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白木博次
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白木しらき 博次ひろじ

しらき・ひろつぐ
1917ねん10がつ22にち - 2004ねん2がつ19にち


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%8D%9A%E6%AC%A1

 しらき ひろつぐ、1917ねん10がつ22にち - 2004ねん2がつ19にち)は、日本にっぽん医学いがくしゃ神経しんけい病理びょうりがく国際こくさいてき権威けんい東京大学とうきょうだいがく医学いがく部長ぶちょう東京とうきょう出身しゅっしん[1]。
経歴けいれき
 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶ教授きょうじゅ白木しらき正博まさひろ二男じなんとしてまれる。ちち九州きゅうしゅう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶへの着任ちゃくにんにより福岡ふくおか転居てんきょし、福岡ふくおかけんちゅう学修がくしゅう猷館、旧制きゅうせい福岡ふくおか高等こうとう学校がっこうて、1941ねん12月、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶ卒業そつぎょう太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんさいして、海軍かいぐん軍医ぐんいとして戦艦せんかん武蔵むさし乗艦じょうかん復員ふくいん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく医学部いがくぶ復帰ふっきし、内村うちむら祐之ひろゆき教授きょうじゅ東大とうだい附属ふぞくのう研究けんきゅうしつだい一部いちぶ入室にゅうしつ。1949ねん助手じょしゅとなる。1950ねん、「原子げんしばくだんしょう脳髄のうずい病理びょうり」により医学いがく博士はかせ学位がくいける。1953ねん1がつ東大とうだい附属ふぞくのう研究けんきゅう施設しせつのう病理びょうり部門ぶもん講師こうし、1956ねん11月、助教授じょきょうじゅて、1959ねん3がつ東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ附属ふぞくのう研究所けんきゅうじょ教授きょうじゅ就任しゅうにん
 1964ねん1がつにゅう鹿山かやま且朗熊本大学くまもとだいがく教授きょうじゅらの研究けんきゅう結果けっか論拠ろんきょに、水俣病みなまたびょう原因げんいんがメチル水銀すいぎんであることを確定かくていする論文ろんぶん発表はっぴょう、これが1968ねん9がつ厚生省こうせいしょうによる水俣病みなまたびょうとメチル水銀すいぎん化合かごうぶつとの因果いんが関係かんけい公式こうしき認定にんていつながっていく。1966ねん日本にっぽん神経しんけい病理びょうり学会がっかい初代しょだい理事りじちょう就任しゅうにん、のち国際こくさい神経しんけい病理びょうり学会がっかい名誉めいよ会長かいちょうとなる。
 1968ねん4がつ美濃部みのべ亮吉りょうきち東京とうきょう都知事とちじ要請ようせいにより、東大とうだい教授きょうじゅ現職げんしょくのまま、新設しんせつされた都立とりつ府中ふちゅう療育りょういくセンターの初代しょだい院長いんちょう就任しゅうにん。1968ねん11月、東京大学とうきょうだいがく医学いがく部長ぶちょう就任しゅうにん。1970ねん7がつ美濃部みのべ都知事とちじから委嘱いしょくされ、都知事とちじのブレーンである東京とうきょう参与さんよとなり、医療いりょう行政ぎょうせい関与かんよしている。このころ、東京とうきょう参与さんよとして、都知事とちじから老人ろうじん医療いりょう無料むりょう相談そうだんがあったが、そうなると老人ろうじん外来がいらいあるいは入院にゅういんというかたち病院びょういんけ、青年せいねんそう壮年そうねんそう病院びょういん利用りようしにくくなることが予想よそうされるため、老人ろうじん専門せんもん病院びょういんつく必要ひつようがあると都知事とちじ提案ていあんした。その結果けっか、1972ねん6がつ板橋いたばし東京とうきょう老人ろうじん医療いりょうセンターが設立せつりつされた。白木しらきはそのとき開設かいせつ準備じゅんび委員いいんちょうつとめている。
 そのかたわら、スモン訴訟そしょう水俣病みなまたびょう訴訟そしょう患者かんじゃがわ証人しょうにんとして法廷ほうてい証言しょうげん勝訴しょうそみちびいている。スモン訴訟そしょうでは、1975ねん7がつ15にち東京とうきょう地裁ちさい患者かんじゃがわ証人しょうにんとして出廷しゅっていし、田辺製薬たなべせいやく[2]がスモンのキノホルム原因げんいんせつ裏付うらづけるデータを隠蔽いんぺいしていることを証言しょうげんしたことにより、その裁判さいばんながれをおおきくえることになった。
 1975ねん12月、定年ていねんまえ東京とうきょう大学だいがくし、白木しらき神経しんけい病理びょうりがく研究所けんきゅうじょ主宰しゅさいして、在野ざいやから患者かんじゃがわってスモン、水俣病みなまたびょう、ワクチン因果いんが関係かんけい解明かいめいなどにむ。そして、ワクチンによる健康けんこう被害ひがい判定はんてい基準きじゅんとして、のちおおくの裁判さいばんにおいて採用さいようされることとなる「白木しらきよん原則げんそく」を策定さくていする。2004ねん肺炎はいえんのため死去しきょ

 白木しらきよん原則げんそく ワクチン接種せっしゅ健康けんこう被害ひがい因果いんが関係かんけい判定はんてい基準きじゅん
・ワクチン接種せっしゅ接種せっしゅ事故じこ疾病しっぺい)が時間じかんてき空間くうかんてき密接みっせつしていること
疾病しっぺいについて、ワクチン接種せっしゅ以外いがい病因びょういんかんがえられないこと
接種せっしゅ事故じこ後遺症こういしょう原則げんそくとして質量しつりょうてき強烈きょうれつであること
事故じこ発生はっせいのメカニズムが、実験じっけん病理びょうり臨床りんしょうなどの観点かんてんからみて、科学かがくてき学問がくもんてき実証じっしょうせい妥当だとうせいがあること


◆1951 『精神病せいしんびょう常識じょうしき看護かんご』(未見みけん
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000883803-00

◆196406 「水俣病みなまたびょうう――その医学いがくてき社会しゃかいてき背景はいけい」,『世界せかい』222

白木しらき 博次ひろじ佐野さの けい椿つばき 忠雄ただお 196804 のうまもろう』岩波いわなみ新書しんしょ

◆197105 「美濃部みのべ都政とせいにおける医療いりょう現状げんじょう将来しょうらいぞう――わがくににおける医学いがく医療いりょう荒廃こうはいへの危機ききとの関連かんれんで」,『都政とせい』1971-5:31-72 ※

◆197209「環境かんきょう破壊はかいから健康けんこう破壊はかいへ――水俣病みなまたびょうはいまやいち地域ちいきびょうではない」,『世界せかい』322(1972-9):173-184 ※

◆1973 「自治体じちたい東京とうきょう中心ちゅうしんに)の医療いりょう行政ぎょうせい基本きほんてき背景はいけい」『ジュリスト臨時りんじ増刊ぞうかん』548 ※

◆197303 「医学いがく医療いりょう――重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいかんがかたとの関連かんれんにおいて」,『思想しそう』549(1973-03) ※

◆1973 「スモン患者かんじゃ社会しゃかい復帰ふっきによせて」『スモンの広場ひろば』4

◆1973 「水銀すいぎん汚染おせん実態じったい――健康けんこう破壊はかいへの危機ききいちれいとして」『公害こうがい研究けんきゅうだいかんだいさんごういちきゅうななさんねん

◆1973 「市民しみん健康けんこう――環境かんきょう汚染おせんによる健康けんこう破壊はかいへの危機きき現代げんだい都市とし政策せいさくだいいちかん岩波書店いわなみしょてんいちきゅうななさんねん)※

◆197504 「重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい総論そうろん――胎児たいじせい水俣病みなまたびょうとその周辺しゅうへん中心ちゅうしんに」,『神経しんけい研究けんきゅう進歩しんぽ』19(2), p205-214, 1975-04(重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい<特集>)
 https://ci.nii.ac.jp/naid/40001885043/

白木しらき 博次ひろじ 19780501 「はしがき」,[1978:1-3]
川村かわむら 佐和子さわこ木下きのした 安子やすこ別府べっぷ ひろし圀・宇尾野うおの 公義きみよし 19780501 難病なんびょう患者かんじゃ在宅ざいたくケア』医学書院いがくしょいん,176p. ASIN: B000J8OLMQ [amazon][kinokuniya] ※ n02. als

白木しらき 博次ひろじ 19981225 おかされる日本人にっぽんじんのう――ある神経しんけい病理びょうり学者がくしゃ遺言ゆいごん藤原ふじわら書店しょてん,316p. ISBN-10:4894341174 ISBN-13:978-4894341173 3000+ [amazon][kinokuniya] ※ d07smon. m34. d07

白木しらき 博次ひろじ 20010930 全身ぜんしんびょう――しのびよるのう内分泌ないぶんぴつけい免疫めんえきけい汚染おせん藤原ふじわら書店しょてん,296p. ISBN-10:4894342502 ISBN-13:9784894342507 3200+ [amazon][kinokuniya]

 ※入手にゅうしゅ



□1949

◇サンケイ新聞しんぶん社会しゃかい東大とうだい取材しゅざいはん 19781030 『ドキュメント東大とうだい精神病せいしんびょうとう――おそれるべき東大とうだいのタブーをあばく』,光風こうふうしゃ書店しょてん,208p. ASIN: B000J8LMO6 [amazon] m.※

 「また、石川いしかわきよし講師こうし士族しぞく出身しゅっしんであることをさかんに強調きょうちょうした。祖先そせん三河みかわじゅうまんせき吉田よしだはん家老がろうだったという。この家系かけいぎ、祖父そふ戦艦せんかん三笠みかさ」の軍医ぐんいちょうであり、司馬しばりょう太郎たろう小説しょうせつ△089 に登場とうじょうしたこともある。父親ちちおやいちだか東大とうだいそつぎょして、大正たいしょうねん東大とうだい医学部いがくぶだいさん内科ないかにはいった。松本まつもと市営しえい病院びょういんしんじだい医学部いがくぶ初代しょだい病院びょういんちょう)をて、青山あおやま内科ないか改行かいぎょうしていた。石川いしかわ講師こうしはこのような華々はなばなしい家系かけいをみずから積極せっきょくてきはなした。
 かれ自身じしん都立とりついちちゅうげん日比谷ひびや高校こうこう)をなて、戦時せんじちゅう医師いし不足ふそくおぎなうために設置せっちされた東大とうだい医学いがく専門せんもん入学にゅうがくじゅうよんねん卒業そつぎょう松沢まつざわ病院びょういん現在げんざい都立とりつ)でインターンを経験けいけんした。このとき石川いしかわ講師こうし東大とうだい医学部いがくぶ白木しらき博次ひろじ教授きょうじゅ当時とうじ)の執刀しっとうによるロボトミー手術しゅじゅつ体験たいけん、その、この手術しゅじゅつ人体じんたい実験じっけんとして糾弾きゅうだんすることになる。そのときのことをこんな表現ひょうげんをつかってかたった。「のう動脈どうみゃくると、がピューピューとた。わたし患者かんじゃみゃく血圧けつあつ測定そくていしていたのですが、そのうちにみゃくはくがなくなり、血圧けつあついち〇〇、はち〇とがってしまった。白木しらき教授きょうじゅ手術しゅじゅつをやめるようにいくらっても、フン∞フン≠ニいうだけだった。患者かんじゃさんはあいだ手術しゅじゅつわると同時どうじんだ。そのとき、こんな病院びょういん将来しょうらい、ぶっつぶしてやると決意けついした」
 インターンいちねんをへて、文学部ぶんがくぶ哲学てつがくさい入学にゅうがくじゅうはちねん東大とうだい付属ふぞく病院びょういん精神せいしん神経しんけい助手じょしゅさんじゅうさんねんはちがつどう医局いきょくちょう翌年よくねんきゅうがつどう病棟びょうとう医長いちょうさんじゅうななねんよんがつから付属ふぞく病院びょういん講師こうしけん東大とうだい保健ほけんセンター精神せいしん衛生えいせい主任しゅにんになっている。」(サンケイ新聞しんぶん社会しゃかい東大とうだい取材しゅざいはん[1978:89-90])

石川いしかわ きよし精神せいしん,1924〜) 松沢まつざわ病院びょういんでインターンの時期じき白木しらき博次ひろじのロボトミー手術しゅじゅつ目撃もくげき。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E6%B8%85
 サンケイ新聞しんぶん東大とうだい取材しゅざいはん 1978 『ドキュメント東大とうだい精神病せいしんびょうとう光風こうふうしゃ書店しょてん *

 だいしょう 精神せいしん医療いりょう経験けいけん
 「いちきゅうななよんねんたい教授きょうじゅ退官たいかんさいして、連合れんごうでも自主じしゅ管理かんり闘争とうそう終結しゅうけつ継続けいぞくかが討論とうろんされた。若手わかて世代せだい中心ちゅうしんとした継続けいぞく意見いけん結局けっきょく連合れんごう意見いけん集約しゅうやくした。医学部いがくぶ当局とうきょく精神せいしん管理かんりは、ななよんねんはちがつ高安たかやす久雄ひさお医学いがく部長ぶちょう石田いしだ正統せいとう病院びょういんちょう土居どい健郎たけお精神せいしん衛生えいせいがく教授きょうじゅ逸見いつみ武光たけみつどう助教授じょきょうじゅよんしゃ体制たいせいとなり、そのななねんよんがつしゃ酒井さかい文徳ふみのりがく部長ぶちょう交代こうたいしてはいる)体制たいせいへとうつりリ、さらに学部がくぶちょう交代こうたい吉川よしかわ政巳まさみ医学いがく部長ぶちょう)を佐藤さとうよせおとこ精神せいしんちょう代行だいこうとなり、ななきゅうねんいちがつ土居どい健郎たけお教授きょうじゅはちよんねんよんがつ原田はらだ憲一けんいち教授きょうじゅ変遷へんせんした。当時とうじ自主じしゅ管理かんりがわは、はじめ教授きょうじゅ松沢まつざわ病院びょういん時代じだい人体じんたい実験じっけん佐野さのけい脳外科のうげか教授きょうじゅ鎮静ちんせいてき定位ていいのう手術しゅじゅつ白木しらき博次ひろじのう研究所けんきゅうじょもときょう教授きょうじゅあかレンガでよんきゅうねんにおこなった「生体せいたい解剖かいぼうなどを、医局いきょく講座こうざ匪制のこした事件じけんとして糾弾きゅうだんしていた。」(富田とみた[2011:261])

 参考さんこう資料しりょう白木しらき糾弾きゅうだん――東大とうだいのうけん教授きょうじゅ白木しらき博次ひろじ犯罪はんざいせいあばく――白木しらき博次ひろじ糾弾きゅうだん共闘きょうとう会議かいぎいちきゅうななねん (富田とみた[2011:265])

白木しらき博次ひろじ糾弾きゅうだん共闘きょうとう会議かいぎ 1975 『白木しらき糾弾きゅうだん――東大とうだいのうけん教授きょうじゅ白木しらき博次ひろじ犯罪はんざいせいあばく』(未見みけん

◆1951 『精神病せいしんびょう常識じょうしき看護かんご
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000883803-00

◆196406 「水俣病みなまたびょうう――その医学いがくてき社会しゃかいてき背景はいけい」,『世界せかい』222

◆196501 「水俣病みなまたびょう――とくにその有機ゆうき水銀すいぎんせつをめぐって」,『科学かがく』34-1

◆19660309 衆議院しゅうぎいん科学かがく技術ぎじゅつ振興しんこう対策たいさく特別とくべつ委員いいんかい参考さんこうじんとしてばれる。
 「[…]すくなくとも、現在げんざい水銀すいぎん農薬のうやくによって、つぎ世代せだい素質そしつ低下ていかしつつあるという証拠しょうこは、まだあがってはいないが、くには、うたがわしきは使用しようせず≠ニいうつよ態度たいどで、その使用しよう禁止きんし方向ほうこうにふみるべきであると警告けいこくした。コトパをかえると、当時とうじ明確めいかく哲学てつがくが、そこにあったわけではないにしても、この場合ばあいうたがわしきはばっせず≠ニいう刑法けいほうてき概念がいねんを、そこに適用てきようすべきではなく、また自然しぜん科学かがくてき視点してんからの因果いんがろんてき実証じっしょうをまつまでもなく、民法みんぽうてき概念がいねんというより、政治せいじてき勇断ゆうだんのものを、そこに適用てきようすべきであるとの勧告かんこくであった。
 しかもこの可能かのうせいは、人体じんたい実験じっけんつうじて、当時とうじ、すでに証明しょうめいされかけていた。なぜなら、当時とうじ、まだ決定的けっていてきではなかったが、胎児たいじせい水俣病みなまたびょう先天せんてんせい水俣病みなまたびょう)は、母親ははおや自身じしん発病はつびょうしていないか、軽度けいど神経しんけい障害しょうがいしかしめしていないのに、その母親ははおやからまれた幼児ようじは、大脳だいのう発達はったつ阻害そがいによる高度こうどせいうす)と、運動うんどう神経しんけい発達はったつ停止ていしにもとづぐ手足てあし運動うんどうマヒ(高度こうど脳性のうせいマヒ)とのダブル・ハンデイキヤッブの児童じどうたちで、わたし天性てんせい重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいにほかならなかったからである。」

◇19670423 美濃部みのべ亮吉りょうきち東京とうきょう都知事とちじはつ当選とうせん

□1968ころ

白木しらき 博次ひろじ佐野さの けい椿つばき 忠雄ただお 196804 のうまもろう』岩波いわなみ新書しんしょ

◆1968ねん4がつ 美濃部みのべ亮吉りょうきち東京とうきょう都知事とちじ要請ようせいにより、東大とうだい教授きょうじゅ現職げんしょくのまま、新設しんせつされた都立とりつ府中ふちゅう療育りょういくセンターの初代しょだい院長いんちょう就任しゅうにん
 →府中ふちゅう療育りょういくセンター/闘争とうそう

中嶋なかじま さとし 2015ねん12月1にち インタビュー NHK *
 https://cgi2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/postwar/shogen/movie.cgi?das_id=D0012100428_00000

 「これを構想こうそうしたのが東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ教授きょうじゅだった白木しらき博次ひろじ先生せんせい白木しらき先生せんせい美濃部みのべ知事ちじ時代じだい東京とうきょう顧問こもんだったんですね。圧倒的あっとうてきちからをおちでして。保険ほけん医療いりょうめんについては全面ぜんめんてき白木しらき先生せんせい指揮しきにあったみたいなぐらいにつよちからをおちだったですね。美濃部みのべさんとどういうご関係かんけいわたしどもはらないんですけれど。非常ひじょう信頼しんらい関係かんけいあつくて。ですから顧問こもん就任しゅうにんされて。それでこのことを構想こうそうされたんですね。」

◆19680915 「大学だいがく医学部いがくぶ立場たちばからみた医療いりょう問題もんだい――東大とうだい医学部いがくぶ現状げんじょう分析ぶんせき将来しょうらい計画けいかく中心ちゅうしんに」白木しらき博次ひろじ
 『ジュリスト』1968ねんがつ15にちごう(No.406)
 http://www.yuhikaku.co.jp/jurist/detail/014009
特集とくしゅう医療いりょう制度せいど問題もんだい状況じょうきょう
 ◇医療いりょうからみた医療いりょう制度せいど問題もんだいてん……川上かわかみ たけ
 ◇医療いりょう制度せいどのしくみとその問題もんだいてん……うた 孝一こういち
 ◇大学だいがく医学部いがくぶ立場たちばからみた医療いりょう問題もんだい――東大とうだい医学部いがくぶ現状げんじょう分析ぶんせき将来しょうらい計画けいかく中心ちゅうしんに……白木しろき 博次ひろじ
 ◇医療いりょう保険ほけん制度せいど問題もんだいてん――抜本ばっぽん改革かいかく試案しあんをめぐって……こう たく
 ◇医療いりょうをめぐる紛争ふんそう――その経緯けいい根源こんげん……今井いまい 一男かずお
 ◇医療いりょう紛争ふんそう根元ねもと問題もんだいてん……小山こやま みちおとこ
 ◇医師いしほう一部いちぶ改正かいせい……黒木くろき のべ
 ◇そだてしゃ反省はんせい……かか かつ
 ◇青年せいねん医師いし連合れんごう理論りろん実践じっせん――医療いりょう帝国ていこく主義しゅぎてき再編さいへん対決たいけつするわれわれのたたかい……青年せいねん医師いし連合れんごう中央ちゅうおう書記しょききょく

白木しらき博次ひろじ 1968 「東京大学とうきょうだいがく医学部いがくぶ将来しょうらい計画けいかく」,『ぬし医療いりょう』1-2:161-170
 http://www.lib.keio.ac.jp/publication/medianet/article/HAKKAKUTO5.pdf

◆1968ねん11月、東京大学とうきょうだいがく医学いがく部長ぶちょう就任しゅうにん

医学いがく部長ぶちょう白木しらき博次ひろじ だいひろ病院びょういんちょう 1968(昭和しょうわ43)ねん12月23にち 「東大とうだい病院びょういん診療しんりょうさい編成へんせいあん)」
 https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400059325.pdf

東大とうだい精神せいしん医師いし連合れんごう 19840620 すわりこみニュース』No.2

 「宇都宮うつのみや病院びょういんもっとふかくかかわっていた東大とうだい医学部いがくぶ医師いし一人ひとりである、保健ほけん学科がっか精神せいしん衛生えいせいがく教室きょうしつ講師こうし浅香あさか照雄てるおたいろくがつじゅうよんにち全学ぜんがく有志ゆうし仲間なかま一緒いっしょ追及ついきゅうおこなった。
 なんと、なんと、浅香あさかは“処分しょぶん”でほっとして、人類じんるい遺伝いでんがく講義こうぎ図々ずうずうしくもやっていた。浅香あさかは、みずからの“研究けんきゅう”テーマ・遺伝いでんがくの“研究けんきゅう”を宇都宮うつのみや病院びょういん患者かんじゃを“つかって”やっていた。かれ宇都宮うつのみや病院びょういんからした最初さいしょ論文ろんぶんいちきゅうろくはちねんなのだ! ろくはちねんえば、そのころ東大とうだい医学部いがくぶでは、教授きょうじゅかいじゅうななめい大量たいりょう処分しょぶんし、六月ろくがつ機動きどうたいせんめい学内がくないになだれこみ、医局いきょく講座こうざせい批判ひはんのまきおこっていた真最中まっさいちゅうだ。生体せいたい解剖かいぼう責任せきにん追及ついきゅうされ教授きょうじゅ辞任じにん(‘75)したのうけん病理びょうり白木しらき博次ひろじ宇都宮うつのみや病院びょういんでものうあつめをしていた。が、“東大とうだい闘争とうそうのせいで学内がくない研究けんきゅうがしにくくなった。マテリアル(のう)が散逸さんいつしないためには800しょうぐらいの病院びょういんがほしいですね”とこぼしていたころでもある。」

東京大学とうきょうだいがく医学いがく部長ぶちょう白木しらき博次ひろじ 1969(昭和しょうわ44)ねん1がつ10日とおか 「医学部いがくぶ学生がくせい諸君しょくんへ」(学生がくせい配布はいふ文書ぶんしょ
 https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400059325.pdf

◆197003 「医学いがく医療いりょう――重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいかんがかたとの関連かんれんにおいて」,『思想しそう』549(1970-3):408-422 ※

◇197006 大島おおしま一良かずよし府中ふちゅう療育りょういくセンター院長いんちょう就任しゅうにん森山もりやま[108])

◆1970ねん7がつ美濃部みのべ都知事とちじから委嘱いしょくされ、都知事とちじのブレーンである東京とうきょう参与さんよとなり、医療いりょう行政ぎょうせい関与かんよ
 このころ、東京とうきょう参与さんよとして、都知事とちじから老人ろうじん医療いりょう無料むりょう相談そうだんがあったが、そうなると老人ろうじん外来がいらいあるいは入院にゅういんというかたち病院びょういんけ、青年せいねんそう壮年そうねんそう病院びょういん利用りようしにくくなることが予想よそうされるため、老人ろうじん専門せんもん病院びょういんつく必要ひつようがあると都知事とちじ提案ていあん

◇1970.12.14 重度じゅうど障害しょうがいしゃ人間にんげんです (朝日新聞あさひしんぶん)

◇19710423 美濃部みのべ亮吉りょうきち東京とうきょう都知事とちじ再選さいせん

◆197105 「美濃部みのべ都政とせいにおける医療いりょう現状げんじょう将来しょうらいぞう――わがくににおける医学いがく医療いりょう荒廃こうはいへの危機ききとの関連かんれんで」,『都政とせい』1971-5:31-72 ※ *

 「一方いっぽう東大とうだい医学部いがくぶはしはっし、全学ぜんがくのみならず、全国ぜんこく大学だいがく拡大かくだいした大学だいがく紛争ふんそうの、その経過けいかは、日本にっぽん医学いがく医療いりょう将来しょうらい予測よそくするにあたって、きわめて重大じゅうだい意味いみをもつものといわねばならない。つまり、多少たしょう程度ていどはあれ、現在げんざい東大とうだい医学部いがくぶのみならず、全国ぜんこく大学だいがく医学部いがくぶは、一見いっけん静穏せいおんさをもどしたかに、外見がいけんにはみえるかもしれぬが、この紛争ふんそうつうじ、教授きょうじゅ助教授じょきょうじゅちゅうといそう、また、学生がくせいたち、また、くに自身じしんが、この紛争ふんそうをどうただしくめ、現在げんざいからはたひつじにかけて、これに、どう積極せっきょくてき対処たいしょしているかをかんがえた場合ばあい、かなりはっきりいって、絶望ぜつぼうてきとまでいうのは、いいすぎであることはもとよりとしても、悲観ひかんてき要素ようそおおすぎるものと表現ひょうげんせざるをえない。なぜなら、まず、紛争ふんそうつうじて、各層かくそう人々ひとびとといに、いろいろなかんがかたまれ、両極りょうきょくに△033 はしるか、四分五裂しぶんごれつし、その結果けっか相互そうごといにかもしだされた不信ふしんかんは、いかに設備せつびがよくなり、また、かりに高額こうがく予算よさんがついたとしても、もはや、それだけで解決かいけつできる問題もんだいではなく、そこに相互そうご気持きもちがなければ、あたえられた予算よさん施設しせつをも、けっしてただしくかしてゆくことはできないとおもわれるからである。そして、このような相互そうご不信ふしんかんが、今後こんごねんいちねんにわたって、つづくかもしれないという前提ぜんていにたってかんがえると、それだけでも、おおきな問題もんだいが、そこにあると思考しこうせざるをえない。」(白木しらき[197105:32-33])
 「医学いがく医療いりょう本質ほんしつは、教育きょういくのそれとおなじであるとの発想はっそうをとるべきである。つまり、医療いりょうなり、医学いがくなりに投資とうしされた財政ざいせいてき支出ししゅつは、それが、そのまま収入しゅうにゅうとして、黒字くろじかたちでかえってくるというような、会計かいけいじょう収入しゅうにゅう支出ししゅつという概念がいねんで、バランスされるものが採算さいさん医療いりょうであり、医学いがくであるというかんがかたは、基本きほんてきあやまりであるといわねばならない。[…]
 ようするに、医学いがく医療いりょうについても、会計かいけいてき予算よさんてきにみれば、赤字あかじ投資とうしおこなわれたようにみえても、それによって、はじめて、国民こくみん生活せいかつ正当せいとうまもられ、また、社会しゃかい復帰ふっきで△035 」(白木しらき[197105:35])
 「ようするに、医学いがく医療いりょうについても、会計かいけいてき予算よさんてきにみれば、赤字あかじ投資とうしおこなわれたようにみえても、それによって、はじめて、国民こくみん健康けんこう正当せいとうまもられ、また、社会しゃかい復帰ふっきできる人々ひとびと数多かずおおまれてくること、あるいは、それによって、病気びょうき予防よぼうされる、また、不幸ふこうにして社会しゃかい復帰ふっきできないひとたちたいしては、社会しゃかい連帯れんたい責任せきにんにおいて、手厚てあつ保護ほごしてゆく基本きほんてき姿勢しせい対応たいおう、などの一連いちれん事実じじつかんがかたこそが、黒字くろじ採算さいさんそのものであり、それこそが、コトバのしん意味いみでの採算さいさん医療いりょう、また、採算さいさん医学いがくかんがえられるべきであろう。」(白木しらき[197105:35-36])

 「採算さいさん医療いりょう倫理りんり
 「しかしながら、前述ぜんじゅつのように、医療いりょうが、なぜ、コトバのただしい意味いみでの採算さいさんでなければならぬかという哲学てつがく、あるいは、論理ろんり、また、学問がくもん体系たいけいは、やはり、うちたてられなければならず、それはたんに、直観ちょっかんてき情緒じょうちょてき宗教しゅうきょうてきなものに終止しゅうししてよいとはかんがえられない。つまり、そのこと自体じたいも、専念せんねんてき研究けんきゅう対象たいしょうとすべきであり、片手間かたてまでできるものとはかんがえられない。つまり、今後こんご設立せつりつされてゆく医学いがく関係かんけいの、それぞれの研究所けんきゅうじょのなかに、じゅん医学いがくてき研究けんきゅう部門ぶもん併行へいこうして、とくに疫学えきがく社会しゃかいがく心理しんりがくなどのしょ部門ぶもん中心ちゅうしんとして、そのような側面そくめんを、専念せんねんてき研究けんきゅうしてゆく体制たいせいがとられなくてはならない。このことは、つまり、都立とりつ病院びょういんが、今後こんご重点的じゅうてんてきにうけもつことになるであろう、きわめて慢性まんせい症状しょうじょうもひどく、なおりにくい、あるいは、ほとんど不治ふちかんがえられる疾患しっかんについて、とくにいえるところである。」(39)

 「本質ほんしつてきなアプローチの初期しょき段階だんかいとしては、たとえば、このような患者かんじゃかかえている家族かぞくたちが、どれだけ、時間じかんてき経済けいざいてき損失そんしつをうけているかというデータを、正確せいかくにとらえてゆかねばならず、そして、一見いっけん採算さいさん医療いりょうおこなっているかにみえる病院びょういん施設しせつに、収容しゅうようすることによってかかる費用ひようと、患者かんじゃからのおも負担ふたんから開放かいほうされることによって、家族かぞくたちいてくる時間じかんてき経済けいざいてき、また、心理しんりてき利益りえき両者りょうしゃばかりにかけてみる必要ひつようがあろう。
 が、それは、むしろじゅん経済けいざいてき社会しゃかい対策たいさくてき側面そくめん主体しゅたいがおかれていることを意味いみするわけであるが、それ以上いじょうに、決定的けっていてき重要じゅうようなことは、結局けっきょく、モラルの視点してんからの、この問題もんだいへの認識にんしきであろう。つまり、そのような採算さいさん医療いりょうを、社会しゃかい連帯れんたい責任せきにんにおいて、なぜ、やってゆかねばならぬかの必然ひつぜんせい、そのモラルが、やはり、体系たいけいてき学問がくもんてき思弁しべんされ、研究けんきゅうされねばなるまい。」(40)

 「たとえば、都立とりつ府中ふちゅう療育りょういくセンターの重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいしゃ)の問題もんだいかんがえてみると、すくなくとも、現在げんざい段階だんかい医学いがく医療いりょうでは、どのように頑張がんばっても、まず、社会しゃかい復帰ふっき見込みこみはないといってよく、社会しゃかい復帰ふっきできるとすれば、それは、死亡しぼう退院たいいんするときであるという、冷厳れいげん現実げんじつが、ここで、指摘してきされるのである。にもかかわらず、そこでは、きゅう%のあか△040 をだす、濃厚のうこうな、いわゆる採算さいさん医療いりょうおこなわれている。つまり、つき平均へいきん一人ひとり障害しょうがいしゃたいし、からやくいちろくまんえん援助えんじょけていることになり、ようするに、そのぶん都民とみん税金ぜいきんから交付こうふされていることになる。しかし、それは、社会しゃかいてき経済けいざいてきりょう効果こうかからみれば、どうかんがえても、そのみかえりを期待きたいできない、ホープレスな患者かんじゃが、その対象たいしょうとなっているわけである。
 にもかかわらず、なぜ、そうしなければならぬかをかんがえてゆくと、それこそが、医者いしゃのヒューマニズムであり、良心りょうしんであり、生命せいめいへの尊厳そんげん、それへの畏敬いけいからはっする行動こうどうそのものであり、それは、理屈りくつや、論理ろんり以前いぜん問題もんだいであるといってしまえば、それは、医師いし仲間なかまにとっては、それでもつうずる論理ろんりであるとしても、医者いしゃ以外いがいひとたちが、それを、どうけとめるかとなると、問題もんだいは、そう簡単かんたんではなくなってくる。
 つまり、東京とうきょう政治せいじ情勢じょうせいなり、なになりがわった場合ばあい重症じゅうしょうしゃたちが、どのようなあつかいをけるか、かならずしも、予断よだんゆるさないし、おおきな危機ききおとずれないとはいいきれない。なぜなら、くになり、地方自治体ちほうじちたいかんがかたが、なに指向しこうするかによって、この問題もんだいは、前進ぜんしんすることも、また、ぎゃくに、おおきく後退こうたいする可能かのうせいも、そこにめられているからである。どうかんがえても、社会しゃかい役立やくだたない人間にんげんは、その存在そんざい自体じたい意味いみがない、あるいは、それ以上いじょうに、あくであるというかんがかた優位ゆういとなれば、予算よさんも、なにもかも、られてしまうこともこりうるし、一方いっぽう、それこそが、本当ほんとう医療いりょうであり、福祉ふくしであり、わがくにのGNPをばしてゆくしん目標もくひょうは、各論かくろんてきにみれば、まさに、そこにあるのだという発想はっそう定着ていちゃくしてゆくならば、いくらでも前向まえむきにすすんでゆく可能かのうせいもある。つまり、重症じゅうしょうしゃ)という対象たいしょうそのものが、きわめて深刻しんこくなだけに、また、そのきについても、情勢じょうせい次第しだいでは、きわめて安定あんていせい問題もんだいが、そこに存在そんざいするといわねばならない。
 ところでく本年ほんねんがつ医学いがく総会そうかいにおいて「重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいしゃ)の問題もんだいてん」のシンポジウムがもたれた。その席上せきじょう島田しまだ療育りょういくえん小林こばやしひさげじゅ園長えんちょうによって、だいいち医学いがく健康けんこう保持ほじ増進ぞうしん医学いがくだい予防よぼう医学いがくだいさん治療ちりょう医学いがくだいよん医学いがくをリハビリテーションとすれば、そのいずれにも包含ほうがんされがた重症じゅうしょう医学いがくが、だい医学いがくとして、そのいずれにも包含ほうがんされがた重症じゅうしょう医学いがくが、だい医学いがくとして、登場とうじょうすることもかんがえられるのであって、リハピリテーションンとは、べつ次元じげん生命せいめい保持ほじ医学いがくとしての立場たちば重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいたいしては、もっと自然しぜんなありかたとして対応たいおうするであろう、との意見いけんがのべられた。
 ここで、小林こばやし園長えんちょうの、この重要じゅうよう提言ていげん詳細しょうさいろんずる余裕よゆうはないし、いちロに、社会しゃかい復帰ふっきが、きわめて困難こんなんか、それが不可能ふかのう難病なんびょうといっても、その内容ないよう次第しだいによって、社会しゃかい防衛ぼうえいろん社会しゃかい責任せきにんろん、そして、社会しゃかい福祉ふくしろんのなかで、それぞれ△041 どのように位置いちづけ、また、それによって、個々ここ対応たいおうのヴァラエティをどうかんがえてゆくか、幾多いくた難問なんもん山積さんせきしている。が、ようするに、医学いがく、また、医療いりょうは、疾病しっぺい予防よぼうからはじまって、福祉ふくしとの連続れんぞくせんなかにのみ存在そんざいするもので、医療いりょうは、それ自体じたい孤立こりつしてあるものではなく、予防よぼう医学いがく福祉ふくしとの緊密きんみつ連鎖れんさ一環いっかんとして、はじめて、その存在そんざい主張しゅちょうできるという認識にんしきを、明確めいかくしてゆかねぱならぬことにかわりはなかろう。
 したがって、もし、それへの認識にんしき切実せつじつであるならば、たんに、病院びょういんつくっただけではすまなくなってくるであろう。なぜなら、医学いがくてきリハビリテーションを強力きょうりょくおこない、社会しゃかい復帰ふっき目指めざすとなると、そこには、当然とうぜん復帰ふっきできるひとと、できないひととがでてくる。それなら、復帰ふっきできないひとをどううけとめるか、これはたんに、医療いりょう中心ちゅうしんとした病院びょういんだけをかんがえるより、むしろ、生活せいかつあたえていく福祉ふくしてき施設しせつに、重点じゅうてんをおかなくてはならなくなるからである。さらに収容しゅうようできないひと病院びょういんにもれないひとをどう処遇しょぐうするか、そうしたいくつかの側面そくめんを、ふかく、慎重しんちょうに、考慮こうりょしたうえで、その相互そうごあいだ緊密きんみつ連繋れんけいを、はかってゆかねばならなくなるからでもある。したがって、これには膨大ぼうだい予算よさんをくうことになるが、一方いっぽう、それに対応たいおうしてゆく行政ぎょうせいかんがえてみると、そこには、まず、各局かくきょくによるセクト主義しゅぎ止揚しようされねばならぬという大前提だいぜんていがある。いずれにしても、それらを一歩一歩いっぽいっぽ実現じつげんしてゆくことは、政治せいじ行政ぎょうせいの、今後こんごただしいありかた方向ほうこうせいしめすものであり、また、日本にっぽん経済けいざい成長せいちょう過程かていにおいて、それは、けっして不可能ふかのうとはいえないであろう。なぜなら、その証拠しょうこに、幾多いくた困難こんなんがあったが、なが歴史れきしあつみにささえられながら、老人ろうじん対策たいさくについては、やっと一貫いっかんしたひとつの体系たいけい、っまり、医療いりょう福祉ふくし連続れんぞくせい思想しそうがうちたてられ、それへの実践じっせんが、ようやくそのいとぐちにつこうとしているからである。
 しかし、老人ろうじん対策たいさくはまだしも、それ以外いがいしょ領域りょういき医療いりょう福祉ふくしについては、医者いしゃひとりいちにんに、また、行政ぎょうせい政治せいじ責任せきにんしゃがわ問題もんだいがあるのは、もとよりとしても、それが、コトパの真実しんじつ昧で、国民こくみん都民とみん普遍ふへんてき世論せろんとなっていない現実げんじつきびしくけとめるとなると、その実現じつげんには、非常ひじょうほねれる、ながい、忍耐にんたいつよ実践じっせん行動こうどう期待きたいするほかはないであろうが、その実現じつげんまで、まず、医療いりょうめんでの荒廃こうはいのテンポが、その速度そくどをゆるめてくれるという保障ほしょうは、なにもないというきびしい現実げんじつ目前もくぜんせまっている。△042」(白木しらき[197105:40-42])
 「医学いがく公害こうがい」(白木しらき[197105:43-45])  「欧米おうべいとのかんがかたちがいと歴史れきしてき背景はいけい」(白木しらき[197105:45-47])
 「日本にっぽん近代きんだい医療いりょう発展はってん歴史れきし」「国立こくりつ大学だいがく医学部いがくぶ中心ちゅうしん」「おかみつくり、国民こくみん都民とみんあたえたもの」「医師いし患者かんじゃとの傾斜けいしゃせい
一方いっぽう欧米おうべい医学いがく歴史れきしてき発展はってんあとをたどってみると、すうひゃくねんまえから、地域ちいき住民じゅうみんたちが、自分じぶんたちののまわりにとって、必要ひつようくことのできない医療いりょうかんがえたあげく、まず、収容しゅうよう施設しせつてきなものをつくっていったのが、現実げんじつ姿すがたであり、体系たいけいされた医学いがく医療いりょうは、あとからそこにはいりこみ、そだっていったのが実情じつじょうおもわれる。したがって、国民こくみんなり、地域ちいき住民じゅうみんは、それらを、自分じぶんたち分身ぶんしんそのものとしてってきたわけであり、したがって、かれらは、それらの施設しせつ病院びょういんをよくするために、財政ざいせいてき、また、精神せいしんてき意味いみでも、積極せっきょくてき支援しえんし、また、チェックしつづけてきたとみられる。」(45-46)
 「公的こうてき医療いりょう崩壊ほうかい阻止そしする基本きほんてき条件じょうけん」(白木しらき[197105:47-50])
 「いずれにしても、医療いりょう医学いがく本質ほんしつは、地域ちいき密着みっちゃくせい基盤きばんをぬきにしてかんがえることはできない。このてんについては、現在げんざい国立こくりつ関係かんけい公的こうてき医療いりょう機関きかんは、それに充分じゅうぶん対処たいしょできるフィールドと施設しせつ、また、それへの基本きほんてき思想しそうせいをそなえているとはかんがえられない。なぜなら、そこには、保健所ほけんじょ慢性まんせい病棟びょうとういているうえ福祉ふくしとの連続れんぞくせいなども、まずまず、皆無かいむひとしいからであり、したがって、疾病しっぺい予防よぼうからはじまり、治療ちりょうおわったのち社会しゃかい復帰ふっき連続れんぞくしてゆく一貫いっかんした体系たいけいは、確立かくりつされているとはいえないからである。」(49-50)
 「施設しせつ建設けんせつにおける基本きほんてきかんがかた」(白木しらき[197105:50-59])
 「病院びょういん老化ろうかをふせぐ要因よういん」「必要ひつよう不可欠ふかけつ指導しどうてき要員よういん」「診療しんりょう教育きょういくめんせいをもつ」「あくまで医療いりょう前提ぜんていとすべき」「病院びょういん建設けんせつ教育きょういく研究けんきゅうのスペースを」「財源ざいげん一般いっぱん会計かいけいからもとめること」「適切てきせついちベッドあたりのスペースを」「いちベッドあたりの人員じんいん増加ぞうかもとめる」「総合そうごう診療しんりょうてきアプローチを尊重そんちょうすべき」「病院びょういん地域ちいき関係かんけいへの視点してん」「保健所ほけんじょ役割やくわり都立とりつ病院びょういんとのれんけい」「産院さんいん基本きほんてき改革かいかくいそがれる」「医療いりょう関連かんれん技能ぎのうしゃ養成ようせいとチームワーク」
 「研究所けんきゅうじょ新設しんせつとその基本きほんてきかんがかた」(白木しらき[197105:59-67])
 「組織そしき運営うんえい」(白木しらき[197105:59-67])
 「おわりに」(白木しらき[197105:71-72])

◆1972ねん6がつ板橋いたばし東京とうきょう老人ろうじん医療いりょうセンター設立せつりつ開設かいせつ準備じゅんび委員いいんちょうつとめる。

◆197206 「水俣みなまたアピール」
 「水俣みなまたアピール」は英文えいぶん印刷いんさつ国連こくれん人間にんげん環境かんきょう会議かいぎちゅう(1972ねんがつ)のストックホルムで、ひろ世界せかい市民しみんうったえられた。
 http://www.soshisha.org/jp/about_soshisha/history/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E3%82%A2%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%AB
びかけにん
社会しゃかい学者がくしゃぜん東大とうだい教授きょうじゅ日高ひだか六郎ろくろう
評論ひょうろん谷川たにがわ健一けんいち
展望てんぼう編集へんしゅうちょう原田はらだ奈翁うずたか
参議院さんぎいん議員ぎいん望月もちづき優子ゆうこ
げき作家さっか木下きのした順二じゅんじ
朝日新聞あさひしんぶん論説ろんせつ委員いいん篠山しのやまゆたか
東大とうだい医学部いがくぶ教授きょうじゅ白木しらき博次ひろじ
東大とうだい工学部こうがくぶ助手じょしゅ宇井ういじゅん
水俣病みなまたびょう市民しみん会議かいぎ会長かいちょう日吉ひよしフミコ
水俣病みなまたびょう告発こくはつするかい代表だいひょう本田ほんだあきらきち
順不同じゅんふどう)」

◆19720414 だい68かい国会こっかい衆議院しゅうぎいん社会しゃかい労働ろうどう委員いいんかい特定とくてい疾患しっかん対策たいさくかんするけん」。参考さんこうじんとして虎ノ門とらのもん病院びょういんちょう沖中おきなか重雄しげお、スモン調査ちょうさ研究けんきゅう協議きょうぎかい会長かいちょう甲野こうのれいさく帝京大学ていきょうだいがく教授きょうじゅ清水しみずたもつ東大とうだい教授きょうじゅ白木しらき博次ひろじ意見いけん陳述ちんじゅつ


白木しらき 博次ひろじ 1973 「市民しみん健康けんこう――環境かんきょう汚染おせんによる健康けんこう崩壊ほうかいへの危機きき」,岩波いわなみ講座こうざ現代げんだい都市とし政策せいさく] 都市とし社会しゃかい人間にんげん』269-304
 「「難病なんびょう」とは、昭和しょうわよんななねんよんがつ国会こっかいしゃろう委員いいんかいにおける筆者ひっしゃ証言しょうげんをもってすれば、原因げんいんあきら不明ふめいわず、その状態じょうたいぞう深刻しんこくさ、つまり、社会しゃかい復帰ふっき極度きょくど困難こんなんか、それが不可能ふかのうであるという事態じたいからみても、医療いりょう福祉ふくし、また社会しゃかいのいずれからも、疎外そがいされつづけているという現実げんじつをも加味かみした、医学いがくてき福祉ふくしがくてき・△298 社会しゃかいがくてき総合そうごう概念がいねんにほかならないといえる。したがって、厚生省こうせいしょうのように、もともとじゅん医学いがくてき視点してんから発想はっそうされた原因げんいん不明ふめい、これという治療ちりょうほうもなく、長期ちょうき療養りょうよう必要ひつようとする特殊とくしゅ疾患しっかん奇病きびょうてき概念がいねんが、そく難病なんびょう概念がいねんかんがえられてしまうわけにはいかない。」(白木しらき[1973:298-299])

木下きのした 安子やすこ 19780725 在宅ざいたく看護かんごへの出発しゅっぱつ――権利けんりとしての看護かんご,勁草書房しょぼう,304p. ISBN-10:4326798394 ISBN-13:978-4326798391 かけひん [amazon][kinokuniya] ※ n02. a02
 「厚生省こうせいしょう定義ていぎとはべつに、スモン患者かんじゃ発生はっせい、および救済きゅうさいをめぐって国会こっかい論議ろんぎがされているおり白木しらき博次ひろじ☆02ぜん東大とうだい教授きょうじゅは、衆議院しゅうぎいん社会しゃかい労働ろうどう委員いいんかいにおいて、難病なんびょうとはなにかをつぎのように説明せつめいしている
 1 原因げんいんあきら不明ふめいわない
 2 状態じょうたいぞう深刻しんこく
 3 社会しゃかい復帰ふっき極度きょくど困難こんなんであるか不可能ふかのうであること
 4 医療いりょう福祉ふくし社会しゃかいから疎外そがいされている
というものである。病気びょうき種類しゅるいではなくて、その患者かんじゃおちいっている、身体しんたいてき社会しゃかいてき状況じょうきょう深刻しんこくさをメドとしてかんがえるので、いわゆるせま昧の医学いがくてき定義ていぎではない。
 スモンの患者かんじゃが、しびれをはじめ、身体しんたいてき苦痛くつういためつけられ、なおかつ、ふたた社会しゃかい復帰ふっきできない下肢かし不自由ふじゆう失明しつめいなどになげき、さらにせまげきちをかけるように伝染でんせんびょうだ≠ニさわがれ、その結果けっか家主やぬしからてられ、パンからいにないで≠ニことわられる。こうした社会しゃかい疎外そがいが、身体しんたいてき苦痛くつうにもまして患者かんじゃいためつける。事実じじつ新聞しんぶん紙上しじょうにスモン患者かんじゃ自殺じさつ次々つぎつぎ報道ほうどうされ、スモン感染かんせんせつ否定ひていされた現在げんざいでさえ、一般いっぱん人々ひとびとよりたか自殺じさつりつである。
「(2) 白木しらき博次ひろじ市民しみん健康けんこう――環境かんきょう汚染おせんによる健康けんこう崩壊ほうかいへの危機きき岩波いわなみ講座こうざ現代げんだい都市とし政策せいさく] 都市とし社会しゃかい人間にんげんろくきゅうさんよんぺーじいちきゅうななさんねん。」

西谷にしたに ひろし 20061024 難病なんびょう治療ちりょう巡礼じゅんれいたびまことしん書房しょぼう,208p. ※ n02. md. [MD]
 「だい68かい国会こっかい衆議院しゅうぎいん社会しゃかい労働ろうどう委員いいんかいで「特定とくてい疾患しっかん対策たいさくかんするけん」がげられる。参考さんこうじんとして虎ノ門とらのもん病院びょういんちょう沖中おきなか重雄しげお、スモン調査ちょうさ研究けんきゅう協議きょうぎかい会長かいちょう甲野こうのれいさく帝京大学ていきょうだいがく教授きょうじゅ清水しみずたもつ東大とうだい教授きょうじゅ白木しらき博次ひろじ諸氏しょし意見いけん陳述ちんじゅつ
 このなかでとくに「難病なんびょう」の定義ていぎ問題もんだいになり、つぎのように整理せいりされた3)。
だい1概念がいねん原因げんいん不明ふめい治療ちりょうほう確立かくりつであり、かつ後遺症こういしょうのこおそれがすくなくない疾病しっぺい(れい:ベーチェットびょう重症じゅうしょうすじ無力むりょくしょう再生さいせい不良ふりょうせい貧血ひんけつ悪性あくせい関節かんせつリウマチ…おきちゅうによる医学いがくてき定義ていぎ)。
だい2概念がいねん経過けいか慢性まんせいにわたり、たん経済けいざいてき問題もんだいのみならず、介護かいごとういちじるしく人手ひとでようするために家庭かてい負担ふたんおもく、また精神せいしんてきにも負担ふたんおおきい疾病しっぺい(れい小児しょうにがん、小児しょうに慢性まんせいじんえん、ネフローゼ、小児しょうに喘息ぜんそく進行しんこうせいきんジストロフィー、人工じんこう透析とうせき対象たいしょうしゃなど…白木しらきによる社会しゃかいがくてき定義ていぎ)の2つの概念がいねんかびがってきた。」(西谷にしたに[2006])



 「いちきゅうななねんろくがつやくはちひゃくしょう老人ろうじん専門せんもん病院びょういん」「開設かいせつ準備じゅんび委員いいんちょう
 「このとき、「よい専門せんもん病院びょういん研究所けんきゅうじょをつくるとなると、はちわり赤字あかじになりますが、いいですか」と、都知事とちじねんすと、「それで結構けっこうだ」と知事ちじわれた。知事ちじとしては、東京とうきょうがまず立派りっぱ老人ろうじん専門せんもん病院びょういんをつくっておけば、これが手本てほんとなって、くによりひくいレベルのものはつくれないだろう、というような心構こころがまえをっていた。……本当ほんとう医療いりょうをやるからには、採算さいさん医療いりょうになるにまっている。そのことが東京とうきょういちせんおくえん財源ざいげん赤字あかじなんわりめようとも、わたしわることをしたとはけっしておもっていなかった。……そういうかんがかたたないかぎり、社会しゃかい問題もんだい片付かたづかない。」(白木しらき[1998:270-271])

◆197209 「環境かんきょう破壊はかいから健康けんこう破壊はかいへ――水俣病みなまたびょうはいまやいち地域ちいきびょうではない」,『世界せかい』322(1972-9):173-184 [2018b3]

 「[…]すくなくとも、現在げんざい水銀すいぎん農薬のうやくによって、つぎ世代せだい素質そしつ低下ていかしつつあるという証拠しょうこは、まだあがってはいないが、くには、うたがわしきは使用しようせず≠ニいうつよ態度たいどで、その使用しよう禁止きんし方向ほうこうにふみるべきであると警告けいこくした。コトパをかえると、当時とうじ明確めいかく哲学てつがくが、そこにあったわけではないにしても、この場合ばあいうたがわしきはばっせず≠ニいう刑法けいほうてき概念がいねんを、そこに適用てきようすべきではなく、また自然しぜん科学かがくてき視点してんからの因果いんがろんてき実証じっしょうをまつまでもなく、民法みんぽうてき概念がいねんというより、政治せいじてき勇断ゆうだんのものを、そこに適用てきようすべきであるとの勧告かんこくであった。
 しかもこの可能かのうせいは、人体じんたい実験じっけんつうじて、当時とうじ、すでに証明しょうめいされかけていた。なぜなら、当時とうじ、まだ決定的けっていてきではなかったが、胎児たいじせい水俣病みなまたびょう先天せんてんせい水俣病みなまたびょう)は、母親ははおや自身じしん発病はつびょうしていないか、軽度けいど神経しんけい障害しょうがいしかしめしていないのに、その母親ははおやからまれた幼児ようじは、大脳だいのう発達はったつ阻害そがいによる高度こうどせいうす白痴はくち)と、運動うんどう神経しんけい発達はったつ停止ていしにもとづく手足てあし運動うんどうマヒ(高度こうど脳性のうせいマヒ)とのダブル・ハンディキャップの児童じどうたちで、先天せんてんせい重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいにほかならなかったからである。」(白木しらき[197209:174])
 「つまり、あきらかに先天的せんてんてき疾患しっかん欠陥けっかんをもち、社会しゃかい生活せいかつ適応てきおうできぬか、困難こんなん人達ひとたち膨大ぼうだい集団しゅうだん目前もくぜんにして、そこにぜん国家こっか予算よさん投入とうにゅうして、その医療いりょう福祉ふくし強化きょうかしようとしても、もはや対応たいおうしきれぬのは、明白めいはくである。筆者ひっしゃは、医学いがくには、だい1に健康けんこう増進ぞうしん医学いがくだい2に予防よぼう医学いがくだい3に治療ちりょう医学いがくだい4にリハピリテーション医学いがく、そして、 だい5に重症じゅうしょう医学いがくまた難病なんびょう医学いがくがあるとかんがえるものである。そして前述ぜんじゅつせいうす脳性のうせいマヒは、このだい5の医学いがくぞくするうえ、その対応たいおうには、膨大ぼうだい予算よさん人員じんいん必要ひつようとするし、現在げんざい、そのめん蓄積ちくせきがすくないわがくににおいて、前述ぜんじゅつのような事態じたい直面ちょくめんしたときの極度きょくど混乱こんらんぶりは、すでに現時点げんじてんにおいて、想像そうぞうにあまりあるものがある。」(白木しらき[197209:180])
 「しかも筆者ひっしゃ専門せんもんてき立場たちばからみれば、天然てんねん資源しげんとぼしいわがくにでは、頭脳ずのう資源しげんこそが唯一ゆいいつのものであるのに、それが低下ていかしてゆく危険きけんせいがあるとすれば、そこに、すくいはかんぜられない。なぜなら、神経しんけい細胞さいぼうには、絶対ぜったい再生さいせい能力のうりょくはなく、それがったぶんだけ、精神せいしん神経しんけいてきにハンディをってゆくからであり、そこに、突然変異とつぜんへんいがおこるなどとは、人類じんるいがつづくかぎり、期待きたいできないからである。」(白木しらき[197209:182])
 「ここで、筆者ひっしゃは、以上いじょうのべた事態じたいを、政治せいじ行政ぎょうせい責任せきにんしゃ、また科学かがくしゃたちはもとより、かく階層かいそう国民こくみん痛切つうせつ認識にんしきし、その防止ぼうしのために、すでに強烈きょうれつ実践じっせん行動こうどうにふみきっているとはいえず、むしろ衝動しょうどうてき建設けんせつてき内部ないぶ分裂ぶんれつてきうごきをゆるしている一方いっぽう滔々とうとうたるマイホーム、レジャー促進そくしんされつつあるあいだに、結果けっかてきには、戦前せんぜん復帰ふっきへの臭気しゅうきが、すでに芬々ふんぷんとただよいはじめている最近さいきん情勢じょうせいのなか、前述ぜんじゅつきゅう転回てんかいがおこりうるかかの見透みとおしをかんがえてみざるをえない。そしてそれは、いまのところ、はしてき表現ひょうげんすれば、最大さいだい悲観ひかんろんは、最大さいだい楽観らっかんろんにつながるというパラドックスを、内省ないせいてきには、空虚くうきょ実感じっかんをこめてしんじてゆくほかはない。なぜなら、くに存立そんりつ基本きほんであり、財政ざいせい調達ちょうたつてき昧では、絶対ぜったい収支しゅうしパランスするはずはないソーシアル・べネフイットてきなものへの過去かこ蓄積ちくせき次第しだいうしなわれ、また変質へんしつしつつあり、しかもそれへの投資とうしが、なお貧弱ひんじゃくをきわめているという実態じったい、たとえば、ひとひといのち左右さゆうする医学いがく医療いりょうひとひと人格じんかく形成けいせいしてゆく教育きょういくひとひとさば司法しほうの3しゃが、ぐらついてきはじめているという日本にっぽん現実げんじつのなかで、思考しこうせぎるをえないからである。」(白木しらき[197209:184])
 *府中ふちゅう療育りょういくセンターについての言及げんきゅう引用いんようした部分ぶぶんだ。事件じけんについての言及げんきゅうはない。

新田にった 絹子きぬこ三井みつい 絹子きぬこ) 19721117 「わたしたちは人形にんぎょうじゃない――新田にった絹子きぬこさんの手記しゅき,『朝日あさひジャーナル』1972.11.17
 http://www.arsvi.com/1900/7211nk.htm

◆19730925 「市民しみん健康けんこう――環境かんきょう汚染おせんによる健康けんこう崩壊ほうかいへの危機きき」,伊東いとうへん[1973:269-304]
伊東いとう 光晴みつはる篠原しのはら はじめ松下まつした 圭一けいいち宮本みやもと 憲一けんいち へん編集へんしゅう委員いいん) 19730925 岩波いわなみ講座こうざ現代げんだい都市とし政策せいさく]――都市とし社会しゃかい人間にんげん岩波書店いわなみしょてん,357p.

 「いずれにしても、筆者ひっしゃ専門せんもん領域りょういきからみて、前述ぜんじゅつよんだい汚染おせん物質ぶっしつのうち、水銀すいぎんとBHC、またBHCときわめて類似るいじ構造こうぞうしめすPCBのさんしゃは、まず神経しんけいどくとみてよいので、つぎ世代せだいへの悪影響あくえいきょうは、その精神せいしんてき神経しんけいてき素質そしつ低下ていかとなってあらわれてくる可能かのうせい予測よそくされる。その場合ばあい最初さいしょから、だれがみてもわかるようなせいうすとか、脳性のうせいマヒの形態けいたいをとるものではなく、軽微けいび脳神経のうしんけい損傷そんしょう、その発達はったつ阻害そがいという形態けいたい、つまり、次代じだい精神せいしん神経しんけいがくてき素質そしつが、ジリジリと低下ていかしていく様相ようそうかんがえられる。そうだとすれば、その実態じったい把握はあくは、いまのうちから着手ちゃくしゅし、それをプロスぺクチプに、将来しょうらいへむかってっかけていかぬかぎり、をこまねているうちに、コントロールすらなくなっしまうだろうし、結局けっきょくは、そのこと自体じたい不可能ふかのうとなるであろう。しかし、その調査ちょうさ研究けんきゅうは、きわめて忍耐にんたいる、しかも膨大ぼうだい予算よさん人員じんいん動員どういん必要ひつようとするとかんがえざるをえないだろう。現時点げんじてんにおけるわがくに科学かがくしゃ心構こころがまえやくにのあリかたからみて、およそ期待きたいうすとしておもえない。  したがって、せいうす脳性のうせいマヒが増加ぞうかしはじめ、昨今さっこん交通こうつう災害さいがいのように、今日きょうひと明日あしたはわがとなりだし△289 てから、はじめて、「市民しみん」のかく階層かいそうまた科学かがくしゃたち関心かんしんまととなりかねまい。しかしそうなってからでは、ときすでにおそい。なせなら、だれにもあきらかとなる時点じてんでは、すでにその数量すうりょうが、膨大ぼうだいなものにたっしているからである。したがって、現時点げんじてんで、この側面そくめんについて、医学いがく領域りょういきから強力きょうりょく発言はつげんをしなければならぬとすれば、それは、自然しぜん科学かがくてき因果いんが関係かんけいろん主張しゅちょうするだけでは、到底とうてい、その迫力はくりょくかんぜられない。むしろ、学際がくさいてきにみて、前者ぜんしゃにかわりうる論理ろんり哲学てつがくがありうるかどうか、というてんにしぽられざるをえない。  ひとつの問題もんだいてんは、わがくにには、天然てんねん資源しげんがきわめて貧弱ひんじゃくであるという現実げんじつがあり、したがって、そのめんで、唯一ゆいいつのものがかんがえられるとすれば、それは頭脳ずのうしかないとも極言きょくげんできよう。そして、以上いじょうのべてきたところからもあきらかように、もしこのまま推移すいいすれば、とくに次世代じせだい素質そしつ低下ていかめんかいして、唯一ゆいいつ天然てんねん資源しげんうしなうおそれがおおきいとすれば、そこでは、日本にっぽん民族みんぞく将来しょうらいは、絶望ぜつぼうてきであるという論理ろんりが、まず成立せいりつしえよう。
 つぎに、われわれ現代げんだいきるもののうち、とくにげん社会しゃかいで、現在げんざい、その責任せきにんある位置いちにあるものはもとより、だい多数たすうの「市民しみん」は、こうした環境かんきょう汚染おせん環境かんきょう破壊はかい発生はっせいしつつある場合ばあい、その責任せきにん軽重けいちょうせいてんからみて、多少たしょうはあっても、被害ひがいしゃであると同時どうじに、また加害かがいしゃとしての責任せきにん一半いっぱんになっていないとはいえない。いちれいをあげれば、マイカーぞくは、大気たいき汚染おせんをかしているわけであり、またすくなくとも、過去かこおおくの公害こうがいたいして、強力きょうりょく発言はつげんし、行動こうどうしてこなかったという、消極しょうきょくてき昧での責任せきにんはなかったとはいえぬであろう。したがって、それなりの因果応報いんがおうほうを、自分じぶん自身じしんにうけるのも、またむをえないという昧では、多少たしょうすくいも、そこにかんぜられなくもない。しかし、次代じだいになうわれわれの子孫しそんは、この事態じたいたいしては、なんのつみとががないわけである。しかもわれわれ現代げんだいきるものが、このまま推移すいいすれぱ、加害かがいしゃ階級かいきゅう立場たちばで、かれらを一方いっぽうてきに、被害ひがいしゃ階級かいきゅうにしたてていく可能かのうせいがあることになる。したがって、その事態じたい決定的けっていてきとなった時点じてんでは、どのようなもうしひらきがたつといえるであろうか。そこに、すくいはまったくかんぜられないことになろう。またかんがえようによれば、現代げんだいきる大人おとな生命せいめいは、い△290 つかはうしなわれるとしても、それは、次代じだい生命せいめいのなかにけつがれ、復活ふっかつしていくという連続れんぞくせいこそが、永遠えいえん生命せいめい現象げんしょうそのものであるとすれば、現代げんだい次代じだいを、それ自体じたい階級かいきゅうてき対立たいりつ関係かんけいとしてとらえるよりも、むしろ、次代じだいへの圧殺あっさつは、そのまま、現代げんだい自殺じさつ行為こういつうずるといっても、けっして過言かごんではない。」(白木しらき[1973:289-291])

 「医学いがくには、すくなくとも、いつつのしゅはしらがある。だいいち健康けんこう増進ぞうしん医学いがくだい予防よぼう医学いがくだいさん治療ちりょう医学いがくだいよんがリハビリテーション医学いがく、そしてだいが「難病なんびょう医学いがくである。だいいちの、健康けんこう増進ぞうしん医学いがくは、水銀すいぎん汚染おせんによるいちおくそうあらわせい中毒ちゅうどく代表だいひょうされるように、それは現在げんざいえがいたもちになりつつある。前述ぜんじゅつのように、現在げんざい世界せかいかんたるわがくによんだい汚染おせん物質ぶっしつである水銀すいぎん、BHC、PCB、カドミウムのうち、ぜんさんしゃは、多少たしょうにかかわらず神経しんけい毒性どくせいがあるわけであるから、まず胎児たいじへの悪影響あくえいきょうによって、次代じだい国民こくみん精神せいしんてき神経しんけいてき素質そしつ低下ていか発展はってんしていく可能かのうせいがある。その極限きょくげん形態けいたいは、先天せんてんせいせいうす脳性のうせいマヒということになるが、両者りょうしゃたいしては、それ自体じたい有効ゆうこう治療ちりょうほう期待きたいできないし、通常つうじょう社会しゃかいへの適応てきおうも、まずかんがえられない。また後天的こうてんてきに、以上いじょう汚染おせん物質ぶっしつによって、脳神経のうしんけい△297 がおかされていく場合ばあいでも、神経しんけい細胞さいぼうには、絶対ぜったい再生さいせい能力のうりょくはないので、それがったぶんだけ、精神せいしん神経しんけいてきにハンディをっていくことは不可避ふかひである。この事態じたいは、人類じんるいがつづくかぎり、不変ふへん原則げんそくであり,したがって、汚染おせん物質ぶっしつたいするれとか、抵抗ていこうりょく獲得かくとくなどを期待きたいすることは、絶対ぜったい不可能ふかのうである。
 だいしゅはしらである予防よぼう医学いがくだいよんのリハビリテーション医学いがく社会しゃかい復帰ふっき医学いがく)の両者りょうしゃは、矛盾むじゅんちた医療いりょう保険ほけん制度せいどによって、さきがたてき巨大きょだいしただいさんしゅはしらである治療ちりょう医学いがくによって、圧倒あっとうされつづけてきたため、その実態じったいは、きわめて発達はったつか、むしろ退行たいこう変質へんしつしつつあるといえる。その主因しゅいんは、医療いりょう保険ほけん制度せいどと「採算さいさん医療いりょう」との癒着ゆちゃくせいによって、そこに膨大ぼうだい財政ざいせい支出ししゅつが、結果けっかてきしょうじつつあるが、このことが、もともと「医療いりょう保障ほしょう」の一貫いっかんせいのなかに緊密きんみつみこまれるべきであり、したがって、そこパランスのとれた財政ざいせい支出ししゅつが、当然とうぜんなされるべき領域りょういきぞくするだいだいよん医学いがくたいしては、相対そうたいてきにみて、きわめて貧困ひんこん投資とうししかおこなわれていない現実げんじつまねきつつあるところにもとめられる。
 いちれいをあげれぱ、予防よぼう医学いがくだい一線いっせんであるぺき保健所ほけんじょたいする人的じんてき予算よさんてき投資とうしは、貧弱ひんじゃくそのもので、したがって、とくに汚染おせん公害こうがい側面そくめんつうじて、流動りゅうどうし、激化げきかしていく地域ちいきのニードにたいして、ほとんど対応たいおうできぬほどの質量しつりょうてき低下ていかまねきつつある実態じったいにある。
 以上いじょう、わがくに医学いがくよんおもばしらは、それ自体じたい数々かずかず矛盾むじゅんをもち、また貧困ひんこんそのものであり、これによって、「市民しみん」の健康けんこう維持いじに、よりよく対応たいおうできるとはおもえない。ここでしかしながら、だいしゅはしらとして、難病なんびょう医学いがく厳存げんそんしている事実じじつが、さらに無視むしされ、軽視けいしされつづけてきたというほかはない。ここで、「難病なんびょう」とは、昭和しょうわよんななねんよんがつ国会こっかいしゃろう委員いいんかいにおける筆者ひっしゃ証言しょうげんをもってすれば、原因げんいんあきら不明ふめいわず、その状態じょうたいぞう深刻しんこくさ、つまり、社会しゃかい復帰ふっき極度きょくど困難こんなんか、それが不可能ふかのうであるという事態じたいからみても、医療いりょう福祉ふくし、また社会しゃかいのいずれからも、疎外そがいされつづけているという現実げんじつをも加味かみした、医学いがくてき福祉ふくしがくてき・△298 社会しゃかいがくてき総合そうごう概念がいねんにほかならないといえる。したがって、厚生省こうせいしょうのように、もともとじゅん医学いがくてき視点してんから発想はっそうされた原因げんいん不明ふめい、これという治療ちりょうほうもなく、長期ちょうき療養りょうよう必要ひつようとする特殊とくしゅ疾患しっかん奇病きびょうてき概念がいねんが、そく難病なんびょう概念がいねんかんがえられてしまうわけにはいかない。なぜなら、後者こうしゃかんがかた準拠じゅんきょしていけば、水俣病みなまたびょうまたスモンは、その原因げんいんが、それぞれ有機ゆうき水銀すいぎん、またキノホルムであることが判明はんめいした現在げんざい、「難病なんびょうぐん」からはずされていく危険きけんせいがあるからである。また交通こうつう外傷がいしょうのうち、たとえば、頭部とうぶ外傷がいしょうかんがえてみると、その原因げんいんはきわめて明白めいはく、その治療ちりょうほうも、のう外科げか手術しゅじゅつをふくむ対応たいおうがはっきりしているものの、時間じかんてき技術ぎじゅつてき適切てきせつせいくことによって、植物しょくぶつ人間にんげんにおちいった場合ばあい結局けっきょくは、経済けいざいてき心理しんりてきに、それが崩壊ほうかい家庭かていにつながっていくことは、をみるよりあきらかであるからでもある。つまた、救急きゅうきゅう医療いりょう欠陥けっかん専門医せんもんい不足ふそく医療いりょう福祉ふくしりょう施設しせつ体系たいけい不備ふび不足ふそく、どれひとつをとってみても、前述ぜんじゅつ概念がいねん規定きていにしたがえぱ、まさに「難病なんびょう」にほかならない。周知しゅうちのように、水俣みなまた阿賀あが水俣病みなまたびょう富山とやまイタイイタイ病いたいいたいびょう、また四日よっかのぜンソクについての、いわゆるよんだい公害こうがい裁判さいばんは、いずれも原告げんこくたおせ勝訴しょうそおわったし、それ自体じたいたしかに画期的かっきてきなものであった。またかなりの試行錯誤しこうさくごがあったにしても、科学かがくとしての医学いがくが,勝訴しょうそ寄与きよした貢献こうけんについては、かなりのものがあったことは、たしかに否定ひていできない。にもかかわらず、「勝利しょうりなき勝訴しょうそ」といえる索漠さくばくとした空虚くうきょかんが、そこに根強ねづよのこってしまう。なぜなら、その犠牲ぎせいしゃだい部分ぶぶんは、医学いがくてき社会しゃかいがくてきにみて、いずれも「難病なんびょうぐん」にぞくすることは、きわめて明白めいはくであるからである。したがって、企業きぎょうだけからの対応たいおうとしての年金ねんきん制度せいども、医療いりょう保障ほしょうも、そのしん解決かいけつとはなりえないし、その背景はいけいにあって、それへの対応たいおうおこたってきたくに地方自治体ちほうじちたい政治せいじ行政ぎょうせい過去かこのありかたこそが、もっと重視じゅうしされねぱならない。
 いずれにしても、以上いじょうのぺたいつつの医学いがくしゅはしらは、それ自体じたい並列へいれつてき孤立こりつてき存在そんざいするものではなく、ことと次第しだいによっては、だいいち医学いがくというより、それ以前いぜん状態じょうたいから、いきなり、だい医学いがくにふみこんでくる危険きけんせい連続れんぞくせいすらないとはいえない。なぜなら、たとえぱ、再々さいさいのべてきたようこ、もしよんだい汚染おせん物質ぶっしつ、その公害こうがい物質ぶっしつによ△299 って、先天せんてんせいしんうす畸型きけいなどが発生はっせいしはじめたとしたら、それは、まさに「難病なんびょうぐん」にぞくすることは明白めいはくである以上いじょうだいいちからだいよん医学いがく素通すどおりして、いきなり、だい難病なんびょう医学いがくにふみこんできたことになるからである。とすれぱ、それへの基本きほんてき対応たいおうは、だいいちからだい医学いがく以前いぜんのものということになる。言葉ことばをかえると、だいいちからだいまでの医学いがくは、その結果けっか現象げんしょうを、たん受身うけみ姿勢しせいけとるだけに終始しゅうししてくかぎり、いずれは、その膨大ぼうだいりょうまえ崩壊ほうかいをみるほかはあるまい。
一方いっぽうだい難病なんびょう医学いがくは、だいいちからだいよんまでの医学いがく連続れんぞくせいとしての終末しゅうまつてんでもある。それは、前述ぜんじゅつ頭部とうぶ外傷がいしょうれいにもあきらかであるが、ここで極言きょくげんすれば四百四病しひゃくしびょうたいして、四百四病しひゃくしびょう難病なんびょう医学いがくがありうるともいえる。
 しかもこの医学いがくは、福祉ふくしがく社会しゃかいがくとのきわめて密接みっせつ連繋れんけいなしには、到底とうてい対応たいおうできぬという事実じじつが、またそれ以上いじょうに、軽視けいしされつづけてきたというより、なか意識いしきてき回避かいひされ、したがって、過去かこから現在げんざいにかけて、それへの対応たいおう、その蓄積ちくせきせいきつづけたという実態じったい明示めいじしている。」(白木しらき[1973:297-3001])

◆197311 「自治体じちたい東京とうきょう中心ちゅうしんに)の医療いりょう行政ぎょうせい基本きほんてき背景はいけい」,『ジュリスト臨時りんじ増刊ぞうかん』548:242-248 ※

 「著者ちょしゃは、最近さいきん現代げんだい都市とし政策せいさくいちかん(1)に、「市民しみん健康けんこう」のこうについて執筆しっぴつしたが、その末尾まつび総括そうかつし、また昭和しょうわよんはちねん大月おおつきろくにち、「公害こうがい対策たいさくさくならびに環境かんきょう保全ほぜん特別とくべつ委員いいんかい」の席上せきじょう、それをよみあげたはち項目こうもく(2)を、以下いかこそのままぺーじべつにとり、多少たしょう付帯ふたいてき説明せつめいくわえていきたい。」(白木しらき[197311:242])
 「おわりに
 読者どくしゃ諸賢しょけんは、あたえられた課題かだいたいして、筆者ひっしゃがのべた内容ないようには、たいたいくにとの役割やくわり分担ぶんたん私的してき医療いりょう公的こうてき医療いりょうとの相互そうご関係かんけい自治体じちたいとしての東京とうきょう特殊とくしゅせい、とくに医療いりょう行政ぎょうせい具体ぐたいせいなどがもられていないてんについて、不満ふまんをもたれるであろう。しかし、それは、前述ぜんじゅつのように、いままで多少たしょうとも実践じっせんしてきたものへのただしい評価ひょうかは、筆者ひっしゃ自身じしん、なおかなりの歳月さいげつてみなければ、とても獲得かくとくできぬであろうし、またトライアル・アンド・エラーのなかで、また激動げきどうする環境かんきょう変化へんか対応たいおうして、今後こんご、かなり、弾力だんりょくてき軌道きどう修正しゅうせい必要ひつようとするとかんがえるからにほかならない。したがって、すくなくとも、筆者ひっしゃ自身じしんが、計画けいかく立案りつあんし、またたそ△247 れを実践じっせんうつすにあたって、そのもっと基本きほんてき背景はいけいであり、これだけは、ほぼ不変ふへん不動ふどうであるものはなにか、コトバをかえると、客観きゃっかんてきにみて、できるかぎりの正確せいかく認識にんしき今後こんご見通みとおしのなかで、また毀誉きよ褒貶ほうへんのあらしのなかで、見失みうしなうことなく、忍耐にんたいつよ実践じっせん行動こうどうへの発条はつじょうとなりうるものがなにかかをのべたつもりである。したがって、それは、筆者ひっしゃ自身じしんのものであり、読者どくしゃ諸賢しょけんしつけるつもりはない。」(白木しらき[197311:247-248])
 *府中ふちゅう療育りょういくセンター事件じけんについての言及げんきゅうはない。「毀誉きよ褒貶ほうへんのあらしのなかで」がその事件じけんをめぐることをしているのかもしれない。

◇1973.12.25 白木しらき教授きょうじゅとの公開こうかい討論とうろんかいを 府中ふちゅうセンターの療養りょうようしゃ (朝日新聞あさひしんぶん 735)

◇1973.12.28 身障者しんしょうしゃ越年えつねんすわみ 都庁とちょうまえ 白木しらきもと院長いんちょう退任たいにん要求ようきゅう (朝日新聞あさひしんぶん 807)

◆1973 「スモン患者かんじゃ社会しゃかい復帰ふっきによせて」『スモンの広場ひろば』4

◆1973 「水銀すいぎん汚染おせん実態じったい――健康けんこう破壊はかいへの危機ききいちれいとして」,『公害こうがい研究けんきゅう』2-3

◆197504 「重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい総論そうろん――胎児たいじせい水俣病みなまたびょうとその周辺しゅうへん中心ちゅうしんに」,『神経しんけい研究けんきゅう進歩しんぽ』19(2), p205-214, 1975-04(重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい<特集>)
 https://ci.nii.ac.jp/naid/40001885043/

 「すでに筆者ひっしゃ論文ろんぶんでふれたように、重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいは、もともと医学いがくから発想はっそうされた概念がいねんとはいえない。むしろ重度じゅうどせいうす重度じゅうど脳性のうせいマヒをダブルにつため、日本にっぽんという特殊とくしゅ風土ふうどなかで、医療いりょう福祉ふくし双方そうほうから疎外そがいされつづけていた悪条件あくじょうけん発展はってんした社会しゃかいてき要請ようせい、とくに重症じゅうしょう家族かぞくたちのつよ要請ようせい運動うんどうにその主体性しゅたいせいがあった。この非情ひじょう現実げんじつ最近さいきん問題もんだいされつつある“難病なんびょうぐん”にもあてはまる。なぜなら筆者ひっしゃ見解けんかいによれば、難病なんびょうとは原因げんいん不明ふめい治療ちりょうほうもなく、長期ちょうき療養りょうようふくめて、原因げんいんあきら不明ふめい治療ちりょうほう有無うむわず、社会しゃかい復帰ふっき極度きょくど困難こんなん不可能ふかのううえ長期ちょうき慢性まんせい経過けいかする状態じょうたいぞう意味いみし、したがって医療いりょう福祉ふくし両面りょうめんから緊密きんみつ対応たいおうするほかはないからである。しかも“難病なんびょうぐん”は、医療いりょうからも福祉ふくしからも疎外そがいされつづけているという現実げんじつをふまえた医学いがくてき社会しゃかいがくてき福祉ふくしがくてき綜合そうごう概念がいねんに△205 △206()△207()ほかならぬからである。この視点してんからすると、重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいも、まさにこの範疇はんちゅうぞくする。
 ほん特集とくしゅうごうは、それをけてった医学いがくとその周辺しゅうへん領域りょういき重点じゅうてんをおきつつ、現時点げんじてんにおけるいちおうのまとめといえる。その詳細しょうさい各論かくろんにゆずるが、筆者ひっしゃは、まさに重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがいにほかならぬ胎児たいじせい水俣病みなまたびょうとその周辺しゅうへん実態じったい把握はあくから出発しゅっぱつして、この課題かだいをよりひろ視野しやからかんがえてみたい。△210」

◇19750423 美濃部みのべ亮吉りょうきち東京とうきょう都知事とちじせん

◆19780501 「はしがき」,川村かわむら木下きのした別府べっぷ宇尾野うおの 19780501 難病なんびょう患者かんじゃ在宅ざいたくケア』川村かわむら 佐和子さわこ木下きのした 安子やすこ別府べっぷ ひろし圀・宇尾野うおの 公義きみよし 19780501 難病なんびょう患者かんじゃ在宅ざいたくケア』医学書院いがくしょいん,176p. ASIN: B000J8OLMQ [amazon][kinokuniya] ※ n02. als.

 「せんのことば
 難病なんびょうとはなにかという基本きほんてき議論ぎろんはさておくとしても、精神せいしん神経しんけい疾患しっかんおおくは一般いっぱんてきにいって難病なんびょうてき性格せいかく強烈きょうれつである。が、そのなかでもすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう(ALS)は、わたしるかぎり、難病なんびょうちゅう難病なんびょうといってもけっして過言かごんではない。あるいは著者ちょしゃ方々かたがた記憶きおくにはないかもしれないか、著者ちょしゃらが難病なんびょう地域ちいき医療いりょう家庭かてい看護かんご実践じっせんみきるにあたって、神経しんけいけい疾患しっかんをその対象たいしょうえらんだ時点じてんで、わたし自身じしんひとつの提案ていあんもうしでたことがある。それは、著者ちょしゃらにはあるいは残酷ざんこくかもしれないが、難病なんびょうちゅう難病なんびょうであるALSをまずその対象たいしょうりあげるべきである、その理由りゆうは、そこからそれなりの成果せいか獲得かくとくできれば、神経しんけいけいしょ疾患しっかんをはじめ、すうおおくの難病なんびょうへの対応たいおうがより容易よういであることは間違まちがいない、という側面そくめん期待きたいできるからである、という提案ていあんであった。と同時どうじに、いつのかその成果せいか忠実ちゅうじつ克明こくめいかつ科学かがくてき詳述しょうじゅつし、そのなかから学際がくさいてきあいだだいてん数々かずかずを、看護かんご側面そくめんつうじて提起ていきしてほしい、という希望きぼうでもあった。
 ところで、わたしのこのたね提案ていあん願望がんぼうは、はしてきにいって、ほんちょのなかにみごとな開花かいかしめしているといって過言かごんではない。なぜなら、まずALSのどの医学いがく関係かんけい論文ろんぶんなりしょ記載きさいよりも、ALSの医学いがくてき本態ほんたいが、具体ぐたいてきかつ克明こくめい記述きじゅつつうじて、強烈きょうれつかつ鮮明せんめいにとらえられているからである。一方いっぽう一家いっか支柱しちゅうである井伊いいさんがALSにおど患し、進行しんこうせいかつ絶望ぜつぼうてき次第しだい悪化あっかしていく過程かていで、家庭かてい生活せいかつ崩壊ほうかいとそれへの必死ひっし対応たいおう、そこから必然ひつぜんてき派生はせいするやりのない苦悩くのう絶望ぜつぼう、だが終局しゅうきょくてきにはそれらをえた不思議ふしぎあかるさと前向まえむ姿勢しせい対応たいおう数々かずかずが、患者かんじゃ家族かぞく、ホームドクター、おとずれあいだ医療いりょうチーム、地域ちいき社会しゃかいとの相互そうご力動りきどう関係かんけいにおいて、たん医学いがく医療いりょう問題もんだいえて、社会しゃかいがく経済けいざいがく、 心理しんりがく倫理りんりがく宗教しゅうきょう△001 がく政治せいじがく行政ぎょうせいがく等々とうとうしょ科学かがく関連かんれんする問題もんだいてん数々かずかず示唆しさし、提起ていきしているからである。言葉ことばえると、ALSが難病なんびょうちゅう難病なんびょうであるがゆえに、難病なんびょう全般ぜんぱんつうずる学際がくさいてき指向しこう緊急きんきゅうせい重要じゅうようせいを、みごとに浮彫うきぼりさせているといえよう。ここで著者ちょしゃらは、こえたからかにこれらの学際がくさいてき視点してん指摘してきしているのではなく、むしろひかえにおさえたかたち表現ひょうげんし、終始しゅうししているだけに、かえって読者どくしゃ心情しんじょうにより強烈きょうれつうったえることになるのは、うたがいないであろう。その昧では、ほんちょは、医学いがく医療いりょう関係かんけいしゃはもとより、むしろそれ以外いがい境界きょうかい領野りょうや方々かたがたれる機会きかいがよりおおいことをとくに切望せつぼうするものである。
 やはりほんちょ原稿げんこうせられた大河内おおこうち先生せんせいわたしは、かつて井伊いいさんの自宅じたく見舞みまったことがあるが、そのおり、すくなともわたしは、不思議ふしぎあかるさにちた清潔せいけつ雰囲気ふんいき一驚いっきょうした記憶きおくが、現在げんざいでも生々なまなましい。しかしかんがえてみると、その時期じき井伊いいさんにとってはむしろ闘病とうびょう末期まっきちか時期じきであったし、そこに到達とうたつするまでには、言葉ことばくせない絶望ぜつぼう苦悩くのう、また数々かずかず試行錯誤しこうさくごのくりかえししかあったことを、ほんしゃとおして克明こくめいることができたわけである。
 ここでほんちょ成果せいかのみならず、著者ちょしゃらが実践じっせんし、着実ちゃくじつ成果せいかかさねつつある難病なんびょう関係かんけい地域ちいき医療いりょうが、将来しょうらい質量しつりょうてき拡大かくだいし、体系たいけいされるためには、社会しゃかい保障ほしょう理論りろんてき中核ちゅうかく位置いちされ、またそれを政治せいじ行政ぎょうせいたいして強力きょうりょく反映はんえいできる立場たちばにおられる大河内おおこうち先生せんせいへの期待きたいおおきいとしても、神経しんけい病理びょうりがくという医学いがく側面そくめんつうじて、長年ながねん日本にっぽんのみならず、民族みんぞくのALSにアプローチしてきたわたしをはじめとする神経しんけい学者がくしゃ責任せきにんもまた重大じゅうだいである。が、ぜん世界せかいてき規模きぼでのALSの研究けんきゅうが、長年ながねんがつにわたってつづけられてきたのにもかかわらず、はしてきにいって、ALSの原因げんいん詳細しょうさいはまだ不明ふめいであるというほかはない。したがってALSの原因げんいんてき根源こんげんてき治療ちりょうるまでには、今後こんご苦闘くとうちた看護かんご必然ひつぜんてき要求ようきゅうされるであろう冷厳れいげん現実げんじつがそこにある。
 もとちょ意義いぎは、ALSのより高次こうじ正確せいかく看護かんごへの基盤きばん提供ていきょうできたてん△002 にあることはもとよりであるが、それ以上いじょうに、難病なんびょうちゅう難病なんびょうであるALSも、専門せんもん病院びょういん地域ちいき医療いりょう従事じゅうじしゃとの緊密きんみつれんけいがあれば、家庭かてい環境かんきょうにおいても十分じゅうぶん看護かんごできる実態じったい指摘してきできたてんにむしろもとめられるべきであろう。それは、専門せんもん病院びょういん不足ふそくをカパーするという消極しょうきょくめんよりも、むしろそれによって患者かんじゃ闘病とうびょうへの勇猛ゆうもうしんと、それによって家族かぞく甲斐がいたいして建設けんせつてき役割やくわりあたえるという積極せっきょくめんが、よりおおきく評価ひょうかされねばなるまい。なぜなら、たとえ患者かんじゃ不幸ふこう転帰てんきをとったとしても、遺族いぞく方々かたがた将来しょうらいかたが、それによって建設けんせつてき方向ほうこうおおきく指向しこうできるであろうからである。
    ぜん東京大学とうきょうだいがく教授きょうじゅ 白木しらき博次ひろじ」(白木しらき[1978:1-3]、全文ぜんぶん

◇19790423 鈴木すずき俊一しゅんいち都知事とちじ当選とうせん

白木しらき 博次ひろじ 19981225 おかされる日本人にっぽんじんのう――ある神経しんけい病理びょうり学者がくしゃ遺言ゆいごん藤原ふじわら書店しょてん,316p. ISBN-10:4894341174 ISBN-13:978-4894341173 3000+ [amazon][kinokuniya] ※ d07smon. m34. d07

 「わたし水俣病みなまたびょうかぎらず、とく精神せいしん神経しんけい疾患しっかん臨床りんしょうぞう解析かいせきしていくときさとしてきにとらえようとしてもおのずから限界げんかいがあることをえず意識いしきつづけてきた。たとえば、水俣病みなまたびょう四肢ししくちしゅうのしびれかんひとつをってみても、誘発ゆうはつ電位でんいすじでんなどを使つかってそれらを明瞭めいりょう数値すうちし、客観きゃっかんすることは、まず不可能ふかのうちかいかきわめて困難こんなんである。またスモン患者かんじゃ異常いじょう感覚かんかくとうは、絶対ぜったい数値すうちし、し、統計とうけい処理しょりするのになじむ性格せいかくのものではないのである。
 水俣病みなまたびょう自覚じかくしょうでも、「物忘ものわすれがひどい」「根気こんきつづかない」「つかれやすい」等々とうとうすうかぎりなくある。しかも、自覚じかくしょう多彩たさいせい豊富ほうふさ、頻度ひんどたかさなどは、さとししょうすべくもなく数多かずおおい。
 しかし、医学いがく自然しぜん科学かがくとしてのみ認識にんしきしていくかぎり、これらの自覚じかくしょう医学いがく対象たいしょうとしてはてい次元じげん存在そんざいとして位置付いちづけられてきた。したがって、医学いがくはもとより、自然しぜん科学かがくてき医学いがく、もっと拡大かくだいすれば生命せいめい科学かがく神経しんけい科学かがく対象たいしょうとして、その価値かちはじめから、不当ふとうひく評価ひょうかされてきた。その意味いみでは、医学いがくもまた自然しぜん科学かがくのひとつであるとすると、自然しぜん科学かがくとは一体いったいなに意味いみするのか、その限界げんかいはどこまでかというかんがかたが、当然とうぜん浮上ふじょうしてざるをない。」(274-275)
人間にんげんのありかた実態じったいからみれば、自覚じかくしょうさとししょう両者りょうしゃおなじレベル、おな性格せいかくとしてとらえていくのは当然とうぜんのことなのに、わがくにだけでなく欧米おうべい医学いがくでも、このてんけっして十分じゅうぶんではなく、それが医学いがく欠陥けっかんのひとつであるとかんがつづけてきた。
 言葉ことばえれば、本来ほんらい医学いがくもっと中心ちゅうしん位置いちしなければならないのに、無視むしされつづけてきた患者かんじゃの「自覚じかくしょう」の問題もんだいを、哲学てつがく倫理りんり領域りょういきとの関連かんれんにおいて明確めいかくにさせないかぎり、水俣病みなまたびょう本質ほんしつ近付ちかづくことはできないとかんがえる。よんじゅうねん以上いじょうようしたにもかかわらず、水俣病みなまたびょうがいまだにしん解決かいけつ到達とうたつしていないのは、このためだとおもえてならない。」(277)

白木しらき 博次ひろじ 20010930 全身ぜんしんびょう――しのびよるのう内分泌ないぶんぴつけい免疫めんえきけい汚染おせん藤原ふじわら書店しょてん,296p. ISBN-10:4894342502 ISBN-13:9784894342507 3200+ [amazon][kinokuniya]

◆2004 逝去せいきょ

報徳会ほうとくかい 宇都宮うつのみや病院びょういん もと院長いんちょう 石川いしかわ ぶんすすむ 2004 「白木しらき博次ひろじ先生せんせい追悼ついとう原稿げんこう
 http://www.ucatv.ne.jp/~hotoku/bunnoshin/tsuitoubun.htm
 http://www.ucatv.ne.jp/~hotoku/bunnoshin/

 「白木しらき教授きょうじゅとは喧嘩けんかばかりしていたわけではありません。秋元あきもと教授きょうじゅ草間くさま教授きょうじゅ井上いのうえ教授きょうじゅ笠松かさまつ教授きょうじゅまじえて、毎年まいとし日光にっこうカントリーでゴルフをおこなうことにしておりました。それぞれの教授きょうじゅはごせんもんちが同様どうようゴルフの仕方しかたことなっておられました。白木しらき教授きょうじゅのは、左右さゆうわず〇ヤードばす豪快ごうかいなもので、わたしはいつも「土建どけんゴルフ」とからかっておりました。
 このようにおもをかいておりますと、なつかしさがわきがってきます。ただひとつ、わたしいがのこるのは、わたし宇都宮うつのみや病院びょういん事件じけんこして、先生せんせいにも多大ただいなご迷惑めいわくをおかけしたことで、かえがえすも無念むねんなことでございます。白木しらき教授きょうじゅ憮然ぶぜんし。」



衛藤えとう 幹子みきこ 19931120 医療いりょう政策せいさく過程かてい受益じゅえきしゃ――難病なんびょう対策たいさくにみる患者かんじゃ組織そしき政策せいさく参加さんかしんやましゃ [120]

 「白木しらきは、患者かんじゃ組織そしきむべき課題かだいつぎのように示唆しさしている。まず、現在げんざい医学いがくには限界げんかいがあるので、重症じゅうしょうのスモン患者かんじゃ社会しゃかい復帰ふっききわめて困難こんなんか、不可能ふかのうちかい。医師いし患者かんじゃも、この限界げんかい認識にんしきしたうえ社会しゃかい生活せいかつささえや生活せいかつ保障ほしょう積極せっきょくてき展開てんかいかんがえるべきであり、そのためには患者かんじゃ社会しゃかいてき側面そくめん援助えんじょすなわ福祉ふくし援助えんじょおおきくクローズアップしなければならない。しかも、日本にっぽんでは、こうした施策しさくがまだ整備せいびされていないので、訴訟そしょうって多少たしょう賠償金ばいしょうきんたとしても希望きぼうある生活せいかつまった期待きたい出来できない。  むしろ、スモンが「つくられたもの」である以上いじょう、その社会しゃかいてき責任せきにん明確めいかくにし、その責任せきにんにおいてふたた患者かんじゃないよう、また患者かんじゃには社会しゃかいてき福祉ふくし医療いりょうあたたかいがさしのべられるよう「医療いりょう福祉ふくし連続れんぞくする救済きゅうさい措置そち」の具体ぐたいうったえることである。つまり、こうしたうったえこそ、スモン訴訟そしょう原点げんてんなのだとう。さらに、白木しらきは、このかんがかたはスモンのみならず難病なんびょう全般ぜんぱんつうずる問題もんだい一致いっちしており、したがってスモン患者かんじゃ運動うんどう全体ぜんたいてき難病なんびょう解決かいけつのきっかけをつくる「トップバッター」としてとらえるべきだとしている。」(衛藤えとう[115])

森山もりやま おさむ 2006 「美濃部みのべ都政とせいにおける都立とりつ病院びょういん政策せいさく白木しらき構想こうそう影響えいきょう」,『人文じんぶん論究ろんきゅう』75:1-14(北海道教育大学ほっかいどうきょういくだいがく函館はこだて人文じんぶん学会がっかい
 http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/handle/2297/37033

小泉こいずみ 義之よしゆき 2007/02/10 「<難病なんびょう倫理りんり研究けんきゅうかい配布はいふ資料しりょう補足ほそく資料しりょう難病なんびょう倫理りんり研究けんきゅうかいだいかい京都きょうとセミナー
 www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/n_e_h.doc


富田とみた 三樹みきせい 20110223 精神せいしん病院びょういん改革かいかくけて――医療いりょう観察かんさつほう批判ひはん精神せいしん医療いりょうあおゆみしゃ,270p. ISBN-10: 4787233254 ISBN-13: 978-4787233257 [amazon][kinokuniya] ※ m.

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1443158188953/simple/omoya.pdf

http://www.y-ata.com/oshima_memorial/pdf/minamata.pdf

立岩たていわ しん也 2018/08/01 ななねん体制たいせいへ・した――連載れんさい・148」,『現代げんだい思想しそう』46-(2018-08):-

立岩たていわ しん也 2018 病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ戦後せんご――なま政治せいじ点描てんびょう青土おうづちしゃ



UP:20180404 REV:20180409, 0524, 25, 26, 27, 0614, 27, 0705, 08, 09
病者びょうしゃ障害しょうがいしゃ運動うんどう研究けんきゅう  ◇難病なんびょう  ◇重症じゅうしょう心身しんしん障害しょうがい施設しせつ  ◇府中ふちゅう療育りょういくセンター闘争とうそう  ◇東大とうだい闘争とうそう:おもに医学部いがくぶ周辺しゅうへん  ◇東大とうだい闘争とうそう:1970'〜  ◇WHO
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