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糸賀一雄
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糸賀いとが 一雄かずお

いとが・かずお
1914/03/29〜1968/09/18

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新着しんちゃく

◆「「障害しょうがいしゃ福祉ふくしちち施設しせつ強制きょうせいにん関与かんよか 10代じゅうだい少女しょうじょ手術しゅじゅつ申請しんせい
 『京都きょうと新聞しんぶん』2019-03-02
 こちらをごらんください→ https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190302000026

 「近江学園おうみがくえん男性だんせい医師いしが1952ねん少女しょうじょにん強制きょうせいにん手術しゅじゅつをするよう申請しんせいした記録きろく学園がくえん文書ぶんしょからつかった
 優生ゆうせい保護ほごほう(1948〜96ねん)による強制きょうせいにん手術しゅじゅつ問題もんだいで、障害しょうがいしゃ福祉ふくしちちばれる糸賀いとが一雄かずお創設そうせつした知的ちてき障害しょうがい施設しせつ滋賀しが県立けんりつ近江学園おうみがくえん」(湖南こなみ当時とうじ大津おおつ)の医師いしが52ねんに、10代じゅうだい少女しょうじょにん手術しゅじゅつけん審査しんさかい申請しんせいしていたことが、1にちまでにかった。京都きょうと新聞しんぶん情報じょうほう公開こうかい請求せいきゅうけ、学園がくえんない申請しんせいしょなどの文書ぶんしょまいつかった。福祉ふくし施設しせつがわ障害しょうがいしゃらの断種だんしゅ関与かんよした可能かのうせいしめあらたな資料しりょうだ。
 けんは「医師いし個人こじんでなく、近江学園おうみがくえんとして手術しゅじゅつ申請しんせいした可能かのうせいたかい」としている。52ねん当時とうじ糸賀いとが園長えんちょうつとめていた。
 くに統計とうけいでは滋賀しが県内けんないで54〜75ねんすくなくとも282にん手術しゅじゅついられたが、52ねん記録きろく存在そんざいしない。けんどうほう関連かんれん公文書こうぶんしょ大半たいはん廃棄はいきみで照合しょうごうできる資料しりょうはなく、手術しゅじゅつ実際じっさいおこなわれたかはからないという。
 発見はっけんされた申請しんせいしょ健康けんこう診断しんだんしょなどによると、申請しんせいしゃ学園がくえん男性だんせいえん。52ねんがつ27にち少女しょうじょを「遺伝いでんせい精神せいしん薄弱はくじゃく白痴はくち)」(知的ちてき障害しょうがい当時とうじ呼称こしょう)と診断しんだんし、本人ほんにん保護ほごしゃ同意どういらないどうほうじょうによる手術しゅじゅつ適否てきひけん優生ゆうせい保護ほご審査しんさかい申請しんせいしていた。手術しゅじゅつ場所ばしょとして県内けんない特定とくてい病院びょういん指定していして希望きぼうし、少女しょうじょ戸籍こせき謄本とうほん審査しんさかい提出ていしゅつしたという記述きじゅつがあった。
 学園がくえんによると当時とうじ少女しょうじょやくねんまえ退すさえんして県内けんない民間みんかん障害しょうがいしゃ施設しせつ入所にゅうしょしていた。家庭かていない学園がくえん施設しせつ生活せいかつじょうきょう遺伝いでん関係かんけいしるした身上しんじょう調査ちょうさしょには、同月どうげつ11にちづけで「相違そういないことを証明しょうめいします」とする施設しせつちょう署名しょめいがあった。
 文書ぶんしょ医師いし施設しせつちょう印影いんえいはなく、学園がくえんは「申請しんせいひかえでは」とみている。精神せいしん状態じょうたい発病はつびょう状況じょうきょうなどの項目こうもくもあるが、開示かいじされた文書ぶんしょ大半たいはんけん判断はんだんくろりとなり、内容ないようからない。
 手術しゅじゅつ申請しんせいした医師いし岡崎おかざき英彦ひでひこ西日本にしにほんはつ重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい施設しせつ「びわこ学園がくえん」の初代しょだい園長えんちょうで、障害しょうがいしゃ福祉ふくし貢献こうけんした人物じんぶつとしてられる。
 厚生こうせい労働省ろうどうしょう昨年さくねん福祉ふくし施設しせつなどに手術しゅじゅつ申請しんせいしょなど個人こじん記録きろく有無うむたずねた全国ぜんこく調査ちょうさでは、学園がくえんは「ないまた(また)はない可能かのうせいたかい」と回答かいとうしていた。今年ことしがつ情報じょうほう公開こうかい請求せいきゅうけ、あらためて学園がくえんない調しらべて今回こんかい記録きろくつけた。開示かいじは2がつ25にち
 近江学園おうみがくえんは「非常ひじょうおどろいている。まさかえん医師いし手術しゅじゅつ申請しんせいしていたとはおもわなかった」としている。
 【おことわり】当時とうじ公文書こうぶんしょには現在げんざい使つかわれていない不適切ふてきせつ疾患しっかんめい表現ひょうげんがありますが、記録きろくせい重視じゅうしし、かぎかっこにれて表記ひょうきしました。」

 ※どこも省略しょうりゃくのしようがないので全文ぜんぶん引用いんようしました。

糸賀いとが 一雄かずお(1914/03/29〜1968/09/18)
岡崎おかざき 英彦ひでひこ医師いし,1922〜1987)



びわこ学園がくえん

重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい施設しせつ 
高谷たかや きよし 20050420 異質いしつひかり――糸賀いとが一雄かずおたましい思想しそう大月書店おおつきしょてん,332p. ISBN-10: 4272360515 ISBN-13: 978-4272360512 2,200+ [amazon] [kinokuniya]

糸賀いとが 一雄かずお 20031220 『このらをひかりに――近江学園おうみがくえんじゅうねんねがい』日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい,315p. ISBN-10:4140808365 ISBN-13:978-4140808368 1900+ [amazon][kinokuniya] ※ j01. i05

糸賀いとが一雄かずお生誕せいたん100ねん記念きねん事業じぎょう実行じっこう委員いいんかい研究けんきゅう事業じぎょう部会ぶかい へん 20140329 糸賀いとが一雄かずお生誕せいたん100ねん記念きねんろん文集ぶんしゅう――きることがひかりになる』糸賀いとが一雄かずお生誕せいたん100ねん記念きねん事業じぎょう実行じっこう委員いいんかい,350p. 1,500+ ※ j01.

言及げんきゅう

立岩たていわ しん也・杉田すぎた 俊介しゅんすけ 2017/01/05 相模原さがみはら障碍しょうがいしゃ殺傷さっしょう事件じけん――優生ゆうせい思想しそうとヘイトクライム』青土おうづちしゃ ISBN-10: 4791769651 ISBN-13: 978-4791769650 [amazon][kinokuniya] ※

 討議とうぎせい線引せんひきを拒絶きょぜつし、暴力ぼうりょくせんく 立岩たていわしん也+杉田すぎた俊介しゅんすけ

 杉田すぎたぼく自分じぶんがNPOで支援しえんしゃをやってましたから、ちいさな制度せいどがいかに大事だいじかということは本当ほんとう痛感つうかんしてきました。そして制度せいどはいかにうごかないか、ほんのわずかないちいちミリをきざむことがいかにむずかしく、ゆえにいかに大事だいじか。そういう現場げんば困難こんなん折衝せっしょう条件じょうけん闘争とうそう苛酷かこくさをあまりらないひとたちが、抽象ちゅうしょうてき理念りねんばかりを主張しゅちょうして――「左翼さよく」や「学生がくせい運動うんどうくずれ」にそれはおおいという正直しょうじきしましたが――現実げんじつをなしくずしにしていくことには、つよ違和感いわかんおぼえていました。ただ一方いっぽうでは、かつての障害しょうがいしゃ運動うんどうなどで綱領こうりょうされてきたラディカルな理念りねんちからを、日々ひびなか実感じっかんすることもありました。そういう理念りねんのラディカリズムが、根本こんぽんてき現場げんば疲弊ひへいくるしさをささえてくれているのだ、というかんじがあったんです。たとえばあおしば綱領こうりょうもそうですが、ぼくらのような重症じゅうしょう関連かんれんのNPOの場合ばあい、それこそ糸賀いとが一夫かずおの「このらをひかりに」とか「重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいまもかい」のおやたちのさん原則げんそくとかですね。
 しかしグローバリゼーション全盛ぜんせい時代じだいにあって、マジョリティとマイノリティの境界きょうかいせんっこちた、構造こうぞうてきには加害かがいしゃであり同時どうじ被害ひがいしゃのような、マジョリティのようなマイノリティのような、なにかができるようなできないような、そうしたキメラてき存在そんざい身体しんたいちながら、そこからてくる理念りねんせいみたいなものも同時どうじ必要ひつようではないか、とおもえるわけです。」

 立岩たていわ「「このらをひかりに」とかわんきゃならないのかということです。糸賀いとが一雄かずおはじゅうぶん立派りっぱひとだとおもいますけど。そして「まもかい」のさん原則げんそく一番いちばんめは「けっしてそうってはいけない あらそいのなかよわいもののきるはない」で、番目ばんめは「おや個人こじんがいかなる主義しゅぎ主張しゅちょうがあっても重症じゅうしょう運動うんどう参加さんかするもの党派とうはえること」ですよ。それでよいのですかと。その青年せいねんやその主張しゅちょう支持しじしゃともあらそわないんですか、と。そしてこの原則げんそくは、いちきゅうろくよんねんにできたそのおやかいがどういうみちおこなったか、かざるをえなかったかということにふかかかわっている。そういったことをあきらかにしかんがえよう、かんがえてもらおうとおもって「病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ運動うんどう研究けんきゅう」とかい(立岩たていわ[2016/11/07])、「なま現代げんだいのために」という、あまりきのよくないだい連載れんさいをしているということはあります。」

立岩たていわ しん也 2018 病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ戦後せんご――なま政治せいじ点描てんびょう青土おうづちしゃ

だいしょう ななねん体制たいせいへ・描1
 □1 短絡たんらくしないために
  □1 短絡たんらくしないために
  □2 偉人いじんについて、「ひかり」について

■2 偉人いじんについて、「ひかり」について

 いまあげた短絡たんらくとはべつれいをあげて、できごとをほぐしていくことからなにえてくるのか、なに課題かだいとして浮上ふじょうするのかをべる(以下いかしばらくの初出しょしゅつは[201701])。杉田すぎた俊介しゅんすけとの『相模原さがみはら障害しょうがいしゃ殺傷さっしょう事件じけん』(立岩たていわ杉田すぎた[2017a]、杉田すぎたしょう杉田すぎた[2017])だいでの杉田すぎたわたし対談たいだんでの杉田すぎた発言はつげんより。

 ぼく自分じぶんがNPOで支援しえんしゃをやってましたから、ちいさな制度せいどがいかに大事だいじかということは本当ほんとう痛感つうかんしてきました。そして制度せいどはいかにうごかないか、ほんのわずかないちいちミリをきざむことがいかにむずかしく、ゆえにいかに大事だいじか。そういう現場げんば困難こんなん折衝せっしょう条件じょうけん闘争とうそう苛酷かこくさをあまりらないひとたちが、抽象ちゅうしょうてき理念りねんばかりを主張しゅちょうして――「左翼さよく」や「学生がくせい運動うんどうくずれ」にそれはおおいという正直しょうじきしましたが――現実げんじつをなしくずしにしていくことには、つよ違和感いわかんおぼえていました。ただ一方いっぽうでは、かつての障害しょうがいしゃ運動うんどうなどで綱領こうりょうされてきたラディカルな理念りねんちからを、日々ひびなか実感じっかんすることもありました。そういう理念りねんのラディカリズムが、根本こんぽんてき現場げんば疲弊ひへいくるしさをささえてくれているのだ、というかんじがあったんです。たとえばあおしば綱領こうりょうもそうですが、ぼくらのような重症じゅうしょう関連かんれんのNPOの場合ばあい、それこそ糸賀いとが一雄かずおの「このらをひかりに」とか「重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいまもかい」のおやたちのさん原則げんそくとかですね。△204
 しかしグローバリゼーション全盛ぜんせい時代じだいにあって、マジョリティとマイノリティの境界きょうかいせんっこちた、構造こうぞうてきには加害かがいしゃであり同時どうじ被害ひがいしゃのような、マジョリティのようなマイノリティのような、なにかができるようなできないような、そうしたキメラてき存在そんざい身体しんたいちながら、そこからてくる理念りねんせいみたいなものも同時どうじ必要ひつようではないか、とおもえるわけです。(立岩たていわ杉田すぎた[2017b:196]、杉田すぎた発言はつげん

 それにたいしてそんなことでよいのかとわたしっている。

 「このらをひかりに」とかわなきゃならないのかということです。糸賀いとが一雄かずおはじゅうぶん立派りっぱひとだとおもいますけど。そして「まもかい」のさん原則げんそく一番いちばんめは「けっしてそうってはいけない あらそいのなかよわいもののきるはない」で、番目ばんめは「おや個人こじんがいかなる主義しゅぎ主張しゅちょうがあっても重症じゅうしょう運動うんどう参加さんかするもの党派とうはえること」ですよ。それでよいのですかと。[…]そしてこの原則げんそくは、いちきゅうろくよんねんにできたそのおやかいがどういうみちおこなったか、かざるをえなかったかということにふかかかわっている。(立岩たていわ杉田すぎた[2017b:198]、立岩たていわ発言はつげん

 つづけて、そんなことをあきらかにしようと「病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ運動うんどう研究けんきゅう」などしようとしており([201512][201611])、ここすうねん連載れんさい(→本書ほんしょ)もいているとはなした。対談たいだんのこの部分ぶぶんのいきさつ、なにいたいのかはほんの「補遺ほい」([201701]、HPに全文ぜんぶん掲載けいさい)にしるした。ただ、事実じじつけばわかってもらえることにはならず、もっとはっきりったほうがよいとおもうことがおおいので、くわえる。
 ひとつ、「ちいさな制度せいど」が大切たいせつであることはそのとおりで、そうおもってわたし仕事しごとをしてきた。ひとつ、「抽象ちゅうしょう△205 てき理念りねんばかり」う(ひとたちの)ことについては、抽象ちゅうしょうてき理念りねんがきちんとえればそれはそれでよいのだが、そのようなものに(さえ)なっておらず、その不確ふたしかな、というよりあやまった理念りねんによる「まわし」が有害ゆうがいすくなくとも無効むこうであることについて同意どういする。ひとつ、それがここでべることだが、「ラディカルな理念りねんちから」があるというふたつについて、その全体ぜんたいをそのまま肯定こうていてきってよいのかである。たとえばななねん神奈川かながわあおしばかいあらそった相手あいては、杉田すぎた並列へいれつさせている「まもかい」、正確せいかくにはその神奈川かながわけん組織そしきだった([201701b:64])★01。
 研究けんきゅうしゃなら知識ちしき在庫ざいこわれるとしても、杉田すぎたはそれが商売しょうばいでもないのだから、ここではなにかこまかいことをっていないとものをうべきではないといったことをいたいのではない。まずわたしは、研究けんきゅう研究けんきゅうによって産出さんしゅつされたという言論げんろん言説げんせつ水準すいじゅんがかりなのではあり、基本きほんてきにこの事件じけんについてわたしおなじことをおうしているのだろう杉田すぎたの(実際じっさいにはほんつくるにさいしてくわえられた)この部分ぶぶん発言はつげんをとくに問題もんだいにしたいのではない。ただ、「理念りねん」をうのであれば、言葉ことばとらえるその精度せいどは、「キメラ」だの「グローバリゼーション」だのまえに、やはり大切たいせつだ。
 いちきゅうろくねん前後ぜんご偉人いじんたちがあらわれ、その社会しゃかい福祉ふくし発展はってんしたという物語ものがたりがある。東京とうきょう島田しまだ療育りょういくえんには小林こばやしひさげじゅがいた。滋賀しがのびわこ学園がくえん創始そうししゃとして糸賀いとが一雄かずおがいる。そのふたつの施設しせつは、重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい――大雑把おおざっぱには知的ちてきにも身体しんたいてきにもおも障害しょうがいのあるども(やがておおきくなり、いま高齢こうれいしゃとなっているひとたちもおおい)――施設しせつとして先駆せんくてき施設しせつだった。その国立こくりつ療養りょうようしょが、結核けっかく療養りょうようしゃつぎのおきゃくとしておおくのその「重心じゅうしん」のれもする。小林こばやし医師いしだが、糸賀いとがちがう。このひといまでも例外れいがいてきられており、その時代じだい(から)の福祉ふくしかたとき符丁ふちょうのようなものにされている★02。その人々ひとびと尊敬そんけいするひとたちによってかれたものもある。ただ、この定番ていばんひとたちをあげてなにか歴史れきしかたったつもりになるのはよくないとおもう。ひとかたり、そのひとたちが肯定こうていされるべきひとたちであるという△206 ことからこぼれるものがある。それでこの文章ぶんしょういており、このひとたちを一人ひとりひとり紹介しょうかいろんずるつもりはない。ただすこいておく。
 まず、わたしは、そのひとたちは立派りっぱであったとおもう。そのひとたちは、そのひとたちのように、本人ほんにんやその「代理人だいりにん」の(事前じぜん決定けっていゆだねればよいといったことはわない。「生命せいめいしつ」といったことも容易よういにはわない。そのひとたちに象徴しょうちょうされるような実践じっせんがなかったら、かなりのかずひとたちがもっとはやくにんでいただろうとおもう。それはよいことであった。そのうえでのはなしだ。
 具体ぐたいてき検討けんとう一切いっさいはぶいて、二人ふたりふたつの「かた」としてあげる。悲観ひかんてき人道的じんどうてきひとと、人道的じんどうてき肯定こうていてきひと、そのふたつである。
 小林こばやしは、「重症じゅうしょうしゃ」にたいして悲観ひかんてきではあったが、それをあいおおう、というような具合ぐあいになっていて、ちからくした。尽力じんりょくしたが悲観ひかんてきだった。それは、だいせつ5(243ぺーじ)に紹介しょうかいする白木しらきひろしといった医学いがくしゃたちにもえることを後述こうじゅつする。小林こばやしは、まれたら(まれてしまったら)すくう、それは医師いし義務ぎむだとう。ただ、まれなくすることには賛同さんどうしている。ではそうしたこと、批判ひはんすればよいか。とてもすくないが、直接ちょくせつ小林こばやしたいしてなされた批判ひはんもある★03。わたし批判ひはんしたらよいとおもうところはある。優生ゆうせい保護ほごほうにん手術しゅじゅつについていちはちねんになって提訴ていそがあり、にわかに、ようやく、このことがいくらかられるようになった★04のだが、小林こばやしは、そこからそうおおきくことなる場所ばしょにいるわけではない。しかしそれでもわたしたちはうしろめたいのだ。つまり、この社会しゃかいわたしたち自身じしん否定ひていてき悲観ひかんてきであるという現実げんじつかんはぬぐえない。である以上いじょう、そのひとたちのとらかたえがかた否定ひていてき悲観ひかんてきであると、本当ほんとう批判ひはんできるかとおもう。しかも、そのうえで、小林こばやし実践じっせんおこなった。他方たほう、そんなたいへんなことはできないとおもわたし(たち)はなにもしていないのだ。
 しかしそれでも、悲観ひかんてきである必要ひつようはない。というか、否定ひていてきであることができない。それが今年ことしの△207 もうひとつのほん([201811])でっていることのひとつでもある。歴史れきし理論りろんはそうしてつながっている。
 それにたいして糸賀いとがの「このらをひかりに」という言葉ことば社会しゃかい福祉ふくし業界ぎょうかいではひろられている言葉ことばで、「このらに」ではなく、「このらを」とったところがよいとわれている。重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい「を」ひかり「にする」、重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい「が」ひかり「となる」というのだ。そして相模原さがみはらでの事件じけんさいにも、たとえば相模原さがみはらでの事件じけんのすぐまれたNHKのあさ座談ざだんかいのような番組ばんぐみおやかいひとがこの言葉ことばしたことを記憶きおくしている。
 実際じっさいひかり」であるかもしれない。しかし「このら」が「ひかり」であるとわねばならないかということである。そんな必要ひつようはなく、それをけてあらそうべきではない。相模原さがみはらでの事件じけんについてのほんで、みずからの(そのの)肯定こうていせいによってみずから(その)の生命せいめい生活せいかつ正当せいとうせい必要ひつようなどないのだとったひとたちのことを紹介しょうかいし、そちらのがわわたし支持しじするとべた([201701c:96-99])。
 それは現実げんじつてきなもののっていきほうとしてはよわいようにおもえる。いきおいがないではないかというのである。わたしも、ときにはあかるいことをって元気げんきすことはよいとおもう。ただ、現実げんじつてきかんがえても、肯定こうていてきであることはつねによいわけではないとかんがえる。
 それは、その容疑ようぎしゃのようにかたったりかんじたりするひとたちに、そして自分じぶんたちに、どのようにものをうのかということでもある。たとえば、うつくしい言葉ことばが、この事件じけん、その容疑ようぎしゃに「く」だろうかということだ。たとえばその容疑ようぎしゃ(のようなひと)は、「そのようにあなたが(自分じぶんを)いたい気持きもちは理解りかいはできるが」「あなたがそうおもうあるいはそういたいその事実じじつ否定ひていしないが」とい、「わたしにはそうおもえない」「きれいごとをしんじようとしている」とう。「ひかり」とおもひとにもさらにいいぶんはあるだろうが、はなし平行へいこうせん辿たどることになるだろう。だから、かえって、もっといたところから「ころすな」とったほうがよいし、実際じっさいったひとたちもいる。「ひかり」でもないが、そんなに悲惨ひさんでもない。とい△208 うだけのことだ。そしてそれは、道徳どうとく感情かんじょうといったものではなく、まずは事実じじつであるとしかいようのないことだ★05。
 肯定こうていされるものがあることはまったくよいことである。しかし、きていくこと、それもただなない程度ていどきていくのでなくもっとのうのうときていくために、みずからによいものがあることが必要ひつようなのでなく、そのことをしめすことも必要ひつようでない。このような態度たいどつくられていって、それは、ちか場所ばしょにいるがおなじではない態度たいどとの差異さいにおいてしめされた。そして、そのような態度たいどをもってあらそうこと、そこからかないことがわれたのでもある。
 もうひとつ、糸賀いとが、びわこ学園がくえんから「発達はったつ保障ほしょうろん」が発祥はっしょうしたとわれる。すこ事情じじょうっているひとは、わたしがここでいているのも、そのながれと対立たいりつした「共生きょうせい共学きょうがく」「どの普通ふつう学校がっこうへ」というながれがあって、わたし基本きほんてき後者こうしゃ支持しじしてきたことがかかわっているとおもわれるかもしれない。関係かんけいがなくはない。いくらかをっているからけるということはたしかにある。ただ、そのかつてのつよ対立たいりつとその曖昧あいまい変化へんかをなぞろうとはおもわない。もうすこ正確せいかくかんがえていく必要ひつようがあって、それはここでは無理むりなことだ★06。
 ここではひとつだけ。「発達はったつ」と「ひかり」はまたことなる方向ほうこういているようにおもわれる。そのはばをどうかんがえるか。「運動うんどう」となった発達はったつ保障ほしょうろんは、実際じっさいのところはたいへん常識じょうしきてきで「科学かがくてき」な「発達はったつ」を肯定こうていし、それを測定そくていうながそうとするうごきとしてひろがっていった。ただ「重心じゅうしん」の施設しせつにいれば、その普通ふつう発達はったつはそう単純たんじゅんされるものでなく、また単純たんじゅん肯定こうていされてよいものともおもわれない。糸賀いとがつぎ施設しせつちょう岡崎おかざき英彦ひでひこ著書ちょしょ岡崎おかざき[1978])、つぎ高谷たかやきよしだが、その高谷たかやは、ときに「政治せいじてき」な言辞げんじろうするが、そのどもたちについての記述きじゅつ自体じたい冷静れいせいであり、またわたし自身じしんはそのではないので結局けっきょくはよくわからないが、たぶんたっているのだろうとおもえるものだ★07。そのたちは、容易ようい判定はんていさ△209 れ測定そくていされるような「普通ふつう意味いみ」での発達はったつからこぼれるようにおもわれる。糸賀いとがの「よこ発達はったつする」という普通ふつうには不思議ふしぎ言葉ことばはこのことにかかわる。また、そのようにおもうことによって、あきらめてしまいなくなり放置ほうちしてしまうことがなくなる、その微妙びみょう変化へんか反応はんのう敏感びんかんになることがあるとわれる。それはわかるようにはおもう。ただそのことはわかったじょうでも、さらに発達はったつ全般ぜんぱん肯定こうていしたじょうでも、やはり「ひかり」も「発達はったつ」もわねばならないわけではない。そのことをえるとかんがえる。
 以上いじょうはひどく抽象ちゅうしょうてき議論ぎろんでもある。ただこの時期じきこうして――「ホープレス」だがあいによってつつむ、「ひかり」をてとる、「発達はったつ」をねがう、というちからによって――られた空間くうかんが、人々ひとびと具体ぐたいてき生活せいかつのありさま範囲はんい規定きていしたのでもあるからには、まってみる必要ひつようもあるし、また、その時期じきからだいぶった現在げんざいであるからこそ可能かのう部分ぶぶんもあるとかんがえる。」(204-210)

初出しょしゅつ
立岩たていわ しん也 2017/01/01 「『相模原さがみはら障害しょうがいしゃ殺傷さっしょう事件じけん補遺ほい」 連載れんさい・129」,『現代げんだい思想しそう』45-1(2017-1):22-33

◇2016/12/27 杉田すぎた俊介しゅんすけ「このらをひかりに」(補遺ほい・10)――「身体しんたい現代げんだい計画けいかく補足ほそく・285」
◇2016/12/28 杉田すぎた俊介しゅんすけ「このらをひかりに」つづけ補遺ほい・11)――「身体しんたい現代げんだい計画けいかく補足ほそく・286」
 cf.◇病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ運動うんどう研究けんきゅう

立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』表紙   立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙   立岩真也編『与えられる生死:1960年代』表紙   立岩真也『病者障害者の戦後――生政治史点描』表紙   立岩真也『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』表紙 

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UP:20160814 REV:20161228, 20190302
びわこ学園がくえん  ◇糸賀いとが 一雄かずお  ◇重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい施設しせつ  ◇病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ運動うんどう研究けんきゅう  ◇WHO  ◇物故ぶっこしゃ 
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