第15回日経小説大賞を『
紅珊瑚(べにさんご)の島に浜茄子(はまなす)が咲く
』で受賞した山本貴之氏は、金融機関でのM&A(合併・買収)関連、空港運営会社での経営企画の仕事のかたわら時代小説を執筆してきた。山本氏は、時代小説の名作には必ず現代の経営にも通じる「気づき」があると言う。その「気づき」を掘り下げる連載第1回は、藤沢周平を取り上げる。
江戸中期に藩政改革で活躍した米沢藩藩主の上杉鷹山(ようざん)(治憲)の事績を丹念につづり、藤沢の絶筆ともなった『漆の実のみのる国』と、藤沢の代表作の一つで今なお人気の高い『用心棒日月抄』の二作を企業人の視点で読み解く
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上杉鷹山の藩政改革と企業の経営改革
企業人という立場で目的意識を持って歴史小説や時代小説を読むと、たとえ余暇に気楽に読んだとしても様々な「気づき」に出会う。今回は、藤沢周平の作品を例にとって、その醍醐味を味わいながら企業人として気づかされる勘所をいくつか紹介したい。
藤沢周平は、歴史的な出来事や人物を素材にした歴史小説と、海坂(うなさか)藩に代表される架空の舞台を設定して自由な構想を展開した時代小説の両方があり、それぞれに珠玉の作品群を残している。本編では、江戸中期に藩政改革で活躍した米沢藩藩主の上杉鷹山(ようざん)(治憲)の事績を丹念につづり、藤沢の絶筆ともなった『漆の実のみのる国』(藤沢周平著/文春文庫/2000年2月)と藤沢の代表作の一つで今なお人気の高い『用心棒日月抄』(藤沢周平著/新潮文庫/1981年3月)の二作を企業人の視線で読み解いてみたい。
『
漆の実のみのる国
』の舞台となる米沢藩は、上杉謙信の後を継いだ景勝を初代藩主とするが、関ケ原の戦い前後に徳川家康に背く行動を見せたため、江戸幕府により会津から米沢に移封されて、知行も百二十万石から三十万石に減知。さらにその後藩主の急死があり十五万石に半減された。収入が当初の八分の一に減ったにもかかわらず家臣五千人を温存したので、巨額の人件費負担を背負った。
『漆の実のみのる国』(藤沢周平著)。江戸中期に藩政改革で活躍した米沢藩藩主の上杉鷹山(ようざん)(治憲)の事績を丹念につづり、藤沢の絶筆ともなった作品
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俸禄(ほうろく)半減に加えて半知借り上げの措置を取ったが、これでは足りず御囲(かこい)金と称する軍資金を食いつぶし、多額の借財を繰り返す。その上さらに年貢率を引き上げ人別銭という人頭税まで課したが、藩財政は逼迫。他方、藩主一族は奢侈(しゃし)に慣れ、重臣たちも格式や慣例を盾にして倹約に後ろ向きだった。
企業経営でいうと、外的要因により収入源が大幅に閉ざされるなか、重い固定費負担により恒常的に営業赤字となり、資金繰りに窮して借り入れに頼るも債務超過となって調達難に陥ったことになる。増資の道はなく、さらに飢饉(ききん)や幕府による国役(普請工事)の求めなど出費が相次ぎ、自転車操業も危ぶまれる破綻状態と化した。ところが、オーナー経営者とその取り巻きは多額の報酬を受け取り続け、このためスト(一揆)も多発し、自己破産(封土返上)の話も出る中で、主人公の上杉鷹山が藩主の座を引き継ぐ。
鷹山は藩政改革を目指すのだが、これは企業の経営改革と似ている。資金繰りを確保しながら自助努力により経費削減を図る一方で増収策を検討する。併せて債務の整理と財務基盤の強化に取り組むというのが今も昔も再建策の常道である。
「人心一致」の大切さ
ここからは封建社会なので主導権を争う藩内の抗争や重臣たちの寄り戻しを図る企てなどがあるのだが、それはさておき、鷹山の採った増収策が漆の木を植えて蠟(ろう)を採取して他国に売るという商品経済の浸透を踏まえた産業振興策だった。これと併せて倹約を励行し旧債を整理するという計画を進め、藩はまさに「漆の実のみのる国」を目指して紆余曲折(うよきょくせつ)を経ながらも改革を進めていく。
以上は財務会計的な数字の話が中心だが、現実はそう単純ではない。本作が力点を置くのは、藩主鷹山のリーダーシップであるが、その苦悩は藩士と領民を含めた藩内すべての人々が国を維持しV字回復させるという大事業にどうしたら共感し一致団結して注力できるかという点にある。いかに卓越した計画が立案されても、それを実現するのは現場の人々であり、それを指導する管理職も含めて、皆が心を一つにして取り組まないと難事業は成功しない。実際は、それぞれの思惑や損得勘定があり、立身出世を胸に秘めて表面的には賛同するが身を切る段になると露骨に反発する輩(やから)もいる。
現代の経営もまったく同じである。現場軽視は不満の温床となりガバナンスに関わる不祥事を起こすことになる。かといって改革を逡巡(しゅんじゅん)していれば、無策と株主や金融機関から批判され見放される。特に企業規模が大きくなり、海外展開までするようになれば、この役職員の思いを一つにすることの難しさが等比級数的に高まる。
多くの企業が、ミッションやビジョンを掲げ、様々なツールを活用して社内の意思疎通を図る理由はここにある。その頂点に立つ経営者は、まさにこの点を日々重視して経営に当たるべきであり、それをカリスマ性に求めるか、合理的な数値指標に裏打ちされた計画遂行に徹するかはともかく、本作を読んで我々は「人心一致」の大切さに改めて気づかされる。
「人事の要諦」は今も昔も
さらに言えば、資本主義に対して人本主義という言葉がある。企業を買収したからといって簡単にレイオフをしないわが国の企業風土は、この米沢藩の譜代藩士五千人温存と通じるものがある。リーマン・ショックや新型コロナウイルス禍で多くの企業が急激な業績悪化に見舞われたなか、文字通り歯を食いしばって従業員を維持してきた企業も少なくない。一方で、多様性が叫ばれ人材市場が流動化する昨今、企業を支える「人」に着目した経営の重要性は明らかに一層高まっている。
そのような脈絡で、二作目の『
用心棒日月抄
』を読む。
藩内の抗争に巻き込まれた青江又八郎が藩を逃れて江戸に来たところから物語は始まる。ひげ面の偉丈夫、細谷源太夫との交流や赤穂浪士との関わり、さらには度重なる刺客との決闘やおりん(後には佐知)との交情など興趣は尽きないが、経営的な観点でいうと相模屋の吉蔵という狸(たぬき)顔の口入れ屋が面白い。
『用心棒日月抄』(藤沢周平著)。登場人物の吉蔵は、今でいう人材派遣業。それぞれの事情や性格まで見抜き、極めて的確に仕事を斡旋(あっせん)している
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吉蔵は、今でいう人材派遣業なのだが、よく人を見ている。青江や細谷が剣の腕が立つということばかりでなく、それぞれの出自、家庭の事情や性格まで見抜き、極めて的確に仕事を斡旋(あっせん)している。小説の中なので犬の用心棒から始まる働き口は多種多様だが、いずれもそれなりに十分的を射ていると感じる。
人事の要諦は適材適所といわれる。言うは易く行うは難し、である。人が人を選ぶのだから、どうしても好き嫌いが表れる、あるいは効率性重視で機械的な配置となり必ずしも最適な人材配置とはいかないことが多いようだ。
揺るぎない信頼関係と適度な緊張感
前の上杉鷹山の例でいくと、藩政改革の案を練ったのは奉行の竹俣当綱(たけのまたまさつな)であった。米沢藩では奉行は家老職が就く執政の筆頭に当たる。当綱は企画立案能力に優れ、かつ実行力もある逸材だったが、代々の重臣ゆえに人を軽んじるところがあった。
藩主鷹山は、この当綱に加えて終始控えめで冷静沈着な実務家タイプの莅戸善政(のぞきよしまさ)を併せて重用した。この藩主と奉行らとの関係は、現代の経営層でいえば社長と企画担当の役員や部長などブレーンとの関係に似ている。この両者の揺るぎない信頼関係と適度な緊張感、互いに相手の置かれた立場や状況を理解しながら、共に同じ目標に突き進む度量と自覚が必要である。この両者の関係が揺らぎだすと、それに従う多くのスタッフは行く手に不安を感じ、疑心暗鬼に陥る。また、それに乗じて暗躍する手合いが出てくると経営改革は間違いなく頓挫する。
爽やかな読後感の先にあるもの
藤沢周平は、人を描くその描き方が人情味あふれて心暖かで優しく、読み手は爽やかな読後感を安心して楽しむことができる。その人に対する見方、接し方がまさに企業経営に通じるものがあるように思う。
その点では、歴史小説、時代小説といえども侮りがたし、である。私も、時代小説の読み手として、企業人ゆえに気づく勘所への出会いを大切にするとともに、また書き手としても、経営の要諦に通じるような人の描き方を真摯に究めていきたいと願っている。
第15回日経小説大賞受賞作
辻原登、髙樹のぶ
子、
角田光代の
選考委員3
氏の
全会一致で
選出された
第15
回日経小説大賞受賞作は、
江戸時代後期の
奥州を
舞台に
繰り
広げられる
極上の
歴史ミステリー。
山本貴之著/
日本経済新聞出版/1870
円(
税込み)