「あの
震災で、
昔の
仲間たちが
集まって
何かをしようということになりました。その
時、みんなから
赤い
鳥の
曲を
何で
歌わないのかと
聞かれました。
特に、
一緒にやっている
伊勢正三(
元かぐや
姫)さんにね。
伊勢さんは、『
竹田の
子守唄』や『
翼をください』『
忘れていた
朝』とか、たくさんあるじゃないかって。こういう
歌はみんな
潤ちゃんがリードを
取っていたんじゃないの?、って。
私は『
竹田の
子守唄』にしても、
赤い
鳥は(
後藤悦治郎さんの)
紙ふうせんへ
引き
継がれたと
考えていたんですが、
震災の
時はすでにHi-Fi Setではなくソロでやってもいましたから、
伊勢さんの
言うことにうなづいたんです」
山本さんは
阪神淡路の
被災者へのイベントをきっかけに、
再び「
竹田の
子守唄」を
歌い
出した。これがその
後の、この
歌の「どうも
解禁になったらしい」という
風評に
説得力を
持たせる
材料の
一つとなっていった。
「もちろん
私はこの
歌の
背景のことは
知っています。また、
放送禁止…というよりも
局側がこの
歌をかけることを
自粛してきたというエピソードも
知っています。でも
私が
歌わなかったのは、そういう
理由とはちょっと
違うんです」
*
写真は、
赤い
鳥のデビュー
当時。
手前右が
山本潤子さん。