松本人志と内村光良Photo:Vittorio Zunino Celotto, VCG/gettyimages

いま地上波ちじょうはかける機会きかいってしまったコント番組ばんぐみ。おわら芸人げいにんがネタ番組ばんぐみ披露ひろうするコントは活況かっきょうである一方いっぽう、なぜコント番組ばんぐみそのものは姿すがたしてしまったのか。萩本はぎもと欽一きんいち、ザ・ドリフターズ、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンなどの番組ばんぐみでコントを量産りょうさんした、放送ほうそう作家さっか清水しみずひがしにその事情じじょうかたってもらった。後編こうへんとなるほん記事きじでは、コント番組ばんぐみ終焉しゅうえんとコント作家さっかあらたな活路かつろについてはなしいた(一部いちぶ敬称けいしょうりゃく)。(コピーライター 橋本はしもと未来みらい

ウッチャンナンチャンとダウンタウン
あらたな才能さいのう圧倒あっとうされる

 数々かずかず名物めいぶつコント番組ばんぐみかかわってきた清水しみずひがしが、「あらたな時代じだい到来とうらいかんじた」とかたったのが、1988ねんにスタートしたコント番組ばんぐみゆめえたら』(フジテレビ/1988~91ねん)だった。若者わかものから絶大ぜつだい人気にんきほこっていたウッチャンナンチャンとダウンタウンを中心ちゅうしんとしたこの番組ばんぐみで、清水しみずあらたな才能さいのう圧倒あっとうされる。

松本まつもと人志ひとし)の才能さいのうまわりにひびいていましたね。当時とうじはまだ、大阪おおさかから東京とうきょう収録しゅうろくていたころだから、かれらがどんな芸人げいにんなのかもはっきりとはわからない。でも、ぼくらがいた台本だいほんなんばいにもふくらませて面白おもしろくしちゃうんです。ぼくかかわったなかでベストコントをえらぶとしたら、『いまどき下町したまち物語ものがたり』というちょうじゃくのコントかな。警察官けいさつかんという設定せっていしかいてないのに、松本まつもとかお不思議ふしぎなメイクをして、奇想天外きそうてんがいなキャラにしちゃう。番組ばんぐみ名物めいぶつキャラになりましたね」

 ウッチャンナンチャンも同様どうように、みずからアイデアをし、コント台本だいほんをより面白おもしろくしようとするタイプだったという。

「ウッチャンは映画えいがオタクだから、映画えいがのパロディみたいなコントを自分じぶんいてってくるんですよ。もう作家さっかみたいなかんじで。ナンチャンはボケっとしてるんだけど、反射はんしゃ神経しんけいというかキャラをえんじる素質そしつみたいなものがある。ウンナンとかかわったなかでベストコントをえらぶなら、べつ番組ばんぐみ(『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』1991ねん〜93ねん)でやった『ナンくん』というコーナーです。水木みずきしげるさんの『悪魔あくまくん』のパロディで、ちゃんとナンチャンが“ナンくん”というキャラを自分じぶんかんがえて面白おもしろくするんですよ」

 また、『ゆめえたら』をはじめ、すぐれたコント番組ばんぐみにはかならず“コントのおに”のような制作せいさくしゃ参加さんかしていたとはなす。この番組ばんぐみでは、通称つうしょう“タワーさん”とばれるひとがコントづくりの陣頭じんとう指揮しきたっていた。

「そのひとは、身長しんちょうが2メートルぐらいあるから“タワーさん”とばれていたんですが、めちゃくちゃコントにきびしいんですよ。ダウンタウンのブレーンで当時とうじ若手わかてだった高須たかすひかりきよし)さんとか、ウッチャンのいとこの内村うちむら宏幸ひろゆきさんなんかは、あさまでのこってコントをかされるんですよ。コントじゅくみたいなかんじ。ぼくは、多少たしょうのキャリアがあったからすこはやかえれたんですけどね(笑)」

 この番組ばんぐみは、2くみ中心ちゅうしんとしたわかいパワーやコント作家さっかたちの奮闘ふんとうもあり、深夜しんや番組ばんぐみとして異例いれいこう視聴しちょうりつたたし、いまかたがれるめい番組ばんぐみとなった。

 ところが、90年代ねんだいなかばにかるころ清水しみずはコント番組ばんぐみ終焉しゅうえん如実にょじつかんはじめたという。