朝ドラ「おむすび」は、
今週、
阪神淡路大震災の
事が
描かれている。
避難所で🍙をもらうシーン見て、ねこ吉も避難所で🍙を一つもらった事を思い出した。
半分ずつして子供達に食べさせた。
その🍙は、近くにあった神戸製鋼所の家族寮の人たちが作ったものだった。
大きな会社の寮なので、早い時点で物資が運ばれてきたようだった。
震災のことに関しては、毎年1月17日に色々と書いている。
来年で30周年です。それもあって朝ドラになったんだろうと思うけど。
だから、今回はさらっとというか、短めに書こうと思っている。
ドラマは、灘区の商店街が舞台だと思う。
セットだから、壊れ方が甘いわ。現実はあんなものじゃなかった。
幸い、ねこ吉達家族、身内、友人達は皆無事だった。
ヒロインの姉の親友が亡くなったと言っている。
当時そんな人は多かっただろうね。
娘のクラスの男子が、倒れた家の下敷きになって亡くなった。
娘は話もしたことのない男子だったけど、ショックは受けていた。
携帯電話もほとんど普及していなかったし、その男子のお葬式が何処で行われたかも知らなかった。
果たして、その子の友人が参列出来たかも判らなかった。
中学校近くに甲南市場と言う大きな商店街があった。
入り口のパン屋のビルは横倒しだった。
商店の数も減り、ビルの中で共同で商売をする形になった。
かつての賑わいは30年近くたって取り戻せていない。まぁ、今時何処の商店街もシャッター通りになっているけど・・・。
1月17日から娘の中学校は避難所になって、授業は一度も受けないまま卒業した。
あれから30年が経つんだなぁ。子供たちはすっかり中年。
ねこ吉は、まだまだ子育て真っ最中だったからマンション再建、ローンの借り換えなど必死で頑張ったけど、今の年齢で、あのような震災に遭ったら何もできないだろうと思う。
一気にアルツハイマーが進んで、ぼけ老人になることは確実。
さらっと書くと言いながら、書き出すと結構書いてしまった。
続きは、来年1月17日に書けたら書きます。
追記
阪神淡路大震災を反芻するから、今回の朝ドラはあまり見る気が起こらない。
泣く泣く神戸の地を離れ、新しい土地で生きている人はたくさんいると思う。
心の何処かで、「神戸に帰りたい。」と思っている人もいるだろうなぁ。
追記2
今日の朝ドラで、「タンスの下敷きなんてありえない。」とか、「どうやってお米を炊いたの?」とか、色々ネットで言われているらしい。
ねこ吉と息子は、タンスの下敷きというか、挟まれて出られなくなり、暗闇の中、娘が助けを呼びに行ってくれて助かった。
今でも、PTSD、トラウマが突然起こることがある。
木造家屋が倒壊して、薪代わりは一杯転がっていた。
寒いからあちこちで焚き火をしていた。
泣きながら焚き火をしていたと思う。
神戸は爆撃を受けた後のような惨状だった。
震災後生まれた子供も30才になる。
何も知らなくて当然。
知らなくて幸せだと思う。