死亡率12%、有名選手も
一夜明けた5月23日、救援指揮センターは記者会見を行い、黄河石林100キロマラソン責任者である白銀市市長の張旭晨が、昨日黄河石林で開催された100キロクロカンは悪天候による急激な気温低下で参加選手が低体温症を発症し、参加選手172人中の21人が死亡し、8人が軽傷を負ったと表明した。そして、張旭晨は次のように述べたのだった。
これは局部的な天気の急変による「公共安全事件(公衆の安全が脅かされた事件)」である。競技中に激しく急変した天気の影響を受け、局地的に雹や氷雨、強風などの災害をもたらす天候が出現し、気温が急激に低下したことにより、参加選手の身体に不調や低体温などの症状をもたらし、それが21人の死亡と8人の負傷という結果を招いた。
参加選手172人中の死者は21人だから、死亡率は12%に上るが、これは中国で1986年に青海省の長江上流で行われたラフティング(ゴムボートによる川下り)競技大会で中国人9人、米国人1人の計10人が死亡した「長江漂流事件」よりも11人も死者が多く、スポーツ競技大会中の死亡事故としては史上最大規模となったのだった。
21人の死者の中には、梁晶(りょうしょう)や黄関軍(こうかんぐん)といった、中国国内のマラソン界でトップクラスの選手が含まれていた。梁晶は1990年3月生まれで享年31歳であった。彼は過去3回の黄河石林100キロクロカンに全て優勝しているだけでなく、中国の12時間ウルトラマラソン記録保持者でもあった。
黄関軍は1987年生まれで享年33~34歳だが、彼は聴覚障害を持つマラソン選手で、2018年全国障害者マラソン大会聴力障害部門1万メートルに優勝し、2019年中国第10回障害者運動会で聴力障害部門のマラソンで優勝していた。彼ら2人は100キロクロカンで優勝を目指して先頭を切って寒さをものともせずに走り、最後には力尽きて無念の最後を遂げたものと思われる。
ところで、100キロクロカンに参加した21人もの選手が命を落とした原因は何だったのか。
上述した張旭晨は「局部的な天候の急変による公共安全事件」であると言明して、主催団体、運営団体ならびに組織委員会の責任を回避したが、甘粛省気象台が発表していた5月22日の天気予報は強風と降雨による気温低下と局部的な短時間の豪雨、雹、雷を報じていた。
組織委員会が当該天気予報を確認してさえいれば、前日に選手たちからウインドブレーカーを集めてCP No.6に設置された着替えポイントへ運び込むことはしなかったはずである。
選手たちの準備したウインドブレーカーがその名の通り「風冷え」を防ぐだけでなく、高地走行用に断熱性を持っていたかどうかは不明だが、恐らく氷点下の気温に対応できる種類のものではなかったはずである。
ただし、選手たちがウインドブレーカーを携帯していれば、21人もの死者を出すまでには至らなかった可能性はある。その意味では、当日の天気予報を十分確認することなく、ウインドブレーカーを選手たちから前日に提出させた組織委員会の責任は極めて大きいと言える。