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イ・チャンドン監督「鹿川は糞に塗れて」インタビュー 韓国映画の巨匠が「映像の世界への転換点となった」小説集|好書好日
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イ・チャンドン監督かんとく鹿川かのかわくそれて」インタビュー 韓国かんこく映画えいが巨匠きょしょうが「映像えいぞう世界せかいへの転換てんかんてんとなった」小説しょうせつしゅう

イ・チャンドン監督かんとく=初沢はつざわ撮影さつえい

ずっとしんなか作家さっかでした

――日本にっぽんたのはなんねんぶりですか。

 「バーニング 劇場げきじょうばん」の公開こうかい以来いらいやく5ねんぶりです。

――ひさしぶりにおとずれた日本にっぽん変化へんかかんじますか。

 いいえ、とくわったとおもうことはないですね。これは日本にっぽんめんかもしれません。韓国かんこく変化へんかはやいので。

――映画えいが以前いぜんに、小説しょうせつとして創作そうさく世界せかいあしれました。小説しょうせつこうとおもったきっかけをおしえてください。

 10代のころからいつも「文章ぶんしょうかねばならない」とおもっていました。韓国かんこくでは「新春しんしゅん文芸ぶんげい」(かく新聞しんぶんしゃによる文芸ぶんげいしょう年明としあけに発表はっぴょうされ、新人しんじん作家さっか登竜門とうりゅうもんとされる)などでデビューします。つまり受賞じゅしょうしてこそ、作家さっかとしての資格しかくられるのです。でもわたしは、そうしたみとめられるまえからずっとしんなか作家さっかでした。なぜならいつも文章ぶんしょういていて、文章ぶんしょうだれかと疎通そつうしたいとおもっていたからです。

 実際じっさい受賞じゅしょうしたのは、1983ねん新春しんしゅん文芸ぶんげいでしたが、それはたんなる現実げんじつてき通過つうか儀礼ぎれいにすぎません。文章ぶんしょういていたのは、おさなころから。その背景はいけいにあったのは、さびしさでした。現実げんじつのなかでいつも疎外そがいされているようにかんじ、だれかとをつなぎたい、疎通そつうしたいとおもっていたのです。

――なぜ「さびしさ」をかんじていたのでしょうか。

 おそらく現実げんじつてき理由りゆうがあったとおもいます。当時とうじは、韓国かんこく社会しゃかい朝鮮ちょうせん戦争せんそうきずからそうとしていて、経済けいざいてききびしい時期じきでした。さらにわたし家族かぞく事情じじょうがあり、なんしをかえしました。どもにとってしは、そのまちどもたちがあつまる路地ろじうらはいることを意味いみします。あたらしい環境かんきょうあたらしいどもたち、あたらしい世界せかい適応てきおうしなければならない。そんななかとくにつらかったのは、脳性のうせい麻痺まひあね存在そんざいでした。あねをからかうたちと、わたしはたえずケンカをしていました。わたし近所きんじょどもたち、そしてあねをめぐる世界せかいのなかで、疎外そがいされているとかんじざるをませんでした。

――どものころ経験けいけんは、映画えいが「オアシス」などにも影響えいきょうあたえているようにおもえます。そして監督かんとくほんには、映画えいが以上いじょう個人こじんてき経験けいけん投影とうえいされていて、もしかすると私小説ししょうせつなのではないかという印象いんしょうけました。とく表題ひょうだいさくの「鹿川かのかわくそれて」は学校がっこう先生せんせい主人公しゅじんこうです。監督かんとく大学だいがく卒業そつぎょう高校こうこう国語こくごおしえていました。もしかして、小説しょうせつには監督かんとく自身じしん経験けいけん色濃いろこえがかれているのでしょうか。

 そのとおりです。一部いちぶ投影とうえいされています。

――どの部分ぶぶんでしょうか。

 「鹿川かのかわくそれて」で、主任しゅにん教師きょうし出版しゅっぱんしゃからもらった小切手こぎって教師きょうしたちにくばり、その会社かいしゃ教材きょうざい使つかってくれとうなが場面ばめんがあります。いわば不正ふせいですよね。最近さいきんはそういうことはなくなりましたが。

 あとは、すこ脚色きゃくしょくはしていますが、民主みんしゅ運動うんどうおこなっていたおとうと手配てはいされて、あにいえかくすというシチュエーションが登場とうじょうします。実際じっさいに、わたしともだちで警察けいさつ指名しめい手配てはいされたひとがいて、そのともだちがせるために、わたしいえたことがありました。

 ところが、わたし学校がっこう仕事しごとをして帰宅きたくすると、かれわたし家族かぞくと、つまりつましたしくなっている様子ようすたりにしたのです(笑)。ともだちはとても家庭的かていてきひとでした。わたしは(韓国かんこく南部なんぶの)けい尚道なおみち出身しゅっしんで、家族かぞくにあたたかくせっしたりできないタイプ。ともだちはよそのいえたから余計よけいつま親切しんせつにしていたのでしょう。かれつま本物ほんもの家族かぞくのようにえて、みょう気分きぶんでしたね(笑)。それがこの小説しょうせつ設定せっていおもいついたきっかけです。

タイトルに「くそ」とれたわけ

――ソウルに実在じつざいする鹿川かのかわえきのあたりを、インターネットの地図ちずでバーチャル散歩さんぽしてみました。現在げんざい整然せいぜんとアパートぐんなら郊外こうがい住宅じゅうたくという印象いんしょうで、「くそ」にまみれていた土地とちだとは想像そうぞうがつきません。この小説しょうせつ着想ちゃくそう瞬間しゅんかんについておしえてください。

 その部分ぶぶん実話じつわがもとになっています。1990年代ねんだいはじめにソウルのうえけいほらという場所ばしょんでいました。ソウル市内しないだい規模きぼなアパート団地だんちつくられたさきがけのひとつがうえけいほら団地だんちで、そのさまざまな場所ばしょつくられるようになった。いわば、韓国かんこく社会しゃかい開発かいはつつづけながら空間くうかんそのものを変化へんかさせた時期じきでした。

 うえけいほらちかくに鹿川かのかわえきがあり、時々ときどき鹿川かのかわえきって電車でんしゃっていたのですが、一度いちどトイレにったとき、小説しょうせつてきたように、くそにまみれていたのです。おそらくそのトイレは、つくっただけでそのままになっている、本来ほんらい使用しようできないもので、工事こうじをするひとたちはにトイレがないのでそこでようしたのでしょう。それがだんだんもってきて、トイレ全体ぜんたいくそまみれに……。すごく衝撃しょうげきてき光景こうけいでした。

――小説しょうせつで「くそ」が象徴しょうちょうする意味いみとは。

 だい規模きぼ開発かいはつおこなわれたまちにあったくそまみれのトイレは、韓国かんこく社会しゃかいをかなりながあいだ支配しはいしてきた暴力ぼうりょくてき論理ろんりむすびついているのだとかんじました。経済けいざい発展はってんさせるためには、政治せいじてき独裁どくさい必要ひつようであればおこなわなければならないという論理ろんり。あるいは、韓国かんこく社会しゃかい住宅じゅうたく問題もんだい解決かいけつするためには、利己りこてき暴力ぼうりょくてき手段しゅだん使つかわなければならないという論理ろんり。こうしたことが実際じっさいむすびついていたのです。また、韓国かんこく社会しゃかい問題もんだい解決かいけつするためには、経済けいざいてきなことであれ政治せいじてきなことであれ、暴力ぼうりょくてき論理ろんりはたらかせて解決かいけつする。このようなめんせいがあったのだとおもいます。

 アパート団地だんち短期間たんきかん工事こうじおこなわれ、そんななか労働ろうどうしゃのトイレ問題もんだいなんてだれめず、軽視けいしされていたのかもしれません。でも、それは問題もんだいふかむすびついている。わたし直感ちょっかんてきにそうかんじ、たりにした光景こうけいをもとに小説しょうせつきました。だから、タイトルにもわざと「くそ」という単語たんごれたのです。

 じつは韓国かんこく出版しゅっぱんしたとき担当たんとう編集へんしゅうしゃは「タイトルをえてもいいですか。ほんとして出版しゅっぱんするには、ちょっと……」といました。でもわたし譲歩じょうほしたくなかった。なぜなら、くそ原点げんてんだったから。タイトルが読者どくしゃにとって暴力ぼうりょくてきかんじられたとしても、仕方しかたない。なぜなら、その暴力ぼうりょくせい衝撃しょうげきけて小説しょうせつまれたからです。

まち洗練せんれんされたけど…

――1992ねん出版しゅっぱんされた小説しょうせつなので、いまとはことなるおもいがしるされているかもしれません。この作品さくひんしゅういま日本にっぽん出版しゅっぱんされてどんな気持きもちになりましたか。

 すこし複雑ふくざつかんじがしました。なぜなら、これはあまりにもむかしいた小説しょうせつです。いまつづけているのならともかく、映画えいがつくるようになって、のところ映画えいがによって日本語にほんごばん出版しゅっぱんされることになったほんだからです。それはわたしもわかっています。

 いまになって出版しゅっぱんされたのは、わたし映画えいが監督かんとくとして活動かつどうしたことによって、ほんにも関心かんしんたれたということでしょう。すうねんまえ中国ちゅうごく翻訳ほんやくばん反応はんのうかったから、台湾たいわん香港ほんこん日本にっぽん、そしてアメリカでも出版しゅっぱんされることになりましたが、映画えいがのためにたのだという複雑ふくざつおもいがあります。

 一方いっぽうで、いま様々さまざまくに翻訳ほんやく出版しゅっぱんされるということは、ときっても普遍ふへんせいがあるからかもしれません。80年代ねんだい、90年代ねんだい韓国かんこくてき状況じょうきょうのなかでき、当時とうじ現実げんじつにたいするわたしなやみ、つまり自分じぶん文章ぶんしょう現実げんじつがどのような関係かんけいなのかという、作家さっかとしての本質ほんしつについてなやみつついたほんでありながら、韓国かんこく以外いがいくにひとたちも普遍ふへんせいかんじている。そうしたてんでは、ありがたくおもっています。

――インタビューの冒頭ぼうとう監督かんとくは「韓国かんこく社会しゃかい変化へんかはやい」といましたが、小説しょうせついた当時とうじ現在げんざいではどんなところがわり、どんなところがわっていないとおもいますか。

 表面ひょうめんてきにはすごくわりました。80年代ねんだい、90年代ねんだいは、みちよごれているのがたりまえでした。生活せいかつ空間くうかんをセンスかざ余裕よゆうがなかったのです。とりあえずおおきないえつくって、はしけて、みちつくるというかんじで、きれいなはしける、うつくしいいえつくるという余裕よゆうがなかった。

 いまは、まちいえ洗練せんれんされて清潔せいけつになり、カッコよくなりました。でも、その変化へんかをもたらした内的ないてき動機どうきは、あまりわっていないとみています。暴力ぼうりょくせいかたちえているだけで、わっていない。80年代ねんだい、90年代ねんだい政治せいじ権力けんりょく社会しゃかい変化へんかみちびいていましたが、いま経済けいざいてき論理ろんり支配しはいしている。内的ないてきなものはわっていないとみています。

小説しょうせつも、きっと

――映画えいが小説しょうせつちがいとはなにだとかんがえますか。

 メディアとして本質ほんしつてきちがいがあるとおもいます。小説しょうせつは、それ自体じたい完成かんせいするものではなく、想像そうぞうりょくによって完成かんせいされるもの。どのように完成かんせいされるかは、んだほう想像そうぞうりょくにかかっているようながします。小説しょうせつ言葉ことばちから使つかってかれるわけですが、読者どくしゃにたくさん想像そうぞうさせることができれば、立派りっぱ文学ぶんがく作品さくひんだとえるとわたしかんがえます。

 一方いっぽう映画えいがはすべてをせるもの。観客かんきゃくとしては、すべてをせられたとおもいながらも、作品さくひんにたいして満足まんぞくできないこともあるかもしれません。小説しょうせつ原作げんさくにした映画えいがもよくつくられていますが、小説しょうせつんで映画えいがたときに、映画えいがのほうが不安定ふあんていだとかんじるのは、映画えいがはすべてをせているようでじつせていない部分ぶぶんもあるからです。

 映画えいがはスクリーンをとおして観客かんきゃく作品さくひんせますが、うつっている以外いがいのもの、つまりスクリーンのこうにあるものもかんじてもらえるような作品さくひんつくりたい。映画えいがつくしゅはそうあるべきだとおもっています。そうした映画えいがすにはどうしたらいいのか。わたしはつねになやつづけています。

――今後こんごまた小説しょうせつきたいという希望きぼう予定よていはありますか。くとしたら、どのような小説しょうせつかんがえていますか。

 小説しょうせつかなければいけないと、いつもかんがえています。社会しゃかいつめる短編たんぺん小説しょうせついてみたい。でも、映画えいがもこれからもつくれるとおもっているので……(笑)。小説しょうせつも、きっとることでしょう。

くににはないエネルギー

――作品さくひん様々さまざま国際こくさい映画えいがさいしょうているイ・チャンドン監督かんとくは、韓国かんこくコンテンツを世界せかい紹介しょうかいしたさきがけのひとりです。ドラマや映画えいが人気にんきですが、韓国かんこくコンテンツのつよみはなにだとおもいますか。

 韓国かんこくについての肯定こうていてきはなしをしなければいけないようですね(笑)。……実際じっさいのところ、韓国かんこくじんたち自身じしんもよくわかっていないのではないでしょうか。韓国かんこくのコンテンツのつよみはなにか。わたし正確せいかくにはわかりません。でも、くににはないエネルギーはかんじます。躍動やくどうかん、ダイナミズム。それがどこからまれるのかは、おそらく韓国かんこくじんだけがさがすことができるのだとおもいます。

 韓国かんこくじんだけがつダイナミックなエネルギーがあるとすれば、それはなにかんがえてみる必要ひつようがあるでしょう。でもそれは、かならずしも土台どだいからまれるものだとはかんがえていません。なぜなら、映画えいがでも小説しょうせつでもドラマでも、ストーリーがちからつときは、はげしい葛藤かっとうなかからすからです。つまり、ひときつける人物じんぶつやシチュエーションなどがまれる、韓国かんこくならではの環境かんきょうがある。その環境かんきょうとうとするエネルギー、つまり韓国かんこくじんたちがすうじゅう年間ねんかん日本にっぽん植民しょくみん時代じだい朝鮮ちょうせん戦争せんそう、その暴力ぼうりょくてき開発かいはつて、してきたエネルギー。それがいまのコンテンツをつくっているのだとおもいます。

 日本にっぽんにも葛藤かっとうはあるとおもいますが、日本にっぽんひょうにあまりさない社会しゃかいのようにかんじます。それにくらべると韓国かんこくじん葛藤かっとうたいしてことなる反応はんのうせる。それがコンテンツを原動力げんどうりょくになっているのではないかとかんがえます。人生じんせいは、葛藤かっとう苦痛くつうけることができない。芸術げいじゅつ文化ぶんかてきなコンテンツをすのは、くためのもうひとつの方法ほうほうなのではないでしょうか。

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