
相思そうししゃ卒業そつぎょう論文ろんぶん修士しゅうし論文ろんぶん博士はかせ論文ろんぶんいてみませんか」
cf. 「「水俣病みなまたびょう記録きろく劣化れっか危機きき 見学けんがく施設しせつ歴史れきし考証こうしょうかん」が老朽ろうきゅう ネットで改修かいしゅう寄付きふつのる」(2018ねん6がつ17にち西日本にしにほん新聞しんぶん朝刊ちょうかん
━━━
◇[当事とうじしゃ運動うんどう地域ちいき]というつながり
◇アカデミアがしもささえをになう(後方こうほう支援しえん
調査ちょうさしゃ研究けんきゅうしゃによる[当事とうじしゃ運動うんどう地域ちいき]へのコネクト(導入どうにゅうこうとしてのアーカイブ)

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だい11かい:「かたりをくこと、記録きろくすること(1)」[2018/06/27]

領域りょういき
歴史れきしがく
民俗みんぞくがく
文化ぶんか人類じんるいがく
社会しゃかいがく
政治せいじがく
◇ことばをめぐる方法ほうほうろん
実証じっしょう主義しゅぎ
構造こうぞう主義しゅぎ
構築こうちく主義しゅぎ
かたられることばをどうあつかうか
国家こっかてき記録きろく
文献ぶんけん史料しりょう補完ほかん
‐ ことばのもつ役割やくわり機能きのう相対そうたいだつ構築こうちく
信仰しんこうのことば/オノマトペ――意味いみろんえて
cf. 国立こくりつ民族みんぞくがく博物館はくぶつかん
はっせられることばの性質せいしつ
はっする主体しゅたいだれか(機関きかん個人こじんか/身分みぶん/ジェンダー)
‐ 「おおやけ」:大文字おおもじの「政治せいじ(まつりごと)」の領域りょういき
‐ 「わたし」:一個人いっこじん庶民しょみん住民じゅうみん生業せいぎょう生活せいかつ/「おんなこども」……
公私こうし同居どうきょ(グレーゾーン)――[れいむら青年せいねんだん婦人ふじんかい寄合よりあい
祭礼さいれい
◇なぜききとるのか/記録きろくするのか――はしょ要因よういんふくあいによるヴァリエーション

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だい12かい:「かたりをくこと、記録きろくすること(2)」[2018/07/04]

なにくのか
歴史れきし記憶きおく体験たいけん
  |連続れんぞく往還おうかん
現在げんざい状況じょうきょう活動かつどう
◇なぜくのか
記録きろく(アーカイブ)
教育きょういく啓蒙けいもう
政治せいじ政策せいさく)*アドボカシー
社会しゃかい運動うんどう
当事とうじしゃ運動うんどう *エンパワーメント
だれくのか
調査ちょうさしゃ研究けんきゅうしゃ/ジャーナリスト
当事とうじしゃ
支援しえんしゃ
うん動体どうたい *NPO法人ほうじん
行政ぎょうせい管理かんりしゃ *「第三者だいさんしゃ機関きかん
属性ぞくせい問題もんだい:ジェンダー・セクシュアリティ/健常けんじょうしゃ障害しょうがいしゃ
◇ききて位置いち
後景こうけい
対置たいち
前面ぜんめん(ドキュメンタリー/ルポルタージュ)
◇どうくのか
出来事できごと歴史れきし現在げんざいへの連続れんぞくせい
時代じだいいちきゅうなな年代ねんだい高度こうど成長せいちょう
通史つうし *困難こんなん
◇マイノリティ/マージナル
女性じょせい移民いみん障害しょうがいしゃ/「貧民ひんみん
記録きろくされてこなかった領域りょういき
特殊とくしゅカテゴリー――功罪こうざい
政策せいさく課題かだいとしてのあつかい(福祉ふくしによる救済きゅうさい善意ぜんい]/リスク要因よういん排除はいじょ統治とうち暴力ぼうりょく]――コインの裏表うらおもて
記録きろくをどうまとめるのか
研究けんきゅう論文ろんぶん学術がくじゅつしょ
‐ インタビュー記事きじ報道ほうどう
‐ ききしゅう私家版しかばん
伝記でんき人物じんぶつ
郷土きょうど地域ちいき
女性じょせい民族みんぞく運動うんどう
社会しゃかい集合しゅうごう心性しんせい生活せいかつ文化ぶんか
物語ものがたり昔話むかしばなし民話みんわ)*山代やましろともえ民話みんわひとびと――広島ひろしまむらはたらおんなたち』岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょあおばんB-125〕/1958)
見聞けんぶん旅行りょこう宮本みやもと常一つねいちわすれられた日本人にっぽんじん未来社みらいしゃ/1960→岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこあお164-1〕/1984)
‐ エッセー
‐ アート

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だい13かい:「かたりをくこと、記録きろくすること(3)」[2018/07/11]

大門だいもん正克まさかつ 2017 かた歴史れきし歴史れきし――オーラル・ヒストリーの現場げんばから』岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょしんあかばん1693)

▼はじめに
「ききとりやオーラル・ヒストリーといえば、いまきるひとどう時代じだいひとはなしくことであり、どう時代じだい対象たいしょうにしているとおもわれているようである。たしかにそういう側面そくめんがあるが、[…]ききとりやオーラル・ヒストリーをどう時代じだいのテーマに限定げんていせずに、ひろ歴史れきし視野しやのなかで検討けんとうする必要ひつようがあるのではないか。」(pp.ii-iii)
「そのような関心かんしんのなかでんだ瀬川せかわ清子きよこほんはすこぶる面白おもしろかった。[…]瀬川せかわほんには、全国ぜんこくたびするなかで生活せいかつ世界せかいはいっていた女性じょせいたちのかたこえきとめられている。戦前せんぜん女性じょせいこえきとめているのは、篠田しのだ鉱造こうぞう〕や瀬川せかわくらいであり、貴重きちょう仕事しごとである。瀬川せかわほん面白おもしろかったのは、女性じょせいたちとともに、瀬川せかわこえきとめられていたからである。篠田しのだ柳田やなぎだ国男くにお〕のほんには本人ほんにん登場とうじょうしない。それにたいして瀬川せかわほんには瀬川せかわ本人ほんにん登場とうじょうする。[…]瀬川せかわみずからも登場とうじょうさせることで、さりげなく、ききにおけるくことやききて役割やくわり大事だいじであることをきとめていたようにおもわれる。」(p.iii)
歴史れきしのなかのかたること、くこと、くことに関心かんしんをもち、戦前せんぜんから戦後せんご日本にっぽん歴史れきしたずねてみた。すると、そこには、文字もじ中心ちゅうしんにしたいままでの歴史れきしではえていなかった大変たいへん興味深きょうみぶか世界せかいがひろがっていた。かたやききてこえこえる世界せかいであり、沈黙ちんもく表情ひょうじょうふくめ、生身なまみ人間にんげん同士どうしった歴史れきし場面ばめんであって、ひとびとのきられた歴史れきし垣間見かいまみることができる。ききてみずからの登場とうじょう有無うむふくめ、さまざまな工夫くふうをしてきとめていた。」(p.iii)
本書ほんしょでは、かたることとくことの場面ばめんを〈現場げんば〉とづけ、歴史れきし現在げんざいの〈現場げんば〉をたずねる。かたることとくことの〈現場げんば〉はじつにさまざまである。[…]文字もじみずかのこすことがすくないひとびとから意識いしきてきはなしく〈現場げんば〉もあった。文字もじのこりにくい歴史れきしとは、たとえば女性じょせい歴史れきしであり、沖縄おきなわやアイヌの歴史れきし在日ざいにち朝鮮ちょうせんじん差別さべつ部落ぶらく歴史れきしなどである。」(p.iv)
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だい1しょうこえ歴史れきしをたどる
現在げんざいいたるまでつづ政治せいじ中心ちゅうしんのオーラル・ヒストリーの出発しゅっぱつてんは、明治めいじ前期ぜんきにおける、『きゅうこと諮問しもんろく』をはじめとした旧幕きゅうばく時代じだいのききとりにあり、それらは文字もじ史料しりょうによる実証じっしょう主義しゅぎ歴史れきしがく補完ほかんてき役割やくわりになうものと位置いちづけることができる。」(p.9)
いたはなし叙述じょじゅつする場合ばあい戦前せんぜんにはふたつの方法ほうほう提起ていきされていたと整理せいりすることができよう。ひとつは記録きろく重点じゅうてんをおくものであり、質問しつもんたいするかたりをそのまま叙述じょじゅつしようとする方法ほうほうであって、政治せいじ記録きろく代表だいひょうれいである。もうひとつは、かたかたかたった内容ないようをそのときの雰囲気ふんいき場面ばめん連動れんどうしているという理解りかいち、場面ばめんふくめて叙述じょじゅつする方法ほうほうであり、『光雲こううん回顧かいこだん』や篠田しのだ鉱造こうぞう〕の『ひゃく』に代表だいひょうされる。」(p.25)
民俗みんぞくがく出発しゅっぱつてんには、ききがあったことに留意りゅういしたい。」(p.26)
「ききを出発しゅっぱつてんとして誕生たんじょうした民俗みんぞくがくは、政治せいじから生活せいかつへ、文献ぶんけんから伝記でんき伝承でんしょうへ、歴史れきしじょう視座しざ転換てんかんつよ要請ようせいし、政治せいじ中心ちゅうしん官学かんがくアカデミズム歴史れきしがくきびしく批判ひはんした。[…]柳田やなぎだ民俗みんぞくがくは、近代きんだいのなかでわすれられようとしたひとびととその歴史れきしひかりをあてるものであり、近代きんだい中央ちゅうおうからの文化ぶんか一方いっぽうてき流入りゅうにゅうたいする批判ひはんであって、「つげみんくるしみを歴史れきしやみからひきだす」ものであった[…]。文字もじくことはできないが、伝記でんき伝承でんしょうふくめて生活せいかつ慣習かんしゅう作法さほうきと機能きのうしているひとびとを、柳田やなぎだは「常民じょうみん」とづけた。」(p.26)
「『遠野とおの物語ものがたり』では、柳田やなぎだが〔佐々木ささきぜんはなし取捨選択しゅしゃせんたくし、文体ぶんたいにも留意りゅういして叙述じょじゅつされている。どのように叙述じょじゅつをすれば、「かんじたるまま」にいたことになるのか、柳田やなぎだはそのことを自覚じかくし、文体ぶんたいえらびとっている。明治めいじ以降いこう、ここに、叙述じょじゅつ自覚じかくし、文体ぶんたいえらびとった「かた歴史れきし歴史れきし」の叙述じょじゅつがはじめて登場とうじょうしたのである。」(p.29)
明治めいじ以降いこうの「かた歴史れきし歴史れきし」における『遠野とおの物語ものがたり』のせいは、ひとはなしいてくことのうちには、かたる―く―生活せいかつ世界せかい叙述じょじゅつするという一連いちれん要素ようそがあり、「かた歴史れきし歴史れきし」はこれらの関係かんけいのなかでかれることを、はじめて議論ぎろん俎上そじょうにのせたことにある。」(p.30)
柳田やなぎだ国男くにおの『遠野とおの物語ものがたり』は、「かた歴史れきし歴史れきし」のをなす書物しょもつであったが、そこでもききてである柳田やなぎだひょうにあらわれない。ききてであり、会話かいわのかたちで叙述じょじゅつ登場とうじょうするところに、瀬川せかわ清子きよこ〕の叙述じょじゅつおおきな特徴とくちょうがあったのであり、これは戦前せんぜんのなかではじめてのことであった。」(p.33)
瀬川せかわはいうまでもなく女性じょせいであり、女性じょせい女性じょせいからいたはなし叙述じょじゅつすることも、いままでにないことであった。」(p.33)
全国ぜんこくたびした瀬川せかわは、労働ろうどうささえられた海女あまたちの底抜そこぬけのあかるさや健康けんこう姿すがた衝撃しょうげき感銘かんめいけ、そのような「一隅いちぐう生活せいかつ」のなかにも「わたしどもよみがえらせてくれるちから」があることをおそわった。そして、[…]全国ぜんこく各地かくちをまわり、女性じょせいたちから生活せいかつの「ちから」をおそわろうとした。」(pp.34-35)
瀬川せかわは、当初とうしょ、「質問しつもん要項ようこう」にたよって予定よていしていたことをき、「むかしひとかんがかた辿たどりつこうとこげ」ったが、しだいに「とおむかし声々こえごえを、自分じぶん生命せいめいなかにききわけ」るようになったとべる。」(p.35)
生活せいかつ世界せかいへの着目ちゃくもくというてん柳田やなぎだ継承けいしょうしながらも、瀬川せかわは、女性じょせいの「生活せいかつちから」を発見はっけんするにいたっている。」(pp.35-36)
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だい2しょう戦後せんご時代じだいと「歴史れきし」の深化しんか
断続だんぞくてきにではあれ、戦前せんぜんから戦後せんごにかけてもっともながつづいているのは政治せいじ歴史れきしであった。[…]それにたいして、戦後せんごあらたに登場とうじょうしたのは、植民しょくみん在日ざいにち朝鮮ちょうせんじん/アジア、女性じょせい労働ろうどう社会しゃかい運動うんどうなどの領域りょういきだった。」(p.46)
「とくに植民しょくみん強制きょうせい連行れんこう女性じょせい歴史れきしがとりくまれたのは、戦争せんそう敗戦はいせんというふたつのおおきな契機けいきがあったからであり、戦前せんぜんにはられない戦後せんごの「かた歴史れきし歴史れきし」の特徴とくちょうであった。」(p.47)
「「かた歴史れきし歴史れきし」において、いちきゅうなな〇〜はち年代ねんだいになった理由りゆうとしては、この時代じだい歴史れきしてき位置いち指摘してきできよう。いちきゅうろく年代ねんだい高度こうど成長せいちょう進行しんこうによる急激きゅうげき社会しゃかい変化へんかいちきゅうなな〇〜はち年代ねんだいになると、ひとびとはようやく自分じぶんたちの生活せいかつかえることができるようになった。地域ちいき自然しぜん関心かんしんせた「小平こだいら玉川上水たまがわじょうすいまもかい」が、同時どうじ地域ちいきながひとびとのくらしをききしたことは、高度こうど成長せいちょうによる時代じだい変化へんかのなかでくことへの関心かんしん醸成じょうせいされてきた状況じょうきょうをよくしめしている。またいちきゅうななねん前後ぜんこうはベトナム戦争せんそうはげしかった時期じきであり、敗戦はいせんから四半世紀しはんせいきがすぎるなかで、戦争せんそう体験たいけんしゃきているうちに戦争せんそう体験たいけんくことへの気運きうんもあらわれてきた。|ここであらわれた歴史れきしには、かつての柳田やなぎだ国男くにお近代きんだい批判ひはん共通きょうつう問題もんだい意識いしきがあり、戦争せんそう戦後せんご高度こうど成長せいちょう)を批判ひはんてきにとらえかえ気運きうんたかまりをみとることができる。」(p.55)
戦後せんご日本にっぽんは、植民しょくみんだい東亜とうあ共栄きょうえいけん清算せいさんじゅうぶんのなもとで、アメリカ中心ちゅうしん体制たいせいまれた。そのことが歴史れきしかんにもかげとし、戦争せんそうについては日米にちべい太平洋戦争たいへいようせんそう限定げんていして、アジアが不在ふざいになる傾向けいこうながつづいた。政治せいじ行政ぎょうせい戦争せんそう歴史れきしにもこの傾向けいこう反映はんえいされていたが、視野しやをひろげれば、朝鮮ちょうせん総督そうとく高官こうかんからの歴史れきしもとりくまれていたのであり、このききとりもふくめて、戦後せんご歴史れきし検証けんしょうする必要ひつようがある。」(pp.56-57)
朝鮮ちょうせん総督そうとく高官こうかんからだけでなく、強制きょうせい連行れんこうされたひと在日ざいにち朝鮮ちょうせんじんなど、日本にっぽん植民しょくみん支配しはいやアジア太平洋戦争たいへいようせんそう影響えいきょうにおかれたひとびとからも歴史れきしおこなわれるようになった」(p.57)
いちきゅうなな年代ねんだいはいると、みぎべた強制きょうせい連行れんこうなどにくわえて、沖縄おきなわせん空襲くうしゅう体験たいけんしたひとびとから戦争せんそう体験たいけん歴史れきしはじまった」(p.57)
女性じょせいについては、いちきゅう年代ねんだい以来いらい戦後せんごの「かた歴史れきし歴史れきし」のおおきな特質とくしつであり、女性じょせい経験けいけんかたり、歴史れきしがさまざまに実践じっせんされた。経験けいけん歴史れきし登場とうじょうしたこと自体じたい戦後せんご特質とくしつであり、その先鞭せんべんをつけたのが女性じょせい領域りょういきだった。」(pp.57-58)
ほおけいうえ(パク・キョンシク):『朝鮮ちょうせんじん強制きょうせい連行れんこう記録きろく』1965〕は、文字もじ史料しりょう文献ぶんけん徹底てっていしてさがし、それにもとづいて論文ろんぶんくだけでなく、全国ぜんこく各地かくち調査ちょうさし、ひとはなしき、史料しりょうあつめるなかで主題しゅだい解明かいめいせまろうとしたのである。いちきゅうろく年代ねんだい日本にっぽん学問がくもん世界せかいでは、文字もじ史料しりょうたしかなものとしてさい優先ゆうせんされ、ききとりはてきなものとみなされる傾向けいこうがあった。そのなかで強制きょうせい連行れんこう調しらべるほおは、文字もじ史料しりょうかききとりの二者択一にしゃたくいつではなく、そのどちらも重視じゅうしした。」(p.67)
ほおはここで一人称いちにんしょうの「わたし」で登場とうじょうし、訪問ほうもんさきひとってはなしき、史料しりょうさがし、それらをわせて叙述じょじゅつしている。それらをわせたときに論文ろんぶんのような叙述じょじゅつスタイルではなく、紀行きこうぶんのような叙述じょじゅつスタイルがえらばれたといっていいだろう。」(p.68)
帝国ていこく主義しゅぎ民族みんぞく問題もんだいは、言語げんご名前なまえにまでおよぶというほお問題もんだい提起ていきは、文字もじ史料しりょう依拠いきょするだけではみちびされなかったはずである。歴史れきし大事だいじがかりにすることで、ほおは、朝鮮ちょうせんじん身体しんたいくわえられた暴力ぼうりょくあかるみにし、さらに言語げんご名前なまえをめぐる問題もんだいにもひかりをあてることができた。」(p.70)
沖縄おきなわせん座談ざだんかいは、まさに〈現場げんば〉にほかならなかった。複数ふくすうかた座談ざだんかいは、沖縄おきなわせん体験たいけんしゃいちにんひとりのむね奥底おくそこにしまいこまれていた記憶きおくおもいの封印ふういんはなつ〈現場げんば〉になり、[…]沖縄おきなわせん体験たいけんこしたのである。」(p.77)
座談ざだんかい記録きろくには資料しりょうてき価値かちがないなどの意見いけんがあった。ただし、[…]ねん経過けいかにより「戦争せんそう体験たいけん採録さいろく」は「不可能ふかのう」という意見いけんはまったく「ナンセンス」であり、座談ざだんかいこそ住民じゅうみん視点してんから沖縄おきなわせんることができるにほかならなかった。」(p.77)
座談ざだんかい背後はいごには膨大ぼうだい沈黙ちんもくがあることもけとめ、そのもとで実現じつげんした座談ざだんかいは、さきべたように、沖縄おきなわせんかたる、く〈現場げんば〉となり、沖縄おきなわせんこすことになった。」(p.78)
「これ〔1977ねん沖縄おきなわせん戦没せんぼつしゃ33回忌かいき以降いこう行政ぎょうせい研究けんきゅうしゃ主導しゅどうしたききとりから、「市民しみん運動うんどう」によるききとりに転換てんかんしていった」(p.78)
沖縄おきなわおなじように、本土ほんど戦争せんそう体験たいけんいちきゅうななねん前後ぜんこうこされていった。東京とうきょうだい空襲くうしゅうをはじめとした空襲くうしゅう体験たいけんであり、背景はいけいにベトナム戦争せんそうがあった。」(p.79)
戦争せんそう体験たいけんかたること、くことがびかけられるなかで、こえされ、体験たいけんかれたところに、いちきゅうなな〇〜はち年代ねんだい戦争せんそう体験たいけん特徴とくちょうがあった」(p.81)
「『沖縄おきなわ戦記せんきろく1』〔1971〕からは、沖縄おきなわせん様相ようそう以外いがいにもおおくのことがつたわってくる。このほんは、集落しゅうらくひらいた座談ざだんかいごとにまとめられていて、[…]座談ざだんかい公民館こうみんかん区長くちょうたく個人こじんたくひらかれ、区長くちょうなどがっている様子ようす見受みうけられる。」(pp.82-83)
以上いじょう叙述じょじゅつ全体ぜんたいとおして、沖縄おきなわせんを「かた歴史れきし歴史れきし」の〈現場げんば〉がかびがる。そこで印象いんしょうてきなことは、かたとききて様子ようすきとめられていることであり、かたかたりをけとめて叙述じょじゅつするさいに、ききてがさまざまな留意りゅういをしていることである。」(p.83)
座談ざだんかいでは、淡々たんたんかたひともいれば、感情かんじょうをこめてかたひともいて、そのいずれも場合ばあいにもききてかたおもいをはかり、感慨かんがいきとめている。」(p.83)
「「かた歴史れきし歴史れきし」の〈現場げんば〉にうことで、ききてもまた、[…]沖縄おきなわせんみちびかれていった。」(p.83)
かたおもいやかたりをけとめてどのように叙述じょじゅつすればいいのか、そのこともきとめられており印象深いんしょうぶかい。」(p.84)
方言ほうげん共通きょうつうやく場合ばあいふくめて、宮城みやぎさとし[さとし]:沖縄おきなわけん編集へんしゅう審議しんぎかい〕はかたりをできるだけせいじょしないようにした。それは、「記録きろくのたしかさ」[…]をもとめたからであるとともに、沖縄おきなわせん鮮烈せんれつ経験けいけんかたかた密接みっせつ関連かんれんしており、それゆえにはなしんでいると宮城みやぎ理解りかいしていたからであった。」(p.86)
ぼくけいうえは、全国ぜんこく各地かくちでの歴史れきしとおして、強制きょうせい連行れんこう朝鮮ちょうせんじん名前なまえうばわれ、その状態じょうたい戦後せんごつづいていることをあきらかにするとともに、朝鮮ちょうせんいたはなし日本語にほんごなおさなくてはならない違和感いわかん帝国ていこく主義しゅぎ民族みんぞく問題もんだいとして提起ていきした。沖縄おきなわせんの〈現場げんば〉にった宮城みやぎさとしは、鮮烈せんれつ沖縄おきなわせんかた歴史れきしをどのようにけとめ、方言ほうげん共通きょうつうのどちらで叙述じょじゅつするのかに腐心ふしんし、「たどたどしい日本語にほんご」ではなした花岡はなおか事件じけん生存せいぞんしゃは、げきすると中国ちゅうごくになり、ききてである野添のぞえ憲治けんじは、そのかたりをけとめ、反芻はんすうするなかでききをおこなった。」(p.88)
「ここからかびがるのは、【傍点ぼうてんかた歴史れきし】はかた身体しんたいかちがたくむすびついており、かたられた言葉ことばは、身体しんたいにおよんだ苦痛くつう暴力ぼうりょく一体いったいになっていたことである。[…]ここでりになった言葉ことば身体しんたいをめぐる問題もんだいは、文字もじ史料しりょうからはなかなかえないことであり、文字もじ史料しりょう言葉ことば)のがわ問題もんだい提起ていきし、文字もじ史料しりょう読解どっかいにもおおきな示唆しさあたえるはずである。」(p.89)
かた体験たいけんけとめるききて役割やくわりおおきい。そこでは、かたかたりをすだけでなく、戦争せんそう植民しょくみん体験たいけんをどのようにけとめたらいいのかになやみ、試行錯誤しこうさくごするききて姿すがたがあり、その姿すがたのなかから戦争せんそう植民しょくみん支配しはいをめぐる問題もんだいかびがる。「かた歴史れきし歴史れきし」のうえに【傍点ぼうてん叙述じょじゅつする局面きょくめん】がえてくる。日本語にほんごへの変換へんかんふくめ、いたままに叙述じょじゅつするのかせいじょするのかなど、さまざまな論点ろんてんかびがる。」(p.89)
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だい3しょう女性じょせい女性じょせい経験けいけん
戦後せんごの「かた歴史れきし歴史れきし」のおおきな特徴とくちょうは、それまでほとんど対象たいしょうにならなかった女性じょせい経験けいけん歴史れきしがあらわれたことである。女性じょせい文字もじ史料しりょうのこすことがすくなく、歴史れきしおもて舞台ぶたい登場とうじょうすることもきわめてかぎられていた。それにくわえて、篠田しのだ鉱造こうぞう民俗みんぞくがく瀬川せかわ清子きよこなどをのぞけば、戦前せんぜんにおいても、女性じょせい歴史れきし対象たいしょうになることはなかった。その状況じょうきょうわるのは戦後せんごになってからである。農村のうそん都市とし炭鉱たんこうなどの各所かくしょで、女性じょせいたちの経験けいけん歴史れきしがあらわれた。女性じょせい経験けいけんいたひとおおくは女性じょせいだった。女性じょせいによる女性じょせい相手あいてにした歴史れきしがあらわれたのである。」(p.92)
いちきゅう年代ねんだいさんにん丸岡まるおか秀子ひでこ山代やましろともえ鶴見つるみ和子かずこ〕には共通きょうつうてんがある。おんなたちに文章ぶんしょういてもらったり、はなしいたりしたものを、みずかべつのかたちの文章ぶんしょうにまとめていることである。実名じつめいすことなどとてもできない社会しゃかい環境かんきょうがあった。さんにんおんなたちのはなしみみかたむけ、どうつたえればいいのかについて腐心ふしんし、文章ぶんしょういている。」(p.94)
いちきゅう年代ねんだいには生活せいかつ記録きろくとして生活せいかつ記録きろく運動うんどうがひろがり、いちきゅうろく年代ねんだいまでつづいた。そこでは、地域ちいき職場しょくばにおけるみずからの生活せいかつ体験たいけんとともに、はは戦争せんそう体験たいけんなどをき、それを生活せいかつ記録きろくとしてくこともおこなわれた。文章ぶんしょうひとはなしひと女性じょせいおおかったことはこの運動うんどうおおきな特徴とくちょうだった。」(p.96)
戦後せんごになると、広範こうはん領域りょういき女性じょせいはなしき、くようになったことがわかるであろう。[…]女性じょせいいたはなし民話みんわ生活せいかつ記録きろくとして【傍点ぼうてんくこと】に主眼しゅがんがおかれていた。」(p.96)
おも九州きゅうしゅう女性じょせい経験けいけんいた森崎もりさき和江かずえ山崎やまざき朋子ともこ古庄ふるしょうゆきらは、ききというかたちで、くこととくことの両方りょうほう主眼しゅがんをおいた。いちきゅう年代ねんだいまつからいちきゅうなな年代ねんだいにかけて、くことに重心じゅうしんをおいた段階だんかいから、両方りょうほう重心じゅうしんをおいたききへゆるやかに移行いこうしたといっていいだろう。いちきゅうろくいちねん発行はっこうされた森崎もりさき和江かずえ『まっくら』のサブタイトルは「おんな坑夫こうふからのきき」だった。これはききを自覚じかくした作品さくひん登場とうじょうとして重要じゅうよう意味いみをもっていた。」(p.96)
さんにんのききには、かたかたりだけでなく、かたること、くことにい、格闘かくとうする過程かていきざまれている」(p.97)
女性じょせいたちからほとばしる「エネルギー」をけとめ、ふかるために、森崎もりさきは、「自他じた体験たいけん全体ぜんたいなかにどう位置いちづければいいのかと、幾年いくとせしんいだき、なんとか文字もじしてその意味いみい、責任せきにんとう」とした。」(p.102)
森崎もりさき敗戦はいせん前後ぜんこう瀬川せかわ清子きよこいたものに出会であっていた」(p.104)
民俗みんぞくがく森崎もりさきのアトヤマのききも、いずれも歴史れきしのなかでかえりみられなかったひとびとのはなしみみかたむけるものだったといえよう。」(p.104)
「「かた歴史れきし歴史れきし」には、ひとびとの原初げんしょてきなエネルギーがふくまれており、森崎もりさきはそれとうなかで、おんなたちの「きき」をしたのであろう。」(p.105)
「からゆきさんをたずねるたび以前いぜんから山崎やまざき森崎もりさき交流こうりゅうがあり、たび出発しゅっぱつてんにあっても接点せってんがあったことは印象深いんしょうぶかい。瀬川せかわ清子きよこいたものにせっした経験けいけんをもって炭坑たんこうでききとりをした森崎もりさき和江かずえ山崎やまざきはその森崎もりさき接点せってんをもちながら天草てんぐさかったことになる。おんなたちの連鎖れんさのなかで、おんなたちの「かた歴史れきし歴史れきし」がすこしずつひらかれていったのである。」(p.106)
山崎やまざきのききの特徴とくちょうさんてん指摘してきする。|だいいちに、おサキさんが詳細しょうさいにわたってかたり、それを山崎やまざきがまとめることができたのは、ひとえに共同きょうどう生活せいかつさん週間しゅうかんつづけた賜物たまものだった。」(p.108)
だいは、女性じょせい女性じょせいくことで、せい売買ばいばいまでふくめたききとりが可能かのうになったことである。」(p.108)
だいさんに、山崎やまざき天草てんぐさしまでのききを「紀行きこうぶんスタイル」で叙述じょじゅつしたうえで、冒頭ぼうとう最後さいごしょうにおいて、近代きんだい日本にっぽん歴史れきし歴史れきしがく双方そうほう批判ひはんしている。山崎やまざきは、からゆきさんのききをつうじてあらたに「底辺ていへん女性じょせい」を提唱ていしょうし、東南とうなんアジアに「出稼でかせぎ売春ばいしゅん」をした日本にっぽん帝国ていこく主義しゅぎ批判ひはんし、さらに、階級かいきゅうせいというじゅう桎梏しっこくのもとにながしいたげられた女性じょせいたちの存在そんざいあきらかにしてこなかった歴史れきしがくのありかた批判ひはんしている。」(p.109)
山崎やまざきいちきゅうななねんに「アジア女性じょせい交流こうりゅうとわたし」[…]という文章ぶんしょうき、いままでの女性じょせいは、解放かいほうであってもエリートの女性じょせい対象たいしょうとし、西欧せいおう尺度しゃくどかれていたとべる。それにたいして、山崎やまざき自身じしんは「底辺ていへん生活せいかつがひとつのげん体験たいけん」であり、エリート中心ちゅうしん女性じょせいではえない「底辺ていへん女性じょせい」を模索もさくしていること、底辺ていへんきた女性じょせいは、からゆきさんや大陸たいりく花嫁はなよめなどのようにアジアにふかくかかわっていたとして、底辺ていへん女性じょせいからさらにアジアへの視座しざくわえる必要ひつようせい指摘してきする。」(p.112)
森崎もりさきは、[…]「資料しりょうることのない女性じょせいるには、たゆみなくあるくこととみずか歴史れきしつくるところの日常にちじょうてき集団しゅうだんてき活動かつどうのつみかさねがいる」と指摘してきし、さらに、「研究けんきゅう成果せいか個体こたい私有しゆうすような史実しじつ発掘はっくつほうおわるならば、庶民しょみんつね素材そざいされてきた歴史れきしないことになってしまう。わたしたちはここをえていきたい」とべた」(pp.113-114)
森崎もりさきはここでききにかかわって、大事だいじ指摘してきをしている。アジアや戦争せんそううこと自体じたい困難こんなん自覚じかくし、資料しりょうのない女性じょせいるためにあるつづけ、庶民しょみんつね素材そざいされてきた歴史れきしえることである。」(p.114)
森崎もりさきこころがけたことはなにだったのか。それは、[…]「しんにして、相手あいておもいの核心かくしんみみをすます」、「相手あいてかたりたくつたえたくおもっておられることの、そのはだざわりをかんじとること。けっして、こちらの予定よていテーマをたぬこと」だった。」(p.114)
相手あいてはなしのなかにきたいことをもとめた森崎もりさきたいして、山崎やまざきは、きたいことが自分じぶん自身じしんのなかにつよくあったのであり、ここには、「かた歴史れきし歴史れきし」のふたつのおおきな方法ほうほう相違そういよこたわっていた。」(p.114)
古庄ふるしょうは、「くことをとおして」[…]農村のうそんおんなたちとともに「この時代じだいきたい」とおもい、おんなたちのいまるために過去かこかった。古庄ふるしょうは、「どこまでいっても孝女こうじょ貞女ていじょ愛国あいこく婦人ふじん」しかいない大分おおいた歴史れきしに「窒息ちっそくしそう」になるが、女性じょせい叙述じょじゅつとおして、おんなたちがきていた社会しゃかいのなかにおんなたちを「蘇生そせいさせよう」とした」(p.116)
古庄ふるしょうは、[…]「在野ざいやがく」をにな地域ちいき女性じょせい研究けんきゅうしゃを「はだしの研究けんきゅうしゃ」とび、自分じぶん自身じしんもその一人ひとりだとべている。[…]「はだしの研究けんきゅうしゃ」がもっともすぐれたちから発揮はっきしたのは、「きき」によるおんな歴史れきしこしだった。」(p.116)
「ききのむずかしさは、かた言葉ことば表現ひょうげん方法ほうほうにある。かたった言葉ことばをそのまま表現ひょうげんするのか、方言ほうげんはどうするのか、かた歴史れきし表現ひょうげんととのえることはどの程度ていどまで許容きょようされるのか、ききにはこのような問題もんだいがいつでもついてまわる。ききの表現ひょうげん古庄ふるしょうがもっとも苦労くろうしたのは、日本語にほんご朝鮮ちょうせん問題もんだいだった。」(p.118)
いまでいえば、植民しょくみん主義しゅぎ意識いしきいつつ、どのようにけばいいのか、そのことを古庄ふるしょうかんがつづけていたといっていいだろう。」(p.119)
古庄ふるしょうてい〔チョン:オモニ〕がかた歴史れきし言葉尻ことばじり雰囲気ふんいきをとらえて、それをてい性格せいかく個別こべつ事情じじょうむすびつけてけとめるのではなく、ていきた全体ぜんたいせいのなかで理解りかいしようとした。」(p.120)
ちょん〔チョン〕オモニの「口伝くでん」について古庄ふるしょうは、「オモニのかたったままでなく、わたしなりに整理せいりしたもの」と指摘してきするとともに、とき系列けいれつには編集へんしゅうしていない。|とき系列けいれつ編集へんしゅうしなかった理由りゆうには、朝鮮ちょうせんじん強制きょうせい連行れんこう調査ちょうさ同行どうこうした経験けいけんがあったようにおもわれる。この調査ちょうさ証人しょうにん一人ひとりだったぜんオモニにとって、「だれが、いつ、どこで、なにをしたかといった分析ぶんせきてき質問しつもんほどこまるものはないよう」であり、古庄ふるしょうは、「このたね質問しつもんで、彼女かのじょなん絶句ぜっくしたのをおも」し、「びやかなわずがたりの時間じかん」が必要ひつようだったのではないかとしるす。」(p.121)
ぜんオモニのなかで時間じかん節目ふしめは、[…]自分じぶん経験けいけんとつながっており、さらに時間じかん人物じんぶつ場所ばしょは、「ひとつのドラマのように、生活せいかつのなかでつながりって、あれをっぱれば、こっちまで、こっちをっぱればあっちまでてこなければ完結かんけつしないものになっている」ことに古庄ふるしょうづいた。ぜんオモニのかた歴史れきしのなかでは、時間じかんにそって経験けいけんがあるのではなく、経験けいけんのなかで時間じかんがつながりっていた。」(p.122)
古庄ふるしょうは、経験けいけんのなかに時間じかんがあり、「ゆたかな感情かんじょう持主もちぬし」であるぜんオモニのかたりにふさわしいききとりと叙述じょじゅつ方法ほうほうかんがえ、ききとりでは時間じかんにそった「分析ぶんせきてき質問しつもん」はせずに、叙述じょじゅつとき系列けいれつ編集へんしゅうしないことをえらんだのではないかとおもわれる。」(p.122)
ぜんオモニのかたりは、[…]「なにひとつを実証じっしょうしようとしているのではなく、人間にんげんらしくきられなかった日々ひびすべての告発こくはつ」としてけとめる必要ひつようがある。「オモニのうた」は、「在日ざいにち朝鮮ちょうせん婦人ふじん日本にっぽんにおける生活せいかつ」の「部分ぶぶんてき憑性よりも全体ぜんたいてき真実しんじつせい」をしめしたものであり、古庄ふるしょうは、「特定とくてい〔ママ〕ゆう名詞めいしとおりぬけた、在日ざいにち朝鮮ちょうせんじんきゅう世代せだい婦人ふじんこえをオモニのなかにきいた」とべている。」(pp.122-123)
ぜんオモニにとって、「苦労くろう」をめぐる時間じかん経験けいけんは、まずしさとやりくりのなかで連鎖れんさするようにつながりっていた。それがぜんオモニの記憶きおくにはりつき、かた歴史れきしにも反映はんえいしていたので、はなしがあちこちにび、時間じかんしているようにかんじられたとしても、それは無秩序むちつじょかたられたことではけっしてなく、まずしさのなかで生活せいかつをやりくりしてなまをつなぐことを基本きほんとした生活せいかつ実践じっせん具体ぐたいてきかたられていたのであり、そこをみとる必要ひつようがある。ぜんオモニはぜんオモニなりのきた歴史れきし全体ぜんたいせいかたっていたのである。古庄ふるしょう朝鮮ちょうせんかべがあったにもかかわらず、ぜんオモニのかた歴史れきしのなかでつながりっていた連鎖れんさ理解りかいし、全体ぜんたいせいけとめようとした。古庄ふるしょうは、ぜんオモニもまた、きた歴史れきしのなかに「蘇生そせいさせ」ようとしたのである。」(p.125)
古庄ふるしょうのききのうち、とくに「オモニのうた」は、経験けいけんを「かた歴史れきし歴史れきし」のなかで記念きねんてき位置いちをしめる作品さくひんだとおもう。それはなぜか。」(p.125)
いちてんとして、古庄ふるしょうなによりもぜんオモニの感情かんじょう気持きもちの起伏きふくふくめてかた歴史れきしけとめている。[…]その叙述じょじゅつには、対面たいめんせい身体しんたいせいが「かた歴史れきし歴史れきし」の大事だいじ要素ようそであることがきざまれているといえよう。」(p.126)
身体しんたい感情かんじょうけとめた古庄ふるしょうは、ぜんオモニの「口伝くでん」をとき系列けいれつ編集へんしゅうせずにまとめた。これがてんである。[…]ぜんオモニのかた歴史れきし徹底てっていしてった古庄ふるしょうは、在日ざいにち朝鮮ちょうせんじん女性じょせい普遍ふへんてき歴史れきしくことができたといっていいだろう。」(p.126)
古庄ふるしょうはまた、「オモニのうた」は、「オモニのかたったままでなく、わたしなりに整理せいりしたもの」であることも自覚じかくしていた。これがさんてんである。」(p.127)
「「オモニのうた」は、かたる、く、叙述じょじゅつするというみっつの側面そくめん自覚じかくしてった作品さくひんであり、このみっつすべてを自覚じかくして経験けいけんを「かた歴史れきし歴史れきし」にとりくんだ作品さくひんはそれまでになく、その意味いみで「オモニのうた」は記念きねんてき作品さくひんといえる。」(p.127)
「それまで、みずからの歴史れきしをもてなかった女性じょせいみずからの歴史れきしかたる、それを仲立なかだちしたのが森崎もりさきさんにんであった。その特徴とくちょうとはなにか。」(p.127)
ひとつは時間じかん。[…]戦後せんご高度こうど成長せいちょうによる時代じだい変化へんかのなかで、さんにんは、ききによって、文字もじ史料しりょうのこらない女性じょせい経験けいけんふくまれた原初げんしょてきなエネルギーをそうとしたのである。」(p.128)
ふた特徴とくちょう身体しんたいせいである。」(p.128)
さんにんのききからは、女性じょせいのセクシュアリティの歴史れきしかびがってきた。」(p.128)
みっ特徴とくちょう特有とくゆうである。[…]さんにんは、植民しょくみん、アジア、九州きゅうしゅうという共通きょうつうせいをもつ。植民しょくみんちか九州きゅうしゅう女性じょせい女性じょせい経験けいけんいたとき、植民しょくみんやアジアとの接点せってんえてきたのである。これらの高度こうど成長せいちょう交差こうさするなかでおこなわれたききからは、のこされ、翻弄ほんろうされ、底辺ていへん際立きわだたせていたおんなたちの歴史れきしかびがってきた。」(p.130)
「この時代じだいの「かた歴史れきし歴史れきし」には、対象たいしょうだけでなく、ことなるふたつの方法ほうほうがあった[…]。ひとつは、記録きろく重視じゅうしするものであり、かたとききてがまじわる場面ばめん設定せっていし、記録きろくにかかわるひと[…]がくわわり、ききて質問しつもんこたえるかたちでかたはなすものである。[…]もうひとつは、文字もじのこらない歴史れきしのこりにくい歴史れきし文字もじけないひとびとの歴史れきしをめぐって、経験けいけんくものである。」(p.132)
経験けいけん歴史れきしからは、かたたずねるだけでなく、かたい、かた感情かんじょうけとめるなかで、かたはなしみみかたむけ、くことを意識いしきしたききてがあらわれてきた」(p.132)
経験けいけんかた歴史れきしかた身体しんたい感情かんじょうとともに存在そんざいしており、経験けいけんかた歴史れきしけとめて歴史れきしい、そこからさらに叙述じょじゅつにとりくむききてがいてはじめてつ。経験けいけんかたる、く、叙述じょじゅつする場面ばめんにおけるききて重要じゅうようせいかたとききてがともにいてつ〈現場げんば〉。[…]経験けいけんを「かた歴史れきし歴史れきし」の特徴とくちょうがここにある。このような歴史れきし叙述じょじゅつとおしてはじめて、歴史れきし奥底おくそこしずみ、さまざまな抑圧よくあつ生活せいかつ困苦こんくのなかでえにくくなっていたひとびとの経験けいけんがようやく姿すがたをあらわすことになったのである。」(p.133)
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だい4しょう:ききとりといういとな
「〔岩手いわてけん和賀わがぐん和賀わがまちのききとりをつうじて、わたしは、くことにはふたつの側面そくめんがあると整理せいりするようになった。ひとつは相手あいてたずねることであり、もうひとつはみみかたむけることである。英語えいごでいえば前者ぜんしゃはaskであり、後者こうしゃはlistenになる。ききとりでは一般いっぱんてきにききてがわきたいことがある。そのさいにはかならずaskがあり、askにうながされてかたかたはじめることがおおい。askはききとりという相互そうご行為こういりたせる大事だいじなきっかけである。ただし、ききてのaskの内容ないようかたかたりたいことが一致いっちするとはかぎらない。そのような場合ばあいにaskだけではかたかたりたいことをのがしてしまうことになる。かたかたりにみみをすますlistenが必要ひつようになる。」(p.145)
「ききてはaskに意識いしきあつめているのか、listenに集中しゅうちゅうしているのかで、かた歴史れきしのききかたおおきくことなってくるのである。」(p.150)
「〔askをじくにした〕「人生じんせいく」方法ほうほうは、最初さいしょから時間じかん経過けいか人生じんせい節目ふしめ)にそってはなしこうとするために、かたがわかたりたいことを制約せいやくしてしまったり、かたったことをのがしたりすることになりかねない。「人生じんせいく」方法ほうほうは、かたが「つたえたくおもって」いることの「核心かくしんみみをすます」かたや(森崎もりさき和江かずえ)、かたきた歴史れきしのなかにかたを「蘇生そせいさせ」ようとするききかた古庄ふるしょうゆき)とは、ことなるききかただとわざるをえないだろう。」(p.155)
海野うみの〔はる山梨やまなしけん落合おちあいむら湯沢ゆざわ農民のうみん組合くみあい婦人ふじん部長ぶちょう〕さんは、多大ただい苦労くろうをしていた。しかし、苦労くろうをしたことを叙述じょじゅつすることと、それを苦労くろう克服こくふく物語ものがたりとして叙述じょじゅつすることは意味いみことなる。[…]海野うみのはるさんを、わたし苦労くろう克服こくふくして活躍かつやくせんとする筆致ひっちえがいてしまったのではないか。苦労くろう克服こくふく物語ものがたりには、必要ひつよう以上いじょう当人とうにん称賛しょうさんするニュアンスをともなってしまう。」(p.159)
わたしは、あらためて「人生じんせいく」という方法ほうほうにひそむ問題もんだいてんについてかんがえるようになった。このききと方法ほうほうは、人生じんせい節目ふしめにそって社会しゃかいてき経験けいけんくので、かた自身じしん苦労くろう克服こくふくにそいながらはなしたり、ききてかた人生じんせい苦労くろう克服こくふくむすびつけて理解りかいしたりする傾向けいこうふくんでしまう。」(p.159)
「「人生じんせいく」方法ほうほうは、歴史れきしとしても歴史れきし叙述じょじゅつとしても難点なんてんがあったといわざるをえないだろう。」(p.160)
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だい5しょう:ききとりを歴史れきし叙述じょじゅつにいかす
わたしはしだいに「く」ということに大事だいじ意味いみがあるのではないかとおもうようになった。わたしから質問しつもんせずに、ききやくてっしてみると、いままで以上いじょうに、かたかた歴史れきしみみをすますことができるようになった。かえってみれば、[…]わたし関心かんしんわなかったのでかた肝心かんじんはなしのがしてしまったり、わたし用意よういしていたべつ質問しつもんうつっていったりしたことがあった。歴史れきしへののぞかたしだいで、かた歴史れきし理解りかいわってくることにようやくづいたのである。」(p.166)
はなしみみかたむけているなかで、かた沈黙ちんもくにも意味いみがあるのではないかとおもうようになった」(pp.166-167)
沈黙ちんもくにはさまざまなおもいがあるだろう。はなし内容ないよう整理せいり逡巡しゅんじゅん決断けつだんのあとに、沈黙ちんもくやぶこえてくる。ききとりでかた沈黙ちんもくすると、わたしはできるだけ呼吸こきゅうわせ、かたはなはじめるのをつようになった。くということには、相手あいてたずねるaskと相手あいてはなしみみをすますlistenのふたつがあることを理解りかいしたのは、このころのことだった。|ひとはなすということは、はなかた表情ひょうじょう身振みぶり、手振てぶり、沈黙ちんもく感情かんじょうなどの身体しんたいてき行為こうい一体いったいであり、[…]こえみみかたむけるということは、身体しんたいてき行為こういふくめてまるごとけとめることにほかならない。ここにひとひととが対面たいめんする「かた歴史れきし歴史れきし」の特徴とくちょうがあるのだろう。」(p.168)
「ききてがaskする過程かていだけがききとりなのではない。askのあとにlistenが必要ひつようであり、さらにaskとlistenをけとめるtakeがかせなかった。ききとりとは、このようにかたとききて応答おうとう過程かていなのであり、ききてかたはなしふかくlistenする必要ひつようがあるように、かたもききてのaskに規定きていされるめんがあった。おなじようにいまきるかたとききて対面たいめんしつつ、双方向そうほうこう応答おうとうする過程かていをくりかえしながら認識にんしきふかめようとするもの、これがききとりにほかならない」(p.169)
わたしは、わたしなりのふたつの観点かんてんから通史つうしと「かた歴史れきし歴史れきし」のかかわりをかんがえようとした。ひとは、通史つうしと「かた歴史れきし歴史れきし」の相互そうご関係かんけいについてである。かりに、既存きそんの「日本にっぽん歴史れきし」に個人こじん歴史れきしをあてはめて、それを通史つうしとするのであれば、通史つうし個人こじん歴史れきし叙述じょじゅつする意味いみはない。それでは、個人こじん歴史れきしはあくまでも既存きそん歴史れきし説明せつめいする手段しゅだんになってしまうからである。あるいはまた個人こじん歴史れきしかさねるだけでも通史つうしにはならない。」(p.176)
「listenするききかたをふまえた通史つうし叙述じょじゅつはありえないかということもかんがえた。これがふたである。[…]和賀わがまちなんかよい、かた歴史れきしみみかたむけるなかで、女性じょせいたちがかた歴史れきし戦前せんぜん戦時せんじ時代じだいにくりかえしもどることを実感じっかんした。[…]これらの世代せだいひとたちにとっては、現在げんざいいたるまで、戦前せんぜん戦後せんごはくりかえしもどるべき時代じだいとしてあることがかた歴史れきしからこえてきた。」(p.177)
あきらさん〔小原おはらあきら[おばら・てる]:満州まんしゅう移住いじゅうげ→和賀わがまち戦後せんご開拓かいたく従事じゅうじ〕を通史つうしのなかに位置いちづける場合ばあい過程かていにおける被害ひがい委譲いじょう歴史れきしのなかにどのような経験けいけんとして位置いちづけるのかという課題かだいがあった。被害ひがい委譲いじょうについて、いま時点じてん過去かこ行動こうどう裁断さいだんし、批判ひはんすることは簡単かんたんだが、それですべてが解決かいけつするわけでなない。」(p.177)
わたしあきらさんのかた歴史れきしみみかたむけるなかで、あきらさんにとっての苦難くなんとはなにだったのかをかんがつづけた。その苦難くなんには、過程かていだけでなく、満蒙まもう開拓かいたく時代じだい[…]、戦後せんご和賀わがまちで[…]のきびしい経験けいけんがあり、さらに戦後せんごに[…]封印ふういんされた満州まんしゅう経験けいけんふくまれていたのではないか。じゅうさんじゅうかさなった抑圧よくあつのなかに被害ひがい委譲いじょうふくまれていたのであり、さらに満州まんしゅう記憶きおく全体ぜんたいはげしい圧力あつりょく封印ふういんされたのである。くりかえしもどるべき戦前せんぜん戦時せんじは、それぞれのひと戦前せんぜん戦時せんじ戦後せんご経験けいけんのなかでつながりっており、反芻はんすうされたり、なおされたりしているのではないか。とすれば、あきらさんの過程かていでおきたことは、戦前せんぜん戦時せんじ戦後せんごあきらさんの経験けいけんのなかに位置いちづける必要ひつようがあるのではないか。」(p.178)
日常にちじょう世界せかいえる戦時せんじ出来事できごと日常にちじょう世界せかいとのかかわりで検証けんしょうしなくてはならない」(p.179)
わたしあきらさんのはなし全体ぜんたいとしてけとめて叙述じょじゅつしようとした。ここでの全体ぜんたいとは、「人生じんせいく」方法ほうほうによっててたライフヒストリーとしての全体ぜんたいではなく、沈黙ちんもくやくりかえしをふくめて、あきらさんからいたはなし全体ぜんたいである。そのうえであきらさんの戦前せんぜん経験けいけん戦争せんそう経験けいけん戦後せんご経験けいけん意味いみ連関れんかん時代じだいとのかかわりのなかでかんがえようとした。」(p.182)
わたしは、ききてであるわたしけとめかたふくめて叙述じょじゅつをした。ききてであるわたし登場とうじょうさせることになれば、叙述じょじゅつは、過去かこ現在げんざいかたとききてきつもどりつすることになり、いきおい複雑ふくざつになるめんがあった。過去かこ事象じしょう過去かこ時間じかんのなかだけで叙述じょじゅつすれば、そのほう理解りかいしやすかったのかもしれないが、げんかたはくりかえし過去かこもどった。歴史れきし時間じかん経過けいかにそって整理せいりできるめんをもちながら、ひとびとのなかではたえず過去かこかえるかたちで現在げんざいがある。かたとききて相互そうご行為こうい叙述じょじゅつしながら通史つうしえがくことには困難こんなんもあったが、わたしには歴史れきし叙述じょじゅつあたらしい可能かのうせいがあるようにおもえた。」(pp.182-183)
歴史れきし叙述じょじゅつ、とくに通史つうし叙述じょじゅつのなかに「かた歴史れきし歴史れきし」をふくめる場合ばあいには、時代じだい叙述じょじゅつ優先ゆうせんされて経験けいけん従属じゅうぞくてきえがかれてしまう危険きけんせいがあり、その克服こくふくへの自覚じかくをいっそうもたなくてはならない。と同時どうじに、このような困難こんなんをともないつつも、「かた歴史れきし歴史れきし」をつうじた歴史れきし叙述じょじゅつからは、たん文字もじ史料しりょう欠落けつらくおぎなうだけではなく、ひとびとのせいにとってもっともおもかったものとのかかわりで時代じだい特質とくしつあきらかにできる可能かのうせいがある[…]。さらに、「かた歴史れきし歴史れきし」をふくめた歴史れきし叙述じょじゅつからは、[…]歴史れきしひとびとと無縁むえんなところでそびえっているのではなく、ひとびとのなま歴史れきし過去かこ現在げんざいむすびついているという「ひらかれた歴史れきし」へのづきをうなが可能かのうせいがひろがる。」(pp.185-186)
吉沢よしざわみなみ:『わたしたちのなかのアジアと戦争せんそう』〕は、ききとりについても文献ぶんけん史料しりょう同様どうようにその内容ないようを「資料しりょう」ととらえ、「資料しりょう批判ひはん」をおこなおうとした。吉沢よしざわは「事実じじつ」と「資料しりょう」を区別くべつし、ききとりの内容ないようは「事実じじつ」そのものではなく、ひとつの「資料しりょう」であり、「資料しりょう」にたいしては「資料しりょう批判ひはん」がかせないとかんがえた。ただし、おなじ「資料しりょう」でも、ききとりと文献ぶんけん史料しりょうには決定的けっていてき相違そういがあった。それは、ききとりの相手あいてきた人間にんげんだったことである。」(pp.195-196)
来意らいいげてかた人生じんせい歴史れきしくことから吉沢よしざわのききとりがはじまる。ききとりにあたり、吉沢よしざわは「討論とうろん」と「沈黙ちんもく」に留意りゅういした。かたはなしくだけではなく、かた感想かんそう価値かちかんに「疑問ぎもん」をげかけたり、自分じぶん感想かんそう評価ひょうかを「対置たいち」させたりする「討論とうろん」をおこなうことがあった。「討論とうろん」は、さきべた「資料しりょう批判ひはん」と密接みっせつにかかわっていた。あるひとはなしを「資料しりょう批判ひはん」するためには、ききてはなし内容ないよう史料しりょう必要ひつようがある。ききとりでは、「きた資料しりょう」であるかたりにききて積極せっきょくてき応答おうとうすることで「資料しりょう批判ひはん」がはじめてつ。この方法ほうほうにはききとりそのものをりたせなくさせる危険きけんせいがあったが、両者りょうしゃの「討論とうろん」によってより緊密きんみつ信頼しんらい関係かんけいがつくりされる可能かのうせいもあった。|他方たほう吉沢よしざわかたられなかったことについて、かたの「沈黙ちんもく」を大切たいせつにしたこともあったという。「討論とうろん」と「沈黙ちんもく」の境目さかいめがどこにあるのか、吉沢よしざわ明瞭めいりょうかたってはいないが、かた沈黙ちんもくしていることやわすれようとしているとおもわれることについては留意りゅういして「討論とうろん」せずにそのままにしたり、文章ぶんしょうにしなかった場合ばあいがあった。」(pp.196-197)
「『わたしたち』の読後感どくごかんとしては、吉沢よしざわかたはなしかける場面ばめんだけでなく、むしろかたはなしけとめ、かんがえ、反芻はんすうしてみずからの認識にんしき更新こうしんしていこうとする過程かていつよ印象いんしょうのこる。」(p.198)
吉沢よしざわは、「かた歴史れきし歴史れきし」の〈現場げんば〉とい、「討論とうろん」し、「沈黙ちんもく」の意味いみかんがえ、みずからの認識にんしき反芻はんすう更新こうしんしようとしていたといっていいだろう。」(p.199)
吉沢よしざわはききとりをテープレコーダーに録音ろくおんしたのはいちかいだけであり、それ以外いがいはききとりをしながら筆記ひっきした。録音ろくおんの「忠実ちゅうじつ復元ふくげん」は、「かた尊重そんちょうしているようにえるが」、それは、「はなしひとつの出来上できあがった素材そざいとしてあつかい、作品さくひんとして定着ていちゃくさせているにすぎない」。それにたいして吉沢よしざわは、かたりにたいして「資料しりょう批判ひはん」をおこない、自分じぶんの「歴史れきしかん倫理りんり」をふまえて反芻はんすう更新こうしんしながらかたの「人生じんせいさい構成こうせい」した。このほんの「文章ぶんしょうはあくまでもわたし」のものであるが、それは「きた資料しりょう」と格闘かくとうした結果けっかであり、その過程かていえるかたちで叙述じょじゅつしているところに『わたしたち』の特徴とくちょうがあった。」(p.200)
「『わたしたち』は「中間なかまてき報告ほうこく」であったが、このほんには、ききとりの方法ほうほう文字もじ史料しりょうとききとりの関係かんけい歴史れきし叙述じょじゅつ方法ほうほうなど、現代げんだい研究けんきゅうしゃ作業さぎょう過程かていあらいざらい叙述じょじゅつされている。ようするに『わたしたち』は、ききとりによって戦争せんそう体験たいけんにかかわる人生じんせいえがいたものであり、ききとりをつうじた歴史れきし研究けんきゅう方法ほうほう考察こうさつしたものであり、ききとりによる叙述じょじゅつこころみたものにほかならなかったのである。」(p.201)
「『わたしたち』執筆しっぴつ吉沢よしざわは、ききとりと文字もじ史料しりょうを「同列どうれつ」に利用りようすることには禁欲きんよくてきであったが、史料しりょう信憑しんぴょうせい史料しりょう批判ひはん必要ひつようせいはききとりと文字もじ史料しりょう両方りょうほうにいえることであり、ききとりだけが信憑しんぴょうせいやバイアスをわれるのではないとべ、ききとりに「独自どくじ意味いみ」をみとめていた」(p.202)
吉沢よしざわは、「きた資料しりょう」であるかた意見いけんうだけでなく、かたはなしけとめ、反芻はんすうしてみずからの歴史れきしかんなおそうとしていた。かたとの相互そうご関係かんけいからひらかれる世界せかいは、文献ぶんけん史料しりょうによる世界せかいことなるものであり、そこにききとりの「独自どくじ意味いみ」があった。」(p.202)
吉沢よしざわ問題もんだい提起ていきは、ポスト・コロニアルろん国民こくみん国家こっかろんとかかわっていちきゅうきゅう年代ねんだい以降いこう日本にっぽん歴史れきしがく提起ていきされるようになったものをさきどりしためんがあった。」(p.203)
「ききとりをふまえた歴史れきし叙述じょじゅつでは、ききて認識にんしき推移すいい変化へんかふくめてかれることがすくなくない。このてんでも、吉沢よしざわ古庄ふるしょうわたしともに同様どうようである。それにたいして、文献ぶんけん史料しりょうにもとづく歴史れきし叙述じょじゅつでは、史料しりょう読解どっかい詳細しょうさい史料しりょう読解どっかいする研究けんきゅうしゃ認識にんしき変化へんかなどがかれることはまれであり、とくに研究けんきゅうしゃ認識にんしき変化へんか行間ぎょうかん奥底おくそこにしまってかないことが洗練せんれんされた研究けんきゅうとされているようにおもわれる。ききて認識にんしき推移すいいふくめた叙述じょじゅつ複雑ふくざつさをすのでけるべきかというと、そうはおもわない。」(pp.204-205)
「「かた歴史れきし歴史れきし」は歴史れきしがく方法ほうほうなおす。ききとりにってかたること、くことの意味いみかんがえることは、それまで自明じめいおもっていた文字もじ史料しりょうによる歴史れきしがく方法ほうほうなおすことになり、さらには、暗黙あんもくのうちに前提ぜんていにされていた歴史れきし時間じかん空間くうかんへのいをこし、歴史れきし叙述じょじゅつ自体じたいさい検討けんとうすることになる。わたしはここに「かた歴史れきし歴史れきし」の可能かのうせいがあるとおもっている。」(p.205)
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だい6しょう歴史れきしのひろがり/歴史れきしがく可能かのうせい
歴史れきし、なかでも体験たいけん歴史れきしがひろがる背景はいけいには、ふたつのおおきな時代じだい状況じょうきょうがあるようにおもわれる。ひとつは、いちきゅうきゅう年代ねんだい以降いこうのグローバルとメディア環境かんきょう変化へんかである。グローバル進展しんてんすればするほど、メディア環境かんきょう激変げきへんすればするほど、一方いっぽうひとびとを疎外そがいする状況じょうきょうがひろがり、その反証はんしょうとしてひとひと関係かんけい回復かいふく希求ききゅう身体しんたいせい回復かいふく希求ききゅうつよまる。歴史れきし関心かんしんあつまっている背景はいけいには、身体しんたいせい回復かいふく希求ききゅうがあるようにおもわれる。|きゅう年代ねんだい以降いこうのグローバル進展しんてんは、他方たほう冷戦れいせん構造こうぞう崩壊ほうかいかさなることで、世界せかい各所かくしょ世紀せいき歴史れきし見直みなおしをこしている[…]。これがもうひとつの時代じだい状況じょうきょうである。そこでは植民しょくみん主義しゅぎ軍事ぐんじせい暴力ぼうりょく黒人こくじん歴史れきしをはじめとして、人種じんしゅ主義しゅぎ奴隷どれいせいいたるまで歴史れきし全般ぜんぱん見直みなおされ、うしなわれた歴史れきし回復かいふくする気運きうんまれている。きゅう年代ねんだい以降いこう日本にっぽんで、日本にっぽんぐん慰安いあん」や軍事ぐんじせい暴力ぼうりょくなどの体験たいけん歴史れきしがひろがっている背景はいけいには、この時代じだい状況じょうきょうよこたわっている。」(p.215)
「ききては、かたかたったこと、かたりえなかったことについて、沈黙ちんもく表情ひょうじょうふくめてかんがえることになる。かたは、かたきてきた過去かこから現在げんざいいたるまでの経験けいけんをさまざまな磁場じばとのかかわりでかたる。その磁場じばには、すさまじいまでの歴史れきし抑圧よくあつ困難こんなんくわわっていることもある。しかもかたは、ききてとの関係かんけいの〈現場げんば〉のなかでかたる。ききては、過去かこ現在げんざいいた経験けいけんをさまざまな磁場じば考慮こうりょして検証けんしょうし、かたりの内容ないよう意味いみ確定かくていさせる必要ひつようがある。これらをふまえたうえでききとりを叙述じょじゅつする。」(pp.223-224)
以上いじょうをふまえて、わたしなりに体験たいけん歴史れきし条件じょうけん整理せいりすれば以下いかよんてんになる。|(1)かたとききて信頼しんらい関係かんけいのありよう|(2)ききとりがった条件じょうけんについての自覚じかく|(3)先入観せんにゅうかんててかたかたりにみみをすます|(4)かたりの意味いみかんがえ、ききとりを叙述じょじゅつしてかたちにする」(p.224)
「ききとりの検証けんしょうにあたり、文字もじ史料しりょうとも照合しょうごうすることは当然とうぜんのことである。しかし、文字もじ史料しりょう優先ゆうせんし、文字もじ史料しりょうわくないにききとりを位置いちづけることになると、ここで検討けんとうしてきた、体験たいけんかた歴史れきし複雑ふくざつだがゆたかな過程かてい困難こんなんえてようやくにしてかたられた内容ないよう、〈現場げんば〉にふくまれた身体しんたいせい回復かいふく側面そくめんなどにひかりをあてることはできない。」(pp.224-225)
「「かたりつぐ」を念頭ねんとうにおいてききとりについてかんがえてみると、ききとりではもちろんかた重要じゅうよう存在そんざいなのだが、ききてかたからはなしき、それらを叙述じょじゅつする一連いちれん過程かていをふまえれば、かたぐうえでききて重要じゅうよう役割やくわりをはたしていることがおのずとわかってくる。ききては、たん質問しつもんをしてかたかたってもらうのではなく、かたはなし内容ないようからおもいまでをまるごとけとめることができる場合ばあいがある。このようなことは、両者りょうしゃ直接ちょくせつ対面たいめんするききとりであればこそできることである。ききとりには、かた可能かのうせいふくまれている。かたとききて直接ちょくせつうききとりがひら可能かのうせい文字もじ史料しりょうことなる可能かのうせいがそこにあるのではないか。」(p.229)
「ききとりには、体験たいけんおもいを「まるごと」けとめる可能かのうせいひらかれている。」(pp.232-233)
かたとの信頼しんらい関係かんけいいままでのかたりをふまえ、かたかたりや表情ひょうじょう沈黙ちんもくを「まるごと」けとめ、そのなかで肝心かんじんなことをぎ、言葉ことば責任せきにんをもって叙述じょじゅつする。「かた歴史れきし歴史れきし」には、かたりを可能かのうせいふくまれている。」(p.233)
かたとききてのあいだに信頼しんらい関係かんけいがあり、ききてかたかたりにみみをすますとき、ききてかたなにがあったのかだけでなく、かたおもいや感情かんじょう沈黙ちんもくなどをふくめてかたりをまるごとけとめることができる。ここに対面たいめんせい身体しんたいせいをともなうききとりの固有こゆう特徴とくちょう可能かのうせいがある。」(p.240)
「「かた歴史れきし歴史れきし」は、現在げんざいきるひとかぎられない。過去かこ歴史れきしのなかにも「かた歴史れきし歴史れきし」はのこされている。」(p.240)
いままで、オーラル・ヒストリーといえばどう時代じだい歴史れきしかんがえられてきたが、文字もじ変換へんかんされたものもふくめることで、視野しや一挙いっきょにひろがり、歴史れきし全体ぜんたい対象たいしょうにすることが可能かのうになる。[…]文字もじのなかにかたることやくことの痕跡こんせきさがし、かたることやくことが文字もじ変換へんかんされる方法ほうほうやプロセスをたどることで、「かた歴史れきし歴史れきし」がおこなわれていた〈現場げんば〉を回復かいふくさせることができる。歴史れきしの〈現場げんば〉からは、こえ痕跡こんせき場面ばめんなど、ひとびとがきられた歴史れきしかびがる。この作業さぎょうは、いうまでもなく、本書ほんしょでとりあげた戦前せんぜん日本にっぽん以外いがいにもひらかれている。歴史れきしのなかの「かた歴史れきし歴史れきし」をたずねる作業さぎょうには、広大こうだいおおきな可能かのうせいひらかれている。」(pp.240-241)
「「かた歴史れきし歴史れきし」の歴史れきし現在げんざいをたどり、あらためてみっつの印象いんしょうのこる。だいいちに、[…]「かた歴史れきし歴史れきし」の〈現場げんば〉には、かたとききて身体しんたいせい胚胎はいたいしている。」(p.241)
だいだいさんは、とくにききてにかかわることである。ききては、自分じぶんのききかたい、くことの意味いみ反芻はんすうし、更新こうしんするなかで、かたかたることをようやくまるごとけとめられるようになる場合ばあいすくなくない。」(p.241)
くことの困難こんなんづき、葛藤かっとうをへるなかで、ようやくひとびとのきた歴史れきしをまるごとけとめることができる。」(p.242)
だい3しょうぜんオモニとだい4しょう桜林さくらばやし信義のぶよしさんのかた歴史れきしからは、時間じかんながれにそってきてきたというよりも、経験けいけんじくに、経験けいけん共通きょうつうこうをつくるなどの工夫くふうをしてなまをつなぐ生活せいかつ実践じっせんをしていたことが確認かくにんできた。ここではいわば経験けいけん主軸しゅじく時間じかんふくじくであり、経験けいけんじくとして経験けいけん時間じかん連鎖れんさするようにつながっていた。[…]今回こんかい二人ふたりからえてきたことは、経験けいけんのなかにきる知恵ちえどころもとめ、経験けいけんじくにしながらせいをつなぐようにきる姿すがたであった。」(p.242)
「「かた歴史れきし歴史れきし」からは、ひとびとの生活せいかつ実践じっせんまでけとめることができる。「経験けいけんじくにしてなまをつなぐ生活せいかつ実践じっせん」は、日本にっぽんきん現代げんだい人々ひとびとかたかんがえるうえで、きわめて重要じゅうよう検討けんとう課題かだいだとおもわれる。」(p.243)
「ききて未来みらいわたすのには、かたぐことと、ぐことのふたつの世界せかいがある。一人ひとりひとりの体験たいけんいたあとに、ききてみずからの言葉ことば責任せきにんをもってかたぐことで、体験たいけん孤立こりつしたり、埋没まいぼつしたりせずに、未来みらいわたしされる。一人ひとりひとりのはなしみみをすましたききてには、叙述じょじゅつする世界せかいっている。かたかたりたくおもっていることをまるごとけとめ、かたいま歴史れきし双方そうほう位置いちづけて世界せかいである。」(p.243)

◇オーラル・ヒストリーの/と「歴史れきし
対象たいしょうとする時代じだいのスパンをひろとらえる
◇ききてこえ存在そんざい
こえ以外いがいふくめてまれる生身なまみの・きられた歴史れきし *
かたりのもつ身体しんたいせい――をいかにそこなわず記述きじゅつするか *
かたり・く「」(場面ばめん・〈現場げんば〉)そのものの意味いみ *
庶民しょみんがつねに「素材そざい」されてきた歴史れきしえる
◇ききてかたたいしてもつ(翻訳ほんやくせいじょできてしまう)権力けんりょく――を自覚じかくできるか
◇ききてかかえる「うちなる植民しょくみん主義しゅぎ
◇ききて感慨かんがい逡巡しゅんじゅん試行錯誤しこうさくごとその意図いと記述きじゅつする
かたり・くこと(行為こうい自体じたい正面しょうめんから
◇「人生じんせいく」方法ほうほうろん陥穽かんせい――かたがわ意思いし制約せいやく/「苦労くろう克服こくふく物語ものがたり」として叙述じょじゅつ
沈黙ちんもく身体しんたいてき行為こういを――「まるごと」――けとめる
かたられなかった「きた歴史れきし」の意味いみ
◇ask・listen・take――応答おうとう過程かていかえ
かた手間てま積極せっきょくてき相互そうご作用さよう関係かんけい
きられた全体ぜんたいせい時代じだい通史つうし
◇「経験けいけん」をじくにしてつながれるせい――をけとめて(時間じかんながれに沿うのではなく)描写びょうしゃする
◇ききての「成長せいちょう」の過程かてい――づき・葛藤かっとう試行錯誤しこうさくご
補足ほそく村上むらかみ
身体しんたいせい場所ばしょせい
生業せいぎょう刻印こくいんきず変形へんけい皮膚ひふかたさ)
不意ふいおどり(郷土きょうど芸能げいのう)・うた民謡みんよう子守こもりうた
土地とち規定きていする歴史れきしせい土着どちゃくせい
‐ (つくられたリアリティではない)リアリズムが発露はつろする瞬間しゅんかん
‐ アカデミズム:記憶きおく身体しんたいせい簒奪さんだつ装置そうち
━━━
村上むらかみによる本書ほんしょへの批判ひはん
◇「おおきな歴史れきしと「かた歴史れきし歴史れきし」のつながりからえてきたことは、生活せいかつにかかわろうとしたのは国家こっかだけではなく、戦争せんそう占領せんりょうまれたひとびとは、なんらかのかたちでそれをけとめてとらえがえそうとしたこと、あるいは、ひとびとが国家こっか生活せいかつ保障ほしょう生存せいぞん仕組しくみの転換てんかんうながし、国家こっかがそれにおうじる、その相互そうご交渉こうしょう歴史れきしのなかで時代じだいはつくられてきたことである。この時代じだい通史つうし理解りかいにとって重要じゅうようなことは、生存せいぞんのための相互そうご交渉こうしょう歴史れきし視座しざをもつことではないか。」(p.181)
――このように「国家こっか」と「ひとびと」とを平面へいめんてき(=水平すいへいてき)・対置たいちてき関係かんけいせい位置いちづけることは危険きけんではないか。その「相互そうご交渉こうしょう」の地平ちへい自体じたいのありかたを規定きていする「ちから」の存在そんざい(と、それを行使こうしする主体しゅたい)が不可視ふかしされている。
◇「六車むぐるま由実ゆみ介護かいご民俗みんぞくがく〕は支援しえん結論けつろんいそがず、介護かいごとききの両方りょうほうあたらしいひかりをあてるなかで、利用りようしゃさん(かた)はきてきた人生じんせいをあらためてたどりなおしてい、ききてもまたかたたいして一人ひとり人間にんげんとしてい、さらにはかたかたりをふかけとめてかたちにする。かたとききてが〈現場げんば〉でうこのような関係かんけいには、かたとききて双方そうほう身体しんたいせい回復かいふくうなが側面そくめんがあるといっていいだろう。」(p.220)
――身体しんたいせいの(「さい認識にんしきさい獲得かくとく」ではなく)「回復かいふく」なるものは、双方そうほうにとってなに意味いみするのか、またそもそもだれ規定きていするのか。そのいなくしての称揚しょうようは、(ききてがわによる)ナイーブかつ一方いっぽうてき意味いみづけではないか。
◇「経験けいけんじくにしてなまをつなぐ生活せいかつ実践じっせん」(p.242)の受容じゅよう、ならびに体験たいけんを「かたぐ」/「わたしたちの言葉ことば未来みらいわたしす」(p.243)過程かていさいしては、(くさレベルの/無自覚むじかくてきな)歴史れきし修正しゅうせい主義しゅぎてき転用てんよう簒奪さんだつつね介在かいざいする危険きけんせい想定そうていすべきではないか。ピュアリスティックなききて態度たいど前提ぜんていとした実践じっせん蔓延まんえんがもたらす「功罪こうざい」にたいし、冷徹れいてつ立場たちば必要ひつようせい喚起かんきしておきたい。
否応いやおうなく表出ひょうしゅつするかたのプリミティヴな身体しんたいせい精神せいしんせい、そしてそれをけとめみずからの言葉ことば変換へんかんする特異とくい能力のうりょくそなえたききて身体しんたいせい精神せいしんせいは、かならずしも本書ほんしょ前提ぜんていとされている(と解釈かいしゃくしうる)「自立じりつした近代きんだいてき個人こじん自由じゆう意志いし」の範疇はんちゅうおさまるものではない。それは往々おうおうにして、「理解りかい不能ふのう禍々まがまがしさ」をたずさえたものであるはずだ。その存在そんざい可能かのうせい捨象しゃしょうしてよいとはおもえない。たとえば、なぜ本書ほんしょ石牟礼いしむれ道子みちこ苦海くかい浄土じょうど』にれ「られなかった」のかをかんがえてみることは、無益むえきではあるまい。

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だい14かい:「かたりをくこと、記録きろくすること(4)」[2018/07/18]

前回ぜんかいつづ

冒頭ぼうとうはなしたこと
事例じれい紹介しょうかい日本にっぽんのZINEについてってることすべて――80年代ねんだいインディーへん(2018/07/14|於:きゅうグッゲンハイムてい参考さんこう1】参考さんこう2】
公開こうかいインタビューという方法ほうほう
‐ オープンなでの共有きょうゆう
相互そうご作用さようせい客席きゃくせきへのいかけ/客席きゃくせきからの応答おうとう
‐ ききとりの「」そのものがクリエイティヴな機能きのう発揮はっきする可能かのうせい

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だい15かい:「かたりをくこと、記録きろくすること(5)――詩的してき叙述じょじゅつと「現場げんば実践じっせん両立りょうりつ」[2018/07/21]

かたりえない/かたられなかった言葉ことばをききとり、言葉ことばにし、叙述じょじゅつする。
土地とち言葉ことばみずからの言葉ことばかたる/土地とち言葉ことばみずからの言葉ことばさい構成こうせいする
石牟礼いしむれ道子みちこ水俣みなまたうちから]
森崎もりさき和江かずえ筑豊ちくほうそとから]
女性じょせい言葉ことば――コミュニティ/労働ろうどう重層じゅうそうてきにマージナライズされた存在そんざい
土地とち規定きていする精神せいしんせい(スピリチュアリティ)・身体しんたいせい
◇「詩的してき」であることが体現たいげんするリアリズム(notリアリティ) *
うたかたりのリズム
情動じょうどうせいあい・エロス
*=近代きんだい科学かがく歴史れきしがく社会しゃかいがく……)がてる要素ようそ
言葉ことば情報じょうほう環境かんきょう詩情しじょうを「まるごと」つかまえ、分離ぶんりせずに表現ひょうげんする。:アカデミズムをえたダイナミズム
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◆いとうせいこう×若松わかまつ英輔えいすけ 2018/05/30 「[対談たいだん石牟礼いしむれ道子みちこむということ」『[文藝ぶんげい別冊べっさつ石牟礼いしむれ道子みちこ――さよなら、不知火しらぬいかいげんたましい河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ(KAWADEゆめムック): 78-94
「〔若松わかまつ:〕石牟礼いしむれさんは、本当ほんとうにさまざまなことをしましたが、まず、「ひと」です。とにかく現実げんじつつづけた。そしてたことをなかったことにしなかった。そこが彼女かのじょ文学ぶんがくなかにあるがするんです。でも、いま、その部分ぶぶんわすれられている。わたしたちは、自分じぶんたちのまえにあるものをまずることからはじめれば石牟礼いしむれさんにちかづけるかもしれないけど、石牟礼いしむれ道子みちこという存在そんざいほうばかりをていると……。
いとう:石牟礼いしむれさんがていたものがえなくなりますよね。
若松わかまつ:そうなんです。そこは注意ちゅういしなければいけない。石牟礼いしむれさんがくなって、みんながたたえましたよね。もし石牟礼いしむれさんがきていたら苦々にがにがしくおもったんじゃないですか。「わたしたものをてほしい、わたしではなく」そううとおもいます。
いとう:なるほど。石牟礼いしむれさんの文章ぶんしょうつパワーはすごいから、我々われわれはついつい石牟礼いしむれ道子みちこ本人ほんにんてしまう。むずかしいんですけど、それによって石牟礼いしむれさんの対象たいしょうからはぐれてしまうのはありますね。」(pp.79-80)
「〔若松わかまつ:〕水俣病みなまたびょうだけでなく、ちがうかたちでくるしんでいるかたたちがいる。その存在そんざいえなくなるのは、いいこととはおもえないんです。
いとう:つまり「だれ代弁だいべんしているか」をわすれるということですよね。」(p.80)
「〔若松わかまつ:〕現代げんだいには、文学ぶんがくきで、和歌わかすこしたしなむ程度ていどだった女性じょせいが、巫女ふじょになり、預言よげんしゃのようにきなければならない昏迷こんめい必然ひつぜんがある。わたしは、現代げんだい席巻せっけんしてまない、強欲ごうよく利己りこ主義しゅぎをたきつける「なにか」はどこからくるのかをかんがえています。その「なにか」というのは、あたかもえてなくなったかのようにおもえるけど、いまわたしたちのまえにあるはずなんです。ですから石牟礼いしむれ道子みちこたたえるまえに、その「なにか」をなければいけないし、なければ、彼女かのじょ言葉ことばぐことはできない。」(p.81)
「〔若松わかまつ:〕現代げんだいはよりおおくのひとまれることが文学ぶんがく役割やくわりだとおもわれている。「世界せかいてきなものだ」というのが最大さいだいきゅう評価ひょうかだったりする。でも石牟礼いしむれさんはせい反対はんたいのことをっている。ほんまない、自分じぶんよこにいる、言葉ことばうばわれたものたちのためにいているというのです。こうしたひと仕事しごとを、「世界せかいてきなもの」だと評価ひょうかすると、大切たいせつなにかを見失みうしなってしまうかもしれない。彼女かのじょ言葉ことばとその生涯しょうがいを、もっとちかいところでめないといけない。」(pp.81-82)
「〔若松わかまつ:〕石牟礼いしむれさんは『全集ぜんしゅう』も整備せいびされているわけですから、もうこさなくてもいい。こす方向ほうこうではなく、方向ほうこうにエネルギーを使つかわなくてはならない。」(p.82)
「いとう:ってみれば、石牟礼いしむれ道子みちこのなかに石牟礼いしむれ道子みちこいださないということですね。それが石牟礼いしむれ道子みちこせいだと。」(p.82)
「〔いとう:〕ぼく震災しんさいは『苦海くかい浄土じょうど』をすがるようにみましたけど、最近さいきん句集くしゅうとか詩集ししゅうむようになっているんです。それらの作品さくひんにはもちろん社会しゃかいへのいかりもふくまれているんですけど、それよりもより個人こじんてきなものなんですよね。そういう個人こじんてき部分ぶぶん土台どだいにあって『苦海くかい浄土じょうど』などの作品さくひん出来できていることに……つまり石牟礼いしむれ道子みちこんで圧倒あっとうされるのではなくて、石牟礼いしむれ道子みちこんできたくなることのほう自分じぶんにとってどうも重要じゅうようになってきているみたいなんです。」(p.83)
「〔いとう:〕『苦海くかい浄土じょうど』は中心ちゅうしんがあって、によってかれている。それが文学ぶんがくしゃとは圧倒的あっとうてきちがっている。
若松わかまつしんから同意どういします。というのは言葉ことばたりないものをどうにか言葉ことばにするいとなみです。自分じぶんすでかっていることをえがくのとはまったくことなるいとなみなわけで、石牟礼いしむれさんにも、主体しゅたい自分じぶんではないという感覚かんかくつよくあったんだとおもいます。わたしいたとしてもそれはわたしではない。ちがう「わたし」なんだ。それは水俣病みなまたびょうくなったひとたちであり、さまざまな不条理ふじょうり出会であったひとたちであり……という感覚かんかく石牟礼いしむれさんにはあったんだとおもいます。」(p.83)
「〔若松わかまつ:〕石牟礼いしむれさんは、水俣病みなまたびょう公害こうがいじゃない、虐殺ぎゃくさつだというのです。本当ほんとうにそうだとおもいます。水俣病みなまたびょう公害こうがいだとっていたら、とても重要じゅうようなもの、本質ほんしつてきなものを見失みうしなってしまう。[…]現場げんばえないところで虐殺ぎゃくさつこっている世界せかいで、わたしたちはなに見据みすえていかなくてはならないのか、そこが問題もんだいだとおもうのです。」(p.84)
「〔いとう:〕論理ろんりてきに「ここの政治せいじ課題かだいはこうすれば解決かいけつしますよ」とか「このひとたちはこうやって保障ほしょうすればなんとかなりますよ」というかんがかたこそがじつ一方いっぽうてきであって、文学ぶんがくてき対極たいきょくですよね。そうじゃないやしなうためにほんがあるわけだから。」(p.85)
若松わかまつ開高かいこうけん[…]は、ある意味いみではとても石牟礼いしむれさんにているともおもうんです。一見いっけんするとてもつかぬにんですよね。態度たいど文学ぶんがくもまったくちがう。でも、二人ふたりは、ひとけないところないところ意味いみがないとおもところ実際じっさい出向でむき、そこでたものをいている。そういうてんではとてもちかい。」(p.85)
「〔若松わかまつ:〕わたしたちはいま石牟礼いしむれ道子みちこ読者どくしゃという立場たちばにいるわけです。だからこそここで読者どくしゃとはどういう存在そんざいなのかを真剣しんけんかんがえる。とてもいい機会きかいでもある。
いとう:つまり石牟礼いしむれ道子みちこかたるな、め、ということですね。」(pp.85-86)
「〔若松わかまつ:〕石牟礼いしむれ道子みちこ研究けんきゅう論究ろんきゅうしたもので、興味深きょうみぶかめるものはおおくないです。それはおそらく、いまかんがえている意味いみで「む」まえいているからなんだとおもうんです。いとうさんのようにその世界せかいって、かえってきてからくのはいいとおもうんですけど、「く」という実践じっせんがないままくと、非常ひじょうちいさなものになってしまう。」(p.86)
「〔いとう:〕石牟礼いしむれさんのなかではうみ広大こうだいで、うみがわからこっちの世界せかいている。おおいなるものからこっちをちからがある。しかもそれにかいっている自分じぶんもいるし、さらにはその背後はいごから自分じぶんうみとをながめる自分じぶんがいて、その全部ぜんぶっている。だから、ある意味いみでは分類ぶんるいしないというか、分類ぶんるいしないからすべてのものがえているんですよね。」(p.87)
「〔いとう:〕患者かんじゃさんたちの言葉ことばいておぼえてかたったという意味いみでは、石牟礼いしむれさんだって〔『古事記こじき』の稗田ひえた阿礼あれいと〕おなじで、まずはだった。それから石牟礼いしむれさんは度々たびたびうたいますよね。はなしていても途中とちゅうからうたす。おそらくしゃべることとうたうことの区別くべつがついていないんじゃないかとおもうんですけど、言語げんごうたから発生はっせいしたわけですから、つね言語げんご発生はっせいする現場げんば自身じしんなかかかえているひとでもあった。」(p.88)
「〔若松わかまつ:〕石牟礼いしむれ道子みちこも、「現場げんば」でまれないといけない。いまのままだとケースにはいった百済くだら観音かんのんみたいになるようながして……。」(p.89)
「〔若松わかまつ:〕石牟礼いしむれさんの文学ぶんがくんでいると、言葉ことばによってきずついたひとたちのドラマであり歴史れきしです。さきほどのいとうさんのはなしにもありましたが、言葉ことばぶんだと。おとがあれば自分じぶんいち生涯しょうがい出会であわないようなひとしんまでとどく。でも文学ぶんがくがその飛躍ひやくちから飛躍ひやくのはたらきを手放てばなしてしまったら、その可能かのうせいはとてもちいさなものになってしまう。」(p.90)
「〔いとう:〕いまだに水俣病みなまたびょうめぐってその因果いんがせい責任せきにんをちゃんとみとめていない社会しゃかいがあるということ自体じたいひどいことですけど、放射能ほうしゃのう場合ばあい、その被害ひがいかくりつでしかえないわけですよね。あるところ濃度のうどたかいし、あるところひくい。しかもそれがからだ影響えいきょうするひともいればそうじゃないひともいる。そうなってしまったら、これはもう科学かがく数字すうじではとらえられないわけです。現実げんじつがモザイクじょうちがうから、平均へいきんかんがえることはできない。むしろ、文学ぶんがくでしかこの残酷ざんこくさは表現ひょうげんできない。いまこそ必要ひつよう時代じだいになったわけです。それなのに「放射能ほうしゃのうのことはかないで。社会しゃかいてきなことはかないで」とわれると、意味いみがあるのかとおもってしまいます。」(pp.90-91)
若松わかまつなん石牟礼いしむれ道子みちこっていて、こちらが彼女かのじょだとおもってっているうちは、あるところまでしかれてもらえない、というかんじがしたんです。でもあるときたんにここにいることが面白おもしろいことなんだとづいたんです。それまでは大事だいじなことをおはなしになるかもしれないとおもって録音ろくおんもしていたけど、それもめて、こちらからはなすこともやめてしまった。そうしたら石牟礼いしむれさんが、水俣みなまた地図ちずえがきながらいろんなはなしをしてくれた。しかとした態度たいどは、さまざまな意味いみ文学ぶんがく世界せかいをとてもちいさくしているのかもしれません。
いとう:いちばんちかくの隣人りんじんけてくという石牟礼いしむれさんの姿勢しせいが、マイナー文学ぶんがく過激かげき文学ぶんがくにとってもっとたりまえ態度たいどなんでしょうね。というか、元々もともと文学ぶんがくってこえちいさきものだったんですよね。」(p.91)
「〔若松わかまつ:〕石牟礼いしむれさんは、チッソのまえで、いちねんななヶ月かげつすわみをしたひとです。直接ちょくせつほんったわけではないですけど、じか言葉ことばとどけてきた。そういう、文学ぶんがくのあるしゅ身体しんたいせいがいつのにかなくなってしまった。」(pp.91-92)
若松わかまつ:『苦海くかい浄土じょうど』も、ある意味いみではフィクションですよね。フィクションなんだけど、現場げんばのことをいている。フィクションだけど、「つくりもの」ではないのです。かくれた真実しんじつ言葉ことばにしたものですが、はそれをフィクションとぶ。考証こうしょうてき調しらべたところで、あるところまでしかたどりかない。いとうさんは、小説しょうせつきながら、フィクションをいているとおもっていないのではないでしょうか。むしろ現代げんだい受容じゅようされているフィクションがしんじられなくなってきて、ノンフィクションをいている。でもノンフィクションでいたほうが、フィクションがきてくる。まさに『苦海くかい浄土じょうど』ですよ。石牟礼いしむれさんがなにをしてくれたじんかとえば、文学ぶんがくのジャンルをくだいてくれたひとなんですよね。石牟礼いしむれさんがやらなかった形式けいしきはないですよね。」(pp.92-93)
「〔いとう:〕ジャンルについてもおなじなんですよね。その区別くべつがない。どこどこのジャンルにってくというよりは、つねぜんジャンルがふくまれた作品さくひんの、どこかいちはし突出とっしゅつして小説しょうせつになったりになったり。それがすごいしスリリングなんです。」(p.93)


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参考さんこう

対象たいしょう候補こうほとした(がげられなかった)もの

▼メディア
堀部ほりべ篤史あつし「[このごろ通信つうしん雑誌ざっし思考しこう教科書きょうかしょ毎日新聞まいにちしんぶん』2018ねん4がつ23にち東京とうきょう夕刊ゆうかん
◇「ノイズ」の必要ひつようせい
体系たいけいとそこからはみるもの
 ――どうすくるのか/その位置いち関係かんけいをどうえがくか
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きん過去かこ時代じだいせい世代せだい
◆ばるぼら・野中のなかモモへん 2017 日本にっぽんのZINEについてってることすべて――同人どうじん、ミニコミ、リトルプレス 自主じしゅ制作せいさく出版しゅっぱん1960〜2010年代ねんだいまことぶんどう新光しんこうしゃ
「 そしてそれから
  みんな、くちをそろえて
  「80年代ねんだいなにかった」ってゆう
  なにこらなかった時代じだい
  でもあたしには…
漫画まんが岡崎おかざき京子きょうこが『東京とうきょうガールズブラボー』最終さいしゅうかいでヒロインにそう述懐じゅっかいさせたのが1992ねん。ここで彼女かのじょえがいた「80年代ねんだい青春せいしゅん」は、まだ10ねんっていないきん過去かこだった。そして2010年代ねんだい。30ねんときて、エイティーズ・スタイルは、もはやなんしゅうというはなしではなく若者わかものたちの選択肢せんたくしのひとつとなり、まちにはいつかがするけれどむかしとはどこかなにかが絶対ぜったいちが意匠いしょうがあふれている。パステルピンクにペパーミントグリーン、ネオンカラーにブラッグ&ゴールド。高度こうど消費しょうひ社会しゃかい個人こじん主義しゅぎ多様たよう細分さいぶん、ポストモダン。そんなキーワードがされた時代じだいのリアルな感覚かんかくを、のこされたZINEからさぐってみよう。それは今日きょうまでずっとつづいている「パンク以後いご(ポストパンク)」のはじまりではなかったか。」(p.65《Chapter:2 80年代ねんだいのジン――ポストパンクの断片だんぺんたち》リードあや

小林こばやし英治えいじ 2018 「アイオワでごした10週間しゅうかん――柴崎しばざき友香ゆかインタビュー」『なnD』6: 33-48
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▼エスノグラフィ
小川おがわさやか 2017 「オートエスノグラフィにあふれる根拠こんきょなき世界せかい可能かのうせい」(特集とくしゅう=エスノグラフィ――質的しつてき調査ちょうさ現在げんざい現代げんだい思想しそう』45-20(2017-11): 123-137
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かたりをくこと、記録きろくすること
らん由岐子ゆきこ 2004→2017 『[新版しんぱん]「やめいの経験けいけん」をききとる――ハンセン病はんせんびょうしゃのライフヒストリー』生活せいかつ書院しょいん
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▼[シミュレーション]ジャズ“で”調査ちょうさする
◆マイケル・モラスキー 2005→2017 戦後せんご日本にっぽんのジャズ文化ぶんか――映画えいが文学ぶんがく・アングラ』岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこS305)
◆マイケル・モラスキー 2010 『ジャズ喫茶きっさろん――戦後せんご日本にっぽん文化ぶんかあるく』筑摩書房ちくましょぼう
◆Manabu Nakamura(edit, photo: Takao Fujioka)「JAZZ CD & RECORD LIGHTHOUSE――関西かんさい新譜しんぷジャズ専門せんもんてん最後さいごひかり「ライトハウス」」『KANSAI JAZZ GUIDE: WAY OUT WEST』110(2018-05): 2-6
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▼[シミュレーション]「1968ねん」を調しらべる
時代じだいの「アクチュアリティ」をつかむ/見出みいだす――歴史れきし意識いしき時代じだい感覚かんかく必要ひつようせい(cf.「トレンド」をつかむ「マーケティング」といった概念がいねんとはぎゃくの――そうしたものを破壊はかいするための――アプローチ)
◇なぜ1968ねんか?
世界せかい同時どうじせい
政治せいじ運動うんどう思想しそう文化ぶんか
◇1968ねん「を調しらべる」こととは
当事とうじしゃせい
継承けいしょう断絶だんぜつ
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「[プレスリリース]「1968ねん」――無数むすういの噴出ふんしゅつ時代じだい国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかん/2017)
「[企画きかくてん]「1968ねん」――無数むすういの噴出ふんしゅつ時代じだい(2017ねん10がつ11にち〜12がつ10日とおか国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかん
安田やすだ常雄つねお 2018 思想しそう言葉ことば――「いちきゅうろくはちねん」は民衆みんしゅう生活せいかつ思想しそう)とどのように交錯こうさくするか」特集とくしゅう=〈1968〉)思想しそう』1129(2018-05)
しま泰三たいぞう中川なかがわえりな・四方田よもだいぬ「「1968ねん」――あれからはん世紀せいき中日新聞ちゅうにちしんぶん』2018ねん4がつ21にちかんがえる広場ひろば
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「1968ねん――転換てんかんのとき:抵抗ていこうのアクチュアリティについて」映画えいが上映じょうえい+パフォーマンス/シンポジウム/ミクストメディアシアター/展示てんじ
 2018ねん5がつ27にち〜6がつ16にち 於:ゲーテ・インスティトゥート東京とうきょう
《フランス映画えいがさい2018 京都きょうと
 2018ねん6がつ25にち〜7がつ1にち 於:出町でまち
 *『グッバイ・ゴダール!』・『中国ちゅうごくおんな上映じょうえい
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“Archive of 1968”(Verso Books)
“[Reading List] 50 Years on from 1968”(Verso Books)
“[Reading List] '68 and the Situationists: A Reading List”(Verso Books)
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◆クリスティン・ロス(箱田はこだてっやく) 2002=2014 『68ねん5がつとその――反乱はんらん記憶きおく表象ひょうしょう現在げんざい革命かくめいのアルケオロジー 3)こうおもえしゃ
◆ノールベルト・フライ(下村しもむら由一ゆいちやく) 2008=2012 『1968ねん――反乱はんらんのグローバリズム』みすず書房しょぼう
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◇20180613 「JAZZ & CITY #3──平井ひらいげん×中村なかむらひろし『ele-king』
「1968ねんから50ねん? それがどうした。
かたられればかたられるほど、肝心かんじんなことがされていく。
さて、みなみロンドンからひびくUKジャズを最近さいきんいている。
そこにロリンズふうのモールス信号しんごうフレーズがこえる。
ロリンズからはん世紀せいきカリブ海かりぶかいから大西洋たいせいようひがしまわんできた連中れんちゅうわかおとだ。
ジャズはきている。んでいるのはおれたちだ。」
平井ひらいげん(@hiraigen)
思想しそう』1129(2018-05)特集とくしゅう=〈1968〉〕
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◆「[鼎談ていだん四方田よもだいぬ彦×福間ふくま健二けんじ×大島おおしまひろし『1968[1]文化ぶんか』(筑摩書房ちくましょぼう)]時代じだい最先端さいせんたんつね少数しょうすうだ――時代じだいうごいていく、それが面白おもしろいとって拍手はくしゅしているだけではダメだった」
 『図書としょ新聞しんぶん』3345ごう(2018ねん3がつ31にち)1・2・7めん 【Web掲載けいさいばん
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片岡かたおか義男よしお 2018 「辰巳たつみヨシヒロ、広瀬ひろせただし三島みしま由紀夫ゆきお珈琲こーひーぶ』光文社こうぶんしゃ: 282-310 ━━━
小杉こすぎ亮子あきこ 2018 東大とうだい闘争とうそうかたり──社会しゃかい運動うんどうしめせ戦略せんりゃくしん曜社
小杉こすぎ亮子あきこ福岡ふくおか安則やすのり 2018 「[対談たいだん東大とうだい闘争とうそううたもの おのれかたいまうために――『東大とうだい闘争とうそうかたり 社会しゃかい運動うんどうしめせ戦略せんりゃく』(しん曜社)刊行かんこうに」週刊しゅうかん読書どくしょじん』3240(2018ねん5がつ25にちごう: 1-2 【Web掲載けいさいばん
佐藤さとう淳二じゅんじ小泉こいずみ義之よしゆき京都きょうと大学だいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょ2018連続れんぞくセミナーだい1かい載録さいろく:〈68ねん5がつ〉とわたしたち」週刊しゅうかん読書どくしょじん』3241(2018ねん6がつ1にちごう: 1-3 【Web掲載けいさいばん


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関連かんれんする情報じょうほう

【2017年度ねんど立命館大学りつめいかんだいがく産業さんぎょう社会学部しゃかいがくぶ質的しつてき調査ちょうさろん(SB)」担当たんとう村上むらかみきよし
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だい3かいのイントロダクションで言及げんきゅう
山際やまぎわ淳司あつし 1985 「江夏えなつの21きゅう」『スローカーブを、もういちきゅう角川かどかわ文庫ぶんこ→2017 江夏えなつの21きゅうKADOKAWA
◆2018/04/25 衣笠きぬがささん 球界きゅうかいいち洋楽ようがくどおりだった――絶妙ぜつみょうセンス“ブルーノ・マーズ+江夏えなつの21きゅう”」『スポニチ Sponichi Annex』
平井ひらいげん 2018/04/16 「【R.I.P. Cecil Taylor】すべての棺桶かんおけをこじけろ――セシル・テイラー追悼ついとう『ele-king』  ◇平井ひらいげん(@hiraigen)
「セシル・テイラーが4がつ5にちんだ。それについてエレキング電子でんしばんいた。オーネットもそうだが、おおくの訃報ふほうかれらを「フリージャズの先覚せんかくしゃ」としてつたえる。これがどうも墓石はかいしのようにかんじて仕方しかたがない。棺桶かんおけぶたをする。たましいめる。でも「かんおおいておさまる」音楽おんがくじゃない。そこをいた。」
[2018ねん4がつ17にち11:00 https://twitter.com/hiraigen/status/986061850868563969]
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だい3かい言及げんきゅう
◆デヴィッド・グレーバー(酒井さかい隆史たかしやく) 2015=2017 官僚かんりょうせいのユートピア――テクノロジー、構造こうぞうてきおろかさ、リベラリズムの鉄則てっそく以文しゃ
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◆『現代げんだい思想しそう』2018ねん5がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう
 そう特集とくしゅう石牟礼いしむれ道子みちこ
 cf. 石牟礼いしむれ道子みちこ
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◇ETV特集とくしゅう「わが不知火しらぬいはひかりなぎ(なぎ) 石牟礼いしむれ道子みちこ遺言ゆいごん
 2018ねん5がつ5にち)23:00-24:00 Eテレ(NHK)[さい放送ほうそう:5月9にちみず)24:00-25:00]
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映画えいが月夜つきよがま合戦かっせん
 2018ねん5がつ5にち)〜5がつ11にちかね) 於:シネ・ヌーヴォ(大阪おおさか
 2018ねん7がつ14にち)〜7がつ20日はつかかね) 於:出町でまち京都きょうと
 cf. 【2017年度ねんど立命館大学りつめいかんだいがく産業さんぎょう社会学部しゃかいがくぶ質的しつてき調査ちょうさろん(SB)」:だい13かい「スラムを「内側うちがわから」えがくということ――映画えいが月夜つきよがま合戦かっせん』を題材だいざいに」[2018/01/09]
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《『ニッポンこくVS泉南せんなん石綿いしわたむら公開こうかい記念きねんはら一男かずお監督かんとく特集とくしゅう
 2018ねん5がつ5にち)〜5がつ18にちかね) 於:元町もとまち映画えいがかん神戸こうべ
 cf. はら一男かずお
 cf. 映画えいが『ニッポンこくVS泉南せんなん石綿いしわたむら公式こうしきサイト
 cf. はら一男かずお監督かんとくかんがえる 70年代ねんだいせい軌跡きせき――障害しょうがい・リブ・沖縄おきなわ 〜初期しょきドキュメンタリー作品さくひん上映じょうえいとトーク〜」(2016/04/29 於:立命館大学りつめいかんだいがく朱雀すざくキャンパス5Fだいホール)
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だい5かいのイントロダクションで言及げんきゅう
追悼ついとう特別とくべつてん 高倉たかくらけん
 2018ねん4がつ7にち)〜5がつ27にち) 於:西宮にしのみや大谷おおや記念きねん美術館びじゅつかん
元町もとまち映画えいがかん&Cinema KOBEで高倉たかくらけん代表だいひょうさくを5月に上映じょうえい追悼ついとう特別とくべつてん連携れんけい企画きかく(シネルフレ)
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《ストローブ=ユイレ 回顧かいこからしん地平ちへいへ》
 2018ねん5がつ5にち)〜5がつ11にちかね) 於:出町でまち京都きょうと
《ストローブ=ユイレ 回顧かいこからしん地平ちへいへ》
 2018ねん5がつ8にち) 於:同志社大学どうししゃだいがく寒梅かんばいかんハーディーホール
 16:00『労働ろうどうしゃたち、農民のうみんたち』/18:30『放蕩ほうとう息子むすこ帰還きかん
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参考さんこうしょとして(だい7かい導入どうにゅう言及げんきゅう
入江いりえこうやすし 2018 現代げんだい社会しゃかい用語ようごしゅうしん評論ひょうろん
奥野おくの克巳かつみ石倉いしくら敏明としあきへん 2018 『Lexicon 現代げんだい人類じんるいがく以文しゃ
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だい7かい導入どうにゅう言及げんきゅう
田尻たじり久子ひさこ 2018 ねこはしっぽでしゃべる』ナナロクしゃ
cf.
米本よねもと浩二こうじ 2016/07/16 「[熊本くまもと地震じしん 3カ月かげつ]「だいだい書店しょてん被災ひさい復興ふっこう物語ものがたり――文学ぶんがく拠点きょてんまもりたい」毎日新聞まいにちしんぶん西部せいぶ朝刊ちょうかん
清水しみずあきらたいら 2017/09/27 「サントリー:熊本くまもとだいだい書店しょてん地域ちいき文化ぶんかしょう――読者どくしゃ作家さっか出会であい」毎日新聞まいにちしんぶん
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はやしえいだい 2018 『《写真しゃしん記録きろく関門かんもんみなとおんな沖仲仕おきなかしたち――近代きんだい北九州きたきゅうしゅういち風景ふうけいしん評論ひょうろん
cf. 米本よねもと浩二こうじ 2018/04/15 「[日曜にちようカルチャー]はやしえいだい――遺作いさく刊行かんこう 「おんなごんぞう」写真しゃしん記録きろく毎日新聞まいにちしんぶん西部せいぶ朝刊ちょうかん
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藤沢ふじさわ美由紀みゆき中嶋なかじま真希まき 2018/05/16 性的せいてき少数しょうすうしゃ:LGBT取材しゅざい知識ちしき不足ふそく」――課題かだい指摘してき毎日新聞まいにちしんぶん
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大谷おおや能生のう 2018 平岡ひらおか正明まさあきろんPヴァイン(ele-king books)
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特集とくしゅう上映じょうえいなな年代ねんだい憂鬱ゆううつ――退廃たいはい情熱じょうねつ映画えいが
 2018ねん6がつ9にち〜7がつ6にち 於:神保じんぼうまちシアター


作成さくせい村上むらかみ きよしMURAKAMI Kiyoshi
UP: 20180411 REV: 20180414, 18, 24, 25, 26, 29, 0502, 03, 05, 06, 07, 09, 14, 16, 17, 24, 26, 28, 30, 31, 0604, 06, 13, 14, 27, 0707, 18, 19, 25
事項じこう
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