中川敬&山口洋(JAPONESIAN BALLS FOUNDATION)
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Beats21 |
ソウル・フラワー・ユニオンの 中川敬と、ヒートウェイブの 山口洋が 中心になって 結成された4 人組が「 ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーション」。
バリバリのロック・サウンドと、 現代社会の 矛盾に 切り 込んた 歌詞によって、そのデビュー・アルバム『[アザディ]!?』(リスペクト)がすでに 発売前から 話題となっている( 発売は2002 年5 月22 日)。
その 内容、 結成の 理由--- 中川、 山口の 二人に、Beats21の 藤田正が 聞いた。
参照記事: 緊急アンケート---「Kill The Poor」は 発売禁止にすべきか?(このアンケートは、インタビューにも 反映させていただきました)
---まずは、 結成の 理由を。
中川 やはり 神の 声かな。 空襲のように 下りてきた。 山口洋と 一緒にやれと。 二つ 目には、マネージャーがやれいうから、 忙しいのにやってあげた。 三番目、ずっと 山口洋とやりたかったから。このどれか。
山口 だったら 最初にしよう。
中川 なら 決まり。 去年の6 月にソウル・フラワーのライブにゲスト・ギタリストとして 山口に 参加してもらって、 俺はいい 感触があったしな。
---アルバムは 最初から 考えていた。
山口 電話がかかってきたんですよ。 正月明けに、 洋とチャチャッとロックンロール・アルバムを、1 週間ぐらいで、7 曲ぐらいつくろうやと。その 時、 俺はすごく 忙しくて、 正直言ってあまりやりたくなかったんだけど、その「チャチャッと」と 中川敬が 言った 時点から 彼は12 曲入りのアルバムを 作るつもりだったらしい。ハメられたんだよね。
中川 いや、そうは 思ってなかったけど、 作ったら 結局、10 曲ぐらいにはなるだろうとは 思てたね。
--- デッド・ケネディーズ、ジョン・ケイル、 ボブ・ディランとかのカバーが 多いのが 特徴ですね。
中川 これからもヤポネシアでツアーをやってもいいと 思てたから、その 時に、 音源がないと 困るんやんか。ラジオとか 出ても、ソウル・フラワーとかヒートウェイブの 曲をかけなあかんでしょ。ライブ・ハウスを 回っても、 手売りできるようなブツが 欲しかった。 最初はそれくらいの 軽い 気持ちで 作ろうと。
---この 長ったらしいグループ 名はどうして?
山口 俺、 博多の 実家にいたんですよ。おふくろさんとラブリーな 時間を 過ごしてたんですけど…
中川 マザコンですからね、 彼は。
山口 すると 深夜に、 闇を 切り 裂くような 電話音が 鳴って、ファックスが 流れてきた。そこにこの 名前が 書いてあったわけです。
中川 ポン!と( 天から) 降りてきた。ホンマ。それで 決まり。
---バンドの 名前の 意味は?
中川 「 日本列島キンタマ 財団」です。
---もう 一人のリーダーとしては、いかがですか?
山口 俺、 中川に 抗(あらが)う 気がせんもん。
中川 ファックスを 書いている 段階で、 反対とかされても 押し 切ろう 思うてたから。
山口 戦う 時は 戦うけど、 俺はバンドの 名前なんかどうでもいいし。
---こういう 曲目に 決まっていったというのは?
中川 ヤポネシアのツアーやってて、その 内の5 分の4ぐらいがね…
山口 いや6 分の5ぐらいじゃない?
中川 そやね、そのくらいの 割合で、 俺たちあまりにヒドい 演奏でビックリしたんですよ。 俺ら、20 年くらい 何をやってきたんかなと。しかも 態度だけは 堂々としている。ニュー・バーバリアンズみたいや。 キース・リチャーズ、あんた 休み? みたいな。その 中で、 少しだけよかった 部分をCDにしていこうと。
--- 音楽の 基礎がなっていないんですね。
山口 いや、 神が 俺たちにまだ 降りてきていなかった。
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RES63 |
中川 テキトーなバンドがやりたかったんですよ。
山口 俺とゲイリー(中川)がやったら、沖縄民謡とアイリッシュ音楽を足したようなものができあがると、そういう風に思われるのはイヤやった。
中川 それもあってええんやけど、もっと原始的にやりたかった。もっと素っピンの所の持ち味から始めてもいいだろうと。そうやっても、最終的にまとまった形にしてしまう我々だから、最初のコンセプトは「ええかげん」でやりたった。
---そういうアルバムを作ろうというのは、キャリアとしても、二人が節目を迎えているということかな。
中川 彼の場合、ベテランやから。それは言えるかも知れへんね。山口は、ザ・バンドの『ラスト・ワルツ』を体験してロックは終ったと思ったらセックス・ピズトルズが出てきた!という世代やから。俺なんかは、スタイル・カウンシル、ザ・スミスからでしょ。そらあ違うわ。
--- 山口さん、こういう 人とスタジオに 入って 大変だったでしょ。
山口 推して 知るべしでしょ。
中川 俺は 登川誠仁の 時も、あのオジイを 立てるし、 山口も 立てるし。 自分を 殺してやってる。
---でもアルバムのアタマっから、 中川イズムで 突っ 走っているじゃない。
山口 俺、ヤポネシア 用に 幾つか 新曲を 書いたんですよ。で、みんなの 前でプレゼンした 時はボツにされて、ほんで、ヤポネシアのレコーディングが 始まった 時、 中川が 俺になんの 断りもなしに 歌詞を 入れてきて、 気がついたら 歌までうたってて。 俺にも 歌わせろだよ。
中川 「Bored With U.S.A.」のことやね。
山口 「 満月の夕」を 一緒に 書いた 時も 同じだったけど、あれは 状況が 状況だったからね( 阪神淡路大震災の 時に 書き 下ろされた 歌)。
--- 緊急の 時だったと。
中川 でも 俺は、 今回も 緊急やと 思ったんやね。テロがあったし( 米・同時多発テロ)。やりたいことを 始めると、 俺、テンションが 上がってまうんやな。
山口 でも 中川はなかなか 怒らない。どちらかというと、 俺のほうが 短気だからね。
中川 俺なんかは、またやってしまった、と 思うほうやから。
山口 これまで 自分が 作ってきたものと 違うから、ぼくはこのアルバムは 好きですよ。
--- 音のあり 方として、 時代が「ピコピコ・サウンド」になる 前の、 生の 気合い、 生のエネルギーを 大切にしようとしているアルバムだと 思うんだけど。70 年代の ローリング・ストーンズやファンカディックが 持っていたものね。
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Respect rec. |
中川 そうかな。おれは時代がピコピコへ一瞬たりとも移ったとは思ってないから。藤田さんの言っているのは、地球の中の、一地域のことを話しているだけでしょ。
---確かに、実につまらない評論家的ない方でした。
山口 明日からツアーだということで、ヤツの家にいるでしょ。彼はストーンズのビデオをずっと観てね、気迫を注入してるんです。俺もストーンズが好きだから、そういう土台みたいなところは同じだなと思う。
中川 俺、ツアー前にストーンズを観たりすんねん。昔から。
山口 気合い入るよ。だから、アルバムもそういう共通点を感じてやってたし。スピーカーから出てくるギターにしても、左側が中川敬、右側が俺なんだけど、なぜ中川がそうなのか。このこだわりね。
---なぜ?
中川 そうやないと気持ち悪いねん。
山口 ミックスの 初日に、 中川敬がエンジニア 用に 絵を 描いていて、それには「 左・ 中川」「 右・ 山口」とすでに 書いてある。もう 決めてるやん!
中川 それだけは 決まっている。ソウル・フラワーもそうやねんから。
山口 俺も 自分のアルバムを 作る 時は、 自分のギターが 左から 出てこないと 気持ち 悪いんですよ。だからあの 時、 絵を 見て 俺は「しまった!」と 思ったね。
---パンツを 裏返しで 履いているような。
中川 そうそう。
---それで 先の「ピコピコ」に 戻るんだけど、 俺のい 方というのは、 明かに 欧米のヒットの 流れを 言ったわけだ。それは 違うだろと 中川さんは 返したわけだけど、これってアルバムの 中味に 関わることだよね。
中川 同じ 質問を 大島保克にしたらどうか、ということやねん。 誰もしないでしょ。 俺は 残念ながら 子どもの 頃から 尺八を 吹いてたとか、 三味線を 弾いてたということはなかった。 子どもの 頃からギターを 弾いてた。だから 今回も、 自分の 根本的なところでやっているだけやで。 特に 背伸びもせずに。
山口 ただ 中川敬の 場合は、スタイルを 決めるのが 早くて、3 回くらいやってるうちに「 俺はこれやねん」とお 決めになられるわけであって。だから 俺が 同じことをすると、まるで 交わるところがなくなるから、ヤツがやっているうちに、 俺は 自分のヒキダシを 開けて「これかな」「あれかな」と、 中川の 音楽に 当てはめてみるわけ。そうすると 不思議に 面白い 関係になっていくわけですよ。
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Beats21 |
中川 大熊ワタルやサム・ベネットとやった「Soul-Cialist Escape」なら、もっと 俺に 主導権があったんですよ。もっとソロっぽかったから、 俺はけっこう 悩んだのね。でも 今回、このバンドでやる 時は、そこにおる 人間たちのピーク、エッセンスを 素早くつかまえる。 俺は、 一番最初につかみたいと 思てた。 早く「このバンドはこういうバンドなんや」というのを 知りたかった。 練習もしたくなかったし。だから…
---そういうスタンスを5 年前に 取ってたら、ヤポネシアは 出来なかっただろうね。 喧嘩別れしてたかもしれない。
中川 俺たち 二人じゃできなかっただろうね。ソウル・フラワーとヒートウェイブとで、お 互いがかかりっきりやったと 思うし、「イノシシの 状態」で 余裕もなかったろうし。
--- 歌詞にしても、サウンドにしても、こういうエッジのあるアルバムになったのはなぜ。
山口 こういう 時代だし。 自分たちがやりたいことをやったら、こうなった。 俺は 流れにまかせてただけですよ。
中川 俺はニューエスト・モデルにしても、ソウル・フラワーにしても、タブーはなしやといつも 思てやってんねんな。でも 数年やってると、いろいろな 関係が 出てくる。ある 種のパターンができてしまう。このバンドについては、 始まったばかりやから、 何と 思われようが 全然かまへんわけや。 特に 歌詞の 部分はね。
山口 でもね、すごくいい 歌詞を 書いたなと 思ってても、 中川敬がここの1 行を 歌わせろやと 言って、「ああ、またこれでラジオでかからなくなる!」( 笑い)。またやっちゃった!ってなるんだよね。
中川 ほんと? あの 歌は 完成度99%が100%になったと 思たんやけどな。
---どの 曲のどの1 行?
中川 「JAPONESIAN DIARY」に 出てくる「 被差別部落に 天皇に アイヌに ウチナー、 在日、 障害者」という 箇所。 俺はね、 例えば ワールド・カップのテーマ・ソングにできる 歌を 順番に 並べていったとして、 自分の 書く 曲はその 一番最後におりたい。そういう 人間や。でもまだまだ 修行中ですわ。 一番下ではない。まだ 俺は 甘い。
山口 意味不明の 歌詞が 面白いんだよね、 中川は。「KILL THE POOR」の「 犯罪率もザックリ」とかね。「BORED WITH THE U.S.A.」の「 砂まみれの 金玉作戦」とかね。 頭の 中に 俺なりの 情景は 浮かぶんだけど、 意味するところがさっぱり 分からない。
中川 最初は、 中央アジアの 熱砂の 情景をイメージはしたんだけど…
山口 あの 場所で、きな 粉モチみたいに 自分の 金玉をまぶす 光景を 思い 浮かべたんだけど。
中川 そう 思てもらっていいよ。
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Beats21 |
山口 ま、世の中がどうのこうのと言われても、俺は自分たちがうたっていることは普通だと思う。今回は、なにも悩んでないよね。「満月の夕」を作った時は、中川敬の汚い部屋で、二人が三線とアコギを持って「このフレーズやどうや」「あかん、それは手癖や!」「なら5分待ってくれ!」--こんな感じでやってたんやけど、今回は自然に出来ていきましたね。昔は、自分がやったという痕跡を歌に残したいというエゴがお互いにあったと思うけど、今はどっちに転んでもエゴは残るだろうと思うようになってきた。だから周りが想像しているようなぶつかり合いはなかったね。
中川 俺はカバーが多いとは思ってないんです。つまり「あの曲みたいな曲を新しく作る」ということがあるでしょ。それっていったい何やねんと思う。オリジナルって何? モノノケ・サミットで伝承音楽をカジッたこともあって、俺は音楽はみんなの持ち物やと思てるから。
山口 そうだね、俺たちは音そのものはサンプリングしないんだけど、気持ちの部分をサンプリングしているから。それを一度、バンドというボウルの中に入れてかき混ぜて、さぁどんな「ケーキ」が出来るか。そういうことは彼と考え方は同じだね。音楽は共有の財産だから。
中川 世界中で面白い音楽をやっている連中というのは、これがオリジナルかトラッドかどうかなんて気にしてないよ。
--- 今の 社会が 濃厚に 反映されたアルバムになっている。
中川 俺の 場合、それが 出てきてしまうんやね。
山口 例えば「JAPONESIAN DIARY」で「Show the flag」という 言葉が 出てくるけど、アルバムには 使い 捨てになる 音楽と、そうならないだろうという 音楽とが 混在していると 思うのね。でも 一番大事なことは、 今、やりたいことをやる。そうすると 必然的に 今の 世の 中に 生きているという 感情が 出てくるんだと 思う。だから 特にコンセプチュアルにする 必要はないんだよね。
中川 「9 月11 日」( 米・ 同時多発テロ)に 新たな 時代が 始まった、 歴史が 変わったんだという 気持ちと、「10 月8 日」の 米英軍による アフガニスタン空爆の 開始によって、やはり 世の 中は 何も 変わらないのだという 気持ちとが 混在している。それが、 俺の 歌詞の 場合、そのまま 今回のアルバムに 反映されたと 思う、 冷静に 見るとね。ただ、 反映してるだけやねん。そんなに 深く 考えてないというか。また 俺の 場合、メロディのほうが 歌詞よりも 重要だという 側面もあるし。
山口 俺は 世間で 何かが 起こるとよく 彼に 電話するんだけど、 9月11 日の 直後の 中川敬は、「ちょっと 待ってくれ」というような 思慮深い 対応だったね。
中川 あの 時はね、パッと 言葉が 出てこなかった。ただ 正直に 言って、とうとう 起こったなと。また 俺にとって、 一番言いにくい 部分、「アメリカ、ザマをみろ」という 部分が 心の 底に 気持ち 悪くあって、だから 言葉に 出せなかった。なにしろ、あんなにたくさんの 人が 死んでいるから。
---こういう 歌、アルバムが、 日本でヒットする 可能性はある?
中川 別のプロデューサーを 立てて、もう 一度、1からやりなおすなら。その 前に、 歌詞を 書きかえる!( 笑い)
山口 プロデューサーに「 絶対この 言葉を 使うな」と 言われて、 俺たちが「うーん」と 窮屈な 中で 書きかえたとしたら、そっちのほうが 面白いかもしれない。にじみ 出てくるものがあるかもしれない。 今回は 無法地帯。どっちがいいのか 悪いのかわからない。ただね、 俺も22 年も 音楽をやってきて 思うんだけど、このアルバムはヒットするような 気がする。あと 歌詞のことだけど、 俺の 気持ちの 中で、このアルバムを 出していいと 思ったのは、 誰も 傷つく 人いないからね。アメリカを 批判したってアメリカが 傷つくわけがないし。こっちは「ふざけんな」と 言いたいわけだし。
中川 それ 重要なことやと 思う。 俺も 歌詞を 書いてる 時、たまに 考えることがある。これで 嫌な 思いをする 人がいるんと 違うか? みたいなこと。 俺の 場合、「 嫌な 思いをして 欲しい 人」は、また 別にいるんやけどな。
山口 生まれてきたんだから、 言いたいことを 言わなきゃ 損だしさ。
(おわり)
( 2002/04/10 )
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