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立岩真也「『良い死』」
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医療いりょう社会しゃかいブックガイド・95)

立岩たていわ しん 2009/06/25 『看護かんご教育きょういく』50-6(2009-6):
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 昨年さくねん拙著せっちょ』(筑摩書房ちくましょぼう)につづいて今年ことした『ただせい』の紹介しょうかい前回ぜんかいはじめた。
 ひとつ、「ただせい」というだいかかわり、なまうにあたいする/しないという「線引せんひき」にかかわることをだいしょういたことをしるした。
 ひとつ、論者ろんしゃろん相手あいてにしたこと、論点ろんてんとしては、「自己じこ決定けってい」に「関係かんけい」「共同きょうどうせい」を対置たいちする議論ぎろんげ、それはまっとうなかんがかたではあるのだが、また限界げんかいもあるだろうことをいたことを紹介しょうかいした。
 にそのほんげた論者ろんしゃには、ほん連載れんさい著書ちょしょ紹介しょうかいした――その部分ぶぶんほんさいろくした――清水しみず哲郎てつろう小泉こいずみ義之よしゆきがいる。だいしょうの「より苦痛くつうせい苦痛くつうせい安楽あんらく」は、清水しみずの『医療いりょう現場げんばのぞ哲学てつがくII』(2000、勁草書房しょぼう)の一部いちぶ検討けんとうしている。だいしょう「『やめいの哲学てつがく』について」では小泉こいずみの『やめいの哲学てつがく』(2006、ちくま新書しんしょ)をげた。なにいたかはりゃくんでください。ということで、いったんここまで。
 基本きほんてきなことをまずかんがえてべたのは『』のほうだ。こん流行りゅうこうであるのは「他者たしゃおも自然しぜんわたし一存いちぞん」だから、その各々おのおのかんがえみようとした。だいしょうわたし」、だいしょう自然しぜん、のわりの自然しぜん受領じゅりょうとしてのせい」、だいしょう犠牲ぎせい不足ふそくについて」。
 そこでなにべたのか。やはりそのほんていただく以外いがいにない。しかし簡単かんたん紹介しょうかいする。
 だいしょうでは、おおくの場合ばあいそのひと決定けってい大切たいせつにすることは大切たいせつだが、生死せいし決定けってい場面ばめんでそれだけをうのは間違まちがっているとべ、その理由りゆういた。だいしょうでは、人工じんこうぶつ使つかったきているわたしたちが人工じんこうぶつ否定ひていするのはおかしいとべ、つぎに、自然しぜん世界せかい大切たいせつであるなら、自分じぶんなにもできなくなっても長生ながいきすればよいといた。だいしょうでは、他人たにん大切たいせつにすることは大切たいせつだが、そのためにくことを称揚しょうようすることは、その大切たいせつなものを裏切うらぎるとべ、さらに、しかしかねひとりないから仕方しかたがないというはなしについては仕方しかたがなくはないといた。
 そこにいたことについて、批判ひはんしてもらえるなら、いくらでもしていただいたらよいとおもう。ただ、になるのは、いま、この主題しゅだい主題しゅだいとしてかんがえることを素通すどおりして、「そのつぎ」にこうとしている、そんなながれになっているようにおもえるということだ。
 そのことは『』の最初さいしょほういた。そのほん序章じょしょうは「要約ようやく現況げんきょう」となっていて、ひとつには、いそがしいひとのために、ようするにわたしはどのようにかんがえているのかをみじかしるした。『通販生活つうはんせいかつ』に掲載けいさいされた文章ぶんしょう使つかった。そしてもうひとつに、こん学問がくもん言論げんろんがどんな具合ぐあいになっているとわたしおもうのかをいた。だいせつが「かんがえてきただろうか」というだいになっている。
 そこで、2005ねん11月、東京大学とうきょうだいがくのCOE「死生しせいがく構築こうちく関連かんれんもよおし「ケアと自己じこ決定けってい」ではなしたこと、同年どうねんの12月に熊本大学くまもとだいがくでのシンポジウム「日本にっぽん生命せいめい倫理りんり回顧かいこ展望てんぼう」でわたしはなしたことから引用いんようしている。
◇◇◇
 おもうのはこんなことだ。哲学てつがくしゃ倫理りんり学者がくしゃがものをかんがえることをやめているようにおもわれる。それでよいのか。よくない。学者がくしゃであってもなくてもかんがえるべきはかんがえるのがよいだろう。しかしなんだかそんなことはもうわったかのようにされており、「応用おうよう」「教育きょういく」の時代じだいになったかのようである。その教育きょういく仕事しごとをすることが学者がくしゃ仕事しごとであり、そうした教育きょういくけた医療いりょうしゃとう現場げんば采配さいはいしていく、そういう仕組しくみをつくったり維持いじしていくのが学問がくもんであるかのようにされている。教育きょういく応用おうよう大切たいせつなことにまっているのだが、しかし、その手前てまえなにおしえるのかである。それはじつ曖昧あいまいである。あるいは、いくらかでもかんがえてみるならそのままにけいれられないことが当然とうぜんのこととされている。たとえば、決定けっていについて、本人ほんにん意志いし、それがない場合ばあいには家族かぞく意志いししたがうべきだとされる。しかしそれでよいか。そのことにかんして、たくさんかんがえてうべきことがある。であるのに、はなしさきすすんでいってしまっている。これはとてもまずいとおもう。
 このことをこの3月さんがつには東京とうきょうでの集会しゅうかいでもかえし、そのまえの2がつ大阪おおさかでの日本にっぽん集中しゅうちゅう治療ちりょう学会がっかい学術がくじゅつ集会しゅうかいでのシンポジウムでもかえした。『Medical Tribune』にそのシンポジウムの概要がいよう掲載けいさいされるということで、編集へんしゅうほういくかやりとりがあって掲載けいさいされた。ごく単純たんじゅんなことをべたのだが、最初さいしょにいただいた原稿げんこうわたしはなしたつもりのこととすこしことなるところもあるようにおもったので、すこしなおしたものをおおくりし、ほぼれていただいた。こちらのHPにその原案げんあん掲載けいさいしている。以下いか掲載けいさいされたものを引用いんようする。「医療いりょう信頼しんらいることが先決せんけつ」という見出みだしになった。
 「立命館大学りつめいかんだいがく大学院だいがくいん総合そうごう学術がくじゅつ研究けんきゅう立岩たていわしん教授きょうじゅは、基調きちょう講演こうえんただ」で、倫理りんり原則げんそく確認かくにんされていればそれを現場げんば応用おうようするだけでよいが、「そうでないのが現状げんじょうだと」べ、「まず医療いりょうをきちんとおこない、そのことを社会しゃかいけてしめすことのほう先決せんけつだ」と指摘してきした。」
 ここが概要がいよう概要がいようということになる。さらに以下いかすこりゃくす。
 「治療ちりょう停止ていし尊厳そんげんといった厄介やっかいめんにどう対処たいしょするか、現場げんばへの応用おうよう教育きょういく大切たいせつであることはみとめるが、おしえる原則げんそくがはっきりしていないなら、応用おうようのしようもないはずだ」とべた。さらに趨勢すうせいとしては治療ちりょう停止ていし様々さまざまみとめる方向ほうこうになってはいるが、論理ろんりてき倫理りんりてき議論ぎろんわっていないところがすくなくないと指摘してきした。
 「にたい」と本人ほんにんっているとして「それをそのままけとることがよいことなのか。自分じぶんはそうはおもえないし、そのように社会しゃかい医療いりょう対応たいおうしてこなかったはずではないか、それは間違まちがっていたのだろうか」といかけた。
 他方たほう家族かぞく意思いしについても、「家族かぞくたしかに患者かんじゃ一番いちばん代理だいりしゃではあろうが、経済けいざい心理しんり身体しんたいてき負担ふたんすくなくない状態じょうたいかれてもいる」と分析ぶんせき停止ていし同意どうい負担ふたん軽減けいげんという要因よういんはたらくことは否定ひていできず、「家族かぞく意向いこうをそのままにれるべきだとならないはずだ」とした。
 そのうえで、「医療いりょうがわ社会しゃかいたいし、なに最初さいしょわなければいけないのか」と提起ていきした。過剰かじょう医療いりょうによる被害ひがいけるための患者かんじゃがわからの異議いぎもうてという図式ずしきがあり、それは医療いりょうをよりおおおこなうことが利益りえきむすびついた時期じきには問題もんだいとならなかったが「医療いりょう過剰かじょうより過少かしょうである現状げんじょうでは、むしろ救命きゅうめい延命えんめいのためにするべきことをするという医療いりょう基本きほん確認かくにんし[…]遵守じゅんしゅし、そのことを社会しゃかいにアピールすることのほう大切たいせつだろう」とべた。そうして医療いりょう信頼しんらいることが先決せんけつとした。」
◇◇◇
 なおしきれていないところがあるが、おおむねこんなばなしをした。ここでわたしは、ひとつに医療いりょう現実げんじつがどうなっているのか、それをふまえたらなにさきしめすべきかをべている。つまり、現実げんじつは「過剰かじょう」でなくむしろ「過少かしょう」である、だから、するべきをする、するべきことをできるようにする、このことをうったえるべきだとべた。このことにかんしては、次回じかいつづける。
 そしてもうひとつが、基本きほんのところがばされている、わっていることにされているというはなしだ。なぜその学会がっかい大会たいかいわたしんでいただけたのか、わからないのだが、わたしはとにかくおもうことをはなすしかないからはなした。
 ただ、その全体ぜんたいはまず、たくさんのひとのたくさんのはなし次々つぎつぎとなされていった。遺族いぞくたいする所謂いわゆるグリーフ・ケアのはなしもあった。(もちろんそれはそれとして大切たいせつなことである。ただけて、ひとつひとつにんでいくことも大切たいせつである。)「本題ほんだい」にかかわるところでは、たとえば「欧米おうべい」ではしかじかである――「尊厳そんげん」は問題もんだいにされていない――という「事実じじつ」がしめされ、それ以上いじょうのことはわれず、そしてつぎに「教育きょういく」のことがかたられた。その学会がっかいとしても「倫理りんりつよい」医療いりょうしゃそだてる、認定にんていするという仕組しくみをつくろうということであった。
 もちろん、医療いりょうしゃ哲学てつがく倫理りんりがくまなぶことに問題もんだいがあろうはずがない。それはまったくよいことである。けれどもなにまなぶのか。「生命せいめい倫理りんりの4原則げんそく」か。しかし以前いぜんほん連載れんさい清水しみず哲郎てつろうほん紹介しょうかいしたときべたことだが、それでは「かい」がないことがある。よっつのどれを優先ゆうせんするのかといった問題もんだいしょうじることがあるのだ(それを清水しみずまさしく指摘してきしていることを紹介しょうかいした)。なのにどうしてまえすすめることになるのだろう。『ただせい』のだいしょうでとりあげたシンガーやクーゼといったひとたちがうことがただしいとされているからだろうか。だがかんがえてみるとわからないところがいろいろある。このことをわたしいたのだった。そうしていたことのどこがどのように間違まちがっているのか、しめしていただければ、わたしはなしえることに同意どういするのだが。(つづく)

表紙ひょうし写真しゃしんせたほん

立岩たていわ しん也 2008/09/05 筑摩書房ちくましょぼう,374p. ISBN-10: 4480867198 ISBN-13: 978-4480867193 [amazon][kinokuniya] ※ d01.et.,



立岩たていわ しん也 2009/03/25 ただせい筑摩書房ちくましょぼう,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon][kinokuniya] ※ et.


UP:20090423 REV:(校正こうせい
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