「富田隆実」(とみた・たかざね 1569 ~ ?)とは、最盛期を築いた蘆名盛氏死後衰退する蘆名家を支える四天王の一人として、父の裏切りにもめげずに蘆名家に忠節を尽くして原田宗時・片倉景綱・伊達政宗の軍を打ち破った勇武忠烈なる武士。
概要
葦名家において
と蘆名四天王と呼ばれる宿老の家系で、蘆名家の一族でもある富田氏実の子に生まれ、蘆名盛隆より「隆」の字の偏諱を受けて富田隆実と名のって元服した。
最盛期を築いた蘆名盛氏が没した後の蘆名氏は没落の一途を辿っており、特に伊達政宗による調略によって寝返る者が続いていた。
そして伊達政宗と蘆名義広(盛重)の間で起こった摺上原の戦いでは、父・富田氏実が不利を悟って伊達政宗の所領安堵の条件をうけて黒川城を開城してしまい劣勢になるが、ここで富田隆実は幼き義広に対して忠義を貫き父に従わず、手勢500騎を率いて蘆名家から伊達家に乗り換えた猪苗代盛国の軍勢を打ち破り、続いて伊達軍の猛将・原田宗時の部隊や片倉景綱の部隊を撃破するという力戦ぶりを示すが、戦いそのものは蘆名方の敗北で終結した。
※この時に伊達政宗に奪われた蘆名家の所領は、後に豊臣秀吉によって伊達政宗の手から没収されるのだが、蘆名家の元には戻ってこなかった。
摺上原の戦いの後は、常陸の佐竹義重・佐竹義宣親子の元に逃げる蘆名義広に従って冨田隆実も常陸へと向かう最中、同行していた二本松義綱が足手まといを理由に義広によって殺されると、主家の実質的な滅亡と主君の信義にもとる行為のダブルパンチにより、義広のもとを離れて相馬氏に仕え、子孫は代々相馬氏の家老を務める等要職についたらしい。
※その他「富田隆実」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
関連動画
▼「信長の野望革新PK」地方別武将ランキング東北編にて伊達軍の原田宗時と並ぶ武勇4位で登場。
補足
「信長の野望」(PC)シリーズにおける富田隆実の能力一覧。
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