迫せまりくる衰おとろえ　千早ちはや茜あかね

　不惑ふわくも半なかばにさしかかり、同年代どうねんだいの人ひとに会あうと身体しんたいの話題わだいになることが増ふえたように思おもう。同業どうぎょうの方ほうは肩かた凝こりやぎっくり腰ごしの苦くるしみを語かたり、美容びように関心かんしんがある人ひとはシミや皺しわ（しわ）といった加か齢よわいケアの情報じょうほう交換こうかんをしたがり、食くいしん坊ぼう仲間なかまの中なかにはコレステロールの薬くすりを飲のみはじめた人ひともあらわれた。内側うちがわなり外側そとがわなり、程度ていどの差さこそあれ、大おおきく分類ぶんるいすると身体しんたいの衰おとろえについてばかり話はなしている。自分じぶんも徹夜てつやができなくなったとか、酒量しゅりょうが減へったとか、衰おとろえの報告ほうこくをしてしまう。そして、それがなぜか盛もりあがる。友人ゆうじんと別わかれたあと、もっと前向まえむきな楽たのしい話題わだいをすればよかったな、と少すこし後悔こうかいする。

　衰おとろえ程度ていどならまだいい。大おおきな病気びょうきが見みつかってしまったり、少すこし年上としうえの方ほうが急病きゅうびょうで亡なくなってしまったりすると、この先さき、自分じぶんの身体しんたいには良よいことはなく、日々ひびのメンテナンスで悪わるいことをじりじりと忌避きひするしか道みちはないように思おもわれて暗澹あんたん（あんたん）たる気分きぶんになる。そして、メンテナンスに時間じかんを取とられると、健康けんこうを維持いじするために生いきているようで、生産せいさん性せいがないのではというネガティブな思考しこうに陥おちいってしまう。良よくない。

　先日せんじつ、雨風あめかぜの強つよい日ひにバスに乗のっていたら、おばあさんが二に人にん「ああ、濡（ぬ）れた濡ぬれた」と並ならんで座すわった。二人ふたりは天気てんきの文句もんくを言いいながらも元気げんきに喋ちょう（しゃべ）っていた。聞きくともなく聞きいていると、一人ひとりが片方かたがたへ「あら、あんた、その帽子ぼうしいいわねえ」と言いう。帽子ぼうしのおばあさんは「なに言いってんの、ずっと被ひ（かぶ）っているわよ」と返かえした。「見みたことないけどねえ」と帽子ぼうしを被こうむっていないおばあさんが首くびを傾かたぶけ（かし）げる。すると、帽子ぼうしのおばあさんがあっけらかんと言いった。「そりゃ、あんた忘わすれてんのよ。歳としだから」。そして、二人ふたりではははと笑わらった。それ以上いじょう、加か齢よわいに関かんして盛もりあがることもなく次つぎの話題わだいに移うつった。

　歳としだから。衰おとろえのすべてをそう言いいきって笑わらい飛とばせる境地きょうちがこの先さきにあるとしたら、心しんだけは強つよ（したた）かさと前向まえむきさを獲得かくとくできるのかもしれない。それは、衰おとろえても豊ゆたかなことだ。＝朝日新聞あさひしんぶん2025年ねん4月がつ9日にち掲載けいさい

千早ちはや茜あかね（ちはやあかね）作家さっか

1979年ねん北海道ほっかいどう生うまれ。2008年ねん『魚さかな神しん』で小説しょうせつすばる新人しんじん賞しょうを受賞じゅしょうしデビュー。同どう作さくで泉いずみ鏡花きょうか文学ぶんがく賞しょう受賞じゅしょう。13年ねん『あとかた』で島しま清きよし恋愛れんあい文学ぶんがく賞しょう受賞じゅしょう。14年ねん『男おとこともだち』が直木賞なおきしょうと吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがく新人しんじん賞しょう候補こうほとなる。21年ねん『透明とうめいな夜よるの香かおり』で渡辺わたなべ淳一じゅんいち文学ぶんがく賞しょう、22年ねん刊行かんこうの『しろがねの葉は』で第だい168回かい直木賞なおきしょう。他たの著書ちょしょにエッセイ『わるい食たべもの』、小説しょうせつに『西洋せいよう菓子かし店てんプティ・フール』『犬いぬも食くわない』(共著きょうちょ・尾崎おざき世界せかい観かん)、『ひきなみ』（KADOKAWA）など。

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