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立岩真也「専門性がなんの役に立つのか」
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専門せんもんせいがなんのやくつのか

立岩たていわ しん 1997/10/25 だい22かい北信越ほくしんえつ医療いりょうソーシャルワーカー研究けんきゅうかい講演こうえん
当日とうじつ配布はいふした文書ぶんしょ cf.抄録しょうろくしゅう』に掲載けいさいされた文章ぶんしょう


■「そのもろもろ」は大切たいせつである

 すこしも自信じしんがあってうのではないが、「専門せんもんせい」ということではなしをするようにわれたのは、日頃ひごろやってること、やらされていることが、「雑用ざつよう」「そのもろもろ」ばかりで…という感覚かんかく現実げんじつはっしているところがあるのではないだろうか。
 しかし、まず、「専門せんもんせい」より「そのもろもろ」のほう大切たいせつであるのだと、すくなくともおなじく大切たいせつなのだとわたしおもう。医者いしゃは、の(医学いがくてき処置しょちかんする)「専門せんもん」であるだろうが(そうでさえなかったら、こまる)、それだけでしかない。そういう専門せんもん病院びょういんにはたくさんいるとして、しかし病気びょうきがあって生活せいかつしていくひと生活せいかつはどうしてもそれだけでおさまりきれるものではない。「そのもろもろ」がとても大切たいせつなのである。
 (このことさえわからない病院びょういんちょう等々とうとうがもしいたら、そのひとたんなる馬鹿ばかである。ただ、「わかった」とったうえで、「それは病院びょういん仕事しごとではない」といういいわけ用意よういされている。これをどうクリアするかはかんがえどころである。)
 (「そのもろもろ」がどういうことであるかを説明せつめい定義ていぎし、そして「専門せんもんせい」にこだわるなら、それに「専門せんもんせい」というかぶせたってそれはかまわないが、やはりそれだけのことである。ただし、説明せつめい定義ていぎすることは、相手あいて説得せっとくするためとうに、必要ひつようなことがある。)
 もちろん「あれもこれも」状態じょうたいというのはある。ただ、一人ひとりでやるのだったら「あれもこれも」は仕方しかたない。もっと人数にんずう必要ひつようだと主張しゅちょうし、それがかよって、AとBという2人ふたり配置はいちされ、職務しょくむをaとbに分割ぶんかつしたほう能率のうりつてきだということになって、分割ぶんかつすることになるかもしれない。このとき、Aさんはaの「専門せんもん」、Bさんはbの「専門せんもん」ということになるかもしれない(=「分業ぶんぎょう」によって「専門せんもん」がしょうずる)。しかしそれはそれだけのことである。aもbもやるのと、aだけあるいはbだけやるのと、どっちがえらいとか、そんなことは本来ほんらいない。

 まず、基本きほんてき以上いじょう。ただ、これでは、みもふたもないはなし、であって…
 もうすこ

■「専門せんもん」にたいする批判ひはん

 「介護かいご専門せんもんせい」などといういいかたたいし、わたしっている障害しょうがいしゃたち文句もんくう。介護かいごしゃ介助かいじょしゃは、自分じぶん利用りようしゃ)のうことさえいて、われたとおりのことをやればよいのであって、「専門せんもんせい」などとえらそぶってもらってはこまるというのだ。これは一理いちりある、とわざるをえない。
 「専門せんもん」の「権威けんい」は抑圧よくあつてき作用さようしうる。障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきし専門せんもん批判ひはん歴史れきしでもあった。(わたしみたいな「業界ぎょうかい」の「専門せんもん」じゃないものでも随分ずいぶん居心地いごこちわるおもいをしてきた。いまでも、「専門せんもん立岩たていわさんにおはなしを…」などどわれると、そこに皮肉ひにくこもっているようで、なんかひやっとする。でも、一種いっしゅ緊張きんちょう関係かんけいがあることは健全けんぜんなことだとおもう。)たとえば、DPI(Disabled People's International)――DPI日本にっぽん会議かいぎ女性じょせい障害しょうがいしゃネットワークは優生ゆうせい保護ほごほう廃止はいしされる(母体ぼたい保護ほごほうとなる)にあたっておおきな役割やくわりたした――はRI(Rehabilitation International)に対抗たいこうして形成けいせいされた組織そしきである。わたしたちは、医療いりょう対象たいしょうであったり、リハビリテーションの対象たいしょうであったりするだけだった、これはおかしい、とかれらはう。これも一理いちりあるとわざるをえない。

 「われわれは要求ようきゅうする 政府せいふ法的ほうてき権限けんげん役所やくしょ機関きかん専門せんもんおよ援助えんじょ教育きょういく機関きかん障害しょうがいしゃ障害しょうがいしゃ団体だんたい障害しょうがいかんするしんのエキスパートとみとめ、われわれの生活せいかつ影響えいきょうおよぼすすべての課題かだいについてわれわれに相談そうだんし、直接的ちょくせつてき参加さんかさせること。さらに障害しょうがいしゃ団体だんたい適切てきせつ財源ざいげん提供ていきょうすること。われわれは要求ようきゅうする 障害しょうがいしゃによって定義ていぎされた自立じりつ生活せいかつ原則げんそく適用てきようし、財源ざいげん確保かくほすること。
 われわれは要求ようきゅうする 障害しょうがい社会しゃかい変化へんか枠組わくぐみのなか定義ていぎされるべきで、個人こじんてき面倒めんどうことられるべきではない。」(DPI「バンクーバー宣言せんげん」より、1992ねん全文ぜんぶんはホームページ(以下いかhpとりゃく)(別紙べっし紹介しょうかい)の「全文ぜんぶん掲載けいさいのコーナーでることができます)

 ただ、うえ引用いんようした文章ぶんしょうにもあきらかだが、その主張しゅちょうは、医療いりょうやリハビリテーション(における専門せんもんせい専門せんもん)の存在そんざい自体じたい否定ひていしようというものではない。それが利用りようしゃ消費しょうひしゃ必要ひつようであるかぎりにおいてそれは必要ひつようなものであることを否定ひていする必要ひつようはない。主張しゅちょうされているのは、その位置いち関係かんけいえようということだ。(この主張しゅちょうは、つぎの■におおいに関係かんけいする。)
 実際じっさい仕事しごとするんだったら仕事しごとしてもらわないとこまる。「福祉ふくし窓口まどぐち」にいるひとのほとんどは、全然ぜんぜん専門せんもん」なんかじゃない。これはこまる。とく情報じょうほうがキーになる仕事しごとをしている人達ひとたち(MSWも?)は、知識ちしきを、すくなくともどこに知識ちしき情報じょうほうがあるのかという情報じょうほうをもっと積極せっきょくてきてほしいとおもう。(これは学校がっこう教育きょういくだけでは無理むり変化へんかはげしいし、学校がっこうではこまかなことをおしえられないし。)別紙べっし紹介しょうかいしている『なま技法ぎほう』そして『How to 介護かいご保障ほしょう』、そしてhpはそういう情報じょうほう提供ていきょうねらって(も)いる。たとえば、生活せいかつ保護ほごをとれるひと介助かいじょがたくさん必要ひつようひとだったら月額げつがく20まんえんちかくの費用ひよう支給しきゅうされること、つき 200間近まぢかくホームヘルパーが派遣はけんされている(そのヘルパーをだれにするかを利用りようしゃめることができる)自治体じちたいがいくつも(かならずしもだい都会とかい大都市だいとしだけではない)あること、…をご存知ぞんじですか。 そして、このこと、ある仕事しごと職業しょくぎょうとするひとは、その仕事しごとがちゃんとできなくてはならないということとともに(というか、その一部いちぶとして)、あるしゅちからのう(というか、「かまえ」というか)がやはりもとめられているのだと、わたしはだんだんおもうようになった。(これを専門せんもんせいうのかどうかはべつとして)

否定ひていするちからのう(としての「専門せんもんせい」?)

 とあるところの職員しょくいんでとてもよいひとなのだが、どうも、それはちがうよ、と(わたしは)おもうことをう、する(そして本人ほんにんは、ちがうよ、とおもっていない)。たとえばあるひとがこれからどうするかというその最初さいしょ場面ばめんで、(その方向ほうこう次第しだいでは家族かぞくとの関係かんけいわることになるのに)おや本人ほんにん同一どういつにおいてしまう、ぜてしまってにしない。本人ほんにんべつで、本人ほんにんかかわることをめようとする。情報じょうほうを「あたえる」という位置いちってしまい、そして「あたえる」情報じょうほうを(「本人ほんにんのため」をおもって)取捨選択しゅしゃせんたくしてしまう。等々とうとう等々とうとう
 「福祉ふくし業界ぎょうかい」(「医療いりょう業界ぎょうかい」も?)のそのにいると、「普通ふつう」に(たとえば「サービス業界ぎょうかい」の常識じょうしきから)かんがえたら当然とうぜんじゃないのだが、当然とうぜんのことのようになってしまうことがたくさんある。
 (もちろん、この業界ぎょうかいがおきゃくさんのうことだけいていればいいというような具合ぐあいにはなかなかいかないのだということは、現場げんばにいないわたしでも、わたしなりにはわかります。ただ、だからといって、いま状態じょうたいがよいとはおもえない。「自己じこ決定けってい」について、別紙べっし紹介しょうかいされている拙著せっちょ私的してき所有しょゆうろん』にきました。ごく基本きほんてきなことをいたもので、「すぐ役立やくだつ」といったものではありませんが。)
 これに疑問ぎもんをもつこと。たとえば、供給きょうきゅうしゃ利用りようしゃたいして抑圧よくあつてきはたらきうることを理解りかいすること。いまのシステムでは、どうしても抑圧よくあつてきはたらいてしまうようになってしまっていることを理解りかいすること。そして、まずは「建前たてまえ」でもいいから、(このシステムのもとでは)惰性だせいながれていってしまう方向ほうこうではなく、べつ方向ほうこう基本きほんであるはずだとおもうこと。
 「業界ぎょうかい」(のその「惰性だせい」の力強ちからづよさ、というか)をすこしはるようになって、やっぱり、こういうことって大切たいせつ、とおもうようになった。(これは、患者かんじゃさんのためにがんばりましょうという精神せいしんろん――そういうことはどこかでおそわる――とはちょっとちがう。まず中身なかみとして、そういう精神せいしんろんは、たとえば、「のために」というのをだれがどうやって判断はんだんするのかといった面倒めんどう問題もんだいをあまりかんがえない。そして、なんで理想りそう現実げんじつにならないのか、理想りそう現実げんじつにならないように現実げんじつ出来上できあがっているそのメカニズムについてわない。このあたりのことについては、1昨年さくねんのRSW研究けんきゅうかいでの講演こうえんだれがケアをかたっているのか」でべた。→『RSW研究けんきゅうかい研究けんきゅう会誌かいし』19ごう、1996ねん収録しゅうろく、hpからもることができます。『私的してき所有しょゆうろんだいしょうだいせつでもすこし。)(疑問ぎもんしょうじさせるような、疑問ぎもん摩滅まめつさせないような「教育きょういく」「討議とうぎ」の必要ひつようせい。これは最後さいごの■にも関係かんけいします。大学だいがく短大たんだい…での教育きょういく大切たいせつなんだなとはおもって、すこしばかりのことはやってみようとは…。ただ、しきでやるほかなく時間じかんてき余裕よゆうがない、、いろんな意味いみで、現在げんざい教育きょういくシステムではむずかしい。)
 疑問ぎもんをもつことは、惰性だせいながれていくそのながれに竿ざおさすことにもなるのだから、つらいことではなかろうか。そうだろうとおもう。しかし、もっともな理由りゆうでつらくなるのだということ、ただしさはこう(つまり、「現実げんじつ」のがわ)にはないのだということ、このことを自分じぶんがわかっているだけでもだいぶちがうようなが、わたしはする。

■どの場所ばしょくか

 とはいえ、なかなかつらいことはつらい。そのつらさの一因いちいんは、「板挟いたばさみ」になっていることにあるのだとおもう。たとえば最近さいきん公的こうてき介護かいご保険ほけんがらみで、「ケア・マネジメント」というものがもてはやされているのだが、その「ケア・マネージャー」にしても「板挟いたばさみ」てき存在そんざいになるだろうし、実際じっさい、このシステムのモデルになっている英国えいこくではそういうことになってしまっている(原稿げんこう予定よてい→hpに掲載けいさいする予定よてい)。予算よさん削減さくげんしたい自治体じちたい行政ぎょうせい当局とうきょくの「尖兵せんぺい」としてケア・マネージャーは機能きのうしてしまうのだし、ここで真面目まじめひとだったら利用りようしゃとのあいだで「板挟いたばさみ」になってなやんでしまうだろう。
 これにたいして、いま、(一部いちぶの)障害しょうがいしゃ運動うんどうなか議論ぎろんされているのはこういうことだ。ケア・マネジメントなんていう辛気臭しんきくさいものは原則げんそくやめにしよう、そのわりに、はっきり利用りようしゃがわにたって相談そうだんける、情報じょうほう提供ていきょうする、一緒いっしょになってどんなサービスをどうわせるかかんがえる、そういうサービスをしよう、そういうサービスをするひとこう、そういうひと自分じぶんたちが(自分じぶんたちも)なろう。
 だから、コンサルタント、代理人だいりにん代弁だいべんしゃ(アドヴォケイト)といったもの。なかには、経営けいえいコンサルタント、結婚けっこんコンサルタント、…、いろいろいる。弁護士べんごしといった仕事しごとだってある。そういう仕事しごと仕事しごとをするひと医療いりょう福祉ふくしにあってよいのではないか。こういうことだ。
 とりあえずゆめみたいなはなしかもしれないが、MSWという仕事しごとだって、そういう仕事しごとであってよいのではないか。いまは「病院びょういん」と「利用りようしゃ」のあいだ板挟いたばさみになっている。病院びょういん給料きゅうりょうしているんだから仕方しかたない。しかし、うまくかねながれをえることができれば、病院びょういん独立どくりつしたところにMSWがいる、そういうシステムもありうるということ(それだけがよいとっているのではない)。
 以上いじょう参考さんこうまでに、障害しょうがいしゃサイドがいまかんがえていることを紹介しょうかいした。じつ障害しょうがいしゃ福祉ふくし分野ぶんやでも「身体しんたい障害しょうがいしゃ介護かいごとうサービス体制たいせい整備せいび支援しえん試行しこうてき事業じぎょう」なる、名前なまえからしてしょうもない、中身なかみもしょうもない事業じぎょう(ケア・マネジメントみたいなことを、じつおよごしに、やってみましょうか、みたいな内容ないよう→「要綱ようこう」はhpに掲載けいさい予定よてい)を厚生省こうせいしょうしたのだが、これをせいぜいばかにし、自分じぶんたちべつのシステムを対置たいちするんだという姿勢しせいでやっている(来年らいねんにはかれらの「対案たいあん」が提出ていしゅつされるだろう→hpで紹介しょうかいする予定よてい)。わたしはこの企画きかく参加さんかさせてもらっている。(わたしのような種類しゅるいの「専門せんもん」――じつ全然ぜんぜん専門せんもん」じゃないのだが――がやれる仕事しごとというのは、こういうような仕事しごとだとおもう。)

■「資格しかく」(としての専門せんもんせい)について

 一定いってい資格しかく付与ふよしその資格しかくものたちだけに一定いってい職務しょくむおこなわせることはつね必要ひつようではない。もし提供ていきょうされるサービスのよしあしについての判断はんだん消費しょうひしゃゆだねればよいとかんがえる場合ばあいには、消費しょうひしゃにその提供ていきょうしゃ直接ちょくせつ評価ひょうかさせればよいからである。だから資格しかく必要ひつようとされるのは、この消費しょうひしゃによる選択せんたくがうまくはたらかないとかんがえられる場合ばあいである。それはどんな場合ばあいか。
 ひとつに、利用りようしゃがわにその選択せんたく能力のうりょくをみこめない場合ばあい悪徳あくとく業者ぎょうしゃ見破みやぶれない…)。
 ひとつに、利用りようしゃによる直接的ちょくせつてき選択せんたく競争きょうそうはたらかない場合ばあいたとえばある組織そしきだれかを一人ひとりとることにまっている場合ばあいがある。2人ふたりにやらせてみて、よくできるほうをとるといったことをしない、できない場合ばあい、しかも、雇用こようぬしがわには選択せんたくがない。こういう場合ばあいに、なに資格しかくのあるなしのといったものでもあってくれると…、とおもうことがあるだろう。
 こういう場合ばあい最後さいごれいはちょっと疑問ぎもんだが)消費しょうひしゃ保護ほごとしての資格しかく付与ふよ仕方しかたなく必要ひつようとされることがあるかもしれない。
 ただ、こん現実げんじつにある様々さまざま資格しかくが(消費しょうひしゃによる選択せんたくがうまくはたらかない場合ばあいの)供給きょうきゅうしゃしつ維持いじする機能きのうをほんとにたしているかとなると疑問ぎもんたとえば「社会しゃかい福祉ふくし」といった資格しかく
 たとえば、「市町村しちょうそん障害しょうがいしゃ生活せいかつ支援しえん事業じぎょう」(要綱ようこうはhpに掲載けいさい)というものがあるのだが、この生活せいかつ支援しえんする人材じんざいとして、ほんとだったら障害しょうがいしゃ本人ほんにん」のうちのだれかが(すくなくともだれかも)よいのかもしれないのだが、そういうひと登用とうようされない、そういうひとのいる組織そしき事業じぎょう委託いたくされていない…。(社協しゃきょうとか、療護りょうご施設しせつとかがおおい。そこのところにどう対応たいおうしていくのかというのが、かれらがいまかかえている課題かだい関連かんれんしてわたしいたものとしては「「市町村しちょうそん障害しょうがいしゃ生活せいかつ支援しえん事業じぎょう」をう」、『ノーマライゼーション研究けんきゅう』1997年版ねんばん年報ねんぽう、hpにも掲載けいさい、があります。なお「北信越ほくしんえつ」では長野ながのけん上田うえだの「自立じりつ生活せいかつセンター・うえだ」が、いまのところ唯一ゆいいつ、この事業じぎょう受託じゅたくされることになっています。「自立じりつ生活せいかつセンター」の最新さいしんリストは『なま技法ぎほうだいさつ掲載けいさい、hpにも掲載けいさい予定よてい。)
 どういうふうにしつ維持いじ向上こうじょうさせていくか。択一たくいつしき試験しけんいちはつというより、(利用りようしゃサイドの参画さんかくふくめた)どう業者ぎょうしゃあいだ研鑽けんさん議論ぎろん、こうしたことをんでいく、それにおうじて、一定いっていの「品質ひんしつ証明しょうめい」をみずから(の組織そしき)がやっていく。まずそういうことがかんがえられるのではないか。(このあたりについては、立岩たていわ「ピア・カウンセラーという資格しかくがあってよいとしたら、それはどうしてか」、『全国ぜんこく自立じりつ生活せいかつセンター協議きょうぎかい協議きょうぎいん総会そうかい資料集しりょうしゅう』、1997ねん、hpにも掲載けいさい

                    だい22かい北信越ほくしんえつソーシャルワーク研究けんきゅうかい
                      (於:長野ながのロイヤルホテル)
                    講演こうえんIIで配布はいふ(40×48ぎょう×4ぺーじ


REV: 20161031
立岩たていわ しんShin'ya Tateiwa 
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