その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はブラッドフォード・デロング(著)、村井章子(訳)の『
20世紀経済史 ユートピアへの緩慢な歩み(上)(下)
』。「日本語版序文」をお届けします。
【日本語版序文】
長い二〇世紀で度肝を抜かれる日本という物語
「世界には四種類の国がある。ゆたかな国、貧しい国、アルゼンチン、日本だ」──こう言ったのは、たしかサイモン・クズネッツだった。一九七一年にノーベル経済学賞を受賞した大学者である。
誰が言ったにせよ、この言葉は正しい。一八〇〇年代後半からの日本経済は、二〇世紀の経済史において他の何よりも印象的で勇気づけられるものだった。また一八七〇年以降の日本の政治は、当初こそ徳川時代の鎖国を破ったヨーロッパの国々から不幸にも近代帝国主義の悪しき病原菌をうつされはしたものの、その後はきわめてうまくいったと言えよう。では日本の将来はどうなるのか。それは、本書を読んでくださる日本の読者および広く日本の人々に懸かっている。
二〇世紀の経済は大きく分けて四つのパターンをたどったが、日本はそのうち一つのパターンの代表格である。日本は注目すべきお手本であり、鼓舞してくれる物語であり、その驚くべき成果は他の多くの国を奮いたせた。第一波として韓国、台湾、香港、シンガポールが、第二波としてマレーシアとタイが、そしていま第三波として中国沿岸部とベトナムが続き、近代的な工業と脱工業化時代の技術を活用して富裕国の仲間入りをするという困難な事業をやり遂げている。
となれば、二〇世紀の経済史を描く著作の中で日本が重要な役割を演じると考えても当然である。だが原書が五八〇ページある本書で日本に割かれたページ数は四九ページに過ぎない。これでは、日本に本来充てるべき分量の半分にも満たないと考える読者もおられよう。この点についてはお詫びしなければならない。ヘンリー・ロソフスキー教授をはじめとする教授陣の忠告にもかかわらず、私は日本について十分に勉強せず、そのせいで当然持っていてしかるべき知識を十分に持ち合わせていない。このため、専門家として価値のある意見を言える範囲の出来事や物語にもっぱら集中することになった次第である。
だが日本についての記述が乏しいことは、日本語版の読者にとって欠陥にはなるまい。そもそも日本の読者は自国の経済や歴史について私よりよく知っているし、誤りや不正確な判断があれば眉を顰(ひそ)めることだろう。よって日本の読者には、明治維新から始まった日本経済の刮目すべき歴史を理解する足掛かりとして本書を使ってほしい。
それにしても、日本の物語にはまったく度肝を抜かれる。
日本にとっての長い二〇世紀は、工業国としての地位を確立したときから始まった。工業立国のプロセスは日露戦争での勝利で加速する。この戦争はまた、近代帝国主義を奉じる国家として日本が東アジアに登場する前触れとなり、地政学的な勢力図を塗り替え、日本にいっそうの経済成長と開発の機会をもたらした。北大西洋の工業先進国は木を切り水を引いて暮らすような貧困国の鋳型に後発国を押し込めようとしていたが、その鋳型から逃れる方法を示してくれた国として、多くの人が日本に注目するようになる。
第二次世界大戦前の日本の経済発展がじつに華々しいものだったことはまちがいない。それに、大恐慌を巧みに回避した日本の成功事例は、詳細に分析し研究していれば他国にとって大いに参考になったはずだ。にもかかわらず一九六〇年になるまで、日本の背中を追いかけようとする国さえなかった。
第二次世界大戦後の日本は、経済成長の可能性がいかに大きいか、その可能性をどう実現するかということを世界に示してのける。アメリカの戦略的爆撃で軍人以上に民間人に大量の死者を出し、国土は荒廃したが、戦争が終わると空前の経済成長が始まったのである。それはもう奇跡としか言いようのないものだった。本書は戦後復興と好景気を、冷戦が貿易政策や技術交流に与えた影響も含むグローバルな経済動向の広い文脈で捉えている。日本の読者はこうした視点を通じて自国の経済政策の際立つ独自性を再認識すると同時に、他の先進工業国の戦後復興と成長という大きな物語の中に自国のたどった足跡を組み込むことができるだろう。
一九六〇年以降は、他国が日本の桁外れの経済的成功から学び始める。各地域の条件に合わせた日本モデルの模倣が、極東すなわちアジアの太平洋沿岸地域で経済成長の太陽を高く昇らせまぶしく輝かせる原動力になったと言っても過言ではあるまい。政府介入、民間部門のイノベーション、ステークホルダー重視の経営の組み合わせは、とくに一九七〇年代の新自由主義への転回以降に北大西洋諸国で採用された自由放任(レッセフェール)寄りのアプローチとは対照的である。政府(経済に深く関わっているが自律的である)と市場(利益主導の意思決定をすみやかに下す)の両方を経済運営の羅針盤とする日本のアプローチがいかに特徴的でしかも効果的だったか、日本の読者は気づくはずだ。また北大西洋諸国の新自由主義秩序の下で採用された自由放任型政策との対比も、いっそう明確になるだろう。
だが新自由主義への転回以降に世界秩序は様変わりし、その中で日本経済はかつての勢いを維持できなくなった。本書では、一九七〇年代に起きた社会民主主義のニューディール的秩序から新自由主義的秩序への転回と、それに伴うグローバル経済の混乱についてくわしく考察した。この混乱は日本経済に重荷となってのしかかることになる。一九七一年にニクソン・ショックがあり、一九七三年と一九七九年に石油ショックがあった。さらにレーガン政権(一九八一〜八九年)がグローバル経済に与えたショックは、アメリカの巨額の財政赤字と貿易赤字(双子の赤字)とその結果としての一九八〇年代前半のドル高、プラザ合意の赤字削減の約束をアメリカが守れなかったことなどに起因すると考えられる。
これらの要因が、一九九一年の日本の不動産バブルの崩壊を誘発することになった。バブル崩壊とその後の「失われた一〇年」を理解しておかなければ、日本経済の脆弱性と回復力を正しく認識することはできない。バブル後の長い停滞は日本の経済成長率を大幅に押し下げ、一人当たりGDPの伸びはきわめて低かった。二〇一二年に故安倍晋三首相によるマクロ経済政策改革「三本の矢」が始まってからかなり時間が経つまで、その状態が続いたのである。
ここ数十年に関しては、本書はグローバル化の影響、情報経済の隆盛、グローバル経済の金融化に焦点を当てている。これらの現象は日本に困難な課題と同時に機会ももたらすはずだ。本書には、日本の経済政策が世界の金融・貿易のパラダイムシフトにどう適応してきたかを理解する枠組みが示されている。
日本経済は今後どうなるのか。この疑問には多くの人が強い関心を持って予測をしてきた。日本の人口高齢化、技術と医療・健康への革新的なアプローチ、アジアにおける戦略的地位を踏まえると、二〇世紀の経済史から正しい教訓を学ぶことがきわめて重要になる。日本経済の将来の道筋は、国としての政策の優先順位とグローバル経済からの圧力のせめぎ合いの中で正しく舵取りできるかどうかに懸かってくる。日本には科学技術、環境の持続可能性、多国間貿易協定などで主導的な役割も期待される。
カリフォルニアのシリコンバレーではなく日本の東京大都市圏が世界経済の先頭を走る未来もあり得ただろう。だがその未来図から日本は一九八〇年代に脱落した。世界の主要国が高品質で信頼性の高い製品を作ることに苦労する中、日本が経済において演じた役割は、製造業におけるドイツに非常に近いものだった。ただし日本は最先端中の最先端を行く製品を作ることはできなかったし、プロセス・イノベーションではなくプロダクト・イノベーションの最前線を他国に先駆けて遠くまで押し広げることもできなかった。製造業以外では日本は効率性に長(た)けているとは到底言えず、いまだに人手頼みである。だがこの状況はむしろ、今後数世代にわたる満足のいく経済成長の足がかりとなるだろう。才能に恵まれ勤勉な多くの人々が世界中で生まれていることを考えれば、なおのことだ。彼らにとって、産業資本ストックが蓄積された日本のしっかりした環境で働き生活する機会は大きな価値を持つにちがいない。
忘れないでほしい。バブル後の日本経済は、世界の中でみれば今なおすばらしく生産的である。日本は所得の比較より生活の質を測る指標の多くで、はるかに高い地位にランクされている。賢くよく生きることに関して、今日の日本には他の富裕国に教えてあげられることがたくさんあるのだ。新型コロナウイルス(Covid-19)の死者数でアメリカと日本には大きな差がついた。アメリカ人は自分たちの社会がした選択について猛省しなければならないし、日本はある意味ではナンバーワンなのではないかと真剣に考え直さなければならない。
二〇二四年四月 ブラッドフォード・デロング
【目次】