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ドラマ「坂の上の赤い屋根」主演・桐谷健太さんインタビュー イヤミスの名手が描く「善悪も人それぞれ」|好書好日
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ドラマ「さかうえあか屋根やね主演しゅえん桐谷きりたに健太けんたさんインタビュー イヤミスの名手めいしゅえがく「善悪ぜんあくひとそれぞれ」

桐谷きりたに健太けんたさん=junko撮影さつえい

羅生門らしょうもん」『やぶなか』のエッセンス

――今回こんかい企画きかくいたときと、脚本きゃくほんをおみになった感想かんそうおしえてください。

 最初さいしょ企画きかくしょませていただいたとき、すごく魅力みりょくてき刺激しげきてき作品さくひんだなとかんじました。同時どうじに、自分じぶんがこの橋本はしもとえんじるとどうなるのかということにとても興味きょうみいて、挑戦ちょうせんしたいとおもい、すぐにおけしました。脚本きゃくほんんでも、どこか(黒澤くろさわあきら監督かんとく映画えいが)「羅生門らしょうもん」や(「羅生門らしょうもん」の原作げんさく)『やぶなか』のようなエッセンスもかんじたし、一言ひとことに「しんやみ」とってもそれをわるいというとらかたをするひともいれば、どこかなつかしさや親近しんきんかんひともいるとおもうんですよ。それぞれの視点してんによってかたわってくるストーリーだなとおもいました。

「イヤミス」とわれるだけに残酷ざんこく場面ばめん結構けっこうあってそこに注目ちゅうもくされがちなんですけど、本当ほんとうはそこにいたるまでのそれぞれのしんやみになるような過程かてい作品さくひん際立きわだたせていて、そのためにはああいった残酷ざんこくなシーンも必要ひつようだったとおもいます。

ヘアメイク:岩下いわしたりん(Leinwand)、スタイリスト:岡井おかい雄介ゆうすけ

――ドラマばんでの主人公しゅじんこう編集へんしゅうしゃ橋本はしもとえんじるにあたり、どのようにやくとらえ、ふくらませていったのでしょうか。

 撮影さつえいはいまえに、ぼくなかで「橋本はしもとすずか」というものをある程度ていどずきあげていました。他人たにんからると得体えたいのしれない、なにかんがえているのかからないおとこですが、そこにはしゅ(タネ) があって、橋本はしもと過去かこにあったことなどを自分じぶんふかめていき、そのたねをたどりながらそだてていったかんじです。

 衣装いしょうわせのときに、村上むらかみせいてん監督かんとくと「橋本はしもとにはおおきくけて2パターンのかたがある」ということをおはなししたんです。ひとつは、豹変ひょうへんした瞬間しゅんかん橋本はしもと本来ほんらい姿すがたせて、それまでは一切いっさいせないという方向ほうこうせい。もうひとつは、一見いっけん普通ふつうひとなんだけど、つねにどこか違和感いわかんや「なにっかかるな」とかんじる人物じんぶつ橋本はしもと視聴しちょうしゃられてきているわけじゃないので、ぼく後者こうしゃかんじでやりたいとおつたえし、監督かんとく合致がっちしたので、撮影さつえいはいってからはあまりプランなどをかんがえずにやれましたし、「橋本はしもと」をゆだねられたかんじがしました。

――そんな橋本はしもとおおきくかかわるのが「女子高じょしこうせい両親りょうしん殺害さつがい事件じけん」の主犯しゅはんかくとされる死刑しけいしゅう大渕おおふちです。二人ふたり対峙たいじするシーンも後半こうはんかまえていますね。

 最終さいしゅうばなしで、橋本はしもと大渕おおふち刑務所けいむしょ対話たいわするシーンがあるんですけど、撮影さつえい監督かんとく村上むらかみせいてん)さんやスタッフさんが「いまのシーンはとてつもなかった」とおっしゃってくれたんです。ぼく自身じしんなにかんがえずに芝居しばいできたのですが、ここまでずっと一緒いっしょにやってきたスタッフさんたちの印象いんしょうのこってくれたことは、自分じぶんでもかったなとおもいます。

ひとかずだけ真実しんじつがある

――原作げんさくしゃ真梨まりさんは「えるものがすべてではなく、ひとかずだけ『真実しんじつ』がつくられてしまうこわさも作品さくひんのテーマのひとつでもある」とコメントしていますが、だましごういや裏切うらぎりといった「人間にんげんめんせい」や「イヤミスの面白おもしろさ」をほんさくのどんなところにかんじましたか?

 なにが「正義まさよし」で「あく」かなんてからないし、真梨まり先生せんせいおおせるようにひとかずだけ真実しんじつがあって、かたとらかたがあるということがこの作品さくひん面白おもしろさだとおもいます。それに、この作品さくひんを「イヤミス」とおもっていることもひとつのめんせいですよね。これをんで「読後感どくごかんがいいな」とおもひともいるはずだし、ぼくもどちらかというといやかんじはせず、どこか心地ここちさをかんじました。「イヤミス」とわれるだけあってその要素ようそたしかにおおいのですが、ひとそれぞれの視点してんがあるので「しんやみわるい」みたいに白黒しろくろはっきりつけず「『イヤミス』だからっていや気分きぶんになる作品さくひん」とめつけないほうがいい。

 そういう意味いみうと、あえてこたえを提示ていじしないのはすごくふところふかいなとおもいます。こたえを提示ていじすることによって「自分じぶん見方みかた間違まちがっていた」とおもひともいるかもしれない。この作品さくひんてくるひとたちも、がついたらそのうずまれて、どんどんおおきくなっていったとおもうんです。自分じぶんはそのうずなかには絶対ぜったいはいりたくないけど(笑)、読者どくしゃ視聴しちょうしゃとして客観きゃっかんてきられることがこの作品さくひん面白おもしろさだとおもいます。

――作中さくちゅうでは、真実しんじつではない情報じょうほうやデマがSNSで拡散かくさんされ、さらには被害ひがいしゃ関係かんけいないひとへの攻撃こうげきわることのこわさもえがかれていますが、桐谷きりたにさんはそういったSNSとどのようなかたをされていますか?

 ぼく基本きほんてきにSNSをやらないし、ネットニュースもあまりないのでよくからないのですが、それをしんじる、しんじないということよりも、自分じぶん気持きもちいいとおもうものにどんどんれていけばいいとおもうんです。あとは「自分じぶんなにえらぶか」ですよね。この作品さくひん登場とうじょう人物じんぶつたちも、すすんでいるみち自分じぶんえらんでいるはずなのに「なに々があったから」とか「あいつのせいだ」とおもっている自分じぶんえらんでしまっていて「こうなったのはだれかのせいじゃない。自分じぶんはそれをわすれてきていく」っていう選択せんたくもできたはずなんです。えら自由じゆう一人ひとりいちにんにあるので、本当ほんとうならしあわせになれるみち自分じぶん選択せんたくできるんですよ。

桐谷きりたにりゅうくろ感情かんじょうとのかた

――個性こせいつよめな登場とうじょう人物じんぶつたちによる、ねたみや執着しゅうちゃくなどの「くろ感情かんじょう」が渦巻うずまいていましたが、桐谷きりたにさんはそういったものとどのようにってこられましたか?

 小中学生しょうちゅうがくせいのころはそういった感情かんじょうかんじたときに、未来みらい自分じぶんに「いまどうなの?」といていたことがあるんです。その未来みらい自分じぶんが「いまたのしくやっているから大丈夫だいじょうぶだよ」「そのモヤモヤからきっとすぐにけられるよ」みたいなことをってくれているような妄想もうそうをして、どこかほっとしていました。

――なやんだとき想像そうぞうした未来みらい自分じぶんいてみるのは面白おもしろいですね。

 こん大人おとなになって「小学生しょうがくせい自分じぶんがいたらこうってあげるな」っておもうことと、小学生しょうがくせいとき自分じぶん妄想もうそうした未来みらい自分じぶん返答へんとうはそんなにとおくないんですよ。だから本当ほんとう会話かいわしたのかなとかおもときもあります。時間じかんて「そこまで深刻しんこくになることもなかったな」とか「おれ勝手かってにそうかんがえちゃっただけだな」とか。かえったときにそうおもうことによって、またおなじようなことがあっても「大丈夫だいじょうぶ」っておもえるんです。

――モヤモヤや「くろあな」にいちはいってしまうと、なかなかそこからられないこわさや不安ふあんもあります。

 あな存在そんざいや、そこにはいっていることにづけたら「じゃあ自分じぶんはどうなりたいんだ」ってかんがえることができるいいきっかけになるとおもうんです。そこで「自分じぶんはこうなりたい」というイメージができたら、もうすでにそこにいちちかづけているとかんがえることもできるでしょう。そうすると、いやなことであったはずの出来事できごとが「あれのおかげだ」にわる。そのことになるべくはやめにづくことができると、すごくらくになりますよ。

――そのあなおもいのほかふかかったら?

 でも、そのあなふかさも自分じぶんめている部分ぶぶんもあるんじゃないかな。本当ほんとうあさあなだったのに自分じぶん自身じしんふかってしまっていることもあるし、ひとからるとすごくふかあなのはずなのに、そのひとにとってはなんてことないとかんじている場合ばあいもあるだろうし。あなはいるのはわるいことではないけど、ぼくだったらもっといろいろな景色けしきたいので、あなにはまっているひまなんかないぞ!とおもいます(笑)。

――まけ感情かんじょうまわりをちからおおきく、自分じぶんもそのうずまれそうになるのですが、桐谷きりたにさんのように前向まえむきにとらえるためにはどのような心持こころもちでいればよいでしょうか。

 まずは練習れんしゅう必要ひつようだとおもいます。たとえば、いやなことをかんがえてしまったらその自分じぶんづいてちがうことをかんがえたり、自分じぶんきなことをやってみたりする。それをかえしていると、だんだんのうみその気分きぶんほうかんがえられるみち回路かいろがキレイになっていって、そこをとおりやすくなる。「本当ほんとうえられるんだよ」ってちゃんと自分じぶんからせてあげるのも大切たいせつだとおもいます。

――ほんさく登場とうじょう人物じんぶつかかえる「しんやみ」が自分じぶんにも投影とうえいされて、むかしあったいやなことがフラッシュバックするシーンもありました。

 でも、そこを意識いしきできて自分じぶんきな自分じぶんに「わろう」「わるんだ!」とおもえたら、もうすでにいままでの自分じぶんとはちがうし、出発しゅっぱつてんっているんです。すぐにわろうとせず、ゆっくりでいい。すこしずつでも気分きぶんいことをかんがえられる自分じぶんがいたら、どんどんたのしいことがけていきますよ。

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